2002年07月31日(水) :
だらだら
あちあちあち暑いィ〜〜〜。
もう、完璧にだらけモードです。
働いてたら、仕事場によっては、冷房が効いてるところに一日中いられるのにね!
そうか、だから、去年の夏は……。
盆が無かった(違う)。
『Shadow Saga』『華京騒動録』いずれも、書きかけで止まってます。
次に何が出来るのか、私にも分かりません(無責任、ここに極まれり)。
現状報告。
2002年07月29日(月) :
批評と批判
批評はともかく、批判はするな、とよく言われます。
批評と批判がどう違うか、意味を見てみましょう。
[批評] 物事の価値や善悪に対して意見を述べる。
[批判] 1.臣下の差し出した書類に対して可否を書いて答えること。
2.物事の価値や善悪を判定する。
(角川書店『新字源』より)
つまり、批判っていうのは、どっか上から見下ろす、という視点があるわけです。
俗に言う、「辛口感想」は、一歩間違うと、この「批判」になる可能性を多分に含んでいるんですね。
「ここをこういう風にしたほうが、もっと良くなるんじゃないかなあ」という、一種の「愛」ある姿勢が欠けていると。
自分が気に入らなかったから、「駄目じゃんー」という筆致が匂う。
これ、ムカつきます。私はされたことないけど。
そのくせ、こういうこと書き方する人に限って、自分が創作している場合、ちょっと辛い意見を貰うと、やたら自己弁護の言い訳をする。
貴様、何様のつもりやねん。
自分の書いたものに対して、褒められるのは、誰しも悪い気はしない。
ちょっと辛い言い方をされても、そこに一種の「好意」が見えるなら、受け取り手も素直に受け取れるでしょう。「なるほど、そういう見方もあるんだ、じゃあ次はそうしてみようかな」と。
が、いかにも「あんた、全体的に駄目駄目ー」みたいな高飛車な感想(と言いたくないが)を貰って、誰が嬉しい?
思うのは勝手だ。が、それを受け取る人がいて、さらに衆目がある場所でそういう書き方をするのは、はっきり言って最悪だと思う。
メールにしろよ、せめて。
「私って凄いでしょ?」態度は、万人に不愉快である。それが出来るのは、「本物」の、誰しもが認める「天才」だけだ。つまり、そう滅多にいるもんじゃない。
自分に酔うのは勝手だが、それを強制的に見せられる側は、たまったもんじゃない。
まあ、そういう奴に言っても、どうせ馬耳東風、負け犬の遠吠えって受け取られるんでしょうけど。あーやんなる。
私は出来るだけ、自分と違う意見も真摯に受け止められる態度を持ちたいです。
すんません、今日は毒です。
2002年07月27日(土) :
気力体力精神力
はー。
毎日毎日、あんまり暑くて、いずれも無くなりますね……。
まあ、他にも原因があるのは分かってるんですけど。あーもしんどー。
分かってても、取り除けるとは限らないのがなー。
いっそ、エロ絵でも描いたらすっきりするかしら(何で……?)
妄言は置いといて。(マジやったんと違うか)
どーしても筆が乗らない時。
ありますよね。
私の場合は、コレが来ると、小説書きだけじゃなく、絵描きもしたくない。
本を読むのも長続きしない。
ぶっちゃけ、なーーーーーーんもしたくなくなるわけです。
そりゃもう辛いです。
起きてるのが苦痛です。
だからって、ずっと寝てるわけにもいきませんし……。
今かなりそんな状態なんですけど。
こういう場合、概ねゲームに走っちゃうんですよねー。遊ばしてもらうの。自発的に動くんじゃなくて。
でも最近はそれも。
あーイライラする。
2002年07月24日(水) :
現在
一生懸命、『東京夢華録』『中国の食譜』『宋代の料理と食品』、ひっくり返してます。
はい、食べ物です!
またかよ。笑
でもやっぱり、食べ物って、時代風俗が表れやすいからなあ。
枚数稼ぎ? あ、いやいやそんなつもりは(汗)。書きはじめたときに、書き手が腹を減らしていると、食べ物話が含まれることが多いようです。笑
後、眠かったりするとき。(何でやねん)
『華京』一話、六で終わるのかどうか、すごく微妙です、いきなり。
オチは勿論決まっていますが。
六で少ないような気もするけど、七では多いような気がする。実に微妙です。
エンタメって難しいなあ。
「ふーん、そうなんだ〜」程度に読んでもらえれば、万々歳の御の字で。
感情がどうの、心理がどうの、小難しいこと考えないで、難しいのは漢字だけ(いや、それもどうか)。
で、お気楽〜に読んでもらいたい『華京』。
しかし、本当に「過程」と「仕上がり」は一致しない……。
そら、「過程」だけで言えば、『Shadow Saga』の方が楽ですよ。出来上がりは重いけど。内へ内へ、と向かっていく形式ですからこれ。想像だけ。
『華京』は調べ物は大変だけど、その大変さも感じられないような、軽さを目指したい。いかにも、大変なのよ! というのがにじみ出てくる書き方は、『華京』で目指している、「軽妙」と相反するので。
さらっ、と書けたら格好いいですよねぇ。
それにしても、全然関係ないけど、Novel Search、サーバーが落ちっぱなしですねぇ。いいのか、あそこまで大手になって。楽園の二の舞?
2002年07月22日(月) :
夢と現実
寝てるときに見るほうの、夢、です。
夢って。
正確に自分の過去を反映するものなんでしょうか。
起きたら、細かくは覚えてないものですよね。
それを、小説の中で回想シーンなんかに使うのは、ずるいかなあ。
私は、時々、突飛もない夢をみるんですけど(お笑い系)。
そういう夢を見たときは、脳裏でその夢を反芻しているのか、結構、内容を覚えているもんです。
が、平素の自分とはほとんど関係なし。いや、全然関係なし。
高校や大学に戻る夢を見ることが、皆無なわけじゃないんですが。
それ、「当時」の私に戻るんじゃなくて、「今」の私が何故かそこにいるんですよ。
だから、過去を夢にそのまま見る、ということはありえないのかなあ、どうかなあ、と。
というのもですね。次の『Shadow Saga』の話は、丸々レオンハルトの回想なんです。夢の中っつー形で。
まあ、これまで彼の過去はきちんとは書いていなかったので。
ていうか、何でこのタイミングでレオンハルトの過去の話を挿入したのか、自分でも分からない過去の私(ひでえ)。
それにしても、何故か「二年後」が異常に好きな私。何でだ?
2002年07月21日(日) :
勢い
実は、話を書くとき、「勢い」に乗りやすいのは、『華京騒動録』ではなく、『Shadow Saga』の方だったりします。
元があるから、というのもあるかもしれないけど、要因の多くは、明確に『Shadow Saga』はゴールが決まっていること。それに向けて、構成も決まっているし、「書きたい!」シーンもちゃんとあるので。
『華京』の場合は、「これ、どうだっけ?」って、いちいち資料を調べるから時間がかかるし、基本がお気楽ドタバタなんで、『Shadow Saga』みたいな、大きな一つの流れが無いから。
絶対に入れるシリアスな話もあるんだけど、それで終わり、っつーのもなぁ……。<『華京』
まあ、調べものに時間が掛からないのは、大きいかもしれないですな。
ていうか、何を調べんねん……。<『Shadow Saga』
……意外かもしれませんが、私、シリアスの方がお笑いより、書き易いんです。
そりゃ、さらっと読めて軽く笑える方が、誰だって好きだろうさー。
私だって、お笑いは嫌いじゃないんだよー。
でも、しかし。
重っ苦しいシリアスの方が好きなの。
……だから、『Shadow Saga』の方が書きやすいの? 苦笑
2002年07月20日(土) :
オリジナリティ
脳みそも溶けそうな暑さの中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
と、サザエさん風に。
置いといて。
オリジナリティ。
0から1を生み出せる人というのは、よっぽどの天才だと思います。そうそういません。小説ではちょっと思いつきませんが(無学)、現在の漫画の「原型」を作った手塚治虫(どーでもいいが、「おさむ」って打つと、ちゃんと「治虫」が入ってるんだなあ、さすがに)や、現在の「人が乗り込むロボット」の原型なんか作った永井豪なんかは、やはり天才だと思います。
閑話休題。
だもんで、結局は「着眼点」「アレンジ力」の勝負ってことか……。
多少言い方が乱暴です。
意外と「題材」って、あるようで無いもんですよね?
そら、大体の人間は、波乱万丈のネタだらけの人生なんて送ってないわけで。ごく普通に、学校行ったり会社行ったりして、ボヤきながら人生送って……ますよね?(同意を求めるな)
人の想像力の出番なわけですが、大抵はここで何らかの「影響」を受けているのが普通ですね?
それを上手く自分の中で自分のものとして消化・昇華出来るかどうか。
少なくとも、オリジナリティに「意外性」を求められることは多いです。
そりゃそうだ。展開が読めたりどっかで見たことあるなあ、というもの読んでも、面白くも何ともないもんな。
んが。言うのは簡単。書くのは大変。
まだまだ、「オリジナリティ溢れてるぜ!」と胸張って言えるレベルじゃないもんなー……。
小手先のテクニックじゃなくて、人の心に、一時的でも残る小説を書きたい。
2002年07月17日(水) :
キャラ萌え
図ったようなタイミングで、あちこちでこの話題見かけます。
あまりにキャラ萌えな感想を、人の作品に寄せるのは可か否か。
作者が自キャラにキャラ萌えしてるのは可か否か。
そういや、「萌え」という言葉の、そもそもの語源というのは何からだったのだろう。
「萌」という字そのものの意味は、芽が出るとかですわな。草木萌ゆる。辞書を引いてみる。
「声符は明。[説文]一下に「艸木の芽なり」(段注本)とあり、萌芽の意。字はまた氓・田亡(これで一字。出ない)に仮借して用いる。国語では草の初生を「もゆ」、その色を萌黄という。
一 きざす、めばえ、め、ひこばえ。
二 きざし、あらわる、おこる。
三 くさぎる、たがやす。
四 たみ」
以上、白川静『字通』より。
いわゆる、最近頻発される「萌え」というのは、語源は何なんだろう、とか思ったり。いわゆる美少女系、ですよね? 一目見て「ヲタク」っぽいていう。
だから、この言葉自体にちょっと隔意を抱く人もいるでしょう。私もどっちかっていうと、「萌え」より「燃え」の方が好きです。笑
言葉の意味云々は置いておきます(自分で言い出したくせに)。
まず第一。
他人様にキャラ萌え的感想を寄せるのはありか?
私の答え:「あり」
ただし、その作者さんによる。これは第二にもかかるんだけど、作者さんが、自分のキャラを大事にしてて、それについて語られるのを喜ぶ人かどうか、を見て、というのが前提ですけど。
だって、教科書に載るような作品を目指して書いてる、とか、芥川賞を目指してる、とかいう人なら別ですが。
乱暴な言い方したら、オンライン小説書いてる人の多くは、いわゆるジュブナイル系、ライトノベル系で書いてますよね? こういう小説の多くは、キャラクターの魅力、というのが多いと思います。
それに、キャラ萌えだから、作品をきちんと読んでないか、と言われるとそれは違う、と思うんでよ。だって、ちゃんと読まないと、そのキャラを含めた作品の「魅力」は感じ取れないと思うから。
というわけで、ウチはどんどんキャラ萌え的感想、お寄せくださって大丈夫です。笑
次、第二。
作者が自キャラにキャラ萌え。
私の答え:「あり」
何でも肯定かよ! と言われそうですが。
だって、自分が好きで書いてないと、他人にも魅力的には映らないと思うんですよ。
作者が自分のキャラや世界を大事にしてない作品って、私は悲しくなる。それを実感したのが、●●●●の『●●● ●●●』(伏字ばかりですんまそん……)。アレは本当に悲しかったヨー。それまで築かれてきた数々の作品で、そのシリーズを好きだった人を裏切ったような感じで。この人、自分の産んできた作品に愛着とか愛情とか無いんだなあ、惰性で書いてるなら、もういっそ止めてくれ、と思いました。
ということで、私は親ばかです。
他人にもはっきりと「エコヒイキ」がばれます。
人様が「痛い」と思われない程度なら、大いにありでしょう、これ。自分の感性で書いてるんだから、自分が自分の作品を好きでないで、義務や義理で書くのはどうかと思うんです。
嫌なら近づかなきゃいいんですよ。それだけの話でしょ?(乱暴だなぁ)
読み手も書き手も、広い心を持っていたいものです。自戒自戒。
2002年07月14日(日) :
絵描きか字書きか
突然、むしょーーーーに、絵が描きたくなるときってあるんです。
実際、以前は漫画を描いていた(過去形……)人間なんで。漫画研究会出身ですし。
それがどうして小説書きの真似事をしているかというと。
理由は簡単。
漫画じゃ、とても表現力が追いつかない、というとてもとても悲しい現実が。
小説だと出来ているのか、といわれるとソレもかなり疑問なんですが。
『華京騒動録』みたいなの描くの、大変じゃないですかー。字の史料より、絵の史料の方が無いんですよ、当たり前だけど。
『フィルキス英雄志』に至っては(小説書いてないやん)、何十万対何十万の軍隊のぶつかり合いの世界ですよ! 嫌やーそんなん描けるかい!(ネイティブスピーキング)……主人公はあんまりそれには関係ないけど(あっ)。
要するに「お話」を作るのが好きなんですね私。
その作った「お話」をから別の「お話」を作るのも得意ですが。作者自ら自パロやる始末。そ、それはもう少し……後で……。
二日続けてあんまり眠れなかったので(ゲームのしすぎと違いますよ、念のため!)、半分朦朧としている頭では到底、小説など書けず。
今日は絵を描いていたんですが(つうても下書き量産)。
関係ないけど、身体のラインをモロに出す服より、身体を隠してしまう鎧とかの方が、描くの楽ですね私は。突然、ジーンズが描きたくなったのですが、考えてみれば、最近、全然ジーパン買ってないから穿いてないや……閑話休題。
このままこの状態を維持できれば、フィルキス英雄志列伝、更新できるかなあ……。
2002年07月09日(火) :
資料類
『華京騒動録』ですが。
「ここはどうなんだ?」「そういや、これって……」とか思い出すと、どんどんどんどん(以下略)深みにはまって、資料を漁る羽目に。
それでですね。
当たり前なんですけど。
歴史もの(か、あれは?)の資料というのは、やはり学術書が多いわけです。
立派な箱入りの。保護紙もついてる。
いわゆる専門学術書ではなくても、判型もお値段も、全然、文庫じゃないんですけど、平凡社の東洋文庫!
中公とか岩波とかの新書で、もう少し出してくれませんかねえ。中国史関係。そしたら、値段もそこそこで、一般の書店でも手に入るのに……。
勿論、ハードカバー本の利点はあります。高くて場所を取るけど……。
丈夫なこと。これにつきます。
何度も何度も、色々と繰り返し調べるのに使うのだから、装丁がしっかりしているの越したことはないのです。
文庫なんか、最近はカバー紙もコーティングされているものが多いですが、十年ほど前はそうでもなかったです。陳舜臣の『小説 十八史略』なんて、繰り返し繰り返し読んだものだから、もうよれよれ。背表紙は脱色してるし……。色は変わってないけど、よれ度で言えば、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』も。いや、一番よれってるのは、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズなんですが。新潮文庫の、延原謙訳の。年季入ってますから。
話がそれましたが。
気が付くと、参考文献が増えていく恐ろしさ。
小説を書いているときは、ずんずん机の上に、資料が重ねられていくんです。
一番使うのは『東京夢華録』ですが。
本当に、宋そのものを描いてるわけじゃないから、ちっとは融通利かせればいいのに……。
いえ、スランプとかじゃなくて、今、全然小説書いてないのは、ゲームで……あわわわ(検閲削除)。
2002年07月05日(金) :
更新速度
無職なんだから、時間だけは無限にありそうなものなのに。
いや、この状態が続いても困るんですが、まあ、現状として。
はっきり言って、仕事を持って、きちんとお勤めしている方のほうが、えてして更新日をきちんと決めて、連載をしている感がある。
更新時期は決まっていないけど、更新感覚が短い方もいる。
何で出来ないの、それがあんたはッ! プーのくせにッ!(激痛)と自分でも思うのですが。
考えられる原因その一:
飽きっぽい。
……すみません、石を投げないで下さい。
いやしかし、体調のせいで集中力が続かなくなる時期がどーしてもあるんです。
同じ作業を続けていられなくなるんです。
考えられる原因その二:
読みふける。
資料で、調べ物をしているはずが、気が付くとそれを読みふけっている。
参考に、とちょっと見るつもりだった小説を読みふけっている。
よくある罠?
考えられる原因その三:
推敲と書き出しを同時にやっている。
とりあえず、字を直接打ち込む。調子がいいときはそのまま続けるが、調子がよくないときは、そのまま文章とにらめっこを始める。
そのまま何度も何度も読み返し、その一やその二の状態に陥ること多し。
単に効率が悪いということだけが発覚。ぎゃふん。
2002年07月03日(水) :
サイト構成・これが苦手だ
創作とはあんまり関係ないのですが。
でも、オンラインでものを発表していると、どうしても行き着く問題。
サイト構成。
はっきり言って、私は、コレに関しては大らかな方だと思います。
ブラウザのウィンドウを複数立ち上げていても、一つ一つ最大化してる(いっぺんに複数窓を開いていても、どーせ意識が集中するのは一つだけ)から、画面の広さなんてあまり気にしないし。
画像が多かったりして、多少重くても、高速ブロードバンドのおかげで、大して気にならないし。
文字の大きさも、自分で勝手に調整するし、絶対指定されてても、まあよほど豆粒みたいな字じゃない限りは「ま、いっか」と思うし。
では、どういうのが苦手かというと。
まずは、よく言われるトップページにハー●ット。ケーブルネットでも表示に時間がかかるのだから、アナログなら尚更だろう。つか、アナログの時は、読み込み待たずに次のページに進んでました。で、そしたら次のページがなかなか読み込めなかったりして。酷いときは落ちる。
それから、トップページ関係で言えば、トップにJavaScript。使うなって言うんじゃありませんよ。が、トップにアクセスしてすぐにJavaエラーが出るサイトってあるんですよ。悪いけど、その場合、私は即バックです。汎用性のないJavaScript
は使わないで下さい。つか、ちゃんと自分でチェックしてる? と疑います。
後、いちいちトップページに戻らされるリンク。↑とのコンボ喰らうと、もう最悪。トップページに戻ると、大抵、カウンターの読み込みがあるので、これが嫌だ。トップはトップとして、ちゃんとカテゴリごとの目次を設けて欲しいです、私は。
それから、ハイパーリンクがちゃんと繋がってないところ。移転した、とか、改装してサイト構成変えた、とかで昔のページに繋がってて、その先何処へもいけなくて、結局「戻る」ボタンを連打する羽目になるとかが一つの例。よっぽど続きが気になる、とかじゃないと、これでハイ、さようならー。そうそう、ソフト使ってHP作ってる人に多いんですけど、自分のローカルにリンクが繋がってしまってる、というのも見ます。ローカルでは繋がってるから問題ないと思いがちだけど、ちゃんとオンラインでも自分のサイトは確認しましょうね(偉そうに)。
画像表示が×になっているのも嫌。ちゃんと確認してよーって感じで。
それから、こういうこと言うの酷ですかね? 異常に重いサーバー使ってる人。ケーブルネットでもなかなか表示されないサーバー。でも、「見てもらう」ためにHP開いてるんでしょ? だったら、サーバー選択も重要だと思うんですが。実際、私はそれで移転しましたし。
よく言われるMIDIも。ストップボタン無かったりすると、困るんですよねー。複数開きの場合特に。何か、全然そぐわないBGMが聞こえてきたりして(もっとも、現在の私のパソコンの音源出力はラジカセに繋いであるので、ラジカセをAUXにしない限りは音が出ません)。
主に、私の場合、HTML関係の不満が多いようです。
……結構あるなあ、意外と(苦笑)。
あ、そうそうそれから最後に。
機種依存文字と半角カタカナもやめようなー!
文字化けして愉快なことになるから……。
関連リンク→機種依存文字劇場
2002年07月02日(火) :
キャラクターと好み
割と、女性キャラを作るのが苦手かもしれません。
男性に付随するようなキャラばかりではつまらないし、かといって男と女がいて、何も起こらないのも不自然かな、とも思うし。
同性の方が類型的なキャラになるからなんでしょうかねえ、私の場合……。
一人称で話を書く場合も、男の方が楽なんですよ、何故か。
主人公も男ばっかり。
『フィルキス英雄志』の場合は、登場人物が男性に偏るのも仕方ない部分もあるんですが。
やっぱり、政治だとか軍事だとか、そういうのが複雑に絡む話の場合、男の方がどうしても前面に出てしまいますよね。
後、男の方が容赦なく痛い目に遭わせやすい……(ぼそり)。
他の方はどうか知りませんが、私は割と「好み」でキャラを作ります。
好みで言うと。
1.黒髪(長さは問わず。ツヤベタが大好き……)
2.切れ長の目(ややつり目が好みです。自分がつり目だからか?)
3.面長(だから大抵20代以上の年齢)
4.長身(ただし180センチ台。190以上は私定義では「大男」)
5.文武両道(脳みそが筋肉だったり、ひょろひょろしてたりするのは不可。贅沢な)
こんなところでしょうか。あ、だから、ボディビルダー系ムキムキマッチョは嫌ですよ(笑)。
……以上のデータ(笑)から、私が自分で贔屓してるキャラクターが、大体分かっていただけるかと。
上記に当てはまらない方が多いんですけど。全部が全部、好みのキャラにするのはさすがに。
こういうのが作中に混じって出てきたら、ああ、荒野の好みなのね、と思ってください(笑)。
だからといって、必ずしも扱いがいいとは限らないかもしれませんが……。(暗に『Shadow Saga』を言う)
中には、誰とは言いませんが、初期より激しくパワーアップしたヒトもいます。それで、作者内「お気に入り」に登録されて、もっとパワーアップしましたね、彼は……(笑)。
2002年07月01日(月) :
作者とキャラクターの類似性
……というのは、実際どうなんでしょう。
例えば、自分と似た性格のキャラを主人公にした方が、話が書きやすい人。
逆に、自分が「こうありたい」という憧憬や願望を込めて、キャラクターを作る人。
私は……。
主人公キャラについては、自分の性格がベースにあるかも。
レオンハルトやカインの自省癖(癖とゆーか)なんかは、自分似かも(笑わないように)。
逆に、祥竜の口の悪さも、とっても私似のような気がする……。いや、私の父親はあんなに強烈なキャラクターではないですが(フォロー)。
ただ、どの主人公にしても、「一歩進む」強さがあるのが、憧憬の対象ですね。
あそこまで潔くないですもん私は。考えたら考え込んで、そこでストップ。
…………。
何かこういうキャラがいたな……。
……リュオルト!?
そうか、リュオルトは最も作者似のキャラクターなのか。だから出番が少ないのね!(酷)
(作者より遥かに人望はあるが)(またしてもフォロー)
やはり、主要キャラクターなんかは、自分の好みだけでなく、無意識に自分自身が反映されるのか。
だとしたら……あの人の何処に自分が反映されているのか、というキャラもいます。あれは完全に憧憬の対象だけだろうなあ……(笑)。
扉絵描いて、ギャラリーに一枚絵アップしたら、小説の続き書きます。