刑法奇行
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雑誌ゴルトダンマー(GA)が、2002年1号から今まで法文セに入荷されていないのである。M田図書館にもないのである。取次先の日本の洋書展から関西の大学には入っているが、東京には入っていない、ということだそうだ。ところが、昨日のRJ研で、チョコレートのM大にはあることが発覚した。法文セや図書館も、こちらが言うまでそのままである。黙っていると、1年が過ぎてもGAがないことになるかもしれない。われわれは「文献をたずねて三千里」をしていることを知らないのであろうか・・・。
文献が大事なのは、やはり学問の発展と知的廉直からくる。自然科学では当然であろうが、こちらの世界は「もわーっ」とした世界だから、われわれが今どこにいて、どこまで進んでいて、どこに行こうとしているのかかが誰も分からないのである。
「われわれは遠くから来て、そして遠くまで行くんだ」と言ったのは、吉本隆明だったろうか。この詩?が好きな奴が高校時代にいた。彼は、早稲田の文学部で、卒論は「高橋和己研究」だった。その後、高校教師になったが、久しく会っていない。私も高橋和己をよく読んだ。「悲の器」「わが心は石にあらず」「わが解体」などなど・・・。今や誰も読まない。いずれRJもそうなるだろうが、今この瞬間に燃え上がっていることが重要だ。
ともかく、ハーム(害)概念について、GAが特集しているそうである(H谷川君おねげーしますだ)。早く読みたいという衝動にかりたたれる。「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」というのは、丸大ハムであり、アマチュア無線家はハムであり、人気の小動物は、ハムスターであり、かみさんがつくるのは、ハムエッグやハムステーキであり、いずれも、ハームではないのである。
ジャーニー to リストーーーラティブ・ジャスティス
放火大学院開設によって、全国の人事異動が激震状態である。おそらく、ここ1〜2年でいろいろあることは確実である。極秘事項をかかえる身は辛いが・・・。考えてみれば、これまで教員が異動しなさすぎたともいえる。ドイツでは異動は当たり前である。留学中、シューネマンのフライブルク大学就任講演(Antrittsvortrag)を聴いたが、その時すでにミュンヘン大学に行くことが決まっていたのである。本人に直接聞いたら、「内緒なのだ。」と言っていたが、公知の事実であった。「これは内緒である。」という留保つきで、全員が知っているということがよくある。噂好きは、万国共通なのか。 まあ、異動が激しくなったのは、日本も国際化してきたということだろう。Rufがあって、行きたければ行くし、そうでなければ断るというだけのことなのであろう。
もっとも、若いヤングの研究者たちがこの激震の真っ只中でポストを得ることができるかが一番問題である。これが困難か容易か何ともいえないが、いつの時代でも困難だったのだから(そうではない例外者もいるが、その人たちも別の困難を背中にしょっているのである)、positivにいくしかない。研究に邁進していれば、その中に喜びがあり、楽しいはずである。このような「ささやかな喜び」が素晴らしい。これでは刺激がないというのであれば、この世界に納まらないのであるから、別の世界に羽ばたくしかないだろう。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」なのである。もっとも、寅さんによれば、「あした道を聞こうとしたら、ゆうべ死んじゃった。」という解釈になるわけで、おばちゃんが「交通事故でかい?。」と続き、タコ社長が「そう、この間、事故を見ちゃってさー。」となるのである。 庶民の中の学問の在り方は本当に難しい問題である。
ジャーニー to 人事ヤー・エール
昨日は雨がザーザー降っていたが、こういうときは決まって、「雨が空から降れば、想い出は地面にしみこむ」と思わず口ずさむのが習慣となっている。大いにがんばった日本チームに対して、この、別役実作詞、小室等作曲の泣ける歌を捧げたい。「お魚もまた雨の中」なのであり、「雨の日はしょうがない」のである。
サポーターたちの姿を見ると、やはり若者は何かを求めているし、それもみんなでつながっていたいという気持ちがあるように思える。それぞれの生活があり、それぞれの価値があり、しかし、サッカーについて皆で盛り上がる。ここにソフトな共同体を看取できないだろうか。 サポーターとはいい表現である。人は必ず誰かのサポーターである。自分も他人も相互にサポーターとなっていることに、今更ながら驚く。いわば必要的共犯である。これが、加害者のサポーター・被害者のサポーター・コミュニティのサポーターとくれば、申し分ない。 まずは、身の回りの人について、自分は誰のサポーターなのかを一度考えてみるといいかもしれない。
「しょうがない 雨の日はしょうがない」というフレーズは、エンプチーで、それでいて、何か勇気づけられるから不思議である。
昨日の夕飯には、生姜を味噌につけて食べるおつまみが、食卓に出ていた。好物の一つである。これが夕飯に出ないときは、まさに「生姜ない」のである。
ジャーニー to 4年後のドイツ
2002年06月16日(日) |
叢書・双書・草書・創書 |
昨日は、RJ研究会の後、N村先生の関係で何人かで、新宿の虎、否、ライオンに行って、久しぶりに、エーデルピルスを飲んだ。やはり「まいうー」である。ワインもそうだが、うまいビールを飲むとドイツを感じるのは、どいつもこいつもであろう。ビールのコマーシャルには印象的なものが多い。「男は黙ってサッポロビール」とか、「うまいんだなーこれが」とか、いろいろあったなー。法律書にもこんなキャッチフレーズをつけたらどうか。「面白いんだなー刑法が」「男は黙ってRJ」とか・・・。しかし、後者はまずい。千葉弁護士会のY田U起子弁護士やS上香さんなどにこっぴどく叱られるだろう。 S文堂から、RJのシリーズが公刊されることがきまった。RJ叢書にしたいのだが、H酋長は双書の方がやわらかいイメージでベターだという。N村先生は、草書とか創書とか、トンデモナイ提案をしている。RJシリーズでは、「ばらシリーズ」みたいだし、RJ自由自在とか「力のRJ5000題」とか・・・(懐かしさで泣いている人の顔が浮かぶ)。 ともかく、1冊目は、私の『修復的司法の探求』である。先週脱稿したばかりだから、刊行は夏が終わって、「それぞれの秋」が来る頃か。N村・H井先生の共著や、ブレイスウェイトのシンポ、実務家の方々の実践報告、そして、若いヤングの論文集もどんどん出す予定である。どさくさに紛れて何でも出そう。とすれば、ドサクサ叢書、DOSA双書なんていうのもいいかもしれない。M崎君、むーみんさん、Y野さん、M川君などなど、RJの単著の論文集を出そうではないか。全国の研究者・実務家の人も本を出したいという人はこのシリーズでということにしたい。Y田T雄さんの長編は、200頁から250頁にまとめていただければ可能かもしれないが、やはり、Y田厳窟王なのか・・・。 今日は、「父の日」である。とくにどうってことはないが、父親の存在無価値の時代はいい時代なのだろうか。星一徹やおやじ太鼓、寺内貫太郎や池中源太などなど・・・あるいは「パパは何でも知っている」とか。アメリカもそういう時代のルネッサンスが叫ばれているようである。もっとも、父親のみならず、母親不在の方がもっと深刻である。わが子を愛さない、虐待母がいるとは(その内縁の夫も危ないが・・・)。子供を愛そう、かわいがろう、ミルクをあげようということで、「父の日」よりも「乳の日」をつくった方がいいと思うのだが・・・。
ジャーニー to 馬のマークの参考書
2002年06月10日(月) |
法学会大会と被害者学会 |
先週水曜日は、W大法学会大会において、西原先生の基調講演にヒデキ感激であった。学生諸君も熱心に聞いていたが、感激したかどうかは知らない。うちのゼミ生は感激したと言っていたが・・・(N道君は壇上でさすがに緊張したようであったが、キンチョウは夏だけである)。恩師による最後のまとめの中で、新しい共同体という言葉が出たことは嬉しかった。ともかく、74歳とは思えぬ迫力である。賛否両論あることは当たり前田のクラッカーであり、意見が違うことを喜ばなくてはならない。それを越えて人を感激させることはむずかしい。ともかく、何か知らぬが、研究に勇気が出てくる感じがするのである。白けた学生はどうだろうか、と思う。「白け鳥飛んでゆけ、南の空へ、みじめ、みじめ」と、小松の親分さんと一緒に歌いたいのだが・・・。
金曜日には、被害者学会のため、大阪に行った。梅田近辺で関西弁が飛び交う。曾根崎警察署近くの、昔からよく泊まった「梅田OSホテル」(名前で誤解して欲しくないが、ちゃんとしたビジネスホテルなのだ)の場所を見失った。人の流れについていけない。大阪の江戸っ子一人という感じか。もっとも、今回は、N空君、S仙人、STの会会長も一緒でワイワイであった。学会では、ブレイスウェイト教授の講演とシンポ「被害者支援のプライヴァタイゼーション」が面白かった。修復的司法も何度か問題となった。まさに、ラ・ブーム(たしかソフィー・マルソーが主演だったと思うが)である。このブームはいつまで続くのか。すべてのことと同様に、いつかは終わるだろうが、実践を伴うだけに、比較的長く続くように思う。会場となったO阪市R大の学術センターは素晴らしい。広々としてとてもきれいである。しかし、新宿の雑踏のようなW大にいると、かえって落ち着かない。人がぶつかり合い、擦れ会いながら、という状態がやはり好きである。梅田の方が落ち着くかもしれないが、私の親父ギャクは関西では通用しないと、いつも、D志者のS川さんに言われているだけに、落ち着きが悪い。もっとも、S川さんのギャグよりは私の方がいいと思っているので、この批判を気にもとめてはいないが・・・。
しかし、ギャグの被害者は顕在的にも、潜在的にも多いのかもしれない。来年のシンポは、「親父ギャグとその被害者」というテーマに決まるかもしれない。
ジャーニー to 歴史的勝利
2002年06月02日(日) |
癒しと感動としての運動会 |
今日は、娘の運動会だった。例により、すべてのことに対してwesentlichに超過する利益となり、作為義務が発生する。日曜だというのに、9時の開会式に間に合うように行かなければならない。早速ビデオ撮りである。すでに多くのVaterが陣取っている。以前、奇行に書いたように、一体誰のために、何のために撮っているのか分からないまま、私も撮っている。撮ること自体に意味があるならば、全然写っていなくても笑いぐさとなる。事実、そういうときもあったから、そのとおりなのだろう。 何回、運動会に来ただろうか。数え切れない。1年生と6年生がやはり主役である。親の感動が伝わる。「いろいろあったけど、こんなに大きくなって・・・」と思うのだろう。そして、それは永遠に続き、「親父の一番長い日」を通過し、孫ができ、そして、息を引き取るまで・・・。これをフツウの人生というが、このフツウを維持することは実は大変なことなのである。「親父の一番長い日」に感動するのは、実際はそういかないからなのである。喧嘩したり、対立したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり・・・それぞれの感情がぶつかり合い、ギクシャクギクシャク紆余曲折するのが、実はフツウなのではないか。かえって、それがない方が変なのである。だから、儀式に人は感動するのかもしれない。散々喧嘩して対立していた娘が、晴れの姿で「おとうさん、ありがとう」とくるから、感動は究極の極致に達するわけである。 とすれば、儀式的なものを時々行うこともいいかもしれない。ひと月に1度、父の日、母の日、夫の日、妻の日、息子の日、娘の日・・・などなどを決めて、家族集団会議を開いて、それぞれ感謝の言葉をいうのである(テレビの番組みたいだが)。まさに、家庭における修復的司法である。修復的司法の射程範囲は広いのである。 運動会でいいなあーと思うことの一つに、地域の人々も参加することがあげられる。学校と地域と家族が一緒になって、子供達を観察するという貴重なひとときだと思う。みんなで子供達を育てる、ということが必要だと思う。昔は自然発生的にそれがあったが、今は、一家族がそれ自体で引きこもり状態である。これでは駄目だ。少年犯罪の原因論の重要部分を占めると思うのだが・・・。しかし、他人の子のことまで面倒見るのは大変なことだ。自分の子だけでも大変なのに。そして、自分の子以外愛せるかという、哲学上の問題に行き着いてしまうのである。 こういう話題になるときは、たいてい疲れているときである。顔も日に焼け、たしかに「つかれたびー」である。「疲れる」と、何かに「憑かれる」ことが多いのである。
ジャーニー to オロナミンC
G代K事法7月号の編集後記に、I藤さんがこの奇行を取り上げて下さった。何と著作集とは「びっくりしたなあーもー」である。心待ちにされているとは嬉しいことである。誰かが待っていること、これは素晴らしい。誰も自分を待っていない、誰も自分を必要としていないという状態では、人は生きていけないだろう。どこかで誰かが、風の中で待っているのである。M藤君の18番の紋次郎だって、そう期待して、用事(楊枝)をくわえていたのだ。 もっとも、心待ちにされる対象が原稿となると、若いという字に似ている苦しいことである(悲しみは駆け足でやってくる・・・この歌手は誰か忘れた)。「絶えざる原稿との戦い」、やはり元寇は台風でも来ないと駄目か・・・。まさに、「わが闘争」であり、一体いつ終わるのか。 庄司薫が芥川賞受賞の際、「逃げ出したい」と言い、問題解決の手段として「逃げて逃げて逃げまくる方法」を提示した。これはするどい。逃げ切れれば、その問題は大した問題じゃなかったことが事後的に分かるからだ。しかし、問題は、逃げ切った後、どうなるのか。「誰もいない海」じゃ困る。するとまた、何らかのしがらみが出てくる。新しいつながりである。これはもっとしんどいかもしれない。今までの闘争の方が心地よく、逃走から逆戻りして、闘争の世界に行く。フロムじゃないけど、「自由からの逃走」か・・・。 ほのぼのとした集まりが「同窓会」なら、闘争しているわれわれの集まりを「闘争会」と呼ぶことにしよう。
ジャーニー to 提灯行列
norio
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