2004年11月25日(木) |
別れてもまたも会うべく |
万葉集にある歌です。
別れてもまたも逢うべく思ほへば心乱れて我れ恋ひめやも
弟をなくした悲しみを歌った歌に対する返歌になるそうですが。
別れたとしてもまた会えるのなら、こんなに逢いたいとは思わないのに。
と。 先日からのことを考えてるときに巧い具合に 思い出してくれるんですね、脳って(笑)
Hさんにも言われました。 これが、別れても何かしらで繋がっていられるなら 私はきっとこれほどにはショックを受けていないだろう、と。
そうかもしれません。 人との縁を切るのが嫌いです。 そのせいでしんどい思いをしても、 縁を切ることと比べたら抑えられる、と思うくらいに 人と縁が切れることが嫌いです。
勿論、今まで切れてしまった縁もたくさんあり それら全てに傷ついたりこんなにショックを受けているんじゃないんです。
ただ今回のように「別れよう」と 宣言?されて縁を切ったのが初めてかもしれなくて なかなか立ち直れないのかもしれません。
相手にとっては縁を切っても良い関係だったのだ、と 卑屈に近い感情で思ったりもします。 そんなことは決してない、と思いたいのに。 大分へこんでいるのかしらね、と思いつつ 私がかの人を信じてなかったんじゃないの?とも思います。
ネット友達のUKさんに「繋がる縁ならまた繋がるよ」 といわれました。 私とかの人の縁は繋がるのでしょうか。 それだったら良いな、と思います。 それでも今辛いことがなくなることではないんですけれど。
気がつけば、もう2ヶ月が過ぎようとしています。 さようならと言ってあの人と別れてから。 気がつけば、あっという間の2ヶ月でした。
この2ヶ月、メールを見るたびに少しだけ ほんの少しだけ期待していました。 あの人からメールが来るんじゃないか もう一度やり直そうっていうメールが、と。
勿論そんなメールが来ることは無く 私は今までと変わらない毎日の2ヶ月でした。
一日中あの人のことを考えることは無くなって あの人を知る友達と会っていても笑えます。
でもやはり思い出すと辛いものです。 彼のことを知らない人と紅葉狩の話をしていて、 クリスマスの話をしていて。 新年を考えたときに、バレンタインデーに。
あの人は知りませんでしたが あの人の誕生日は、私の本当の誕生日でした。 いつか話したいな、と思って 結局話せないまま別れてしまいました。 …私だけが忘れられないまま。
去年の彼の誕生日、私はそれを知りませんでした。 付き合って2ヶ月が過ぎていたのに知らなかったのです。 数日後知った私が、来年はきっとお祝いするからと言った時 彼が楽しみにしてるよ、と言ったことを覚えています。
手帳に彼の誕生日を書くのはもう今年が最後でしょう。 来年の手帳に彼の誕生日を書くことはありません。
でも、自分の誕生日が巡って来る度に。
私はきっと思い出すのです。 どこかで彼も誕生日を祝っていれば良いのに、と。
すっかり御無沙汰でした。
なんだか、書こうと思うんですが、 ついつい、という感じで。
いろいろありましたけど、まだ続けますよ(笑)
人を信じるって簡単で難しいです。 人のコトバを信じるとき、 それが余り馴染みのない人なら そこに証拠を求めます。 その証拠などを元にその言葉を信じるか信じないかの 判断を下します。
仲がよければ、そんな証拠が無くても その人の知ってる限りの人柄とか これまでの経験で信じる、と思います。
でも、そんな人が、何度も嘘を言っていたとしたら。 私は嫌いになるのでしょうか。 それとも、すきだけど信じなくなるのでしょうか。
人を信じるって簡単です。 でも、信じ続けるのは難しいのかもしれません。
UMちゃんと京都で遊んできました。 といっても特にすることも無いので、 お茶しながら色々話して、町を散策。
お茶のときにKGちゃんやSちゃんの事を 話し(愚痴り)ました。 UMちゃんは笑いながら聞いて、 「でも良いなぁ、私も歌いたいなぁ」と言いました。
自分で計画を立て、お金を貯めて したかった勉強のために今、同じ関西でも大分遠くにいる 彼女も、やはり歌うことは好きで 本当にUMちゃんも一緒だったらなぁ、と思いました。
その後、新京極やら寺町をぶらぶらと。 特に目的も無いので 気になったところに入っては冷やかして UMちゃんはガラス細工を買いました。
久しぶりに予定無くのんびり?過ごして 楽しかったです。 また12月に会う予定です。
最近途切れがちだった日記です。 書こうと思うことはいつもお風呂場まで持って行って そこで髪の毛のシャンプーと一緒に流してしまってるみたいです。
祖母が入院しました。 といっても、倒れたとかではなく 用心のためと、やはり初期の病状が出ているからなんですが 同居している大叔母もよろけた拍子に頭をぶつけ、 内出血が今、顔に降りてきて酷く青黒いあざになっています。
二人も、そしてもう1人の大叔母も(何人で住んでるんだという感じですが) もう80才を越えていて 今までが年の割りに元気すぎたといえばそれまでなんですけれども。
それでも、もう少し、後ちょっと。 お願いだから元気でいて。 今回はなぜか、「死」と想像してしまって ぞっとしました。
おかしくないんです、そんな日が来ても。 でも、そうは思えない。 祖母が死ぬ日が来るなんて、大叔母が死ぬ日が来るなんて いつか、両親が死ぬ日が来るなんて。
そんな時、ほんの少し、今ここで自分が先に死んでしまえたら、 と思います。 そうすれば誰かの死に目を見ずにすむ。
でも、誰かの死を見取って、その辛さと哀しさを感じることが 後から生まれた私たちがすべきことなんだろうと 勿論死んだりはしないわけです。
祖母も大叔母も元気は元気なので、そこは安心です。
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