ジョージ北峰の日記
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2003年08月24日(日) 雪女、クローンAの愛と哀しみーつづき

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 A子の妊娠と言う予想外の幸運に、当初計画していた海外移住計画は変更を余儀なくされた。今、私達が実際に体験している”クローン”の妊娠は過去人類に1度も経験がなく、地球誕生以来、初めての出来事と知っていただけに、私自身、体の芯が炎のように熱く燃え、神経が昂ぶり、全身が自然に興奮してくるのを抑えることが出来なかった。それは喜び、驚き、恐怖心、好奇心などが入り混じった、今でも説明の出来ない複雑な感情の湧出だったように思う。この間、海外移住の話は正直、私の考えの中(うち)から吹っ飛んでいた。ただ、健康で五体満足な子供が無事誕生することを祈る気持ちで一杯だった。しかしA子はそんな私の気持ちとは裏腹に、自然すぎるほどに自然に振舞い、夜遅くまで仕事をしたり、時には走ろうとすることさえあった。私が心配するほどには彼女は自分の行動に気を留めていない風に見えた。彼女は底抜けに明るく、全身に自信と喜びがあふれているように見えた。
 しかし夜2人になると、妊娠初期にアルコールを飲んでいたことを気にすることもあった。
 確かにアルコールには催奇形作用がある。しかし君は食事の時に少したしなむ程度だったから大丈夫だよ、と言うと少し気が休まるようだった。彼女は食事、化粧などには、ことの外、気を配っているようだった。しかし相変わらず、妊娠していることを忘れたかのように目一杯仕事をする、私がはらはらして、もう少し大人しくしていた方が良いのじゃないか?とたしなめると、クローン人間だから?と切り返す。
 私も、あなたと同様健康で丈夫な子供が欲しいのよ。だからと言って腫れ物に触るようにしないで欲しいの。強い子供が欲しいのよ!と言った。

 彼女が妊娠してからは、あの”恐怖の顔”はすっかり影を潜めていた。恐らくホルモン環境の変化が、進行する彼女の老化を食い止めていたのかも知れなかった。だとするなら産後、彼女の老化の防止はホルモン療法で可能になるのではと、少し希望が持てるようになった。私はそのことが、妊娠に付随する発見とは言えとても嬉しかった。それまで、彼女の老化を抑える手段がないかと、色々思案し続けていたのだった。

 ある夏の夜、患者の容態も落ち着いていた。夕食後、珍しくA子が蛍を見に行きたいと言い出した。子供のころ、彼女の父は日本の蛍が珍しく、しばしば夜、彼女をつれて散歩したと言うのである。
 診療所から、車で山道を下って行くと村の水田に出る。うるさいほど蛙の声が響き渡り、遠くでふくろうの鳴き声が聞こえた。人家は少なく墨を塗ったような暗闇で、山手の方角に蝋燭のような電柱の灯りが点在して見える。車が行き交う為の少し広くなった道端に停車すると、A子が車の、フラッシュを点滅してみたら、と言う。暫くすると、何処からともなく山手の方から蛍が押し寄せて来た。
 面白いでしょう。車を仲間と勘違いしているみたい。私が呆気にとられていると蛍は車の周囲を窓に触れんばかりに飛び回る。まるで火の玉みたい!と彼女が言う。
 私は感心したが、少し薄気味悪くなった。
  つづく


2003年08月10日(日) 雪女、クローンAの愛と哀しみ

RIOの海岸は大西洋に面している。大西洋についてはバスコダガマ、コロンブス等、大航海時代の偉人伝で学んだり波乱万丈の冒険小説で読んだりして漠然と知ってはいたが、しかし私にとってそれは想像の世界だった。本当の大西洋は私の抱いてきたイメージとは大分異なっていた。海水の色は薄く透明、さながらブルー・トルマリンのような藍色に輝き、浜辺に寄せては返す波は太平洋に比べると一段と優しく、とても暖かい印象を受けた。
 海岸には逞しく日焼けした若い男女がはちきれんばかりの水着で散策する姿、又人生にゆとりの出来た老夫婦が休んだり、話したりしている姿に、さすがは世界のリゾート地、随分豊かな生活水準の人達が集まり住んでいるな、との印象を受けた。
 しかし一方では日本でも戦後よく見かけた靴磨きの子供達が見受けられ、人々の生活にかなり貧富差のあるらしいことが容易に想像できた。私達が朝の浜辺を歩いていると、年頃5,6才に見える黒人の男の子が重そうに靴磨きの道具を一式ぶら下げ、靴を磨かして欲しいと近づいてきた。OKのサインを送ると見よう見まねで覚えたのか一生懸命磨いてくれる。仕上げは上手いとは言えなかったが料金を払ってやると、思っていたより額が多かったのか嬉しそうに目を輝かせ、白い歯を見せ、道具を手早く片付けると、ぎこちなく手を振りながら足早に帰っていった。
 優しいのね、とA子。
 あんなあどけない子供が働いている姿を見ると、つい可哀そうになるの  だ。
 確かにあの子は幼すぎるけれど、この国では子供が親を助けて働くのは当 たり前のことだから、あまり甘くしない方がいいのよ。
 彼女はいつの間にか、驚くほど大人びた口調で話していた。でもあなたが 子供に優しくする姿を見ると、何かほっとするの、と言った。
 子供など、望むべくもないと思っていた私にとって、クローン人間に子供が出来たと言う、本当に信じられない夢のような事実に、心底、神に感謝の祈りを捧げたかった。
 元来A子は誕生の経緯もあって、議論になると、神の存在など全く信じないと主張することがあった。人間存在だって、そんなに貴重なことかしら?いくらでも人工的に作り出せるじゃない!と反抗的な言葉を吐くことさえあった。
 それじゃ、君が医療を仕事に選んだのは、自分の意見に矛盾するとは思わ ないかい?
 私は、クローンとはどんな生命体なのか、普通の人間と何が違うのか
 本当に知りたかった。だから、以前あなたに色々尋ねた事があったでしょ う。
 姉(と呼ばせてね)は癌で早く死んだ。父はそのことが心配で、クローン 人間の作成にあたって癌抑制遺伝子で治療したそうなの。私は遺伝子治療 を受けたクローンらしいのよ。しかし父は、その効果のほどについては予 測できなっかたのね。だから、出来るだけ早く社会に出たほうがよいと私 には薦めてくれたの。おそらく父は私の命が短いのではと恐れていたの  ね。
 私は無意識にクローン人間について理解してくれそうな人、私を助けてくれそうな人を探していたのね、そして偶然あなたにめぐり合ったわけ、と言って一息入れた。そして私はあなたに初めて会った時、子供ながら何故かとても気に入ったの、この人ならどんなことでも我慢して聞いてくれる、と本能的に理解したのね、と付け加えた。
 しかし、今回の妊娠だけは、彼女にとってもこれまでとは少し事情が違っていた。彼女の体内で起こるかも知れないこれからの出来事については誰にも予想の出来ない、予断を許さないものだっただけに、神にも祈りたい気持ちだったのだろうか?素直に神に祈りを捧げたかったのだろうか。私は心の中で彼女の変化に拍手を送りたかった。
 だがこれから先、2人に起こる地獄のような不安なや苦しみについては、この時の私達には知る由もなかった。
 コルドバの丘のキリスト像は遠く青空にくっきり輝いて見えた。
 RIOのカーニバルに参加したいと残念がっていたA子だったが、今回めぐり合わせた、思いがけない幸運に、そのこともすっかり忘れてしまったかのようだった。     つづく


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