与太郎文庫
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2004年03月31日(水) |
泣かない女たち 〜 ダブル・マキコの対決 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040331 やっぱり? 江角マキコさんの参考人招致を決定 日程は改めて協議 衆院年金委員会は30日の理事懇談会で、社会保険庁がコマーシャルに 起用した女優の江角マキコ=本名=平野真紀子さん(37)が、国民年金 保険料を払っていなかったことについて参考人招致することを決めた。 江角さんは「4月1日の出席を非公式に打診されたが、『その日は、 調整が不可能』と答えた」と話していると伝えられる。 改めて日程協議が行われる予定。このため日程のずれ込みは確実だ。 衆院年金委では、野党側が田中真紀子前外相による代表質問を要求し たのに対して、与党側が「タレントを参考人で呼ぶ前例はない」などと 有識者に絞るよう求めていた。 民主党の菅直人代表が、23日の記者会見で「本人に国会に出てきて もらい、社会保険庁の責任を含めて事実関係を聞きたい」と提言して、 与野党ともに難色を示していたが、急速に世論の関心が高まり、テレビ 中継が実現することになった。[毎朝新聞4月1日] >> [菅民主代表] 「江角マキコさんの参考人招致を」 2004 年 3 月 24 日 Mainichi 「本人に国会に出てきてもらい、社会保険庁の責任を含めて事実関係 を聞いた上でなければ(年金関連法案を)議論する意味がない」──。 民主党の菅直人代表は23日の記者会見で、社会保険庁が国民年金の 険料支払いを求めるコマーシャルに、国民年金に未加入だった女優の江 保角マキコさんを起用していた問題に関し、江角さん自身の参考人招致 を求める考えを示した。 異例の要求の背景には、政府の年金改革関連法案の審議入りを遅らせ る狙いがあるとみられるが、菅氏は「払っているかどうかを(事前に) 調べるのは当たり前で、調査不足だったこと自体責任が問われる」「江 角さんに事実関係を聞くことこそ、年金についての注意を国民に喚起す ることになる」などと説明した。 << >> [国民年金] 保険料未納の江角マキコさんをCM起用 社会保険庁 2004 年 3 月 22 日 Mainichi 未納率が4割に達した国民年金保険料の収納率アップを目指し、社会 保険庁がコマーシャルに起用した女優の江角マキコさんが、国民年金保 険料を長期間払っていなかったことが22日、分かった。社保庁は公式 には「個人の納付記録のことはお答えできない」と説明している。しか し同庁幹部によると、江角さんは今月に入り、さかのぼって払うことが できる最長限度の2年分の保険料を一括で納めたといい、同幹部は「未 納の人を起用したのはまずかった」と反省している。福田康夫官房長官 は22日の会見で「笑っていられないような深刻な話」と述べた。 社保庁は昨年11月6〜12日の年金週間にあわせて江角さんを広告 モデルに起用し、保険料納付を迫るテレビコマーシャルを約1カ月放映。 「いま納めていれば、きちんと受け取れる」などのコピーとともに江角 さんを大写しにした新聞広告、ポスターも作製していた。 社保庁は昨年6月、広告代理店対象の広告コンペを実施した結果、 「20〜30代に幅広く支持されている江角さんを起用し、未納者が多 い若年層に訴える」ことが決まった。その際、同庁は広告代理店を通じ 江角さんが保険料を納めているかどうかを確認し、「払っている」との 回答を得たため信用したという。 江角さんの所属事務所は「出演依頼があった際、社内で納付を確認し 出演したが、再確認したところ、納付していなかったことが分かった。 本人も申し訳ないと思っており納付の手続きをした」と話している。 【吉田啓志】 << >> お詫び この度は、弊社所属・江角マキコが、国民年金に未加入であったこと について社会保険庁様をはじめ、関係者各位、及び多くの皆様に多大な ご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫び申し上げます。 二度とこのようなことの起こらぬよう、十分注意する所存でございま す。 書中にて誠に恐縮ではございますが、お詫び申し上げます。 (株)研音 http://www.ken-on.co.jp/esumi/ << >> 今や研音の役者なしでは日本のテレビ業界は成り立たないほど多くの 売れっ子俳優をかかえる研音ですが、もともとはやはり音楽プロダクシ ョン。the brilliant green、平井堅等を筆頭に、近年はミュージシャン の躍進もめざましい研音の、そのヒットの裏側とは? また、社長自ら が「最高」だと語る研音のスタッフ育成の秘密とは? 「Musicman'sリレー第30回」[2002年9月10日/赤坂・(株)研音にて] 児玉 英毅 (Hideki KODAMA) 株式会社研音 代表取締役社長 1943年2月16日 上海生まれ 1963年 日本グラモフォン(株)(のちのポリドール(株))入社。文芸部 芸能課に所属。園まり、日野てる子等を担当。1971年、アルカートプロ ダクションを設立。野口五郎を手掛ける。1982年 (株)研音に専務取締 役として入社。1996年4月、同社代表取締役社長に就任、現在にいたる。 http://www.musicman-net.com/relay/30/index.html <<
児玉 英毅 研音社長 19430216 上海 ♀田中 真紀子 角栄の長女 19430114 東京 /前外務大臣 ──────────────────────────────── ♀江角 マキコ タレント 19661218 島根 /籍=平野 真紀子 20030128 フジテレビのディレクター、平野 眞(しん、37)と電撃再婚。 ドラマ「ショムニ」の収録で知り合い、昨年から交際していた。 最近まで11歳年下の菊之助と交際、2002秋に破局。 199602..-11.. 桐島ローランドと結婚、9カ月で離婚。 199610.. ベストジーニスト賞(一般選出部門)第13代。 バレーボール→モデル→女優 [AB]T171.B83.W57.H86(1996)
>> 江角マキコ「マルサ!!」異例の広告 update:2003.3.31 江角マキコ主演のフジテレビ系ドラマ「マルサ!!」(4/8スタート の火曜22:00)の新広告が、4月1日から東京都内の一部の地下鉄駅に登 場する。すでに掲示されている駅もあるが、通常の四角い広告枠から江 角がはみ出しているという異例の広告。脱税を摘発する東京国税局査察 官を描くこのドラマ。「お金」がもう1つの主役とあって、新広告の通 常枠内には、福沢諭吉に代わって江角をはじめ共演者の顔がプリントさ れた一万円札がズラリと並んだデザイン。この枠をはみ出す形で、江角 が上からお札を覗いていたり左右から支えたりという風になっている。 はみ出し広告は都内地下鉄では初めての試み。同広告は4月1日から30日 まで、1カ月間掲示される。 << ──────────────────────────────── >> 江角「払っていると思っていた」…緊急会見で謝罪 (夕刊フジ) 2004 年 3 月 26 日 社会保険庁の国民年金啓発CMに出演しながら保険料を納付していな かった女優の江角マキコ(37)が26日午後、東京・赤坂のホテルで 会見し、「私の勘違い。大変申し訳ありませんでした」などと謝罪した。 グレーのパンツスーツ姿、鎮痛な面持ちで現れた江角は冒頭、深々と 頭を下げ、「私自身は支払っていると思ったので、話を聞いてただただ 驚いた」と説明。「CMに出演していながら保険料を払っていないとい うことで、大変ご迷惑をおかけしました。払っていないことがわかった ので納付いたしました」と述べ、“証拠”として年金手帳を報道陣に公 開した。 今回のCM出演にあたっては、広告代理店から納付について問い合わ せがあり、平成14年分の確定申告書をもって納付の証明としていた。 江角は実業団から芸能界入りする際、厚生年金から国民年金の切り替 えを忘れ、2年分の保険料が未納になっていたが、税理士がこれを確認 しないまま確定申告していたという。 同席した弁護士は「過った申告は平成9年分までさかのぼる。支払っ ていない税金は数日のうちにはきちんと手続きしたい」などと話したが、 会見では江角の社会的責任や「脱税では」といった厳しい声も相次いだ。 今回の件で、社保庁は損害賠償訴訟もチラつかせるなど責任のなすり 付け。江角のタレントイメージへの影響など、今後が注目だ。 << ──────────────────────────────── 謝罪会見の記事は、2年分を清算しただけで、7年前から払ってない ようにとれるが、実は(日本たばこ産業を退職以来)17年間にわたって 払っていない。税理士事務所の担当者が、どうして気づかなかったのか、 ぜひ釈明させるべきだ。他のタレントも同じく疑わしい。 この程度の謝罪会見で納得するのは、芸能レポーター自身もあやしい のではないか。 今後、サラ金や医療保険のCMに出演するタレントも、すべて顧客や 契約者でなければならぬことになれば、高倉健やキムタクのパソコンも、 まずいのではないか。 パロデイ「後で、払ってもいいわけ?」 → それ行け、マキコ! http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031108 → 《与太郎文庫 20040430 すっとこどっこい! 〜 最初はグーグル 〜》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040430
2004年03月30日(火) |
泣かない女たち 〜 新谷 のり子の場合 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040330 フランシーヌの場合 >> フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)を覚えていますか? 「フランシーヌの場合」と言えば思い出す方々もおられると思います。 1969年3月30日の日曜日、この日の朝女学生だったフランシーヌ 嬢はベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺しま した。 彼女は当時盛んだった学生運動に参加して反戦活動をしていました。 当時日本では新谷のり子さんが「フランシーヌの場合」という曲を唄 い話題になりました。 私も当時小学生だったかと思いますが、ラジオでこのニュースを知り ました。とてもショッキングな事件でした。 この曲は日本で作詞・作曲されたものですが、 「フランシーヌの場合は・・あまりにもお馬鹿さん・・」と唄われてい ます。彼女がお馬鹿さんだったのか、それとも彼女のメッセージを忘れ てしまう我々がお馬鹿さんなのか・・ それから30数年、今では彼女の事はほとんど語られる事も有りませ ん。 日本では新谷さんが今も歌手活動を続けておられるようで、彼女のコ ンサートでは「フランシーヌの場合」も唄われている様です。 1969年と言えばもちろんまだインターネットもありません。 個人がメッセージを発信する方法として、フランシーヌは「焼身自殺」 という方法を用いたのでしょう。 彼女が命と引き換えに発信したメッセージが埋もれてしまい忘れ去ら れてしまうとすればこれ程不憫な事はありません。 今日確かにとうの昔にベトナム戦争は終結しましたが、また別な所で 戦いが起き未だひとときの平和も訪れた事がありません。
たまには彼女の事を思い出してあげてください。 また興味を持たれましたら彼女の事を調べてみてください。 (図書館にある古い新聞に当時のニュースが掲載されています。 例:1969年3月31日付 朝日新聞夕刊) ただ馬齢を重ねて生きている私にはネットでこういったページを作る ことぐらいしかできません・・
彼女に関する情報や資料がございましたらご連絡ください。 ──────────────────────────────── ジャケットの下半分のタイプ文字はフランス語で書かれた当時の新聞 記事の様です。BiafraやVietnamといった記載があります。 曲の中では当時のニュースがフランス語で流れます。 このレコードは「反戦歌手」新谷のり子さんのデビュー曲になり、当 時80万枚売れました。古レコード屋さんでは安価に入手出来るはずで す。 新谷のり子さんは「フランシーヌ はたち」という本を出していた様 で、この本にフランシーヌの記述があるものと考えられます。 一度読んでみたいものです・・。 また、「ビアフラ 餓死で亡んだ国」という本を伊藤正孝という方が 出版されており、フランシーヌに関しての記述があるそうです。こちら は比較的入手し易い様です。読んだ方からの情報では、本国フランスで はこの本が出版された1984年当時既に忘れ去られていたそうな・・ ── http://member.nifty.ne.jp/junsuzuki/pagefrn.htm << ── いまいずみ・あきら・作詞/郷 伍郎・作曲/大柿 隆・編曲/ 新谷 のり子・唄《フランシーヌの場合 19690615 日本コロンビア》 CD-24
♀Lecomte,Francine 反戦女学生 1949・・ France Paris 19690330 20 焼身自殺 ♀新谷 のり子 反戦歌手 19491003 北海道 /2002(55?)結婚/籍=□□ 則子
函館出身。昭和44年にフランス語の歌詞とニュース部分を古賀力が デュエットした「フランシーヌの場合」でデビュー。フランシーヌとは ビアフラ内戦に抗議してパリで自殺した女性の名前。新谷はあらやが本 名なのだが、淡谷のり子と紛らわしいため、しんたにを芸名にしている。 その後は一貫して歌を通じての社会運動や左翼運動に従事。デュエット した古賀力は佐世保出身で、33年に歌手デビュー。43年から赤坂でシャ ンソンバーを経営する傍ら歌手活動を続けている。
2004年03月28日(日) |
最後の夜 〜 トーキョー・リング 〜 |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040328 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from My Picture;20020101 Walküre ── ワーグナー:ワルキューレの騎行 Let'20020101 from Mr. Takeuchi, Yasushi ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ ── 東京の最後の夜はワグナーのリング「神々の黄昏」6時間の鑑賞 でした。(Mail'20040414 23:27 from Mr. 竹内 康「山脈」ありがとう) http://www.wagner-jp.org/reikai/reikai_report/2004.html ── キース・ウォーナー 演出《ニーベルングの指環 第3夜 楽劇“神々の黄昏”20030328 新国立劇場》20040326-0403 http://www.wagner-jp.org/reikai/party/200403party.html
同日生没の人々 五木 寛之 作家 19320930 福岡 /〜《青春の門 1970》/旧姓=松延 ──────────────────────────────── 石原 慎太郎 東京都知事 19320930 神戸 東京 /〜《太陽の季節 1955下期芥川賞》 /一橋大学“慎太郎刈り”/裕次郎の兄/伸晃・良純の父/照太郎の祖父 /19680707参議院全国区1975都知事落選19950414衆議院議員引退届0419受理 /19990423都知事就任0530隠し子報道 ──────────────────────────────── 石原 照太郎 伸晃の長男 19930930 東京 19940311 0 /慎太郎(同日生)の孫 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 竹内 康 元NHK局長 19400930 京都 20090311 68 /旧暦0829〜0215 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 上村 松篁 花鳥画 19021104 京都 20010311 98 /松園の長男/1984文化勲章 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671127 晩秋小雨の宵 〜 文化勲章 vs 人間国宝 〜 ──────────────────────────────── 飯守 泰次郎 指揮 19400930 China 満州/重任の長男 /〜《ニーベルングの指環 全四部作 2000-2003 東京シティ・フィル管弦楽団》 /〜R.ワーグナー《舞台祭典劇“ニーベルングの指環”第3夜 楽劇“神々の黄昏”20030920(土)東京文化会館 大ホール》 http://www.cityphil.jp/about/history/oropera/Gotterdammerung.html ──────────────────────────────── 田中 秀征 元衆議院議員 19400930 長野 /経企庁長官/さきがけ代表代行
── 「彼ら(イスラム教徒)は、ペルシャ・ルネサンスを復興したけ れども、産業革命を経験しなかったんだ」「適応できなかったのかな」 (悪友四重奏、竹内くんとの最後の会話 20010920 舶来居酒屋いそむら) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040322 抜刷解題 〜 まとまらないことなど 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090311 ↑如望忌 ↓此岸から彼岸過迄 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090920 ── 鈴木 道明・詞&曲/前田 憲男・編曲 《ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョー 1965‥‥ 》 /越路 吹雪・唱/第7回日本レコード大賞歌唱賞 http://www.youtube.com/watch?v=e8m7Jz-yzJg (20090930-1002)
2004年03月25日(木) |
リ・タイヤ 〜 ブランド脱落 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040325 三菱ふそうトラック・バスの大型車で、タイヤ脱落の相次いだ問題で、 同社や国土交通省、捜査機関の動きをたどる。 ── Yomiuri Online
2004年03月24日 ビルフリート・ポート三菱ふそう社長(ダイムラー出身) が会見「ふそうとダイムラーの提携は2003年1月に始まった」と今回の リコールの責任はダイムラーにないことを強調した。現在はダイムラー が株式の65%を所有する子会社。 2004年03月22日 三菱、24日にもリコール届け出 2004年03月22日 三菱、「ハブ」耐久試験も手抜き 2004年03月17日 三菱自ハブ破損、94年に「対策会議」…危険性を認識 2004年03月14日 進むタイヤ脱落捜査、三菱焦る?[スキャナー] 2004年03月14日 三菱ふそう、国交省が立ち入り検査へ…告発も視野 2004年03月13日 過去5年間、「ハブ」破損すべて三菱 2004年03月12日 三菱車 強度調査不十分か 2004年03月12日 三菱ふそうリコール 隠ぺい、ブランドに傷 2004年03月12日 車輪“欠陥”2年前に把握 2004年03月12日 あまりに遅い「構造欠陥」の公表[社説] 2004年03月11日 三菱車タイヤ脱落 部品の強度不足判明 2004年02月17日 遺族側、制裁的慰謝料1億円増額申し立て 2004年01月27日 タイヤ脱落母子死傷事故 三菱自工に2度目の捜索 2003年12月04日 タイヤ脱落で母子死傷 警察庁鑑定、金属疲労でハブ破損 2003年10月24日 タイヤ脱落で母子死傷 三菱自本社など捜索、欠陥放置か 2003年10月16日 外れたタイヤ歩行者直撃事故 三菱自工を立件へ 2003年03月06日 トレーラー脱輪 遺族が賠償提訴 2002年02月07日 タイヤ脱落問題で部品を無償交換へ 2002年01月23日 三菱自動車の大型車、タイヤ脱落23件 2002年01月22日 タイヤ脱落事故、過去3件 国交省、調査へ 2002年01月12日 タイヤ直撃事故 ボルトに異常なし 2002年01月11日 トレーラーのタイヤ外れ直撃 親子3人死傷 ♀岡本 紫穂 主婦 1973・・ 神奈川 横浜 20020110 29 運送会社社長・亀井幸雄(55)運転の三菱自動車工業製のトレーラー の左前輪が破損、タイヤの直撃を受け、外傷性くも膜下出血で死亡した。 一緒にいた長男と二男も手や頭に軽いけがをした。
2004年03月22日(月) |
抜刷解題 〜 まとまらないことなど 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040322 この小冊子は、パソコンのために書かれた日記形式の《与太郎文庫》 から、最近の(任意の)部分を抜き刷りしたものである。 長岡京室内アンサンブルの文字 武・高芝 義和両君との晩餐、演奏会 場での小石忠男氏との再会など、いずれ“故旧・十字屋余話”につづく。 一連のテーマは“遠来の人々”である。与太郎にとっての客人、客人 としての与太郎を身辺雑記風に配した。巻頭に象徴的な“ハーメルン” をかかげたのは、与太郎自身もまた、遠来の旅人であることをしめす。 ── きみの招きがあれば、いつでも赴く用意がある、あるいはきみが 訪ねてくれば、いつでも迎える用意がある。 ── 《畏友 〜 河原 満夫君への未投函書簡 〜》草稿より 1963年ごろ、与太郎が大学ノートに書いた自伝初稿を、はじめて見せ たのは河原満夫と楠原大八の両君だけだった。 河原は、このとき想像以上の辛抱強さで、最後まで黙読してくれた。 「きっちりした文章で、君の云わんとするところが、よく伝わってくる。 幼い又従妹・公子の死体を見つめたことが、重要な記憶になるだろう」 彼の指摘は(即席ながら)みごとな卓見だった。 それから三十数年のちに《虚々日々 20001231 阿波文庫》を完成した 与太郎は、吉田肇に(ある感慨をこめて)電話で伝えた。 「この作品は、自伝資料として最初だが、印刷物としては最後のものだ」 ゴリは(むかしとちがって)慎重に「そうか」と答えたが、それほど 重々しく受けとめたとは思えない。 与太郎は、十才のころから数えて五十年におよぶ編集技術が、過去の ものになったことを惜しんでいたのである。 そのあと《虚々日々》の続編をかねて追記・補註をまとめる必要から、 非公開の《去々日々 20011231 阿波文庫》を手もとで編集していたが、 このころからネット情報が激増しはじめた。ついぞ知るすべのなかった ジャンルまで、奔流のようにあふれはじめたのである。 あまりに大部になって、とどまることがない。 日々の流れの中で考えるに、いまさら分っても、自分ひとりが知って いるわけではなく、その気になれば誰もが知りうる情報である。 読みのこした大著も、ほとんど手をのばせば届くのだから、かならず 読むほどのこともなさそうである。 それより、せっかく生きてきたのだから、自分で考えたことや迷った こと、面白いと感じたことなど、他人が書いていないことだけでも記し ておきたい、と初心にもどることにした。 読むべきか書くべきか、という命題は、実は経験ずみだった。 九才のころ、子供むけのスティーヴンソン《宝島》を読みはじめると 同時に、与太郎はもう一編の自作《宝島物語》を書きはじめたのである。 こんなに面白そうな小説は、自分が書けばもっと面白いものになると 考えたが、はたして処女作は数ページで暗礁に乗りあげ、いまも未完の ままであり、原作そのものまで興味を失ってしまった。 たぶん、いま読みかえせば感慨ひとしおだろうが、これまでのところ 機会がなかった。 「誰もが人生という題名の長編を書いている。シェーファー万年筆」 この傑作CMコピー(1977年ころ?)のように、書くべきことは多い。 ホームページを《虚々日々》に先んじて開設したのは、おなじ内容の ものを順次公開する予定だったが、このころから(過去の)編集技術が、 ほとんど役にたたないことが判明しはじめたのである。 与太郎が目ざしたものは、一冊を手にとって、パラパラと頁をめくり ながら、全体の構成が把握できるような編集技術である。 (そのページ数は、原則として16の倍数であることが望ましい) 一般に誤解されているのは、写真やイラストを多くして、文字の割合 を少なくすれば、理解しやすいというものである。 いったいどんな作品を指しているのか思いあたらないが、それに近い 実例は、あんがい凡百の教科書かもしれない。 こういう俗説をとなえるのは(与太郎の経験によると)広告代理店の 社員や役人に多く、がんらい読者を代表する立場にない人たちである。 もともとインターネットのホームページは「ページの概念がない」と いわれるように、その印刷設定には制約と限界がある。そもそも印刷を 想定していない、というべきであろう。 このことについて、印刷技術が写真技術によって劇的な進歩をとげた ことに重要な拠点もあるが、これを継承しない最新文明こそが通信言語 だったのである。 (たとえば 、>><< などの特殊記号によって表示する) それでも与太郎は、過去の技術を捨てきれなかった。いつか結合する ときが来る、と考えつづけた。それまでの間、過去の技術に依存しない 言語で書きはじめることにした。 通信言語に印刷設定を施して保存するためには、それなりの文書形態 とルールが必要だが、いまのところ目ぼしい成果が見あたらない。
はじめ《去々日々》のタイトルで公開したところ、当時の通信言語は 「々」の処理にとまどって、うまく検索できなかったりした。 これらの諸事情は、いまなお説明困難である。通信言語と検索技術が あいまって、インターネットを支えているとしか云いようがない。 つぎに《余太郎日記》に改めようとしたが、意外なことに「余太郎」 が初期設定されていないので、誰もが一発変換できないことが分った。 せっかくならパソコン初心者にも検索しやすいタイトルにすべきだと 考えた(インターネットでは、このような発想が優先する)。 そこで《与太郎日記》と改題したが、同じタイトルが先に登録されて いて紛らわしいため《与太郎文庫》に変更した。これはこれで与太郎に 関する《我楽多文庫》という意図に通じるので、いままで手作業で入力 した文献の引用にあたって、面目をほどしたような気がする。
パソコンを持っている老人の多くは、むかし応接間にピアノを飾って いたように、ほとんどフタを開かないままらしい。 現状をみると、60才以上の老人で、日々パソコンに向うのは、予想 以上に少ないのである。 (谷本先生のように、パソコンを常時接続している老人は例外である)
与太郎の知るかぎり、友人全体を思いうかべても、メール・アドレス 保有率は約10%だが、それで返事がくるのは半数以下だから、ほとんど 使っていないのが実態であろう。 これでは、よほどのことがない限り、インターネットから情報を得る ことは困難である。
これらの友人や恩師には、印刷しないと読んでもらえない。 かつまた、若い世代に読ませるには、両方を満足させるようなルール が工夫されるべきである。
さきの《虚々日々》は、通信言語を予想しない最後の印刷物だったが、 この抜刷《去々日々》は、通信言語から戻した、最初の印刷物である。 ネット上の読者には、与太郎の意図した印刷イメージが伝わっていな いので、つぎのようなメッセージを検討中である。 「メールでお申し込みください。Excel Prints を、無料で郵送します」
古い人たちは、古い文書形式のまま書きつづけているし、若い世代は 勝手気ままに打ちこんでいる。 六本木や原宿の雑踏を思いうかべるがよい。ある者は携帯電話と話し ながら、ある者は大声で、ある者は叫びながら踊っている。 このような人ごみを嫌う者は、だまって立去るがよい。しかし何事か 発言したければ、群集のなかに紛れるしかすべがない。
むかし新聞の号外は、事件発生から20分でバラ撒かれたというが、 いま地震が発生しても、テレビといえども生放送中でなければ、即座に 伝えることはむずかしい。 かつて「朝おきて、テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲んでいた」 総理大臣が、最初に阪神大震災を知ったのは、新聞でなくテレビだった。 史上空前の同時多発テロを、はじめて新聞で知った者はいない。
だが近未来においては、常時接続されたパソコンが、家電全体を支配 するので、緊急のニュースや双方向通信も、一元化されるはずである。 かくて「朝おきて、テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲む」姿が 絶滅するはずである。 すでにして与太郎は、二年前に新聞を断わってしまった。 なにが不自由といって「テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲む」 という生活文化が失われたことは、まことに淋しいかぎりである。 しかし、パソコン・ライフ実践者が「テレビの前で新聞をひろげ」た としても、そこに書かれた情報は、ほとんど前夜のネット・ニュースで 閲覧ずみなのだ。 凶悪事件が起ると「2ちゃんねる」掲示板では、リアルタイム情報が 横行する。真偽のほどは分らないが、未成年容疑者の顔写真や、自宅の 地図なども、たちまち公開され、あっという間に削除されてしまう。 タレントの入籍も裁判の判決も。おまけにテレビ番組表は、二週間後 まで検索できる。 こんな時代でも、衆議院議員の長女(私人)が離婚したというだけの 記事を、本人の意志や裁判所の裁定に反して強行発売した出版社がある。 その周辺で「言論の自由」をとなえる文化人やジャーナリストもいる。 おかげで発売と同時に77万部も売りあげてしまった。 この収益は、いずれ原告のものになるはずだが、文春の編集者たちは、 もともと自分たちが受けとるつもりだったのだ。 かつて酒鬼薔薇事件で、少年の写真を掲載したフォーカスの編集者は、 これで夏のボーナスをはじき出したのである。彼らが「言論の自由」を 信奉するのなら、近年どんな功績があったかを示すべきだ。 むかしフランスに“パンフレット作家”と呼ばれる連中がいたという。 スタンダールなどが、自費出版で小部数の小冊子で、とりあえず意見 を述べたらしい。 最近の芥川賞や直木賞は、十年先まで受賞予定者が決っているので、 ときどき(今回のように)未成年者を混入しないと、どんどん高齢化が すすむという。 近年の受賞作は、題名をきいただけで、とても読む気がしない。
いまある与太郎の自伝資料は、かなり電子化されているが、十数年前 から、紙に書かれたり印刷された資料は、電子化されたものだけが後世 に伝わる資格がある、と考えはじめた。 これを世間話のように話すと、かならず誰かが反論する。 「いや、聖書や古文書のように書物の形態は不滅であり、永久に残る」 結論を云えば、このような不朽の書物は、印刷されなかったとしても、 《古事記》は正倉院で保存され、《死海写本》が海底洞窟から発見され たのである。これらは、誰もが読めることを前提にしていない。 岩波文庫に翻訳されて、全国の図書館に収められることなど、当初の 執筆者たちは予想もしなかったのだ。 いまも《コーラン》などは、アラビア語で朗唱することが基本であり、 これを各国語に翻訳して印刷することを(公式に)認めていない。 まして《新約聖書》のように「タダで配ったり」、安ホテルのベッド サイド・テーブルに《仏典》とともに常備するようなことは論外である。 「彼らは、ペルシャ・ルネサンスを復興したけれども、産業革命を経験 しなかったんだ」 (悪友再会 20010920 舶来居酒屋いそむら) 「なるほど、彼らは適応できなかったんだね」 さしもの秀才も、この分野には不案内らしい。 イスラム原理主義者が手にする武器は、彼ら自身の文化が創りだした ものではない。 わが皇室のテレビ番組には、なぜかバロック音楽が流されているが、 まったくもって不自然である。皇室の人々が、これらの西欧音楽を学び つつあることには異存はないが、和歌のような独自の文化的指導者では なかったのだ。 もし、イギリス王室で歌会始のような儀式をはじめたら、笑いものに なるだろう。あるいは、王子の結婚式や即位式で、バックに《春の海》 が流れたらブーイングものだ。 (Let'20040320-0322) Awa,Masatoshi《写生する少年 19520401 素描・第一号》
2004年03月07日(日) |
Diary 0307 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040307 啄木の母 >> 啄木の日記は、明治35年(1902)10月、17歳ではじめて東京に出るとこ ろから、同45年4月13日、27歳をもって病気と貧困のうちに窮死する直 前の 2月20日まで、およそ10年間にわたっている。最後は「……金は ドンドンなくなった。母の薬代や私の薬代が1日約40銭の割合でか─っ た。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たった一晩家においた だけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢った。 医者は薬価の月末払を承諾してくれなかった。母の容態は昨今少し可い やうに見える。然し食欲は減じた」というところで終っている。それか ら2週間後に母は死に、さらに1月後には啄木自身もその後を追う/。 ── 桑原 武夫・編《石川啄木・ロ─マ字日記 19770916 岩波文庫》P242 << 最後の日付0220は誕生日、その二週間後・母カツの死は0303(?)、さら に1月後0413には啄木自身の命日。日数をあらわすのに、週と月を混用 したため、計算が合わない。 ── 《Day was Day 20001231 Awa Library》P114 >> ── 【石川啄木】(明治)四二年「東京朝日新聞」の校正係として就 職、下積みの日─が続いたが、大逆事件の情報にいち早く触れるなど、 社会主義思想に眼を開かれる契機を得た/没後に土岐善麿により、詩集 『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』を収める『啄木遺稿』(大二) が刊行された。 ── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社》P127 << ラヴェルとガーシュイン >> 1928年の初め,ラベルはアメリカヘの演奏旅行に出かけました。 この頃から失語症や失書症が現れ始めました。しかしこの後も前記の 名作を次々に物にしました。 53歳の誕生日を祝って,1928年3月8日(木),ニューヨークで誕生 パーティーが催されました。 この席にガーシュインも招かれ、運命的出会いが実現しました。 この二人の天才には,奇しくもこの邂逅(かいこう)から9年後の 1937年に共に脳外科手術を受けて死ぬという共通の運命が待っていまし た。 1937年ごろからひどい頭痛を訴えるようになりました。 ヴァンサン教授は脳腫瘍や血腫の可能性を考え12月19日に開頭手術を 行いましたが、脳腫瘍は見つからず、12月28日で死亡しました。享年62 歳でした。 彼は自分の名前も書けないないなど巣症状が著明であったにもかかわ らず、楽想はほとんど侵されなかったというところが極めて特異です。 病跡より彼の病気はMesulamの提唱した「全般的痴呆を伴わない緩徐 進行性失語症slowly progressive aphasia without global dementia」 と診断されるということです(岩田誠先生説)。 ── 文献:岩田 誠 Brain Medical の連載 1996 http://homepage2.nifty.com/uoh/kyouyou/01ongakuka.htm#ラベル << >> ラヴェルは一九三二年に自動車事故にあった。そのために脳に障害を 起こし、ひいてはかれの死因となったという説がかなり広く信じられて いるようだが、著者は本文中にもあるとおり、はっきりとこの説を否定 している。手術後の発表によれば、かれの脳障害は自動車事故とは無関 係であり、腫瘍の存在も認められなかったという。結局、脳実質の「萎 縮」であると発表されたが、その原因は明らかにされていない。あるい は現在ならば、脊髄小脳変性症とでも診断されたかもしれない。 ── Jourdan-Morhange,Helene《Ravel et Nous,》P308-309 〜 訳者あとがき 〜 安川 加寿子&嘉乃海 隆子・共訳《ラヴェルと私たち 19680820 音楽之友社》 << 嘉乃海女史の父は、京都市伏見区の救急病院長。
♀石川 カツ 啄木の母 1847・・ 岩手 東京 19120307 65 弘化 4.誤=19120303 Ravel,J.Maurice 18750307 France 19371228 62 193510..事故〜《Bolero》 Gershwin,George 18980926 America 19370711 38 《Rhapsody in Blue》 岩田 誠 神経内科学 19421005 東京 /東京女子医大教授 ──────────────────────────────── Mayol,Jacques 19270401 France Italy 20011223 74 首吊自殺/海洋冒険家 Moyer,Jack T. 19290307 America 東京 20040110 74 薬物自殺/海洋生態学
二人のジャック マイヨールは上海生まれ。1976素潜りで水深100メートルを超える記 録を作り、リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」のモデル にもなった。“伝説的ダイバー” モイヤーは約50年前に三宅島に移住した。住民と交流しながら自然 や海を学ぶ教室を開くなど、環境教育にも長く貢献。日本魚類学会理事、 都観光事業審議会委員なども務めた。02年、復興のため「三宅島救済 アカコッコ基金」を設立した。/ジャズ・ピアノ愛好 故ジャック・モイヤー氏(海洋生態学者、1月10日に死去判明)を しのぶ会 2004年3月7日午後2時から東京都新宿区百人町2-27-7、 ホテル海洋で。親交のあった19人が発起人になり、献花やジャズ演奏、 写真パネル展示などを行う。会費3000円。
2004年03月06日(土) |
サザン・オールスターズ 〜 南部地方のすべての星たち 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040306 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Web Library;桑田家の人々 〜 Members of Southern All Stars 〜 http://ameblo.jp/arachan-yeah/page-74.html 日本人●荒川ヒロシのブログだぜ ── 弊社所属のアーティスト桑田佳祐のご令姉岩本えり子儀がかねて より病気療養中のところ10月19日にご逝去されました。故人のご冥福を 心よりお祈りするとともに、謹んでご通知申し上げます。(原文のママ) テレビで放映された(所属事務所の)ファックスの文章は、その翌日 すべてのサイトから、キャッシュともども削除された。(敬辞苑) 一説に、身内に敬語を使うのは韓国風文法?だという。 いわゆる“在日芸能人疑惑リスト”の常連だが、虚々実々である。 http://booklog.jp/edit/488380478X ── 山野 車輪《マンガ嫌韓流 20050901-0910 晋遊舎》
桑田 久司 佳祐の父 1927‥‥ 東京 20040306 77 /元映画館支配人 http://harukichi.com/masatomocom_dinamic/mt2/mt-comments.cgi?entry_id=52 ♀桑田 昌子 佳祐の母 1934‥‥ 横浜 19940220 60 /バー経営 ♀岩本 えり子 訳詩 1952‥‥ 神奈川 20081019 56 /知世の妻 ── 桑田 佳祐・詞&曲《いとしのエリー》/旧姓=桑田 佳祐の姉 桑田 佳祐 作詞・作曲 19560226 横浜 /20080519 デビュー30周年 ── 《勝手にシンドバット 19780625 》リードボーカル、ギター(リーダー) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080522 ツィスターズ 〜 ねじる、よじる、ねじける 〜 ♀原 由子 歌手 19561211 神奈川 /籍=桑田 由子(ゆうこ) [B] /キーボーディスト・シンガーソングライター/“原坊(ハラボー)” /桑田 佳祐の妻(2男の母)〜《I Love You はひとりごと 19810421 VIHX-1537》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100618 眼窩の敵 〜 The sandman has come 〜 関口 和之 19551221 新潟 /ベース/小説・放送作家。 松田 弘 19560404 宮崎 /ドラムス・歌手。 野沢 秀行 19541019 東京 /パーカッション“毛ガニ”俳優。佐野日本大学高等学校卒 [A] 大森 隆志 19561212 宮崎 /ギター・歌手/宮崎大宮高校卒/青山学院大学経済学部中退。20010807 独立
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ ── 弊社所属アーティスト 桑田佳祐に関する大切なお知らせがござ います。詳しくは、以下オフィシャルサイト、ファンクラブサイトから ご確認ください。 (20100728) http://www.sas-fan.net/oshirase/index.html ── 芸能プロダクションのアミューズが28日、所属するサザンオー ルスターズの桑田佳祐さんが食道がんであることを発表したことを受け、 同社の株価は始値の934円から午後に入って下落している。午後1時 45分現在は910円前後で推移している。 http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100728/eca1007281353013-n1.htm (20100729)
2004年03月04日(木) |
Wikipedia 〜 ネット百科事典 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040304 >> Wikipedia:ウィキペディアについて 〜 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 〜 ウィキペディアはフリーでコピーレフトな百科事典です。しかもそれ は本ウェブサイトの読者によって協力して書き上げられるのです。本サ イトはWikiWikiであると形容できます。つまり、今すぐに、誰もが(も ちろんあなたも)、全ての記事を書き換えられるのです。記事を書き換 えるには各ページにも付いている「このページを編集」というリンクを クリックするだけです。ウェブブラウザ以外に何も必要ありません。 このプロジェクトは2001年1月15日に英語で開始されました。日本語 版では現在までに 33714 の記事が、さらに他言語版でも多くの記事が 書かれています。そして次から次へと人々が記事を編集し、常に百科事 典の質を向上させています。英語版は既に15万項目の内容が作られてい ます(2003年9月)。共有されているので、参加者が変わっていっても 育ち続けることができますから、将来地上でもっとも優れた百科事典に なる可能性もあるわけです。 ウィキペディア内の全ての記事はコピーレフトなライセンスの GNU Free Documentation License によって保護され、永久に「フリー」 であることが保証されています。詳細はWikipedia:著作権を参照して下 さい。 日本語版Wikipediaは、まだ始まったばかりで、こまかい部分の翻訳も まだ終わっていません。あなたも参加しませんか? あなたも是非この価値あるフリーの情報源を楽しく使い、そして得意 な分野の項目を楽しく寄稿して下さい。 << 以下「四大(しだい)旧暦」に関する、与太郎の初の寄稿。 >> 四大 〜 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 〜 四大(しだい)は主に空気・火・土・水の四大元素のことを指してい る。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、物質の属性の中に根底の 深いものと浅いものとの別があるかどうかの問題を提出するために、四 元素説を発表した。 四大(よんだい)は四年制大学の略称。 四大(しだい)は旧暦(正しくは太陰太陽暦)における大の月(30日) が、四ヶ月連続する現象を指す。平均の朔望日数は29.5306...なので、大 の月と小の月(29日)が交互に出現するが、計算方法が進歩するにつれ て、四小(小の月が四ヶ月連続)も登場し、これを忌避して恣意的に 「四大、四小を避ける」ことも行われた。 → 内田 正男《日本暦日原典 19750710 雄山閣》 ---------------------------------------------------------------- (このページは、曖昧さ回避のためのページです。一つの言葉が二つ 以上の意味に用いられている場合の水先案内のために、異なる用法を一 覧してあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このペ ージへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り 替えて下さい。) このページを編集 | このページのノート | 履歴 | ここにリンクし ているページ | リンクを見張る メインページ | Wikipediaについて | 最近更新したページ | 最終更新 02:04 2004年3月4日。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. http://ja.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=%E5%9B%9B%E5%A4%A7&action=edit <<
2004年03月03日(水) |
早春賦 〜 志ほやの楚蟹 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040303 20040226 18:30 三越うらの理髪店を出て、三越倉敷店の地下に降りる。 「さすがの瀬戸内海も、冬には旨いものが少ないのです。しかし今年は、 山陰のきわめつけ、楚蟹(ズワイガニ)が手に入りましたので、少し 早めのお祝いです」(五人の恩師にあてた未投函メッセージの草稿) ひとりぐらしの恩師には、一房の果実がふさわしい。ご夫婦であれば、 二房を仲よく分けあっていただきたい。 それ以上のものを送ると、金谷先生など「きみ、無理したらあかんで、 はがき一本でえぇよ」と、教え子のふところ具合を心配されるのである。 たぶん岡山の桃と葡萄は、人類史上最高の傑作ではないか。 もともと《旧約聖書》に登場した葡萄は、マスカットからピオーネに 進化して、いよいよ今年は新種「桃ぶどう」が出荷されるという。 なんだか幼稚なネーミングだが、テレビ《松本紳助》では「イチゴ・ ぶどう」なるものを試食していた。 芥川龍之介《杜子春》に登場する「桃の花の咲く家」は、このときは 食用にならなかったようだが、江戸時代から進化して、現在では白桃・ 黄金桃などが店頭に並ぶ。 (桃の意外史は、新井佐和子さん宛の書簡に祥述) しかし、岡山名産の「桃と葡萄」は夏から秋だけのもので、その他の 季節には、さすがの瀬戸内にも、めぼしい収穫物が途ぎれるのである。
金谷 昭良 19270830 丸亀 /1948-1950 新洞小学校3・4年ろ組担任 ♀芝山 マツ 19271006 京都 /1950-1952 新洞小学校5・6年ろ組担任 本宮 啓 19240320 京都 /1952-1955 同志社中学新聞部/DJS 杉井 六郎 19230613 弘前 /1958-1959 同志社高校3年F組司級 谷本 岩夫 19290114 京都 /1955-1959 同志社高校(化学)
金谷先生と芝山先生は、あいついで“喜寿”を迎えられる。はじめて 与太郎を受持たれたときの年齢は、それぞれ二十歳と二十二歳だった。 八月丗日生れの金谷先生や十月六日の芝山先生は、マスカット全盛期 にあたるが、三月廿日生れの本宮先生や、六月十三日生れの杉井先生、 一月十四日の谷本先生には、うまい贈物が届かない。 本宮先生のお誕生日は、最初のメモでは19250308だったが、のちには 19260320と判明、ところが昨年来のDJSOBのHPによると、ことし “傘寿”とあるので19240320に再訂正することになった。 杉井先生は昨年“傘寿”だったから、ことしは“半寿”にあたる。 傘の俗字は「从+从」を「八」と略して八十歳、これに横一を加えて “半寿八十一歳”となる。将棋盤の八十一升から“盤寿”ともいう。 ついでというのは失礼だが、七十五歳の誕生日に(ホームページで) 自ら老人となる決意を表明された谷本先生には、与太郎の造語で“比寿” を献上しよう。喜寿が「七+七」なら、二画減じて「七+七−十=比」 と見たてたのである。 「もう年齢を数えたり、比べるのは止めよう」という解釈も成り立つ。 長寿の祝いごとは、誕生日がすんでから、という慣例もあるらしいが、 緊張のあまり気分がたかぶり、不慮の事故があってはいけない、という 配慮によるものか。 かつて、このことに関する「クンツ説」の立証を試みた(未完)が、 いまひとつ目ぼしい発見はなかった。 本来は、お誕生日当日のサプライズ・シャワーがいちばんなのだが、 思うようにはいかない。しかし今年は、諸先生の節目の年にあたるので、 なにか一工夫したいものだと(一昨年あたりから)迷っていた。 ふつう、近くの果実店から届けさせると、ふつうの宅急便の運転手が、 「宅急便です」と声をかけて、チャイムを鳴らす。 これを、三越から贈ると、宅急便の配達員はインターフォンに向って、 「三越でございます」というそうだ。 もらいものに慣れた主婦なら、思わず小走りになるところだ。 ところが「志ほやの白桃」は、数日前に予告の電話を入れるという。 「岡山の志ほやでございますが、○○様から季節の品をお預りいたして おりますが、お届けは何日が御都合よろしゅうございましょうか?」 いますぐでもいいじゃないか、と考えるのは早合点で、ちょうどよい 食べごろを見はからって、というよりも食べる日にあわせて、ほどよく 熟成した品を選んで届けるのが身上であるらしい。 留守宅に届けたのでは、極上の風味がそこなわれるからだという。 そこで今年は、三越のテナントに入っている志ほやの店員に相談して、 なにか目ぼしいものはないか、とたずねることにしたのである。 そこで、めずらしいことにズワイガニをすすめられた。 「むかし死ぬほど食った記憶があるが、瀬戸内海でカニが採れたのかい」 「山陰産なんですけど、ことしはじめて志ほや名物の“塩むし桜鯛”の 伝統技術で、ズワイ蟹を蒸したんです。お値段もお得です」 敬愛する諸先生が、人生の秋に「これは旨い!」と舌鼓を打たれる姿 を想像して、たちまち「日付よりも旬が大事」と思えたので、その場で 予約してしまった。一週間のち(20040303)、5枚の発送伝票を送る。 この店の担当者は才気煥発、当意即妙の受けこたえをするので、つい 長話をしてしまう。ほんとうに面白い会話は、結婚式のスピーチ同様に、 短いほどすぐれているのだが。 さっきの理髪店での話や、このあとの旅館でのもてなしを自慢して、 最後にこう云ってみた。 「これで、あんたがバイオリンでも弾けると、三題噺にオチがつく」 「娘が、アルト・サックスを吹いてます!」 「フーン、そんなもの吹いてると、ヨメのもらい手がなくなるぞ」 (つい昔の口癖が飛びだす。最近もっぱら自粛しているのだが) 人がよくても食いものが不味い土地に住むか、食いものが旨くて人が 悪い土地に住むか。 人が良い、というのもいろいろで、必要以上の親切は迷惑である。 利口な人が多いと、理が通って住みやすいが、物価は高くなるだろう。 岡山に移り住んだころ、地元の人々が口々に土地の悪口を言うことが 不思議だった。とくに「人が悪い」という。 そのわけは、むかしから災害がなく、海幸山幸の食いものに恵まれて きたから、助けあいの精神が育たなかったという。みんな、ひとりでに 生きているので、誰かが困っても手を貸さないという。 そういえば思いあたることがある。 岡山県の自家用車保有率は日本一だという。そのわけは公共交通機関 が普及していないからである。県内の「岡山駅前行き」と書かれたバス に乗ると、ようやく岡山駅が見える地点で、なぜか大きくカーブする。 さきに「バス・センター」というところに着けるためだが、何のことは なく、地元デパートの玄関口なのである。 第二副都心の倉敷駅も、駅を降りてすぐ目の前に、手をのばせば届く ほどのところに「バス・センター」があるのに、かならずや、いったん 地下道をくぐらないとバスに乗れない。この地下道もまた、デパートに 通じているのである。 こういう不合理な交通行政は、おおくの地方都市に共通しているはず だが、他にもっと問題があるので目だたないのであろう。 そこで、与太郎は考える。 人がよくて食いものが不味い土地に住むか、人が悪くても食いものが 旨い土地に住むべきか。 若いときは、自分を引きたててくれる人に会うことも大切だが、年を 老いてはその望みもなくなり、いずれ誰とも口を利かずに暮せるのだ。 まったく災害の心配もせずに、日々山海の珍味を口に運んでいると、 ときには申しわけない気がして、居心地がわるいこともある。 (Day'20040305) >> 【賦】●は俗字 漢呉 フ \廼癲I蠕猫∪犬泙譴弔。天賦。賦性。 賦質わける。わけ与える。賦与い靴=布ゼ茲蠅燭討襦とる「−納」 Υ岨輅犬琉貘劉Я燭諒験悗料深から出て漢代に流行した、散文化した 韻文(イ)特に、叙事体のもの詩経の詩の作法の一、ありのままを歌っ たもの┿蹐鬚修蘰匹澆垢覘詩を作る。賦詠兵、昔は田賦によって兵 を出したからという「兵−」 ── 長沢 規矩也《新明解漢和辞典 19740410 三省堂》P492 <<
2004年03月01日(月) |
《初演366年譜 20040301-0331 Awa Library》 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040301
178203.. 作曲 スカルラッティ《ソナタ イ短調》 178903.. 作曲 モーツァルト《ヘンデルの「メサイア」編曲》 180703.. 初演 ベートーヴェン《交響曲第4番変ロ長調》 180703.. 初演 ベートーヴェン《序曲「コリオラン」》 181703.. 作曲 シューベルト《音楽に寄せてOp.88-4》 187003.. 初演 チャイコフスキー30《幻想的序曲「ロメオとジュリエット》 Rubinshtein,N 188203.. 初演 チャイコフスキー42《ピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」Op.50イ短調》 190603.. 初演 ドビュッシー44《影像1》→《映像第1集》“水の反映”ヴィエニス44 192203.. 初演 バルトーク41《ヴァイオリン・ソナタ第1番》ダラニー 193403.. 初演 モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調》メニューヒン 17770716 作曲 194503.. 初演 プロコフィエフ《交響曲第5番変ロ長調Op.100》 ──────────────────────────────── 18240301 作曲 シューベルト《八重奏曲ヘ長調Op.166》18270416 初演 18730301 初演 シュトラウス 2《喜歌劇「ローマの謝肉祭」》 18870301 作曲 ヴォルフ《銘記供 18880301 作曲 ヴォルフ《ある婚礼にのぞんで》 19490301 初演 メノッティ39演出《歌劇「領事」》 19500301 初演 プロコフィエフ《チェロ・ソナタ ハ長調Op.119》 ──────────────────────────────── 17860302 作曲 モーツァルト《ピアノ協奏曲第23番イ長調》1786032. 初演 17920302 初演 ハイドン《交響曲第 98番変ロ長調》 17950302 初演 ハイドン《交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」》 18730302 初演 ビゼー《小組曲「子供の遊び」》 18870302 初演 シュトラウス,R.《交響的幻想曲「イタリアから」ト長調Op.16》 19100302 初演 ドビュッシー《管弦楽のための「映像」春のロンド》 ──────────────────────────────── 17910303 作曲 モーツァルト《幻想曲ヘ短調》 17940303 初演 ハイドン《交響曲第101番ニ長調「時計」》 18110303-0326 作曲 ベートーヴェン《ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調「大公」》19140411 初演 18700303 初演 ブラームス《アルト・ラプソディ》 18750303 初演 ビゼー37《歌劇「カルメン」》オペラ・コミック 18990303 初演 シュトラウス,R33指揮《交響詩「英雄の生涯」》ヘス 19180303 初演 バルトーク36《弦楽四重奏曲第2番》 ──────────────────────────────── 17460304 初演 グルック《歌劇「アルタメーネ」》 17880304 作曲 モーツァルト《アリア「ああ、情け深い星たちよ、もし天にいて」》 18770304 初演 チャイコフスキー37《バレエ「白鳥の湖」Op.20》リャーホフ 18920304 初演 ショーソン《コンセールOp.21ニ長調》 18950304 初演 マーラー35指揮《交響曲第2番ハ短調「復活(Auferstehn)」[S,A,cho,Orch][5楽章] F.G.クロプシュトック,G.マーラー,「子供の魔法の角笛」詞 》 19130304 初演 フォーレ《歌劇「ペネロープ」》 ──────────────────────────────── 17880305 作曲 モーツァルト《ドイツ軍歌「われはカイザーたらん」 》 18180305 初演 ロッシーニ《歌劇「エジプトのモーゼ」》 18830305 初演 サン=サーンス《歌劇「ヘンリー8世」》 19330305 初演 マリピエーロ51《ヴァイオリン協奏曲》ミッチェル 19320222 作曲 19420305 初演 ショスタコーヴィチ36《交響曲第7番ハ長調Op.60“レニングラード”》サモスード ──────────────────────────────── 17850306 作曲 モーツァルト《アリア「数知れぬ悩みの中で」》第6曲 17910306 作曲 モーツァルト《5つのコントルダンス(田園舞曲)》 17910306 作曲 モーツァルト《ドイツ舞曲「ライエルひき」ハ長調》 18250306 初演 ベートーヴェン《弦楽四重奏曲第12番》 18310306 初演 ベリーニ《歌劇「夢遊病の女」》 18530306 初演 ヴェルディ《歌劇「椿姫(トラヴィアータ)」》 18820306 初演 ラロー《バレェ組曲「ナウムナ」》 18880306 作曲 ヴォルフ《4月の黄色い蝶》 18880306 作曲 ヴォルフ《苦悩から癒えて希望に寄せる》 19060306 初演 ビゼー《喜歌劇「ドン・プロコーピオ」》 19440306 初演 ハチャトゥリャン41《交響曲2》ガウク51 ──────────────────────────────── 18870307 作曲 ヴォルフ《兵士機 18880307 作曲 ヴォルフ《庭師》 18880307 作曲 ヴォルフ《妖精の歌》 19340307 初演 プロコフィエフ《映画音楽「キージェ中尉」》 ──────────────────────────────── 17910308 作曲 モーツァルト《アリア「この美しい手と瞳のために」》 17910308 作曲 モーツァルト《シャックの「女ほど素敵なものはない」による8つの変奏曲ヘ長調》 18880308 作曲 ヴォルフ《別れ》 18980308 初演 シュトラウス,R32《交響詩「ドン・キホーテ》Wullner,Frang 66 19020308 初演 シベリウス36指揮《交響曲第2番ニ長調Op.43》 ──────────────────────────────── 17920309 初演 ハイドン《協奏交響曲変ロ長調》 18420309 初演 ヴェルディ《歌劇「ナブッコ(ナブコドノゾル)」》 18440309 初演 ヴェルディ《歌劇「エルナーニ」》 18490309 初演 ニコライ《歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」》 18860309 初演 サン=サーンス51指揮《組曲「動物の謝肉祭」》“白鳥” ──────────────────────────────── 17860310 作曲 モーツァルト《シェーナとロンド「もうよい、すべて分かった…恐るるな、愛する人よ」 17860310 作曲 モーツァルト《二重唱「私には言えません」 》 17910310-0311 初演 ハイドン《交響曲第 96番ニ長調「奇跡」》 18880310 作曲 ヴォルフ《思いみよ、おお心よ》 18880310 初演 フランク《交響詩「プシシェ」》 ──────────────────────────────── 17780311 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調》 17850311 作曲 モーツァルト《アリア「暗い、不吉な闇の中から」 》第8曲 17870311 作曲 モーツァルト《ロンド イ短調》 18300311 初演 ベリーニ《歌劇「キャピュレット家とモンターギュ家」》 18390311 初演 メンデルスゾ─ン《序曲「ルイ・ブラス」》 18510311 初演 ヴェルディ《歌劇「リゴレット」》 18670311 初演 ヴェルディ《歌劇「ドン・カルロス」》 18880311 作曲 ヴォルフ《旅先にて》 19170311 初演 レスピーギ38《交響詩「ローマの噴水」←ローマの泉》グァルニュリ 19370311 初演 オネゲル《歌劇「鷲の子」》 ──────────────────────────────── 17260312 初演 ヘンデル《歌劇「シピオーネ」》 17850312 初演 モーツァルト《ピアノ協奏曲第21番ハ長調》 18350312 初演 ドニゼッティ《歌劇「マリーノ・フェリエーロ」》 18570312 初演 ヴェルディ《歌劇「シモン・ボッカネグラ」》 19050312 初演 レスピーギ《喜歌劇「エンツォ王」》 19430312 初演 アイネム25《管弦楽のためのカプリッチョ》ボルヒャルト 19540312 初演 シェーンベルク《歌劇「モーゼとアロン」》 ──────────────────────────────── 17970313 初演 ケルビーニ《歌劇「メデア」〜あなたの子供たちの母親が/ともに泣くだけでなく》 18320313 初演 ドニゼッティ《歌劇「パリのウーゴ伯爵」》 18450313 初演 メンデルスゾ─ン《ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64》18440916 作曲 18860313 作曲 ヴォルフ《戴冠式にのぞむ王》 18880313 作曲 ヴォルフ《隠棲》 18880313 作曲 ヴォルフ《祈り》 18970313 初演 シュトラウス 2《喜歌劇「理性の女神」》 ──────────────────────────────── 17780314-0612 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調》 18240314 初演 シューベルト《弦楽四重奏曲第13番イ短調Op.29「ロザムンデ」》 18470314 初演 ヴェルディ《歌劇「マクベス」》 18520314 初演 シューマン《劇音楽「マンフレッド」Op.115》 18850314 初演 サリヴァン《歌劇「ミカド」》 18880314 作曲 ヴォルフ《Lied eines Verliebten》 19440314 作曲 バルトーク63《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》メニューイン28 19441126 初演 ──────────────────────────────── 17700315 作曲 モーツァルト《弦楽四重奏曲第1番ト長調》 18500315 初演 グリンカ《幻想曲「カマリンスカヤ」》 18650315 初演 リスト《死の舞踏S.126,R.457》 18870315 作曲 ヴォルフ《ジプシーの娘》 ──────────────────────────────── 18870316 初演 サン=サーンス《歌劇「プロセルピーヌ」》 18910316 初演 マスネ《歌劇「東方の三賢人」》 18940316 初演 マスネ52《歌劇「タイース」》パリ・オペラ 19320316 初演 レスピーギ《歌劇「エジプトのマリア」》 ──────────────────────────────── 17840317 初演 モーツァルト《ピアノ協奏曲第15番変ロ長調》17840315 作曲 18300317 初演 ショパン《ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21》 18330317 初演 ドニゼッティ《歌劇「パリジーナ(パリジーナ・デステ)」》 18460317 初演 ヴェルディ《歌劇「アッティラ」》 18670317 初演 ブラームス《ワルツ集》 18880317 作曲 ヴォルフ《打ち明け話》 19000317 初演 ドビュッシー《ビリティスの3つの歌》 19450317 初演 ミャスコフスキー《チェロ協奏曲》 ──────────────────────────────── 17870318 作曲 モーツァルト《アリア「アルカンドロよ、私はそれを打ち明ける。どこから来るのか私は知らない」》 18830318 作曲 ヴォルフ《愛のたより》 18970318 作曲 ヴォルフ《しばしば私は考える》 19020318 初演 グラズノフ35《吟遊詩人の歌》 ──────────────────────────────── 17880319 作曲 モーツァルト《アダージョ ロ短調》 18590319 初演 グノー《歌劇「ファウスト」》 18640319 初演 グノー《歌劇「ミレイユ」》 18920319 初演 チャイコフスキー52指揮《組曲「くるみ割り人形」Op.71a》 19100319 初演 バルトーク29《弦楽四重奏曲第1番》ケルペーイ四重奏団 19150319 初演 カーペンター39《組曲「乳母車の冒険」》ストック43、シカゴ交響楽団 ──────────────────────────────── 18870320 初演 ダンディ36《フランス山人の歌による交響曲》ペーヌ29、ラムルー53 18880320 作曲 ヴォルフ《乙女の初めての恋の歌》 18970320 作曲 ヴォルフ《この世に生を享けたものはすべて滅びる》 19270320 初演 ベルク42《室内協奏曲》シェルヘン36 192307.. 作曲 ──────────────────────────────── 18260321 初演 ベートーヴェン《弦楽四重奏曲第13番》 18600321 初演 ブラームス《バラード ニ長調Op.10-2》 18600321 初演 ブラームス《バラード ロ短調Op.10-3 》 18660321 初演 スッペ《喜歌劇「軽騎兵」序曲》 18880321 作曲 ヴォルフ《散歩》 18900321 初演 サン=サーンス《歌劇「アスカニオ」》 19040321 初演 シュトラウス,R.《家庭交響曲Op.53》19031231 作曲 19250321 初演 ラヴェル《歌劇「子供と魔法」←「子供と呪文」》 19290321 初演 ヴォーン=ウィリアムズ《歌劇「恋するサー・ジョン》 19350321 初演 ミヨー《春の小協奏曲「春のコンチェルティーノ」Op.135》 19380321 初演 シューベルト《交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレイト」》 ──────────────────────────────── 17830322 初演 モーツァルト《グルックの「メッカの巡礼」の「愚かな民が思うには」による10の変奏曲ト長調》17840825 作曲 17830322 初演 モーツァルト《ピアノ協奏曲第13番ハ長調》 17830322 初演 モーツァルト《交響曲第35番ニ長調「ハフナー」》1782073. 作曲 17840322 作曲 モーツァルト《ピアノ協奏曲第16番ニ長調》 18820322 初演 ドニゼッティ《歌劇「アルバ公爵」》 18880322 作曲 ヴォルフ《Begegnung》 18880322 作曲 ヴォルフ《老女の忠告》 18970322-0328 作曲 ヴォルフ《私の魂は、私を創った神の憧れの光を感じる》 ──────────────────────────────── 17780323-033. 作曲 モーツァルト《協奏交響曲変ホ長調》 17870323 作曲 モーツァルト《アリア「おお、娘よ、お前と別れる今」》 17920323 初演 ハイドン《交響曲第 94番ト長調「驚愕》 18280323 初演 ベートーヴェン《弦楽四重奏曲第16番》 ──────────────────────────────── 17780324-0610 作曲 モーツァルト《バレエ「レ・プティ・リアン」》17780611 初演 17860324 作曲 モーツァルト《ピアノ協奏曲第24番ハ短調》1786032. 初演 18240324 初演 ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス ニ長調》 18680324 初演 ブラームス35《ピアノ五重奏曲ヘ短調Op.34》 18880324 作曲 ヴォルフ《捨てられた娘》 ──────────────────────────────── 17240325 初演 バッハ《カンタータ第182番「天の王よ、よくぞ来ませり》 17250325 初演 バッハ《カンタータ第1番「輝く暁の星のいと美わしきかな》 18770325-0412 作曲 ヴォルフ《セレナード》 18960325 作曲 ヴォルフ《私は乾いたパンを食べることはないでしょう》 19040325 初演 ドヴォルザーク《歌劇「アルミーダ」》 19460325 初演 ストラヴィンスキー64《エボニー協奏曲》ハーマン楽団 19950325 初演 加古 隆《パリは燃えているか》NHK“映像の世紀” ──────────────────────────────── 17850326 作曲 モーツァルト《歌曲「結社員の道」》 18270326 初演 ロッシーニ《歌劇「モーゼとファラオ、または紅海への道」》 18280326 初演 シューベルト《弦楽四重奏曲第15番ト長調Op.161》18260620-0630 作曲 18940326 作曲 ドヴォルザーク《歌曲集「聖書の歌」Op.99》 18960326 作曲 ヴォルフ《あたしの恋人があたしを食事によんでくれたの》 19220326 初演 オネゲル《歌劇「聖女スザンナ」》 19450326 初演 メシアン37《おさな児イエズスへの二十のまなざし》ロリオ19440323-0908 作曲 ──────────────────────────────── 17450327 初演 ヘンデル《オラトリオ「ベルシャザール」》 17870327 作曲 モーツァルト《アリア「お前と別れる今、ああ娘よ」》 18190327 初演 ロッシーニ《歌劇「エルミオーネ」》 18740327 初演 スメタナ《歌劇「2人のやもめ」》 18880327 作曲 ヴォルフ《Storchenbotschaft》 19140327 初演 ヴォーン=ウィリアムズ42《交響曲第2番“ロンドン”》トーイ 19170327 初演 プッチーニ《歌劇「つばめ」》 ──────────────────────────────── 18010328 初演 ベートーヴェン《バレエ「プロメテウスの創造物」》 18590328 初演 ブラームス《セレナード第1番ニ長調》 18710328 初演 チャイコフスキー31《弦楽四重奏曲第1番ニ長調Op.11 “アンダンテ・カンタービレ”》 18900328 作曲 ヴォルフ《愛をあてにしちゃいけないわ》 18960328 作曲 ヴォルフ《私に話してくれたことには》 18960328 初演 ジョルダーノ《歌劇「アンドレア・シェニエ」》 19080328 初演 ラヴェル32《スペイン狂詩曲》コロンヌ管弦楽団 ──────────────────────────────── 17950329 初演 ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第2番変ロ長調》 18060329 初演 ベートーヴェン《「レオノーレ」序曲第3番》 18360329 初演 ワグナー《歌劇「恋愛禁制、またはパレルモの修道女」》 18790329 初演 チャイコフスキー39《歌劇「エフゲニー・オネーギン」Op.24》 18880329 作曲 ヴォルフ《問いと答え》 18900329 作曲 ヴォルフ《泣くんじゃないの、お目々さん》 18900329 作曲 ヴォルフ《苦しい喜びと、喜びの苦しみ》 18960329 作曲 ヴォルフ《ぼくはもう床の中で疲れた手足を伸ばしていた》 19490329 作曲 マルタン《7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏の協奏曲》19490602,0809 作曲 ──────────────────────────────── 17840330 作曲 モーツァルト《ピアノと管楽のための五重奏曲変ホ長調》 18900330 作曲 ヴォルフ《ああ、それは5月のことだった》 18960330 作曲 ヴォルフ《あんたは言うのね、私が女王様じゃないって》 18960330-0331 作曲 ヴォルフ《勝手にさせておくさ》 19410330 初演 ブリテン《シンフォニア・ダ・レクィエム》バルビローリ ──────────────────────────────── 17450331 初演 ラモー《オペラ「プラテー」》 17940331 初演 ハイドン《交響曲第100番ト長調「軍隊」》 18830331 初演 フランク64《交響詩「呪われた狩人」》ディエメ43 18880331 作曲 ヴォルフ《Lebewohl》 18900331 作曲 ヴォルフ《恋人は誓うと言ったけれど》 19010331 初演 ドヴォルザーク《歌劇「ルサルカ」Op.114》
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