与太郎文庫
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1973年09月21日(金) |
すれちがった人々 〜 美濃部家の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19730921 1952ca‥ 亡父の小噺 近所のおばさんと父の会話。 「わては、ぜんぜん酒はあきまへんのや」 「へぇ、そうどすか」 「なんせ、酒屋の前を通っただけで。顔が赤うなりまんね」 「へぇ、そうどすか」 「いまも、酒屋の前を通ってきたんですわ」 「へぇ、そうどすか」 もとは志ん生のまくらだったらしい。 このあと志ん生は「聞いてた方が、真っ赤になっちゃった」と落す。 与太郎は、冗談の通じない大人もいるんだな、と思った。 195407‥ →《夢の銀貨 〜 父の小噺 〜 20001224 虚々日々》P023 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20001231 1967‥‥ 京阪四条駅プラットホームで、古今亭志ん朝に出会ったが、 声をかける口実がない(お手伝いすることはありませんか?) 1971‥‥ 若い客が古いレコード《志ん生落語全集》数枚を売りに来る。 「二三日メシ食ってないので、いくらでもいいです」という。 「また、買戻しにいらっしゃい」と応じたが、ふたたび現われなかった。 >> 「志ん生・最後のお酒」 映画監督の山本晋也氏が、古今亭志ん生の魅力を語る4回目。志ん生 は、長女の美濃部美津子さんにみとられて生涯を閉じた。亡くなる前日、 それまで水で薄めて飲ませていた酒を生のまま出すと「酒はやっぱりう まいなぁ」と言って寝てしまったのが父親の最後の思い出だと美津子さ んは語る。“落語以外は何にもできない人”を支えた家族の視点から、 名人の在りし日の姿を探る。 ── 《知るを楽しむ・私のこだわり人物伝 20050927(火)22:25〜22:50 NHK教育》 << 古今亭 志ん生 5 落語 18900605 東京 19730921 83 /異説18900628朝SV-? /籍=美濃部 孝蔵/酒と貧乏と借金の人生 金原亭 馬生10 落語 19280105 東京 19820913 54 /籍=/古今亭 志ん生 5の長男(きんげんてい・ばしょう) ♀美濃部 美津子 193.‥‥ 東京 /古今亭 志ん生 5の長女 古今亭 志ん朝 3 落語 19380310 東京 20011001 63 /落語協会副会長 /籍=美濃部 強次/誤=強蔵/志ん生 5の二男、兄は先代の金原亭 馬生。 /1957年に志ん生門下・朝太で前座修業を始め、62年には真打ちに昇進、 志ん朝と改名。寄席ブームの60ー70年代には「若い季節」(NHK)など テレビでも活躍した。座布団に座るだけで独特のおかしさがにじみ出た 父・志ん生とは対照的に、立ち居振る舞いから色気のにじみ出る流麗な 芸風。「愛宕山」「三枚起請」「船徳」「火焔太鼓」などが得意ネタ。 芸術選奨文部科学大臣賞、浅草芸能大賞受賞。誤=長男・二代目。 ♀池波 志乃 女優 19550312 東京都荒川区 /戸板女子学院[A] /籍=中尾 志津子/古今亭 志ん生 5の姪/古今亭 馬生の娘/中尾 彬の妻 中尾 彬 俳優/画家 19420811 千葉県木更津市 /武蔵野美術大学中退[O] /池波 志乃の夫 ── 中尾彬と池波志乃は、夫婦そろって酒道の達人らしい。酔うほど に、キンピラゴボウの煮付味付けがことなるそうだ。 しかし、こういう手のこんだ自慢も、いささか無粋ではなかろうか。 ── 《すれちがった人々 〜 炭屋の主客 〜》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970316 中尾は、与太郎と三つちがいだが、与太郎は2年落第しているので、 武蔵野美大では一年後輩とみられる。また、二年目の六月末に中退して しまったので(そうとうな美少年だったらしいが)まったく記憶にない。 与太郎の学年にも“シスターボーイ”こと丸山明宏もどきが一人居た。 彼は歌まで巧くて、シャンソンの《枯葉》を(余興で)唄ったときは、 かえって座がしらけたのである。 小学校の恩師、金谷先生に「宴会の座興は、巧すぎると座がしらける」 と聞いていたが、数年後、商店会の旅行で、たっぷり小唄を聴かされた ときの経験とあわせ、いまなお同感する。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 作成日: 2005/09/27
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