ジョージ北峰の日記
DiaryINDEXpastwill


2011年01月19日(水) 青いダイヤ

 16
  これまで、私は長兄の話ばかりしてきました。次兄の話をしなかったのは、私の生活の大部分が長兄と関わっていたからです。
  それは、次兄が両親の考え方とは、ある意味では相容れない破天荒な性格の持ち主であったからだと思います。とにかく子供の頃から、喧嘩については負けず嫌い、勉強をするより、むしろ誰よりも強くなりたい意志の強い人でした。成長するにつれて柔道、空手、剣道などに熱が入り、大学時代は空手部のキャプテンとして活躍し、いくつかの高校、大学の空手部創設に熱を入れていました。
  当時何社かの新聞記事にとりあげられたこともありました。私の父方は、父も含めて運動神経に並外れた資質の持ち主が多く、叔父達の中には、20歳になるまでに剣道5段になった末弟、旧制高校時代に短距離でオリンピックに候補に上がった3男などがいました。次兄は、叔父たち血筋を引き継いでいたのでしょうか。

  次兄の印象に残ったエピソードを少し話してみましょう。
母から聞いた話ですが、小学生低学年の頃、ある日次兄が屋敷の塀の上に小さな石を並べていたらしいのです、母が不思議に思って理由を聞いたところ、学校で上級生と喧嘩して負けて帰ってきた。「それで?」母がと尋ねると、彼は負けたことが悔しくて「仕返しをする」と答える---。「だから此処から石を投げるの?」と母が尋ねますと、大真面目で「うん」と答えたらしいのです。母は驚くやら可笑しいやら---、あきれたらしいのです。
  子供の頃から、次兄は他の兄弟とは、少し発想が違っていて、戦うことに異常な執念がありました。
次兄は「生まれた時代が悪すぎた。戦国時代なら大将だったのに」とよく言っていました
  
  次兄は高校時代、厳しいことで有名な保健体育のN先生に可愛がられていました。不思議な縁があったのか、偶然私も十数年後N先生に習うことがありました。私の姉も運動部に所属していない生徒としては初めて、長距離レースで1年生の時は2位、2年、3年生では優勝したということで、姉の名前も学校では有名でN先生もよく知っていました。
  N先生は、私に「君は、あのすごい兄や、姉の弟か?」と、私が頷きますと、「兄や、姉はすごがったけれど、君にはそんな雰囲気がないね」と笑いながら話すのです。私は「その通りです」と答えましたが、後に姉に「何故次兄のことをN先生は知っているの」と聞きますと、面白い話をしてくれました。
   当時まだ戦後間もない頃で、街には所謂「愚連隊」と呼ばれる、悪の集団がたむろしていて、街でよく暴れることがあったらしいのです。高校にもそんな学生達がいて、問題になっていました。
   兄が卒業する日、ある悪グループのメンバーが「卒業式が終わったら、N先生を呼び出してお礼参り」すると相談をしている話を聞きつけて、正義感の強い兄は「卑怯な奴らだと」助太刀に行ったらしいのです。彼等と大立ち回りをしたあげく、N先生を助けたらしいのです。私の兄は常に「徒党を組んで、悪事を働く連中は卑怯な奴等だ」と「悪の風上に置けない」と嫌っていました。
   兄のグループは一人ひとりが一騎当千の兵(つわもの)ばかりで、彼等の仲は良いのですが決して徒党を組むことはありませんでした。「弱いものいじめ」を最も軽蔑していました。兄達にはそれこそ昔気質のやくざや黒シャツを着た右翼と言われる大人達も混じっていました。私は子供ながら「彼等は強面の人だ」と思えるのでした。次兄も「一歩間違えたら彼等も命知らずだよ」と言うのです。
   しかし話を聞いていると意外に温厚で義理堅い、生真面目な人達のようにも思えるのでした。
   両親は次兄をとんでもない息子と嘆いていましたが、何処かで次兄に頼っている節もありました。

   人格も優れた学問派の長兄と、アウトローの次兄とは仲良しでした。ある日私の母が、次兄の就職に際して大学へ呼び出されたことがありました。勿論、兄の行状についての問題が指摘されたのでしょうが、母の話では次兄の成績が思っていた以上に優秀だったらしいのです。「あの子は何時勉強しているか---、」と驚いて帰ってきました。
   それには、嘘のような話があったのです。
  実は長兄も、講義を受けている様子はほとんどありませんでした。私たち家族は、兄が何時試験勉強しているのかさっぱり知らなかったのです。しかし再試験や追試を受けたことがないのです。どんな試験も一発で受かるのです。姉が不思議に思って、どうして試験に強いのか、聞いたことがあったらしいのですが、「修行で心眼を磨いてきたから、無念無想の境地で本を見ていると試験に出る場所が分かる。」と答えたそうです。姉は「本当かな?」と半信半疑でしたが---。
  実は次兄が、長兄のこの能力を利用していたのです。
次兄は、記憶力には特別な才能があって、一度本を読むと大部分が記憶中枢の残るらしいのでした。だから試験の出る部位が分かると、苦もなく勉強を済ませることが出来たのです。
   しかし語学は別で、特に第二外国語の試験は、(時効だから話ますが)長兄が代わって試験を受けたことがあるらしいのです。「教授が回ってくるたびに、ばれはしないかと冷汗をかいたよ」と笑いながら、「もう少し勉強したほうがいいよ」と次兄に話しているのを聞いたことがありました。
   2人は年齢が接近していたこともあって随分仲が良かったように思います。

   地域の区民運動会に次兄は、招待されて空手の演武を見せることがありました。瓦割り、板の4人割り、型や実践さながらの組み手などを披露するのです。子供ながらに「凄いな」と思ったのですが、友人達の反応は想像以上で、「お前の兄さんは強いね」と驚き、その所為か私をいじめたり喧嘩を仕掛けたりする者は誰一人いませんでした。
  後に聞いた話ですが、次兄は女性によくもてたそうです。
  次兄は長兄のように、哲学的に話すことはありませんでしたが、人のあるべき姿については「正義感を最も重んじる」人でした。私から見れば、任侠の世界の主人公「男の中の男」と重なって見えるのでした。


ジョージ北峰 |MAIL