与太郎文庫
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2000年03月24日(金)  土下座考

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000324

 
20000324 校長に土下座迫る! 新事実!教員らが無許可で教室を占有!
 
 国立第二小学校事件 狂気! 教師が小学生を煽動、事件の経緯
 
 2000年3月24日、東京都国立第二小学校の屋上に戦後初めて、日の丸
が掲げられた。
 国立市には、市立小学校が8と市立中学校が3あるが、戦後二小を含
め、他の全ての学校で卒業式と入学式における国旗掲揚と国歌斉唱が適
正に行われていなかった。
 しかし2000年、国立第二小学校の沢幡校長は文部省の学習指導要領に
従い、国旗掲揚と国歌斉唱を取り入れた卒業式を行おうと、昨年12月か
ら8回の職員会議を開き、教職員への理解を求めたが、議論は平行線を
たどった。
 その為、校長は式場内での国旗掲揚と国歌斉唱を止め、屋上へのみの
国旗掲揚で、教職員との和解をはかったが、話し合いは卒業式前日まで
続けられた。
 式前日には9時間にも及ぶ職員会議を開いたが、双方合意できず、校
長はやむなく、式当日に屋上へ国旗を掲揚した。
 式が終了し、卒業生を見送った後、5,6年生の児童30人と10数人の教
職員、保護者が校長に詰めより、国旗を降ろさせ、土下座を迫った。
 詰め寄った時、児童等は前日行われた職員会議の内容を克明に知っ
ていた。
 教職員が児童に内容を漏らし、煽動したのである。
 
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2000.... 官邸で土下座
 
 2000年秋、当時の森内閣では日朝国交正常化を電撃的に実現しようと
いう動きがあった。それは、いわば拉致問題を棚上げして国交正常化を
急ごうというシナリオだった。それを止めさせようと家族会が首相に面
会を求めた際のことである。増元氏は一世一代の勝負に出た。首相官邸
で森喜朗首相に土下座して訴えたのだ。「このままでは、うちの姉は殺
されてしまいますッ!」「テレビに土下座シーンが映されたせいか結局、
拉致問題は棚上げされずにすんだ。あのまま国交正常化が進められてい
たら、私たちの家族は全員抹殺されていたかも知れません」
http://www.interq.or.jp/power/masumoto/press.html
増元照明《ウェブサイト・プレスルーム》
 


 森  喜朗 首相86“蜃気楼”19370714 石川  /[20000404-200104..] 衆議院議員
────────────────────────────────
 増元 正一  るみ子の父   1923.... 鹿児島  20021017 79 /喪主は妻=信子
 増元 照明  るみ子の弟   1954.... 鹿児島 /参議院立候補落選2000秋、官邸で土下座
♀増元 るみ子 元事務員(24)  19531101 鹿児島 朝鮮 19810817 27 /心臓病死19780812失踪?

 
 「首相、おねがいします,国交を正常化しないでください」
 増元るみ子さん=当時(二四)、死亡=の弟、照明さん(四六)は「死亡
しているといわれて信じるわけにいかない。これをもって進展とみなし
て国交正常化していいのか」と政府の方針に率直に疑問を投げかけた。
 
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20011018 法廷の土下座
 
 鹿児島県出水郡で15年前、小学5年の女児が死亡した事件を巡り、
時効成立で不起訴になった同県出水市文化町、無職園畠卓被告(49)
=別のわいせつ略取罪で公判中=に女児の両親が3000万円の損害賠
償を求めている訴訟の第1回口頭弁論が18日、鹿児島地裁であり、園
畠被告は女児にクロロホルムをかがせて乱暴し、中毒死させたとされる
事実関係を認め、閉廷直後、土下座して両親に謝罪した。
 法廷には園畠被告本人が看守に付き添われて出廷。原告席の両親とは
目を合わせず、うつむき加減で着席した。小田島靖人裁判官が「訴状に
書かれた内容は間違いないか」とただすと、園畠被告は「その通りです」
と認めた。
 閉廷して裁判官の退廷直後、原告側代理人に「何か言うことがあるん
じゃないか」と声をかけられると、園畠被告は両親の方を向き、「人間
として最低のことをしてしまいました。申し訳ありませんでした」と謝
罪。土下座して2度頭を下げた。
 女児の父親は「本当に反省していたなら、時効成立前に自首してほし
かった」と話した。
── 20011019 CNN
 

♀浜畑 勝枝  小学5年    1975.... 鹿児島  19860725 11 暴行致死2001時効成立
 園畠 卓   無職      1952.... 鹿児島 /2001第1回口頭弁論閉廷直後、土下座

 
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20020312 「恨み一切ない」有本さんの両親が会見
 
 「恨みはもう一切ない」。公判後の記者会見で有本恵子さんの両親の
明弘さん(73)と嘉代子さん(76)は、「証言で拉致の実態を明ら
かにしてくれて、今が事の始まりだと思う」と語った。
 また、両親は八尾証人と今月初めに東京都内のホテルで初めて対面し
たことを明らかにした。八尾証人は「私がやりました。大変ご迷惑をお
かけしました」と告白し、床に土下座して涙を流したという。
 嘉代子さんは、「苦しみの原因を作った人だが、彼女なりにつらい思
いをした」と気遣い、「19年間、苦しい毎日だった。今回の証言で、
事態が進展すると思う」と話した。
 

♀有本 恵子 “拉致疑惑”   19600112 神戸 朝鮮 19881104 28 ガス中毒死19830715失跡
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♀有本 嘉代子 恵子の母    1926.... 神戸  /20020312八尾 恵が土下座“北朝鮮拉致疑惑”
 有本 明弘  恵子の父    1929.... 神戸  /20020312八尾 恵が土下座“北朝鮮拉致疑惑”
♀八尾 恵  “拉致疑惑”   1956.... /1983有本 恵子(23)拉致20020312両親に土下座

 
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20021108 さいたま地裁
 
 検察官と裁判官、法廷で涙 被害者や被告に思いはせ…
 
 さいたま地裁で八日開かれた二つの殺人事件の公判で、男性検察官と
女性裁判官がそれぞれ、被害者や被告の心情を思って涙を流す場面が相
次いだ。
 検察官が涙したのは、埼玉県熊谷市の男性会社員(当時四十一歳)が
今年二月に絞殺された事件の論告求刑公判。とつとつと論告を読み上げ
ていた開山憲一検察官は、「四歳になったばかりの幼い娘や、妻をはじ
めとする大切な家族への思いが去来していたはずである」と、被害者の
死の間際の心情に思いをはせた部分にさしかかると、涙を浮かべ、眼鏡
を外してしばらく上を向いた。
 これに心を動かされたのか、懲役十五年を求刑された土建業の男性被
告(35)は「本当に申し訳ありませんでした」と、傍聴席の遺族に
土下座して謝った。
 一方、女性裁判官が涙を流したのは、その直後に行われた公判。介護
に疲れて重度の知的障害者だった三女を絞殺したとして、殺人罪に問わ
れた同県久喜市の無職の女性被告(72)が、弁護士の質問に号泣しな
がら、「あの子は私のすべてでした。施設に預けることは考えられなか
った」と述べると、大渕真喜子裁判官は額に手を当ててうつむき、何度
も法衣の袖で涙をぬぐった。閉廷後も目は真っ赤だった。
── 《読売新聞 20021109 東京朝刊》社会 39頁 496字 04段
 
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20021122 土下座してまで、おいで願わなくていい
 
 巨人が近鉄からFA宣言した中村紀洋内野手(29)の獲得争いから
撤退する。22日、渡辺恒雄オーナーが明らかにした。巨人が手を引く
ことで、中村の阪神入りの可能性が高くなった。
 渡辺オーナーは東京都内のホテルで取材に応じ、「阪神に決まればそ
れでいい。ペタジーニが来るんだから、土下座してまでおいで願わなく
てもいい。巨人には巨人のカラーがある」と明言した。また、中村が米
大リーグとの交渉も希望していることについて「阪神が強くならんと困
る。今年視聴率が上がったのは阪神のおかげ。敵に塩を送る必要がある」
と"阪神入りの勧め"を口にした。
 巨人は土井誠球団代表が15日深夜に東京都内のホテルで中村と交渉
し条件提示を済ませた。阪神も21日、中村と交渉したが、中村は「大
リーグからのオファーも待ちたい」とし、結論を保留した。
[ニッカンスポーツ]
http://www41.tok2.com/home/pbbsaga/OKOTOBA/2002/02-11.html
ニュースなひとこと#420
 

 渡辺 恒雄  読売新聞社長  19260530 東京  /巨人球団オーナー“ナベツネ”
 ペタジーニ プロ野球内野手 19710602 Venezuela /1999ヤクルト
 中村 紀洋  プロ野球内野手 19730724 大阪  /近鉄“ノリ”

 
── 《土下座考 20000324 》↓
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19450815
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19880223
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20000324
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030813
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040202
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20041106


2000年03月06日(月)  君が代論

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000306
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20000306
 君が代論 ↓(補遺)
http://d.hatena.ne.jp/aedlib/20000306
 
 Ex libris Web Library;山岸 秀《「君が代」を歌いますか?
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4898272061
── 山岸 秀《「君が代」を歌いますか? あなたにとって国歌とは 20000306 早稲田出版》
 
 目次(※私注)
 
P001 目次
P002
P003 はじめに 200002..
P004
P005
P006
P007
P008
P009
P010
P011
P012
P013
P014
P015 第一章 古今和歌集の「君が代」元歌
P016    「君が代」は恋の歌だったのか
P017     古今集に起源が…
P018     古今集に収められた歌の意味
P019
P020
P021
P022     古今集の中の「君が御代」
P023
P024     神話で宿命づけられている天皇
P025     万葉集の天皇賛歌そして斎藤茂吉
P026
P027
P028
P029 第二章 古今和歌集からの展開
P030     和漢朗詠集の中の「君が代」
P031
P032     謡曲「老松」
P033     『義経記』と『曽我物語』
P034
P035     民族芸能に伝えられている「君が代」
P036     門付けの中の「君が代」
P037     薩摩琵琶の蓬莱山など
P038     江戸城の新年行事と「君が代」
P039
P040
P041 第三章 国歌への道
P042 (1) 明治二年の初代「君が代」
P043     最初の「君が代」
P044
P045
P046
P047
P048
P049
P050     「君が代」と薩摩藩苫書
P051     国民的盛り上がりのない「君が代」制定
P052
P053     選定による「君が代」の歌意の転換
P054     軍楽隊の西南戦争への出陣
P055     大山巌をめぐる人々 ※
P056
P057
P058 (2) 現在の「君が代」の制定
P059     海軍中心の新「君が代」の制定
P060
P061
P062
P063
P064     新「君が代」の作曲者
P065
P066
P067     エッケルトと朝鮮
P068     文部省による幻の国歌選定
P069
P070
P071
P072
P073     陸軍と「君が代」
P074
P075     「君が代」の法的根拠
P076
P077
P078
P079
P080     国歌「君が代」の由来研究者としての小山作之助
P081     「海行かは」の制定
P082
P083     外国人の手になる国歌−満州国の例−
P084     祝歌としての「君が代」
P085
P086     儀式歌としての「君が代」
P087
P088     憲法発布式における「君が代」
P089     初期の国民教化の手段としての「君が代」
P090
P091
P092
P093
P094
P095     「国歌」としての認識の不徹底 ※
P096
P097
P098
P099     神権天皇制と結びついた解釈−さざれ石の成長夫孫降臨−
P100
P101
P102     実在するさざれ右
P103 (3) 戦前における「君が代」批判
P104     神権天皇制・天皇主義からの批判
P105
P106     国家主義的・天皇主義的歌への批判−松岡荒村とその背景−
P107     平和的「君が代」への批判
P108
P109 第四章 戦争遂行と「君が代」
P110 (1) 戦前教育の場における「君が代」
P111
P112     「御真影」と森有礼
P113
P114
P115 (2) 戦意高揚・国威発揚の道具として
P116     軍歌としての「君が代」
P117     国家総動員体制前夜の「君が代」
P118
P119
P120     国家総動員体制における「君が代」
P121
P122
P123
P124     紀元二六〇〇年
P125
P126 (3) 軍隊における「君が代」
P127     軍における「君が代」演奏の規定
P128 (4) 太平洋戦争と神権天皇制
P129     開戦の詔書
P130
P131     朝鮮・台湾・南洋と「君が代」
P132
P133
P134
P135 第五章 太平洋戦争後の「君が代」
P136 (1) 戦後間もなくの「君が代」
P137     終戦直後における「君が代」遠慮
P138     戦犯が処刑された日 〜 戦争責任とは −
P139
P140
P141     「君が代」の復活
P142
P143
P144     オリンピック・軍隊・「君が代」
P145
P146
P147
P148
P149     自衛隊と「君が代」
P150
P151     元号法の制定
P152
P153
P154
P155
P156     天皇の元号の拒否
P157
P158     大東亜戦争肯定論と「君が代」
P159     「君が代」への批判的見方 ※芥川説
P160
P161     「君が代」と差別
P162
P163 (2) 象徴天皇制と「君が代」解釈
P164     「君」を「あなた」と解する説
P165     象徴天皇制を前提にした解釈−行政解釈及びその問題−
P166
P167     天皇の治世とする解釈−外務省のリーフレット−
P168
P169     新憲法の下において慣習法として存立できていたのか
P170
P171     支配階級の意図している「君が代」復活
P172
P173
P174
P175
P176     「君が代」とファシズム
P177
P178     「君が代」を支える草の根保守−ある巨大教団の例−
P179
P180     「君が代」法制化
P181
P182
P183
P184     「君が代」斉唱の強制−現実との乗離−
P185
P186
P187
P188     「君が代」強制に向けての政治介入
P189
P190
P191     国旗敬礼強制を違憲としたアメリカ連邦最高裁判所
P192     諸外国の国歌の決め方
P193
P194 (3) 戦後教育における「君が代」
P195     終戦直後
P196
P197
P198     戦後民主教育の方向転換 ※P202 旭ヶ丘中学
P199
P200
P201
P202     愛国心教育と「君が代」−期待される人間像−
P203     臨時教育審議会答申
P204     「君が代」義務化への方向−学習指導要領の変遷−
P205
P206
P207     新世紀の学習指導要領
P208     文部行政による「君が代」指導
P209
P210     教員と校長の分断・断絶 ※いなかもん
P211     日教組による新国民歌斉唱運動
P212
P213 (4) 「君か代」法制化に対する批判
P214     「君が代」復活への批判
P215
P216
P217 終章  子どもの「場」を守ろう
P218     失われていった子どもの「場」
P219     危機に立っている学校
P220
P221     国際化時代の国旗・国歌教育
P222
P223
P224 おわりに
P225 写真・資料 著者
P226 装幀    岩下 博
 
(20110523-)
 


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