母のタイムスリップ日記
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2003年08月31日(日) 8月最後の日

 娘は未だ九州。夫は仕事。
比較的のんびりとした朝だった。
いや、何時だって同じなのかもしれない。
でも、母の所に行かない日。活動の無い日。家族の事も考えないでいい日。
こういう日は、やっぱり なんとなく のんびりする。

コーヒーを淹れながら久しく川辺りを歩いてないなあと思った。
動いてはいるのだけれど、運動になっていないような気がする。
今日は、8月最後の日であり また 涼しくもあり ギラギラした太陽も無い。絶好のお散歩日和である。

銀行までの用を思い出して、歩いてみようと思った。
隣町にある銀行である。

家を出て、中規模河川敷きに入る。
草むらからは、虫の音が聞こえ川向こうの里村からはせみ時雨が聞こえる。
夏と秋が混在した季節へと動き始めているのだなあ。

水辺からは、カワセミやセキレイの声が聞こえる。
夏はじめに耳にした「カジカ蛙」の声は聞けない。
でも、新聞によれば今年は、近くにカジカ蛙が戻ってきているとあったなあ。
里山の方からは、よしきりやコジュケイの声も聞こえてくる。
川の浅瀬で、小魚をついばむ小サギがいる。

道端には、エノコロ草、オシヒバ、セイバンモロコシ等が目に付く。
更に進めば、ツルボが群れを成して花を咲かせている。オオタデ、オオイヌタデもグンと背丈を高くしている。

季節が更に進めば、彼岸花が咲き出すであろう。

こんな景色の中に身を置くのは 久しぶりである。
大きな川と交わる所まで来ると、草が鬱蒼と茂っていた。
いつもなら、草を刈り込む筈だけど…。どうしたのかな?
母と散歩していた頃は、草の刈られた道を木陰で休みながら歩けたのに…
今日は、どうにも下までは降りられそうに無かった。
こちらの河辺りでは、釣り人達が糸を垂れている。

ついこの間まで、母の言動に耐え切れずに、雨、風、照る日、全く関係なく意地を張るようにここを毎日散歩した。
「歩きたくない」と言われても「お母さんのために歩いているのよ」と恩を着せる言い方をしていたな…。
表向きは「母のため」だけれど、ほんとの処母の言動から逃げたかったのだ。私も辛かったけれど、母だって辛かったのだろうと思う。
「娘だからね。何を言い合っても後腐れが無いからいいよ」と母はよく言っていた。
娘だから我慢してくれた。その事を思うと目頭が熱くなってしまう。

今 目の前にある草花がイライラとした思いを吸収して言ってくれたのだ。
草花の名前を一つ一つ思い出しながら歩いた。しりとりもした。歌うときだってあった。
辛いと思っていた事を忘れさせてくれる散歩だった。
母にも私にも気分を変える良い場所だった。

いつも心の中で感じた事に距離を持つように意識してきた。
だから、涙もろい方ではなかった。

でも、最近の私ときたらちょっとした事でツーンとしてしまう。

駅の近くまで来て電車で行こうかなという誘惑に駆られた。
でも、その思いにブレーキをかけて駅への道を素通りした。
河向こうの岸には、川鵜が群れをなして羽を休めていた。

河川敷の公園では、小さな子がサッカーの練習に励んでいた。親達がその周りを囲んで様子を眺めている。
今日が、8月最後の日。夏休み最後の日である。

いよいよ、隣町の域に入ってくる。
そこで、また 河川敷きの様子は様変わりしてきた。
更に鬱蒼とした景色となる。
草丈は、背丈を越える。
その草むらの中にホームレスの人たちのテントが点在している。
暑さを凌ぐには 良いのかも知れない。
でも、虫も多いだろうに…。
母と散歩していた頃は、自分の住む町の方がテントは多かった。
きっと、川の流れが変わってしまったので、こちらに移動してきたのであろう。

ここで、土手を降りて路地に入り込んだ。
この辺りだって母と良く歩いた場所である。
今度は、歩いた事の無い道を選ぶように進む。
方向は判っている。メインの道のどの辺に出るかと想像しながら歩いた。
家の中から子供の声が聞こえる。犬の苦しそうな鳴き声が聞こえる。
料理している匂い。お菓子を焼いている匂い。
生活を感じるかおりとの出会いは路地だから味わえるものであろう。

そんなこんなで、ようやく目的の銀行に辿りついた。

帰路も歩こうかなと思ったけれど、お日様が顔を出したので電車に乗った。

家に戻ると2時間以上が過ぎていた。
今日が美容院に行くチャンスと思ったけれど、しなければならない事が山のようにあった。「また、そのうちに…」と言い聞かせて冷めたコーヒーを口に含んだ。

お便りを書く。そして、小さな庭木の刈り込み…。
日が傾き、雷の音が聞こえてくる頃家に入り夕食の準備。

娘にメールを入れたら、まだ福岡の空港だった。
きっと、お土産話で持ちきりになるだろう。
だから、今日は、早めに日記を書き上げた。

8月最後の日も後少し。




2003年08月30日(土) 自戒を込めて


 母を送って行くと昨夜下痢をしたと職員さんに言われた。
うーん。夜勤の方に迷惑をかけてしまったか?「あー最悪」と思われてしまったかな?
でもなぁ〜。焼肉=下痢とはなら無いだろう。
食べる前の時点では、コロッとした固いものだったし、腹痛も無かった。
だったら、やはり いつも通りと言う判断しか出来ない。

逆に家に連れてきて「下痢」だってあるんだよね。
でも、こちらは、あまり気にしない。「便が緩かったです。様子見てください」としか言わない。

この立場の違いって何だろう?
それに、今朝 母を連れて出る時は 特に何も言わなかった。
(伝え忘れらしいけれど…)
家で 母をトイレ誘導して 昨日と同じように「コロン」としか排便が無かったから「ヨーグルト」の出番かなと思った程なのだ。
たまたま、お腹がいっぱいになったような様子に「歩けば多少の刺激で排便するかな?」と食べさせなかったのである。

今日は普通の食事を家で食べていて特に変化ありませんでした。
と職員に伝えた。

職員のお話を聞いて ふと思い出した事がある。
「娘孝行な親だね」とお嫁さんから言われた事。
父の介護をしていた頃の事である。
耳慣れない言葉に「?」と思った。
「どうして?」と聞くと「お姉さんの介護の日は、何も問題が起こらない」というのだった。

あの時、とても嫌な気持ちになった。
命が果ててもおかしくない時期に病人が「娘だから…」と意識するだろうか?
介護に当たる時間は、私の方が数倍多いのに…なんでこんな事言うのだろうと思ったものである。

職員さんから母の事を言われて、あの時と似たような思いがほんの少しだけれど湧いて来た。
一人の人を複数で介護するとこういう思いが生じ易い。

母の下痢が有ったと知った事で 今朝の母の様子、また 夕方の母の言葉に合点がいった。
施設の玄関をくぐった時「トイレに行きたいです」と困惑した顔で言う母に
ぱったり出会った。
夕方「あなたが居ないと困るの」「直ぐに帰ってしまわないでね」「必ず居てね」と繰り返し言われた。
きっと、よほど辛かったのだろう。
母が下痢をしたとて、直ぐに対応してもらえる訳ではないだろう。
呼び出しベルが有ってもそれを使いこなせる母ではない。
仕方のない事だけれど…。母一人だけを見ている訳ではないのだろうから…

良い事もあった。
家でリハを受け、昼食を済ませ、母に10センチ角の色紙を渡した。
この所、写生等出来なくなっているけれどちょっと試しにと思ったのだ。
前にパンダのぬいぐるみを置いて。
所が 母は予期せぬ行動に出た。
パンダには目もくれず 空想の絵を描き始めたのだった。
空想とは言っても小学の低学年の子が描くような女の子を描いたのだった。
「一人じゃ寂しいよね」と言って3人も描いた。
それぞれ違う形をしている。
全く意表を衝かれてしまった。
「何か出来ないかな」と思っていたけれど、何処かで「もう出来ないだろう」とも考えていた。

母の今日の一日を考えると、とても要介護4とは思えない。

でも、紫蘇ジュースを飲みながら…。
「甘い水が、頭に会わないなあと思っていたけれど、大丈夫なの。飲んでしまえるの」と理解に苦しんでしまうような話もするのである。
「むむむむ」






2003年08月29日(金) ドクターストップ


 思わせ振りですね。
いや、母がドクターにストップをかけたのです。

数日前、職員が「耳掃除をしましたが、片方だけ少しです。まだ、取れていません」と言われました。
お礼を言って「近いうちに通院します」と伝えた。

で、今日 通院した訳です。
「いつからだろう?」医者嫌いになったの?
行く前から「医者に行く」というと不安がるようになって来たので予告なしで通院。
待合室に座るとソワソワし出した。
母の手を取って手のひらを合わせた。
片方の手で「○○△△」と名前を言いながらぽんぽんと掌をたたいて見た。
数回繰り返すと母も同じように私の掌をぽんぽんとたたき返した。
聞き違えたかと思った。
母は「○○△×子」と私の名前を呼んだ。
ここに来るまでの間「□□ちゃん」といとこの名前で私を呼んでいたのに…
急に記憶の回路が繋がったようである。
でも、数回繰り替えした後、また、自分の名前のみに戻った。

耳鼻科は待っている人も少ないので直ぐに順番が来ると思っていた。
診察室までは順調だったが、前の人が質問が長くて…。機械の見える診察が母の不安を加速させてしまった。
以前小さな子が恐怖のあまりワーワーと泣いていた時も大変だったが…。
今日もそれに匹敵するくらいの状態となった。
気を紛らして貰おうとじゃんけんを試みた。
始めの内は「勝った負けた」と表情で表していたけれどその内目を瞑ってしまった。「耳の掃除をしてもらうのよ。来た事ある?」と聞いた見ると不機嫌そうに「あるよ」という。
「とても上手な先生だからね。安心してね」と励ます。

順番がようやく来てお掃除の開始。
「いたい」「うん。痛いね。ちょっと我慢ね」「はい」
「いたっ」「うん。もう少しね」「はい」
こんな会話が何回も母と私の間で繰り返された。
そのうちに「おかちゃん」が始まり、「おかちゃん痛いよ」が出て。
おかちゃんの代わりに私が返事して…。
最後は「先生、もういいよ」「先生もういい」となった。
これが、両耳分だから2回繰り返す。

でも、何とか終了した。

耳鼻科を出て今度は歯科の予約である。
今日は きっと 医者はこりごりの筈。
だから、母を玄関で待たせていた。でも、やっぱり「医者の所」とわかるようで靴箱の上に顔を突っ伏し始めた。
奥様がわざわざ出ていらして母の頭を撫でてくれた。
予約が出来たので早々に歯科を後にした。

夕食を一緒に取る予定だったが、少し早めだったのだったし、水分補給もありソフトクリームを食べに行った。
母は、おいしそうに食べた。
家に帰って食事を作り食べさせてまた、施設に送る事が面倒になって来たので外食に決めた。
母に「お肉とお魚どっちがいい?」と聞いてみると「お肉」と言うので焼肉屋さんの門をくぐった。
ま、食べるたべる。お肉もサラダもキムチも…。二人でお腹いっぱい食べて大満足でお店を出た。
母は、ほんとにお肉が好きだなぁ〜。

これだけ おいしかったら 耳掃除の痛さは忘れてくれるだろう。
医師は、母の病がわかっているから診察中の話もお咎めなしだった。
でも、次の番を待っていた方が微笑んでもいた。
何も言わなくともきっと、どういう病気の人かはわかったのだろうな?

日記を書いている間に2件の電話があった。介護仲間と1時間。
娘が九州からちょっと。
休暇を利用して九州に飛んでいるのだ。
「ラーメンがおいしい」と言っていた。
おいしいラーメンは、無理だから「明太子」がお土産になるらしい。
以前九州に転勤した方から戴いた「明太子」を指定した。
地元でしか売ってないものだ。楽しみである。


2003年08月28日(木) ふるさとの風


 友人からの荷物からふるさとの風が届いた。
箱を開けると茶豆、こなす、きゅうり、夕顔が入っていた。
どれも、友人とお義母様の育てられたものだ。
何よりうれしいもの。
でも、夕顔の食べ方が判らない。
お礼の電話で聞いた。
「書こうと思って忘れてた」といっていた。
日持ちするので、少し置いても大丈夫と言っていた。
さ、作る楽しみが出来たぞー。

今月は、ふるさとからの風がいっぱい。
やっぱり、帰らなくともこうやって空気を届けて貰って嬉しい。

子供達からも写真が届いた。
うへーっ。みんな、おじさん、おばさんだ。
そうだよね。子供の写真の年賀状が届いているのだから当たり前。
この分、私にも平等に年が降りかかってきているんだよね。

元同僚も、楽しかった会の様子を教えてくれた。

小学校の同級会の報告も送ってくれるって言っていたなぁ。
楽しみだな。

元気の元…。
ふるさとの風。


2003年08月27日(水) やっぱり 家だね


 ご近所さんと一緒にGHに出向いた。
母は、居室で一人塗り絵をしていた。
最近、施設で塗り絵を準備して下さっているので家から持っていく事が少なくなって来た。
「こんちわ」とご近所さんが声をかけて下さる。
母は、見覚えのある顔なのでにこやかに「こんちわ。良くいらしてくださいました」と挨拶を交わしていた。
この場合、私は身内だという意識はあるのだろうな。

ご近所さんは、初めて見る施設内の風景に 私が初期に感じたと同じような気持ちになられたようである。
デイもショートも2箇所の利用。それも母と同じ施設である。
そこと比べてしまうとどうしても「心」や「対応」が利用者の方を向いてないなと感じてしまうのである。
別に意地悪をするとか、そういう種類のものでなく、職員のペースになっていると感じてしまうのである。
忙しいのだろうから無理は言えないが…。

話が少しそれるけれど…。
今朝の朝日新聞のひとときに「一分でもいいからその人のためだけの時間を持ってください」とお願いした。という事が書いてあった。

いや、GHでは1分以上の時間を割いていただいてはいるけれど…。

ある方とお話によれば、志の高い職員がいても、施設の方針によって出来ないない事もあるだろう…。だから、職員の資質でなく経営の方針が影響するだろう…と言う。

ご近所さんと知り合いのいるフロアに移動した。
その方は、ご近所さんをみて笑みを浮かべた。
母と同様、お顔だけはわかるご様子である。
ちょうど、私の知り合いもお隣に座っていらして「よう来てくれたね。ありがとう」とやはり笑み満面である。
2人から受け入れてもらえてしばらく話に花が咲く。

ご近所さんの知り合いは、自分がわからなくなりかけている事が判るようである。間違った答え方をしないようにと注意深く答えられている様に感じた。
数ヶ月前「仕事があり、人が訪ねてきますので帰らなければ成りません。ここから帰らせてください」と必死で訴えていた姿は今日は見られない。
それでも「どうぞ、家にもお出でください。あなたの電話番号を教えてください」と幾度も聞いてきた。
「施設で暮らしている」のではなく「帰る家」があるのである。
それも、実態の無い生家ではなくて入所前まで住んでいた「家」がまだ判るのである。
今は主も無く空き家のままの家を私もご近所さんも目にしている。
仕方のない事なのだけれど…。
ご近所さんと私は 気が付かれないように涙を拭いた。
やはり「家」は一番なのだろう。



 




2003年08月26日(火) 一日じゃ足りない


 あーあっ。片付かない〜。
朝一番に葡萄棚を手入れ。
娘を起こしながら、鉢植えの手入れ。
暑くなって、ちょっと、出かける用も多くなっていたので水不足。
葉が茶色になっていたりして…。
鋏で、チョッキン、チョッキン。
先日、娘が車で轢いてしまった鉢植えを植え替え。

つる物の植物も気温が上がり始めてから 成長が著しくなり伸び放題。
他のものに絡んでからでは遅いので それも場所を移動させた。

そんな事をしている内に娘が起き出して 朝食。

棚にも要らぬ紙ごみが いっぱい。
チェックを入れながら整理した。
でも やっぱり 整理しきれない。

放置していた付けだから、仕方ない。
もう少し気合いを入れて 出来る限り片付けるしかないだろう。

すべてが中途半端な整理なので、スキッとしないな。

明日は、ご近所の方とGHに出向く予定である。 
先日 知り合いが入所なさっている事を知ったようで、一緒に訪問させて貰えないだろうか?と言われたのだ。
入所なさって居られる方は、一人暮らしだったという。
やはり、お付き合いのあった方で「一人暮らし」から「施設」への移動は 気になるんだな。

ご近所さんは、お母様を見送られて、ようやく心が落ち着いていらしたのだろう。少しずつ、それまでの状況をお話くださった。
初盆だから一度訪問させて戴こうと思いながら、とうとう 訪問できずにお盆も過ぎてしまった。

明日、ご一緒して 都合の良い日を伺おうと思う。


2003年08月25日(月) 気持ちよい汗。


「暑いですね」がようやくぴったりして来た。
実際は夏でもでも、気分は秋…。
この暑さ、ちょっとしんどいけれど、汗の出ない夏は夏じゃない。
流れ落ちる汗にようやく季節を感じられて 嬉しい。

利用者さんは、、お元気だった。
今朝は、早めに起きてお料理をなさっていた。
それが、一番いい。
まだ 一人でできる事がたくさんある。
土曜日には、スポーツクラブにお出かけの利用者さんと偶然お会いしている。がんばり屋さんである。

今日も「歩きたくない」と言われたけれど「足を動かす事が一番のリハビリですよ」とお誘いすると「そうですね。お医者さんも そう言えば言っておられた」と一緒にお買い物に出られた。

買い物する物もしっかりメモなさっておられて まだまだ 大丈夫。

母の所に行くと、母は、塗り絵をしていた。
娘が声をかけると(娘 本日 ようやく 6月の代休を取りました)「お勉強しているんだから…」と邪魔しないように…とけん制を張っていた。
 
例の書類を提出して、正式に受理して貰う為、母を連れて役所に出向く。
こんな季節なのに、登録の所は非常に混雑していた。
母を連れ出しているので、困ったが…。
たまたま、母と私の共通の知り合いがいて、事情を知ってちょっと早めにしてくれた。「ずる」したかな?
でも、事情が事情だから勘弁して貰った。
普段は「ずる」しませんよ。

昨日、日焼けは十分注意を払ったつもりだったけれど、腕がやっぱり日焼けをしているらしく 少しヒリヒリした。
腕も多少痛い。
でも、一晩寝たら楽になって来ている。

あー家の中が、散らかってきている。
明日は、しっかり 家の中の事に取り組もう。


2003年08月24日(日) 行ってきました!

 ふーっ。暑かった。
炎天下から始まった東京ジャズフェスタ。
お茶を凍らせ、茶豆を茹でて、タオルも凍らせ、コーヒーは、ポットに。
帽子を被り、日傘を持ち…。
スタンド席で足が疲れるので新聞持って…。
携帯扇風機、扇子も持って…。
万全の支度をして 夫と味の素スタジアムに向かった。

飛田給には各駅しか止まら無いらしいけれど、今日は臨時停車してくれた。

ダイアナ・クラークは、急病で出演できず、チャカ・カーンが代わりに出演。

昨年は、初日に合わせた。
今年は 迷ったが2日目に合わせてみた。これが、正解だった。
ラストステージには、初日のメンバーも参加した。
スペシャルバンドである。

ジョシュア・レッドマンのサックスは、聴き応えがあった。
ジーンとしてしまった。

最初は、日陰を選んで座ったけど、直ぐに日があたるようになった。
帽子を深く被り鼻の辺りからハンカチを三角にしてマスクを作って顔を覆う。日傘は邪魔にならないように肩にかけて…。

ワンステージは、国内のミュージシャンだった。
その間中、ずっと座り続けた。もう、汗びっしょり。
でも、気持ちいい。これくらい暑くないとね。

ラストステージでは、もう 立ち上がって手拍子。
ラップ・ヒップホップのスピーチとハービー・ハンコックの乗り…。
チャカ・カーンの声…。松永貴志のピアノ。寺井尚子のバイオリン…。
〜ため息〜

隣に座って お付き合いくれた夫に感謝。
最初から最後まで…「ありがとう」
暑いのに…。
お疲れ様〜〜〜。よく、7時間辛抱してくれましたね。

母の事、しばし 忘れてました。


2003年08月23日(土) 今日の母は…


どういう事だろうか?
家に連れてきて リハまで時間が有ったので聖書を渡した。
母は、声に出して読み始めた。
かなり集中して読んでいるので風呂の湯加減等を見ようと離れた。
すると、母の声が曇っている。
母の所に急ぎ戻ると娘が先に「すわっ」と飛んできていてティッシュを渡していた。

当の母は、何も気にせず声を出して読んでいる。
しばらく様子を見ていると…。
どうやら、聖書の内容に心打たれて泣いている様だった。
こんな時間が、30分以上続いていた。

そういえば、その昔。
朝のデボーションをしている母がいつも涙を零していたなあ…。
「感謝の祈りで涙なんて…。」と思ったものだった。
きっと、その頃の母が消えてなくなった訳ではないのだろう。
ただ そういう感情の出番が無かったのだろう。
今日は、心に響く日なのかも知れない。
教会に出かけても耳が遠く説教も聞き取れないようで「どうしたものか?」と考えていたが、読む事が可能なら その方法を取り入れればいいのだろう。

療法士さんが見えて、母と会った時「今日の目はしっかりしてますね。訪問して初めてですね」と言われた。
そこで、ちょっと前の話をすると「やはり、はっきりしているという事でしょうね」と言われた。

実は、今朝 母を迎えに行った時 職員が「今日はシャワー浴びています」と言っていた。「?」と思ったら どうやら 排尿の失敗があったらしい。
私といる時も危ない場面があるのだが…。
用を足しにトイレに入り 出ないと思って立ち上がり立ち上がった途端に尿が出るという事があるのだ。
今朝の失敗もそれだったようである。
職員は、一人で数人のトイレを介助するためトイレ誘導してその場を離れる。その間の失敗であったと思われる。

1対1なら その場を離れないので危ない時は 直ぐにまた座らせるのだけれど…。

Tシャツがびっしょりとなっている職員を見るとそこまで要求も出来ない。

リハも終えて昼食をとる。
母は「おいしい」と食事していた。

今朝 早くに作った紫蘇ジュースもがぶがぶと飲んでいた。
便秘気味なので 昨日作った「牛乳寒天」も食べてもらった。
水分補給も便秘解消策である。
イチジクやトマトもしっかり食べた。

そうそう。
イチジクをお皿に載せて出すと「ま、おいしそうなりんご」と言った。
否定せずに冷蔵庫から「りんご」を出して「これは?」と聞きなおす。
「りんご」「じゃ、こっちは?」「りんご」
「触ってみてよ」と言うと「こっちは硬くて、こっちは軟らかい」
「でしょう。で、これは何だろうね?」「りんご」
とうとう 自力では思い出せなかった。
「これは、イチジク」と言うと「い・ち・じ・く」と反芻していた。
しばらくして再度聞いてみてもやっぱり「りんご」

こんな調子なのに、聖書の言葉は心に響くのだ。

記憶の回路、判断力それぞれ 違っているのだなぁ…。
ほんとに不思議な病である。

お風呂に入って 施設へと戻った。



 


2003年08月22日(金) 母が書く 申請書類


 役所に出向いた。
一度目は、一人で。2度目は、母を連れて。
そうです。やはり、委任状がないと印鑑登録は出来なくて…。

弟は、急いでいる様子だったし。
早く 片付けてしまいたいし…。
だから、母を連れて 本人申請をしてもらった。
「良かった。文字が書ける内で」「良かった、名前を言えて」
本人確認OK。
あとは、住所確認の郵送物が届けば、正式に登録される。月曜かな?

弟からの書類も届いた。
行政書士さんは、ちゃんと4名分の欄を準備していたのに、弟は鉛筆書きで兄弟分しか書いてなかった。やっぱりね。
「ねえ。お母さん痴呆だけど生きているんだよ!」と言ってみたい。
でも、そんな事いってみたって しょうがないよね。

母は、役所の門をくぐるとき「役所なんだね」と表示をみて言った。
中に入って手続きを済ませて待っている間もあちこち見ていた。
「ここは、役所?ふるさとの役所とどっちが大きいかね?」と言った。
おそらくふるさとのほうが大きいだろう。
でも、母の記憶された役所は古い建物だろう…。
だとしたらこっちのほうが大きいかな?
でも「どっちだろうね?」と笑い返した。

役所の食堂でおやつ。
バスに乗り施設へと戻った。
午前中、入浴して午後は、たいして面白くも無い場所で過ごしたせいだろうか?母は「疲れた」と言った。
あまり、口にしない言葉だ。
居室に入り横になってもらった。
「おかちゃん」という言葉も 今日は出てこなかった。
疲れているからかな?
明日は、リハである。

日曜のライブは、夫と行く事にした。
7時間もの長い時間のライブだから夫は行かないだろうと思っていた。
でも、誘ってみたら 意外な反応だった。
持つのかな?
娘は「『もう帰ろう』と傍で文句言われるのじゃないの?」と案じている。
きっと、そうかもしれない。「演歌」好きのおじさんだからなぁ…。
世界のアーティストが集うのだから…。満足してくれればいいな。



2003年08月21日(木) でんわ


 弟から電話が来た。
家の名義の書き換えのための書類を送ると言う。

弟の家は父の名義である。
弟二人には、ずっと前に きちんと自分たちの名義に書き換えるように薦めていた。
下の弟は 書き換えていた。何時やったかは知らない。
でも、父の生きている間にしたのだろう。
私に特に書類の提出を求めてこなかったから。

書き換えを薦めている時だって弟たちと良い関係とは言えなかった。
でも、もう、住み出してずいぶんの年月が経ちそうするのが妥当と思っていた。今でも、その気持ちに変わりはない。

これで ひとつ、けじめが着きそうである。

「お袋どうだい?」とも聞いてきた。
「変わりないよ。この間家に泊まって行ったよ」と伝えた。
「世話になるね。何か送るよ」

こんなやり取りだった。
何も要らないのだ。ただ、気持ちがあるなら母に会いに来て…。と喉まで出かかったが言葉にしなかった。
余計な事は言わない。
「母と弟」の問題である。
家だって母の相続分もあるのだ。それを放棄するのだよ。
そこだけは、しっかり 覚えていてほしい。
でも、そこまで考えてはいないだろう。
その証拠に「母の印鑑証明がいる」とは言わなかった。
ま、こちらで準備するけれど…。

こういう所で「母」が軽視されていると感じてしまう嫌な私である。




2003年08月20日(水) ぴゅうっと来た友人


 「夏休みだから…」とふるさとから友人がやってきた。
おばさんの所にお泊りだけど、今日は 私のために時間を作ってくれた。
おばさんが、待ち合わせ場所までいらした。
お初にお目にかかる方である。
彼女は、いつも「おばさん」と言っているのでもう少しお年を召された方かと勝手に想像していた。
でも、年齢的にさほど変わらなかった。

「一緒にお食事でも…」とお誘いした。
快く受けて頂いた。
大きなビルが観光名所となっていて まだ 一度も行った事がない所に出かけた。まあ、夏休み 混雑していた。若い子が多かった。
この近くで、昔 お仕事なさっていらしたという事だったので、近辺もそぞろ歩いた。お食事を済ませ、後はタリーズでお茶。
娘のお勧めの場所でもあるので、一度位行ってみるか…となったのだった。
お話をしている内に このおばさんも お子様はお嬢様お一人だけと知った。 年齢も近い。
子供の仕事の話になり、親としては やはり「苦情、不満をひたすら聞く役目」と言われていた。娘さんも 昨日は、というか今朝6時に帰宅して 朝 また出勤なさったと言われていた。この超過密勤務は、やはり 娘だけではないのだ。
娘の友人の同様である。
ほんとに「8時間労働」は、在って無いような状態である。

似たような年齢の人が集まれば、当然介護の話にもなる。
おばさんは、友人から私の話を聞いていたので介護の話にシフトして行ったのかも知れない。
もう、ご両親の介護は卒業なさっておられた。
それでも、ちょっと もたつきも在ったと話された。
でも、異口同音に、相手が理不尽でもそこに拘り続けているとストレスになり過ぎて体調まで崩してしまうので気分を変えるようにしていたと話される事。
そうやって、平静を保つ事が取りも直さず自分を支えていく事になるねぇとの言葉に「そうだよね」と思った。
怒りをパワーに変えていける人もいるけれど、私などは とても出来そうにない。優しさとかではなく、抱え込むストレスに耐えられないのである。
情けないかな まったく、駄目人間である。

友人とは、4年ぶり位に会ったかな?
電話は、やり取りしていても、なかなか 会えなかった。
彼女は、私を見て「逞しくなったね」と言った。
「年を重ねたからね」と笑うと「年の話はなしよ。みんな、おんなじ」と言われてしまった。
父の事、母の事、家族の事、兄弟間の事 悩みに悩んで自分を追い込んでいた頃とはやはり違ってきているのかな?

場所を変え、別のビルへ。
こちらは、ゆとりがあり 優しさを感じた。
建物の持つ、空間、雰囲気…ってそれぞれあるのだなぁ。

3人とも後に訪ねたビルのほうが好みだった。

びゅうっと来た友人は、楽しい思い出を作ってくれてふるさとへと帰って行った。秋には娘を嫁がせるのだなぁ…。




2003年08月19日(火) お母さん ご・め・ん


 母の所に行くと一人居室で塗り絵をしていた。
「おかちゃん」と声を出して目には涙が光っていた。
塗り絵は、職員が母に準備してくれたものだった。
机の上を見ると仕上がった塗り絵があり、「今日は、日曜。学校お休み。お休み。休みたい」と数枚の塗り絵に書き込みしてあった。母の傍に濡れたメモ紙があった。
ティッシュボックスは、机の上にあるのだけれど探せないのだろう。
込み上げて来る物を抑えながら「外に行こう」と声をかけてみた。
「行かない」と母は言った。
「そうだよね。私となんか行きたくないね」と呟いた。

気を取り直し、来る前にお店に寄って買って来た物を取り出した。
サポーターである。
サイズはワンサイズ上のものにした。
靴下を脱がせて着装すると「気持ちいい」と母は言った。その言葉にほっとした。
「お散歩行こうか?」と誘うと今度はOKだった。
二人で外に出た。
空を見上げた母は「雨が降りそうだね」と言った。
「ほら」と傘を見せると母は、笑った。
途中、ゴールデンリトリバーをつれた知り合いに会った。すると、母も一緒に軽く会釈していた。
でもなぁ。最近の母は、通りすがりの人誰にでも会釈するのだ。
ま、いいか。知らん振りよりずっといいかぁ。

いつもの野菜スタンドを覘くと栗が出ていた。
「へえ。もう栗なんだな」と思ったら 母も「おいしそうな栗」と言った。
「買おうか?」というと「要らない。見ているだけでおいしい」と言った。
まったく遠慮深い母である。

施設に戻って、サポーターを外してみた。
それほど足は 凸凹してなかった。効き目は悪いのかも知れない。
でも、はじめからきついものの装着は避けたかった。
様子を見ながら、進めていこうと思った。

お店を覘いた時、実にさまざまの種類のサポーターがある事を知った。
効果を高めるためには、やはり その人にあったものを選んだほうがベストだろうと思った。そのためには、整形外科での診察だろうと思う。

帰る前に、責任者の方から「地区の盆踊り」と「敬老の日」のお誘いを受けた。
「うーーーん」
盆踊りの日は、母のリハが予約されており、夜はライブが予定されている。
夏の2大イベントの残るひとつである。
これだけは、外したくない。
多少の迷いはあるが、今度は泊りがけではない。
これだけは、許してもらおうと思っている。
ほんとに「ご・め・ん」である。


2003年08月18日(月) 足のむくみに サポーター?


 高齢になってくると、足にむくみが出て来る人が多い。
それが原因で足が重苦しく歩かなく方も多い。
むくみを取るには、やはり歩いたほうがベストである。でも、高齢、痴呆、麻痺等でむくみを取るほどの歩行も出来なくなるのが現実である。
母も、そういう症状が出ているので歩く事を意識して取り入れている。

今日 訪問した利用者さんも足にむくみが来ていた。
お訪ねすると足先にサポーターを装着されていた。
聞くとむくみがひどいので通院して、その時にサポーター装着を薦められたそうである。
「外反母趾からくるむくみ」だそうである。
でも、このサポーターかなりきつそうだった。
外して見せてくれたので手に取ってみたが…。
利用者さんのサポーターを外した足を見ると凸凹としている。
これを、昼夜問わず装着したと言う。
「いいのかな?」と思った。
でも、利用者さんの足は、むくみが確かに引いてきていた。歩くのも楽だと言う。
商品の説明書を見せて戴くが、長時間の装着の禁止はなかった。
利用者さんには「医師に確認してくださいね」とだけ伝えた。

「今日は、足がむくむから買い物には行かない」と言われたが装着の注意には「装着して歩行すると楽」と言う所があったので、その旨を伝えて見ると「じゃ、出かけてみましょう」と言われた。(ほっ)
妹さんへのお便りもあるというので ポストにも寄りいつもより長めの外出となった。外出より戻った利用者さんは、「足が軽くなった」と言われた。
「歩くとやっぱりいいのね」とも。

サポーターの事が気になりながら、利用者さんのお宅を後にした。
私は、通院介助の依頼はないので直接医師とのやり取りは出来ないのだ。
後は任せるしかない。

午後一で、ある会があり、家に戻っておにぎりを一個 お腹に放り込んで会へ向かった。それでも、ちょっと遅刻である。
会には、別の会に参加なさって居られる方も見えていた。
今日は、医師も参加して下さる方の会でもある。ここに特別に薬剤師さんも見えていた。
今日は、お薬の事についてもお話が聞けた。

私の謎も少し解明された。
ここで、例のサポーターの事を聞いてみた。
すると、数人使用をしているのを見た事がある人がいた。
薬剤師さんのご家族もそうだった。
やはり、医師の指示は「24時間」のようである。
でも、痴呆の症状のあるご家族は きついサポーターを長時間装着は嫌がって自分で外すそうで、ちょこっとの使用が現状だと言っておられた。
医師は、圧縮効果はあるが実際の事は判らないので次回まで調べてくると言って下さった。
私は、この医師の姿勢が好きである。
判らない事は、きちんと調べてくれるから。

会が終わり、家に戻って ふと 考えてみた。
母にも使ってみたいけれど、心臓が肥大している者にとってどうなのだろうかと…。
通院もせずに ずるいやり方だが、罹りつけ医に電話をして聞いてみた。
「足先なら問題ない」と言う事だった。
これで、安心して母に使えると確信を得た。
医師には「むくみをチェックしてもらうために近いうちに通院します」と伝えた。

訪問をしていて得る情報、それを確かめる情報等、やはりアンテナは 広く張っている方がいいみたいだ。


2003年08月17日(日) 雨の晴れ間に


 10時過ぎにzzzzした母は、今朝、5時までぐっすり眠っていた。
障子戸を開ける気配で、母のところに起きて行き、トイレに誘導して、隣で一緒にうつらうつらした。
みんな、折角の休日だから早く起こしたら可哀想に思えた。
母の部屋から望む景色は、実に広々としている。
母は、朝の景色が好きなのだ。

着替え、洗面、やっぱり見守りよりもう少し踏み込んだ形での関わりが必要になっていた。

テーブルについて、朝刊を渡すと一面から声を出して読み始めた。
何処まで意味がわかるかと思ってみていたが、瞬間はわかるようである。でも、持続しないので聞けばトンチンカンになってしまうようだ。

みなで食事して、片付けは、母に。昨夕と同じ順番で…。
でも、昨夕ほどうまくは行かなかった。
ふきんで拭いて、ふきんを洗い、また拭くといった具合である。
こういう事は在宅時に「うつろな時」良くやっていたが、その時とはまた違って「うつろ」と言うより「判らない」と言うように見えた。

「仕方ないね」と思う。でも、作業ができる事、またやろうとする意思を持っていると言う事だけでも やっぱり嬉しい。

雨の晴れ間を縫うように…。
朝食後、昼食後のご近所を散歩。
記憶に微かに残っているようで「知らない所だね」と言っていても「来た事あるよ」と言ったりした。
経験がなくとも、そう言う事もあると聞くが、今日の場合は思い出しているとわかった。

ぼんやりとでは在るけれど、「誰かの家」に来ているという事を認識し、初めてではない事も判っている様であった。
施設に戻る時「学校か」とビルの前を通る度に聞いてきた。
玄関に入るときも「学校だね」と言った。

家にいる時もおかちゃんを時に繰り返した。返事すると「何でもないの」と言った。「○×は何処?」と私の名前を言うとふるさとにいると言う。
「帰りたい?」と聞くと「いや、帰ってもしょうがないんだ」と言う。
この部分は、何処まで理解しているのかわからない。
「判っているのかな?」

そんなこんなで、盛りだくさんの一日が過ぎた。


2003年08月16日(土) 今日は…。


( ̄∀ ̄*)ニヤり☆
と言う事で、出かけませんでした。

あれから、支度は遅くまでかかってしました。
今朝も、早く起きました。

でも、出かけるべきでないと判断しました。
理由は、ひとつではないのです。

同級生と、教え子と元同僚には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
すぐ、電話をしてその旨を伝えて、参加費を送付しました。
同級生には、こちらに住んでいる方とのお話もお伝えしました。
特に小学生のころ、作家になりたいと言っていたHさんは、夢を実現して
只今 ペンクラブの会員になられて居られると言う事も伝えました。

せっかく、背中を押してくれた夫、再三 背中を押してくれた娘。
それに、タケちゃんだけど…。

出かけない事のメリットはきっとある筈。

行くのを取りやめたのは、義務とかそういったものからではない。
心の中から発信された言葉に従ったのだ。
「行かない」と決めたらスーッと肩の荷がおりた。

会いたい。話をしたい。その気持ちは、今でも変わらない。
そのうち、行ける時もあるだろう。そう、遠くないうちに…。

と言うわけで、母を家に連れてきた。
塗り絵をしたり、本を読んだり、30分くらいに区切り いろいろ作業した。塗り絵は、単色になりつつあるのだが…。
今日は、声をかけながら、色を選べるよう配慮しながら 取り組んだ。
洋服は赤。花は黄色。葉っぱは緑。
選んだ時はほめた。塗っている時も、ほめた。
おかげで だんだん集中して「おかちゃん」という声も消えた。

夕食も「おかわり」をするほどだった。
しっかりと食べた。「おいしい」と食べた。
良かった。
後片付けの食器洗いを頼んだ。
すべて、洗っておき 濯ぐだけの状態にして桶につけて、バトンタッチ。
できた。
ふきんでも、ちゃんと拭き、ふきんも洗っていた。
多少、言葉がけしたけれど、出来ました。母「◎」

それから、解いた毛糸を巻いてもらった。
これが、一番乗ったみたいだった。

入浴をして、今 我が家の母の部屋でzzzzzです。

そう、トイレも誘導の成果でしょうか?
失敗はありません。やっぱり、誘導で失敗は防げそうです。

母は、まるで 家に住んでいるかのようにスイスイです。


2003年08月15日(金) なんだか変です


気温が上がらず ひどい雨だった。
どうなってしまったのだろう?

「冷夏」になるのだろうか?
昨年は、季節が前倒しでやってきたのだけれど…。
今年は、夏を飛ばしてしまいそうである。

暑さは、あまり得意ではないけれど…。
でも、こんなのは困るな。「暑くなって、ください」

ずっと前に「デパートは省エネ対策で冷房がゆるいので、コンビ二がいい」なんて書いた事があったけれど、昨日入ったコンビ二、脱冷房だった。
入って「ふわー」とした空気で驚いた。
暑くくないから、それでもいいけれど…。
調子が狂ってしまう。

今度は、コンビ二観察してみよう。
と言ってもあまり用はない所だけれど…。

すみません。明日は、日記休むかも知れません。休むと思います。いや休むでしょう。
でも、病気とかでは ありません。

新幹線に乗ってビューッと行く予定です。
直前になって、迷っています。

事前準備がまったく出来ていません。
帰ってからの事を思うと、気が重くもあります。

とりあえず、これから 準備します。(アタフタ)



2003年08月14日(木) そんなーっ!


表面上は、何の変化もないけれど…。再スタートです。
わかる人は、きっと 笑っているだろうなぁ…。

 木曜日恒例になってしまった「ごみ処理」
きょうは、不燃物と生ごみが、同じ箱に入っていた。
「えー。そんなぁ〜」
探るとも、探らないともいえない感じで「あの…このごみはどなたでしょうね?」と恐る恐る尋ねてみた。
「あ、それ昨日だよ。いやぁ、昨日怒ったのよ…」とヘルパーさんとのトラブルを話された。

私は、見ている訳でない。だから、その一つ一つの話が真実かどうかはわからないので黙って聞いていた。
私に解決する力はない。「そこは、ケアマネさんによくご相談なさって下さい」と伝えた。
正直に話すなら、この利用者さんは我儘である。
仕事以上の事の依頼が多い。時間をオーバーしてしまう事が多い。
依頼された仕事の範囲ぎりぎりの仕事も多い。
そして、自分が気に入らないと「怒る」

だから、ヘルパーさんの気持ちもわかる。

でも、私の目の前にあるゴミは、現実である。
夏なので、生ゴミが家の中に放置されていると臭いが篭る。
なぜ、こんな事をしたのだろう…。
時間がなかったのかな?
まだ、ヘルパーさん なりたての人だと言っていた。

利用者さんとのトラブルは、ケアマネさんにお任せして、ゴミの事は、連絡ノートに「注意」として 「お忙しいとは思いますが、と断りを入れた上でお互い注意していきましょう」とだけ記した。

失敗もした。
買い物で「月刊誌購入」を頼まれた。
ところが書店に行ってもその本がなかった。「ない」とは言えないので書店の方に確認をした。書店では繰り返し目録を探していた。
「それは、20日ですね」と言われたので「間違いか?」と思ってある本を購入してしまった。
けれど、やはり依頼されたものと違っていた。
これは、私のミス。
ちゃんと確かめる必要と利用者さんの電話番号を控えて尋ねればよかったのだ。
利用者さんには、不手際をお詫びして「買い換えてきます」と申し出た。
「いや、今日はこれでいいよ」と我慢くださった。
申し訳ない気持ちで いっぱいになった。

母のところに出向くと、入浴中だった。
部屋に戻ってくると「今日は誕生会なのです」と職員に言われた。
皆さんと一緒の行事なら一緒のほうがいいだろうと思い、その前の時間を使って「散歩」した。このところの2回は、珍しく「足の痛み」の訴えごとがないのでほっとしている。

来客の予定があって、母を連れて急ぎ帰る予定だった。
母を連れずに家に戻った。

来客が帰ったのは、11時も半分過ぎていた…。
「ありがとう」


2003年08月13日(水) みんな、お盆休み?

 我が家にお盆休暇は、どうやらなさそう。夫も娘も仕事。
娘は 先週のハード状態から、抜け出した様だけれど…。
やっぱり、帰宅は遅い。
でも、昨夜というか今朝というか…帰宅した時「がんばった仕事が実ったみたい」と言っていた。
「よかったね」
夫も相変わらずの早出。

家族がそれぞれの時間での食事になり、せっかく作っても食べなかったり…。
だから、いつも 残り物を一人でお腹に運ぶ。
でも、食べる時を逸してしまい おかしな時間に食べたりする。

よくないなぁ…。
しっかりしなきゃねっ。
「食は、基本」です。

ふるさとの友人から、電話が来た。
近況報告に、この秋 一人娘さん結婚だって。
あー。うちの娘と同い年である。
みんな、そうなんだね…。
「おめでとう」って言ったら「気が早い。それは、秋になってから…」と言われた。でも、大学出て、3年目…。ちょっと勿体無いかな?
でもでも、いい人と出会えたのだから、それでいいね。
大学入学で家を出て、其の儘 ふるさとには戻ることなく嫁がせるなんて…。
淋しくないかな?

お盆って、ショートが混雑する時期でもあるんだった。
利用できなくて困っている家族も多いのだろうな?
私は、経験せずに来たけど、デイだってお休みという所もあるのだろうな?
在宅介護は、そこが厳しい。
もっと、サービス増えたらいいのにな。
みんな、頑張り過ぎずに、頑張って!


2003年08月12日(火) 優先順位?(つけたし有り)

PCトラブルで、大変だった。
きっと、弾みで何かのキーにタッチしたのかも知れない。
PCの復旧と母の面会とどっちを優先させるのだと…。
心の内側から幾度も聞かれた。

ちょっと粘って操作して見たけれど、思い直して母のところに行ってきた。
散歩をした。
川べりを歩いていたら、犬が川の中に入ってゆったりしていた。
出ようと言う様子も無い。
母は「冷たくないかな」と心配していた。
「嫌なら出るよ きっと」と言ったら「そうだねぇ」と言いじっと見入っていた。

母は、最初 とてもつまらなそうにしていた。
でも、外に出ると表情が変わった。
「毎日 楽しい?」と聞くと「うん。楽しいよ」と返事が返った。
実際は、違うのかもしれない。でもその言葉が聞けると「安心」する。

家に戻って、再度PC挑戦。
うまくいっている様な、いないような…。
ドキドキものである。

そうそう、書き足したい事があった。
今朝の新聞にロッテのクーリッシュが生産が間に合わないとの告知があった。
実は、このアイス 母には重宝していた。
母は 食べているうちにアイスが溶けてしまうので いろいろ 配慮が必要だった。でも、クーリッシュは 余計な配慮など要らなくて助かっていた。
夏には、アイス食べさせたいもの…。

暫くは、ソフトクリーム屋さんで、小さめに作って対応するしかないかな?

なんだか、悲しい日だな。


2003年08月11日(月) 危機一髪

 強制終了にあい、消えてしまった日記を更に書き起こす気力もなくて。
違う内容での更新にした。
 
 昨日、母と一緒に買い物をしている時、危うく「迷子ちゃん」にさせてしまいそうになった。
母のゴムだけのズボンを選んでいる時の事。
売り場から離れたのは判っていた。でも隣の売り場に行ったのでそこで何か見るだろうと思い込んでしまった。
ほんの数十秒。
視線を母のところに移すといなかった。
店内をくるっと見渡してもいない。
昔の人にしては、背が高いので、すぐ目に留まるはずなのに…。
ふと、出口を見ると自動ドアがあいて外に出て行く母の姿があった。
私の手には、数点の品があるので お店の人を探し品を託して後を追った。
幸いすぐに追いついた。
「どこに行くの?こっちよ」と言うと母は、私にまたついてきた。

でも、今までと違うのは「あんたこそ何処に行ったかと思ったよ」という表情がまったくなかった事である。
もう、母は「母の世界」で生きている部分が多くなってきたのだと思い知った。

これから、「命を預かる」という役目がさらに重くなってくるのだろうな。


2003年08月10日(日) 虚ろだな


 早朝に夫を送り出して、メールをチェックした。
海外からの久しぶりのメールが入っていた。

海外に出て、いよいよ介護のお仕事始動するという内容だった。
これから、リアルタイムで海外の介護状況をキャッチできるんだなぁ。
判ってはいたけれど、いざ 自分ができるようになると ドキドキする。

PCの世界は、バーチャルだから 実態とかけ離れた事も書ける。
でも、真実の見えるバーチャルもあるかなと最近 感じる。
見えないから世界なので 想像が時に悪い方に働いたりする時もある。
ほんとに、難しい。

バーチャルな世界もいいけれど、やっぱり 出会って話す事が私には一番。
それは、変わらない。

昨日、一昨日と母の所に行かなかった。台風のせいもあるのだが…。
ご近所では、庭の木がグラグラするようになったとか、木が傾いたとかあったようで、ある家には、今朝クレーン車が来て、木を切っていた。

母は、汗臭くもなかった。職員の話だと昨日入浴したという事だった。でも、今日は「ナツッ!」という感じの日で、風呂に入れたかった。
家に連れてきて入浴して貰った。
風呂上りに、アイスを食べて…。他にも水分補給。母の好きなナスの漬物も。
そして、スイカ。迎えに行った時、足のむくみが気になったが、入浴後に見ると普通に戻っていた。足の冷えもなかった。
母の足は、汗の出るような暑い日でも とても 足が冷えていることがある。
母自身、顔は汗が出ていても、脚は冷たいという日がこの所 とても目立つ。
今日は、そうでもないのでホッとした。
痴呆が進んでいくとそうなるのだろうか?
母より早く進行していた人が、そうなっていた。夏でも手足だけがとても冷たいのである。抹消に血液が回らなくなるのだろうか?

入浴がすんで暫くすると「外に出ないのか?」とやたら催促してきた。
「うん、もう少し後でね」と言って「塗り絵」をして貰った。
きれいではないけれど、とても丁寧に集中して塗り始めた。
帰り支度をして玄関迄出ると母の表情がこわばった。靴を履くと少し落ち着いたがなんとなく虚ろ。
施設の前に立つとまた顔がこわばる。「初めてのところ?」と聞くと「2度くらい来たかな?」と言う。こういう時は 胸が痛む。
居室に入っても虚ろだった。
職員が洗濯物を届けにきた。すると、母の顔がほころんだ。
覚えのある顔だからだろう。
少し職員と母の事を話し込むとまた、不安気な表情になった。
聞こえてはいないから余計に心配になるのかもしれない。
「もう、夕食ですよ」と言うので「みんなの所に行きましょう」と誘うとまた不安げ。
右手は職員。左手は私。で仲良くホールに移動しようとしたら「幸せものだね」とニコニコ顔。これでようやく、ほっとした。





2003年08月09日(土) 雨がざぁーざぁー風がびゅーびゅー。


ゆっくり台風で風雨両方とも強かった。
今日の、リハは延期となった。

今日あたり、台風の影響でデイお休みの所 たくさんあったのじゃないかな?
日曜は、ほとんど お休みだから連続してデイにいけない人いっぱいじゃないのかな?と想像した。
大変だろうな…。疲れるだろうな…。
外にも出られず、向き合うしかできないと…。

在宅介護で、介護リズムが狂うと苦しかった事をふと思い出した。
みんな、大丈夫かな?


2003年08月08日(金) オフ日(情報を活用してみた)


 役所に出向こうと思っていた。
けれど、全て 電話で済んで 思わぬオフ日ができた。
昨日、役所から留守電が入っていた。
先に済ませようと電話を入れたら、全ての事が済んだと言う次第である。

役所へ行く用とは、母のトレーニングパンツの増量の件と2002年度に取り入れられた
「厚生労働省」の「痴呆高齢者安らぎ支援」が私の住む街に導入されているかを確認したかったから。
これは、先日の講演会で得た情報だった。

役所からの用は、講演会についての用だった。

母のオムツ増量は、その電話を回して貰って手続き完了。
しかしなぁ。介保導入前には、パンツ型オムツとフラット型のオムツとの併用ができていたのに、今はできないという。
仕方がないので、トレパン増量にした。
勿体無いけれど、背に腹は変えられない。この街では、一月トレーニングパンツなら5パックまでが一割負担で配達して貰えるのだ。

「安らぎ支援」については、わが街では、未だだった。
都道府県レベルでも利用は、数箇所のみと聞いていたし、まだ、行き渡っていないとも聞いていた。
わが街でも、検討してほしいと伝えた。
この、制度は痴呆初期の人を視野にしたものと思う。
「タッチケア」なしで見守りの人を派遣できる団体に1日1万円の補助が出るという。
痴呆初期の人は、通院もままならず保険認定すらできないでいる事が多い。
そこを、カバーするのだろう…。
介護者が直面する苦慮の第一ステージともいえるこの時期にカバーが入ればそれは助かるだろうと思う。

その後、所属する事業所に電話した。
7月に、他所の方から「有料老人ホームと公社」が提携して、緊急のショートができるようになったと聞いた。
それをこちらでもできないものかと相談するつもりだった。
その提携した有料老人ホームの系列施設がわが街にもあるので、何とかできるだろうと思ったのだった。
すると、7月から開始していると言う。
8月の事業所のお知らせに簡単に載せると言う事だった。
ただし、こちらは緊急対応ではないとの事だったので、緊急対応先も考慮してほしいと伝えた。

そうだ。心配している人もいると悪いので一言。
娘。今朝4時にようやく帰宅できました。少し寝て、また会社に出て行きました。戻ると、気が緩み 起きるのに苦労してます。

家に居るようで居ないという日が続き、留守に電話をくれているメールを持たない友人も居るので こちらから暑中見舞いの電話をした。
こういう時でないと出来ないものだから。
近所の一人暮らしの方が死後数日経て見つかった。周囲に痴呆の症状が出ている人がいて、その対処…等の話となった。
友人だから、介護つながりではないのだけれど、年齢的にこういう話題がついて回るのかな?

そんなこんなで夕方となった。
明日は、母の訪問リハビリの日である。予約が12時に変更された 上台風の影響も出そうなので買い物を今日のうちに済ませようと家を出た。
少し運動不足気味なので(歩いてはいるけれど運動にはなっていない)往復を歩いた。
帰路、家族の会でお世話になっているK先生とばったり出会った。
お互い急ぎの身なので、細かい話は出来なかったが、大まかな話が出来た。
会が先生の診療時間と重なり家族だけの会には来られないのだ。
でも、「今度 お休みを取って顔を出します」と言って下さった。
「ケーキでももって行きましょうかね」と言われた。「イエイエ」と言いながら「何人位来てますか?」と聞かれて答えてしまった。
これって、「もってきて」アピールですよね。
ボランティアで来て下さるのに…。

バス代が浮き、健康増進が出来、話やお願いが出来て…。
今日も良い事一杯。 ばんざい!オフ日もいいな。

書き忘れていた居た呟き。
ある街では、老人福祉館等のような施設を使ってサロン活動が行われていると言う。一つの街に240箇所もあると言う。
お金のある自治体はいいなぁと思った。
お金のない自治体だって、空き校舎等の利用も検討され始めているけれど…。
地域の集会所だって、もっと活用すればいいのにと思う。
そのサロンで1Fでは、痴呆者がミニデイ(作業療法)2Fでは、家族が交流会をしていると言うのだ。気になる家族は、自由に1Fに行って様子を見ることが出来るんだって。確か、送迎ありだったと思う。
「いいなぁ」その一語に尽きるのでした。








2003年08月07日(木) 蛇の赤ちゃん


 今朝、ご近所さんの木に「蛇の赤ちゃん」がいると騒ぎになっていた。
蛇は、このご近所一帯の庭を行き来しており、珍しい事ではない。
実は、昨朝に道を掃いている時、ゴムかと思ってちりとりに取ろうとしたら、ゴムが動いた。それが、蛇の赤ちゃんだった。
ちょうど、生ゴムのようで幅が5ミリ程度。頭はハンマーのようにTの形をしており首のところが3ミリぐらいにくびれて細かった。
生まれて初めて遭遇したもので、しばらく見入ってしまった。
爬虫類は、好きではない。ヌメッとした感触が苦手だ。
でも、蛇といい、七色に光るトカゲといい、茶色のヤモリといい、蟇蛙といい
その類は、庭にはいる。
蝉の抜け殻だって、庭のあちこちで見かける。
好きではないけれど、命はいとおしい。

恵まれた自然に感謝である。

今日は、ハードな木曜日。
でも、比較的スムーズに活動を終えた。
利用者さんが落ち着いているのがやっぱりいいなあ。
動いてる事がわかると嬉しい。「着替えや清拭も出来る所は自分でしてみて…」と恐る恐るお願いしたらちゃんと自分でやった。
調子のよいときは、気分も違うのだとあらためて判った。でも、多少 調子悪くてもそうできると良いのだけれど…。

活動を終えた足で、母の所に直行した。
自分の昼食は、家に戻ってからにしようと思っていた。

昨日本を読んで晴れ間を見たので、できる限りたくさんの話をしようと意識していた。母がどんなにトンチンカンな事を言っても、聞く努力をした。
余計に先回り介助を避けて、言葉で誘導した。
訳がわからないようでも 気がつくまで待ってみた。
傷付かない様な冗談を言って笑いを誘った。
そのせいだろうか…。
最近にない言葉を聞いた。
その1
「おかちゃん」と繰り返しいっていたのでその都度「はい」と返事していたら
「用もないのに呼んでしまってね。おかちゃんが、○○と何回も呼ぶものだから。家に帰るよ。ふるさとに帰るよ」と言った。
以前は言えたけど 最近 消えていた言葉である。

その2
ズボンの縫い目から糸が解れて来ていた。その糸を指で掴んで「これを鋏で切って」と言った。
糸の解れを見ても ただ 触れているだけで 何も言葉にはできなかった。

その3
帰路のバスに乗った時に小銭の両替に行くと「あんたにばかり払わせて悪いね」と言った。
この言葉は、ほんとに久しぶりに聞いた。

昨日、蛇を見たからいい事あるかな?と期待していた。
いい事って、これだったかな?
やっぱり、ちっちゃな蛇だったから、これ位なのかな?





2003年08月06日(水) モヤモヤとした中の晴れ間


夏祭りの事を書く予定だったが、変更。
昨日の会で、参加した方から中央公論新社出版されていて小宮秀美氏著書の
「痴呆性高齢者ケア グループホームで立ち直る人々」という本をお借りしてきた。
今日、本を読み始めた。
直ぐに「過去に読んだ」と思った。情けないが、本の題まで覚えていなかったのだ。購入したという記憶はないので、きっと、図書館から借りたのだろうと思う。おそらく、弟が「施設」と言い出した頃に 手当たり次第 介護の本を読み漁っていた頃だろうと思う。

あの頃から、痴呆には生活リハが鍵になると漠然と考えており、弟達が母を見る時も生活ルールの事をお願いしていた。
「どんな状態の介護でも在宅が一番」と思い込んでいた時の事である。
今でも、良質の介護を続けられるなら在宅が一番という事に変わりないが…。

在宅介護の時の話は、さておいて。

再読している内に、その頃想像したGHと母の入所するGHとのギャップが具体的に見えてきた。
更に、今の自分も面会を頻繁にしている割にパターン化している事も見えてきた。
自分自身の事を言えば…。
「病の進行だからわからないだろうなあ」と思い始めていたけれど、「無理かも知れないけれど 繰り返す事の大切さ。根気強さ」がやっぱり必要だと心底感じた。
この所、母の機能低下現象にばかり目が行き、内心 穏やかで居られなかった。モヤモヤした部分に晴れ間ができたような感じがした。
まだ、半分までしか読んでいないのであるが…。

月曜に出勤した儘、帰宅できないで居る娘。
戻れない事を見越して一日分は着替えを持って出たけれど…。
今日も戻れそうにないという事だった。
「お盆休みになる前に」と仕事がなだれ込んで来ていると言う。
昨日というか今朝というか午前1時近くに「これから、コンビ二に夕食調達に行く」今朝6時30分に「これから仮眠する」と電話が入った。
持参の携帯だって電源切れとなりそうである。
「着替え届けようか?明日は、動いてあげられないから」と言うと「いいよ。来てもきっと 時間に合わせて外には出られないよ」と言っていた。
会社のPCは開いた儘なので何かあればメールと言う手段で訴えて来るだろう。
親としては、見守るしかできない。





2003年08月05日(火) 共通の思い

痴呆の介護仲間の集まりは、地域情報を収集できる場所でもある。
また、介護の不安等も家族同士で話せる。
今日の集まりで、母と同じような症状が出ている人がいた。
共通事項があるのだなと思った。

その症状とは、洗面台に向かうと顔を洗ったりするより洗面台の掃除(介護者側から見るとそう見える)を始める。
また、テーブル自体は汚れてなくとも、テーブルをいつまでも拭く。

母には、まだ症状はないけれど、あるサイトのTさんのお母様のようにテーブルクロスを破ると言う事もあるようである。

家族にとっては、ますます 目が離せなくなって行くのである。
おそらく、その先には 感情も何もない平らな状態になっていく事だろうが…。
介護者は その事実を受け入れて行かなければならない。痴呆初期のころとはまた違った哀しみが伴ってくる。

掲示板でも、話になった事があるが「頑張らない介護なんてあるはずも無く、いかに張り詰める気持ちを上手に抜いて行けるか…だよね」とここでも話題になった。
みんな、行き当たる所は、共通しているのである。

特に学習会とまでは、発展はしてないけれど それでも介護にまつわる話は家族の悩みも含めて尽きることは無く、次の会へと繋がって行く。

今日も、そんな「一息つく安らぎの場」の会となった。

そして、今日は GHの「夏祭り」であった。
時間的に一部 介護者の会と重なっていた。
会が終わって急ぎGHに向かった。
たまたま、GHの方向に車で帰られる方がいて「ご一緒に」と言って戴き助かった。
紗の着物の着用は、職員に頼んだ。
形式的でよいとお願いしていたのだが、中にシャツを着ており ちょっと暑そうだった。

前の日記にも書いた通りお祭りに向けての職員の準備は、とても大変だったと思う。ホール内を、南国の装飾、壁面はすだれなどを使って夏祭りの装い。
食事も職員の手で作られて、焼きそば、焼きとうもろこし、漬物、ホットドック、枝豆、チョコバナナ、べっ甲飴など等があった。
ほかに、スイカをくりぬいて作ったフルーツポンチ。飲み物。
ほんとに、大変な作業だったと思う。
私は、今日、前もってのお手伝いができなかったが、参加した家族はいろいろお手伝いなさったようである。
肝心の入所者も、今日ばかりはとても表情が良かった。
もっとも、ホール内は、いつもと違い人が大勢いてとても賑やかだった。食べ物も小出しに数字間にわたって次々と出てくるのだから、いつもとはまったく違う雰囲気だったので当然の事だろう。

意地悪な見方をすれば、ここまで一度にやらないで少し分けてこういう事をしてくれればいいのになぁ…と思ってしまう。

入所者の家族の参加は、母のフロアでは、5人の家族が見えた。
中には、小さなお子様も見えていた。
久々に出会っただろう…。とても穏やかな表情をなさり「ご自慢のお子様たちを」紹介して頂いた。
家族が参加できない人も居り、そこへの配慮は少し足りなかったかなぁ…。
家族の来ない不満は口になさらないけれど、やっぱり寂しそうに感じた。
時折、傍に行ってお話しをした。

途中、盆踊りもした。
職員と家族と踊れる利用者とで踊った。みなで手拍子の応援もあった。

会が終わっての後片付けは、お手伝いしてきた。
きっと、職員だってオーバーワークの筈である。
残った家族も居り、一緒に仕事をしてきた。

今日ばかりは、みんな 少し遅くまで起きていられて良かったね。

今日は お楽しみの側面からの日記にした。
でも、やっぱり 考えさせらる事は 前回の旅行通り目立つのである。


2003年08月04日(月) どっちが「おかちゃん」?


 月曜の利用者さんも一人暮らし。
木曜の方と違うのは、月曜の方の方が高齢であり痴呆がある事かな?

私は、この利用者さんがいつまで一人で暮らせるだろうと興味がある。
できる限り、長く一人で暮らせるようにと祈りながら訪問している。

母が息子家族とうまく行かなくなっている時 本気で一人で暮らせないものかと考えたものだ。出た方が母のためによい様な気がしていた。
介護が面倒という理由でなく 知らない土地では自由に歩けまい。ふるさとの方言も通じないだろう…と思ったからである。
友人に頼んでマンション情報を郵送してもらったりした。
けれど、訪問サービス、母の状況等を考えて危ない事が多すぎて断念した。

だから、この方には、できる限り好きなようにすごしてほしいと思うのだ。

午前中の活動を終えて、家に戻り 腹ごしらえをしてすぐ母のところに行った。
通院と入浴と美容院が今日の目標だけれど…。
美容院までは、無理だった。
暑さの中、ハードなスケジュールで母を移動させた。
水分補給だけは、意識した。血圧が少し高めである。
家について「スイカと桃」をおいしそうにおいしそうに食べていた。

今日は 私のことを「おかちゃん」と何回も呼んだ。
鏡の前に二人並んで「どっちがおかちゃん?」と聞いてみた。
すると母自身を指して「こっち」と言って笑った。
そっか。見ればわかるんだね。
これでも、私の方が若いもんね。

夕食に間に合うように、施設に向かった。

施設内は緩く冷房が入っていたが、車椅子の人にとっては寒いようだった。
Oさんのそばを通る時腕をむんずとつかまれた。
「どうしたかな?何か用がある?」とOさんの手に触れると冷たかった。
「寒くない?」と聞くと「寒い」と小さな声で言われた。
そーっと、腕をさすると「あったかい」とOさんは言われた。
職員に上着を出してほしいと頼んだら「厚手のトレーナー」を出してくれた。
でも、それじゃ今度は暑すぎるだろう…。
「暑い」と訴えることもできないとまた困ってしまうだろう。
それで「バスタオルとかありませんか」と聞いた。
それは、あるという事で肩にバスタオルをかけてあげた。
Oさんの腕に鳥肌が立っていた。
強い冷房がかかっていた訳ではないけれど、人により暑さの感じ具合は違うものだと改めて感じた。



2003年08月03日(日) 呆けたふり

 昨日の 永 六輔の土曜ワイドに浅田次郎が出ていた。
浅田氏といえば「椿山課長の七日間」という朝日新聞に連載された作品が好きだ。
急死した椿山課長が、仮の姿となって この世に戻ってすごす一週間を書いたものである。
奇想天外な事がたくさんありジーンとしてしまうのだが…。
その中で椿山課長の父親が実は呆けたふりをして入院していたという事実を知ることになるくだりに「ドキッ」としたのだった。

実は「呆けたふり」というのがあるかもしれないと感じた事があったからである。
人の事ではない。父の事である。
あのころ、夫も同じように感じていた。
面倒な事、気がつかないほうが良い場合 特に感じたものである。
「呆けに走る」とでも言うように…。

ひょっとしたら、多少の「呆け」があったというのが真実かも知れないが、今でも父の思い出を語る時 我が家では決まって話題になる。

介護に明け暮れて、心配が尽きない人には「なんて事を…」と思われてしまうかも知れないが…。
「呆けたふり」をして社会に住んでみるとある意味では面白そうである。
実践している人は いるだろうか?
人の真実も見えてきそうである。

椿山課長の父親は、そんな狡い考えで「呆けたふり」をした訳ではないけれど
でも、浅田氏の声を聞きながらそんな事を考えた。

番組では、永氏がリスナーからのはがきの中で「『本を読まないと馬鹿になる』と浅田氏が言ったから、本を読みます」と書いてありましたが事実ですか?と聞いていた。
浅田氏は、似たような事あちこちで言っているそうである。

んー。そういえば、最近 本読んでないなあ…。


2003年08月02日(土) 頼もしい仲間?


いくら、用が在るといっても2日面会しないとちょっと気掛かりだった。
午前中、一時間だけでも出かけて散歩させないと足が弱ってしまうなと思い母の所に向かった。
この所、椅子から立ち上がる時もフラッとしてしまう母なのである。

訪ねると、朝食を終えたばかりだった。まだ、食べ終えないで食事中の人もいた。母は、気がつかなかったので、後ろからそーっと頬をつけた。
「ぎょっ」とする母。「ごめん。驚かせてしまったね」と言うと安心して笑顔になった。
トイレ誘導後ノースリーブに着替えて帽子をかぶり散歩に出た。
うっかりして、自分の帽子を居室に忘れてしまった。

畑の横を通っている時「あれは、しし唐。あれは、ピーマン。実がついているねえ」と言うと「「んー。ピーナッツだねぇ」と言う母。
「違うよ ピーマン」「ほー ピーマンか。ピーナッツとピーマンは同じだね」と訳のわからぬ事を言う。
「ピーマンは、野菜でしょ。ピーナッツは、豆」と言うとオウム返しに「ピーナッツはお豆だ」と言う。…何処まで理解しているんだか…

しばらく歩くとまた○○ドラックの看板が目に入ったようで「ドラックって?」と聞いてきた。「薬。薬屋さんだね。ドラッグ」と言うと…。
「トラック。私も黒いからトラックみたいだな。はははは。」と笑った。
ま、耳が遠いから聞き間違いもあるだろうし、トラックの運転手さんはやっぱり色が黒いかも…と母の連想を否定しないでおいた。

途中、公園で水分補給の休憩。地元の農家のスタンドで野菜とほうずきを買った。農家の方は、母より少し若いだろうけれど、あまり変わらない年齢のようにみえた。でも、お元気に作業しておられて トマト2個おまけしてくれた。

施設に戻り、汗を拭いた。
途中のドラックストアで、消毒用のウエット綿を買ってきた。
それで、体を清拭して乾いたタオルでさらに拭いた。
頭もドライシャンプーをした。

行けば、次々したい事が出てくる。
「今日は、ここまで」と作業をやめて施設をあとにした。

家に戻り、腹ごしらえをして身支度を整え電車に飛び乗った。
予定を大分オーバーしてしまい、完全に遅刻のパターンである。

会場前で隣の町のAさんとパッタリ出会った。ちょっと、ほっとした。
二人並んで空いている一番前の席にそーっと着いた。

今日は「介護者サポートネットワークセンターアラジン」の代表者の方が
「介護者の心を癒すために」というお話をしてくださるのである。
NPO活動でこれからは介護者のケアも考えていく必要があると会を立ち上げられた方である。テレビや新聞でも取り上げられている。

「介護者のケア?」と思われる方もいらっしゃると思う。
でも、介護者が心身ともに健康でないと良い介護はできないのも現実なのだ。
実は、私自身の中にも利用者のサービスすら未だ満足に出来てないのに…と思いは消し去れない。
けれど、わが身もそう遠くない将来には、次世代の方のお世話になる事は間違いないだろうと思う。
そう考えると やはり 今後のために学んでおいた方がよいのだろうと思った。

いろいろの課題もあるだろうし、地域に根ざすためには地域で考えて行く必要があるだろう。
また、手探りの作業が始まるのかな?
でも「アラジン」の方から学ばせて戴けるのだろうから「ゼロ」からの出発ではないだろうし、始まったばかりの2拠点との相談も出来る。
頼もしい仲間がいれば こんな私でも動き出せるのかな?




2003年08月01日(金) 振り回された一日

 今朝、お風呂を掃除して水を張った。
タイマーを入れて、母を迎えに行けば、ゆっくり予定をこなせる筈だった。

けれど、点火しても直ぐ消えてしまうのだった。
5月にもこういう事があり、見に来て戴いた事がある。
その時は、単に接触不良という事だった。雨も降っていたのでそういう事もあると言われていた。
でも、今朝は雨は上がっている。
幾度も接触を確かめて、それでも駄目なので急いで業者さんに電話した。

午前中なら何とかなるだろうと思っていた。
ところが、受け付けた人は「今日は予定が立ちません」という。「明日ならいいですよ」とも言った。でも、明日は用があり不在なのである。
そう言っても、業者さんは「できない」と言われた。
「じゃ、もう少し他をあたってみます」と電話を切った。

夫に電話して「知り合いのガス屋さんはないか」と聞いた見た。
すると、電話してくれたようで「お昼過ぎには折り返し電話が行く」と言うことだった。それが11時少し前。
けれど、2時間待っても電話がないのでそこに問い合わせると「4時までは連絡が取れない」と言われた。
仕方なくインターネットでメーカー直のサービスセンターに問い合わせてみた。インターネットのホームページには「365日24時間対応」とあり連絡先があったからだ。
メーカーの方は、最寄のサービスセンターにつないでくれるようだったので
「午前中に頼んだけれど 今日は 無理と言われ困っています」と話した。
「再度連絡します」と電話を一旦切った。

しばらくすると朝お願いして断られた所から「大変失礼しました。必ず伺います」と言う電話だった。来るのは4時前後という。

次にメーカーさんから電話が入った。
連絡が入ったかの確認だった。

その後一時間ほどして、伺うのが5時を過ぎると言う事になり、今度は時間通りに来てくれた。

けれど、今回は部品交換しないと無理と言うことだった。
「営業所に戻り部品の確認をとり見積もり取り、連絡しますが土日をはさむので月曜になると思います。」と言われた。
「いや、年寄りを風呂に入れたいので…」と言ってみたが…望みうすの対応だった。

一日数時間程に区切られて待っているいるので出るに出られない状態。
午前中に受けた人が、「夕方ならいけると思います」と一言言ってくれたら その時間に母のところに行き連れて来られたのに…。

思わぬ所で、動きを止められてしまった。

夜になって「部品大丈夫なので日曜には修理にうかがえる」と連絡が入りほっとした。

結局、母の所には行けなかった。
明日は、用があって昼前には 家を出なければならない。
午前中の早い時間に様子見に行って見よう。
ゆっくり連れ出せないなあ…。

みんな、急がし村の人達だ。
そういう私も修理を急いでいる。

昔は銭湯や、もらい風呂ってあったけど…。
けど、母をよそ様のふろに入れるのは、できないないなあ…。
私達なら、シャワーで済ませても…。

今日あたり、施設で入浴させて貰っていればいいのだけれど…。どうかなあ?


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