与太郎文庫
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1997年03月16日(日)  すれちがった人々 〜 炭屋の主客 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970316
 
 20050419 一周忌前日 〜 続・最期の謎 〜
 
 一周忌前日(20050419)アクセス・ログよりキーワード「訃報」発見。
 抜刷冊子《Awa Libtrary Report 20040322》の一ヶ月後だった。
《最期の謎 〜 ある時ふと、誰かのことを思いだす 〜 20050224》合掌。
 
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 堀部公允さん78歳=炭屋旅館社長

 堀部公允さん78歳(ほりべ・こういん=炭屋旅館社長、裏千家今日
庵老分)20日、多臓器不全のため死去。葬儀は23日午後2時、京都
市北区紫明通堀川東入の公益社北ブライトホール。自宅は同市中京区麩
屋町通三条下ル。喪主は妻恵美子(えみこ)さん。葬儀委員長は黒田正
名(くろだ・まさな)裏千家今日庵老分。《毎日新聞 20040421 11:34》
 
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 堀部 公允 炭屋旅館主人/玉兎庵 1925‥‥ 京都 20040420 78
/ほりべ・こういん(誤=きみよし}茶道、能楽、歌舞伎など伝統芸能
や古今東西の文学・美術に精通する数寄者。謡は金剛流宗家直門。
── 《京・炭屋 もてなしの茶の湯》B5判ISBN4-473-01800-8
 
── ここで理髪師と客は、おたがいの偶然について情報交換をする。
 完成後に投宿した村田武雄氏の部屋に、若き日のデーやんと与太郎が
招かれ、主人の堀部公允氏の前で酒盃を受けたのである。
── 《遠来の人々 20040226 与太郎文庫》誤=村田正雄
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040226
 
 村田武雄先生の客屋で、出谷啓との奇妙な四重奏。
 
 京都しにせ旅館“ご三家”炭屋・柊屋・俵屋
 
──「己は主ならず・柊屋家訓(京の老舗旅館)」全33室に担当仲居。
 女将は一日一度だけ客間に入り、花を活ける。
── 《京都の家訓 〜 リーダーの心得「なんにも苦にするな」〜
20041231(金)14:25-14:50 NHK》
 
http://blog.goo.ne.jp/adlibrary/e/66075084f2ba5ca32d235ffd2e692a92
 20050604 for Mr. Wada このファイルを進呈。
 
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 村田 武雄 音楽評論 19040930 東京 19970316 88 /《NHK音楽の泉》
 堀部 公允 炭屋旅館 1925‥‥ 京都 20040420 78 /玉兎庵主人
 出谷 啓  音楽評論 19400614 大阪 /《クラシック この演奏家を聴け!》

 
 19970316 主題と変奏
 
 鎌尾武男先生の授業(高校二年の音楽特論)は、シャンソンばかりで
はなかった。たとえば、変奏曲について──。
「変奏曲で始まる曲もあります。それは何という曲でしょう?」
 教室を見わたすと、女生徒は下を向いているので与太郎が指名される。
「アワくん、どうかね」
「モーツァルトのピアノ・ソナタにあります」
「そう!」
 得たりとばかりにうなずいた先生は、与太郎に向って焦点を絞りこむ。
「何調でしょう?」
「えーと、イ長調です」
「そう! アードゥアですね、さすがアワくんだ」
 ここで少し教室がざわめく。
 林 園子(粉川 園子)が、与太郎の肩をつっつく。
「ねぇねぇ、ケッヘル何番?」
「さぁて、何番目やったかな」
 さすがの与太郎も、そこまでは答えられない。しかし、なぜかくまで
(聴いたことのない曲の様式まで)詳しいかといえば、つぎの書物を、
ことごとく諳んじていたからである。
 
── 第一楽章:主題と変奏曲(6)
177805‥-07‥ 作曲 モーツァルト《ピアノ・ソナタ K.331 イ長調》
── 村田 武雄《LP読本 195. 音楽之友社》絶版(書誌判明)

http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB4YIE
── 村田 武雄《LP読本 19550410 1956 第四版 修道社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAZ902
 
 おまけに、各頁の余白に、名曲喫茶やラジオ放送で実際に聴いた日付
や、演奏者などのデータを、日記代わりに詳しく書きこんである。
(こういう蔵書を惜しげもなく捨ててしまうのが、青春だったのだ)
 
 ここには約500曲ばかり掲載されていたと記憶する。
 当時まだ《名曲解説全集 1962 音楽之友社》が出版されていなかった
ので、クラシックの名曲が、全体として何曲あるか分らない状態だった。
 
 その著者が京都の炭屋旅館に逗留された折に“でーやん”こと出谷啓
くんに連れられて参上、与太郎はこう述べた。
「先生の《LP読本》は、バラバラになるほど愛読しました」
 
 ちょっとしたお世辞だったが、当時の軽装本は、初期の“無線綴”で、
しばらくすると糊が利かなくなって、バラバラになったのである。
(ちなみに20世紀は接着剤の革命である)
 
 先生は「それはどうも。こんど新しい本を出しましたから、そちらの
方も、ぜひよろしく」と如才なく云われた。堀内敬三なきあと君臨する
センセイが業界のピンなら、対する“でーやん”はキリだった。
 
 後年、テレビの《刑事コロンボ》では、こんなセリフもあった。
「うちのカミさんは、先生のファンなんです。ほとんど読んでますよ」
「それはどうも」「もっぱら図書館でね」「……」
 
 左党強固
 
 このときの会席は、いくつかの点で、あまり愉快なものではなかった。
 ひとつは、当時まだ十字屋の店員だった出谷くんが、いっぱし評論家
気取りで、業界の大先輩に虚勢をはって応対したためである。
 
 そんな“でーやん”は、ほとんど与太郎を紹介しなかったので、先生
にすれば、同僚店員に見えたにちがいない。座布団の後方に同席された
炭屋旅館の主人にも(あらためて)紹介されなかったのである。
 
 つまり、デーやんが音楽評論家のタマゴであることは、彼の挙動から
して一目瞭然だったが、与太郎の立居振舞から身分や職能を察するのは
余人の理解を超えていたのだろう。
 
 その前に与太郎は、音楽の友社の依頼で、例のハイファイ・ルームの
建築工程を撮影している。実際の撮影は上野カメラマンが愛機ジナーを
構えていたので、与太郎は何となく立会っているように見えたのだろう。
 
 いまなら誰でも、ディレクターとかプロデューサーという職能が存在
することを知っているが、当時の認識はあいまいだったのだ。
(大工や左官の棟梁なら、古典的な衣装や身振りで分別されるのだが)
 
 二人の若者は、村田先生が、ゆっくり食事をされながら、ときに銚子
を傾け「どうぞ」とお流れを頂戴することになる。ただし、あまりにも
スローモーションなので、与太郎にはもどかしくてならない。
 
 当時の与太郎は、斗酒をも辞せぬ酒豪であり、いまにいうアルコール
依存症だったから、先生のスローペースには、いまも不満が残る。
 常套句の「駆けつけ三杯」とか「あとは手酌で」が、基本である。
 
 酒飲みのあつかいは、酒場で訓練された女性にかぎる。
 宴会の席で、やたら酒をすすめる者がいる。自分の腹が痛まないから、
ここぞとばかり気前よく見せるつもりだが、金輪際ケチなのである。
 
 中尾彬と池波志乃は、夫婦そろって酒道の達人らしい。酔うほどに、
キンピラゴボウの煮付味付けがことなるそうだ。
 しかし、こういう手のこんだ自慢も、いささか無粋ではなかろうか。
 
 追記
 
 ここでは、堀部氏のプロフィールや付けの商法から、初対面のマナー
や、インタビューの前準備に言及する予定だったが、いずれ別稿に。
 つぎの広告カード(A6)が目に留ったので記しておく。
 
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