与太郎文庫
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2004年07月29日(木)  新珍代謝 〜 クロート・セミプロ・ドシロート 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040729
 
 一億円の「献金疑惑」について、マイクを向けられた橋本竜太郎は、
「私は受けとっていない」と答えたが「では誰が受けとったんですか」
との質問には答えなかった。数日後(20040730)派閥会長を辞任。
 
 派閥の目的が献金を集めることならば、それをポケットに入れた者は
派閥から追放されて当然だ(そのあと誰に渡したとしても)。
 献金を申告しなかった罪を、国会議員として追求されているのだ。
 
 派閥の子分は「きょうは会長の誕生日だというのに」と残念がった。
 →《与太郎文庫 20030727 大原家の三日間》
 この政治家は、いつも場ちがいなセンスの持主だった。
 
 人前でタバコを吸う「ヘビー・スモーカー」をカッコイイと思った。
 幹事長時代に、選挙で自民党の敗北が決まると「畜生!」と言った。
 テレビ取材にあわせて、一度だけパソコンを打つ格好をした。
 
 首相就任にあたって「火だるまになっても行政改革する」と演説した。
 カンター通商代表にプレゼントした竹刀で自分の喉を突くふりをした。
 ペルー大使館人質事件で、肝心なときに“あんぱん”を配って歩いた。
 
 ほんとうの政治責任は(なぜか誰も指摘しないが)親子二代にわたる
厚生大臣および遺族会会長時代にあるはずだ。
 まったくの偶然だが、同姓同名(龍太郎=竜太郎)の別人もいた。


 橋本 龍太郎 健康保険組合 1928.... 東京 19891218 61 連合会理事
 橋本 竜太郎 衆議院議員  19370729 東京       厚相/首相82-83
 橋本 大二郎 高知県知事  19470112 東京       19911201当選
────────────────────────────────
 橋本 竜伍  衆議院議員  19060602 東京 19621121 56 厚相/文相
 19631121 橋本 竜伍の一周忌(衆議院選投票日)長男=竜太郎の出馬
 /次男(竜太郎の異母弟)=大二郎(慶応大学経済学部/NHKキャスター)

 タレントの蓮舫(レンホウ)「これからは年金問題に取りくむつもり」
 一昔前は「ワイドショーを変えてみせます」と宣言したが、半年後に
降板している。いままで彼女が取りくんできたのは何だったか。

19671128♀謝 蓮舫[A]謝 哲信(台湾人貿易商)&斎藤 桂子の娘/東京生
1985.... 台湾籍から日本帰化/籍=斎藤 蓮舫
198604.. 青山学院大学法学部入学
1988.... タレント・デビュー(第14代クラリオンガール)
199003.. 青山学院大学法学部卒業
199210..〜199303.. TBS「スーパーワイド」キャスター
199304..〜199510.. テレビ朝日「ステーションEYE」キャスター
19930801 村田 信之(27)と結婚(現籍=村田 蓮舫)
19970402 長女=翠蘭(すいらん)&長男=琳(りん)出産
20040712 参議院議員(民主党)得票数924643 http://www.renho.jp/

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 参院:1年生議員が初登院 喜納昌吉さんは琉球王朝衣装で
(国会前で沖縄の楽器を奏でる初登院の喜納昌吉参院議員=30日午前
9時15分、山本晋写す)
 
 臨時国会が開会した30日、今月11日の参院選で当選した1年生議
員たちが初登院した。
 
 民主党の比例代表で初当選した沖縄県出身の音楽家、喜納昌吉氏(56)
は、琉球王朝の高官が公式行事の際に着たとされる紫色の伝統衣装姿で
登院。「沖縄のアイデンティティを示したかった」という。支援者約30
人が沖縄のエイサー太鼓を打ち鳴らす中、「憲法9条を守り、日本が戦
争の道ではなく、平和の道に進むようにしたい」と意気込みを語った。
【月足寛樹、清水健二】毎日新聞 2004年7月30日 11時02分
 
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 喜納 昌吉 参議院議員 19480610 沖縄 /作詞作曲〜《ハイサイおじさん》

 TVニュースでは「これからの政治家は、歌って踊れなければならな
いから、そういう法律を作ります」このあと、蛇皮線を弾きはじめると、
国会周辺の警備員があらわれ「ここでの演奏は困ります」と制止された。
 
 この人が、むかし《朝まで生テレビ》に出演して沖縄問題を論じたが、
何を言いいたいのか論旨不明の発言がつづいて、司会者を困惑させた。
 このとき「場の空気を読める人」があらわれて、助け舟を出した。
 
 「彼の発言を(われわれ日本人は)意見として聞くべきではなくて、
詩人の祈りとして、しずかに耳をかたむけるべきなんです」
 硬骨の人・高野 孟が、はじめて重厚な存在感を示した一言だった。

19440319 東京生まれ/異説19440417
1968.... 早稲田大学文学部西洋哲学科卒
     通信社、広告会社勤務の後、フリー・ジャーナリストに。
1975.... 情報誌《インサイダー》創刊に参加。
1980....(株)インサイダー設立、代表兼編集長に。
1994....(株)ウェブキャスター設立、オンライン週刊誌『東京万華鏡』創刊
2002.... 早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」担当。

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 2つの誕生日?
 
 3月19日に東京・築地の聖路加病院で生まれたことになっているが、
本当の誕生日は4月17日。4歳で幼稚園に入ったが、「お遊戯」が嫌い
で3カ月で登園拒否、家でブラブラしているので母親が困って、1年早
く小学校に入れるために区議会議員に頼んで戸籍を書き換えた。
 父親の高野実は、戦前からの職業的革命家・労働運動指導者で、戦後
は「昔陸軍、いま総評」と言われた頃の総評事務局長。母親の倭文子(
しずこ)は、戦前に『中央公論』編集者で、戦後は小唄の師匠、英語塾
の経営者として家計を支えた。2人とも1974年9月に亡くなった。
 
 孟は、はじめと読む。元々この字は、兄弟姉妹の一番上、季節の初め
という意味で、孟女といえば長女、孟夏といえば初夏のことである。
動詞では「つとめる」と読み、困難を冒して前進するという意味になる。
 
 アンビヴァレントな青春
 
 高校2年生で安保反対のデモに参加。この頃は忙しくて、早稲田大学
付属の高等学院で吹奏楽部に所属し、1年生でトランペット、2年生で
サクソフォン、3年生でキャプテン兼指揮者をやる傍ら、ジャズバンド
やブロックフレーテ(英語ではリコーダーと呼ばれる木の笛)のバロッ
ク・アンサンブルをやったり、新宿のキャバレーや厚木の米軍基地の将
校レストランでサックス吹きのアルバイトをしたり、母親の経営する英
語塾で先生をしたり、丹沢山塊を中心に山登り・沢登りをしたり、友達
と一緒にオーダーメイドの自転車を買ってサイクリングをしたり、禅研
究会に参加して毎週日曜日早朝に座禅を組んだり、「ストリップ研究会」
を組織して浅草・新宿・渋谷および鶴見・船橋あたりの劇場に通い詰め
たり、マルクス・毛沢東・サルトルを読み耽ったり、学園祭でロシア語
劇(ゴーゴリの『検察官』――第2外国語がロシア語だったので)、デ
モに参加したり……まあ大抵の面白いこと(と同時に若干の人生の悲哀)
は16〜17歳で経験してしまう典型的な都会派高校生だった。
 安保の頃は、昼間は「安保反対、岸(信介首相=当時)を殺せ」と叫
んで反米デモをして、夕方18時になると親米に変わって新宿西口から米
軍のカーキ色のバスに乗って厚木基地でバンドのアルバイトをするとい
う、まことアンビヴァレントな青春だった
http://www.smn.co.jp/takano/who.html
 
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2004年07月17日(土)  現代人の背中 〜 四宝から三宝へ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040717
 
 そもそも文房四宝とは「筆・墨・硯・紙」だったが、万年筆の出現で
「筆・墨・硯」が一体となってしまった。そこで、かつての文学青年は
風呂敷を加えて“三種の神器”などと称したことがある。
 
 風呂敷ではなく、柳行李(やなぎ・ごおり)いっぱいの原稿ともいう。
 それくらいの書きだめがないと(新人賞を取って)いざ売りだすにも
あとが続かないから、出版社も乗り気にならないそうだ。
 
 武家の長男は、そのまま家督を継ぐが、次男以下は、馬一頭もしくは
鎧具足一式を持参金がわりにして、養子に出される。縁組が決まるまで
“部屋住み”と称して、居候あつかいだった。
 
 文学青年たるもの、どうせ一族の厄介者だから、いつか家を出る覚悟
がなければならず、たとえポーズだけでも必要なので、鎧具足の代りに
柳行李いっぱいの古原稿を見せびらかしたのであろう。
 
 与太郎の縁戚に一人(妻の親戚にも一人)実在したので、実際のナマ
原稿を読んだことがある。あるいは故郷を捨て、都会に放浪する中年の
文学青年とも知りあった(彼はシェーファーの万年筆を持っていた)。
 
 同世代の文学青年は(初対面だったのに)ナマ原稿を見せてくれた。
その場で批評を求められ「すぐには理解できない」と答えると、長髪の
美青年は、たちまち不機嫌な表情で立ち去ってしまった。
 
 伝説の、若き日の水上勉は、赤子を背負って出版社をまわったという。
 編集者があらわれると、着流しの懐中から風呂敷につつんだ生原稿を
取りだして長い髪をかきあげる。ここまでやられると断りにくいそうだ。
 
 たぶん最後の文学青年は、松本清張ではなかったか。
 彼は(通勤の途中も)手帳にシャープペンシルで書きこんでいたが、
あるとき大切なシャープペンシルを(線路の上で落して)失なった。
 
 馬一頭や鎧具足一式は、家一軒に相当する財産だった。これがのちに
柳行李に置きかえられ、風呂敷につつまれた原稿用紙と万年筆になった。
(いまだ書きかけの原稿用紙が一束、というあたりが切ない)
 
 現代の文学青年は、ケータイ(携帯電話)でウェブ日記を書いている
にちがいない。さすがの与太郎も、まだ会ったことはないが、あるいは
与太郎自身が文学青年かもしれない。なにしろ、タダ同然なのだ。
 
 小学生が、同級生を読者とするホームページを公開して、殺人事件に
発展してしまった。すぐにパソコンやテレビを規制すべきだ、と言った
のは、ネットワーク圏外の人たちだろう。
 
 初対面の人と名刺交換するのは、日本人特有のいやしい習俗ではない。
 一枚のカードから、相手がどんな階級集団に属して、いかなる文化的
センスを許容しているか、握手するよりも分りやすいからだ。
 
 さらに現代人は、相手の個人的見解が、いかなる思想的背景のもとに
あるか興味を示すことができる。「私のホームページを読んで下さい」
「あなたのページを読みたい」という英会話の例文が普及するだろう。
 
 ただし、いいことばかりではなさそうだ。とびっきりの美人に会って、
「ケータイ番号はダメだけど、HPアドレスならOKよ」と教わって、
読んでみたら、ウンザリするほど退屈だった、という場合もあるはずだ。
 
(未完)

→ 1967年01月20日(金)  退屈論
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19670120


2004年07月16日(金)  アクセス・ラッシュ 〜 Who is ビンボー ? 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040716
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 Ex libris Web Library;Bimbo Danao
http://homepage3.nifty.com/yachan-ndt/s33nen.html
── 《夏のおどり》ビンボー・ダナオ 他
/雪村いづみ・清水秀男・羽鳥雅一 向井十九・奈加英夫
 
── 淡路 恵子:四男がマンション侵入、逮捕されていた
 故萬屋錦之介さんと女優淡路恵子(70)の四男で俳優の萬屋吉之亮
(31)が5月に、都内にある淡路の自宅マンションに侵入、警視庁麻
布署に逮捕されていたことが14日、分かった。15日発売の週刊新潮
が報じている。それによると、吉之亮はベランダの窓ガラスを破って侵
入し金品を物色。通報で駆けつけた署員により逮捕された。今月9日の
公判で懲役6月の実刑判決を受けた。淡路は15日、会見する予定。
── スポーツニッポン 20040715
 
 故・萬屋錦之介と淡路恵子の四男=萬屋吉之亮が逮捕されたことから、
(直接の関係はないのに)淡路恵子の亡くなった前夫(フィリッピン人
歌手=ビンボー・ダナオ)の情報が、きわめて乏しいことが判明した。
 
 検索すると、Google 105 件、Yahoo 13件しか見あたらない。このうち、
Yahoo 第2位のキーワードが、七月十五日の事件発覚から会見記事まで、
両日にわたって推定 500件もアクセスされたのである。
 
 わが《与太郎文庫》に何気なく記された「ビンボー・ダナオ」の名は、
昨年の“隠し子”騒動で、一日平均10件だったものが、50から100まで
達したように、こんどは一日100件のところ200から300となった。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031201 ミス東京に出前一丁!
 
 昨年のケースでは(他のページに比べて)核心に迫る情報だったので、
別のページまで探索されている気配を感じて(がっかりさせないために)
つぎのメッセージを加えたりしている。
 
“隠し子騒動”の記述は[2003年02月13日(木)隠し子]にあります。
(左上の目次《与太郎文庫》Diary INDEX からもジャンプできます)
 Google からの検索は“キャッシュ”で年月日を確認してください。
────────────────────────────────
♀ 日置 明子(籍=同)歌手 19740205 鳥取 /1995debut/1999改名=sono
/20030213 発覚/200201‥ 出産 [A]
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030213 隠し子 〜 アクセス・ランキング 〜
 
 今回は、せっかくページを開いてくれた人たちには申しわけないが、
ほとんど(他のページ同様に)内容がない。しかしながら、何度か彼の
ステージを見ているので、いま分ることだけでも補足しておきたい。
(20040717)
 


 森 ペペ   司会 192,‥‥ Japan       /専属〜「サヨ、オナラ」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ビンボー・ダナオ 1915‥‥ Phil.1967‥‥ 52 /歌手 Bimbo Danao/リンパ腺肉腫
/1953 来日/1961-1965 淡路 恵子と結婚(内縁)
── 香川 登志緒・原作《スチャラカ社員 19660813 松竹》
────────────────────────────────
 萬屋 錦之介 俳優 19321120 東京 19970310 64 /中村 時蔵 3の四男
籍=小川 錦一“錦ちゃん”(中村 錦之助) 〜《風林火山/子連れ狼》
1961-1965 有馬 稲子と結婚/1966-1987 淡路 恵子と再婚/1990 甲 にしきと再々婚
────────────────────────────────
♀淡路 恵子  女優 19330717 東京 20140111 80 /籍=井田 綾子(阿紀子?)
1961-1965 ビンボウ・ダナオと結婚(長男=晃一郎&二男=井田 照)
1966-1987 中村 錦之助と再婚(三男=晃広&四男=哲史)
19970315 離婚(21年)1990‥‥ 甲 にしきとの不倫発覚で別居。
20040715(71)母の会見。
20090310「私はいつまでも生きているわけではない」
http://rocketnews24.com/?p=6004
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 島 英津夫  俳優 19610115 東京 /淡路 恵子&ダナオの長男 [AB]
/籍=井田 晃一郎/旧称=小川 晃一郎/萬屋 錦之助の養子
────────────────────────────────
 井田 照  元俳優 1965‥‥ 東京 /淡路 恵子&ダナオの次男/萬屋 錦之助の養子
────────────────────────────────
 小川 晃広  俳優 1968‥‥ 東京 19900730 22 /06‥交通事故/錦之介の三男
────────────────────────────────
 井田 哲史 元俳優 1973‥‥ 東京 20100615 36 /自殺/淡路 恵子の四男/元俳優
/200405‥ 自宅住居侵入逮捕/0509 懲役6月の実刑判決
/旧称=萬屋 希之照→中大 健→萬屋 吉之亮/旧姓=小川〜《美空ひばり物語》
http://movie.goo.ne.jp/cast/164327/index.html

 
── 女優・淡路恵子さんの四男で元俳優・井田哲史さん(36)が16日
午後10時ごろ、東京・新宿区中井の自宅アパートで、ひものようなもの
で首をつって死んでいるのが見つかった。警視庁によると、遺体は死後
1日ほどたっていて、遺書などは見つかっていないということだが、周
囲の状況から自殺とみられている。(20100618 00:14)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00179259.html
 
(20040717)
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20100618)
 


2004年07月06日(火)  不滅の謎 〜 七月六日の月曜日 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040706
 
 死後に発見された“不滅の恋人”宛の未投函のラブレターは“七月六日、
月曜日の晩”と記されているが、いつ誰に対して書かれたものか、いまも
謎につつまれている。
 
 相手の女性については、すくなくとも23人の候補があげられる。
 一人を除いてすべて年下であり、同世代の6人や、年齢不詳を除くと、
半数は十四歳以上、3人は三十歳も離れている。
 
 最後の一人は“隠し子”説だが、この母娘は、なかなか信憑性が高い。
 つぎに、月日と曜日さえ分れば、年号を特定するのは容易に見えるが、
時計や新聞やテレビに取りかこまれた現代人とは事情がちがうらしい。
 
 日付と曜日との整合性は、当時(ベートーヴェンに限らず)きわめて
甘く、エッカーマン《ゲーテとの対話》でも、思いちがいの箇所が多い。
 さらには地理的条件など、それぞれ諸説あってとらえどころがない。


 Beethoven,Ludwig van “楽聖”作曲 17701216 Duitch 18270326 56/17701215-1217
────────────────────────────────
♀Streicher,Nanette   ピアニスト 17690102 Duitch 1833.... 64
♀Breuning,Eleonore von Heleneの娘 1772.... Duitch 1841.... 69/Let'17931102
♀Brunsvik,Therese Grafin von    17750727 Hungary 1861.... 86 Josephineの姉
♀Ertmann,Boronin Dorathea 男爵夫人 1778.... Duitch 1849.... 71 旧姓=Graumann
♀Erdody,Grafin Maria   伯爵夫人 1779.... Duitch 1837.... 58/17960706結婚
♀Brunsvik,Josephine   伯爵未亡人 17790328 Hungary 18210331 42 ミンナの母
♀Brentano,Antonie von Bettinaの姉 17800528 Wien  18690512 89
♀Guicciardi,Julietta Grafin    17841123 Duitch 1856.... 71《月光ソナタ》
♀Brentano,Bettina   Antonieの妹 1785.... Duitch 1859.... 73/1775〜誤
♀Hauptmann,Anna Milder  宮廷歌手 17851213 Duitch 1835.... 49
♀Bigot,Marie      ピアニスト 1786.... Duitch 1828.... 42 旧姓=Kiene
♀Sebald,Amalie      宮廷歌手 1787.... Berlin 1846.... 59
♀Adamberger,Antonie    宮廷女優 17901231 Wien  1821.... 42/17800528〜
♀Malfatti,Therese von   男爵夫人 17920101 Duitch 18510427 60 Annaの姉
♀Malfatti,Anna von   Thereseの妹 17921207 Duitch 18...... ? ギター
♀Breuning,Konstanze         17...... Duitch 18...... ?
♀d'Honrath,Jannette   金髪の弟子 17...... Duitch 18...... ? グレート夫人
♀Gerardi,Christine アマチュア歌手 17...... Duitch 18...... ? フランク夫人
♀Hummel,     Johann Nepomukの妻 178..... Austria 18...... ?/18270323訪問
♀Willmann,Magdalena    宮廷歌手 17...... Duitch 18...... 30 ガルバーニ夫人
♀Ungar,Karoline   アルト/ピアノ 1800.... Austria 187703.. 76《第九》独唱
♀Schroder-Devrient,Wilhelmine 歌手 18041206 Duitch 18600126 55/ソプラノ
♀Sontag,Henriette     宮廷歌手 1806.... Duitch 1854.... 47《第九》独唱
────────────────────────────────
♀Brunsvik,Ming-Na Beethovenの落胤? 18130409 Duitch 18970227 83 Josephineの娘

 
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 ベートーヴェンが死んだあと、かれがもっていた株券をさがしていた
弟のヨハンは、タンスの奥の秘密の引出しから、株券といっしょに例の
「ハイリゲンシュタットの遺書」と、一〇ページにぎっしり書かれた恋
文と、テレーゼ・ブルンシュヴィク姫の美しい肖像画を見つけた。この
恋文の全文は、一八四〇年にシンドラーによって、かれのベートーヴェ
ンの伝記に発表されたが、この時にはじまった不滅の愛人をめぐっての
研究と論争は、今までの長い間かかっても、まだ決定的な解決点に達し
ていない、この恋文は三度に書かれた鉛筆のなぐり書きであるが、まず
次にその全文を訳してお目にかけるとしよう。
── 属 啓成《ベートーヴェン・生涯篇 19630920 音楽之友社》P300-301
────────────────────────────────
── 青山 やよひ・訳《不滅の恋人への手紙 19.. 河出文庫》
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/4324/beet.html
http://www.kurumeshiminorchestra.jp/beethoven_loveletter.html
 
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 年月日(曜)満年齢 ♀ .................. 説
 
18010706(月)30-16 Guicciardi,Julietta .. Schindler,Anton 1860
18010706(月)30-16 Guicciardi,Julietta .. Kalischer & リーマン=ダイタース
 
18020706(火)31
18030706(水)32
18040706(金)33
18050706(土)34
 
18060706(日)35-30 Brunsvik,Therese ..... Thayer,Alexander Wheelock 1972
18060706(日)35-21 Guicciardi,Julietta .. Schindler,Anton 1840
18070706(月)36-31 Brunsvik,Therese ..... La Mara 1902
 
18080706(水)37
18090706(木)38
18100706(金)39
18110706(土)40
 
18120706(月)41-25 Sebald,Amalie ........ San-Galli,Thomas 1909
18120706(月)41-33 Brunsvik,Josephine ... Schmidt-Gorg,Joseph 1957
18120706(月)41-33 Brunsvik,Josephine ... カズネルソン,ジークムント 1954
18120706(月)41-36 Brunsvik,Therese ..... Ungar,Max 1911
18120706(月)41-36 Brunsvik,Therese ..... Rolland,Romain 1949


2004年07月05日(月)  ポンスケ vs デコスケ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040705
 
三宅「ジェンキンス氏も男だったら責任をとるべきだねぇ。ブッシュも
武士の情けで“窮鳥ふところに入らずんば”ってわけだ」
森永「“キュウチョー”って何ですか?」
三宅「あんた、東大を出てんのに、そんなことも知らないのかね」
(?)「だから、ポン助だって…」
三宅「ふところに飛びこんできた鳥は、猟師も撃たないってのさ」
森永「“学級委員長”かと思った……」
────────────────────────────────
── 《ビートたけしのTVタックル“真夏の防衛大論争!! イラク、
北朝鮮どうなる自衛隊!!”20040705(月) 21:00〜21:54 テレビ朝日》


 三宅 久之  政治評論 19300110 東京 [AB]早稲田大学
 平沢 勝栄 衆議院議員 19450904 岐阜 拉致議員連盟/自民党
 森永 卓郎 金融経済学 19570712 東京 UFJ総合研究所
 〜《年収300万円時代を生き抜く経済学 200302.. 光文社》

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 森永卓郎氏の「戦争反対」2 [Opinion]
 先にも触れた29日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」ですが、
森永卓郎氏が出演していて「他国に攻められたら、皆で死ねばいいぢゃ
ない」「そういう国があったと、思い出してくれればよい」という主旨
の発言をしていて、案の定、出演者のほとんどから罵倒されていました
ね。
 森中(森永卓郎)氏は、
 個人のサイトも書いている考えをTVで話しただけですが、自民党の
平沢議員などは「そういう考え方だから北朝鮮拉致問題が生じたのだ!
拉致される船を見ていながら指をくわえて見ているだけで、何もできな
かったのだ!」と震えんばかりに激昂しておりました。
 
「世界で武器も持たず、攻めて来ても良いなどと言って黙っている国な
ど、一国もない!」と怒った挙句、ハナシにならんという態度をとって
いたのは、名前が出てきませんが、頭の毛のない政治評論家の方です。
例えばスイスは永世中立国ですが、軍隊は持っていますからね。かつて
永世中立国であったベルギーは、ナチスドイツに侵攻されてしまったの
でしたよね。「戦争と派遣は違う」というフレーズもよく出てきました。
なるほど、勉強になりますです。
 
 投稿者 yukihiro : March 29, 2004 11:17 PM
http://clala.lolipop.jp/archives/2004/20040329-187.htm
 
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 ところで「ポンスケ」とは?
三宅「アホ、バカ、マヌケというと表現が直接的で相手が傷つくが、ポ
ンスケは相手がきょとんとしてる感じがあるから、多少上品になる。女
性の場合は困るから、ポン子と言ってる」
(↑わざわざ読売テレビの調整室でVTR録りf(^ー^;)
(((質問)))
ブッシュと小泉、ポンスケはどっち?
(略)
三宅「小泉よりブッシュの方が世界的に権力握ってる。ポンスケ度は救
いがたい。こっち(ブッシュ)はデコスケと言ってる。これもポンスケ
の一族だが・・・」(会場笑い)
モモコ「三宅ワールドや!(笑)」
三宅「デコスケは頭の鉢が開いてる。頭いいかと思うと、脳のシワがな
い。デコスケの方がポンスケ軍団の中で位置が低い。困るのが、小泉ポ
ンスケとブッシュデコスケ、馬が合うんですよ」
 
── 《たかじんのそこまで言って委員会 20040606 読売テレビ》
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6112/nikkiokoshi-0406.html#Anchor1504694
── 《ユウコの憂国資料室》
 
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 ポンスケ談義《森羅クラブ》松下貴司(鳳来町)
 
「ポンスケ」とは、夏になると川ばかり遊びに行っている子供を指して、
親達がからかいながら言うアダ名である。
 昔の子供は学校から帰るとカバンを放り投げながら「水中メガネ」と
タオルをつかむと「万年ゾウリ」を突っかけて川に一目散に走って行く
のである。三々五々集まってきた子供達は日が沈むまで川で過ごす。
「ポンスケ」と言われる様になる子供達は夕食を済ますとミミズを取り、
木綿糸とウナギ針を用意して「夜ボリ」に出かける。夜10時頃まで釣っ
たら残ったミミズを使って「フテ針」を仕掛けて帰るのである。
「ポンスケ」は早起きで、朝6時には夜に仕掛けた「フテ針」を揚げに
行く。するとそこには見事なウナギが掛かっている。これが「ポンスケ
修行」の小学生の一日の始まりである。
 夏のお盆を過ぎると「網取り」の季節が来る。瀬売りをされた川で大
人達が網を使って「鮎」を追い込み、「ヒッカケ」を使って一網打尽に
捕る「網取り漁」が始まる。子供達は大人のポンスケに混じって「タモ」
を使って鮎を獲る手伝いをする。大人が休憩に入ると子供達は「ヒッカ
ケ」を借りて残った鮎を捕り、ここで本物のポンスケになるべく修行を
積むのである。
 瀬売りされた川も9月に入ると鮎を誰がとってもよく、「ポンスケ」
の真骨頂の季節である。幼かったポンスケも中学生位になると一人前に
川で網を使わずヒッカケ1本で鮎を追い、鮎の習性を見極めつつ見事に
鮎を獲っていく。ここまで来ると「ポンスケ」も本物で、小遣いが欲し
くなると取った鮎を売ったり、「テンモク」を使って「ハヤ」を大量に
獲り家庭の晩の総菜の助けにしたりする。
 ポンスケは中学生の高学年に至りそのピークを迎え、高校生になると
他の遊びに目が向き、忙しさの中で自然に川遊びから離れていく。まれ
に大人になって「ポンスケ」をやっている人がいる。今もってもあの美
しい川の中で遊ぶ「快感」を忘れられないのである。
 尚、「」括弧の専門用語は何処か周りに生息する「ポンスケ」にお尋
ね下さい。
http://www.honokuni.org/kikanshi010.html
── 《機関紙 Forest VOL.010 》
 
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2004年07月04日(日)  アリス&キャロル 〜 金色の昼下がり 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040704
 
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 真夏の白昼夢 〜 恋文としての童話《不思議の国のアリス》 〜
 
 一八六二年七月四日。「この日付けはアメリカの歴史にとっても、
文学の歴史にとっても記念すべきものである」(W・H・オーデン)
 アメリカの七月四日は独立記念日であるが、一八六二年というのは特
定の意味を持たない。しいていえば、南北戦争勃発後二年目ということ
であろう。ポトマックもミシシッピも暗雲がたれこめていた。
(略)
 三十歳の数学教師、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、友人の
ダグワースと、学寮長リデルの三人の娘をボートに乗せて、ゴッドスト
ウまでのささやかな遠足を試みた。このときのことを、三人娘の真中の
アリスはつぎのように回想している。
「あれは夏の午後だったと思います。あまり暑かったので、私たちはボ
ートを岸に近づけ、ようやく干し草の積んであるところに日陰を見つけ
ました。そこで私たち姉妹は、いつものように『何かお話しをして』と
せがんだのです。あの、めったにない面白いお話は、その時はじめて語
られたものです」
     (一八九八年三月一日付「セント・ジェイムズ・ガゼット)
(略)
 あの、幸福な夏の日からちょうど三年目の七月四日に、当時の人気画
家ジョン・テニエルの挿絵を入れ、本文の量も倍近くにふやした初版が、
宗教書を多く出していたマクミラン社から出版された。題名は『不思議
の国のアリス』と変えられた。このとき、ルイス・キャロルという筆名
も考案された。名前のチャールズ・ラトウィッジをラテン語読みにカロ
ラス・ルドヴィカスとし、その順序を逆転して、響きのよい英語読みに
戻したのである。
(略)
 ドジソンはこの年、十三歳のアリスに求婚して、彼女の両親から拒否
され、六十六歳で死ぬまで独身生活を送った。生前、『アリス』は各国
語版を含めてミリオン・セラーとなっていたが、かれは最後まで自分が
「キャロル」であることをみとめようとはしなかった。
── 紀田 順一郎《世界の書物 19890320 朝日文庫》P319
 
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→ 《七月四日の米日列伝 19920323 歴史研究》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19920704
 


 Tenniel,Sir John 挿絵画 18200228 London 19140225 96 〜Dropping the Pilot,”  
 Carrol,Lewis 作家/数学 18320127 England 18980114 65
 籍=Charles Lutwidge Dodgson 〜《不思議の国のアリス》
 
♀Ridel,Alice Pleasance  18520504 London 19341115 82 ハーグリーヴズ夫人
(Liddell=リデル←リドル)〜《不思議の国のアリス》のモデル
 パブリックスクール校長・牧師、古典学者 Ridel,Henry Georgeの次女
 
 Auden,Wystan Hugh  詩人 19070221 England 19730928 66 〜《怒れる海》
 紀田 順一郎   書誌評論 19350416 神奈川 /籍=佐藤 俊


2004年07月03日(土)  ヤナーチェク 生誕150年 〜 Birth from 18540703 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040703
 
>>
 
 小交響曲 〜 シンフォニエッタ 〜
 
 レオシュ・ヤナーチェックは、一八五四年七月三日にモラヴィアの東
北部、ポーランド地方との国境に近いフクヴァルディという村に生まれ
た。同じ世代の作曲家に、フンパーディンク、マーラー、プッチーニな
どがいる。その人柄は熱しやすく、激しやすく、馬鹿正直で、しかも気
まぐれだったそうだ。その音楽もじつに独自な発想によっていままでの
音楽の概念を打ち破ったもので、同じ世代のどの作曲家とも似ていない。
しいていえばモラヴィアの民族的な素材のとりあげかたが、いっぺん分
析と昇華をへた現代の民族主義のやりかただった点で、二十七歳下のバ
ルトークを予感させるところがある。とにかく、そういうきわめて独創
的な作曲家だったために、世の中に認められるのが遅れ、プラハの楽壇
でさえ、生前彼をあまり認めていなかった。ヤナーチェックの出世作で
あり、スメタナの「売られた花嫁」以後もっとも世界的な人気を博した
チェコのオペラでもある「イェヌーファ」Jenufa(一八九四〜一九〇三
年)は五十歳の年にモラヴィア地方の首都ブルノで成功裡に初演された
が、プラハの国立劇場がこれをとりあげるまでには、さらに十二年間も
待たねばならなかったのである。(略)
 ヤナーチェックは「モラヴィアのムソルグスキー」と呼ばれることも
ある。事実彼はムソルグスキーの音楽に親しみを感じていたようだし、
その自由奔放なところや、語り物風な旋律、また、作曲のヒントや材料
をしばしば十九世紀ロシアのリアリズム文学から得ていること──トル
ストイの「クロイツェル・ソナタ」から霊感を得た弦楽四重奏曲第一番
(一九二三年)、オペラではオストロフスキーの「嵐」による「カーチ
ャ・カバノーヴァ」 Kata Kabanova(一九一九〜二一年)や、ドストエ
フスキーによる「死の家の記録」Z mrtveho domu(一九二七〜二八年)
など──は、「モラヴィアのムソルグスキー」と異名をとるのも無理で
はないだろう。だが、この両者は似て非なる個性だった。ヤナーチェッ
クは、ムソルグスキーやモーパッサンのような、冷徹な客観主義者では
決してなかった。もっと主観的な感情家であり、ふくよかな夢に生きた
芸術家だった。彼の音楽には、しばしばアンリ・ルソーの絵や宮沢賢治
の童話にみるような、あどけない偶然性がみられ、それが非常に人間と
しての真実にふれている場合がある。また、この人の音楽は、シュトゥ
ッケンシュミットが「現代音楽の創造者たち」の中で指摘しているよう
に、自由な空のもとに生まれたという感じの生命肯定の芸術である。こ
れらはムソルグスキーにはみられない面だろう。(略)
 小交響曲はヤナーチェックの最後の交響作品で、また唯一の交響曲で
もあるが、ふつうの交響曲とはひどく趣のちがったものである。(略)
 作曲者自身これについて「自由の微風が町(ブルノ)にただよう。勝
利のトランペットのひびき、夜の影、緑の丘の息づき──かぐわしい偉
大なヴィジョン──こうしたヴィジョンが私の小交響曲を生んだのであ
る」とのべている。
── 佐川 吉男《名曲解説全集 18 補巻 19641201 音楽之友社》P126-134
 
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← ヤナチェック or ヤナーチェック
 
→ Janacek,Leos《Quartet for Strings No.1 19241017 Praha》
 〜 トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感を受けて 〜
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030524
 
→ K.Umezawa《Works of Leo? Jana?ek 20030309》簡易作品表
http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/Janacek.html
 
〜《Sinfonietta“Symphonietta”1926》
〜《Haydn“オーストリア国歌”編曲》
〜《Rhapsodie“Taras Bulba”1915〜18/1921》


 Janacek,Leos 作曲 18540703 Czecho 19280812 74 言語メロディ理論
 佐川 吉男 音楽評論 19260817 青森  20000510 73 武蔵野美大教授
/日本チェコ協会長


2004年07月02日(金)  アントワーヌの日記 〜 19180702-1118 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040702
 
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  ル・ムースキエ
  一九一八年七月二日
 夜も終わりに近く、たったいま、ちょっとうとうととしたあいだに
ジャックの夢を見た。もうその話の筋をたぐりあわせることもできなく
なっている。昔、ユニヴェルシテ町の階下の部屋でのことだった。その
ことから、おれは、ふたりがいっしょに、きわめて身近に暮らしていた
ころのことを思いだした。いろいろな思い出のなかでも、とくに、少年
園を出てきたジャックをおれの部屋に引きとった日のこと。しかも、お
やじの監督からのがれさせてやろうと思って、それを思いたったのはこ
のおれだった。それでいて、鼻持ちならぬ反感、利己的な後悔の気持ち
をおさえることができなかった。いまでもよくおぼえている。おれは心
にこう思った。<<よかろう。おいてやろう。だが、そのため、おれの習
慣、おれの仕事がじゃまされないようにしなければ>>成功! 一生を通
じて、おれはいつでも<<成功>>の二文字をくり返してきた。おれにとっ
ての合い言葉、そして唯一無二の目的。そのためにささげられた十五年
の努力……しかもいま、このベッドの上で、けさ、その成功の二文字が
なんとばかばかしくひびくことか! ……
 
(略)
 七月八日
 三十七歳。これが最後の誕生日!
(略)
 
  一九一八年十一月十八日月曜
 三十七歳、四ヵ月と九日。
 思ったよりもわけなくやれる。
 
 ジャン・ポール
                エピローグ 了
── Du Gard,Roger Martin/山内 義雄・訳
《チボー家の人々(第5巻)19560905-19620630 白水社》P270,347
 〜 Martin'du Gard《Les Thibault,1922-40》《Ete 1914,1936》
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 山内 義雄 早稲田大学教授 18940322 東京  19731217 79 仏文学〜仏蘭西詩選
 アントワーヌ,Jean-Paul(架)18810708 France 19181118 37 自殺
 デュガール,Roger Martin  18810323 France 19580822 77 1937ノーベル文学賞


2004年07月01日(木)  《初演366年譜 0701-0731 Awa Library》

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040701
 


178307..-178402.. 作曲 モーツァルト《弦楽四重奏曲第16番変ホ長調》
178507.. 作曲 モーツァルト《ピアノ四重奏曲第1番ト短調》
178507.. 作曲 モーツァルト《結社員のための葬送曲 ハ短調》
178907.. 作曲 モーツァルト《ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調》
178907.. 作曲 モーツァルト《ロンド「君を愛する人の願いに」》
179007.. 作曲 モーツァルト《ヘンデル「アレクサンダーの饗宴」編曲》
179007.. 作曲 モーツァルト《ヘンデル「聖セシリア祭日への賛歌」編曲》
179107.. 作曲 モーツァルト《小カンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」ハ長調》
182607.. 作曲 シューベルト《シルヴィアに》
182607.. 作曲 シューベルト《セレナード》
────────────────────────────────
19330701 初演 シュトラウス,R《歌劇「アラベラ」》
────────────────────────────────
17160702 初演 バッハ,J.S.《カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまもて」》
18230702 初演 ドニゼッティ《歌劇「アルフレッド大王」》
19000702 初演 シベリウス35《交響詩「フィンランディア」》カヤヌス
────────────────────────────────
....0703
────────────────────────────────
....0704
────────────────────────────────
18150705 作曲 シューベルト《さすらい人の夜の歌》
────────────────────────────────
18260706 初演 ドニゼッティ《歌劇「エルヴィーダ」》
18290706 初演 ドニゼッティ《歌劇「エリザベッタ」》
18430706 初演 ワーグナー《使徒の愛餐》
────────────────────────────────
....0707
────────────────────────────────
17860708 作曲 モーツァルト《ピアノ三重奏曲第3番ト長調》
18790708 作曲 ヴォルフ《秋の決意》
18850708-0922 作曲 チャイコフスキー《交響曲「マンフレッド」Op.58》
19340708 作曲 プロコフィエフ43《交響組曲「キージェ中尉」》
────────────────────────────────
17790709 作曲 モーツァルト《交響曲第33番変ロ長調》
────────────────────────────────
17880710 作曲 モーツァルト《ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第43番ヘ長調》
17980710-0831 作曲 ハイドン《ミサ曲第9番ニ短調「ネルソン・ミサ」》
────────────────────────────────
18840711 作曲 ヴォルフ《荒野の乙女》
────────────────────────────────
19190712 初演 ファリャ43《バレエ「三角帽子」》アンセルメ36、アルハンブラ
19370712 初演 ハチャトウリャン《ピアノ協奏曲》
19460712 初演 ブリテン《歌劇「ルクリーシア(ルクレティア)の陵辱」》
────────────────────────────────
....0713
────────────────────────────────
17880714 作曲 モーツァルト《ピアノ三重奏曲第5番(第6番)ハ長調》
19240714 初演 ヴォーン=ウィリアムズ《歌劇「牛追いのヒュー」》
────────────────────────────────
....0715
────────────────────────────────
17820716 初演 モーツアルト《歌劇「後宮からの誘拐」》
17880716 作曲 モーツァルト《カンツォネッタ「もはや見当たらず」変ロ長調》
────────────────────────────────
19270717 初演 ヒンデミット《歌劇「行ったり来たり」Op.45a》
────────────────────────────────
19620718 初演 ファリャ《カンタータ「アトランティーダ」》
────────────────────────────────
18830719 作曲 ヴォルフ《交響詩「ペンテジレア」》
────────────────────────────────
....0720
────────────────────────────────
18790721 作曲 ヴォルフ《問うなかれ》
────────────────────────────────
17760722 初演 モーツァルト《セレナード第7番ニ長調「ハフナー」》
18440722 初演 ワーグナー《序曲「ファウスト」》
18470722 初演 ヴェルディ《歌劇「群盗(イ・マスナディエーリ)」》
────────────────────────────────
....0723
────────────────────────────────
18790724 作曲 ヴォルフ《秋》
19380724 初演 シュトラウス,R《歌劇「平和の日(講和記念日)」》
────────────────────────────────
....0725
────────────────────────────────
17730726 初演 ハイドン《歌劇「勘違いの不貞(当てはずれの不貞)」》
18820726 初演 ワーグナー《歌劇「パルジファル」“舞台神聖祭典劇”》
19250726 初演 シェーンベルク《三つの風刺》
────────────────────────────────
18730727 作曲 ムソルグスキー《組曲「展覧会の絵」》
18740727 初演 ムソルグスキー35《歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」》
────────────────────────────────
18240728 初演 ドニゼッティ《歌劇「リヴァプールのエミリア」》
────────────────────────────────
19450729 初演 ミョー《フランス組曲Op.248b》
19490729 初演 シューマン《民謡風の5つの小品Op.102》
────────────────────────────────
17760730 初演 モーツァルト《ディヴェルティメント第11番ニ長調》
────────────────────────────────
....0731
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