ジョージ北峰の日記
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2010年02月22日(月) |
オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム |
ラムダ国の海岸はあくまで静かで、白い砂浜が幾重にも重なり、海岸近くは珊瑚礁が豊かで明るい青緑色、遠くは濃紺に輝く海が続いているだけでした。穏やかな白い波がはるか彼方から次第に高さを増しながら寄せてくると砂浜を優しく愛撫するように洗う。それは熱帯にあるハワイの海岸を見ているような印象を受けるのでした。 「こんな静かな海で一体どんな戦争があると言うのか?」と疑いもありました。が、しかし一方この国の戦争がどんなものなのか好奇心がなかったと言えば嘘になるでしょう。 アレクは、エレベーターで二十階ほど地下にあるドーム場の広場に案内してくれました。 其処では、研究室で暮らしていた私には、想像もつかないほど、多くの人々が、右へ左へと目まぐるしく、しかも整然と一つの流れになって働いていました。少し離れた所から見ると、例えは悪いかもしれませんがアリの行進を見ているような印象を受けるのでした。 この国へ来てからこんなに多くの人々が慌しく活動している様を見たことがなかったのです。ただ「この国は今、戦争状態にある!」という実感が(私にも)ひしひしと伝わって来るのでした。 長方形のドームの両側には潜水艇が停泊するためのドックがあり、小型の潜水艇が、縦列で数隻停泊していました。そして数名ずつ戦士が乗り込むと、潜水艇は直ちにチューブ状のトンネルに向かって運河を移動していく、すると反対側から次の潜水艇がドックに入ってくる。そしてまたトンネルを通って出撃して行く。絶え間なくこんな光景が続いていました。一方反対側のトンネルでは、出撃していた潜水艇が帰還してくる。そして怪我した戦士達が運ばれてくると、救護班の戦士達がエレベーターでどこかへ搬送する。一方整備班戦士達は直ちに潜水艇の点検に入る。広場には多数の戦士達が出撃を控えて待機していましたが、彼らの働きを潤滑に進めるため、多数の人々が出撃戦士の準備を手助け、新しい武器を運び、又使えなくなった武器を搬出したりするなど、とても効率的に忙しく働いていました。 よく見ると働いている人々は、補給戦士、救護戦士、整備戦士に役割分担されているようでした。そして戦場に出て行く戦士は、出撃前というのに緊張する様子もなく整然と隊列を組んで静かに待機していました。 ところで、その時私が何を見て驚いたか?と言いますと---戦いに出撃していく戦士達がみな女性だと知った時でした。 さすがに私も絶句してしまいました。私の常識として、女性が戦場に出撃することは(よほどの例外を除けば)とても許さることには思えなかったのです。 私は、恐らく(医者の立場から考えて)人類にとって女性には“戦”以上に重要な役割、つまり“種の保存”と言う生物学的役割があると考えていたからでした。 この国では一体なんの為に“戦争”に女性が出撃するのか?---私には理解できませんでした。
それはともかく、この国の女性戦士は、皆オリンピック選手のように、広い肩幅、厚い胸、筋肉質な腕や太腿、いかにも逞しい体格をしていました。ただ、ヘルメットを装着している彼女達の横顔を見た時、私は驚きました。逞しい体型とは裏腹に、彼女達の顔に、まだあどけない天真爛漫な子供の面影を認めたのです。私は「あんな少女達に戦争なんて何故なのです?」と、咄嗟にアレクに叫んでいました。 しかし、彼女達に、戦場へ“今”出撃するという躊躇い(ためらい)や恐怖心があるようには見えませんでした。 それからアレクは私を司令室に案内してくれました。それほど大きな部屋ではありませんでした。そう、シネマコンプレックスの比較的小さな会場を連想していただければよいかと思います。 中央の壁には大型のスクリーンが設置され、戦闘の模様がまるで映画でも見ているかのようにまざまざと映しだされていました。左側には周辺の海底の地形と見方の戦士の配置図、右側には敵の軍勢の規模・戦士の動きが模式的に描かれた作戦用のスクリーンが設置されていました。味方の戦士から送られてくるメッセージは刻々と伝言板に書き込まれる。それを基に参謀達が、敵の動きや配置も参考にしながら、味方の戦士たちのとるべき行動、作戦を司令部に送る。司令官はその内容を判断し、オペレーターを介して逐一現場の戦士に命令を伝える。 この部屋から戦闘を見ていると、ゲームを見ているような錯覚に陥りましたが、画面に映し出されている状況は現実に起こってい戦いでした。正面の画面には、これまで私が見たこともない光景が次々と繰り広げられていました。戦士たちは敵も味方も大型のサメ(のように見えた)の背中に乗り、サメを操りながら(あやつりながら)戦っている。それはまるで飛行機による空戦を見ているような光景でもありました。 攻めてくる敵の隊列と、味方の隊列が一瞬バリカンのように重なり合ったかと思うと、数人の戦士たちが振り落とされる。と、一瞬のうちに敵、味方の戦士の槍や水中銃の餌食になる。 現実の戦闘の現場を見ていると、私は全身が熱くなり、感情の昂(たかぶり)ぶりを覚えるのでした。 水中での戦いはサメの能力に負うところが大のようで、お互いぶつかり合った瞬間、大きな衝撃を受けた方の戦士が振り落とされる。無論それだけの要因で勝負が決まる訳ではなく、戦士のサメを操る技量にも大きく依存しているようでした。 正面から衝突するかの様に接近、直前に体を左右にかわし、瞬間背後に回り敵を攻撃する。 水中では長い刀を振り回すことが不可能なので、槍の攻撃が中心なのだ。だから、敵が後ろに回ると攻撃を受ける側は命取りになる。しかし、腰の短剣を抜いて防御することも可能なようでした。 さて戦の方ですが、味方の戦果が逐一伝言板に報告されてくる。この戦は味方の勝利に終わりそうだと誰もが予測し始めた時でした。 オペレーターの一人が右のスクリーンを指さしながら「敵の別の一団が突進してきます」と叫んだのです。その叫び声が消えない間に、敵の姿はもう正面のスクリーン一杯に映し出されていました。それを見た瞬間、部屋にいた者は参謀、司令官も含め皆が凍りつく衝撃を受けたのです。 なんとまるで鯨のような大型のサメの一団が味方の防御網を簡単に破って突進してくる様子が映し出されたのです。 味方の戦士たちも勇敢に立ち向かって行きますが、ひとたまりもなく弾(はじ)き飛ばされる。そして弾き出された味方の戦士たちは、待ち伏せている敵の槍の餌食となって沈んで行く。 「このままでは味方は全滅だ!」 それは “屋島の合戦”を想起させるほど凄まじい光景でした。先程見た、まだあどけない少女の様な戦士達のことを思うと、あまりの戦いの凄惨(せいさん)さに、私は動転し心が凍りついてしまうのでした。 「援軍を出さなければ!」と思うのですが、しかしそれでも相手の突進を防ぎきれる保障は全くなかったのです。本当にどうするのか?戦争を知らない私には何もよい考えが浮かばないのでした。 こんな戦闘を、目の当たりにするのは、衝撃的で恐ろしいことでしたが、まだ私は若かったのでしょうか?あるいは少女たちの勇敢な戦闘シーンに触発されたのでしょうか?不思議なことに、恐怖心よりも闘争心が入道雲のように全身にむくむくと漲って(みなぎって)来るのでした。 一方戦士たちは相変わらず恐れ知らずで、仲間が倒れても、倒れても次々攻撃を仕掛けていくのです。こんな残酷なシーンを何もしないまま見続けることは私に耐えられそうもありませんでした。 しかしアレクは意外に落ち着いていました。 参謀たちは、戦況を分析していましたが、しばらくして司令官に作戦を変更するよう告げました。 格闘戦は不利と読んだのでしょう。 作戦が戦士達に伝わったのか、これまで攻撃していた味方の一団が、海底に向かって垂直に降下し始めたのです。すると敵の怪物ザメ(モンスターザメ)も、躊躇(ためらい)なく彼等を追尾し始めたのです。その時でした、サイドから味方が一斉にモンスターザメを取り囲み側面攻撃を開始したのです。この作戦は一時的に有効に作用したようでした。 モンスターザメと雖も(いえども)、垂直方向へ潜るときは、動きが少し鈍くなるのです。その時腹部から攻撃されると如何することもできないはずで、彼らを操る戦士を攻撃するには最適の方法と考えられたからです。しかし味方の一群が一斉攻撃をかけようとした時、それを予期していたかのように、またしても上方から敵の一群が攻撃をしかける---それからは敵・味方が入り乱れて一進一退の格闘戦が始まりました。 味方のサメには数本の白い縞模様が頭部と尾部にあり、それが目印となって、戦況、即ち敵・味方のどちらが追い、どちらが追われているのか良く判別できました。 敵に追われる味方、逆に敵を追う味方の戦士たちが三次元空間をフルに使って戦っている。いつの間にかモンスターザメの一群も隊形を立て直し傍若無人に振舞っている。 それにしても、実際の戦争の最中にサメが馬のように戦士の指示通り懸命に戦う姿は、戦況とは関係なく(おそらくサメであるが故と思うのですが)感動を呼び起こすのでした。 戦は、手に汗を握るほど緊迫した状況で、本当は美しい南国特有の紺碧の海だというのに、海は血で真っ赤に染まり白い珊瑚礁も熱帯魚の群も目に入らない凄まじい混戦状況が続いていました。 モンスターザメの出現があって、味方の戦士たちの奮戦にもかかわらず、味方には不利な状況が徐々に展開しつつあるのでした。 その時! 遠くで、すばやく泳ぐ一頭のサメを三頭のサメが追尾する様子が画面に飛び込んできたのです。 そのサメの動きは鮮やかで、後ろからの攻撃を反転、素早くかわしたかと思うと横からの敵を撃退、他の2頭の前後からの攻撃に対しては、さらに複雑に反転・上昇・攻撃を機敏に仕掛ける。見ている間に、三頭の敵を撃退、相手戦士が沈んでいく様子が見えました。まるで少年の頃によく見た映画で、戦闘機の格闘シーンを見ているような錯覚に陥ったほどでした。 その戦士が操るサメは決して大型ではありませんでしたが、敏速で複雑な動きができるようでした。 しかし横で戦況を見ていたアレクが突然「女王!」と叫びました。 なんと、味方の戦況が不利と判断したのか、パトラが戦線に加わっていたのです。 一瞬、私は驚きで全身が火のように熱くなるのを覚えました。 まさかこんな危険な場所に女王パトラまでが出撃していくとは! パトラの無謀さに私はあきれましたが、 一方、彼女の今回の行動ほど、女王としての責任感と強い意思を肌で感じたことはありませんでした。 しかし「何故この危険な戦場に、今この状況でパトラが出撃したのか?」 私にはこの国の王の果たす役割が分からなくなるのでした。 彼女の無謀さに、私はあきれていました。しかし一方、涙で周囲が霞んで見えるのでした。
パトラを心配したのかアレクは立ち上がっていました。 一方味方はパトラの参戦に勇気づけられたのか隊形の建て直しを図り始めていました。 数頭のサメがパトラと一緒に、モンスターザメの攻撃に加わろうとしていました。しかし先ほどの戦闘から、モンスターザメは皮膚が硬く、弾力があり、通常の槍の攻撃があまり有効でないとの報告が届き始めていました。 司令部では色々作戦が考えられましたが、結局モンスターザメの弱点は一箇所“眼”だけとの結論に達したようでした。 しかし相手の眼を攻撃するには、どうしても敵の攻撃範囲内に接近しなければなりません。その作戦はモンスターザメの想像以上の機敏な動きから判断すると危険極まりないことでした。 「どうするのか?」 司令部からの作戦が戦場に届いたのか、それまで闇雲に攻撃を仕掛けていたラムダ国戦士達が“パッ”とモンスターザメから離れ周囲に広がったのです。相手の動きが一瞬止まった僅かなラグタイムを見逃さずパトラが上から前方へ飛びだす。それに気付いたモンスターザメが、攻撃のため急な態勢を取ろうとする瞬間、パトラは上方へ反転、逆さ落としの態勢から、すれ違いざまに、矢のように敵の眼を槍で攻撃していました。 最初の一撃でモンスターザメの眼を見事に貫いていました。何時ものことながらパトラの反応は素早く正確でほれぼれするものでした。 私は思わず “やった!”と手を叩いていました。司令部の人達も思わず拍手を送っていました。 が、しかしこの方法にも勿論問題がありました。パトラは相手から槍を抜き取ることが出来なかったのです。 片目をやられたモンスターザメは、敵の思わぬ攻撃に驚いたのか、退却し始めましたが、一方モンスターザメ以外の敵戦士がまるで、蜜に群がる蟻のように彼女に対し攻撃をかけてきたのです。 勿論味方戦士もパトラの周囲に集結、必死に防戦している。パトラの死は、ラムダ国の敗戦を意味したからです。 パトラも素早く短剣を引き抜き、自ら防御する一方、味方を立て直し、戦況を攻勢に転じようとしていました。 と、それまで戦況を見守っていたアレクが「私が出撃します!」と司令に告げたのです。 心配そうにしている私に気付いたのか、アレクは「大丈夫! パトラの部隊はサメではなく、われわれが新たに開発したシャチ部隊だ。シャチの動きはサメより数段優れている。今回は予想以上の働きだ。サメはシャチを恐れている上、パトラは戦いを熟知しているから決してやられることはない!それに此方もモンスタ−ザメの攻撃用に槍を多く準備すればよい」と断言するのでした。 なるほど、パトラの動きは機敏で、彼女が参戦してからは、味方戦士の士気も上り、秩序だった戦いが出来る様になっていました。 それにしても自信に満ち、堂々としているアレクの姿が今日ほど頼もしく思えたことはありませんでした。「アレクなら状況を好転してくれる---」と、不安の中にも明るい見通しが立ったからです。 アレクの率いる部隊は、シャチ部隊でした。この部隊は五十頭あまりの小部隊でしたが、その働きは目覚しく、三頭が一体になって戦う新しい隊形は想像していた以上に有効となり、敵の陣形が崩れ始めました。 パトラを始めラムダ軍部隊は苦戦していましたが、アレクの部隊が敵を蹴散らし、一直線にパトラのほうへ向かって進み始めますと、それまで戦っていた敵は、まるで潮が引くよう退却して行くのでした。 14 若く可憐な少女達が“生死を賭け”戦場で恐れることなく戦う姿、そればかりか敢えて危険な場所に出撃して行った“女王パトラ”、まるで“散歩”にでも出掛けるように出撃して行ったアレク。彼等の行動は私の心を強く揺さぶりましたが、一方「何故この国は戦う必要があるのか?」それに「命が保証されない戦場へ如何して女王パトラまでが出撃していくのか?」 私には理由(わけ)の分からないことばかりでした。そればかりではありませんでした。 この国のように遺伝子工学が実際に人間や動物世界の改造に応用され、人造人間や人造動物が現場に送り出されるとしたら、これから先、地球に一体何が起こるのだろう? 今日の遺伝子工学で造られた動物達の戦(いくさ)を見て、考えさせられたのでした。 彼等の遺伝子組み換え研究が、長い時間をかけ創造された生態系のバランスを崩し、最終的には地球の生態系を破壊し尽くすのではないかという危惧さえ抱き始めたのです。 何億年もの昔、地球上を自由に闊歩していた恐竜達が、何故滅びていったのか?いろいろ学説がありました。 遺伝子には寿命があり、ある期限を過ぎれば退化が始まる。言い換えれば遺伝子そのものの性質(限界)ゆえに滅びていった。 或いは何らかの原因、例えば地球環境が生物の適応能力を超えるほどドラスチックに変化した(惑星の衝突説)結果、絶滅した。 或いは又、何かが原因である種の生物が絶滅した結果、それが生態系のヒエラルキーに打撃を与えドミノ倒し的に生物界全体が絶滅した、などを挙げることが出来るでしょう。 しかし恐竜絶滅の本当の理由はなお不明なのです。ただ恐竜たちが、生存の場としてきた地球環境に適応出来なくなったことだけは確かですが---。
しかし、ラムダ国が精力的に遺伝子工学を使って動物進化を、人為的に進めているのを知って、私は恐竜時代以前にも、ラムダ国のような国が存在し、生物の進化を自己目的の為に利用しようとしたのではないのか?その結果が恐竜時代の幕開けで、それが当時の地球上に栄えた生態系の連鎖を破壊、恐竜のみならず当時の生態系全体を絶滅させたのではないか? 私が北極圏に興味を抱いた動機は、氷河に閉じ込められた恐竜時代の遺伝的痕跡を探し出し、そして一度死んだと考えられていた恐竜時代の微生物の遺伝子を復活させること、そして恐竜絶滅の秘密を探ることでした。 私が分離に成功したウイルスは恐竜時代のウイルスだったのかも知れません。 ラムダ国の指導者は、私の分離した遺伝子(一度は絶滅した遺伝子)の重要性を知り、さらに利用価値の高い動物の創生に利用することを考えたのかもしれません。私は、この国が遺伝子工学を使って生物進化を進める理由をどうしても知りたくなりました。 高い科学知識に基づく高い技術水準、一方では、昔ながらの原始的とも言える肉弾戦争---私にはこの国の存在形態そのものがどうしても理解できなかったのです。 背後に何かとてつもない巨大な組織があるように思えるのでした。
2010年02月15日(月) |
オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム |
部屋には静かな音楽が流れていました。恋人達のようにカップルが一組、二組と部屋から消えていく。ガラス越しには、色とりどりに入れ替わるほのかなライトアップを背景に熱帯の美しい魚達が夢か幻でも見るかのようにゆっくり移動して行く。 私は研究で悩んでいたことをすっかり忘れかけていました。突然パドラが私に向かって「儀式に参加しますか?」と囁きました。 しかし私は、咄嗟(とっさ)に「今夜は、これで休みます」と返しますと、パトラは「疲れたのですか?」と労(いたわる)わるように、肩を叩くのでした。
私は部屋に戻りましたが、眠れそうにありませんでした。 今パドラがどうしているのか? パドラは性の儀式に参加していないか?など余計な雑念が浮かんで、どうしても寝付けなかったのです。 11 ラムダ国へやってきてから、どれほどの月日が経過したのか、私には分からなくなっていました。そして私の第一段階の研究は成功を収めようとしていました。 この国では、体外受精研究がすでに相当進んでいましたので、私のウイルスを使った動物の発生に関する研究も予想以上に速く進み、巨大ネズミの作成プログラムの精度が、最初数%程度だったのが、既に80%を超えるに所まで達していました。 この国の科学者達は、このウイルスを使って種々の動物、さらには人間にまで応用することを考えていました。 人間が文明の進歩とともに失ってきた、有用と考えられるさまざまな遺伝子機能を回復させるため、動物達の当該遺伝子を回収し、人の染色体に組み込む実験をしていたのです。私の役割は、この計画をさらに推し進めることでした。 私がA国で分離した、動物を巨大化する遺伝子は人が進化する過程ですでに淘汰され現在地球の生物からも消失していたのですが、地球温暖化に伴う北極圏の氷山の融解によって、これまで氷山に閉じ込められていたウイルスが再度活性化したらしいのでした。しかし人類はこのウイルスに対する抵抗力がなく、その為、北極圏に住む人々は、このウイルスに簡単に感染したらしいのです。そんなウイルスを私が今回、偶然発見したのでした。 このウイルスには、例えば鳥やネズミを大型化し食用として使えないか、又この国の戦士の体格を改良することに利用できないかなど、それこそ数えきれないくらいの応用範囲があったのです。その為ウイルスのどの遺伝子が動物の巨大化や精巣癌の発生に関わっているのか、さらに人間を含めて生物の進化に使える遺伝子かどうか等を解明する必要がありました。 私は、この国に来るまで、科学に対する神話、「科学は、人類に幸福をもたらし、さらに地球上の生物も破滅から救うことが出来る」と“科学性善説”を信じてきました。西欧中世の暗黒時代から人々を解放したのは、紛れもなく近代科学者たちの新しい発見があったからです。 私は、科学は迷信や不条理な宗教的信念から人々を救う唯一の手段だと考えていました。しかしこの国の遺伝子工学を使った人造生物の作成や進化の推進を現実に目の当たりにして、この技術は人類や生物界に本当に幸福(しあわせ)をもたらすのだろうか?私は、この国の考え方になお抵抗を感じるのでした。 20世紀の大発見と言える、原子力エネルギーの開発が人類に無限のエネルギーを約束する一方、一度爆発すると人類のみならず地上の多数の生物を破滅しつくす巨大な核兵器の開発に拍車がかかり、そればかりか現在広く普及しつつある平和利用のシンボルとも言える原子力発電所さえ、ひとたび事故を起こすと人類を、地球全体を壊滅させる可能性さえあることを私は現実に見てきました。 又科学の進歩によって、一握りの人が世界を支配することさえ可能になることを知りました。 だから遺伝子工学が一時的に人類に益をもたらしたからと言って、本当に人類を助ける手段になるのだろうか?今、私はとんでもない実験に手を貸そうとしているのではないか?など良心の呵責に苦しみ始めていたのです。 夜一人になると悩ましく、なかなか寝付けませんでした。むろん“性の儀式”に参加すれば、疲れきって眠ることも出来ましたが、一方この国の性習慣には馴染めないところもありました。さらに悪いことに、最近では、パドラに対する嫉妬心が私を苦しめ始めていたのです。 ある夜、仕事を終えて、私は自室の薄暗いスタンドの明かりで、気を紛らそうと、ウオッカのような強いアルコールを飲み、静かな曲に耳を傾けていました。(私の部屋は一人で生活するには充分な広さで、ベッド、テーブル、机、書棚、それにホームバーに必要な食器一式が備えてありました。食事も必要なら、朝オーダーしておくと、仕事から帰る迄にすべてが揃(そろ)っていました。またオーディオ、テレビなどの機能を兼ね備えたコンピューターシステムが設置されていました。
何時ものように、眠れず物思いにふけっていますと、密かにドアが開く気配を感じました。振り返ると、其処にはパドラが立っているではありませんか。 「パドラ!」と驚いて声を発しますと、彼女は、「静かに!」と唇に指を当て緊張する様子もなくスッと私の傍に寄り添ったのです。それがとても自然で、その時彼女に何時もの女王らしさは感じられませんでした。この国の女性によく見られる白いドレスを着ていたからかも知れません。 パトラは(よくする仕草ですが)少し顔を傾け私を見つめると、グラスをそっと奪い、口に含むと躊躇(ためらい)もなくそっと私にキスを求めてきたのです。 予想しない彼女の行動に私は慌てバランスを崩しました。 もともとパトラは私にとっては手の届かない女神のような遠い存在だったのですから---。 だから突然彼女が示した予想外の行動に、慌てたのでした。 優しい眼差し、甘いキス!心地よい香り、極めの細かい弾力的な肌、私は初めて息づくパトラの鼓動を自分の肌で実感したのです。 私の悩みは吹っ飛んでいました。 しかしパトラが突然の訪問してくれた意味が即座には理解できませんでした。自分の思いとは裏腹に気持ちばかりが焦り、体は凍りついたまま時間が過ぎていきました。 するとパドラは、腕を解き、ゆっくり立ち上がると「面白いものを、お見せしましょう」と言って、キーボードを叩くと、壁が緩やかに移動、壁面一杯にスクリーンが現れました。そのスクリーンにヨーロッパ印象派の絵を想起させる映像が写しだされたのです。さらにアイコンをクリックすると画面が動き始めました。 と! 部屋全体がパッと夕日に照らされたように明るくなりました。同時に何処からともなく、気持ちよい微風が自然のリズムで肌をかすめ始めたのです。私は実際に高い塔からヨーロッパの港町を眺望しているような錯覚に陥ったのでした。 遠景には古い教会や城壁の黒い影が聳え(そびえ)立ち、前景には夕日をキラキラ、鮮やかに反射する波が眩しい海、その穏やかな波の合間を帆船がすべる様に移動して行く、さながら夕暮れの古いヨーロッパの港町に来たような印象を受けるのでした。 その景色には、あまりに現実感が溢れていましたので、暮れて行く港町のひと時を、ベンチに座って仲睦ましく語り合う恋人同士のような錯覚を覚えるのでした。「まるでヨーロッパの港町を二人で旅しているような気分ですね」と囁くと、彼女も微笑みながら肯くのです。 この時、パトラの表情は若い娘のように輝いて見えました。 私の興奮は少しずつ覚め、気持ちは周囲の雰囲気に徐々に和んで落ち着きを取り戻し始めていました。 時折見せるパトラの流し目に思わず、肩に手をかけますと、彼女は私の腕に体重をかけてくるのです。さらに彼女の胸、腰、大腿を触れましても、パトらは抵抗する風もなく深い溜息をつくのです。彼女は私の刺激に明らかに反応しているのでした。 パドラも私の大腿から股間に手を伸ばし、興奮を確認すると「何故?あなたは“性の儀式”に参加しないのですか?」と少し責めるような口調で話すのです。 この質問は、この国へ来てから、私が絶えず気にかけていたことなので、少し抵抗する口調で「研究のことで、頭が一杯なのです。それに--」と、次の言葉を躊躇(ためらい)っていますと、彼女は追っかけるように「それに?--何なのです?」と眉をよせ「あなたが来るのを心待ちにしている女性も大勢いるのですよ。あなたは女の気持ちがわからないのですか?」と少しいたずらっぽい表情を見せるのです。 この時のパドラの人の心をときめかせる美しい横顔! やっとの思いで気持ちを抑えながら、私は自分の考えていた事、この国に見られる性のあり方について、疑問をぶっつけたのです。「いえ、私にはこの国の性のあり方に我慢出来ないのです。この国では、男女の本当の愛がないように思えるのです。私は愛のない性はありえないと考えているのです」 パドラは少し困った表情を見せましたが、ゆっくり立ち上がると、説得するような口調で「男女の愛はこの国にも勿論あるのです」と答え、続けて「しかしラムダ国では愛と性は別の次元の話と考えているのです」「少し長い話になりますが---」と真剣な顔で私を見つめました。 画面では、やがて夕日が沈み、街や帆船に灯が点り(ともり)その仄明るい光と星の青い光がまるで宝石のように暗黒の画面に浮かび上がり始めました。 時折流れ星が夜空を裂くように消えていきました。 パドラは、壁画のほうに振り向きながら、遠くを眺めるような表情に変わり、ゆっくり噛み締めるような口調で話し始めました。 「愛には大きく分けて2通りあるでしょう?広い意味での、一般的な愛、例えば家族愛、親子愛、同胞愛などは、人々の心を広く、優しく、豊かにし、争いのない平和な社会を築く為に必要なものです。 一方男女の愛は、人の心を狭く独善的にし、しかも残念なことに、この愛は永遠に続くものではありません。熱しやすく冷めやすい性格のものなのです。その上、これまで歴史上知られている戦争も、この種の偏狭な愛が原因で勃発したことさえあったのをあなたは知っているでしょう?そして、この一見些細ともいえる独占愛が原因で、大帝国でさえ歴史上から姿を消していったことも--。 ラムダ国では、昔から人々が「賛美の対象」にしてきた、恋愛感情から人々を解放することが、社会を平和にする最も根本的な解決法だと考えたのです。 つまり個人的な恋愛感情から性行為をすることを排除する方策が考えられたのです。 今では、この国では、男も女も、支配者も被支配者も、誰も、もちろん私でさえ異性の心を独占したいとは思わないのです。 このルールが徹底されたおかげで、この国では、どれ程多くの人々が救われてきたか分かりません」 「なるほど、しかしこの国では、男には女を選択する権利も、愛する権利も奪われています。しかも“性の儀式”では男は目隠しされているので、誰とセックスしているのかさえ分かりません。男にとって、とても不利益なルールではないですか?私には、誰もが納得するルールとはとても思えません」と強い口調で答えますと、それに対してパトラは「先程、ルールと言いましたが、あなたの考えているルールとは少し違うかも知れません。私達のルールはもう既に人々の遺伝子の中に根付いているのです」と言うのです。さらに、性行為に関して、女が相手を自由に選ぶ、そして男は誰とセックスしているか分からない、この形式こそ人々を“性の呪縛”から解放する最善の方法と考えているのです」続けて「性行為は本来物質的と言うより、もっと精神的な要素に左右されることが大きいのです。だから恋愛が時に男女間のトラブルの大きな原因になってきたのです。この国の性の風習はそこから人々を解放する為に役立ってきたのです」とたたみかけるように「しかしこの国では男も勿論女から選択されるよう絶えず努力しなければなりません。」と答えるのでした。 私はパトラの言う、国によって規制された“愛と性”に関する制度には、なお疑問が残るのでした。 人類に見られる遺伝的多様性の重要性、それは男女の自由恋愛と自由な性行動に基づいて実現されてきたという歴史的事実から考えてみても、この人間存続に最も基本的とも言える自由な意思に基づく恋愛行為を外から封じ込めることが本当に正しいと言えるのか?集団遺伝学的な観点から考えても、とても納得出来る話ではありませんでした。
壁画は、何時の間にか夜の風景に転じていました。対岸には、凹凸に並ぶ墨絵のような建物から仄かにもれ出るオレンジ色の光が、暗闇の地上と、深く広く三次元的な広がりを見せる星空の境界をくっきり印すかのように放射され、そのシルエットはあたかも少年時代によく見た懐かしい影絵の動画を見ているような印象を受けるのでした。 一方風が強くなり、大きくうねる波が海岸に打ち寄せる様は、私がアルコールに酔っていた所為(せい)もあって、印象派の巨匠が描いた豊満な肉体の裸婦が、あたかも生きて艶(なまめ)かしく、動いているかのように見え始めたのです。私にはもうパトラと議論する理性は残されてはいませんでした。 私がパトラに顔をそっと近づけますと、彼女は優しいキスで答えてくれる。さらに彼女のドレスの下へ手を滑り込ませましても、抵抗もなく私の動きを助けるようにさえしてくれるのです---そして最後にはパトラは自然の姿を見せてくれたのでした。 彼女の日頃の機敏で男性的な様子からは、想像もつかない、女らしい形のよい胸の膨らみ、引き締まった腰、ふくよかな太腿が、薄暗闇に浮かび上がってきたのです。それは生きた女神のようにさえ見えるのでした。腰に手を回しますと、どっしり厚みのある体に柔らかい肌---女らしい繊細さの中にも重量感あふれる女性の感触が伝わってくるのでした。 私が首筋から胸そして腰から太腿へと唇を移動しますと、パトラは目を閉じ、時に力を抜きます。その度に私の腕にパトラの体重がかかってくるのです。が、私が上から抱き締めようとしますと“ダメ”と堅い拒絶反応を示すのでした。 パトラの体から発散される、誘うような甘い香に私は惑わされ、重心を失いベッドに倒れ込みました。すると彼女は私の堅く屹立(きつりつ)する敏感な部分を探りあて、悪戯っぽく刺激する。 私の苛立ちがつのり再度彼女を抱こうとしますと、やはり“ダメ!”と身をよじり「これ以上は性の儀式に参加しなさい」とかすれ声で言うのでした。
12 これまで、私はラムダ国の風変わりな性習慣について紹介してきました。皆さんは恐らく単に風変わりな習慣だと思われるだけかも知れませんが、それだけではありませんでした。(これは遺伝子工学を使った人間の進化を推進する過程の第一歩にすぎなかったのです。この点については、何れもう少し詳しくお話するつもりです) それ以外にも、この国の風習、習慣に私は戸惑うことばかりでした。この国の人々生活の流れは家族単位ではなく、社会単位で整然と合理的に運営されているようでした(独身の私にとって、また一人の研究者としても極めて働きやすく、そのことに対し不満を述べるつもりはありません)。その上この国では、政争、権力争い、犯罪、詐欺や裏切りといった、何時の時代でも人間社会がある限り普遍的に存在してきた人間の悪の行動原理、また社会にあっては、人間の諍い(いさかい)や軋轢(あつれき)といった精神的に悩ましい複雑な人間関係は存在しないのでした。 こんな文明の進んだ国で、なぜ私達の人間社会によく見られる複雑な社会問題が発生しないのか?不思議で薄気味悪くさえ感じるのでした。 勿論、この国は王政で、すべての権力がパドラに集中していましたが、彼女が実際に権力を行使する場面を見たことがなかったのです。その上この国の人々が、自分の仕事に、不満を表明することもなく完璧にこなしていたのです。パドラの命令には絶対服従ではありましたが、だからと言って、人々には彼女に反逆しなければならない理由もなかったのです。 この国の経済は“完全な分業システム”でした。しかし誰が彼らの仕事を決め、誰が経済を動かしているのか分かりませんでした。 少なくとも、個人の自由意志で彼等が職業を選択しているようには見えませんでした。又彼らの職業選択にパドラが関わっている様子もありませんでした。 誰が命令する訳でもないのに、人々は日々自分達の仕事を粛々とこなしていました。
ある日、私が自分の研究室で実験していますと、ローマ帝国戦士のような鎧・兜に身を固めたアレクが、緊張した面持ちで実験室に飛び込んできたのです。 「如何かしたのですか?」と尋ねますと。軽く頷いて「女王があなたをお呼びです」と何時もと違った厳しい口調で答えました。 私は、この国の海岸でオメガ国の戦士に襲われた時、アレク達に救われたことがありましたが、あの日以来、こんなに凛々(りり)しいアレクを見たことはありませんでした。 パトラの話によりますと、ラムダ国とオメガ国は既に戦争状態に入っていて、両国間では、現在激しい消耗戦が繰り広げられている。(しかし両国が戦っている戦場を、私は実際には見たことがなかったのです。だから両国がどんな戦争しているのか実感がありませんでしたが)パトラはそれを“海戦”と表現するのでした。 その日、パドラは私に、戦士としての立場からではなく、科学者の立場から、戦争の現況をよく把握するように命令を出したのです。 13 私には戦争体験がなく、戦争に関しては軍人の体験談や映画などによる観念的な知識しかありませんでした。その上“海戦”がどんな戦いなのか、これまで聞いたことも、見たこともなく、想像することさえ出来ませんでした。 潜水艦や軍艦などによる戦争場面も思い浮かべてみましたが、この国は地下国家でしたから--。少なくともこの国の海に軍艦が走る姿を見たことがありませんでした。勿論地上で戦車や、軍隊が実際に行軍する姿はなかったのです。
2010年02月08日(月) |
オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム |
この国は、古代の文化を継承する一方で、私の想像をはるかに超える超近代科学技術をも所有していたのです。 私に与えられた実験室は、これまで私が所属してきたどんな研究所より、はるかに優れた設備と充分な数の助手が用意されていました。 私のラムダ国での研究テーマは“体外受精による、生物の品種改良”でしたが、実際は、あのウイルス(μ)を使った“人間の改造実験の遂行”でした。 いかに興味深い研究とは言え、人のゲノム(遺伝子)に人工的変異を起こさせる研究には道義的責任があり、研究者は慎重を期すべき、と考えていましたので、パトラに「この研究は人道に反するのではありませんか?」と反対意見を述べましたが、彼女は耳を貸そうとしませんでした。私が「それなら、あなたの希望に沿う別の研究者を探すべきだと思います」と言いますと、彼女は困惑した表情を浮かべ「いずれ、あなたに本当のことをお話しすると思いますが、今は黙って私の命令に従って欲しいのです。これは強制ではありませんが、ただこの研究を中止すれば、最悪のシナリオとしていずれ人類が滅亡することになるかもしれないのですよ」と落ち着いた、しかし諭す(さとす)口調で話すのでした。 ある夜、私は自分自身の考え方とラムダ国が要求する研究との間にある乖離(かいり)、一方では恵まれた研究環境、さらに美しいパトラに対する思い、それに---離れて久しい懐かしい故国のことなど悩ましい思いが次々頭をよぎり、寝付くのが困難でした。 さらにもう一つ心配事が増えていました。 私が留学してまもなく、A国では大事件が勃発していました。自爆テロによる超高層ビル破壊と言うビッグニュースです。それは人類がこれまで歴史上経験したこともない、まさに世界を凍りつかせるニュースだったのです。たった一人のカリスマ教祖に共鳴した“いわゆる”テロリスト集団(国境を越えた軍事組織)が犯したこの暴挙は(それが意図されていたかどうかは別としても)単なる“犯罪”で済まされない意味を含んでいました。 科学文明が進んだ現代では、僅かな人数と雖(いえど)も、化学兵器、生物兵器、いや原子力兵器さえ保有可能で、彼等が、その兵器を手に入れさえすれば、彼等の力による世界支配が可能になることを示唆していたのです。場合によっては、姿が見えない少人数のテロリストさえ地球を破壊することが可能になっていたのです。科学の進歩は21世紀の初頭にそんな段階にまで達していました。 私はそのニュースのことが少し気懸かりになっていたのです。 ラムダ国がテロリスト国家ではないか?と---。 9 ある夜、私は密かに地下の要塞から、地下通路をつたって、外へ抜け出しました。外は入り江になった海辺で、月明かりで鮮やかに輝く白い砂浜が目に飛び込んで来ました。そして背後には熱帯の木々が、黒いシルエットの様に浮かび上がっていたのです。 浜辺に白い波がゆったり打ち寄せる様は、まるで北斎の浮世絵を見ているような印象を受けるのでした。 この地下都市国家には、人工的な灯り(あかり)を発する建物がありませんでした。だから月の光が波間にきらきら映る様は、殊さら眩(まぶ)しく、幼少時代、母と手をつないで歩いた海辺を思い出させるのでした。 あの頃と同様、星もすっきり輝いて見えました。 母が時折話してくれる怪談が恐ろしく、固唾を呑んで、母の腕にしがみついた頃が思い出されるのでした。 そんな母と暮らしていた幼少時代が懐かしく、感傷的な気分も手伝って、浜に腰を下ろして、波打ち際を緩やかに洗う波の音に耳を傾け、草笛を吹こうかと思った時でした。 背後に人の気配を感じ、私は反射的に立ち上がっていました。しかし、相手は(如何して私の行動を知っていたのか分かりませんでしたが)パトラでした。彼女は、女格闘家が身に着けるような、黒い短パン、黒の袖なしジャケット、それに腰には短剣を帯びていました。 私は、感傷気分に浸っていた自分の姿を見られたのが照れくさく、一方では少し嬉しかったこともあって「まるで格闘家のようですね」と笑いかけますと、彼女は真顔になって「一人で海岸を散歩するのは危険ですよ! でも、あなたは反射神経が優れているようね」と言い、傍に座って腕を絡ませてきました。 私はラムダ国に来たことを、それ程怒ってはいませんでした。喜んでいたと言ったほうが正しかったかもしれません。 しかしだからと言って、この国の研究テーマ“人間の品種改良”は全く“危険なこと”にしか思えませんでした。いずれ彼女に私の考えを理解し納得してもらおうと思っていたのです。 今、パトラが私のすぐ傍に体を寄せて座ったのです。そして私の手をしっかり握り締めてきました。 彼女は私を抱き締めるように、首に腕を回しながら顔を近づけてきました。私は胸の高鳴りを感じながらも、自分の思いを話そうと、彼女と目を合わせた時、彼女が少し緊張しているのに気付きました。月明かりでガーネット色の彼女の瞳は豹の目のように青く燃えていたのです。それは優しい愛の光ではなく、閻魔王の目から発する恐ろしい光だったのです。 私がクラクラと眩暈(めまい)がした瞬間、彼女は私を突き飛ばし「身を伏せて!」と小声で叫びました。 と、静かな海がざわめいたかと思うと同時に、二人の黒い影が彼女に襲い掛かっていました。一瞬の出来事でした。しかし彼女は軽く身をかわし、一人目を蹴り倒し、もう一人を投げ飛ばしていました。すると、息つく暇もなく、もう三人の黒い影が海から飛び出してきたのです。彼らは剣を引き抜いて彼女に切りかかりました。彼女も短剣を引き抜き応戦、左右に身をかわしながら、一瞬の隙を見て相手の剣を叩き落す。まるで映画の剣戟を見ているようでした。しかし残る二人にパトラは苦戦していました。二人が前後から切りかかる。彼女はなんとか、かわしていますが「勝負がつきそうもない、危ない」と、それに彼女が疲れるのではないかとハラハラし始めた矢先、彼女が足元の石にバランスを崩したのです。私は一瞬ヒヤリとしました。 「駄目だ!」 私が我を忘れて、パトラ助けに飛び出そうとした時でした。 別の二人の黒い影が、彼らの前に立ちはだかっていました。 「ああ!」と私は一瞬息を呑みましたが、彼らは敵ではありませんでした。パトラを護衛する近衛兵だったのです。 二人の剣捌きは見事でした。瞬く間に敵を波打ち際に追い詰めていました。 ついに敵は戦意を喪失したのか、慌てて海に飛び込み、そのまま姿を消してしまいました。 当時の私には想像もつかない恐ろしい世界でした。実際の戦(いくさ)を知らない私は、ただ唖然とするばかりでした。それにしても、今夜のパトラの何者をも恐れない、機敏で、精悍な動きはとても女性、いや人間業とは思えませんでした。私の知っている日頃のパトラとはうって変わった、恐怖さえ感じさせる動物の様な姿を見せたのです。 私はすっかり感動していました。 彼女には、女王としての風格(オーラ)があることを、改めて認識させられたのでした。 10 ラムダ国は、私がこれまで現実に見てきた国とは(過去及び現代を含めて)あまりにもかけ離れた存在でした。この国は、王制にもかかわらず、国民や主従間に争いがなく、すべての人々が自分の仕事に忠実かつ活動的で、私のような外国人でさえ、理屈抜きに住み心地の良い国でした。 この国へ来てからは、まるで御伽噺(おとぎばなし)の浦島太郎になった気分で、私の好奇心は絶えず刺激され、興味が増すことがあっても、退屈することはありませんでした。 それに(随分身勝手なことかも知れませんが)研究設備が充実していた上、スタッフが優秀でした。 その頃、私は研究室で、ある染色体の標的部位に、外来ウイルス遺伝子を挿入する実験を繰り返していました(この方法の詳細は、読者の皆様にとっては興味のない部分と思いますので省略いたします)。これが成功すれば、膨大な数の遺伝子を含む染色体上のある標的遺伝子近傍に特異的に新しい遺伝子が挿入出来るのです。しかし私が意図する研究は当時技術的・理論的にまだ難しい時代で、絶望的とも言える結果の連続に私は相当まいっていました。 ある日、「何か新しいことは?」とパトラが二人の近衛兵を連れて実験室に訪ねてきました。私が、何も言わず、顔を左右に振りますと「少し気分転換したほうがよいのでは?」と、近衛兵の方に振り返りながら彼等に同意を求めました。 ところで、此処で新しい登場人物を紹介しておきましょう。 勿論彼等は、月夜の浜辺に現れ出た二人の近衛兵達のことです。私は一人をアレクと呼ぶことにしていました。その理由は、彼は色白で、金髪、端正な顔立ちをした若者で、これまで私が読んだ歴史物語や映画で見た、若くて凛々(りり)しい勇敢なアレキサンダー大王に似ていると思ったからです。彼の瞳はコバルトブルーに輝き、童顔で、若さ溢れる風貌の戦士でした。身の丈は、同国としては平均的な1.8メートル程度でしたが、ひとたび戦になると、金髪を振り乱し悪魔のように戦う阿修羅に変身するのでした。 そしてもう一人はベンと呼ぶことにしていました。彼は赤銅色の肌、胸板が厚く、筋肉が仁王様のように発達し、2メートルを超える大男で、髪は黒く、瞳はパトラと同じガーネットのように赤く燃えるように輝いていました。彼は戦にあって戦士たちを指揮しながら自(みずから)も戦う総大将でした。私も身の丈1.8メートルあって、武道の心得はありましたが、平和な日本で育った私には、彼らに備わる戦士としての風格に欠けているように思いました。 その後、彼等にはラムダ国で色々と助けられることになりました。 この日彼等から聞いた話は、私はタイムスリップして、過去の世界に逆戻りしたのではないか?と、疑いたくなることの連続でした。 ラムダ国以外にも、オメガ国があり、現在交戦中で、まもなく両国の存続をかけた大規模な海戦があると言うのです。10年前にも両国間に戦争があったが、その時は若い王女パトラ、総大将ベンが率いるラムダ軍がオメガ軍との戦に勝利したのだそうです。 当時パトラはまだ女王になったばかり、アレクはまだ少年だった。それは壮絶な戦いで、最後は相手国の女王とパトラの一騎打ちで勝負がついたのだと言うことでした。 2人の戦いは長時間に亘る暗闇の戦いでしたが、夜の視力・体力に勝るパトラに軍配が上ったと言うのでした。 この話に及ぶと、パトラの目に少し涙が浮かぶのが分かりました。 話の中で、私がよく分からなかったことは、彼等がよく使う“海戦”という言葉の意味でした。 今回の戦では、パトラやベンに加えて、豹のような獰猛さを見せるアレクが参戦する。「心強いですね」と、私がパトラに話を向けますと、パトラが「アレクは目の色からも分かる通り夜の戦いが少し苦手なので心配です」と不安を語るのでした。 これまでの話から判断していただけると思いますが、同国の人達の間には遺伝的素質にかなり大きな差が見られました。 自然界に見られる生物の一集団としては考えられないほどの遺伝的素因の構成に格差があったのです。それが遺伝学者として、私には興味が湧くのでした。 ラムダ国の酒場は落ち着いた雰囲気で、いろいろ工夫を凝らしたデザインのテーブル、繊細な彫刻が施された椅子やソファーが適度に配置され、3方は(素材として何が使われているのか分かりませんが)一見煉瓦造りのような壁に囲まれていました。中央に噴水を備えた泉水、奥の壁には、私が過去見たことがない剥製の動物がガラス張りの陳列棚に飾られてありました。横の壁は書棚、そして圧巻だったのは前方の壁がすべてガラスで出来ていて、部屋全体があたかも海底水族館にいるような印象を受けることでした。海水は透明度が高く、瑚礁や熱帯魚等の景色がホールから遠く広がっていく様が、ガラス越しにはっきり見て取れるのでした。 バーに足を初めて踏み入れた時、私はその光景に驚きましたが、何故か“ほっと”心の安らぎも憶えるのでした。床には深緑色の絨毯が、椅子には滑らかな、柔らかい毛皮のような敷物が敷かれていました。色とりどりの熱帯魚が忙しく泳ぐ様は、まるで人魚の舞いを見ているようでしたが、夜は、仄明るい光でライトアップされ、海底が深青色を帯び、ガラス壁には紺色のカーテンが掛けられたようで、少し不気味な雰囲気さえ漂っていました。 時折鮫のような大型の魚が間の抜けたような顔を覗かせることもあって、苦笑することもありました。 この国には家族という概念がなく、国全体が言わばミツバチの世界のような1つの家族を構成しているようでした。仕事を終えた人々は夜のひと時を思い思いにレストランで食事を楽しんだり、バーでアルコールをたしなんだり、ゲームや賭け事で楽しむことが出来ました。女性たちが装飾品、化粧品などをそろえる際にも、お金は必要ありませんでした。 かといって原始社会のように物々交換の社会でもありませんでした。必要なものを、必要な時に手に入れることが出来たのです。 仕事場は分業がしっかり守られていていました。しかし、ひとたび仕事場を離れると、職業間に差がなく、社会的平等が保障されていました。私の知る限り、犯罪はありませんでした。法体系も実に簡単で、その意味では単純な原始社会に似ていると思いました。私達の国のような、資本主義体制とか共産主義体制と言った社会体制はありませんでした。 バーで私達4人が話していますと、若い女の子が賑やかに割り込んできました。お目当てはアレクのようでした。アレクは色白で愛くるしい王子様の様な顔立ちでしたが、服を脱ぐと、まるでギリシャ彫刻の様な逞しい体の若者でした。彼女達は彼の大理石の様な肌を、愛(いと)しそうに擦(さす)ったり、キスをしたり、腕や太腿を抱いたり、気を惹こうと真剣でした。彼女達の愛の表現に、恥じらいが微塵もなく、きわめて直接的なのでした。 パドラは笑顔でアレクに席を下がるように命令しました。アレクがベンの方へ振り向きますと、彼は「どうぞ」と言わんばかりに肩をすくめるのでした。 私は一瞬“性の儀式”のことを思い出し全身が火照る(ほてる)のを感じました。 私はオメガ国との戦争の理由について興味がありましたが、それより何より、この国が一体何処にあるのか、又民主国家でもなく、封建国家でもない王制国家が如何して成立したのか等についても大変興味がありました。 パドラもベンも国の起源については詳しいことは知らないようでしたが、彼等の話を総合すると、以前この国は科学技術が進んだ文明国家だった。しかし当時の文明国は、政治は腐敗、民心は堕落、貧富の格差は拡大、救いがたいほどの社会紛争、民族紛争、宗教紛争が頻発、先行きに希望を持てそうもない状況が続き、人々は国に対して疑問を抱き始めていました。そして一度政治体制を破壊してみてはと考えるようになった。 しかし幸か不幸か、この国に地球のプレートの大移動に伴う巨大地震が発生し、大陸は四分五裂、当時巨大だった国家が崩壊しました。 そして残された小さな島々に運よく生き延びた人々が、現代のラムダ国やオメガ国のような小さな国家を形成することになったのだそうです。 想像を超える大天災が、新しい政治・経済体制を目指す国家建設によい機会となった。当初、人々が築いて来た腐敗、堕落した文明社会は思いもかけない天災によって破壊され、結果的に原始時代に戻ったと言うのです。 人々が生き抜く為には、全員が一致協力して働かざるをえない状況で、その為に強力な指導者の出現が望まれた。こうした小さな群社会に自然発生的に強力なリーダーが現れ、それが現在のラムダ国、オメガ国などの王制国家建設の基礎になったと言うのです。 その後、これらの国々は個人主義(利己主義)を土台とする国家ではなく集団の意志を大切にする現在のラムダ国のような、特異な王制国家を築いたと言うのでした。 偶然起った大きな天災で過去の国家体制が崩壊し原始時代がスタートした。ただ私達が知っている原始国家と違うのは、ラムダ国やオメガ国を築いた人々が一度は文明社会を経験していたことでした。 彼等は、過去の国家組織が余儀なく破壊され、腐敗しやすい自由主義・民主主義国家の反省にたって、新たに王制国家を築くことになったが、それは昔ながらの世襲制の王制国家ではなく、人々から間接的に選ばれた数名の候補者の中から能力が本当に王として相応(ふさわ)しいかどうか判断され、最終的に一人選ばれたと言うのです。王には絶対的権力がありますが、失政するとすべての権限は剥奪(はくだつ)され、社会から追放されると言うのでした。 この話を聞いて、私は現代の大統領制に似ていると思いましたが、パトラに言わせると、法律もなく王を中心に社会制度が組み立てられている点では、広く自然の動物界にも見られる、例えば猿などの社会に似ていると言うのでした。 ただ日常の社会制度としては自由を望む人間の本質的な実存様式まで変えることはなかったと言うのです。 ただ法も警察もなく、そんな国家がどうして成り立つのか、私にはなお疑問が残るのでした。 「では、女王と言っても、安心していられないのですね」と私が言いますと、パドラもベンも真剣な眼差しで大きく肯くのでした。 酒場では、私が知らない強い果実酒が揃えられていました。どの、お酒もアルコール度が高いので一気に飲むことは出来ませんでしたが、私が試したお酒は、ゆっくり飲むとまろやかな舌触り、咽喉(のど)もとでとろけるような甘みがありデザートワインに似た味に思えるのでした。
2010年02月01日(月) |
オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム |
5 久しぶりの強いアルコールで酔いが回って私は朦朧としていたようです。彼女が「外に出ましょうか?」と囁いた時までは記憶していました。しかしそれから以後のことは、何があったのか今でもよく分かりません。彼女に寄り添われて歩きながら、失われていく意識の中で体が雲に乗って、“ふわっ”と浮き上がったよう気がしました。恐らく私は眠っていのでしょう。 そして不思議な夢を見たのです。 私は、古代エジプト王朝時代をも想起させる壮大な宮殿に招待されていました。 巨大な石作りの壁や柱に、男女の営みや、勇ましい戦争の模様が彫刻され、壁や天井には色鮮やかな色彩画がほどこされた王宮に案内されていたのです。中央の玉座には、先程とはうって変わって女王の風格・威厳を示すキャシーがゆったりと座っていました。 私は彼女のすぐ傍に座っていたのです。 周囲には、薄い衣装を身に着けた女や、鎧を身に固めた若くて凛々しい男が至れり尽くせりのサービスをしていました。部屋の中央に、円形のやや高くなったステージがあり、ハープのような弦楽器から奏でる、静かで不思議なメロディーあるいは又蛇使いが奏でるようなエキゾチックな笛の音色に合わせて、少女のような可愛いい顔立ちの、しかし筋肉質な踊り子が、衣装らしい衣装をほとんど身に着け姿で、小麦色に輝く肌も露(あらわ)に、コブラのように肢体をくねらせ、挑発するような眼差しで踊っていました。 私は、何か倒錯した世界に来たかのような、千夜一夜物語の主人公になったかのような、経験したこともない不思議な気分に胸が騒ぐのでした。 こんな刺激的なショウを見たことがありませんでした。全身がゾクゾクし、興奮の度合いが増していくのが分かりました。 それだけではありませんでした。 いよいよクライマックスがやって来ました。 ホール全体が暗くなると、先ほど踊っていた一見華奢(きゃしゃ)な、しかし動作の度に筋肉が浮かび上がる少女のようなダンサーと先程からキャシーの傍に立っていた、オセロを想起させるたくましい男性が、青・赤の光が織り成す舞台に上りました。 二人は周囲に気をかける風もなく、先とはうって変わって静かなスローモーション映画のように、静かな抱擁から始めました。切なく閉じられていく少女の目が魅惑的な夜の始まりを告げているようでした。 少女の動きはしなやかで、蛇のように脚や腕を男性の脚や体に絡ませる。まるで蛇がカエルを飲み込むかの様に赤い舌で相手の唇を求め、密着するかと思えば、男の執拗な愛撫に力なく筋肉の緊張が緩む。 その光景は私の理性を徐々に奪い、性への欲望を掻き立てる、迫力に満ちたものでした。彼等の踊りに単調な動きは何ひとつなく、緩急、強弱が微妙に織り交ざって蠢(うごめ)くのです。 男は逞しく力強い、女は軟体動物のようにしなやか、そして二人の絡みあいは、最初はダンスを見ているような印象でしたが、やがて密着し蛇が絡み合うように二人の体が入れ替わり、時折発する女の甘い声が、如何にも切なげで刺激的な声に変わっていきます。 すると機が熟すのを計って男は愛撫を続けながら少女を優しく抱き上げ、そのままの姿勢で男女の“交わり”に移っていくのです。 少女は“う!”と、しびれた様に体から力が抜け体勢が崩れ始めます。男の動きが次第に速く、強さを増し、少女の声にも切迫感がみなぎり、大きく、訴えるような声に変化、やがて口元が弛み(ゆるみ)、目許(めもと)、眉が苦しそうにゆがみ彼女の表情から歓喜が頂点に達しようとしているのが伝わって来ます。 と突然、少女は動きを止め、我を忘れたように男にしがみつくのです。男は一度動作を弛め、少女を優しく抱きかかえ、そして最後は止めを刺すかのようのような動きに変わるのでした。 少女はたまらず感極まった声を発し、全身から力が抜けていくのでした。 眼前でこのようなショウを見たのは初めでしたので、私は心がかき乱され興奮は臨界点に達しようとしていました。 それにしても、異常とも思えるこの興奮の最中(さなか)、男の無表情で落ち着いた顔、それでいて普通なら誰もが我慢の限界を超えるような刺激的な行為を冷静・沈着にやり遂げる能力、私はすっかり驚き、ある意味尊敬したほどでした。彼の行為には厭らしさが微塵も感じられませんでした。 それに---男性的な肉体の少女の姿にも強い印象が残るのでした。
と、それまで微動もせずショウを見ていた周囲の女達は、突然男達にめがけて突進してゆくのです。呆気にとられていますと、抵抗する暇(いとま)もありませんでした。私も瞬く間に衣服を剥ぎ取られベッドに縛りつけられていました-------。 6 ご想像の通り、私が夢を見ていた時、すでに某国へ連れて来られていました。しかし、私が招待された先は、こんな国がこの世に存在しているとは、想像にもおよばない所でした。彼らは、自分達の国をラムダと呼んでいました。もしかすると、それは宇宙人達が住む異星国だったかもしれません。 当時私は想像さえしませんでしたが、UFOで連れ去られた可能性も充分考えられたのでした。しかし、実際彼らがどんな手段を使って私を連れてきたのか、分かりませんでした。この件についてはいずれ話すつもりです。 ラムダ国の政治、経済、文明は、私が知る限り、地球上にこれまで存在してきた如何なる国とも違っているように思いました。古代と超近代が渾然一体となった印象で、私がこれ迄、培って(つちかって)きた倫理観や知識からは、正直なところ良い国なのか、悪い国なのかさっぱり判断出来ませんでした。 私がラムダ国で経験した詳細について、逐一語り、善悪の判断は読者に委ねる(ゆだねる)つもりですが、今のところは、ゲームに見られる、現実とはかけ離れた国を想像していただければ理解しやすいかもしれません。 学会で知り合った自称キャシーは、実はラムダ国の女王なのでした。ラムダ国の人々には、地球人のような簡単な名前はなく、すべてのメンバーがまるでITのアドレスのように長い記号で呼ばれていました(後で分かったことですが、それは彼等の遺伝系統を示唆するコードを表していたようです)。 私は記憶力が弱いのか、それとも彼らと脳の働きが違っているのか、或いは又単に習慣の違いによるのか、彼等の味も素っ気もない記号のような名前を覚えることが困難でしたので、私は彼らに勝手な名前をつけて呼ぶことにしていました。 例えば、キャシーがクレオパトラと似ていると思いましたので、私は彼女をパトラと呼んでいました。彼女はパトラとよばれるのが気に入っているようでしたが---。 パトラは女王としての風格に加えて、女性の優しさをも兼ね備えていました。一方褐色の肌、赤い瞳、そして時折見せるオリンピック選手のような優れた運動能力は---まさに獰猛な黒豹、又は鷹のような凄みを感じさせることもありました。 さて、そんな彼女が私の研究に何故興味を示したのかは、ラムダ国のあり方に深く根ざしてきた“考え方”と密接に関係しているのですが、この点につきましては、今後おいおい説明していくつもりです。 私が夢の中で見た“性の儀式”は、ラムダ国ではごく普通に行われている、当たり前の性習慣でした。私にはとても奇異に映りましたが---。 性行為に際して、男はベッドに動けないように縛り付けられていました。つまり男に女を選択する権利は与えられていなかったのです。男女の“交わり”は、何時も広い舞踏会場のようなホールに集まって、ひとしきり宴会を楽しんだ後、始まるのが慣例でした。そして必ず性的興奮をたかめるためのショウが催されていました。 ショウも終わり、人々の興奮が充分にたかまった段階に達しますと、パトラの合図で、男は一斉に目隠しされ、猿ぐつわを噛まされベッドに縛りつけられる。すると女達が競って思い思いの男選びを始める。その際、必ずと言ってよいほど、何人かは一人の男をめぐって、取り合いが起こりましたが、その争いを取り仕切るのはパトラでした。パトラはこの国にあって法の執行官でもあったのです。 ただ、私が驚いたのは、何人もの女が一人の男性に集中することがありましたが、男達は皆驚異的な持続力で女の攻めに耐えうることでした。 私が拉致された当初、夢の中で見た光景は、私の常識からは、ありえないと思える程凄まじいものでしたが、この国ではそれは異常なことでもなんでもなく、通常に行われる性習慣だったのです。 白色、褐色、黒色など色とりどりの肌色、一様に筋肉が見事に鍛え上げられ、逞しいグラディエーター(ローマ時代の剣闘士)のような男達がベッドにはりつけられ次々運ばれて来る。すると、やはり誰をとってもそれぞれ一様にしとやかで美しいと思える女達が(私には信じがたいことでしたが)、まるでお腹を空かした狼が獲物を狙うかのように、先を競って男達を襲うのです。その光景は、彼等の姿からは想像もつかないほど動物的で、私には狂気の沙汰のようにしか思えませんでした。 で、頂点を迎えようと女の動きが一層激しくなると、男は悶え苦しむような筋肉の動きを見せ始めます。一方彼女達の我を忘れた嬌声(きょうせい)は、最初は秋の夜を賑わす虫の静かなコーラスで、時折ウマオイの鳴き声が不協和音のように挟まる程度でしたが、やがて高く、低く、大きく、小さくホール全体に木霊するように響き、最後には、まるで第九交響曲の“合唱”のような大きさとなって広がっていくのでした。 男達からは猿ぐつわを噛まされていましたので、声らしい声は聞こえてきませんでしたが、彼等の快感に疼く呻き声が低いコントラバスの音色のように地の底から響くのです。 快感に耐えようとする彼等の声は女達にとっていっそう性的興奮に繋がるようで、彼女達の興奮度はさらにさらに昴(たかまる)まるのでした。 それにしても、集中的に攻められる男も大変でしたが、一方女達の寄り付かない男が、興奮でいきりたち身もだえする姿は、苦しく痛々しく、地獄の拷問のようにも見えました。 7 私事については、あまり話したくないのですが、しかし風変わりなラムダ国の文化を紹介するためには、文化人類学的な観点からも、正直にお話するのがやはり筋と言うものでしょう。 性の儀式もたけなわに近づく頃、漸く(ようやく)私も目隠しされ、猿ぐつわを噛まされました。普通なら、このような屈辱的な扱いは許せないと抵抗する人もあるでしょう。しかし、それ迄の周囲の状況から私の肉体は興奮の極致に達していましたので、目隠しされ、猿ぐつわされた段階で、むしろ次に来るべき出来事を想像し、期待に胸を膨らます体(てい)たらくでした。だが一方、はたしてこの国の女性が私に興味を持ってくれるだろうか?という不安もありました。それは先程見た通り、相手にされないことも、やはり地獄の苦しみだったからです。 しばらく、誰も寄り付かない状態が続き、随分長い時間が経過したように思いました。その間も、周囲からは男女の交わる激しい動きや、我を忘れたような間の抜けた、脳の旧皮質を刺激する嬌声が間断なく聞こえてくるのです。私は、もはや理性をなくし、当たり所のない苛立ちに全身が震え、痙攣発作を起こすのではと思うほど、もがき始めていました。しかし手足が縛りつけられていてベッドを揺らす以外何も出来ません。 と、かすかな人の気配を感じました。誰か近づいてくるな、と思う間もなく、私のいきり立っている部分が、柔らかくて生暖かい人手にいきなり握り締められたのです。 「ああ!」その瞬間、私は全身に伝わる電撃的な快感に失神しそうになりました。 その時まで私は、性に対して無知で、読者の皆様には信じられないかも知れませんが、男女の交わりは、嫌らしいもの、否むしろ不浄なものとして罪の意識のうちに避けてきました。だから、性の真の「喜び」については何も知らないというのが本当でした。 しかし今回ばかりは、そんな気分は何処かに吹き飛んでいました。ただ単に、興奮でいきり立った部分が、握り締められたというだけで、こんなにも感じるものだとは夢にも思っていませんでした---本当にそれは初めての体験だったからです。 ただしかし、敏感な部分を、意識してかどうかは分かりませんが、少し外して握ってくるので、なかなか頂点の快感を得るまでには至りませんでした。私にはそれがもどかしく、何とかして欲しいと思うのですが、猿ぐつわを噛まされていますので、残念ながら呻くばかりで、言葉になりません。 その間も、相手は握った手に力をこめたり、抜いたり、摩擦したりと、間断なく刺激を与えてくるのです。時にヌメッと舌(?)で敏感な部分が触れられたりすると、ビクッと感じるのですが、頂点に達するかと思うと、まるで嘲る(あざける)かのように動作を止めるのです。まさに私は、心身ともに相手に翻弄され、もがき苦しんでいました。 やがて生暖かいヌルリとしたオイルの様な感触の液体が私の体に丁寧に塗りこまれ、優しくマッサージされ始めたのです。それが微妙な快感を全身に呼び起こしました。 それが終わると、私の興奮した部分にコンドームの様な袋がかぶせられました(これは私の精子を採取する目的だったようです)。しかしそれは私が知っていたような人工的な感覚ではなく、柔らかい粘膜のような肌触りで、微妙な圧が加わってくるのです。それが又なんとも言えない快感を誘うのでした。 それから暫らくして、私の太腿(ふともも)に、柔らかく弾むような感触の肌が触れたかと思うと、ゆっくりと体重をかけてきました。 と、同時に私の敏感な部分が生暖かい、柔らかい粘膜に触れ、やがてまるで象が沼地にのめり込み沈んでいくように、ぬるぬると、ゆっくり女の芯に向かって沈んでいくのでした。 “ああ”私は声にならない声を発していました。 その時の快感はいかばかりか想像していただけるでしょうか? 充分にじらされ、焦りさえ感じていた私だったのですから---。 その快感は、もどかしさが長く続いたが故に一層強く感じられたのでした。 性行為は単なる肉体と肉体との衝突と摩擦によるのではなく、心と心の衝突と摩擦の深さに左右される精神的要素が強いと、初めて知ったのでした。 理屈は兎に角、私はこの時点では、これはもう人間の営みを超えた、まさにオスとメスの生殖器官のぶつかり合いだと思った程でした。 相手は、初めは緩く(ゆるく)そして、浅く深く、徐々に速度を増し、さらに前後左右に動く。その度ごとに先程被せられた粘膜を通して、女性の柔らかな、生暖かい襞(ひだ)が、私の敏感な部分を強く刺激する。か、と思うとすぐ外れる。 しかしやがて、男の敏感な部分が、まるで真綿で動けぬよう包み込まれたかと思うと、強く締め上げてくるのです。その間も、女性の秘部の襞が間断なく、それ自身がまるで生き物のように男性の敏感な部分を刺激してくる。 私はすでに充分充電され、耐え切れそうもない刺激に、快感は頂点に達しようとしていましたが、しかし一方では、体の自由は完全に奪われ、それに先程被せられた粘膜が障壁となって、なかなか思うに任せなかったのです。 勿論、私は夢中になって、体を動かそうと試みました。そんなもどかしい時間がどれほど経過したでしょう。 が、突然相手は重量感あふれる体を私にぶっつけ、覆いかぶさってきました。そして耳元で「もういいのよ!」とかすれた声で囁きました。 それは紛れもなく聞き覚えのあるパトラの声でした! この瞬間、私の緊張の糸はプッツリ切れ---快感の絶頂に達していました。 それまで閉塞状態だった私の心は、籠の中の鳥が解き放たれたように、自由な、それこそほっとするような開放感に浸ったのでした。 周囲では、相変わらず「性の儀式」の狂乱状態が続いていました。 これまでの私なら、この時点ですべては終了していたでしょう。ところが、その日は、終わりませんでした。 8 さて、私は確かに知らぬ間にラムダ国へ招待(拉致という言葉のほうがふさわしいのか知れませんが--)されていました。本来なら屈辱とも言える仕打ちに対し、私が殆ど反発らしい反発をしていないことに、皆さんは不思議に思われることでしょう。 私自身も“催眠術にかかっていた”と言った方が正しいかも知れません。 当時、私は拉致されたという被害者意識より、むしろ積極的にラムダ国へ招待されたと考えていたのです。私は好奇心旺盛な人間でもありましたので、未知な冒険体験については、科学者としての好奇心が強かったのです。 “この国が地球上の何処に位置し、又どのような文明・文化が特徴で、どのような時代背景から生まれてきたのか?”について知りたいと思ったのです。 ラムダ国は私が目指していた北極ではなく、赤道近くと思われる群島の一角に建設された地下国家のようで、周囲には美しい珊瑚礁があり、コバルトブルーに輝く海に囲まれていました。上空からは、人が住んでいない熱帯植物に覆われた孤島にしか見えなかったでしょう。しかし地下には、近代的な設備を備えた壮大な都市国家が建設されていました。その造りは、古代エジプトやギリシャの都市国家に似ているような印象を受けました。 建築物は、想像以上に大きく立派で、大理石のような美しい石が使われていました。もちろん、壁や天井には鮮やかな色彩で戦争やこの国の日常生活の模様或いは宗教的(自然崇拝的?)色彩の濃い絵が描かれ、又都市を支える太い柱には現代的で抽象的とも言える彫刻が施されていました。 だが回廊や部屋の壁の一部は何がエネルギー源なのかよく分かりませんが、明るく輝いていました。それがまた自然光のようで、違和感がなく地下といえども、まるで白日の下で生活しているような錯覚を覚えたほどでした。
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