経る時・・・

もくじかこみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2007年06月30日(土) 外泊1回目

体重計に乗ったら、73.1キロ。
5月の手術入院時、82キロ前後だったので、かなり減っている。

まあ、増えたのは脳のホルモン分泌のせいもあるらしい。



おくさんが、静岡から直行で病院に来るのを待ち、帰宅。
やはり家はいいなぁ・・・


2007年06月29日(金) 放射線治療3回目

リニアック3回目

東医療センターからの連絡はないが、体調は良さそうなので、帰宅可の許可を得る。

そして、おくさんと、自宅に電話。


2007年06月28日(木) 放射線治療2回目

朝の回診で、作ったマスクの位置がとても合っていて、照射がスムーズとのこと。

今日、宮沢喜一氏が亡くなったらしい。何にせよ、名を成した人だ。

リニアック2回目


夕方の回診で、今回の手術の件。頭の傷が消えたのは、特殊な膜を使ったせいだと
聞いた。なるほど。すごい技術だ。傷も気がつかない程度だし。


2007年06月27日(水) 放射線治療1回目&結婚3周年

こんな場所で、結婚3周年とは・・・

気がついたのだが、去年の手術後、頭蓋骨の左右に、径が2センチ、深さが数ミリ程度
の凹みがあったのだが綺麗に消えている。

先生が、形成し直してくれたらしい。

リニアック1回目&CT撮影


午後から、おくさんは実家の清水行き。高速バスで帰った。

夕刻、Hが来る。ホント・・・ ありがたいなあ・・・

おくさんと、このHは、僕にとって「心友」

この二人がいなければ、僕はとうにこの世から、姿を消していたかもしれない


※東医療センターの眼科に一時退院の問い合わせをしているのだが返事が遅れている。


2007年06月26日(火) 放射線科入院2日目

いよいよ、セットアップが始まる。

放射線科の施設に行き、準備。
地下3階にあり、まるでなにかの秘密基地のようだ。

頭を固定するお面のようなものを作り、CTで撮影。

明日から、放射線の照射が始まる。


とにかく部屋が暑くて、お風呂に入る。(今後、毎日予約の予定)


2007年06月25日(月) 放射線科入院1日目

新宿河田町にある、東京女子医科大学病院の放射線科に入院。
これから1ヶ月〜2ヶ月にわたり、リニアックによる治療が始まる。

当日は、採血・X線撮影・心電図のみ

夕刻、心友のHが見舞いに来る。とても驚いた。


2007年06月23日(土) 振り返り、振り返り・・・

このところ、過去日記を読み返している。

2000日を超えたんだね・・・

まあ、振り返っているのではない。そんなくだらないことはしない。

仕事のトラブルや、サークルでのいざこざの最中から、脳腫瘍は始まっていたんだろう。

自分でも、いっぱいいっぱいで、我が身を顧みる余裕がなかった。

人間の能力なんて決まっていて、30代の人間のできることなど限られている。


今ならうまく立ち回れるかな。それとも眼をそらして逃げてしまうのか。
僕の性質的に、それはできないんだろうな・・・


2007年06月20日(水) 因果なもんだ・・・

昔、別れたあの人と最後に出かけたのが、現行のK12マーチの発表会だった。
その帰り道から、おかしかったのを覚えている。
ディーラーの営業とそのときの話が時折出る。


そして、弟がマーチを買い、そして、僕がマーチを買うとは・・・

悪い車ではないけど、そのときは思いもしなかったな・・・


この日記も、つきあっている時の苦悩から生まれたものだけれど、今は日々の書き付けと化している。

またある意味、苦悩の最中でもあるのだけれど。


心というカテゴリーでは、今はとても幸せ。


2007年06月19日(火) 脳神経外科外来と眼鏡

病院の外来へ。が、22日に再診ということに。

ここで、脳外科の看護婦に見つかる。「あっ、さかいさんだ」とか、大声出すな(笑)

眼科に行き、診察と、老眼鏡の受け取り。





2007年06月16日(土) 網膜中心動脈閉塞症

右眼は、光を失ってしまったわけだが、まあ、仕方ないここと思っている。
脳腫瘍とは別の話なのでこちらに書くことに。

脳腫瘍の再摘出手術の後、ICUで、右眼に痛みを覚え、違和感に気がつく。
医師に伝えると、顔の腫れの為といわれた。(額部から眼部の皮膚を反転させているので
これは正しい。前回も、かなり腫れた。)

深夜になり、やはり、光すら感じないので、先生達が動き始める。

CTを撮りに、ストレッチャーで移動するが、脳腫瘍の手術自体は成功。
神経等、傷つけて様子もなく、翌日の午後、眼科行きの指示が出た。
(この時点で、すでに眼球としては、手遅れであるのは、後に判った)

亀井医師に診て貰うと、大慌てで、脳神経外科の執刀医の萩原医師に、
内線電話をしている。まあ、話は、丸聞こえ(^^;)

病名は『網膜中心動脈閉塞症』だった。

□網膜中心動脈閉塞症
http://www.skk-health.net/me/06/index.html
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10A70200.html


緊急処置で大量の点滴(ダイアモックス)をして、家内に教示して、眼球マッサージを2時間程度する。
まあ、結果、やはり、光覚は、回復しなかった。

脳の手術をした都合上、血栓を溶かす薬剤等は、使えなかったのだ。


なんでも、こんなケースは、東京女子医科大学病院でも、初めてのケースだそうで、
きちんと対策は、してあったのだが、発生してしまったようだ。

手術時間が長時間に及ぶと、脚部等の血液が停滞するので下腿部にサージカルストレッチタイツ
という、タイツや、マッサージをするポンプを取り付けて、鬱血を防止する。

いわゆる、『エコノミー症候群』の防止だ。この場合、血栓が飛ぶ可能性があり、
今回の場合、眼球部に飛び、網膜の毛細血管に詰まってしまったようだ。

ただ、運が良いともいえるのだ。脳に詰まれば『脳梗塞』、肺に詰まれば『肺梗塞』、
心筋に詰まれば『心筋梗塞』で、命取りだったので。

何にせよ、右眼の光覚は、2度とは戻らせない・・・

しばらくは、婦長さん、看護師長さんが、煩雑に、様子を見に来た。
まあ、人によっては、悲観して、どんな行動を取るか判らないからね。

家内や母には、「差額無しで、大部屋から、2人部屋等に替えましょうか」等
の提案もあったようだが、逆に、話し相手がいなくて、滅入ると思う(^^;)

何人もの看護師さんに、「さかいさんは、失明したり、脳腫瘍になったりしているのに
なんで、明るくて、前向きなんですか?」と、尋ねられたのだが、
たぶん、自分の身に降りかかった、いろいろな商売上の苦しみ、生まれてからすぐの大手術等、
乗り越えてきたからだと答えた記憶がある。

生きていれば、それだけで幸せなこと。そう思っている。


2007年06月15日(金) 本院 放射線科受診

新宿にある東京女子医科大学病院の放射線科を受診。が、東尾久にある、東医療センター
からのバスがMRI等の資料を送っているはずが届いていなくて、3時間ほど待たされる。

担当のM医師は、ご自身が悪いわけでなく、東医療センターの
事務が悪いのにとても恐縮されていた。
しかし、相変わらず事務はめちゃくちゃだなぁ・・・

資料が届き、相談に入るが、思ったより状態は悪い。
前回の手術から、今回の手術まで、1年。
あまりにも、再発が早い。悪性髄膜種としてもだ。

前回も、放射線をかけようと思ったのだが、余りにも範囲が広すぎて躊躇。今回は、悪
性ということもあり、治療検討ということになったのだが、放射線治療のデメリットも
あり、それとメリットの損得を考えての相談となった。

デメリットは、おそらく、根治は難しいということ。
正常な脳を傷めてしまい、先々、痴呆等の可能性があること。
皮膚や血管、骨等が弱くなること。そして、白血球等の一時的減少。が、放射線治療を
しない場合、再発は、さらに短期間、さらに悪性度を増すと考えられるとの説明だった。
要するに、肉眼レベルでは摘出できても、細胞レベルでは、残っているかもしれないのだ。

とりあえず、入院予約だけして帰ってきたが、時期は未定。
期間は約二ヶ月。

仕事も気になるけれど、命と引き替えにはできないから仕方 ないか・・・

今日、42歳の誕生日。気分は最悪・・・

帰りに、僕と同じ誕生日の母に「らくらくホン」を機種変更でプレゼント。


夜、弟が、ギンザのガルリカフェで、モンブランを買ってきてくれる。6月からは、テイクアウト不可だそうなのだが、
無理押しして買ってきてくれた。有り難う。


2007年06月14日(木) 老眼鏡

右眼を失明した以上、左目は大事。医師の勧めもあり、病院内で製作。

若干の近視・乱視と、老眼が入っているよう。

仕事上、眼を使う商売でもあり、割と高い眼鏡にした。
まあ、そういう年齢だ。既に。


2007年06月13日(水) 退院しました・・・

本日、退院しました。前日に急に、予定が早まり退院することに。

脳腫瘍の手術は、成功だったのですが、結果は、悪性髄膜種。

明後日、新宿の「東京女子医科大学病院」の放射線科に受診予定。



そして、思わぬ結果なのですが、右目を失明してしまいました。

詳しく書くと、右眼球の栄養動脈の閉塞という病態です。
完全に、何も見えない状態です。


確かに、ショックは大きく、辛い結果なのですが、こうなった以上、
前向きに生きて行くしかないと今は思っています。

商売柄、一般人以上に、目の傷害は堪えます・・・
でも、頑張るしかない・・・・

・・・・・

ひとは、そんな僕のことを、「強い」というけれど、光が戻らない以上、
開き直るしかないんだよね・・・・・


2007年06月12日(火) 従兄弟が見舞いに2

従兄弟の敦さんが、見舞いに来てくれた。
退院が明日なので、入れ違いにならなくて良かった。


2007年06月11日(月) 見舞い多し。

親戚の金沢夫妻が、見舞いに訪れる。

夕刻、弊社薄井工場長、元従業員・高山さん、母が見舞いに。


2007年06月10日(日) 従兄弟が見舞いに。

従兄弟の雅一・美子夫妻が見舞いに訪れる。


2007年06月07日(木) 見舞いが多かった

母とともに、伯母が病院に来た。

その後、東京日産の瀬田さんが見舞いに来た。
父の時も、病気の時に、臨することになったなぁ・・・ 瀬田さんは。

西新井店に戻ってきたのも、僕が入院中らしいし、妙な巡り合わせだ。

この方は、僕が二十歳の頃からお世話になっている人だ。


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