ジョージ北峰の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年08月15日(日) 自己責任とは?

 自己責任とはそんなに難しい言葉でしょうか?私は文字通りに“自分がした行為の結果については、その成否を問わず自らが責任を負う”と理解しています。又会社を含めた組織が犯した罪については、事情にもよるでしょうが、その長には直接責任がなかったとしても、やはり管理責任が問われるでしょう。自分がなした如何なる行為に対してもその責任は、他人にあるのではなく、自分にあるとするのが(人の行為に対する)現代の根本的・倫理的な考え方でしょう。“よい結果であれば自分、悪い結果であれば他人”のせいにするのは、最近の日本の政治の世界でよくあったことではないですか。又“あの人は専務に詰め腹を切らされた”等と上司の責任を部下に押し付けられて首になった気の毒なサラリーマンの話は映画やテレビドラマで良く見てきたじゃないですか。自分のした行為に対して、その良悪を問わず当人が責任を負うのは本来当たり前のことではないですか?一人前の大人がすることですから。そんなに難しく考える必要はないでしょう。
 ところでイラクで人質にされた日本人に対して政府関係者が“自己責任”と語った言葉を問題にした人が多かった。その理由が、国民の生命・財産を守るのは国の責任だから、3人を助ける為に政府は何かすべきだった、とする意見が多かったように思う。勿論あのニュースに驚いたのは日本人全体だったが、とりわけk首相は肝を冷やしたと言うのが本音だろう(私はk首相をかばうつもりはないが)。
 本当にどうすればよいのか?
 あれほどの軍事力を誇るアメリカでさえ、自国の犠牲者を武力で救うことは出来なかったのだから。
 日本政府が出来ることは“自衛隊を撤退さるか”、“お金を出すか”、あるいは第三の道“日本の善意”を相手に理解してもらうかだった、のであるまいか。そのいずれも大変困難なことのように思えた。其の時に出た言葉が“自己責任”だったように思う。
 日本の外交は憲法の制約上、武力なしと言う“条件付き困難”が絶えず付き纏っていることを国民は知っているのでしょうか?その為に外交を預かる外交官、政治家は大変苦労しているのではと、少しは同情してあげては如何でしょう。唯一日本の武器は“お金”“話し合い”それと“国連の世論作り”なのですから。だから危険な場所で“何か緊急に事が起こったら”本当は、日本はお手上げなのです。
 国連主義、国際世論に訴えて“日本に同情し、力を貸してくれる国”が何処かにあるのでしょうか?おそらく今は“アメリカ”だけでしょう?
 それなら逆に“今、困難に陥っているアメリカ”を日本は無視出来るのでしょうか?それは違うでしょう?やはり日本は武力は使えなくても、何らかの形でアメリカを支持し、出来ることは可能な限り協力すると言うのが今の日本の立場でしょう?
 アメリカの戦争が間違っているなら、そんな戦争はやめるように、ありとあらゆる手段を講じてアメリカに説得する以外道はないじゃないですか。
 今、日本を取り巻く困難極まる外交問題を解決する上で頼りになるのは“アメリカ”だけだと、言うことを忘れないでおこう。
 と、忘れかけていたましたが、あの時点で“自衛隊の撤退”は日本政府として絶対に出来ないと言うのが本音で、それは正解だったのではないだろうか?と考える。
 そんな時に日本政府としては、日本人には“あの時点で、あの国”には、今行って欲しくない、如何しても行くのだったら自分の責任ですよ、と言う切羽詰った呼びかけが“自己責任”と言う言葉で表現されたと理解したい。
 
 ところで、本稿のもう一つのテーマは人間の起こす“理解しがたい行為”についてである。それは、誰にそそのかされた訳でもなく、強制されたのでもないのに、敢えて危険に挑戦する人々が人類には何%か存在したし、又現代も存在すると言う事実である。
 例えば日本でも、世界の名だたる最高峰に単独登頂に成功した有名な登山家U.N.、ヒマラヤ滑降のプロスキーヤーM.Y.、小さなヨットで太平洋を単独で横断した青年H.K.ーー等等、彼らの行為の本当の目的は何だったのだろう?
 有名になりたかった為だろうか?そんな薄っぺらな理由からでは、あんな危険な冒険はとても出来なかっただろう、と思う。
 私は彼らの行動を支配している性格には、それを規定する何らかのもっと本質的な“行動遺伝子”“冒険遺伝子”があるのではと、考えたくなるーーつまりそうでなければ、彼らの行為は理解不可能なように思うえてしまうのだ。最近イラクで亡くなられたフリージャーナリストH.S.氏もそう言う人だったのではと考えている。
 このような人たちにとって、自分の行為の何故かを説明することは出来ないだろう。
 ある有名な登山家が“そこに山があるから登る”と言ったそうである。
 つまり“そこに興味の対象があるからやる”と言うのが彼らにとっては単純だが本当の理由なのだろう。
 あの人質になった3人もこのタイプの人間なのでは?と考えたいのである。 しかし本当のところは如何なのだろう。
 こう言う人たちにとっては“自己責任も糞”も何もないのである。そこにあるのは自分達の興味だけなのである。つまり常識の範囲外の人達なのである。
  こんな人達に周囲の人々は良きにつけ悪しきつけ、しばしば振り回されきたのである。
 しかし時に勇気をもらってきたことも付け加えておきたい。


2004年08月08日(日) 1リーグ制は政治の問題!!

 現代、日本は政治的にも経済的にも、社会全般に根本的(ドラスチック)な変化が要求されている時代ではないでしょうか?つまり、物を作るだけの社会は、日本ではもう終焉(しゅうえん)を迎えようとしているのです。むしろ、芸術、哲学、文学、教育等の文化やサッカー、野球等のスポーツの分野に雇用機会を増やすことに成功しなければ、日本は本当の意味での先進国と、永遠に呼ばれろことはないでしょう。つまりこれらの分野から、多くの日本人が世界で活躍出来る(輸出できる)ようになって初めて、わが国は本当の意味での世界の先進国入りが出来るのでしょう。今までの日本は、科学の振興と物つくりにのみに偏重した国づくりに励んできたように思います。 日本の経済構造改革にはその辺りも視野に入れて考えて欲しいものです。
 これまで、日本では大掛かりな箱物(中身の伴わない)を先進国に倣って(ならって)建ててきましたが、いまだにあまり役立っていないことを考えてみますと、それより先にするべきことが一杯あったのじゃないか?等と考えてしまいます。 例えば、プロを目指す人たちの為の絵画教室、音楽教室や書道それに柔道、剣道、etc.など日本の伝統武芸の町道場等が何処にでもあり、且大事にされる社会(職業として成立する)、そんな社会作りに国がもっと積極的に関わってきても良かったのではないか?等ーー それは日本の伝統的文化”歌舞伎”を見た外国人がその芸術的完成度の高さに感嘆していた、のを知ると、余計その観を深くしましす。がしかし歌舞伎はまだ恵まれた伝統芸能と言ってよいでしょう。この国には、日本人全体に、まだまだ知られていない、今にも消えようとしている高いレベルの文化が、(外国人から見ると)一杯あるそうです。(A国の石仏が破壊されて悔やむのも大事ですが日本の文化が消えようとしていることも真剣に悔やむべきでしょう?)とね。
 そう、今こそ国が日本文化やスポーツの(経済的支援を含めた)振興策に本腰を入れるべき時ではないでしょうか?
 話はどんどん横道にそれてしまいましたが、本稿の目的は“プロ野球のあり方を考え直して見ては如何だろう”と言うのが本筋でした。
 12球団2リーグ制は、今のままでは、人気の面でも経済的にも、はっきり言って“もうどうしようもない段階にきている”と言っても過言ではないでしょう。
 ではどうすれば活気(スリル)が出てくるのでしょうか?ーーー 
 それは日本にもメジャー(Aリーグ)、マイナー(B,Cリーグ)を作ることではないでしょうか?基本的には1年ごとに選手を相互にしかも自由に、入れ替えるチャンスを設ける。そして何らかの形で、A,B交流試合を組む(オールスターでも良い)、例えばAリーグとBリーグの優勝チームが面子をかけて試合をするのも面白いでしょう。ただしAリーグの選手は高給が保障されている、しかしBリーグの選手には高給は保証されていない(ただし高給な選手がいても一向差し支えませんが)。ここで重要なポイントはAリーグからBリーグに降格された選手は給料が減額される、BリーグからAリーグへ抜擢された選手は一挙に高給が保障される。(Cリーグは現在の2軍と呼ばれる選手から編成されるてよい)そして近い将来、Aリーグはアメリカのワールドシリーズに参加できるよう努力するーー-ー そうすれば、選手の皆さんにとっては大変きついことになるかも知れませんが、見るほう(観客)にとってはかなり興味とスリルが増すのではないでしょうか。(ただし選手会からこの案は袋叩き合うかもしれませんが)そしてAリーグを何チームにするかは“日本の経済”が決めることになるでしょう。私は日本の現代の経済力からしてAリーグ4(6でもいいですよ)、Bリーグ6チーム程度が妥当ではないかと考えていますーー
 今、日本政府は経済構造改革を推進しょうとしています(そうでしょう?)。しかしその中でも私は野球は絶対に衰退させてはいけないスポーツだと考えています。
 野球はこの国の人々(庶民の、かもしれませんが)の心にあって(働く為の、少し大げさに言えば生きる為の)よりどころになっていると、言っても過言ではありません。
 景気の良し悪しと某チームの優勝との関連が取りざたされているほどではないですか。
 大病を患ったが、野球の中にのみ“生きる夢と力”見出して死んでいった少年達も沢山いたじゃないですか。
 この国の野球の存在を、そんなに甘く見ないでください! 人々の心の薬になってきたのですから。
 オーナの皆様、そして選手会の皆様、そして政治家の皆様 !
 このことだけは決して忘れないでください、ね!


2004年08月06日(金) 初心を忘れていませんか? 選手会の皆様

 最近野球界に激震が走った! そう”所謂一つの”1リーグ制の問題である。オーナー側の議論の要点は球団経営が困難になってきたと言うことであり、赤字経営を目をつむってまで球団を円抱えするメリットがなくなったと、言うことなのだ。だから球団経営のあり方を変えざるを得ない、と言うのが、残念ながら理由なのだそうだ。なるほど、尤もなことだ。納得せざるを得ない。
 しかし1リーグ制にすれば問題は解決されるだろうか?一時的には“球団経営”は乗り切れるだろうが、長い目で見れば大方の予想のとおり日本のプロ野球は衰退していくだろう。
 何故こんなことになったのか。答えは意外に簡単な所にあるように思う。つまり、プロ野球を代表する広告塔がいなくなったからなのだ、と思う。イチロー、松井、長島などの広告塔が日本の野球界から忽然と消えてしまったら、そうすれば後に何も残っていなかったと、言うことなんだ。
 この人たちは絶えず野球界以外の分野でも、実は球界の広告塔として、人々から愛され、尊敬され活躍していたのである。そして12球団の存在をも支えていたのである。殊に“所謂”ミスターこと“長島”は野球界にあって唯一人“孤軍奮闘”していたように思う。日本における野球をプロスポーツの王者に仕立て上げたのは、勿論 川上、藤村、大下、などの先達は忘れてはいけないにしても、ミスター以外にないと思う。彼ほどファンに、いや野球ファン以外の人達からも、愛され、何よりも信頼された人はいないと思う。
 ミスターは球界における次代の後継者としてイチロ-や松井に夢をかけていたように思うが、彼らは日本の球界から去っていった。ミスターは“巨人軍は永遠に不滅です”と宣言した手前、日本の球界に大変心痛めていたのではと、彼の心労は察するにあまりある。
 さて、私がここで言いたいことは、野球界をこんな状況におとしいれた責任者は誰かと言うことである。Wオーナーでしょうか?いや球団オーナーの所為なのでしょうか?ーーー違うでしょう?
 プロ野球選手自身あるのではないですか?
 現在でもミスターに負けず劣らずの実力選手はいるかもしれません。でも、何か個性と言うか、人を惹きつける何かに欠けているように思えるのです。野球は見せてあげる為にやっているのではなくて、見てもらう為にやっていると言う視点が欠けているように思えて仕方がありません。昔は、王、張本、野村、金田、江夏、村山等見ているだけで血が騒ぐ個性的な選手が多かった。試合にも熱気があふれていた、そして笑わせてもくれた。
 金田が超スローボールを投げて長島が思いっきり空振りしたり、誰だったか王の一本足打法を崩すために股の下からボールを投げて皆が大笑いしたことがあった。結構ファンサービスがあったように思う。最近では落合、彼は個性派で何かと野球以外に話題の多い人だったけれど、剣豪のような風貌と想像を超えるような打撃術で誰も打てないような球をホームランしたりして、人々の度肝を抜くのが得意だった。彼が打てなければ“仕方がない”とあきらめることさえ出来た。相手のピッチャーがそれほどに良いのだと納得出来たのである。
 しかし現代の選手にはそんなカリスマ性に欠けているのである。
 野球をファンの為ではなく何か自分達の年俸(失礼!)の為にだけやっているような見えて仕方がないのです(そうでない人もいるかもしれませんが)。殊に複数年契約した途端に怪我だらけで球場に姿も見せないなんてファンを馬鹿にしているようにさえ思えます。         
 昔の選手と現代の選手の違い、それは野球に対する、又ファンに対するひたむきさの違いではないですか?
 高校野球に人気のある理由、それはプレーに対する彼らの“ひたむき”さなんですよ。
 選手会の皆様、どうか野球の原点、プロの原点を忘れないで下さい。まかり間違ってもストライキなんて考えたら罰が当たりますよ。球団オーナーは本当は心からの野球ファンなんですから。ことにWオーナーはそうなんですよ!オーナーさえもファンに出来ない自分達の不甲斐なさを反省して下さい。

 追伸 オリンピックに参加の選手の皆様、ミスターの心を忘れないで、それこそ死に物狂いで頑張ってください。健闘をお祈りします。


ジョージ北峰 |MAIL