ジョージ北峰の日記
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2010年10月06日(水) 青いダイヤ

13)
 兄と生活を始めて、やっと勉強する意味が分かったような気がしました。しかし、そしてそれが切掛けとなって、私の苦難の人生が始まることになったのです。

  元々、できれば毎日、山や川を走り回って生きていければどんなに楽しいことだろうと思っていたのです。
  当時の日本の経済はどん底で、食べるものが不自由な時代でしたから、まず「食物」さえ確保することが出来れば、人生はそれで「良し」と考えていたのです。
  友達の家は農家が多く、当時はほとんどの子供が中学を出れば家業を継ぐので、子供の頃から家の手伝いが忙しく、彼等が学業に身を入れる暇はありませんでした。私はそれが羨ましくて仕方がありませんでした。
  時に父が冗談交じりに、田舎へ帰って、畑を耕したり、鳥を飼ったり、海辺で釣りをしたりしてのんびり過ごそうかと話すことがありました。私は大賛成で、父が話す、実現できそうもない夢物語に目を輝かせていますと、母が「そんな話を、していると子供が勉強しなくなります」と余計な注意を挟むのです。私は「そんなことはない。勉強はするよ」と反論しますが「お前はこれから大事な時期を迎えるのだから、刺激のない生活をさせる訳にはいけません」と釘を刺すように言うのでした。


  私はN子のことを思い浮かべていました。N子と結婚して2人で生活する夢を---。当時芸能写真雑誌に映画の主人公達が大きな樽状の家を海辺に建てて、海辺でキャンプファイアーの様な生活している場面が掲載されていました。それがとても楽しそうに思えたのです。
  出来れば親から逃れてN子と2人で生活出来ればどんなに楽しいだろうと夢を描いていました。そんな私の夢物語はどんどん膨らんでいくのでした。

  ある日N子に「僕は、海辺で小さな家を建てて生活したいと思っているんだ」と言いますと「面白そうね、でも私は大人になってからも両親と一緒に生活したいわ」と素直に答えるのです。
  N子は両親から可愛がられているから、自分とは少し考え方が違うのも仕方がないか---ただもう少し詳しく話していたら、答えも違っていたかもと---がっかりするのでした。


  しかし、ある夏の夜、兄が私に「1+1=2は正しいと思うか?」と馬鹿みたいなことを尋ねるのです。(此処からは、兄の話を少し現在の私風にアレンジして書いてみます)
  「正しい」と答えますと、すぐに「何故?」と理由を求めるのです。
  私は簡単に「1個のリンゴと1個のリンゴをたしたら2個のリンゴになる」と答えますと「2個のリンゴの大きさが違えば、それでもやはり2個と思うか」と---私が困っていますと「少し難しい質問だったかな」と言いながら、  実はこの答えはお前の年齢なら答えられないのが正解だろう。
  誰が見ても正しいこと(1+1=2)を「それは本当だ」(少し難しい言葉で言うと「それは真理だ」)というのだが、人間がどうして真理を知ることが出来るのか、実はよく分からないのだ。
  フランスの有名な哲学者が「真理とは何か?」をとことん追求して、最後に辿りついた答えは「我思う故にわれ在り」と言うことだった。
  多くの人々がこれこそが「本当だ」「真理だ」と主張しているが「誰が、それを真理だと保証するのか?」それは難しい話だというのです。
  人の精神は「我思う故に我あり」以外に真理を知りえない。
  私には、兄が何を話したいのかよく分かりませんでした。
  「神のみ真理を知り給うのか?---」デカルトは考えた。
 「我思う、故に我あり」以外にも、数学を例にとって考えれば「、万人に、この定理は真実だと断言できるものが確かに存在する」---つまり「人間精神も神と同様、真理を知りうると考えざるを得ないのだ---」

  人間精神に真理を認識する能力が存在するとすれば、人間精神の中にこそ神が存在すると考えざるを得ない---。
  「自分自身の精神の中に神が存在するとすれば---どうすればその神に出会うことが出来るのだろう。
  「難しい話をしたが、実はお前の精神の内部にも必ず神が存在していると言いたいのだ」
  「だから、勉強を一生懸命することは、単に賢くなることが目的なのではなくて、自己の精神の内部を探検すること、神の存在に行き着くこと、と考えてみれば、勉強することも楽しくなるだろう?」と言うのでした---。


  家の外では、大人や、子供達のはしゃぐ声が聞こえてきました。裏道を通って散歩しているのです。
「山道は怖い」
「あれ!火の玉が飛んでいる」
「あれは月でしょう」
「違う、あの松と松の木の間を、確かに何かが飛んだ」
等“がやがや”騒ぎながら遠ざかって行きました。
 N子の声が聞こえたような気がしました。私が外に気が散るのを気付いた兄は「今夜は、我慢して勉強しよう。又明日遊べばよい」と少し笑いながら語るのでした。


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