与太郎文庫
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1998年02月26日(木) |
融通なき仁義 〜 頼もしい男たち 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19980226 1.任意保険 1977年ごろ、買ったばかりの後輩の新車に乗せられた。 「先輩、この車には、合計一億もの任意保険がかかっています」 だから安心してください、というつもりだったらしい。 1981年ごろ、さる会社の車を借りることがあった。 「この車の保険は、いくらかかってますか?」 すぐに総務担当者が、契約書のファイルを取りだして教えてくれた。 2.死亡保険 197907‥ 三浦 和義(32)&佐々木 一美(25)結婚。 197912‥ 三浦 和義(32)第一生命3000万円契約(死亡時2倍)。 198101‥ 三浦 葉月(00)和義&一美の長女、誕生。 198101‥ 三浦 和義(32)千代田5000万円契約(死亡時2倍)。 19810813 三浦 一美(28)殴打事件:矢沢 美智子(芸名=夏樹 麗子)証言。 19811118 三浦 一美(28)銃撃事件:顔面左頬に被弾(夫は左太腿)。 19821130 三浦 一美(29)死去。 19840119 「1億の豪邸を保険金で建て、何人もの愛人を抱えている」 ── 《疑惑の銃弾 19840126 週刊文春》シリーズ全7回 三浦 和義 雑貨輸入商 19470727 山梨 Los. 20081010 61 /首吊自殺 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080222 疑惑の逆鈎 〜 Loss time in Los Angeles 〜 3.保険自殺 1986年ごろ、毎日の手形決済に追われている零細企業の社長が、十人 集まって団体保険に加入したという。誰か一人が死ぬと、他の九人にも 保険金が配分されるそうだ。互いの死を待つ“頼もし講”だった。 1998年、ついに社長三人の“同時首吊自殺事件”が起った。 幼馴染の親友だったが、死後ホテルから損害賠償を請求されている。 自動車用品業界“3社長自殺事件”ホテル・ル・ピアノ各室同時自殺。
小林 正明 1947‥‥ 横浜 国立 19980226 51 /首吊自殺/遺書「保険金を資金繰りに」 須藤 勝 1949‥‥ 東京 国立 19980226 49 /首吊自殺/遺書「保険金で会社存続を」 東海(林) 義美 1949‥‥ 東京 国立 19980226 49 /首吊自殺/遺書「資金繰りに行詰まって」 ※アイネスフウジン19870410 北海道 20040405 17 /馬主=小林 正明/8戦4勝/賞金244409200円
── 未明、東京国立市のホテルで3人の中年男性が首をつって死んで いるのが見つかった。3人は都内の自動車部品小売会社社長の小林正明 さん(51歳)、製造会社社長・須藤勝さん(49歳)、川崎市の部品卸売 り会社社長・東海義美さん(49歳)と判明。 小林さんの会社は従業員数180人、年商60億円という大規模な展開を していたが、バブル崩壊後も事業を広げ続けたことや、ライバル店の進 出などにより、経営が悪化。負債は37億円にも膨らんでいた。須藤社長 と東海林社長は小林社長と幼馴染の親友で、銀行に融資を絶たれた小林 に同情、手形を融資して助け合ううち、自身の会社の経営も悪化して共 倒れ状態になった。年末年始の手形決済時期も迫り、追い詰められた3 人は揃って心中することを決意したという。 ▽11月12日、ホテル側が「大きく報道されたために客足が激減した」 として経営者の遺族と会社を相手取って総額7900万円の損害賠償を求め る訴えを東京地裁に起こした。 http://yabusaka.moo.jp/jssatu1998.htm 1998年の自殺者 4.保険詐欺
♀林 真須美 元・保険外交員 19610722 和歌山 /20021211地裁20050628高裁死刑 林 健治 元・白蟻駆除業 19450506 丸亀 和歌山 /20000727懲役8年 谷中 孝寿 自治会長 1934‥‥ 和歌山 19980726 64 毒物死0725事件 田中 孝昭 自治会副会長 1945‥‥ 和歌山 19980726 53 毒物死0725事件 ♀鳥居 幸美 開智高校一年生 1982‥‥ 和歌山 19980726 16 毒物死0725事件 林 大貴 有功小学校四年生 1988‥‥ 和歌山 19980726 10 毒物死0725事件 村井 常弘 捜査本部統括班長 1951‥‥ 和歌山 19980902 47 過労死0725事件
林 □□ 健治&真須美の長男 1988‥‥ 和歌山 /200302‥性的強要事件 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030725 カレーの市民 〜 苦悩の群像 〜 ◇ ── たのもし‐こう【頼▽母子講】金銭の融通を目的とする民間互助 組織。一定の期日に構成員が掛け金を出し、くじや入札で決めた当選者 に一定の金額を給付し、全構成員に行き渡ったとき解散する。鎌倉時代 に始まり、江戸時代に流行。頼母子。無尽講。[ 大辞泉 Yahoo! 辞書] http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/tanomosi.html タノモシ(頼母子)の仕方 (20081020)
1998年02月25日(水) |
傾老の日々 〜 築山新造記者のこと 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19980225 山陽新聞書評によれば、筒井康隆《敵》は断筆中に執筆されたという。 63歳の著者が、主人公75歳の老人ボケを描いたSF自伝だそうで、 すなわち一まわり(12年)後という設定が、どことなく俗物的である。 築山新造氏は、朝日新聞記者で、全国中等野球大会を担当したそうだ。 わが家に出入りした時期あり。白髪のインテリ老人で、幼い与太郎に 手帳を見せたことがある。 びっしりと、細い字で(シャープペンシルか)書きこみされていた。 笑顔の老人が「どうや、ボク、すごいやろ」と云った。 築山さんが帰ると、母は笑って云うのが常だった。 「築山はん、また御飯どきに来やはったな」 彼は、すでに引退して久しく、商売上の客でもなかった。まして子供 には、何の用件で訪ねてきたのか、ついに分らなかった。 おそらく父が番頭をしていたツバメヤに、雑談のために立寄ってくる インテリ文化人の一人だったと見られる。 (以上、思いだしたことの断章 19980225 システム・ダイアリーに初稿) ◇ これらの記憶は根拠に乏しく、氏の遺族にとって不名誉かもしれない。 しかし、与太郎の連想は、もうすこし踏みこんだ点にある。 ある種の老人は、あまりに過去をふりかえりすぎるのではないか。 ── いずれ、Myブログ《帰らざる客 〜 ぶぶ漬けおあがり 〜》と 題して、さらにくわしい実態を書きとめる予定です。 http://q.hatena.ne.jp/1155092147/31843/#i31911 ひとつは、京の“ぶぶづけ”を食べた客の実例である。(20010709) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050717 帰らざる乗客 〜 謎の往復切符 〜 いま思うに、もうひとつは、あるいは父が、徴兵免除の申請をして、 まんまと許可されたのは、氏の手引きによる可能性もある。 組合専従者として、銃後に留まる工作ではなかったか。 もうひとつは、松本清張の短編《発作》に登場する老人(元記者)に 酷似している。表題を《過熱》と思いこんだため、あちこちに書き散ら したが、連作集《共犯者 19800525 新潮文庫》に収められている。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19990921 傾老の日々 〜 それぞれの岐点 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19450401 新洞小学校沿革史 http://d.hatena.ne.jp/adlib/18980801 十字屋十話 19680801(参照) (19980225-20071206)
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