超雑務係まんの日記
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アナタに。 大好きな人がいるなら。
昨日見た夢を 教えてあげましょう。 楽しい夢、怖い夢、それとも恥ずかしいユメ?
もし 夢を覚えてなかったら、 目をつぶって好きな人を思い浮かべましょう。
そこで、アナタの好きな人は 笑ってますか? 怒ってますか? 泣いてますか?
どうして、笑ってるのですか? どうして、怒ってるのでしょう? なぜ、泣いてしまってるのですか?
生きてこられたのは、もしかするとラッキーだったのかもです。
だって、いつだって好きな人が存在してませんか。 生きているうちは、死ぬまで一緒にいようヨ。
計画しての終末なんて、きっとあり得ないのです。 なくなるときは、常にむなしく突然。
今日までにあった出来事すべてに感謝しましょう。
アナタのユメを聞きたいです。 でも、聞けないんです。
逢ってからだと、遅いって逆説は真実かもしれません。 現実を受け止めるのは、ラクでもあり、ツラくて胸が壊れそうです。
しっかりと、有休もとりました。 きっと、大丈夫。
今日、久しぶりにヒデに逢いにいきます。 私の故郷は、やっぱり北じゃぁないんです。 ずっと、このきっかけを待っていたかも知れません。
おい。元気か?
ラララ。
(終わり)
二日前にもらった電話に取材中で出られなかった。 ヒデはあの時、何をメッセージしたかったのだろう。
俺に、何を話したかった。。。。。。。。。。。。。
「また今度」って言われて、実現しなかった事、 たくさんあるよ。
「先生、今度、鴎外教えてよ」 「今度プル−スト読んで、先生に感想言うからね」 「バイク乗って、今度札幌行くよ!」 「先生、先生!今度さ、メタルのすごいCDかりにいくから!」 「今度みんなで集まってまたカラオケ大会だよー」
「今度」
そう聞くと、 決して来ない「いつ」
と感じてしまう。
ともあれ、 君はもう社会の重圧や ぼんやりとした不安や
毎日怯えて暮らすような
そんなバカげた敵と闘わずにすんでしまった。
おい。
本当はまだまだ。
教えてない事。
たくさんある。
教え子だったヒデ、親友だったヒデ、俺に勇気を与えてくれたヒデ。
よく頑張った。 最後まで、正直に苦しんだ人間。 ヒデが一番マトモだった。
。。。
バカヤロウ。 大バカヤロウ。
僕は最後までキミの先生でいられましたか?
ヒデ 永眠 2003年2月24日。
22歳。
ヒデが撮った写真を絵ハガキにして送ってくれた。 去年はクリスマスに届くように、素敵な写真(ハガキ)もくれた。
メールやハガキ、手紙、電話。 たくさんのやりとりをしたけど、一体何がわかっていたのだろう。
たかだか、こんなやりとりで相手の事がわかっているなんて傲慢だ。 結局の所、通信は「通じているだろうと信じる」しかないのだ。
その証拠に。 今。
通信をしようにも、 夢中で喉がカラカラになってしまうくらい キミの名前を叫んでも、 すでに そして、いつだって間に合わない。
誰かの為に生きること。 自分の為に死んでしまうこと。
イコールであり、相反するものである。 しかし、実践した人、された人にしかわからない。
君はきっと苦しかった。
ヒデが受験勉強を再開した。
大検を受けようとしていたくらいなので、問題ナシ。 だって、優秀な家庭教師もついてるし(笑)
翌年、合格。
ヒデの2回目の高校生活が始まる。
受験の過程で、ほとんど病気は完治しかけていた。
高校生活も、同じような人種が揃っているせいか、 ヒデの仲間がたくさんいた。
友達が出来たとか、今日はどこへ行ったとか、 そんな話を聞く度に、なんだか私も嬉しくて。
ギターを覚え、バイクの中型免許を取り、 まるで私の高校生活を彷佛させるようだった。
ヒデの高校の3年間は、はたから見ても充実していた。 ついでに彼女も出来てしまった。 これは、個人的に悔しかったケド(なぜ?笑)
そう、ヒデは高校3年間を無事に卒業した。 だが現役で大学は受からなかった。 これから浪人生活に入る。
が、ヒデは何も悲観してなかった。 むしろ、楽しんでいた。
なぜならこの後の数年間。 ずっと、ヒデは気ままに過ごしていた。
ウラヤマシイくらいに。
でも、本当は違うのだった。 この時になぜ気づいてやれなかったか。
「なぁ?ヒデの言う『マトモ』ってなんだ?」 「えっ。。そりゃあ、普通に学校行って、就職して。。真面目に生活する事です」
「本当にそれがマトモな生き方なのか? 実は俺もずっと、わからないんだ。 でも仮にそれが『マトモ』だとすると、ヒデには無理だと思う」 「。。。先生にそう言われたら、もうダメですよね。。」
「だいたいそんな『マトモ』、ヒデは努力してまで手に入れたいのか?」 「。。。」
「むしろ、努力して捨て去るもんじゃないか、そんな『マトモ』は? ヒデは横並び的な『マトモ』を捨てようとして、今闘ってるんじゃないか?」 「。。。」
「狂ったまんまで走っちゃイケナイなんて、誰も言ってないよ。 少なくとも俺はそんな事を少しも話した記憶はない」 「先生って、ぜんぜんオトナじゃないっすね」
「ガキでもないんだけどな」 「ハハハ(笑)」
「先生、俺はまだマトモにやれますか?」
「マトモ」という言葉が私に引っ掛かった。 いや、未だに忘れられないのだ。
「マトモ」って何だろう。 この現代社会にうまく適応することが、果たしてマトモなのだろうか。 ちょっとした冒険にスリルを感じるような、そんなぬるま湯がマトモなのか。
真剣に自分と対面した結果、精神の均衡が少し不安定になってしまうと、 マトモな人間と言われない。 少なくとも誰かには、そういう評価をされてしまう。
狂人
という烙印。
私はヒデの言葉に、 しばし沈黙してしまった。
私を、自身を見つめてみる。 目の前にある自分。
まるで飛べない鳥がジタバタしていて、 なおかつ飛べないことを、 そう、飛べない理由を正当化していた。 たくさんの言い訳を抱えて、空ばかりがうらやましかった。
飛べなくてオトナになってしまった人間が、 飛ぼうとするコドモを教えることが可能なのだろうか。
支えがなくなってしまって、 未だに忘れられない人がいる。 その人の代わりばかり求めて、当時の私が存在していた。
私はヒデにどんな声を掛けてやればよかったのか。 しばらく考えた後、ストレートに気持をぶつけてみた。
「再度、高校受験をするんだ。俺が家庭教師をやる。 もちろん、お母さんからはアルバイト料をもらう。 受験校は○○だ。○○が中途入学が可能だって事は知ってるよな? ココの特進クラスを狙う。 ここにはヒデの仲間がきっと見つかるハズだと思う。 どうだろう?」
両親と主治医以外では、 私だけが外部と接触出来る唯一の人間だったらしく、 実はヒデからはよく電話がかかってきてたのだ。
今、一番イヤであろう、人生の選択を私は迫ってみた。
10代でこんな強いられ方をされるのが、私はイヤでたまらなかった。 しかも、私は家を出てワケワカラン暮らしをしていたから、 両親に愛されているヒデには、早く復活をしてもらいたかった。
ただ、それだけだった。
黙っていたヒデが口を開く。
昨日も今日も明日も明後日も。
ヒデが引きこもってしばらく経ったのだろうか。
高校中退。大検失敗。精神病。
けど、 幸いにもヒデは、まだ若かった。 10代の半ば。
私もヒデと同じくらいの頃、よく聞いた言葉がある。 「若い頃の回り道なんて大した事ない」
が、年が若ければ若いほど、遠回りを絶望的に感じてしまう。 だって、そんな言葉はたいてい若くない人が吐いている。 誰だって苦労なんか買ってまでしたくない。
回顧すると、 昔のある時期の1〜2年、 他の事をしていればヨカッタなぁ、と。 確かに思う時も。
しかし、今だからだ。 あの頃は、粒子のような細やかな時間が超スピードで駆け抜けている。 年寄りの時間と単純に比較してはイケナイ。
「最後のアドバイスになるかもしれないんだけど」 私は電話で真剣に話してみた。
私がヒデに言った事は、至ってシンプルな2つ。
今は病気の状態だという事。 再度、高校受験をする事。
前者に関して、ヒデの母親はビックリしていたけど、 私は本人に本気で言った。 腹痛や、風邪などの症状と同様のもので、 医者や薬が治してくれる立派な病気だって事を。
従って、必然的に医者に診てもらわなければならない、 そんな話をした気がする。
なにしろ、本人(私)が経験してるんで、 トークにも力がこもった。 (もちろん、自分がそうだった事は伏せて話をしたけれど)
ヒデは納得してた。明日の精神科の通院を決意した。
後者に関しては、もしかすると私のアドバイスが失敗だったかもと 今となっては正直なところ後悔したりする。
なぜなら、ヒデは受験を決意しなかった。 彼が選択したのは大検だった。 私は最後まで反対していたんだけれど。
これからヒデは精神科に通院しながら、大検を目指す事になる。
。。。これを書いていると、たくさんの昔の情景が頭を走る。 なぁ、ヒデ? たくさんこの時は議論したよなぁ? 私もマジで15歳相手に討論してたよ、かなりマジギレ気味で(笑) もしかすると、この頃が一番楽しかったって?
でも、その年の大検は×だった。 明らかに準備不足。
ヒデの病は深くなっていく。
ヒデの母親から呼ばれ、私はヒデの自宅へ向かった。
母親から様々な事を聞いている間、部屋からヒデは出てこなかった。 いわゆる「引きこもり」。 当時はこの言葉がなかったけど、ヒデは外出もままならない状態。
母親の気持も何となくわかるような気がしていて、 でもヒデの気持も何となくわかっているような気がしていて、 私は部屋の前まで行き、オロオロしている母親の前で 「ヒデ、俺だ。開けてくれ」
ガチャッとカギはすぐ開いた。
久しぶりにヒデと対面。
ヒデの目はまだ死んでなかった。 (大丈夫。まだまだコイツはイケる。) こう思ったのを覚えてる。
「エライたくさん文学ばっかあるね〜」 初めて入る部屋には本棚に、けっこうな冊数の本が。
「先生、どうしたの?」 「あ、もう先生じゃないから(笑)」 「いや、俺には先生なんだよ」 「へー。ウレシイこと言ってくれるじゃん」
この時の会話は鮮明に覚えてる。
しかし。
ヒデは高校をやめた。 入学してたった3ヶ月。
すでに精神が蝕まれていた。 きっと深くて痛い心の傷を負っている。
そう。 そんなヒデの周りは、この状況に理解を示せない。
まるで昔の誰かを見ているようだった。
もうどうしようもなくなったのだろうか、 とうに教師でなくなった私に ヒデの母親から電話が鳴った。
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