与太郎文庫
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1996年06月07日(金) |
くたばれ!たかじん(2) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960607 ざこば クルマやったのも、アンタかいな。 阿波 よう聞いてくれた。アイツの本で我慢のならんのが、この一件 や。立ち読みしながら、本気でどついたろか思うた。アイツは ボクの喫茶店で「昼間アルバイト頼まれた」と書いているが、 断じて頼んでいない。ダレが頼むもんか、メガネにエプロンで ギター抱えて、押しかけてきよったんや。あるいはマスターの 気配りで「手伝うてこい」いわれたかも知らん。マスターと俺 は中学以来、同志社で一二をあらそう粋人や。「タスケテー」 「カンニンな」ちゅう吉本式モッサイ友情やない。何ゾ世話に なっても知らん顔をする。誰かに「実はこうやったで」言われ てから「アイツらしいな、アハハ」でおわり(このセリフは、 タカじんの本でも正確に伝えとる)。アルバイト代が払えんで 「車を一台あげるよ。それで勘弁してよ」と、ボクがタカじん に言うた? ざこば、イヤサ師匠、代わりにキレテくれ! ざこば ワシがキレテどないするんや。そらま、腹も立つやろ。アイツ も古い話やから、勘違いしよったんやで。 阿波 「勘違いでした、スンマヘン」でシンブンキシャ勤まるか! ざこば しゃーから、芸人なっとるがな。 阿波 芸人なら済むんか! 親子二代で「ドーモスイマセン」か! ざこば わかった、気持はわかる。アルバイトは頼んどらん、しゃーか らアルバイト代は払わんでもええのや。 阿波 ところがドッコイ、払わんでもええアルバイト代を、キッチリ 払うとる。 ざこば そやそや、中古車で払うたったな。 阿波 バカモン! 誰が車で払うか。 ざこば どっちやねん? バカモンとは何事や! 阿波 オチツケ、師匠。バカモンはタカじんのこっちゃ。車は理由も なしに呉れてやったんだ。これを業界用語で“酔狂”という。 ざこば わかった、アルバイト代は現金で払うた、そやな。 阿波 現金ではない、滋賀銀行九条支店の小切手で払うた。 ざこば ほう、ワシもむかし小切手でギャラもろうたことがある。 阿波 ギャラやない、アルバイト代でもない。業界用語で“駄賃”と いう。つまり半人前の使い走りをねぎらって「ゴクロハン」、 あんまり役に立たなんだけど「早う一人前になりぃや」いうて 励ます《一本刀土俵入り》駒形茂兵衛の第一幕、知ってるか。 ざこば 知らいでか、セリフは《月の法善寺横丁》やけど。 阿波 万感こもっとるからな。ついでに言うが、タカじんは半人前と しても、一緒にきてくれたチーフは一人前や。こっちは男気で 来てくれたにちがいない。額面はタカじんの三倍以上にした。 参考のために補足する、例のスバル360の数倍の金額や。 ざこば ひょっとすると、相当ポンコツやな。 阿波 これは“粋”の頂点に属する。たとえば「刑事コロンボ」では ヨメはんもポンコツに乗っている、ケネディ大統領の末弟も、 さっそうとポンコツで上院議会に向う。ボクがポンコツを買い 与えたのは、彼らに先立つこと数年。 ざこば なるほど、ちょっと落ち着いたか。タカじんも感謝せえよ。 阿波 だいたいやな、ボクが喫茶店をはじめるにあたって、何の方針 もなかったと思うか? 数件の老舗をたずねて、経営の秘訣を 教わって決意したんだ。先達が口をそろえて言うに「ここだけ の話やけど、コーヒーが旨いかどうか客にわかるわけがない。 不味くても、カワイコちゃんが運んでくれば、また客が来る」 コレ一本たしかにそうや。ほなら先達の老舗に、なぜカワイコ ちゃんが居らんのか。老舗ももとはカワイコちゃんが居った。 いまでも開店当時のカワイコちゃんは居る、呼んでみたろか? 「バアサン!」「ハイ、ハイ」奥で返事がするやろ。カワイコ ちゃんの一人が居残って、ほかのカワイコちゃんを追い出す。 したがって店が老舗になるころには客は来ない。コーヒーだけ が旨くなる。♪「店がふ〜る、お客は来ない」 ざこば ベッピンのねえちゃんが居らな客は来ん。ワシかて行かん。 阿波 そやから、当時ベッピン集めたがな。八十件の問い合わせで、 四十人に面接した。そして五人を選んだ。女子大生、OLから 人妻まで、えりすぐりの美女五人やで。カンタンや、時間給を 二割増しで広告だしたらこの結果や。 ざこば ワーッと来たか? 阿波 ワーッと来た。カワイコちゃんがワーッと来た、客は来ない。 ざこば ナンデカ? 阿波 さいな、そこや。ボクもつい最近までナンデカわからなんだ。 タカじんの本を立ち読みして、突如はじめて原因がわかった! ざこば アノ本でも参考になるか。 阿波 店内に美女五人、バリバリのピチピチや。客は表からのぞいて 入りとうてしゃぁない。通りすがりの若者なら、匂いだけでも 寄ってくる。ドアの前に立つ、そこでギョッとする。メガネに エプロンにギター抱えた薄汚い男が、こっち向いてにらんどる やないか。もう一人の男は腕組みして天井にらんどる。これで 入ってくる青年は、将来有望な大物にちがいない。若き日の、 有望なる落語家・桂朝丸でも、スゴスゴ帰るのが当然や。 ざこば タカじん、アイツなりに張り切っとったんやで。 阿波 夜の店ならゴマカシも利く、客も素面やないからな。こっちは まじめな青年ロードーシャ諸君の店や。工場づとめの昼休みに 怪しげな二人組の用心棒のいる店で、問題おこしたらクビや。 二十数年間、ボクはこのことに思いいたらなんだ。 ざこば アノ本では、アンタが楽器鳴らすさかい、客が来んみたいや。 阿波 バカモン! タカじんのこっちゃ。ボクは、たしかにチェロと いう高級な楽器を弾くことができる。しかし自分の店で営業中 に弾くなんぞ、あり得ない。これは“野暮”や“気障”を通り 越した“不粋”であって、死んだほうがマシだ。たとえば先の ギャラ問題なら、彼を頼んだ上で払えない場合には、ボクなら 平気で踏みたおす。それを彼はこう描写している。店の裏手に 呼んで「悪いねえ給料払えなくて(略)勘弁してよ」などと、 バカモン!タカじんのこっちゃ。俺は生涯を通じて、女言葉で しゃべった記憶もない。俺の店には、上手と下手があったが、 裏手も裏口もない。俺の“男の美学”によれば、他人の借金を とがめるヤツは風上に置かない。ありもしない話をするヤツは 黙殺する。しかしながら、タカじんのウソッパチは許せない。 善意にもとずいた誤解、すなわちボクはタカじんが善意のもと にボクのことを書き記したと信じて疑わない。善意のバカモン ほど始末におえんのだ、まったく。ブン殴ってやりたい。 ざこば タカじんに、どうせぇいうんや。 阿波 ヤツが真実に目覚め、涙を流しながら心の中で謝罪すべきだ。 ボクに謝ることはない。つぎのように、ひとりで歌ってみろ。 ♪ not in a shy-way, Oh No, Oh No not me, I did it my way. ざこば 英語の歌やな、なんのこっちゃわからんけど。 阿波 シナトラの絶唱《マイ・ウェイ》の一節だ。この歌もそうだ、 人前で歌えば“不粋”きわまりない名曲なのだ。シナトラ以外 の男が、これを人前で歌うことは法律で禁じるべきだ。 ざこば タカじんも歌うとったような気がするで。 阿波 バカモン! タカじんのこっちゃ。ボクは、たしかにチェロで 《イェスタディ》も弾いたことがある。それはタカじんの店で タカじんを引き立てるため、彼のために伴奏したことがある。 客の居らん自分の喫茶店で、毎日午後三時にあらわれて弾く? そんなカッコ悪いことするか(昨日の売り上げを忘れるために 夜中ひとりで弾いたかもしれんケド)誰にも聴かせなんだゾ。 タカじんの店で独奏したのは、バッハの《無伴奏チェロ組曲》 の断片だ。あの店は、わけあって客筋がよすぎる。タカじんの 下手な歌とギターだけでは悪酔いして、マスターの品位にも傷 がつくのではないか。そこで楽器を預けておいた。ここいう時 さりげなくチェロをとりよせ、悠然と弾きはじめる。どや格調 たかいやろ。 ざこば それて、クラシックかいな。 阿波 さようでござる。一度は歌ったこともある。桂ざこばでも知っ ている《瀬戸の花嫁》でござる。これなど、タカじんの結婚後 まもなく「店内のど自慢大会」開催にあたって、審査委員長と して手本を示しながら、またタカじんの花嫁への応援歌として 聴かせたものだ。もうひとりの花嫁はマスターの妻・良子ママ だった。当時マイクを恐れていた客たちは、はじめて棒を手に した猿のように、たがいに奪い合うようになった。その数年後 カラオケ・ブームに火を点けたのは、ボクの責任でもある。 ざこば アンタは、懐かしい話して気分ええやろけど、ワシャ帰るで。 阿波 もうひとつだけ、言い残したことがある。ざこば師匠に、ぜひ キレテもらいたいのだ。かならずや師匠もキレル! ざこば ほなら、これ最後やで。言うてみ。 阿波 ようしらんが「やしきたかじんファンクラブ」があるとせい、 一人前の紳士としてのファン・ゼロ号がボクとすれば、佐々木 オーナーはファン第一号ちゃうか。はじめて「ジンちゃん」と 呼んでくれた良子ママこそはゴッド・マザー、のちの中年女性 ファン代表、イヤ待て象徴か“名誉総裁”やないか。赤十字の 名誉総裁、知っとるか? 畏れおおくも美智子皇后であらせら れるぞ、タカじん聞いとるか、控えろ頭が高い。その名誉総裁 夫妻に対して、なんと最初のコンサート以来十数年もの間に、 いっぺんもキップを届けとらんそうやないか。しかもマスター に再会した時、なんとかならんか言われて、しぶしぶ手配した ちゅうやないか。コラ、聞いとるか! ざこば テレビやないんやから、聞いとるかいな。 阿波 ウルサイ、俺はもうキレそうになっとるぞ、なぁザコバ。 ざこば そらまあ、むかし世話になった人は、大事にせないかん。 阿波 おまけに夫妻が花束もって楽屋にあらわれたちゅうやないか。 ええかげんにせえよ、アベコベやないか。お前が花束もって、 ステージ降りてあいさつせいで何しとるねん。なにがチケット じゃ、ケチケチしやがって。ケチットちゃうぞ。名誉総裁夫妻 がチケットなかったら入れんのか、皇后陛下キップ買うんか。 お前のコンサートにロイヤル・ボックス無いやろ、ロイヤル・ シートも無いんか? ほんなら毎回チケット送らんかい、なめ たらあかんぞ! さぁザコバ。言うたれ、キレたれ。 ざこば よっしゃ「チケット出さんかい」 阿波 そや、もっと言うたれ。しぶしぶ出すな、それいけ。 ざこば 「あとから出して、どないすんねん」 〜(収録年月日不詳・放映年月日未定) ──────────────────────────────── 〜 底本=やしきたかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 KK ベストセラーズ》 良子ママの回想「最後に片方のドアが無くなっても、そのまま走って たのよ。よっぽど気に入ってたのね」(Tel'19990908)
1996年06月06日(木) |
くたばれ!たかじん(1) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960606 徹子の部屋:あの人はいずこ・シリーズ(録画) 司会;黒柳 徹子 出演;桂 ざこば ゲスト;阿波 雅敏 徹子 きょうはホントにありがとうございます。やしきたかじんさん を知るお二人の方に来ていただきまして、たかじんさんのお話 をたっぷり聞かせていただこうと存じております。視聴者の中 でお若い方々にはご存じない方もいっぱいいらっしゃるんだと 思いますけれど、関西を代表するシンガーソング・ライター、 のお一人でして、すばらしいCD・アルバムをたくさん残して おられます上、テレビのトーク番組でも型破りのとんでもない ご発言などで、ほとんどの方が吉本喜劇のお笑いタレントだと ばかり信じてらっしゃるくらい。でもほんとは歌手なんですよ って、この番組にお出になるたびにおっしゃってたんですけれ ど、お話が面白くって、結局歌っていただく時間がなくなって ギター抱えてなんにも弾かないで、また持って帰っちゃうって いう方だったんですよね。アノ、桂ざこば師匠は上方落語界の 重鎮でいらっしゃいまして、よく御存知の方はよく御存知だと 思うんですけど、そしてヤシキ・タカジンさんとはとてもお仲 がよろしくて一緒に番組にお出になってましたですね。そして もうお一方は、若き日のタカジンさんを知る数少ないご友人、 あるいは年齢的には先輩にあたるっていうか、下積みの時代を よく御存知でいらっしゃるそうでございます、阿波さん。今日 はお忙しくはないにしても、はるばるご遠方からお越しいただ いてありがとうございました。 どちらの方からお伺いしようか迷ったんですけれども、さきに タカジンさんとお知り合いになられたのは、やはり阿波さんで したでしょうかしらね。 阿波 彼が大学生のころね。 徹子 アノ有名な、スナックでの皿洗いの時代ですね。 阿波 たぶん、皿を洗う前日に会ってますな。 徹子 アラマ、前日ですって? 阿波 皿洗いは彼にとっては二次的な仕事で、本来ギターの弾き語り として雇われたんです。プロダクションの社長に連れられて、 スナックのオーナーに面接する。それに立ち会う予定だった。 徹子 そのスナックの経営者と阿波さんが、もともとお友達だったん ですって? 阿波 中学高校以来のね。そして名義上だが、彼のプロダクションの 取締役でもあった。設立発起人だったかな? 徹子 まぁ、それじゃ双方のお知り合いだったの。だったらスムーズ にことが運ぶわね。 阿波 ただし、プロダクションの社長ってのは、よく知らない男で、 オーディションとまでいかなくても、何人か連れていくんだろ うと思ってたら、前々日に決まりましたっていう。おいおい、 決めるのは向こうじゃないかっていうと、これが業界の慣例だ という。まるで芸者の不見転じゃないか。もし断わられたら別 のを連れていくんだろ、なら最初から数人、せめて二人連れて いくのが普通だろ。これを社長はフンと笑って取りあわない。 徹子 不見転っていうのは、ワタシよくわかりませんけど。たとえば 一日で終わる仕事じゃなくて、何か月もの契約でしょ。この人 ですったって、アアそうですかってずうっと居るわけ? 阿波 いまだによくわからない。心配だから、すくなくとも面接に立 ち会うことにした。ところが当日、改装工事中のスナックに、 オーナーもマネージャーも来ない。オーナーに電話すると「誰 でもいいよ」などという。 徹子 お店の方が誰もこないから代わりに阿波さんが面接した、でも 断われないんじゃ、面接にならないじゃない。 阿波 そう。だから、あんまりひどくてオーナーが断わりにくい場合 僕にも責任が生じる。後々にね。だから立ち会って、あんまり ならその場で断固ことわる、本人だって傷つくだろう、後から いろんな理由をつけてからじゃ。 徹子 ワタシもそう思うけど、それが業界の常識? ざこば ほかに居らなんだんちゃう? たかじん以外に。 徹子 アラそうなの。師匠ごめんなさいね、阿波さんとばっかり話し ちゃって。でもちょっと待って、とにかく採用は決まったの? 阿波 プロダクションの社長と取締役と、タレントの三人が、店の前 の路上で相談するわけだからね。決まるのは当然だ。 徹子 おかしいわね。でも阿波さんもタカジンさんを見て、彼ならば いいと思ったのね。 阿波 困ったことになったと思った。断固ことわるほどではないが、 黒縁のメガネに学生服、ニコリともしない奴がヌーッと立って いる。誰が彼をギターの弾き語りだと認識できるか。オーナー はいいとしても、マネージャーはどう言うか。 徹子 なんて言ったの。 阿波 次の日にマネージャーが飛んできて「うちは、こういうタイプ やないとあきまへん」といって尾崎紀世彦《また逢う日まで》 のジャケットを見せた。 ざこば 素人でもわかるがな、ムリや。 阿波 なにしろオープンの日も迫っている。しばらく使ってるうちに 出物があるかもしれん、となだめた。 ざこば ほんまに「あきまへん」いうたんかいな。 徹子 ざこばさんは、開店のときからのお客様だったの。 ざこば いやいや、わしはずっと後で、その店は知りまへん。 阿波 ざこばはん、実はそのころ店にきてるんや。 ざこば 知らんちゅうてんのに。まだ真打ちにもなっとらんし。 阿波 それが店にきてるんや。ただしドアからのぞいただけで帰って しもた。 ざこば けったいなこというなぁ、知らんで。 阿波 朝丸時代に、南座に出たことありまっしゃろ。 ざこば そらま、ないことはないけど。 阿波 南座からまっすぐ家に帰りましたか。 ざこば あんた、けったいやなぁ。タカジンの知り合いてみんな変っと るんか。酒の一杯や二杯、店の一軒や二軒、寄らいでか。 阿波 私が、トイレから席に戻る時に、ドアからのぞいてる男がいた んや。一目でチョーマルや思うた。 ざこば その、のぞいてたんがワシかいな。へぇ、そんなことしたか。 ほいで入らなんだやろ。 阿波 三つ揃いの背広で、目が小さかった。 ざこば ほんまかいな。南座の前の電車道わたって、真向かいの店か。 阿波 一杯飲み屋はあったけど、当時ハイカラなつくりの店は、一軒 だけや。それがホリデーバーガーや。中でタカジンが皿を洗う か、ギター弾いとった。ボクはまあ常連客やった。 ざこば アノほなら、ちっちゃい店ちゃうか。中見えんように仕切りの ある。一軒だけか? 阿波 そや、「朝丸、一杯飲ましたろか?」いうたら入ってきたか? ざこば 「おおけに」そやけど、あんたエラソウにいう人やな。 阿波 機嫌のええ証拠や。その日は機嫌わるかったのか、フトコロが きつかったか「やめとこ」思うて、にらみつけたら、スゴスゴ 帰っていったがな。芸人がのぞくたんびに一杯飲ましてたら、 なんぼツケでももたん。 ざこば あんた若いくせに、ちょくちょく芸人におごってたんか。 阿波 メンセツに合格したらな。このとき師匠とタカジンが出会うて たら、両人の運命やいかに。 ざこば そうかなあ、ワシは一応落語で、あんたみたいな物好きに声を かけられたかもしれんけど、タカジンはまだ売れるもなにも。 阿波 この話にはつづきがある。その前か後か忘れたけど、こんどは 南座に出たべっぴんの女優が、この店に入ってきたんや。誰ぞ 待ち合わせてたか、ふられるんやね。 ざこば そらまあ、気になるわな。なんちゅう女優やて? 阿波 名前も忘れてしもた。イニシアルI.P(泉ピン子)クラスや ない、もっとべっぴんや。 ざこば そらそやろ、けったくそわるい。 阿波 素顔やったから、劇場中継みてもどの娘かいまだにわからん。 すぐに声かけんし酒もすすめん、誰ぞ出てきたらスカみたいな もんや。他の客がちょいちょい小当りするけど、その娘ケロっ としとる。タカジンまで皿洗わんと隣に座りこんでチョッカイ 出しよる。あつかましいことに、ボクのウィスキー勝手に彼女 に注いどるんや。ただし黒縁のメガネにエプロン姿の皿洗い風 情では、彼女もサマにならん。そこで、青年実業家ふうのボク が、おもむろに声かけるわけや。 ざこば ははぁ、いよいよきたな。 徹子 アノ、お話し中おそれいりますけど。 ざこば アレ、まだ録画中やったんかいな。 徹子 いいのよ、あんまりバカバカしいからディレクター帰っちゃっ たのよ。いやんなっちゃうわね、最近のゲストって話がくどい ばっかしだから。TBSの「シャベタリーノ」じゃないのよ。 いいわね、最初の五分だけ残して、あとはスクラップよ。 ざこば ギャラはどないなんの、最近ワテも呼吸がわからんようになっ てもた。帰りの新幹線くれるやろな、なあテッコさん。 徹子 知らないワヨ。もうイヤ! オツカレサマ! 阿波 なに怒っとるの、彼女。 ざこば 最近な「徹子の部屋」いうても追悼番組ばっかりつづくやろ、 こんなん誰が見るんやろか。 阿波 ボクは彼女にささやいた。 ざこば まだつづくんかいな、録画おわっとるんやで。 阿波 「待ち人きたらずか?」 ざこば 「ハイハイ」 阿波 「河岸かえて、パッーとやるか」 ざこば 「オオケニ、ウレシイワ」 阿波 するとタカジンが割り込んで邪魔しよる。 ざこば まだ居るんかいな、アイツ。 阿波 「最初のセリフ、なんちゅうの」 ざこば セリフあらへんのとちゃうか 阿波 彼女は『ヨシヨシ』と答えた。 ざこば なんじゃそれ、老け役かいな。 阿波 タカジンが「前どこに居ったん?」と尋ねる。 ざこば ホステスやないんやで。 阿波 彼女「タカラヅカ」 ざこば ほぅ。 阿波 ボクはタカジンに言うたった。「お前むこうで皿洗うてこい」 ざこば ほんまほんま、アッチャ行け。 阿波 しかしタカジンの顔も立ててやる、ここが通人のええとこや。 ざこば さよか、ほんで? 阿波 「その前にギタ−もって歌え、店がすんだら呼んだるさかい」 ざこば なんでやな。 阿波 タカジンがギターもって歌い出す。 ざこば なるほど、ムード作らす。 阿波 その歌がヘタ、ギターもあやしい。 ざこば ムリないわな、まだ一人前やないさかい。 阿波 「ほな、行こか」このタイミングやね、通は。 ざこば とうとう引っ張り出したな。さぁ、どうする。 阿波 「どっか行きたい店あるか」と聞く。 ざこば さっさと連れていかんかい、しんきくさい。 阿波 ここで彼女が「どこでもええわ」言うたら、ジ・エンド。 ざこば 言うたか? 阿波 「ナントカ食堂に寄りたい」言うた。 ざこば 高級レストランちゃうんか。 阿波 なに食べたか忘れた、役者仲間が入ってきて彼女に声かけた。 「オマエ、さっき腹具合わるいいうとったのに、飲んどるヤ」 彼女こたえて「もう治った」 ざこば そいつら、その役者仲間にも飲ましたんか。 阿波 そこまでせん、ようやく彼女と話がはずみだす。 ざこば ナントカ食堂で? 阿波 これも粋なもんや。彼女は「ワタシ北大路欣也が好きやねん」 と言う。「あれは痔やで」「もう治った」 ざこば なにをいうてんのや、ふたりとも。 阿波 「佐野周二もジやった」「ホンマニ?」「ヒサヤ大黒堂の宣伝 しとった。松竹三羽烏テ知ってるか」「シラン」「鶴田浩二が アヤシイ」「フーン」「あとのふたり、佐田啓二と高橋貞二は ジコで死んだ」 ざこば ウソツケ! つぎは石坂浩二か。 阿波 彼女はボクに聞いた「お仕事ナニ?」「どろぼうや」「今日は お休み?」「まぁな、キミ今晩どこにかえるんや?」 ざこば そやそや、その手や、いくで。 阿波 「トモダチの家」「ボクが送ったる。二三軒寄るか」「ウン」 ざこば ハナシが進まんがな、しんきくさいなぁ。ワシ今日は黒柳徹子 と対談にきたんや、アンタの話聞きにきたんちゃうで。 阿波 こっからが本筋や、ボクはこの話するまで帰らんぞ。 ざこば テッコさーん、クロヤナギさーん、キップたのむでー。 阿波 つぎの店で、こんどは普通の店や。タカジンに電話して場所を 教えとく、ギターだけは持ってくるな。 ざこば そないに下手やったか。 阿波 紹介者としてヒシヒシ責任を感じる。ほかの客に申し訳ない。 そもそも「たかジン!」と最初に呼びすてたのはボクだ。それ まで仲間内も本人も「やしきたかじん」と読み下しておった。 ボクが「たかジン!」と呼びすてるたびにPEPの社長が顔を シカメていたのを思い出す。 ざこば ほな「ジンちゃん」いうたのは誰や。 阿波 アイツの本を立ち読みしたら、ホリデーバーガーのマスターが 最初だと書いておる、まったく根拠のないデタラメだ。なにが 《たかじん胸いっぱい》か、ウソいっぱいや! ケシカラン。 会うたら、どついたろか。ざこばはん、あんたもキレテくれ。 ざこば ワシ、そんなことではキレんけどな。 阿波 ヤツが新聞記者になってたまるか。会うたら「勘違いでした、 スンマヘン」ですむと思うとるやろが、新聞記者がスンマヘン いうような新聞だれが読むもんか。TBSでもクビにするぞ。 「ジンちゃん」と最初に呼んだのは断じて男ではない。佐々木 はすぐれて美男だが、女言葉は使わない。たぶんボクにならっ て「たかジン」と呼んでいたはずだ。すると彼のヨメはん、す なわち良子ママであると推測される。それにならってホステス (一人しか居らなんだが)、そして女客(おおくは客を連れて きた芸者や舞妓)。ヤツの本は“半玉”と注釈しているが京都 に半玉は居らん。関東の半玉は玉代が半分だったから、こう呼 ぶが、京都の舞妓は一人前の花代がかかる(なにがシンブンキ シャやねん、知ったかぶりしやがって)。彼女らが「ジンちゃ ん」と呼ぶのはマスターやママの手前だけ、ひいてはマスター の母であり歴史的名妓だった末子おかあはんに気がねしていた からナノダ。初期においては、本人も認めるように「メガネ」 だったのだ。ところが日本男性の二割がメガネをかけており、 あるいは業界における三大禁句「ハゲ・デブ・チビ」に準じる ため自粛されたにちがいない。当時ボクは「スダレ」なる新語 を発明したが、あまり普及しなかった。のちに「バーコード」 として復活したらしいが、このテーマは別の機会に論じる。 ざこば 別にロンじるほどのもんやないが。ホナ、なにかいなホステス は一人しか居らなんだのか、あの店に。 阿波 そや、そのホステス、この話の結末に意外な役で再登場する。 ざこば ふーん、なんぞあったな。 阿波 どや、ざこばのラクゴより旨いやろ? ざこば アホか、はよ言うてみい。 阿波 電話してすぐに、たかじん一行が来よった。ドヤドヤーッと。 ざこば 店のもん、そないぎょうさん居るわけないが。 阿波 オーナー、ママ、ホステス、マネージャー、チーフ、あわせて 六人。こうなると、ボク一人では勘定がもたん。気を利かせて 早じまいして、居残った客まで連れてきよった。 ざこば どこに気ィ利かせとんね、最後の客も災難や。 阿波 ここまでで九人、つぎの店で二人増える。 ざこば そういうこともあるわな。ほんで、女優はどないしたんや。 阿波 みんな、もうバラバラにしゃべっとる。マネージャーの彼女か ヨメはんまで、いつのまにか増えとる。さすがのボクも計算が 混乱したが。それでもクダンの女優との約束がある。 ざこば さいな、男の意地や。 阿波 明け方の町筋を、タクシーが彼女のトモダチの家の前に向う。 ざこば もうちょっとや、青年ジツギョ−カ、イケーッ。 阿波 「そこ曲がって、そこ止めて」ハイ、それまでよ。 ざこば ええかげんにせいや、オチにもならんがな。ワシも帰るで。 阿波 もうちょっとで終わる。数日後、タカじんがボクの席にきて、 先夜の礼言うどころか「ボク今度ケッコンします」「そうか、 よかったな。相手が居ったんか」「ほんなもん、いつでも居り ますワ」「誰でもええけど、いつや」「あさってですワ」「そ うか、えらい急やな」「それで結婚式やけど着ていくもんがな い」「エプロンであかんか」「相手はトモダチに衣装借りるん ですワ」「お前セビロくらいないんか」「ない、ネクタイ窮屈 やから」「着たことあるか」「そんなもん、ありますワ」「わ かった、これやるわ」ボクは偶然その夜、着ておった黒のダブ ルをパッと脱いだ。「ちょっと着てみろ」「チイサイけど着れ ることは着れる」「ぜいたく言うな、袖が足らんナ。今晩ヨメ ハンにいうて引っ張り出してもらえ、それくらい、どんな女で もできるやろ」「大阪の女やさかい、何でもしよる」「他の女 に頼むなよ、ヨメはんか、そのトモダチまでや、わかったな」 「ネクタイ、どないしょ?」「マスターに貰え、花婿用を二本 もっとるはずや、一本は失くしたかもしれんが」 ざこば ええとこあるがな、服やってもたか。それが前のヨメハンか。 阿波 ボクの想像やが、先夜のドサクサにまぎれて、彼女を押し倒し よったんやないか。「好きやねん、ケッコンしよう」とかデマ カセ言うたんやろ。相手が誰か聞かなんだのは、ピンときたか らや。これが粋人や、俺は、タニマチでもファンでもないから チップはやらん。アイツの下手な歌とギターに責任を感じてる だけや。客に申し訳ないと思うが代わりがない。何とかゴマカ シながら、店の邪魔にならんことを祈る日々やった。 (つづく) ────────────────────────────────
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605 久闊を叙して、延々語るのは(聞くほうも)たいへんだ。 七人の旧知にあてて手紙を書きあげたが、画竜点睛を欠くような気が する、誰かが漏れているらしい。 たとえば生涯最後の書簡を投じるとき、最高傑作の小噺でしめくくり たいものだ。しかし、世人はこれを待たず「なんでもいいから」と催促 する。とりあえず喋ってみると、君の結婚披露宴での(僕の)スピーチ が証明したように、面白いわけがない。 手紙の途中で、佐々木敏男に電話したところ、ちょっと愉快な話を聞 いたので、今回これで間に合わせよう。 インドで彼は、ミスターGMと商談していた。腹が空いたので、久し ぶりにスキヤキを食べることにした。ひそかに牛肉・ネギを調達したが 醤油がない。そこで彼は日本領事館に電話をかける。「そんなものはゴ ザイマセン」と参事官が答えても、彼はあきらめない。「ミスターGM ほかVIPが重要会議をしているのだ。今すぐロールスロイス(?)で 押しかけるから、かならず手配せよ」しぶしぶ、参事官が醤油をもって あらわれた。後日電話で礼をいう「世話になった。キミが帰国した折は 食事に招待しよう」参事官が答えていわく「それより、ナニトゾ醤油を お返しください」 このハナシは(素材として)どことなく滑稽だ。いつか、ヒンドゥ・ イスラム文化圏のオリジナル小噺集《イランの馬鹿》をまとめたいが、 あんまり面白いと暗殺されるかもしれん。 二十五年ぶりに君の声を聞いて、さまざまの感慨があるが、脈絡なく 書き連ねてみよう(ただし重要なテーマは何ひとつない)。 学者が多いわけではない、大学教授が増えたのだ。しかしなぜ彼らは TVコマーシャルに出たがり、なぜ馬鹿のふりをするのだろう。そんな 必要はないのだ(顔をみれば誰にもわかる)。 君の《北条政子はB型だった》を観たころ、僕は《中学生諸君!》の タイトルで一種の教材ポスターをデザインしていた。身過世過の作品で はあるが、教科書を点検して総重量におどろく。現代日本の義務教育は 人類史上空前の水準にあるにちがいない。 しかし検索してみると、骨子となる情報量はさほどでもない。英単語 は約千語、数学も方程式とグラフを統合すれば十数種である。理科など 元素周期表だけで十分ではないか。国語も、英文法と歴史年表に分離・ 対照してみると、すべてが新聞紙一頁大におさまった。 進学校の期末試験を視察すると、生徒たちの表情は“考える顔”では なく“思いだす顔つき”だった。ナンダこいつら? 人は、考えこむときにすぐれて見える。ゴリラも、なぜか集団で虫の 動きを(考えぶかげに)見入ることがある。TV将棋では、米長邦雄の 表情が傑出している。難局に入るや米長はみるみる老化しはじめ、数分 で十歳も老けこむかにみえる。終局つまり勝敗が決した瞬間、たちまち 米長はもとの年齢にもどる。ついさっきまでの彼は、霊長類の系統発生 をたどっていたにちがいない。最盛期の仇名はオランウータンである。 ためしに僕も将棋を学んでみたが、十年かけて初段にとどかない希少 例を立証したにすぎない。たとえば、言語学では失語症患者を観察する という。しからば色彩学では色盲を、音楽は難聴を分析すべきだろう。 教育学では、中学時代の優等生が高校時代に落第したケース・スタディ など、もっと尊重すべきではないか。 本人の推測では、数学は《零の発見》以後、科学はルネサンス以後が 高校段階らしい。逆に数世紀前の英語も、語学の法則は古代以前にある のではないか。中学時代、系統発生を無視してバラバラに教わったため ではないか。さらに僕は推理する、かりに妥当な順序でも、歴史的空白 までは配慮されていない。ローマ文明には中世の“長い休息”があった にもかかわらず、われわれには三月から四月までの寸暇しかなかった。 それですぐルネサンスとは非道いじゃないか。 とくにメンデレーエフ《元素周期律表》との遭遇は、中学時代の記憶 がなく、失意と感動のうちに《中学生諸君!》を完成した。 しかしまだ“仙人”には達しない、俗世間もゆるさない。 僕は最期の“国民学校一年生”である。たしかな考証ではないが当時 の席順はイロハ順だった。戦後二、三年生で生年月日順となり、同志社 ではABC順だった。美術学校では五十音なので「遅刻がおおいのは、 最初に呼ばれるからだ」と強弁した。すると二年目なぜか最終二十九番 目に変えられたが、すぐに中退している。 フランスの電話帳は、名前順のほかに所在地順もあるという。実は、 十年前(今から廿年前)ささやかれていたのは、コンピューターならば 「瞬時にして五十音索引ができる」という噂である。ソートと呼ばれる 基本機能だが、当時は夢みるだけだった。 従来の人名録を“誕生日順”に並べかえたら、どんな序列になるか、 やりたくてしょうがない。数千枚のカードを蓄積しながら、スポンサー を捜したが、「そんなもの何になるのか」と不思議そうな顔をされる。 つなぎに、地名順のデータブックを数種作るうち、ドサクサまぎれに 売り込んだ《誕生366》が誕生した。ついに数百万のワープロ導入、 パブリシティも成功して、十万部で三千通の手紙を受け取った。ただし ノベルティから出版への壁は厚く、みずから苦節十年に終止符を打つ。 初期パソコン・ワープロの欠陥に泣きながら(今でも不満があるが) ともかく夢の実験を果したのだ。いまなお書店で見かけるニセモノ出没 は、むしろ冥利である。 並べ換えて、珍らしがる時代はすぐに終わるだろう。当分は、新しい 革袋にむらがって、みんなが古い酒を酌み交わすだろう。新しい酒は、 たぶん僕の生存中は開発されないにちがいない。革袋に驚いている連中 が、あらたな流体を空想できるわけがないのだ。コロンブスもアメリカ 諸島をインド大陸だと信じて死んだ(この発想転換に数年かかった)。 それ自身に価値あるものはなにか。残された生涯日数は一万日未満、 ひとり仙人宣言をして、アルコールを絶つ。(カッコよすぎるかな?) 仙人は、何故カスミで生きられるか。教えると日本の経済システムが 崩壊するので、ヒントも示さない。友人諸君がことごとく引退し、年金 生活に入れば教えるが、そのころには、たぶん役に立たないだろう。 ついでに、君の専門分野にも関する疑問がある(公式回答をもとめる わけではない、僕の手紙はつねに返信無用なのだ)。 つまり“知的所有権”は、ほんとうは存在しないのではないか。 むかし調べ物があって、NHK名画劇場《哀愁》の放映ビデオが必要 になった。ムダを承知で、皆様の「サービス・センター」とやらに電話 したところ、手に入らない理由を諄々と諭してくれた、感謝すべきか。 できない事情を知れば、俗人は本当に納得するのか(この件は、NHK 出身の映画評論家・田山力哉氏に連絡して、やすやすと入手できた)。 話がこんがらがるが、“九九”なども江戸時代までは指南料をとって いたという。漱石の遺族も、没後五十年以上の権利を永続させるために 著者名を“商標登録”できぬか検討したという。“サザエさん”の先駆 である。いまごろは“編集著作権”などといいはじめ、寄せ集めの資料 に別人が、あらたな権利を付加する。 僕自身は、自作のニセモノを見れば冥利だと思う(仙人だからか)。 剽窃・踏襲されないデザインなど、ロクなものがないはずだ。俗人が、 ヘア・ヌードなど論じる余地がないものを論じるのは何故か(仙人は、 論じないが疑問を述べ、叱らないが、ときどき文句をいう)。 おしまいに、君に感謝したい。君が京都放送局のペーペー時代、僕に 写真の仕事を与えてくれたことだ。いいかげんなカメラマンだったが、 ほんとうに痛快な経験だった。あのころ君がベトナムへ行けといえば、 喜んで弾丸の中に飛び込んだにちがいない。 だが、いまや京都放送局のトップになったからには、断じていうこと を利かんぞ、なぜなら僕も、すでに仙人なのだ! 他に会いたい友人のひとりは、文芸部の中西宏君だ。彼がスーパー・ マーケットごときに専従したのは、惜しまれてならない。人類史の損失 ではないか。ローマの哲人セネカは、しばしば友人に引退をすすめた。 みずからも隠棲を図ったが、おくれて切腹した(早くセネカ!)。 いつの日か、老いたる秀才たちとなら、青春を談じたいものだ。 老兵たちは死なず“ We shall return !” Let'19960605 ──────────────────────────────── →《虚々日々》ポール先生、さようなら 〜 Retire 〜 →《与太郎文庫》2001年09月20日(木) 悪友四重奏 →《与太郎文庫》2003年07月14日(木) 悪友退場
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