刑法奇行
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2002年12月31日(火) エンプチーからショート・ホープへ

 大晦日になると、高2の時、学内誌「星陵」に書いた「エンプチー」という随筆を想い出す。今も手元に大事にしている。恥ずかしながら、その冒頭をご紹介しよう。

「大晦日はとかく厭世的だ。力が抜けていく日だ。1年間の空白がドッと押し寄せてくるやりきれない時だ。今年こそは・・・と16回も思い、また明日17回目の今年こそは・・・と思う。今年こそは・・・?何をするのだかわからない。何もしないのだ。テストに一喜一憂する以外は。しかし、今度はそうじゃない。常に自分の意志に基づいて・・・。」

 16回も思っているとは変な話だが、何と1969年のことである。出だしは、まさにエンプチーであるが、末尾は、次のように書かれてある。

「しかし、いつの日か『私は昔の私ならず』という日が来るかもしれない。そう、それは今年かもしれない。」 

 太宰の「彼は昔の彼ならず」に引っかけたものである。彼は、希望を最も語った作家だと個人的には思う。絶望の極地を感じ取っている者だけが希望を語れるのであろう。
 しかし、これからの時代に希望をもつことができるのであろうか。大きな希望をもてないとすると、小さな希望をもつしかない。「とりあえず学派」の立場である。しかし、とりあえずの希望が重畳的になって、大きなものになることはよくあることである。これでいいのだろう。

 とりあえず、紅白の中島みゆきを見ることが、今の希望である。

ジャーニー to 2003年地上の星

追伸
S藤弁護士へ
 S々木先生の会の写真を Vielen Dank!

1日に年賀状が届かなかった方々へ
 今年は遅くなり、Entschuldigung!


2002年12月26日(木) われらの時代

 昨日、テレビで小田和正が歌っていた。感動した。陽水も拓郎もがんばっている。われわれより年上である。これを見ている同世代の連中よ、何と勇気づけられることか。
 結局、彼らが若いのは、青春を引きずっているからだと思う。オフコースの時代がいまだに継続犯なのである。
 われわれも、同窓会で比較的若いと言われるのは、大学にいるためであろう。大学卒業後、そのまま院に行き、現在に至るという感じだ。あの準備室も内装は変わったものの、当時と同じだ。いや、ついこの間、小学生、中学生、高校生だったような気分にとりつかれる。おそらく、この奇行のファンのS藤M和弁護士も同じだろう。お互い、青春をいまだに引きずっているのである。
 しかし、青春を引きずることは悪くないことだと思う。死ぬまで引きずろうではないか。それよりも、最近は、若年寄みたいなのが多すぎる。青臭くていいではないか。つねに暗中模索であり続けるべきだろう。

 O島元総長から、著書『西北への旅人』をいただいたが、彼も青春のまっただ中という感じだ。「楽しくなければ人生ではない」という基本姿勢には賛成である。しかし、あれほど突っ走れはしないが・・・。
 こちらは、どうしても多元的価値を求めてしまうからかもしれない。まさに、多感であり、青春群像であろうか。
 赤頭巾ちゃん気をつけてちょんまげ

ジャーニー to 言葉にできない


2002年12月20日(金) ペロン、フライブルクへ行く

 たった今(20日の午前1時頃)、マインツ大学のヴァルター・ペロンからメールが飛び込んできた。来年の夏学期からフライブルク大学へ移籍ということだ。やったね。また、フライブルクで彼と会えるというわけだ。フライブルクは、留学した場所だけあって、ドイツで最も好きな町だ。MPIがズイーバーで決まりだから、やっと、エーザーの後任2件がおさまったというわけだ。ヴァルターの博士論文『正当化と免責』を翻訳した時のことを思い出した。あの本は、日本ではあまり評価されていないようだが、比較刑法のモデルだと思うのだが・・・。あの本の訳者あとがきには、あの時の「思い」が書いてある。時代は経っても、何か残しておくことは大事なことだとつくづく思う。

 残すといえば、昨日、髭のM川君のご教示で、集英社新書の『明星50年601枚の表紙』という驚くべき本を買ったが、素晴らしい。ちょうど、私の50年とダブルのである。何と、吉永小百合と天地真理が多いことよ。田代みどりのえくぼも懐かしい。吉沢京子、本間千代子などなど・・・。いづれ、魔女大のM藤君と、とことん語り合わなければならないだろう。

 これで、来年は、フライブルク行きが決定した。今年は年末になって、朗報が飛び込んできた。しかし、仕事は終わらない。忘年会もまだ残っている。3日間連続で補講を行った。講義の最後に、「それではみなさん。メリークリスマス アンド ハピーニューイヤー」と言ったが、反応が鈍かった。みんな、外国へクリスマスカードを書いたことがないのだろうか。まだまだ国際化は遠い(世界に)。

ジャーニー to ピンキーとキラーズ(高校時代に教室の後ろに誰かがポスターを貼った)


 


2002年12月15日(日) 寒い朝

 「北風吹き抜く 寒い朝も こころひとつで 暖かくなる」と最近テレビのCMで流れている。Y永小百合である。当時は小学生だったと思う。この歌で、冬の登校もがんばれたような気がするのだが・・・。
 歌でも何でもいいが、自分が「よっしゃ」と元気が出るものをもっているか否かが重要である。座右の銘でもいい。

 ほんとに刑法なんてやってていいのだろうか、と思うことも昔からしばしばあった。子供達と見ていた笑う犬のなんとかというバラエティの中で、「夢ないね〜」「夢あるね〜」とウッチャンが言うのがあるが、あれは素晴らしい。自分の研究が「夢ないね〜」では困るのである。「今これこれの研究をしています」とウッチャンに言ったら、「夢ないね〜」と言われたらどうしようか・・・。
 いずれにせよ、夢を持ち続けることが大事である。「星よりひそかに 雨よりやさしく あの子はいつも歌っている・・・おもちなさいな いつでも夢を」である。

 先週、新3年のゼミ生選抜のために面接を行ったが、何と午後5時から11時までかかった。面接官は、現3年の幹事1名と副幹事2名であり、私は机の前で仕事をしながら、ときどき成績表を見ていただけである。刑法奇行のファンという学生もいたが・・・。
 これらの学生は、どんな夢をもっているのだろうか。今がただ楽しければいい、という刹那主義では困るのである。かといって、全員が「巨人の星」や「あしたのジョー」でも、こりゃまた疲れる。まあ、いろんなタイプがいるから面白い。いろんな考え方、性格の持ち主、それらが混在していることが大事である。一色になったら気をつけなければならない。早稲田精神も様々な現れがあっていいと思う。S々木先生の最終講義が楽しみである。

 娘は、まだサンタがいると思っているようだ。もうじき真実を知るだろうが・・・。そのときは夢も崩壊する。しかし、本当のことを知った後、サンタからとお父さんから2つプレゼントが欲しいと言われたら、どうしようか・・・。

ジャーニー to サンタ郎の日記(今は誰も読まない)






2002年12月06日(金) はっぱふみふみ

 火曜日から今日まで、毎日8時30分から22時ごろまで、狂務の大事な御仕事であった。仕事の合間に、執行(猶予)部の仲間と、例によって親父ギャグと昔話のオンパレードである。奇行師ワールド全開である。
 学担のロードー法のS田Y一さんとは、大学1年からの友人であり、彼は学院出身だから、フランス語中級のF1クラスで、こちらは初級のF2クラスであった。あの時から図々しいが、人はめちゃめちゃ良い。お互い、かみさんとの出会いをはじめとして、いろいろ知っているので、緊張関係にあることも確かだ。「キンチョウ」は夏だけなのに・・・。

 昔のコマーシャルの言い合いは面白かった。当然に、「当たり前田の・・・」は筆頭であるが、「何である。アイデアル。」、「みじかびの、きゃっぷぱびとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ」などなど、永遠に続く。
 昔の歌については、これも永遠に終わるところがない。しかし、「22歳の別れ」で、17本目から一緒に火をつけたというのだから、現住建造物放火罪の共同正犯であり、常習性もあるといえるだろう。

 まあ、S田さんとは、本当に縁があり、こういう関係も珍しい。彼は、O樽S科大に行き、こちらは東洋の魔女大に行き、一緒にバカダ大学にzurueckである。

 事務の人たちは、我々の会話が新鮮で面白いといって、久々に調子がいい。「人を殺したら、殺人罪。それでは、虫を殺すのは?。その答えは、殺虫剤。」という馬鹿馬鹿しい古典も、大受けで、人から人へと連鎖しているようだ。まあ、いずれ、あまりの馬鹿馬鹿しさで、退任ということになろうが・・・。

 「馬鹿馬鹿しさのまっただ中で犬死にしないための方法序説」が、これからの研究テーマに決定したのである。

ジャーニー to 『修復的司法の探求』の見本はクリスマスイブ 


2002年12月01日(日) いよいよ師走だなー

 歳をとるにつれて、1年が徐々に速くなっていくというのが、通説・判例である。本当に、「あっと驚く為五郎〜」である。とくに、秋からは、狂務であるからなおさらである。判例百戦?の〆切も近いが、まだまだである。その他、2つの祝賀論文集とH律G報やHセミの原稿、その他秘密のアッコちゃん原稿もある。「なんでこうなるの〜。」と欽ちゃんみたいに飛び上がるほかない。

 ドイツでは、12月1日からアドベントがはじまる。子供らは、大人も?Adventskalenderを毎日めくってチョコをたべるのである。チョコレートのメイジならぬ、ドイツなのである。研究室のH田君とM田君は、この時期にドイツに遊びに行くというのだから、うらやましい限りである。留学中、フライブルクの市長がRathausの前でお菓子を配り、寒い中、皆で暖かいRotweinを飲むのである(赤ぶどう酒に砂糖・香料などを加えて熱したもので、Gluehweinという)。いまでも、市民達の笑顔が浮かんでくる。

 それに対して、日本はどうか。忘年会のサラリーマンや学生、そして我々も、一見楽しそうだが、何か世知辛い感じだ。ストレスの固まりが空気中に充満している感じがするのだが・・・。

 もうすぐ、RJ叢書の第一弾である拙著『修復的司法の探求』が刊行されることが、ちょっと楽しみなことではある。自己満足とはこのことである。カバーは、緑を基調とした3色である。緑は癒し系だからという、S文堂のS馬さんのアイデアであるが、RJ研のメンバーには事後承認してもらうほかない。きっと、N村先生は、文句を言うと思うが、どんな色でも文句を言うから、気にしないようにしよう。前著『刑法における損害回復の思想』は品切れとなり、修復的司法はもっと売れるのではないかという期待可能性もある。
 期待可能性は、最近では人気のない用語であるが、好きな用語の1つである(信頼の原則も好きだが)。若いヤングの学生・院生諸君には、まさに将来への期待可能性があることを忘れないで欲しい。

 それでは、我々はどうか。就職もしたし、結婚もしたし、父親にもなったし、あとは、おじいさんになることの期待可能性しかないのであろうか。
 まだまだいろいろ期待されているようである。もう期待しないで欲しいと思うが、そうでないことが疲れる原因かもしれない。

 やはり、期待化は危殆化となるのであろう。

ジャーニー to 忘年会の罪数


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