与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
1991年07月23日(火) |
Islam 14120111/Iran 13700501 |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910723 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from our pictures;Islam 14120111 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20090810)
1991年07月13日(土) |
Islam 14120101/Iran 13700422 |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910713 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from our pictures;Islam 14120101 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20090810)
1991年07月01日(月) |
何のために生きるか 〜 聖子の場合 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910701 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html ── 人は何のために生きるか? ということを私はいつも考えている。 私は人生を楽しむために生きるのだ、と思っている。(略) モーリヤックは若いころ、ブリュッセルのミュージックホールで、 コレットを見た。コレットは美しい小説を書いてすでに一部にはみとめ られた女流作家だったが、まだ文筆では食べてゆけず、ミュージックホ ールやパントマイムの踊り子をしていたのだった。コレットは美しく若 くて、しなやかな体をしていた。しかし、その中身は、もっと美しく、 けだかい価値があるのだった。 けれどもミュージックホールの観客は、彼女の中身については誰一人、 その値打を知らず、野次や笑い声でむくいた。モーリヤックは居たたま れない感じで、彼女に叫びたかった──「ぼくはあなたを知っています、 あなたが誰であるかを知っています」。そしてモーリヤック青年は、 「彼女のあらわな肩に自分の外套を着せかけて、人目につかない場所に 連れて行きたい」と思った。── これはコレット著作集の月報にのっている、中島公子氏の話である。 (略) 林芙美子は珠玉のような、いい小説をたくさん残したすぐれた作家で ある。しかし、個人的には、晩年、ことに批判のマトになった人だった。 (略)彼女の葬儀の日、あちらでもこちらでも、私語されていたことは、 林さんの生前の仕打ちに対する怨みや非難であったという。 それかあらぬか、葬儀委員長の川端康成氏は、告別式の席上で「故人 の生前の不都合はこの際、水に流してやって下さい」という意味の挨拶 をされたそうだ。 ── 田辺 聖子《人は何のために生きるか 〜 私の場合 〜 197308‥ 家庭画報》 ── 田辺 聖子《女が愛に生きるとき 19790515-19910701 講談社文庫》P9-11 from Our Pictures;灘本 唯人(カバー装画)
Mauriac, François 18851011 France 19700901 84 /カトリック作家。 ♀Colette, Sidonie-Gabrielle 18730128 France 19540803 81 /1906離婚1912再婚 ── ラヴェル《子供と魔法 19250321 Paris》初演
── 1906年に浮気なバイセクシャルの夫と離婚し、パリのミュージッ ク・ホールでパントマイムや踊り子として活躍を始める。この頃の愛人 は、ナポレオン3世の血縁者を名乗っていたベルブーフ侯爵夫人ミッシー であり、2人は舞台上で共演することもあった。1912年にル・マタン紙 主筆のアンリ・ド・ジュヴネルと再婚。── (Wikipedia) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051001 田辺家の人々 〜 百歳の母 〜 ── 人と付き合う方法は、まず相手に自分の<かたい面>を見せ、次 に時を見計らって<やわらかい面>を見せるのが上策である。私が敢え てこの一文の表題に「人生は………」とつけたのはその為である。 では一体人生は何のためにあるのか?「人生は味わうためにある」こ れが私の得た答である。 ── 竹内 康《人生は何のために 19641210 点展・第一号》P05 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641210 (20090614)
|