こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2004年07月29日(木)  蓮と大麻

 昨日、思い立って名刺を創った。
 あるヒーリングアーティストから「大麻でできた紙を使って名刺を創って
ほしい」というリクエストを受けている。先日「麻紙GA」という50%麻と
50%無漂白パルプの紙をやっとこさ仕入れてきた。

 私もちょうど名刺が切れている。よし麻紙に印刷をしようと思ったら、今ま
でのデザインがいまいち気にくわない。

 火がついてしまって、結局自分の名刺をデザインしはじめてしまった。
 夜中1時頃、やっと完成していざ印刷をしようとすると突然フリーズした
マックは、うんともすんとも言わなくなった。

「またかいなぁ・・・」と思いながら、いろいろ試みて見るも、ご機嫌は治っ
てくれない。

 私も連日の寝不足がたたって、キーボードを触りながら半分眠っている状態
だ。マックはなにをやっても起動してくれない。仕方なくウィンドウズのノー
トを開いてみるとそれも具合が悪い。

 なんだよぉーと思いながらも、その前に使っていたウインドウズを引っぱり
出して準備をしていると、きまぐれマックが起きあがった。

 しかし、時刻は3時半・・・。頭も動いてくれないので、寝ることにした。

 翌朝6時に起きて、再度チャレンジして何とかできあがった。
 はじめて会う人に渡すのがちょっと楽しみな、お気に入りの蓮の花写真入り
50%HempPaperの素敵な名刺です。

 かんじんの彼女の名刺のデザインはなかなか浮かばずに困っている。こまってるよぉ。


 で、発行しなくちゃいけなかった喜納さんの応援サイトのメールマガジン
を、通勤時間に発行した。バイトに行く途中の地下鉄の中で原稿を書いた。地
下鉄の長い乗り換えの間(東梅田から西梅田・長いよねぇ)浮かんできた言葉
に鳥肌が立ったりして(笑) その想いを忘れないように、ずっとこころの中
であたためながら歩いた。

 バイト先の駅について、ホームのベンチでひたすらに想いをつづった。送信
できたのは、バイトがはじまる5分前。

 あわてて階段を上ろうとしたらこけちゃった。
 バイト後、直接東京に行くためにマックやカメラが入った鞄をかばって、
みごとに・・・。

 なにごとも、あわてちゃいかんね。

 そんなハルの入魂のメルマガを読んでみたいという人は、【 喜納昌吉の「祭り」を応援するメールマガジン】http//www.emaga.com/info/kinakina.html をみるべし。



 新幹線の窓から、きれいなお月さまがこちらを見ているよ。
 明日も、よい日でありますように。すべての人にとって。



2004年07月24日(土)  時間をはずした日の祭り


 今は実家。

 明日、母の49日法要があり、朝から岡山へ行く。

 今実家にいる母ちゃんの骨をお墓にいれるってことだ。


 「なおちゃん。 おかえり 」

 はじめて会ったとき、母はそういって出迎えてくれた。

 いまから6年前の話だ。
 その瞬間、私に実家というものができた。


 父の再婚相手として家に入ってくれた母は、
 私に家族を味わせてくれた。

 末期ガンで入院している母を見舞うことで
 小学校3年生のときから離れて暮らしていた父と私が
 新しい関係を築きはじめることもできた。

 家族を強い絆で結び付けてくれたのは、血のつながりのない母だ。

 「ありがとう」をいくら重ねても言葉では伝えられない想いがあること
 そんなことさえ、母は教えてくれた。


 親友カネコネカからメールが来た。

 『今までの人生でこころの底から「俺は今、自由だ!」
       って思った瞬間もしくは時期を教えてください』

 一晩考えて、メールを送った。


『 子供の頃は何にも考えずにいて、自由を謳歌していたんでしょうね。

  うおー!自由だぁー! って感じているときは、
  まだほんとうの自由じゃない。

  短時間の「自由」とか 猶予つき「自由」。

  自由とかそういうことすら感じなくて
  ただひたすらに自分のありのままでいれることが、自由かな。

  ほんとの自由は、自分自身からの解放やね。  』




 明日は、マヤ暦の「時間をはずした日」だ。

 一年に一日、時間や現代文明の概念から、自分の精神を解放する日。
 この日、アーティストたちは祈りをささげる。
 世界中で祭りがくりひろげられる。

 自分自身の表現を突き詰めてゆくことは、祈りに通じている。
 世界各国で、多くの人が祈りをささげてきた。

 私にさまざまなものを教え、残して行ってくれた由里枝さんが
 7月25日にお墓に入る。
 そのことは、不思議でもあり、当たり前のことのような気もする。

 そして私は毎年、母への祈りの気持ちとともに
 時間をはずした日をすごすことができるのだ。

 ありがとう 



 あたらしい年がはじまるよ。

 その前に、時間をはずした日を十分に味わおうね。


 でもね、いつだっていつだって
 心に刻むべき瞬間を、私たちは生きている。


 その瞬間を大切にね。


 自分のこころとともに歩いていきましょう。

 



2004年07月23日(金)  天の岩戸開き テーマは赤裸々 さて、なにが飛び出すか?

いろいろとはじめてみたよ。

楽天で日記をはじめたり。
プロフィールに写真のせたり。

観念して、表に出ていくことにした。

でも、その出方は妥協のない、私らしいもので貫くよ。

とにかく、作品を表に出していかないことには

私の想いは伝わらないから。


環境に関する取り組み
音楽に関する取り組み
生きること全般に関する取り組み

それらの取り組みをあまりにも
公表してこなかったので
ちゃんとしていきますよ。

中途半端にしか書いてこなかった「祈り」の部分もね。

赤裸々にいきましょう。



これまで応援してくれたみなさま

これからもどうぞよろしくです。

愛しています


ハル。



2004年07月20日(火)  「愛してる?」


「愛してる?」

 このことを自分自身に何度も聞くようにしている。

 私にとって、それはひとつの瞑想だ。
 生きることに密着した24時間いつでも実践できる祈りだ。




「愛してる?」

 私が問うのは、人に対する感情のことだけじゃない。


 決断のすべてにおいて、行動のすべてにおいて。
「愛」を根底にして、物事を考えていられているか?

 その発言は「愛」からでているものか?
 その行動は「愛」から派生しているか?
 その表現は「愛」をかたちにしようとしているものか?

 それらを常に自分自身に問いつづけることで、
 表に出てくる態度も、生き方も自然にかわってくる。


「愛してる?」と問いかけて、
 真っ正直に「はい」と答えられる物事
 生活のすべてをそれで満たすことができれば
 どれだけ幸せだろう。


 自分にはうそはつけない。
 人にはつけたとしても。

 自分のこころには、常に正直でありたい。
 そうすることでしか、人や生命に対して
 正直で在りつづけることはできない気がする。


「愛してる?」
 私からはじまるすべてを、嘘偽りのない愛の行動で満たしたとき、
 私の周りから、ステキなことがはじまるよね。きっと。


 そういう人間でありたい。

 



2004年07月19日(月)  halの日記


 ここ数日かけて、魂込めて書いた文章を先方にメールで送った。


 ドキドキしながら待つこと数時間後、興奮した声で電話がかかってきた。

 驚くほどに喜んでくださっている。


「そう、こういうことが言いたかった。

 久々に感動して、涙が出そうになりました。ありがとう。

 halさんに出会えてほんとうによかった。」


 すごくうれしかった。


 その文章は8月発売予定の新製品のリーフレット用の短い原稿だ。

 今年の4月、その開発会議に参加させてもらった

 その開発に関わっているすべての人が、よりよいものを創り出そうと

 真剣な目をしてミーティングする姿を見たとき、胸を打たれてしまった。

 そこで繰り広げられた話は、私のこころを鷲掴みにした。

 彼らの本気度合いに私の魂は強烈に揺り動かされた。

 ただただ頭が下がる。敬愛、尊敬という言葉でしか表現できない。

 この人たちのムーヴメントをサポートしたいと本気で思った。

 そんな風に思ったのは久々のことだ。喜納昌吉以来はじめてのことかもしれない。


 その会議に出席したおかげで、私も自分のスピリットを奮い立たせて

 停滞気味だった小説に本気で手を加えはじめた。

 小説家と技術者とプロデューサー。

 表現していることはまったくちがうけれど、目指しているところはおなじだった。

 その時こころに灯った炎のおかげで、4月以降激動の日々を

 自分のこころに正直に、風に負けることなく生きてこられたのだ。



 生きてきた道のりも、これから生きて行く道もちがっているはずの人々が

 ひとつのヴィジョンを実現させるために、それぞれの役割を果たしてゆく。


 その人々がその商品にたくした想いや夢を、文字にすることができたら

 私はおおきな恩返しができると思った。



 短い文章の中に、作り手たちの想いをすべて込めたいと思った。

 


 自分が描いた文章を見て、喜んでくれる人がいるということは

 文字職人としてほんとうに幸せなことだ。

 こういう、ほんとうにクリエイティブなことを仕事としてやり続けられるように。

 そんな表現者でありつづけようと、また勇気をもらった。



 ありがとう。 すべての人に明日もよいことがありますように。




 あたらしいことをはじめようと、楽天にページを創ってみた。
 とはいえ、まだ途中。疲れたので、今日はこの辺で。
 http://plaza.rakuten.co.jp/haruna8/



2004年07月17日(土)  新月 はじめの日

7月17日 新月 今日は私にとってはとても大切な日だ。

あたらしいことがはじまる日だ。

ともだちは関西空港からエジプトへ旅立った。
「イシスによろしくね」それだけを伝えておいた。
彼女は、大地母神ヌトの流れを持つ人。
私はイシスによばれて、ここまでやってきた。


2004年7月11日
 ホピの大地では4本の虹がかかり、日本では喜納昌吉が参議院議員となった。
 祭りの魂を持つ、地球を愛する政治家が誕生したのだ。


7月17日

 私は今日なにをしようか。
 今日が私にとって大切な意味を持つのは、
 これからの生き方を決める日だから。

 この選挙期間、喜納昌吉や仲間たちと魂がふるえる日々を過ごした。
 祭りが終わっても、日々魂が揺さぶられ ふるえつづけるような
 創造性を持って生きてゆこう。

 掲示板を復活させたのは、喜納昌吉の気さくさを見習うためだ。
 HeartbeatsFreebirdをみて、なにかを感じてくれた人といつでも
 話ができるように。喜納昌吉にとってのチャクラのように。
 私はこの掲示板を大切にしようと思う。
 

 喜納昌吉が選挙のためにストリートライブをやっている間、
 私は写真を撮ったり、文章を書いたりしていた。涙を流しながら。

 そのときのメモを少し。




 雨がやんだ。
 大粒の滴が空からこぼれ落ちていたというのに。

 空は徐々にカーテンをひらきはじめている。
 
 この日本にも浄化の雨がふりそそぎ

    約束の虹が   空に

            人々のこころに橋を架けるだろう


 この空を覆う雲もかならず晴れる
 永田町にかかる重く厚い雲も
 霞ヶ関に立ちこめる暗雲も
 ひとびとのこころを覆う雲もかならず。

 すべて すべて この風がながしてゆく



 その雲は どこにゆくのだろうか?

 どこへ?

 それは雨雲となり

 やがて 雷鳴が鳴り響き

 ひとつぶひとつぶの滴となり
 大地にふりそそがれる

 人々のこころにかかる雲も
 ひとつぶの滴となり
    すべてを洗い流す 涙となるだろう

 乾いた大地 渇いたこころに そそがれる慈雨



 くもりなき空 くもりなきこころ
 
 虹がかかり 大地にめぐみ染みわたり
 豊饒の大地に 生命はゆきかう
 


 大空を泳ぎ 大地を飛び交う 自由なる魂

 すべてをこえて ひとつにとけだす 久遠の祭り




 はじまりの日。

  これからは物書きとして、描きはじめる。
  この間学んだことのすべてを、文字で描いてみよう。


 これからの人生は「はしわたし」がテーマのひとつ。

 すべてをつなぎゆくもの 神と人 人と生命 人と地球


 この地球に存在するものはすべて愛から派生している
 地球の恵み 神の慈愛


 地球のかけらは 地球のすべてでもある
 地球とは神そのものでもある

 地球のかけらは神のかけらでもある

 私が識る 神 とは すべてを内包するもの 愛の光だ

 ただただ愛とともに在りつづけよう

 ギブ & テイク ではなく、 ギブ&ギブ で!



 これからは、ハルと名乗ることにした。

 すでに数名の愛する人々は、私をハルと呼んでいる。


 ハルは生命が躍動すること ハルとは見守る瞳 ハルとは畑

 大地・いのち・見守るひとみ そんな感じの人生を生きてゆくよ。

 よろしくね。 love



2004年07月14日(水)  はいさい。

喜納昌吉が参議院議員になっちゃったよ・・・。
これからどんな面白いことをしてくれるんでしょう。

掲示板復活させました。
別に選挙対策で閉じていたわけではなく(笑)
手入れできないんだろうなあと思って閉めていた。

今年は激動の年で、2月からずっと関東・沖縄・大阪・旅生活。
最近では、二日つづけて自分ちのベッドで眠れる日なんてない。
愛する人の胸に抱かれてとろとろと眠りたいなんて夢のまた夢。

いろいろと考えることもあるんだよね。
お返事できんくて、心苦しくて、プレッシャーになっちゃったりね。

のんびりやるんで、よろしくです。

今回の祭りでいろんな人に会いました。
みんなステキな人です。目キラキラさんばかり。
私も、目キラキラでいたいと思いまーす。


11日の昼に沖縄入りし、翌朝まで開票を見守り、
当確がでたあとは朝まで飲みました。軽くね。

翌日はこの間の写真の整理に明け暮れて、13日の朝方までかかって終わらせると、始発便で家に帰りました。

なんだかバタバタと過ごした沖縄でした。
沖縄そばも食べれなかったなぁ
海にもつかるどころか、さわれなかった。(泣)


今日は、母の三七日で仏壇が実家にやってきた。

選挙公示の夜、明けて二五日の深夜に母が亡くなったのでした。
ここ数ヶ月、末期ガンの母の看病のために家族で病院にこもっていた。
「喜納さんの応援にいってくるね」と声をかけて、私は東京に向かったの。
それが、最期。

母は喜納さんの大ファンなのだ。
私が喜納さんを最大限に応援するために、その日を選んで旅だったのだなあとしみじみ感じた。

始発で帰ろうと思ったけれど思い直した。
喜納さんに報告してから大阪に戻ることにした。

喜納さんの顔を見ただけで涙があふれてきた。
訃報を聞いたときには流れなかった涙が、
喜納さんに報告をしている間中とめどなくあふれ出てきた。
選挙活動二日目を沖縄で過ごす喜納さんを見送って、私も母の元へ向かった。

すばらしいお葬式だった。
「すべての人の心に花を」で見送った。
たくさんの人が、私の知らない母の話を聞かせてくれて、泣いてくれた。

無事に葬式を終えた翌6月27日、私は神戸での遊説から喜納本隊に合流した。
それが母の遺志だと、家族はみんな思ったのだ。
使うことなく逝ってしまった母の選挙ハガキをお守りにもらって私は家を出て、
私がいない間の息子の世話を父と姉がしてくれていた。


名古屋japonという仲間たちのお店で、喜納昌吉の名曲「森の人よ」を踊る機会に恵まれた。
喜納昌吉のスタッフだった時代エイサー隊の一員だったが、
98年の白船を最後に私は文章で喜納昌吉の祭りに参加することに決めてエイサーをやめた。

エイサーはもともと慰霊の踊りでもあるし、喜納昌吉やスタッフにとって神聖な踊りだ。
遊びでは絶対に踊れない。
エイサー隊のひとりが名古屋の仲間たちに教えているところで一緒に踊らせてもらったのだ。

約6年ぶりに踊った「森の人よ」。身体はそれを覚えていた。
私は、母のために踊った。
天と大地に祈りを捧げる和合の踊りを舞いながら、目をつぶって母を想った。


母のことがなければ、これほどまでにどっぷりとこの祭りに参加することはなかったかもしれない。
たくさんの人にあって、たくさんのことを学んだ。
それもすべて母が導いてくれたことなのかもしれない。
そう思うと、すべての出会いを普段以上に大切に感じることができた。
出会ったすべての人に、ありがとう。

喜納さんは参議院議員になったけれど、私は小説家の卵のまま。
はやく殻を割り、翼を広げて大空を飛ぼう。

前を向いて、自分の信じた道を歩いていこう。
仲間とともに。自分のこころとともに。

ありがとうございます



2004年07月05日(月)  みかけたら、声をかけてくれぃ

まいにち いろんな街に行っています。

喜納昌吉の選挙の応援で、祭りをやっているの。

今は渋谷にいて、今日はこれから京都に移動です。
日記も書けてなくってね、滞っておるね。

メールマガジンを発行しているので、喜納昌吉ファンじゃないあなたも
どうぞ購読して、私がやっている世界をのぞいてみてくださいまし

ライブレポートやつれづれの想いを書きつづっておりまする。


喜納昌吉のライブで、たのしそうに踊っている小さい女
それが私です。
どこかの街で見かけたならば、どーぞ声をかけてくださいな。

喜納昌吉も難波章浩(ex ハイスタンダード)もすごいミュージシャンだ
彼らに負けないように、私も表現者として、しっかり自分の足で立とうと思う。



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