こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2000年11月29日(水) 木と赤い月


  今日はちょっとブルー。

  晩ごはんをつくる気力もないくらい(笑)

  今夜の月は、ほそいほそい猫の爪のような赤い月

  なんだか泣き出しそうな私の心と同じみたいだー

  こんな日は、うーん、なにをしよう


  つくりたくなくても、つくらなくちゃなんない晩ごはん。

  やりたくなくても、やらなきゃならない仕事。

  どちらも生きるためには、必要なもの


  だけど、そのために生きているんじゃない


  本末転倒だな、今の私は



  家の近所に大きな公園があって、大きな木がある。

  なんの変哲もなくて、別にその公園の主でもなさそうな木だけれど、

  私にはなんとなく特別な、大きな木。


  この土地に住むことに決めたときから、知っている木。

  毎朝、毎晩、その木を横切って、家と職場を往復する。

  今朝は、太陽を浴びて気持ちよさそうに、

  のびをするように枝を風に揺らしていた。

  今夜は、昇りはじめた月の赤い顔に胸をしめつけられ、

  下を向いて公園を通りすぎたので、姿を見なかった。


  ヤツは、こんな私をどう思ったのだろう。


     本末転倒な私、明日はひっくり返してやる。


  で、なにをつくったかって?

  ミックスベジタブルが山盛りはいったチキンライスと、キャンベルのマッシュルームスープ。

  もうラーメンでいいや!とおもったけど、ブルーな上に食まで乱れたら、ちと立ち直れないので

  半分手を抜いて、半分手を加えた(笑)。


  ひさびさに食べた加工食品は、あまりおいしくなかった・・・。


  簡単に手に入る喜びなんて、そんなもんだ。



2000年11月28日(火) ここから動かないで!


 最近夕焼けを見ることがない。

 そもそも、基本的に夜7時まで仕事なので、最近は職場を出るともうあたりは真っ暗になってる・・・。

 上の写真は、2年前にアメリカ大陸を横断したときのもの。地平線に沈む太陽はあたりをオレンジに染めていた。

 何時間車で走っても変わらない、延々と続く砂漠、草原、畑、森。

 ネイティブ・アメリカンが亀の島と呼ぶあの大陸は、じつにさまざまな顔を見せてくれた。

 濃紺の森の中に満月がぽっかり浮かぶ夜、メディスンマンがスウェットロッジ(ネイティブ・アメリカンの浄化のセレモニー)を執り行ってくれた。

 スウェットは、インディアンの間で最も古くから行われている儀式であり、他の儀式を行う前にも必ず浄化として行われるが、このひとつだけでも大変に意味のある儀式だという。

 木を組み合わせて創った半球の小屋の真ん中に開けらた穴に、赤くなるほど熱した石をごろごろと入れる。

 参加者が小屋にはいると、入り口は閉められ、小屋は真っ暗闇になる。

 冷たく清浄な水を、メディスンマンが古代から伝わる順番で焼いた石にかけると、ジューという音とともに、すべてを浄化する蒸気がたち昇る。

 砂漠やあまり水のない地域に住む彼らにとっては、日本で行われる禊ぎにかわるセレモニーなのかもしれない。

 祈りの言葉と、インディアンドラム、そして歌が始まる。聞き覚えのあるそのメロディーを追いかけ、歌いはじめる。

 ロッジの中が熱くなっていくとともに、ドラムと歌も大きくそして真剣になっていく。


 息を吸うと熱く白い蒸気が体の中を駆けめぐり、再び息を吐くときには体の中の不浄なものと一緒に悪い考えも外に出してくれる。

 地球とひとつになることで、体中を浄化する事が出来るように感じる。

 ロッジの熱さと自分自身に負けることのないように、歌うエネルギーは加速し、歌は歌ではなく祈りとなる。

 となりにいる仲間の鼓動までも聴こえてきそうな静寂と、腹の底から出される地球の真ん中まで届くような歌、静と動が不思議に同居する空間。

 地球や宇宙や小さな生命たちともつながって、より大きなものにとけ出して、より小さなものに入り込んでいくような、そんなセレモニーだった。


  朝日も夕日も、美しい海も、雄大な山も見ることもなく、私は毎日なにをやっているんだ?。

  私にとって大切なことは、たいせつなものをたいせつにできる環境を創ることでもある。

  時間に追われて生きてたんじゃ、意味がないね。


  なんで、タイトルを「ここから動かないで」にしたんだか、よくわからないけど、

  「行かないで!」ってことじゃなくて、「今のここ」が重要ってことなのかな。


  多分「今の自分の心と向き合え」ってことなんだろう。


  日記なんだか、日記じゃないんだか?。

  まあ、こんな日もある。


  セレモニーに参加しなくとも、特別な体験をしなくとも、自分自身であり続けることはできる。

  心の声に耳を澄ましていることが大切なんだ。


  2000.11.28 9:50



2000年11月27日(月) 一日24時間が祈りなのだ


 今日は日曜日。変な時間に眠ったせいで、こんな時間までおきてしまった。

 夕方、近所の公園にいって、本を読んでいた。
 中身はぜんぜんネイティブ・アメリカンとは関係のない話しだが、
 それを読みながら、ふと思い浮かべた言葉がある。


 「一日24時間が祈りなのだ」


 ローリングサンダーというネイティブ・アメリカンのメディスンマンの言葉だ。

 私がはじめて読んだネイティブ・アメリカンに関する本は、北山 耕平さんの「ネイティブ・マインド」〜アメリカ・インディアンの目で世界を見る〜という本だった。
 北山耕平さんは、翻訳家としても本当に素晴らしい本をたくさん日本に紹介して下さっている。

 「虹の戦士」「レイム・ディアー(インディアン魂」「ローリング・サンダー」

 なかでも「ネイティブ・マインド」と「ローリング・サンダー」は、私がそれまで持っていた価値観に対して疑問を抱くきっかけになった、大げさに言えば生き方を変えてくれた本だった。


 普通に生活する中では、「祈り」なんてことは特別に意識することはないだろう。「いのり」なんていうと、宗教がかってきこえてくる。

 だけど、「祈り」というのは、インディアンだけではなく、世界中のネイティブにとっては、生き方そのものだ。私たちが忘れがちな、感謝の念、それがかれらにとっては祈りで、すべての瞬間が感謝という祈りとともにある。


 もし、現代社会を生きる人たちが、いろんなことに感謝をするようになったら、それだけで世の中はかわるのに、とも思う。まずは自分からはじめてみようと、瞬間瞬間をいろんなことを意識してみようと思うけれど、すぐに忘れてしまう。

 だけど、食事をするときくらいは、ゆっくりとありがとうってきもちと一緒に、食べ物を口に入れれば、それだけでもなにか変わっていくように思う。この食品がどこから来たのか、どのような行程を経て、食卓にあがったのか。そのことを考えるだけでも、なにかが変わるだろう。今は肉も魚もスーパーでパックに入って売られているけれど、少し前まではちゃんと生きていたのだ。野菜だって、生きていたんだ。

 その生命を殺して食べることによって、私たちは生きている。いのちを殺さずに、生きていくことはできない。だけど、意識して食べて栄養にすることでその生命を供養することもできる。無意識に食べてただの贅肉にすることだってできる。

 ほんの少し意識を変えるだけで、いろんなことが見えてくる。祈りなんて気持ちは、そういうところからはじまる。


 「一日24時間が祈り」

  というのは難しいが、一日のうちすこしずつ意識していく時間が増えていけば、いいかなーーと、そう思った日曜日だった。



2000年11月24日(金) 自由な鳥と鼓動  2000.11.24 start!


 今日の夕方、私の職場に突然小さなお客さんが訪れた。

 鮮やかな黄色のボディに緑のラインの入ったインコが、応接フロアーの床をふらふらと散歩していた。

 実は小さな鳥が苦手な私は、驚きながらも、そのままにして放っておいた。

 私の鳥嫌いを知っているほかのスタッフが何とかしてくれるだろうと・・・。

 ビルの屋上にボスの庭があり、ウサギや小鳥たちが住んでいるのだが、そのインコもそこから逃げ出したのだろうと、深く考えずにそう思っていた。

 職場の動物好きのメンバーが、鳥に話しかけながらつかまえようと追っかけている。
 その人に言わせるとその鳥は、うちにはいない鳥だったという。???。

 小屋から逃げ出したんじゃなくて、まぎれ込んだ?。

 疑問符を頭に巡らせながらも、今日は仕事に追われていたので、
 6畳ほどの資料室でモニターに向かって仕事を続けた。

 鳥のことなどすっかり忘れるほど時間がたった頃、バサバサバサ、

 小さいけれどインパクトのある羽音が、事務所内に響いた。


  「さっきのインコかー」


 ふりかえって、羽音のした方を見上げると、そこには小さなスズメがいた。??????。

 今日はトリの日か?。冷静になったのは、ほんの数秒で、ヤツがあまりにもバタバタと飛ぶものだから、恐ろしくなって窓を開け放って、私は事務所から逃げ出した。


「なに?。うちはスズメも飼っているの?」

 さっきのスタッフに何とかしてくれといいにいくと、「スズメ?」と相手も驚いている。

 あっちこっちの窓を開けて、なんとか外に逃がしてやったが、このスズメといいインコといい、メインストリートのすぐ近く、都会の6階のオフィスまで、一体なにを思って飛び込んできたのだろうか。


 夜、食事の準備をしながら洗い物をしているときに、

 その不思議な鳥たちのことを、なんの気なしに思い返していた。

 思考は飛んで、今日からスタートするこのサイトのことを考えはじめたとき、大切なことを思い出した。


 5年前の同じ日、ある友人から、新しい名前をもらった。

 サンスクリット語で不思議な響きのする名だ。その言葉を、英語に訳すとheartbeat。


 心の赴くままに、なにかをつかみとれ、そう言われたような気がしていた。

 2000年11月24日、ありきたりだがひとつ年を重ねるその日に

 なにか新しいことをはじめようと<heartbeatsfreebird>というサイトをたちあげた。


      梵我一如

  大した意味なんてないけれど

    心のおもむくままに

    自由な鳥のように

   世界を眺めてみようと・・・


  こんな思いを込めてサイトをたちあげたくせに、

  メッセンジャーが2回も現れてくれないと、意味が分からないなんて。

  なんだか、情けないな。スピリットが研ぎ澄まされていない証拠だ。



  私の新しい門出を祝うために、わざわざ飛んできてくれたのだろうか。だとすると、恐がって逃げてしまって、悪いことをした。


  自由な鳥のように大空に舞って世界を俯瞰したいなんて考えながら、

  鳥が恐いだなんて、笑い話だ。


  私が<heartbeat>という名前をもって5年、そろそろ鼓動の命じるままに歩き出さなければ。


  あこがれだけでは終わらないように、終わらせないように、心の空へと飛び出そう。



 今日の夕飯は、自分へのお祝いの意味で大好きなチキングラタンをつくった。
 2羽の鳥のことを思い出したのは、台所にいるときだった・・・。
 食べるのは好きなんだけどね。


 インコとスズメとニワトリと、自由な自分に出会った一日だった。

 ありがとう


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