こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2003年10月31日(金)  エレファントカシマシ ツアーファイナル渋公

新幹線混んでるよー。てな感じで東京へ。

エレファントカシマシ オレの道ツアー ファイナルの渋谷公会堂のライブに参戦。
これはレポではなくて日記。つうか、雑文。
気合を入れてちゃんと書くのは、家に帰ってからにする。ね
つらつらと書いておく。

東京でもいろんな会場でいろんなアーティストを見たけれど
渋公ははじめて。
渋公の前に着いたとき、すごくどきどきしてる自分をかわいいと思った。

「生命賛歌」からスタート。
ああ、ツアーも終わるのだなあと思いながら、聞き惚れる。
「俺の道」 
オレは燃え上がる日を創ってゆく 俺の道を

ほんとの歌詞「待っている」を「創ってゆく」と歌ったところに
そうだ!そうだ! ミヤジ!と興奮。
この曲は語り出したら終わらないくらいに好きだ。
何度でも何度でも聞きたい。ライブを見たい

本編ラストの曲が「心の生贄」アルバムの12曲目のシークレットトラックで
このツアーでは一度もやらなかった曲。

アンコール 「この世は最高」まさに痛快! ですな。
ガツーンとやって、たった一曲ですたすたと去ってゆく。
その去り方も痛快で、心地よくて笑ってしまった。 

アンコール2

 「いろんな曲をやると思っていたお友達もいると思うんだけれど
  これは、「俺の道」ツアーなんで・・・。」

 と宮本せんせ。お友達って・・・(笑)

 「星の砂」 ドラムの音が全身を震わせて胸を貫いてゆく。
 「武蔵野」 祈りとか、愛とか、瞑想に深く入ったときとか、すばらしいものを体感したときとか、
 そういうものを感じるとき、胸から強烈な光が放射される感覚を味わうことがある。
 この武蔵野もそうだった。
 ただただ白く輝く光が胸から起こって、身体を満たした。
 
 「どこへ」この曲が始まると、「やだ」とつぶやいてしまう
 だって、必ず最後なんだもの。

 ツアーは終わった。
 
 「俺の道」なんてすげータイトルをつけちゃったアルバムの次には
 どんなアルバムを聴かせてくれるんだろうか。
 どんなライブを見せてくれるんだろうか。
 今から楽しみで仕方がない。

 
 ライブ後、ファンサイト「赤い薔薇」のオフに賛歌、じゃなく参加。
 http://village.infoweb.ne.jp/~tetsu/akaibara/
 エレカシ談義に花を咲かせた。
 なぜエレカシの服装はダサいのか、宮本のズボンの丈の短さについて熱く語る(笑)
 いや、そんな話だけやないけれど・・・。
 楽しかった。また東京にライブを見にこれるならば、ぜひオフも参加したい。
 かえってすぐに掲示板に書き込もうとしたけれど、なぜか書き込めずで、失礼をしちゃってる。
 はやく遊びに行きます。

 渋公 エレファントカシマシについては、書き直すぜ。必ず。 




2003年10月29日(水)  棟方志功 と 俺の道

「朝7時にロビー集合です!」

うげっ と思いつつ、7時には「お仕事モード」の顔でロビーに下りる。
今回は営業さん相手のちょっとしたインストラクターのようなお仕事。
あさっぱらから15名ほどにプロジェクター使って会議室で講習をする。
数千人から小人数までを相手に、しゃべる仕事もやってきたので
いざとなるとでっかい声も人前も平気なんだけれど、始まる前は緊張する。
だからね、昨夜はちゃんと浅い酒にしておいたよ。

2件のお仕事を終えて、なんと10時には終了。
現場が倉敷だったので、大原美術館の前で車から下ろしてもらう。

分館で、棟方志功展をやってるじゃないかー!!!! 大興奮
前から見たいみたいと思いつつも、実現しなかった私のちっちゃな夢のひとつ。

庭がきれい! いい天気でお庭でぽけーっと長い時間を過ごす。
本館や工芸館をゆっくり見ながら、ラストの分館までボルテージを高めていった。

本館には「受胎告知」やモネの「睡蓮」などがある

本館入り口の「和服を着たベルギーの少女」児島虎次郎の作品。
鮮やかな和服に身を包んだ少女のひとみと目の周りを彩る朱に、なぜかこころ惹かれる。

一階から二階へ上りぐるりとわまって、じっくり作品を見て回る。
と、外に出てきてしまった あれ???
「受胎告知」みてないぞ???
もう一度入ってみると、本館の2階にありました(笑)

2階の私が見忘れた部屋は、いわゆるメインなのでしょう。
有名画家の絵がたくさんあった。
でもあまりぴんとこなかった。

ただ、気になったのがレオン・フレデリックの
「万有は死に帰す されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
7枚の連作で 左3枚が死の世界 右3枚がよみがえりの世界
真中1枚が審判を待つ世界という感じなんかな?

キリスト教的宗教世界観を描いているものだろうけれど、
たくさんの不思議をかんじた。

血を垂れ流したり、内蔵が出ていたり、肉体の描写は細かくてむごたらしいのに
折り重なるように絶命する人々の顔がすごくやすらか。

一方、虹の光に包まれて降臨する神の愛によって
よみがえったであろう人々の顔には、歓喜が見られない。
光に包まれたキリスト?や両手を掲げて光を受け取る人々、
天国のような輝きの中にある人々の顔は、うつろそのもの。

不思議だ。
苦しんでいる死者はいない。
けれど、魂の抜けた生者が天国で神をたたえている。

一見、キリスト教思想賛歌に見える絵だが、
実は批判なのだろうか・・・
うーむ。気になる。

天国も地獄もない 
あるのは 今
今をどう生きてゆくか 
それだけが生の課題だ

受胎告知は、きれいだけれどガツンとこない。

江戸時代の米蔵を改造して作られた民芸館に入る。
カツカツカツと歩きながら、バーナード・リーチや浜田の陶芸作品を見る。

ん?  カツカツ?

そう、ここの床が面白いのだ。
線路の枕木をブロック状に切断して組み込んでいるのだけれど
その組み方が部屋によって違う。
そういう設計のこだわりもまた、素敵だ。

奥には、竜門石窟の仏、弥勒像、堂山石窟の菩薩・・・
などなど、各地から集められた仏像が並んでいた。

でも、ある種の悲しみと冷たさが漂っている。

絵や陶芸とは違って、仏像が売買される背景には侵略がある。
(もちろん絵も陶芸も美術品も侵略され売買されることもある)

大英博物館なんて、世界中の先住民や犯された国々からの盗品の宝庫だ。

本来は、その地に納まりその地域を見守っていたはずの
仏教美術品が侵攻や戦争によって盗み出されて、売買される。

切ない。


自分的メインの棟方展についてはまたじっくりと!

棟方作品を見ている間中、エレファントカシマシの俺の道が
私の心の中で流れつづけていた。

棟方の、その生き様にまたしてもすごいパワーをもらいました。

帰りの電車の中で、小高い丘に沈んでいく夕日を眺めながら、
10年ほど前に、出雲で見た夕日を思い出した。
喜納昌吉の出雲大社でのライブのときだったなあ。



2003年10月28日(火)  やれることを、やりたいときに、やりつづけよう

岡山出張。
バイトだけれどお泊まり出張。

無事にバイトを終えて、岡山駅で片山基史さんに会う。
2000年に知り合ったこの方は、やっぱ熱い人。
私の仲間はみんなそうやけれどね。

久々に彼のサイトを見ようと検索かけたらこんなことをやっていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/terrorism2002/07ha35.htmlニュースにでてた。
毎年、日本はもちろんだけれど海外に飛んでピースムーブメントをやりつづけてる。

このサイトをはじめるひとつのきっかけも片山さんとの出会いなのだよ。

せっかくの岡山なのになぜか焼き鳥屋で飲んで岡山名物のひとつも食べぬまま(笑)
熱く語りつづけたのでした。

平和とか環境とか。いろいろ考えて動いてる人は多いけれど
みんな組織とかのちっちゃな枠にはまってて、やんなっちゃうんだよね。

10年弱、さまざまな団体の活動をまのあたりにしてきた私は、
平和運動とか環境運動とかの組織って大嫌い。
偽善者の多い、くだらない世界もあるし。
もちろん、がんばってる人もいるけれどね、
でも私は、違う道を歩こうと思う。

そういうのを突き抜けて個人でやれることをやりながらも、
ひとりで立って歩きつづけようとしている人同士が
ネットワークを組んでくことが大事。

そういう仲間がどんどん増えていったら、もっともっとスピードは上がる。
私ひとりでやっているようでも、岡山にはこういう片山さんのような人がいるし、
あっちこっちにそういう風に足元のできることをやりつづけている人がいる。

やれることを、やりたいときに、やりつづけようと、再確認できた。



2003年10月23日(木)  かなしいお知らせです。

なにがかなしいかというと・・・。

pcクラッシュです。
緊急事態発生です。はい。

もしやするとまたしても、ハードディスクがいかれているのかも。

いま私は、ネットカフェから書き込んでおります。

ふー。パソコン立ち上がりません。

復旧の目処が立ちませぬ。

フト気づけばまた10月。
毎年10月に、私のコンピューターは壊れてくれます。
去年もマックが10月にご臨終しました。
その前も、その前も・・・・・。


仕込んでいた新ネタも、もしかしたらすべて書き直しかもしれません。

ダレカ私を助けておくれ。

もちろんメールも見れませんので、
もしかしたら不義理をしてしまっている人が、何名かいるかもしれません。

ごめんなさい。

復旧次第、ご連絡します。

連絡はうちのサイトのインデックスにあるメールアドレスにくださいな。



2003年10月17日(金)  こころとからだはひとつです。

最近、私の周りでガンが流行っている。

大腸がん。十二指腸がん。乳がん。肝臓がん。

入院中、自宅療養中、退院したばかり・・・。

もおやめてよね。自分で自分の命をいじめるのは。

そんな流行に乗ってんじゃないよ。ばか。


こころとからだはひとつです。
あたりまえのことやけれど

こころを無理して動かしつづけたら
こころもからだも病気になるんはあたりまえ。

たのむから。やめて。
病気になってから、私のことを思い出さないで。
病気になる前に、あそびにきてよ。

いってあげるよ、いくらでも。
自分でいえないなら、あなたにかわって。

「そんな仕事 やめちゃえ!」

「そんな環境 はなれちゃいな!」って。


なってからでも、思い出してくれたらそれはうれしいけどさ。
いつでも、ようこそ!ってな感じだけれどね。

幸せに生きるために仕事するんやから、
仕事で身体を壊さないでよ。

幸せに生きるために日々の生活があるんだから、
精神を磨耗するくらいならば、その日常をかえちゃいな。

かまわんよ。
ひとりくらいドロップアウトしたってさ、
このどうしようもない、ニッポン社会のバカさ加減はかわらんよ。

まじで頼んます。
みんな、ハッピーに日々を過ごしてください。

それが、私もうれしいことよ。



きょうのうた。。。
YO−KING / HEY! みんな元気かい?



2003年10月16日(木)  ユニバーサルデザインとバリアフリー


オフィスフェアという、事務用品の新作発表展示会に行ってきた。
文具好きにはたまらない。全ブースヨダレが出そうな感じ(笑)

ペン、ファイル、修正シール・・・
やまほどのサンプルをもらって、うきゃうきゃと帰ってきた。

数十社が出展していて、各社エコロジー対応商品を山ほど展示していた。
リサイクルはもちろん、ダイオキシン対策、有毒な薬剤を無毒なものに切替えたりと
お役所への体面での開発であっても、うれしくなる。
うん、そうだね、単純にうれしくなった。

すごいなぁと感心したのは、コクヨ。
ユニバーサルデザイン商品をたくさん開発しているのだ。

ユニバーサルデザインというのは、どんな人にとっても使いやすいもののことという。(めちゃ簡単な説明やなあ)

たとえば、ハサミって普通右利きの人が使いやすいようにできてるの。
右利きの人は、別に何も考えずに普通に使っているはずでも、
左利きの人にとっては、ちょっと使いにくいのね。
私も左利きなのよ。もう30年近く生きていると右利き社会にすっかり慣れたんですが、
この社会全体が、いわゆる社会が認めた「普通」の人にとって暮らしよいものに出来てるんだわ。

たとえば、歩道の段差ひとつとってみてもですね、大変なのよ。
普通に歩いていても気づかないけれど
ケガをして松葉杖をついたり車椅子に乗ったり、ベビーカーを押してみると、
ほんの小さな段差が、どれほどの障害になっているかということにはじめて気づくのね。

そういう障害をなくそうと、バリアフリーが提唱されてずいぶん経つけれど、
まだまだバリアフリーにもなっていない。

ユニバーサルデザインはよくバリアフリーと混同されがちだけど、
バリアフリーとユニバーサルデザインは考え方の根本が違う。

身障者や老人にとってのバリア(障害)をなくすための配慮がバリアフリーであるのに対して、ユニバーサルデザインは障害の有無にかかわらず、すべての人が心地よく簡単につかえる、心地よく生活が出来る環境を作ろうという考え方から生まれたもの。

コクヨは、ハサミ、カッター、ノート、ファイルからはじまってさまざまなユニバーサル文具を創りだしている。
片手で開け閉めできるファイルなんかは、感動的だった。

身障者と健常者が幸せに快適に暮らせる
バリアフリーの町というのはもちろん理想なんだけれど
それから一歩進んで、人とその他に生命が互いに快適に暮らせるような
そんなユニバーサル社会がほしいよ。

今は、人が一方的に地球を侵食しているからさ。

そして、人もそんな社会にこころを侵食されてるっしょ。
おっかしいよね(笑) 人間って。

社会まるごとのユニバーサルデザイン化を進めていきたい。


私にできるのは、あなたがハッピーに暮らすための
気楽に生きるこころのを持ち方を提案するくらいですけれどね。

こころが穏やかだったら、すべての人にも地球にもやさしくなれる。

やさしさも ユニバーサルデザインだよね。



2003年10月14日(火)  引きこもりの帰宅拒否。

私は、すごくすごくいろんなことを頭で考える。
出かける日は、あたまのなかで段取りのリハーサルをして
それから順番に準備をしてやっとこさ出掛けるわけよ。

でも、考えてるうちに外出がいやになってくるの(笑)
あかんやん。

好きなことは直感で、バーってやれるんだけれど
ちょっと社会と接することってのは、苦手で。

バイトならばさ、金で時間を売ってるわけだから
割り切って考えるんだよ。
すげーストレス抱えながらも、ニコニコ笑顔で営業や販売もできるわけだ。

でもそうじゃない日常のちいさな社会との接触が苦手。

たとえば、役所での手続き。まあ好きな人はいないでしょう

コンビニ、スーパーでの買い物。ファミレス、ファーストフード店。
レジで、あの機械のようなマニュアル人と接するのが嫌。

店に行って「〜でよろしかったでしょうかー?」とか聞かれると
ぞぞー ぞぞぞー っとする。

「おめぇ、その日本語、まちがってるぞー。なんで過去形で疑問やねん」
といいたいけれど言わない。

郵便局に行く、郵送する。
ただそれだけが、ずっとできなかった。

行けない間、ずっとずっと心に引っかかってんのよ。
「はよ、いかな。はよ、いかな。
 あかんやん、そんなに社会不適合者じゃあ、あかんやん・・・」

でも、雨降ってても、いきました。
気合入れてシャワー浴びて。

傘さして歩きはじめると、はやく家に帰りたくて仕方がない(笑)
てくてく歩いて、郵便局につく。

郵便を出して郵便局を出ると、
すごくほっとして岐路につく。

なんだ? このすがすがしさは(笑)
家に一歩近づくたびに、私機嫌よくなってる。

マンションの入り口が見えると、もうご機嫌さん。
こういうのを、プチ引きこもりというのでしょうか。

家にいると外に出たくなくなり、
仕事などで外に出ると、家に帰りたくなくなる。
それも、私。

おほほ。いいのよ、それでも生きてるからさ。


というわけで、世田谷区三宿の「蓮月」というステキなお店に
HeartbeatsFreebirdのポストカードが並ぶことになりました。

「蓮月」の内装はすべてスタッフがこだわって作ったもので、
各テーブルごとに違う雰囲気をかもし出しているんで
何度行っても楽しめるはずよ。
もちろん料理も美味しいですぅ。

ちなみに「蓮月」のドアは、我が友由紀ちゃん自作のステキなドアです。

東京の人はぜひどうぞ!

「蓮月」
電話番号: 03-5779-6755
住所: 東京都世田谷区三宿1-8-10
アクセス: 【電車】東急田園都市線池尻大橋駅より徒歩10分
定休・営業時間: 無休 PM7:00〜翌AM5:00(フード翌AM4:00LO)



2003年10月13日(月)  魂を揺さぶるアーティストとの出会いは素晴らしい。


昨日のつづき。



 エレファントカシマシのライブ写真を撮りたい。

 白ライトとスモークの中に浮かび上がる宮本浩次のシルエット。

「俺の道」を歌う宮本のその姿を見たときに、そう思った。


  ライブ空間を包み込むエレファントカシマシと観客の生み出すすさまじいエネルギーを

  カメラという武器を使って、永遠という時の瞬間の中に切り取りたい。


  モノクロもカラーも

  LIVEを撮りたい。



写真も好きやし、ライブもすきやけれど、
別に、好きなバンド全部の写真を撮りたいとは思わない。

こんな風に思えるアーティストは喜納昌吉以来だ。

腕を研磨しつづけて、こころも研ぎ澄ましつづけて、
エレファントカシマシに負けないすごいアーティストになる。

そして、いつか必ず実現させよう。
エレファントカシマシのLIVE写真を撮るという夢を。


スピッツは、もっと文字を
エレファントカシマシは、もっと写真を
フラワーカンパニーズは、もっとありのままで自由に飛ぼうと
YO−KINGは、もっと自由な愛を
喜納昌吉は、トータルに生きることに挑戦しつづけようと

そういう風に思わせてくれる。


エレファントカシマシと再会した私は、幸せものだ。
きっと、このタイミングじゃなければダメだったんだろう。
もっとはやくても、おそくても、ここまでガツンと入れなかった。

すべては、準備されているんだ、きっと。


魂を揺さぶってくれるアーティストとの出会いは素晴らしい。

向上しあえる関係。刺激しあえる関係。

私も、誰かのそういう存在になろう。
そういう仲間といっぱい出会っていこう。


きょうのうた。。。

エレファントカシマシ / ふわふわ 



2003年10月12日(日)  エレファントカシマシ大阪ライブ&アートマーケット

寝坊した。

信じられんが、到着すべき時間に目が覚めた・・・。

大遅刻で芦屋美術館に到着したら、全部キレイに並べてくれていた。
ありがとうございます。
高倉姫さま。あなたを悪く言うなかどんには天誅です。

二日目のアートマーケットは、天気がすぐれずに人もまばら。
でも、みなさん写真を楽しそうに見てくれた。

睡蓮の写真と「奇跡の木」「すべての精子に捧ぐ」のパネルを飾っておいた。
睡蓮の写真というのは、「聖 域」に使っているあれです。

実は「睡 蓮」のポスカというのがある。
創った自分もすごく気に入ってて、いちおう飾ってはいるものの、
値段をつけられないので非売品というシロモノ。
非売品ですといわれると欲しくなるらしく、
いままで、最高で5000円の値がついたいわくつき作品だ。

今回も、ほとんどの人が「コレください」といってくださって・・・。
そのたびに申し訳ない思いをした。

値段をちょっと高くして、それでも買ってくれる人にだけ売ろうか?
ポスカじゃなくて、違う形で販売しようか・・・。
いま、すごく悩んでいる。

のんびり、いろんなことをかんがえていこう。

あ、湊町のリバープレイスアートイベントは残念ながら落ちました。
大阪市の思うアートとはなんぞやと確かめるために、当日遊びに行きますぜ。

大遅刻の上に早退という、お前は不良中学生か!ってな感じで
アートフリーマーケットは3時半に撤収して、大阪に戻った。
ほんとにありがとう。ガラスの森さん、暢気堂さん。


あわてふためきBIGSTEPへ。
待ちに待ってたエレファントカシマシのライブだよ

チケットを持ってなかったので「譲ってください!」メッセージボードを掲げ
余っている人を探して歩いた。
30分くらいで、譲ってくれる人が見つかった。
ほんとにうれしかった。よかったー

その後、まだチケットを捜している男の人にそのボードをゆずり、会場へ。
ライブ後、その男の人も無事入れてたこともわかって、すごくうれしかった。
このサイトのミニチラシも配った。
それをみて、ここにいらしたかた! ありがとう&はじめまして!


「俺の道」ではじまった、エレファントカシマシの大阪ライブ。
バックから強い光に照らされるフロントメンバー。

 神戸では、スモークとブルーライトに浮かぶ宮本浩次のシルエットに、
 宇宙の鼓動の中に、漂うのではなくはっきりと意思を持ち立ちつづける男を見た。

 大阪では、生きザマのすべてが芸術でありつづける男がそこにいた。


最初はおとなしく一番後ろで見ていたものの、
何の曲だろう? なんかいきなり魂がスパークしてしまって
たまらなくなって前に前にずんずん進んでった。

前に見にゆくとドラムの抜けが悪く
しめった太鼓のようにぼつぼついってる感じがして
そのことばかりが気になってしまった。
やだなぁ。
前回の神戸は気にならなかったのだけれど、叩き方うんぬんではなく
音響の問題だから仕方がないのか?とドラムは聞かないことにした。


間近で見た宮本は、エネルギーのかたまりだった。

一挙手一投足 そのすべてが芸術。

彼は芸術を生み出す芸術家なのではない。

「宮本浩次」という高貴で美しく愚かで脆いひとつの作品なのだ。
それを創りだしたのは類まれなるアーティスト宮本浩次その人なのだが。

葛藤しつづけることだなと なによりも強く感じさせられた。


「俺の道」というアルバムはすごい。
ツアーで毎回全曲やってしまうエレカシもすごくおもしろいけれど
そんなのはあたりまえだと思えるすごいアルバムだ。

曲順なんてぶっ飛んでしまったけれど、全曲素晴らしかった。

「覚醒」
 神戸でのゆったりとした歌い方が、めちゃくちゃかっこよく
 はまりきっていたので、少し物足りなかったけれど、それでもすばらしい。


アンコール: ガストロンジャー ふわふわ ファイティングマン どこへ?

ガストロンジャーが私はたまらなく好きだ。
神戸のアンコールでしびれきってしまい「good morning」を即購入。
あのアルバムはその一曲でいいやってな感じで。


「ガストロンジャー」
  だから胸を張ってそう だから胸を張ってそうさ だから胸を張ってさ そう
  化けの皮をはがしに行こうぜ 勝ちに行こうぜ 

  破壊されんだよ 駄目なものはいずれ

  死ぬときがこの毎日ときっとおさらばって言うことなんだから
  それまで出来うる限り そう出来うる限り己自身の道を歩むべく
  反抗を続けてみようじゃないか 
 
  胸を張ってさ そう 




 アンコールはおとなしく見ようと思っていたので
 本編が終った後、後ろに戻った。

 でも「ガスト」がはじまったとたん、またしても前にいってしまう。

 仕方ないさ。  ガストですもの。


 宮本がギター石くんにむかって、口を動かした。
 同じく石くんがドラムのトミにむかって。

 「ふわふわ」



 「どこへ?」

 ラストをしめるこの曲。
 葛藤しつづけた宮本浩次のそのものに聴こえてくる。
 胸を締めつけられる。


  川が流れている人工の川だ
  俺はこの川を・・・
  上流へどこまでもたどって歩いた
  ありとあらゆるゴミ溜めの悪臭放つこの川  


 音楽業界という下品なヘドロにまみれた世界を上流へと遡り

 それでも すべてを手放し 自分自身と向き合いつづけ

「 俺に帰ろう 再生だ 」 といえる強さを 真っ白さをひたむきさを

 自分のこころに真っ直ぐな不器用さを

 エレファントカシマシの真のアートスピリットを愛さずにはいられない


 12年ぶりの衝撃ライブの神戸チキンジョージとは、またちがったインパクト。

 きっときっと、見るたびにいろんな意味の衝撃を与えつづけてくれるんだろう。

 エレカシがあれば、ほかのライブはいらない。

 といいつつ、今週末はYO−KING


「宮本先生だ!」

 外に出てイスで休んでると「呪恩2」映画館のポスターが目に入った。
「いや、宮本さんのが、もっと強烈」
 連れの太一丸@おにぎり命・鶏二番からそんなツッコミがはいった。

 たしかに。



13日の日記へと続け! 続け! 書ききれないさ、一日じゃ!


きょうのうた。。。

エレファントカシマシ  「 俺の道 」

 このサイトが好きな人で、エレファントカシマシを聞いたことのない人は
 このアルバムを買ったほうがいい。絶対に。



2003年10月11日(土)  しらふでも辛口、毒舌、社会派そんなです

芦屋市立美術博物館で開催されたアートフリーマーケットに
「ガラスの森」あさのさんのご好意により出展させていただいた。

仕事をしていた時は、人の作品を紹介したり販売する活動をしてたので
っていうか、マスコミや広報担当だったんで
営業的なことは慣れているといえば、慣れているんだけれど。
独立してから、自分の作品を自分で販売するのは
ほんとにはじめてなので、すごくドキドキした。

当日は一番遅くに到着したにもかかわらず
暢気堂チームの大きなテーブルのまえに出させてもらって
つまり一番いい場所に、お店を広げたわけです。

暢気堂はパワーストーンブレス、アクセサリー、携帯ストラップ、カバンなどを。
ガラスの森は、オリジナルのガラスと彫金のジュエリーを。
海斗工房の曽我部さんは、七色に輝く陶器のアクセサリーを出展していた。

私は、ポストカードと、2000年に書いた喜納の本「流れるままに」と、
2004年のHeartbeatsFreebirdDIARYを出展しましたです。

自分の作品を、人に見てもらうというのは
いつまでたってもドキドキするものです。

「四つ葉のクローバー」がお嫁に行ったのがうれしかった。
写真はある程度、嫁入りするだろうと思っていたんだけれど
イラストと文字の組み合わせがね、実はどうだろうかと思ってたの。
へなちょこな絵だしね。

気に入ってくれたから、お金を払って買ってくれるわけだよね。
すごく、うれしかった。
買ってくれた人とお話をしたりして、とても楽しかったです。

私の作品を買ってくださった皆さん。
本当にありがとうございます。

また、これからもどんどんこういうことをやっていこう。


終了後、阪急東通りに飲みに行った。
あさのさんや曽我部さんや暢気チームでの1ラウンド。
生涯者の中島史朗くんと絵描きの太一も合流して2ラウンド。

史朗くんとの出会いは、3年ほど前。
脱・ちょうのうりょくしゃの清田益章くん(スプーン曲げで一世を風靡したキヨタ少年)と
史朗くんが一緒に沖縄に来たときに知り合った。

清田くんや史朗くんや絵文字屋の藍くんやたくさんの人と一緒に
冒険家でベストセラー作家の高橋歩のやっている
ビーチロックハウスに一緒に泊まって朝まで飲んだ。
私のまわりはあやしいひとばかり(笑)。

高橋歩は、いま宮古島の離島で自分の夢を実現すべく
島プロジェクトを展開中。
ほんとにすてきな夢。私も協力しようと思っている。

史朗くんは脳性マヒで身体が不自由なんだけれど、こころはとっても自由な人。
障害者プロレスをやったり、福祉の講演をやったり、すごくアクティブで
私が沖縄に住んでいた頃も、なんども沖縄にやってきたし、東京でもあった。
徳島を拠点にあっちこっち飛び回っている。
今回も、大学での学会のプロデュースをするために大阪入りしたという。
清田君が史朗くんとの関係や社会の見方について書いている名文がこちら。
〜"ちょうのうりょくしゃ"と生涯者〜

飲み会はね、ひさびさに飲みすぎちゃったくらい楽しかった。
曽我部さんに「酒癖悪いよ」「酒入ったら言うねぇ」といわせたほど(笑)
ぱっと見はおとなしく見えるので、ほんとの私を見てそう思ったのでしょう。
しらふでも辛口、毒舌、社会派そんなです(笑)。



2003年10月10日(金) かわらないということは かわりつづけること。

うちのサイト ひそかにコンテンツが増えてたり
ちょこちょことページが増えている。

気づいた?

「流那魂」やりますといって、ずいぶん日が経ってしまった。

「言うだけ番長・春名尚子」なので、そうならないためにも
アップしたいと思っている項目をちょこりちょこりと
タイトルだけ書き出してみた。

書きたいことは山ほどあるし、
すごい分量が文字データーになっているので
あとはレイアウトしてのせるだけなんだよ。


「流那魂」地味にはじめてみた。

 撮りためてきた写真を、ダンボールの中にうずもれさせていた写真たちを
ちゃんと表に出してゆきます。
 第一弾は、インドや沖縄のものをアップしました。
 あとは、依頼されて数曲創ったものの、アーティストさん側の都合で
 日の目を見なかった歌詞も。

「聖 域」では、喜納昌吉との出会いや沖縄でのアクション、
 世界を旅したときに出会ったネイティブの人々の叡智や感じたこと、
 私の歩みの中から生まれてきたさまざまなものを書いていきます。

 今回のアップは
 「喜納昌吉と沖縄との出会い」:「インド旅行記」喜納昌吉、ボ・ガンボスどんと、ZELDAメンバーといったインドツアー。


「よぶ声に耳を」も、大更新。 見やすくなったかな?  
 あたらしいのもたくさんアップしました。

「ポストカード」は、作品のサイドストーリーやイメージストーリーを掲載。

「日常音霊風景」私が日常をともに過ごしている音楽についてのお話をしていこうと思っています。


 ふー。すごい文字量になってゆきますなぁ。
 全部読んだ事のある人はすごいと思う。

 いま、ひとつやりたいことがあってその準備も進行中。
 オモシロイコトはぜんぶやってゆこう。

 これからもどんどん増えるから。
 気に入ったページを、のんびりとのぞいてみてくださいまし!


 今回アップしたものの中には、10数年前に書いたものや、
 撮った写真もたくさんある。

 自分がいかにかわっていないかがわかっておもしろい。

 もちろん 技術や精神面では成長していると思うけれど
 本質的なところは何にも変わっていない。


 かわらないということは かわりつづけること。

 「変わらないね」「あいかわらずだね」

 って、会う人にいい意味で言われつづけるように

 永遠にかわりつづけて、上昇しつづけよう。

 



2003年10月09日(木)  シンプルに まっすぐに やりつづけまひょ。


ひさびさに篠田節子さんの小説を読む。
ほんとに、この人の才能たるや・・・。
言葉にならない。

このような人がいる日本で、私が日本語で小説を書く意味が
果たしてあるのだろうかと、考えさせられる。
でも、書きたいのだから、いいのだ! と開き直る。

篠田節子 読んでみて すげーぇ から。


私もこの秋、短編に挑戦してみよう。



以前、お会いした写真家志望の方からメールをもらった。
うちのサイトを見て、言葉が心に染みたと、
元気をもらったといってくださってほんとにうれしかった。

このサイトを見て、そういうメールをくれる人が
ぽつりぽつりといらっしゃる。
うれしいです。ほんとに。
励みになります。

生き返る っていってくださった方もいて。

うれしいです。ほんとに。
でも、ありがとう。て、言葉しか出なくて。

ありがとうって何度も言うのもあれなんで、
もっともっとHPを充実させていこうと思う。

ことばとか、直感とかは、ある意味もらったものなので
表に出さないでひとり占めしちゃうのは、
すごーく良くないことなんだよね。

私にできるのは、やっぱそれなんで。

どんどん、吐きつづけます。

たっぷりと吸い込んだステキなものを
春名尚子というフィルターに通してね。

尖ったこころにはまんまるいような、
冷えたこころにはほわってしたような、
怠惰なこころにはグサリ、ザクリといくような、
そんな感じのものを。

シンプルに まっすぐに やりつづけまひょ。



2003年10月08日(水)  衝撃事実の真相 もっと衝撃だった!


というわけで調べてみた。
昨日の衝撃事実、エレファントカシマシのライブを見に行ったか否か。

見にいったみたい・・・。

エレファントカシマシのファンサイト赤い薔薇さんのhttp://village.infoweb.ne.jp/~tetsu/akaibara/Historyにのってるライブスケジュールを見たらハッキリした。

私がはじめてエレファントカシマシを見たのは、
1991年3月27日 大阪バナナホールでのライブ。

自分で行こうとチケットを買ったのが、9月18日の同じくバナナでのライブらしい。

翌92年の4月に「エレファントカシマシ5」が発売になってて
私がそのアルバムを買ってよく聞いていたことも時期的にあってる。

なぜ、その後ライブに行かなかったかと考えてみた。

エレカシがライブハウスではなくホールでのライブ展開に移ってしまったのと、
私が文章を書きはじめた頃が重なってる。
やりたいことが固まったので、時給の激烈に安いライブハウスでのバイトをやめて、
他のバイトをはじめたんだ。

その年8月には沖縄に行って、
喜納昌吉との衝撃の出会いをしてしまったので
スピッツ以外のライブは、見にいかなくなってた。

なるほどね。なんとなく、納得。

さてさて、10月11日は待望のエレファントカシマシさんの大阪ライブですが
まだチケットありません。だれか、譲ってください。

当日、現場で血眼になって探すしかなさそうです。

まあ、見れなかったとしても、それはそれで(諦めじゃなくって)
そういうもんだと思える人だからいいんですけどね。

このサイトのチラシも配りに行くんで、
エレカシファンでここに遊びにいらしてくださっているあなた!
お気軽に声かけてください。
怖くないから、だいじょぶよ(笑)

土、日は芦屋私立美術博物館 http://www.ashiya-web.or.jp/museum にてアートフリーマーケットに出展します。
メインはポストカードになりますが、「2004年DIARY」新作!(つうか製作中)
などの小物や写真や詩もだすことにしまする。
あと2000年に書いた「喜納昌吉 流れるままに」という本も販売しまっす。

ひやかしがてら、のぞきに来てくださいマシ。
ご一緒させていただく暢気堂チームのみなさんも
すごくステキな人ばっかりなんでね。

今日は、ひとつポストカード新作完成しました。
なんかね、きれいなやつよ。
あんまり綺麗だからね、私の作品じゃないみたい。
5枚くらいできたらポストカードページにアップします。



毎日、やりたいことばっかで、でもなかなか進まなくって
自分のどんくささにいらいらしてばっかりです。

でも、仕方ないか・・・。
これがほんとの私の実力かぁ。
と、あせって自分をいじめるのをやめようと思った。
思っても、すぐいじめちゃうけれど。マゾみたい。

のんびり、ゆっくり、
でも、だらけないで
自分の一歩一歩進む足を信じて、
前に進んでいこうとおもう。

そうすれば、きっと。
あわてて走るよりも
もっともっとステキなこと
たくさん起こせそうな気がするから。


きょうのうた。。。。

エレファントカシマシ / 勉強オレ

 魅惑的かつ文学的 されど観察 距離をおいて哲学オレ

 とどまらないオレの生命力 言い訳・弱体・卑屈・妄想・祈り・怠惰・退屈・無知・・・
 おのれと勝負するのさ 勉強だ 勉強 勉強しろ 勉強オレ



2003年10月07日(火)  衝撃の事実が  2つもあった。


ここ最近、ほぼ一日中コンピューターとにらめっこしている。
ご飯の時間と天流川と過ごす時間くらいかなあ、手を止めるのは。
バイトしていた期間のむかえなかった分まで取り戻そうとしてるみたいに。

いろんな写真をスキャンしたり、過去の原稿を入力し直したり
新しいネタを書き込んだり、いろいろやっている。

古い写真を見直そうと押入れをあさっていたら、
私がTHEBOOMにはまっていたころのシステム手帳が出てきた。

私は、ブームのデビュー当時ブームを追っかけてました。
キャハッ。はずかしい。
でも、私の青春ですよ。ブーム、スピッツ、ジュンスカは。

メンバーのサインとか、写真とか、栃木さんからの手紙とか、
初期からのチケットの半券が全部はいっていた。


あー懐かしいなあと思って、チケットを見てるうちに
衝撃の事実が発覚した。


エレファントカシマシ
 9月18日 バナナホール 整理番号78番 2800円




あれ? チケットの半券やん?

あれ? バイトで見たんじゃないやん?

私、金はらってエレファントカシマシ見てるんやん?

すっかり忘れてる。っちゅーか、今も思い出せない。自分が買ったことを。

うーむ。バイトやすんで、金払ってまで見たいほど好きだったらしい。

まさか、衝撃のライブのあと、自分でチケット買って見たってわけじゃないよね? そういう気もしてきたけれど。わからない。

怖いなあ。いろんな事を忘れてるんだなあ。
また、なんか探したら出てくるかもしれん・・・。



制作モードに入ると、外とうまくやっていけなる。
買い物に行くのも大変になるので、
今日はあるくくんについてってもらうことにした。

「おかあさん、帰りさ、違う道通ってもいい?」
「ん?いいけど、なんで?」
「たまには違う道を通りたいから」

買い物をおえて、スーパーを出た途端
「おかあさん、憶えてる? 道ちがうので帰るの。」
 と、うれしそうにいう。

仕方なく、チビさんの後を追いかけて歩いていくと、
なんだかずいぶん遠回りをして歩かされた。


これは・・・。

  意地悪な母は、さらりと聞いてみた。


「あるく? この近くなん? 好きなこの家。」

 うれしそうにうなづくあるく・7才。

 一瞬のあと、はっ!とした顔をして

「ちがうよー。通ってみたかったんだよー。あの犬に会いたかったんだよー」

 としどろもどろで言い訳をしていた。

 また好きな女が変わったか。コイツめ。



2003年10月06日(月)  誇らしくも狂おしく愛しく思う。


いつもいつも、私という人間は
はたから見ればおかしいくらいに必死に生きてきた。


なんで、そんなに必死なの?

なんで、そんなにまっすぐなの?

なんで、そんなに自分の直感を信じて生きられるの?


おかしいものを見るように他人に見られながらも、
私はそうやってしか生きてこられなかった。


自分の真っ直ぐさを、強烈にコンプレックスに感じながらも
私はそのようにしか、生きられない。
きっと、これからも、ずっと。

そんなどうしようもない私を、誇らしくも狂おしく愛しく思う。


すごく、熱いんだよ。胸が。今も。

やれ!って、ずっと言われつづけている。
言われなくても、やらないと私は生きてはいられない。
きっと、それをやめちゃうと、生きる価値もないと私は自分を責めるだろう。

すごくたいせつなものを、絶対に譲れないものを
とっても若い時代に見つけてしまったから
強烈な衝動に突き動かされて日々を生きてきた。

やりたいことがすごくハッキリしている。

地球上で行なわれているすべての暴力行為を止めたいんだ。
戦争、環境破壊、人権侵害。人間対人間のそれ。人間対自然のそれ。
結局は、そこに行き着く。
もう、同じことを繰り返すのはヤなんだもの。私は。

そのためにやれることをずっと探してきた。

うわべだけのLOVE&PEACEなんて、クソクラエなんだよ。
踊らされてるだけなんだよ。

誰におどらされてんのか、早く気づけよ。
お前の踊ってる音楽を奏でさせてんのが、ほんとは誰かってことに。

たいていのミュージシャンも、マスコミにおどらされるファンも。
どうしようもない。
そんな奴らにはYO−KINGの「ハリボテROCK」を捧げるよ!

その意味で、喜納昌吉はほんとにほんとにホンモノだ。

私が彼とちがう道を行こうと決めたのは、喜納昌吉がホンモノだったから。
あんなにすごいアーティストはなかなかいない。


50過ぎのおっさんに勝てない日本の若いミュージシャンはめちゃくちゃかっこ悪い。
(エレファントカシマシ、スピッツ、MONGOL800、YO−KING、
 フラワーカンパニーズ、THEピーズ、うつみようこ、ミスターチルドレンは除く。)


喜納昌吉の音楽に触れて、自分からはじまるホンモノの道を創り出そうと思えた。

喜納昌吉にそういう強烈な勇気をもらえたから、会社を辞めようと決心した。


10年近く、彼のそばで仕事をしていた。
喜納の夢見ているやりたいことは大抵は理解しているつもりだった。
秘書としてブレーンとして仕事をこなしていた私が
「自分の夢を追いかけたいから独立したい」と言ったとき
一年以上考えた末、広い世界に放流してくれた喜納昌吉を尊敬している。


そういう私を、人はいろんな風に見る。
「若いなあ」と冷笑する人。
日常の中に捨ててきた熱を私の中に見出し、もう一度やってみようと思う人。
なにかを学ぼうとそばにきてくれる人。
近寄りがたいと、ちょっと遠くで眺めている人。

もっともっと貪欲に私からいろんなことを奪い取っていっていいのに。
私が歩いてきた、20人分くらいのおもしろい経験を盗み取って
自分の糧にしてくれたらいいのに。

たくさんの人に出会って、いろんな影響を与え合っていきたい。

二度と会うことはなかったとしても、
一瞬の出会いにすべてをかけてもいいんじゃない?

互いに自分の道をめいいっぱい歩いていけば、それでいいじゃない?

その後の人生をずっとずっと熱く生きて欲しいよ。

そんな風に想う。


恥かしいことじゃない。
一回しかないんだよ、その環境で、その自分でやれる人生は。
なんだって、やってみてよ。

好き放題。
ほんとにやりたいことをやってよ。

もっともっと世界は広いよ。 地球だってさ、小さな惑星だよ。

君の立っている世界は、もっともっと広いんだよ。
日本がダメなら、どっかにいったっていいじゃない。
ほんとに生きられる場所を探そうよ。

大丈夫。
必ず、生きられる。 必ず、見つけられる。

ふかく、呼吸のできるその大地を。

そのことを信じてください。そして、自分自身を。


私が言いたいのは、それだけ。




きょうのうた。。。

喜納昌吉&チャンプルーズ / 島小



2003年10月05日(日)  いっそのこと あたしは オレンジになりたいよ



オレンジ色が好きな人って?


新作ポスカの I’m not ORANGE を見た人から、そう聞かれた。

あのポスカは、切ないですなぁ。自分で創っといて自分で言う(笑)

私の人生 I’m not ORANGE続き。



「 オレンジ色が好きって あなたがいう 」


好きな人の好きなものになりたいという想い。

好きな人の好きな人になれないのならば、
何でもいいから、好きなものになれたらいいのに。


「 いっそのこと あたしは オレンジになりたいよ 」

         あきらめ半分投げやりなせつない感情。


オレンジ色を好きな彼に恋する自分自身は、
オレンジじゃなくてかぼちゃだったりする。

色目はちかいんだけれど、本質は全然違ってる。

オレンジになろうとして努力するんだけれど、
どんなに努力しても結局かぼちゃはかぼちゃでしかなくって・・・。

大人になればね、いろんな恋を重ねれば、
かぼちゃであることに誇りを持ちはじめて
ちゃんとした恋ができるようになるのでしょうね。

かぼちゃを好きな人にもめぐりあえて
かぼちゃ好きを好きになれるようにもなるのよ。
きっと。



きょうのうた。。。
エレファントカシマシ / 武蔵野



2003年10月04日(土)  メールっちゅうもんも、捨てものじゃないなあ。

京都に出かけた。
カメハメ派の正しい出し方を伝授中の愛弟子・太一と錦市場にいった。
ちっちゃい路地にいっぱいのお店。
魚がいっぱいおりました。
漬物がいっぱいありました。
正絹のハギレが山ほどありました。
市場好きの私は、大興奮。しかし、結局何も買わなかった。

行きの電車の中で、すっかり黄金色になった田んぼを眺めながらメールを打った。
文字で表現することを選んで生きている、京都に住む仲間に。

私以上にロックな生きザマをしている人。
アートとは?と問いかけながら日々を送っているであろう人。
「24 HOUR PARTY PEOPLE」(だったっけ?)という
マンチェスターロックのどーしようもない馬鹿な映画を見に行ったり
CHARのライブを見に連れて行ってもらったり、
作品をみてもらったりしている、私からしたら大先輩。

「あなたのメール、いつも原点に帰れる。ヤッパ言葉の人です。」
数時間後、そんなメールが帰ってきた。すごくすごくうれしかった。
とてもとても忙しい人なので、この一年の間に4回ほどしか会えなかった。
けれど、それでもこうやって時折やりとりをする。

自分は今テレビも新聞も雑誌も見ないので、世間で何が起こっているかまったく知らない。
わざとニュースを頭に入れないようにシャットアウトしているんだ。
でも、大きな出来事が起こると必ず連絡をしてきてくれる。
最近相次ぐ地震も、総選挙のことも。
地震と選挙はやっぱ気になるよね。ってヘンな取り合わせ(笑)

メールっちゅうもんも、やっぱ捨てものじゃないなあ。

メールなければ、手紙でやり取りしてて、
もっとガツンと響く言葉とかがあるのかもしれないけれど。
愛人・さやか嬢とはペンパル状態で(笑)
沖縄と大阪間をロックでパンクな言霊たちがしょっちゅう飛び交っている。
そっか、飛行機にのって空を飛んでるんだなあ。
まだ小さな翼しか生えていない私の代わりに空を飛んでるわけだ。
私の文字は・・・。

いつか、自力で飛びたいものです。

すぐ飛ぶけれどね!



「バイトのない日は酒やめましょ。」

 机の前の壁、エレファントカシマシの渋公チケットの横に
 貼ってるんだけれど、全然守れない。

 っつーか無理。
 んじゃ、なんで貼ってるんだ?


きょうのうた。。。

スピッツ / ナイフ



2003年10月03日(金)  今日はお休み 今日はオフ

この部屋が好きだ。
ちょっと高い天井も、白い壁紙も、窓から見える河原の緑も、
遠くに見える公園や神社の緑も、広い空も。
朝日、夕陽、星たち、お月さま、雲。

自分が選んだ、好きなものばかりを集めた部屋。

家賃高くて、そのために働いてるみたいなんだけれど
自分の家で、のんびりできるということは珠玉の時間だから。


好きなものだけと暮らそうと思う。
自分が厳選したたいせつに思えるものだけと。


好き:
だけで自分の周りをかたちづくってみて、
その世界が美しければ、自分の心地よい世界であれば
自分のこころを信じてもいいかな?って思う。


自分のことが一番キライで、信用できない。
そんな私を好きだと言う人たちのことを、拒否し続けてきた。
よい人であればあるほど、自分から関係を壊していった。

少しづつ、少しづつね、自分を好きになれるかも。

この部屋のように、少しづつ、自分のいいところを探していこう。


窓の外には青い空が広がってて、窓辺のバジルが青に映えてる。
すっかり枯れてしまったプチトマトの茶色い茎も、飛んでく飛行機も。
美しい風景です。


ベッドの上で、日記を書いてる。
ソファを買いに行ったはずのリサイクル屋で衝動買いしたセミダブルベッド。
シーツやらなんやらひっぺがして洗濯中やから、真っ白のマットの上にごろんです。

白ってきれいだね。
今まで、部屋中がダークグリーンだったので、すごい新鮮。
白なんて美しすぎる色、私には似合わないと思い込んでるんだ。
いいのにね何色でも、たとえ似合わなくても、自分が好きであればいいのに。

愛しい人の胸につつまれて安らかに眠りにつきたいと想う今日この頃。
おやすみなさい。 って、まだ朝やん?


きょうのうた。。。

誰かのささやき / エレファントカシマシ

 なんであの男はこんなにもやさしいうたを歌えるのだ?
 宮本浩次が宮本浩次でありつづける限り、私もやりつづけられる気がする。
 負けません。私自身に。

このアルバムを聴き終わって、洗濯物を干したら
書きかけの小説に取りかかろう。

その他のことは全部、ほっといて。
それを自分に許そう。

やりたいこと たくさんあるけれど 一番やりたいことを
自分のためにやろう。



2003年10月02日(木)  「社会の枠」には入らない。狂っているといわれても。


  現代医学で精神病と認定されるすべての人は
  この社会の枠組みから外れているだけであって
  病気なんかじゃない。

  社会の枠に入る必要なんてない。


 昨日書いた言葉が、人を悲しませてしまった。


「社会の枠」

それは、現代物質文明がかたちづくった、歪みきった枠のこと。
愛も尊厳もない、消費と浪費と磨耗の社会。

私は、狂っているといわれてもいい。
この腐りきった「社会の枠」になんて入りたくない。
そういうことを、ルナティックライフで書いているつもりだ。


バリアフリーという言葉がある。
ユニバーサルデザインという言葉がある。
人にやさしい社会は、地球にもすべての生命にもやさしい。
私が想う理想的な社会は、地球まるごとのユニバーサルデザイン化。

でも、地球はもともとそうだった。
大地とともに暮らすネイティブピープルもそう。
現代の物質文明に生きる人間だけが、そうではない社会に生きている。

子供が子供らしく生きることのできる社会が欲しい
人がありのままに暮らせる社会が欲しい。

バリアフリーだとか、ユニバーサルデザインとか、
平和とか、愛とか、やさしさとか、安らぎだとか、癒しだとか
そんな言葉がいらないくらいの、あたりまえの社会がほしい。


「病気なんかじゃない」
 この言葉が刺さったのかもしれないね。

精神病患者は、傷ついている部分が外見からは見えにくい分だけ
外からいろんなことを言われてしまう。
私が昨日言ったのと同じような言葉を、
まったく違う意味合いで、明確に相手を傷つける意志をもって言う人もいる。
私が書いた言葉が人を傷つけたとすれば、その意志はなくてもおなじ意味を持つ。

ごめんなさい。


こころの病を抱える人は、自分のこころと向かい合うことにエネルギーを傾けてほしい。
人がどう言おうが、親がどう言おうが、社会がどう言おうが関係ない。
人のことにエネルギーを使わないで。
もうそれ以上、傷つかないで。
いまのあなたは、そのままのあなたで素晴らしいのだってことを知ってほしい。
(特定の誰かではなく、すべての人に向けた言葉です。)
今の自分を認めたその上で、よりよくなることを望むのは、それもまた美しい。

私が言いたいのは、そういうことだった。


自分が虐待されて育ったので、
虐待を受けて今も苦しんでいる人のことをみるとどうも感情で走ってしまう。


ほんとうは、昨日の日記には前段階がある。
白い自分も黒い自分もすべて
セキララにさらけだすと決めた私なので公開する。


長いので、別のページにアップします。
10月1日 その2



2003年10月01日(水) 「すべての精子へ捧ぐ」

新作ポスカの中の「種」のタイトルを変えます。

新タイトルは「すべての精子へ捧ぐ」


あのモチーフは精子です。

私たちは、かつて例外なく精子でした。
あなたも。


必死に泳いで泳いで一等賞になった。
まれに複数の精子とともに、それでも同点優勝

約3億の精子と争って、せめぎあって、
気の遠くなるような距離を、
それでも泳ぎつづけて
卵子にたどり着いたんだよ。


だからね、想い出して。
その必死さを。

あなたは、この世に生まれてくるために
すべてをかなぐり捨てて泳いできたの。

一番になった あなただけが卵子と出合って
細胞分裂をして、生命のすべての進化過程を経て
赤ん坊となり、地上に降り立った。

だからね、想い出してね。
あのときの必死な自分を。


戦うのは自分のこころとだけでいいよ。
愛するのは まずは自分のことだけでいいよ。

大丈夫。


この世に生まれてきた 
そのことが 
大きな存在から愛されている存在であるという事実を知って

あなたも 私も 病んでなんんかない

現代医学で精神病と認定されるすべての人は
この社会の枠組みから外れているだけであって
病気なんかじゃない。

社会の枠に入る必要なんてない。


暴力は 身体だけじゃなくて 精神を痛めつける

身体の痛みは一瞬で消えても こころの痛みは 
驚くぐらいに長い間 精神を苦しめつづける


人に与えられた痛みで 一生を終えてしまうな

大丈夫 

必ず 抜けられる日がくるから

生きているその幸せを全身でかみしめられる
そんな瞬間が 必ずやってくるから


明日を信じて 今のこの瞬間を幸せに 生きましょう


過去を引きずり
今を不器用に生きるすべての人へ
ありったけの愛を込めて

はるななおこ。




「すべての精子に捧ぐ」


つまらねえことばっか グダグダ言ってんじゃねえ 

お前 あんとき 必死になって泳いだじゃねえか

何億もの種の中で たった ひとり お前 一等賞になったんだろ

お前がここにいんのは お前の意志なんだよ 


あんときくらい 必死になってみろよ



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