2005年01月31日(月) :
うへぁ……
嬉し死にする前に(爆)、そろそろ『Shadow Saga』の続きを書こうかと、改めて一から読み直すという苦行を己に課してみました(何ゆえに……)。
正直、これほど表記が揺らいでいるとは思わなかった。
多いのは、“”があったりなかったりすること。そうか、転生の秘術、は最初は二重かぎ括弧がついてなかったのか。読み方も、括弧書きでふってあったりふってなかったり。最も顕著に多いのは、闇将軍(ダークジェネラル)←これを忘れていること。書く間隔が広すぎるので(……)本人も色々忘れてしまうらしく、レオンハルトの呼称は、「剣と魔法を意のままにする静かなる魔法戦士」であって、「剣と魔法を意のままにする、静かなる魔法戦士」ではないのだよ。細かい。
この辺全部直すと、またDLファイル修正だなー。すんません。
新たなる野望。
希望ではなく野望です。実現不可能だったりするわけですね。(……)
もうええ加減に絵が古いので、『Shadow Saga』キャラ紹介用の絵を挿げ替えたいです。カインの鎧もデザインを大幅に変更したので。出来たらカラー全身画。自分用設定資料かい。
キャラ紹介で言えば、フリードリヒ・ユリアナ・カールと……おっさんも入れますか? みたいな(疑問形で)。
思うはただで自由なんです! 逆切れしない。
しかし、最大のうへぁは、去年一年間丸々、『華京』の更新してなかったのに気づいたことですな。
……ごめんなさい。
あ、絵掲示板表出しするかも(やばい辺りは全削除で)。
2005年01月18日(火) :
確か……
今は勢いに乗ってる、とか言ってたような気がします。小説が。
ちゅーか、いや、確かに本人はそのつもりだったのです。
が。
絵の方が勢いに乗ってきました……。
何でや。
うっかり、悪人面萌え〜とかの勢いでカインを描き、「ピンの過去絵ばっかりだのう」と思ったら、急に夕焼け背景にしょったレオンハルトとカインの二人が描きたくなり、ついでにカインの鎧デザイン一新してみたり、「しかしどっちかというと、この二人は夕焼けよりも月夜の方が似合うなあ」と思ったら月夜バージョンまで描いてみたり。
何だかもう(笑)。
久しぶりに鎧萌え。鎧大好きです。描いたり塗ったりするの。
しかし、筋肉増量キャンペーン無期限自分絶賛開催中のため、どんどんレオンハルトの体格が逞しくなってるような。細身の基本設定はどうした。
後、構図が一点頭にあるのはアルテミシアなんですが、彼女の場合は、本編でちゃんと出てくるまでお預け……。Chapter-5までいったら、冒頭に出番があるんですが。
それにつけても現トップ、あまりにも爽やかで、別のサイトみたいですな。
2005年01月16日(日) :
楽しみ方
Web小説を書く人間にとっての楽しみは、大雑把に二つあるように思います。
一つは、そのもの「書く」楽しみ。
これはもう、自分で物語を紡いでいく楽しみ。登場人物を次はどんな目に遭わせてやろうか(それはあんたの思考です)、どんな展開にしていこうか、クライマックスをどう盛り上げようか、ちょっと小ネタを入れてみようか。
勿論、どう書いていくか、の苦労はありますが、書いてるときはそれも一種の喜びです。(時々、後で全部書き直したくなる衝動に駆られることもあります)
書くために書く。書きたいから書く。そりゃもうシンプルに。
で、もういっちょは「読んでもらう」楽しみ。
自分が書いた物語に、誰かが一喜一憂してくれる。面白がってくれる。この楽しみが書く楽しみと大きく決定的に違うのは、書くのは一人でも出来るが、読んでもらうのは一人では出来ないということ。また、読んでもらってるかどうか、分かりづらいというのもあります。
そして、これは感想が無いと、「つまんないのかな……」などと落ち込むことにもなる、諸刃の剣。
こっちは副次的な楽しみになると思います。
危険なのは、副次的な楽しみが主体になること。勿論、大勢の人に読んでもらうに越したことはありません。でも、それが目的になってしまうと、書く楽しみを見失ってしまうことになりかねない。
ふっと時々思う、自戒。
「ここが書きたかったんだよ!」
の思いで、迸る稚拙な文章を見返して(苦笑)。
2005年01月15日(土) :
温度差
書き手と読み手の温度差。
永遠に相容れないものかもしれません。
(これが真面目に考えていたことです)
現在、どちらかというと比重は書き手なので、書き手主体の意見になりますが。
読み手が書き手に求めるレベルって、恐ろしく高いよなあ……と思います。
完結はちゃんとして欲しい、は、まあ、分からなくもないんですが。ただ、誰だって中途半端に終わらせるつもりで書き始めるって、ないと思うんですよね。演出として、そういう「ラスト」を狙ってる場合は除いて。
しかし、特にWeb小説の場合、職業作家と違って、それで生活してるわけじゃないです。自分の生活の合間を縫って、書きたいから書いてる、そんな人が大半だと思います。仕事や家庭の事情など、自分の都合で、どうしても書く時間が取れなくなることだってあります。単に、書けなくなる時期だってあります。
どうも、読み手の人って、Web小説に商業レベルのものを求めてるのかな? とか時々思います。それだったら、素直に本屋でも図書館行って、ちゃんと出版ベースに乗ってる本を読めばいいじゃん……とか。
結局はループなんですが。
書き手として、「素人なんだから」と開き直ってるわけじゃないんですが、あちこちで厳しすぎる意見を見ると、書き手も萎縮しちゃうんじゃないかな、と思うときもあるんですよ。
「気に入らなかったら読まなきゃいいだろう」
「じゃあ何でWebに載せるんだよ」
「プロじゃない、趣味で書いてるんだ」
「書いて発表する以上は、ちゃんと責任を取って欲しい」
これが絶対に相容れない。
勿論、書き手だって、人様に見せる以上は、「より面白い」小説を書こうとする努力は放棄するべきじゃありません。これは自戒です。
人の意見を聞かないと独りよがりになるけれど、自分が面白い、と感じて書いたものを否定されると辛い。
自分は書き手だから、コミュニティーは書き手に属する方向に行くんですけども。
無論、読むからには面白いものを読みたい。分かります。読んでもらう以上は、面白いものを書いていたい。
しかし、その面白い、の個人差があるから、どうしても温度差は生じてしまうんでしょうね。
時々、不定期的に思うことでした。
2005年01月12日(水) :
徒然に思ったこと
今のところ、「月記」ではなく、比較的「日記」に近いペースですね。
一番日記を書くペースが詰まっていることころが、自分が一番力を入れているところ、と言う辺りが大変分かりやすいです。
とはいえ、書くこと書くこと、ほんとにたいしたことないんですけどね。
(本当はちょっと真面目なことを考えていたんですが、それはまた後日)
本日のお題:「悪役の視覚効果」。
そんな大袈裟なもんじゃありません。ただ、俯瞰とあおり、どっちの方が悪役っぽいだろう、とふと思ったわけです。
あおりは、見下す感じがして悪役っぽいし、俯瞰でも、斜め上を不敵に見上げる図って結構悪役っぽいなあ、とか。どっちでもいいのか。描くのはあおりの方が難しいんですけど。私の場合は。(俯瞰も偽俯瞰になりますが)
譲れない点は、「悪役は前髪が鬱陶しい」ですやっぱり(笑)。前髪の間から凄みのある目つきが覗くって、何か良くないですか?
だもんで、出来るだけ悪役は長髪が望ましいとか思ったり。もっとも、ファンタジー限定かな。現代ものだと、やっぱりそんなに前髪伸ばしてる男性って、そんなに多くないですからね。いや、悪役が男だと決まってるわけじゃないですが、普通は異性に魅力を感じるだろう、ということで一つ。
やっぱり、悪役ってのは魅力がないと。自分のことは棚上げです。主人公と悪役ってのは、お互いにお互いを引き立てあう存在なんじゃないかな、とか思ってもみたりするんですが。
そんなこと考えてたら、悪人面のカインとか描きたくなりました……。
レオンハルトは過去の経緯からして、黒いとき(笑)も、決して悪役じゃなかったんですね。操り人形だから。本当に人形。命令どおりに動くだけ。
あんまり言うとまたあれ(何)ですが、カインは結構悪役っていうか敵役っていうか、まあそんな感じにしてました。それを本人が望んでいたかどうかは別問題として(望んでいたら悩まないわな)。
まあ、言うだけはただなので、軽くスルーしてくださいスルー。
……最近、悪役萌え?
2005年01月10日(月) :
吸血鬼
えー、前からぼそぼそと言ってましたが、『Shadow Saga』今回のChapter-3「滅びぬ夜の夢」は、似非(ここ重要)吸血鬼ものです。
趣味か! と言われると(ハリー大尉調でお願いします)、そうかもしんないです。
何せ、吸血鬼ものというと、基本であろうブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』もちゃんと読んだことのない人間の書くものです。『吸血鬼ハンター“D”』が基礎知識かよ……。後は本屋で立ち読み、というお粗末さ! しかも、ファンタジー調に適当にアレンジまでしてます。だって、一般的に言う吸血鬼のイメージじゃ、キリスト教の影響強すぎて。
それに、ゴシックホラーの王様みたいなイメージがある吸血鬼じゃ、ゲルマン帝国っぽくて、北欧風をイメージしてる世界観に合わないんじゃよー。そんな上等な世界観か、という突っ込みはパス。(ただし、ブラム・ストーカーの書く吸血鬼ドラキュラの姿も、意外に男くさくて、優美な吸血鬼ってのイメージってのは、どうやら映画の影響のようです)
だからといって、スラヴのフォークロアに出てくるような吸血鬼だと、一気に下っ端モンスターに格下げですからねえ。せめて、小ボスくらいには……ならんかもしんない。展開が。何で小ボスかというと、おっさんが中ボスだからです……あ、ひょっとして、しまった、余計なネタバレ微妙?
そういや、つい4、5年前くらいまで、「ダンピール」という言葉は、菊地秀行氏の造語だと思ってました。無知って恥ずかしいですね。このダンピールというのが、吸血鬼と人間の女の間の子で、吸血鬼を見ることが出来、吸血鬼を倒せる存在なのだそうです。ただ、これもセルビアの元の伝承では、骨も歯も無い奇形児だそうで……。伝承って夢も希望もないなあ(違)。
何でこのネタを使ったかというと、いやー何ですかその、●●●●●●●●●●シーンが書きたかったとか、若気の至りっちゅーか……伏字だらけで、人様には分かんねーYo。まあ、そのシーンが出てきたら、生暖かく笑ってやってください。そういうシーンです。
一応、カインの素性って言うか正体っていうか、ともかくその辺に絡んでくる章です一応、このChapter-3と次のChapter-4は。一応一応繰り返しますが、本当に一応なので一応(くどい)。
2005年01月08日(土) :
表現方法の差
往々にして、字で書くことの方が、絵で表現するよりも楽だと思われがちです。
確かに、そういう側面はあります。何万もの騎兵が激突するような戦争の場面なんか、絵で描くのは絶対嫌です(逃げを打った経歴あり)。きらびやかな宮城なんかでも、絵で描く方が大変です。ま、文章できらびやかさを表現するのも、全然楽なんかじゃないですが。
で、全体的に文の方が楽かっていうと、絶対にそんなことはありえない。
直接に視覚効果が得られる絵と違って、文はある程度、読み手の想像力に頼る必要があります。それだけに、より的確な言葉を選び、自分が伝えたいイメージを、出来るだけ伝えようと努力する――ある意味、絵を描くよりもテクニックが必要かもしれません。一番必要なのは、語彙を含めた知識でしょうが。
どっちが難しい、と単純に比較するのはあまり意味が無いです。
クリエイトする人間にとっては、創造する、という作業がどんな形であれ、自分の能力を振り絞っていることに変わりは無いんですから。
それが、何でこんなことを思ったかというと。
文でも絵でも、同じように大変なシーンってあるよなあ、とふと思ったからです。
それはアクションシーン。
動きがある文も絵も、そりゃもう難しいったらありゃしません。文章で歯切れのいい臨場感を表現するのも、動きのある絵を描くのも。
いやねえ、何を考えたのかこの人(他人事か)、突然やる気が芽生えたらしく、何か小説とか書いてるんですよ(あくまでも他人事か)。
それで、『Shadow Saga』なんですが、ちょっと今回の章は、アクションシーンを多めに入れたい希望なんです。が、やはり「とんでもなく強い主人公」というのは、なかなかアクションシーンを引っ張りにくいんですね……。大抵の敵は、瞬殺ですからねぇ……。また、それを華麗にかっこよく書く、っつー縛り。
さて、飽きずに続けていけるでしょうか。←……
そんでもって、久しぶりに脳みそ使うせいか、頭が痛くなってきました……。
2005年01月06日(木) :
……
はい、今日は1月6日です。
そろそろ、「あけましておめでとうございます」も白々しくなってくる日付です。松の内は明日までですが、とっくに世間では仕事も始まってます。
見事に今年も怠惰宣言かい。
答え:「はい」
……馬鹿につける薬はないと申しますが、ナマケモノにつける薬もなさそうですね。
一応、二行だけ書いてみたんですが(意味が無い)。
いや、自分をあんまり追い詰めたら、かえって無力感に打ちひしがれるから〜。目標なんか下手に立てたら、達成できなかったとき、何か罪悪感感じるから〜。
さておき、今年は年賀状でないですが、絵を一枚仕上げました。塗っている最中、140MBとかになり、さすがにマシンの動作が重かったです。多分、犯人は線画レイヤーが二枚あったことだと思います。とりあえず、肩が凝りました。←筆圧高すぎです
と、まあ、相変わらずの調子です。年が変わっても人間は変わりませんからね(それを言っちゃあ)。
2005年もそんなこんなで夜露死苦ぅ!!(死語)