与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
1998年10月06日(火) |
Laters 〜 遅かりし人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19981006 忠臣蔵250年 〜 遅かりし由良之助 〜 ── 将軍家から石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門が来訪、情け深い石 堂に比べ、薬師寺は意地が悪い。判官は粛々と応対し、切腹を申し付け られる。家老の大星由良之助が来るまではと待つが、なかなか現れず、 「力弥、力弥、由良之助は。」「未だ参上仕りませぬ。」「存命に対面 せで、無念なと伝えよ。方々いざ、ご検分くだされ。」と遂に短刀を腹 に突き立てたときに由良之助が駆けつける。 「由良之助か。」「ハハッ。」「待ちかねたわやい。何かの様子はきい たであろうな。」「今はただ申すべきこともなく、尋常なるご最期を願 わしゅう存じまする。」判官は薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り 「この九寸五分は汝が形見。切って恨みを晴らせわやい。」と由良之助 に短刀を形見に渡し、由良之助は胸を叩いて平伏する。これで判官の余 の仇を討ての命令が下されたのである。判官は会心の笑みを浮かべて息 絶える。「遅かりし由良之助」の語源である。由良之助はここで初めて 登場する。── (Wikipedia) 17481006 寛延 1.0814〜11中旬 大坂道頓堀竹本座(人形浄瑠璃) 17490119 寛延 1.1201 大阪道頓堀中(芝居歌舞伎) 17490324 寛延 2.0206 江戸森田座 17490501 寛延 2.0315 京都早雲長太夫座 ── 竹田 出雲 2・三好 松洛・並木 千柳・合作《假名手本忠臣藏》
浅野 内匠頭長矩 16670928 播磨 江戸 17010421 35 /寛文 7.0811〜元禄14.0314 大石 良雄内蔵助 1659‥‥ 播磨 江戸 17030320 44 /万治 2.‥‥〜元禄16.0204
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030131 忠臣蔵300年 〜 元禄15.1214(17030130)〜 ── スカイダイビングに挑んだおばあさん。降下中にカメラに向かっ てニッコリ微笑んだ瞬間、差し歯が上方へ飛んで行きました。びっくり したおばあさん、手で口を押さえますが、時既に遅し。差し歯は遥か上 方へ。 ここで司会者が一言。"What she is doing now is closing the barn door after the horse has escaped." 「時既に遅し (It's too late)」 は、「馬が外に出た後で納屋の扉を閉める」と表現するのですね〜。 なかなか言い得て妙ですね。── Today's word2 http://homepage.mac.com/icbp90pink1/iblog2/B1108781646/index.html >> トキ、すでに遅し ── 【主張】トキ放鳥 絶滅前での保護が重要だ 20080929 03:22 「ニッポニア・ニッポン」という学名を持つ美しい鳥が佐渡島の大空 に舞った。 トキ復活への第一歩だ。人工繁殖に取り組んできた新潟県佐渡市の佐 渡トキ保護センターと環境省が10羽を野外に試験放鳥した。 一度は国内で絶滅した彼らが無事に生き延び、野生復帰を果たすこと を願いたい。 日本では過去に10種以上の鳥が失われた。かつては日本の各地でそ の姿が見られたトキも悲しい過去を持っている。 羽毛が狙われ、明治以降は数を減らし、昭和初期にはすでに数地域で 暮らすだけとなっていた。昭和56年に、唯一の生息地の佐渡島で最後 の5羽が保護されたが、平成15年までにすべてが死んだ。 現在、佐渡トキ保護センターなどにいる約120羽は、中国から贈ら れたトキを飼育施設の中で繁殖させたものである。 一定の数に達したことから、野生での復活に挑戦することになった。 自然を模した広大な順化ケージの中で半自然の暮らしを体験させたうえ での放鳥だ。 コウノトリも国内で絶滅していたが、文化庁が力を入れて3年前に兵 庫県で野生復帰させている。このように成功の先例はあるのだが、トキ の場合は楽観できない。たくましいコウノトリに比べ、トキは極端に怖 がりなのだ。カラスが近寄るだけで死ぬほど驚く。 地元では、トキが餌の魚やカエルを食べられるように水田の環境を整 えるなどしている。人間とトキが共存できる自然を復活させることが何 より大切だ。 これからトキは厳しい冬を越さなければならない。放鳥後、命を落と すトキが出るかもしれないが、冷静な対応が必要である。 トキの野外放鳥は一度、絶滅させると、運良く外国に同種が残ってい ても、その復活がいかに大変であるかを物語る。投じる費用も莫大(ば くだい)だ。コウノトリにしてもトキにしても、国の保護策の失敗であ る。関係者の努力は大変だったが、国産種の子孫を残せなかったことを 忘れてはならない。 絶滅してからでは遅いのだ。今なら高山帯にすむライチョウも何とか 間に合うだろう。海鳥のアホウドリは、あと一息で絶滅の淵(ふち)か ら抜け出せる。手をこまねいていても、緩めてもならない。 生物多様性への取り組みは、その国の文化水準を物語る。 http://sankei.jp.msn.com/life/environment/080929/env0809290322000-n1.htm << 〜 Too late or not too late 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070913 ↑機微・機敏・小鬢 ↓英語の三原則 http://q.hatena.ne.jp/1152450083#a567154 Never too Late ! http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2764617.html アマチュア・チェリストの回想(20070219) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060302 帰らざる父 〜 松本家の人々 〜 ── しばしば閉店後に駆けつける常連、つまり厄介な“pay-later” だったのです。この手紙もまた“later's letter”でしょうか。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001007 ポール先生、さようなら 〜 続・教え子の消息 〜 (20080929)
|