刑法奇行
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新聞に写真が載ったが、どうも顔が変である。美しくないのである。思えば、これまで写真やテレビで美しく撮れたものがないのである。かみさんに言わせれば、「元が悪いからしょうがないじゃない」そうである。しかし、同僚や学生からは、地の方がいいと、お世辞であるとしても、そう言われると、やはり写真写りが悪いということを否定できない。女性の多くは持ち込み写真を使用するが、別人28号という場合もあり、正太郎君が登場してしまう。今度はこちらも持ち込みということにするか。しかし、持ち込みお断りの場合もあろうし、内部でボツということにもなりかねない。N原先生も、お気に入りの写真をいつも載せていた。半身に構え、微笑んだ写真である。まるでモナリザの微笑みと同じ角度、微笑み度である。そこには人類最大のミステリーがあるのかもしれない。ダヴィンチ・コードか。
キャンパスの混雑ぶりは相変わらずである。再度気になったのは、授業が終わると、どんどん駅に向かって帰っていくという現象が見受けられることである。大学生活をちゃんとしているのかが心配である。こういう学生は、早慶戦には決して行かないだろう。いずれ、早慶戦(慶應側からは、慶早戦)に行くことを単位化する時代もそう遠くはないような気がする。「早慶戦(慶早戦)に行かない学生は、早大生(慶大生)にあらず」という点については、大隈さんも福澤さんも完全犯罪共同説であると思う。確かに、集団競争主義にはネガティブな面が多くあるが、美しい集団競争主義はやはり感動ものであり、皆に実感してもらいたいものだ。ここに、日本の美しさもあるわけだから・・・。
おそらく、共謀罪は、この日本の美しさに合わないのだろう。日本は日本である、という考え方は、ネガティブな面とポジティブな面とがあり、世界にモデルを示すというポジティブな面をもっと示すべきだと思う。日本は変わった国であるというのは、外国が正常だという基準であるが、日本が正常かもしれないのであり、この点は、構造主義によってあたり前田になったはずなのだが・・・。
そんな呑気なことを言っている暇はない、と危険社会を煽るマスコミ、評論家が目に付くのである。じゃあどうすればいいというのか。おそらく、徹底的な敵味方社会にしようとしているのだろう。そして、自分たちは多数の味方の方に所属すると思っていることは間違いない。これは美しくない考えである。
美しい考え、理論を展開しようではないか。それは理想を語ることである。みなが理想を語ることをしなくなったことが問題である。べたべた現実主義は、日本の悪しき集団競争主義と密接に関連する。醜い日本を排除し、美しい日本を再生する必要があろう。せめて学生諸君には、理想を大いに語って欲しいのだが、ほとんど刹那的な享楽と単位獲得にしか関心がないとしたら、それこそ、まったく美しくないだろう。
ジャーニー to 美しすぎて〜ぼくがコ〜ワイ〜
2006年05月14日(日) |
わけもなくお茶を飲み |
「われらの時代」には、連休が明けると学生はあまり大学に来なくなるというのが、判例・通説であったが、このキャンパスの混雑ぶりは一体どうしたというのだろう。休み時間のキャンパス内は新宿の雑踏のようであり、8号館からローの建物に行くときも、人の渋滞と行き来で、立ち往生する始末である。まさに交通整理の行われていない歩道であり、だれかに交通整理をしてもらいたいものである。
当時は、キャンパス内はガランとしており、周辺の喫茶店と雀荘に多くの学生が収容されていたのである。真面目な学生(多くは女子学生)だけが授業に出席し、サテンでそのノートを写すというのが、一般の学生の正常な姿であった(当時はコピー機などなかった)。われわれも大学には顔を出してはいたが、「潤」というサテン(大隈通りの、未だにあるカレッジの隣りにあり、ママさんがとてもきれいな人だった)に出たり入ったりで、そこがクラスの集まり場所だった。まさに、学生街の喫茶店である。
確かに、近年、学生は授業に出てくるし、われわれも授業に出ろと言っている。ほとんど授業に出なかった身としては若干後ろめたいが、まあ、これで良いのかもしれないが、授業に出ることだけが勉強と思っている節があることが、気になるのである。
「教師が教えてくれるから学ぶのではない。個人が自分自身で問題を考えていて、その問題を解くために知識が必要だから学ぶのです。そのとき、知識は『知的な道具』に転化するわけで、自分の見つけた問題を、その道具を使って解こうとするのです。」(加藤周一『学ぶこと 思うこと』)ってことは、あたり前田のクラッカーなのだが・・・。
「問題意識」がなければ、いくら勉強したって駄目である。はじめに問題意識ありきである。しかし、問題意識というものは、すでに高校時代までに持っていなければならないのだが、今の教育では絶望的であろう。まあ、大学に入って問題意識をもって学んでも遅くはないが、そのためには、やはり本を読むことである。われらの時代は、授業にはあまり出なかったが、我妻民法総則や団藤刑法綱要総論などを一応読みはじめ、最初は、何を言っているのかさっぱりであったが、徐々に何となく理解できてくるのである。「行為とは、人格の主体的現実化としての身体の動静である」って一体、という感じで、お題目のように唱え、噛めば噛むほど味が出てくる「あたりめ」のようなものだったのだろう。今の学生は、噛んだ瞬間にスカッとする「ロッテブラックブラック」が好きなのだろう。あるいは、噛まないで口に入れた瞬間に「空も飛べるはず」状態となる「ホールズ」かもしれない。
とにかく、問題意識をもって学びそして思うことを願うのだが、この間、学生の渋滞の中にいたら、前にいた女子学生2人の会話がちらっと聞こえ、1人が留学するらしく、5年になる危険性を心配しているようであり、一方の学生が突然「ノリオだったら大丈夫だよ」という明瞭な言葉にハッとしたのである。その瞬間、私は、彼女らの横を肩で風切って飛んでいこうと思ったが、渋滞ゆえに、「下を向いて歩こう」状態であった。
ジャーニー to 下駄を鳴らして奴が来る
2006年05月07日(日) |
そこにはただ風が吹いているだけ |
連休もアッという間に終わり、また自転車操業がはじまる。これまで、準備万端、おさおさ怠りなく、ということがあったであろうか。様々な原稿も、締切が到来してから、そろそろ書くかといった具合である。したがって、一番困るのは、雑誌などの編集委員になった場合である。「早く書いて下さい」というセリフがなかなか言いにくいのである。つまり、自分に対してグサッときてしまうわけである。
昨日は、被害者学会誌である「被害者学研究」の編集委員会を行った。一応編集委員長として、原稿が揃うかどうか心配であったが、何とか完成しそうである。今回は早めに依頼したのだが、結局いつもと同じような集まり具合であった。みな私と同類かもしれない。編集委員の、I藤さん、T本さん、T沢さん、STの会会長、事務局のO木曽さんらの献身的なご協力には感謝申し上げたい。
終了後、大隈タワー15階にあるレストラン「西北の風」に行き、会食した。大隈タワーはローの建物の隣りにできた細長いタワーであるが、確かに景色は素晴らしい。しかし、大隈講堂を見下ろすとはいかがなものであろうか。そういえば、新8号館も12階で、研究室から大隈講堂を見下ろしている人もいるのである。私は、12階だが吹き抜けの内側だから、講堂など見えないが、想像力で見上げている点が違うのである。見上げてごらん〜夜の講堂を!というわけである。
「西北の風」は、大隈会館楠亭などよりも確かに料理はうまい。また、早大と京大とが共同して作り上げた地ビールがあり、結構うまい。今度は、ランチを食べに行こうか。ローの隣だけに、ローの学生が頻繁に利用しているようである。学部生は先生と一緒だと入れるのだろう。しかし、何と言っても、昔の大隈会館が最高である。大隈庭園を横に見ながら、われわれ院生と先生とが、上ランチ、洋弁当等を食べながら、談笑したことの想い出が一番である。もう、あの時代は二度と帰ってこないのである。
西北の風といえば、O島元総長の『西北風』という随筆集を想起する。風が早稲田から起こることを意味するのだろうが、この風はどこに吹いているのかが問題である。そもそも風が起きているかが問題かもしれない。北風であれば、みなコートに襟を立てて縮こまるだろう。ポカポカ太陽さんの方が、みなコートを脱ぎ捨て、癒されて、ちゃんと笑うことだろう。「西北の太陽」の方が良いと思うのだが・・・。風邪がなかなか治らないが、これこそ、まさに「西北の風邪」であろう。
Journey to 人は誰もただ1人旅に出て〜 (また、Journey toに復帰)
norio
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