与太郎文庫
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1971年02月28日(日) |
細菌学史 〜 十三人の狩人たち 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710228
01 レーウェンフック 〜 微生物を追う狩人の最初の人 〜 …………… 5 Leeuwenhoek, Antoni van 16321024 Olanda 17230826 91 /“微生物学の父” 02 スパランツァーニ 〜 微生物には親がなければならぬ! 〜 ……… 40 Spallanzani, Lazzaro 17290110 Italy 17990212 70 / 03 パストゥール 〜 微生物は危険なものだ! 〜 ……………………… 90 Pasteur, Louis 18221227 France 18950928 72 /《自然発生説の検討,1861》 04 ローベルト・コッホ 〜 死との闘士 〜 ……………………………… 166 Koch, Heinrich Hermann Robert 18431211 Duitch19100527 57 /“近代細菌学の開祖” 05 パスツール 〜 彼と狂犬 〜 …………………………………………… 227 「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」“近代細菌学の開祖” 06 ルー&ベーリング 〜 モルモットを殺戮する 〜 …………………… 5 Roux, Pierre-Paul-Emile 18531217 France 19331103 79 / Behring, Emil Adolf von 18540315 Duich 19170331 53 /実業 07 メチニコフ 〜 すばらしい食細胞 〜 ………………………………… 42 Mechnikov, Ilya Ilyich 18450516 Russia Paris 19160716 71 / (Илья Ильич Мечников)「5月15日=明治乳業ヨーグルトの日」 08 セオボールド・スミス 〜 ダニとテキサス熱 〜 …………………… 85 Smith, Theobald 18590731 America 19341210 75 /(セオバルド) 09 ディヴィッド・ブルース 〜 ツェツェバエの追跡 〜 ……………… 112 Bruce, David 18550529 Melbourne England 19311127 76 /睡眠病(Darvid) http://micro.fhw.oka-pu.ac.jp/microbiology/history/rekisi.html#Bruce 10 ロス対グラッシ 〜 マラリア 〜 ……………………………………… 153 Ross, Ronald 18570513 England 19320916 75 / Grassi, Giovanni Battista 1854‥‥ Italy 19250504 71 /(バッチスタ or バチスタ) 11 ウォルター・リード 〜 科学のために、そして人類愛のために 〜 204 Reed, Walter M.D., 18510913 America 19021123 51 /Major of U.S. Army physician 12 パウル・エールリヒ 〜 魔法の弾丸 〜 ……………………………… 242 Ehrlich, Paul 18540314 Duich 19150820 59 / 13 解説………………………………………………………………………… 283 秋元 寿恵夫(壽恵夫)血清医学 19080313 長野 1994‥‥ 86 /波留夫の弟/誤=74 秋元 波留夫 精神神経科医 19060129 長野 20070425 101 /寿恵夫の兄/元東大病院長 http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000305.html 731部隊と医学者たち Kruif, Paul de 18900302 Zeeland, Holland Michigan 19710228 80 /《Microbe hunters 1926》 ── ポール・ド・クライフ/秋元 寿恵夫・訳《微生物の狩人(下)19801216-19890415 岩波文庫》
◆ http://q.hatena.ne.jp/1179414842#a718591 脈絡 〜 連続しない論理は反復しない 〜 http://q.hatena.ne.jp/1179414842#a718725 省略 〜 承認された論理は立証しない 〜 親が死に、子が死に、孫が死ぬ。 http://q.hatena.ne.jp/1131199260 ── Kruif, Paul de《微生物の狩人(上)19801117 岩波文庫》P40 ── 彼は、令嬢が自分をどう思っているかは知らなかったが、ともか く腰をおろし、かならず自分を愛するように仕向けねばおかぬという意 気ごみで一通の手紙を書いた。 「わたしには若い娘の気まぐれをそそるようなところは何一つありま せん。しかし、今までの記憶をたどってみますと、わたしと懇意になっ た人々は皆わたしを非常にすいてくれました。」 こうして、彼女は彼と結婚した。そして史上でもっとも有名な、長く 苦難の道を歩いた妻、それでいながら多くの点でもっとも幸福だった妻 の一人となった── ── ド・クライフ/秋元 寿恵夫・訳《微生物の狩人(上)19801117 岩波文庫》P97-98 Pasteur, Louis 18221227 France 18950928 72 /《自然発生説の検討,1861》 妻に口述させるパストゥール(画像) http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/tep024.html ―― 池田 光穂《パスツールの妻の肖像》 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3040539.html ◆ 平時の平和論者 ── 訳者の秋元寿恵夫さんは、ローザについてこう書いています。 「戦争がないとき、漠然と戦争に反対するのは誰にでもできる。また、 ある種の戦争を予想し、それについての反対として明確な見解をもつ事 は、必ずしも至難ではない。だが、すでに戦争が始まってしまってから でもなお、自らの見解に誤りがないと信じ続けるものの数はだいぶ減っ てくる。しかし、少しは、ある。 けれども、この意見を公然と表明し、できることならその戦争をやめ させようと働きかけるものに至っては、もはや希有の存在に属するので ある。ローザルクセンブルクというひとこそは、正しくそのひとりなの であった。」と。── ローザルクセンブルクの時代(20070727) http://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/5010 (20080811-1219) …… このように、今回新装をこらして復刊されたこの《微生物の狩人》 については、時代の制約そのほか、あらかじめ知っておいていただきた い数々の事柄があるのだが、それと同じく原著がはじめてわが国に紹介 されてから今日に至るまでには、半世紀以上にわたった幾変遷があるの で、この解説を終えるに当って少しくそのことにもふれておかねばなる まい。 まずその最初は、昭和のはじめ頃、したがって原著がアメリカで大評判 になって間もなくの時期に当るのだが、《時事新報》という日刊紙に 《細菌の猟人》と題されて連載され、当時の読書界に大きな反響をもたらした 和田 日出吉氏の翻訳であって、これをわたくしが改訳して第一書房から 《微生物を追う人々》という題名で出版したのが昭和十七(一九四三) 年四月であった。この第一書房版は、幸いにして好評を博し版を重ねる ことができたが、戦争も末期に近づいた頃出版元が廃業すると一緒に 絶版になってしまった。 しかし戦後になって、出版界が次第に落ち着きをとり戻してきた機運 に乗って、昭和二十八(一九五三)年には創元文庫版、昭和三十五 (一九六〇)年にはその一部が筑摩書房版《世界ノンフィクション全集》 にとり入れられ、昭和三十八(一九六三)年になって、こんどは全章が 平凡社版《世界教養全集》に収められて出版された。 そして、今回改めて新版を出すに際して、底本としたのは昭和四十九 (一九七四)年十月発行になる平凡社版《世界教養全集》第三十二巻の 第二版であったが、今回の新版は、それのたんなる引き写しではなくて、 文字通り改訂版といってよい。というのも、こんどは古くは第一書房版 にまで遡り、各章にわたって訳文の再検討が綿密に行なわれたからである。 しかも、それらはすべて、昭和十七年以来すでにわたくしの手元から は離れていた原本と、いちいち照合しての上のことであって、こういう 作業が今回可能になったのは、好運にも岩波書店編集部の鈴木 稔さん がこの原本を持参してこられたからであった。そして鈴木さんは、用意 周到にも、平凡社版の全文を読んでから Microbe Hunters の原本に直接 当って、不審の個所を克明に探し出し、それらをすべて校正刷の中で チェックしておき、それをもとにひとつひとつ原文と照合しながら、 二人で意見を出し合ったのであった。 岩波文庫版《微生物の狩人》はともかくもこういういきさつで陽の目 をみるに至った。わたくしとしては、この書物が少しでも多くの読者に、 また永く読みつがれることを願っている。 一九八〇年九月 ※要約 『』→《》 …… 和田 日出吉・訳《細菌の猟人 194105‥ 時事新報》日刊紙連載 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA30527170 ── 秋元 寿恵夫・改訳《微生物を追う人々 194304‥ 第一書房》絶版 http://booklog.jp/item/1/B000JBA528(上) ── 秋元 寿恵夫・改訳《微生物を追う人々 1953‥‥ 創元文庫》一部再版 http://booklog.jp/item/1/B000JB86PG(下) ── 《世界ノンフィクション全集〈第2〉微生物の狩人 1960‥‥ 筑摩書房》 http://booklog.jp/item/1/B000JBC2ME ── 《世界教養全集 微生物を追う人々(32)技術のあけぼの 1963‥‥ 平凡社》全章 http://booklog.jp/item/1/B000JBC6XO ── 《世界教養全集(第32巻)197410‥ 平凡社》第二版(底本) ── クライフ/秋元 寿恵夫・訳《微生物の狩人(下)19801216-19890415 岩波文庫》P290-291 秋元 寿恵夫(壽恵夫)血清医学 19080313 長野 19940204 85 /波留夫の弟, Sueo/筆名=室田 有/誤=74 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710228 細菌学史 〜 十三人の狩人たち 〜 (20180104)
1971年02月17日(水) |
いそがしい指 〜 小林道夫リサイタルのあとで 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710217 いそがしい、という口実が、なぜ説得力に欠けるのか。 おおくの現代人が、ほとんど多忙を強いられており、不急の<音楽> に耳をかたむける時間は、そのかぎりにおいて、まったく惜しい。しか るに、多忙な一流の演奏家は、当然ながら、それ自体をやってのけなけ ればならない。 前後のことは、わからぬまでも、ある期間の、ひとりの演奏家のいそ がしさを、紹介してみよう。 十字屋楽器店の出している小冊子<アルペジオ>は、かつて創刊から 一ヵ年、私が制作を担当したものである。五月第二号から翌年の三月ま で、毎月の音楽番組を予告していたのを、御記憶の方があるかもしれな い。予告といっても、当時できあがるのが慢性的におくれていたので、 まったく実用価値はなかったが、私自身のおもわくや反省はここでは、 さしおく。 放送のための演奏、を中心にした、この企画で、たちまち私はひとり の演奏家に注目せざるを得なかった。 五月に五回、六月に九回というぐあいで、十一ヵ月間に二十八回以上 の出演者が、小林道夫氏であった。ピアノ、チェンバロ、オルガンの三 種にわたり、独奏、伴奏、指揮、さらに解説者として活躍され、さなか の秋は鳥井音楽賞受賞におよんで、一般公演における成果もじゅうぶん 立証されたわけである。 ことを放送にかぎれば、平均して月三回の録音、あるいは録画という ものが、いかに周到かつ繁雑な手順でおこなわれていたか、想像以上の ものであったろう。 鳥井音楽賞受賞のしばらくのち、小林氏から、はがきをいただいた。 十字屋楽器店から、毎号<アルペジオ>を送っていたらしく、このほ ど転居につき下記宛によろしく、といった内容の、手ずからのペン字で あった。偶然私のほうも、転居したばかりで、最初の、はじめての方か らの大切な書簡となった。 一月二十七日、私が受付のおてつだいなどするうちに開演となり、ア ンコールだけ聴かせてもらった。 閉演後、楽屋にいくと、浄守志郎氏が花束をもっておられたので、私 は旅行トランクをさげて出ることにした。田中義雄氏の運転する車を待 つあいだ、先のはがきの件をいうと、「いえ、あいかわらず、旧住所の ほうへ、参っております」とのことだった。私が十字屋さんによく念を おさなかったためらしく、すっかり恐縮してしまった。 四人で、なべをつつきながら、私は、はじめてみる小林氏の手に、ふ と率直な質問をしてしまった。 「先生の手は、ピアニストとしては、たいへん小さいですね。ハンディ はありませんか」 「ありますね、やはり。芸大にすすむ時にずいぶん迷ったんです。結局、 とどかない曲が、かなりあるんです」 「すると、こまりますね」 「こまります。だから、いそがしいんです。すぐに離して、つぎの音に いく」 「モーツァルトの手も小さかった」 「それは、わかりません。でも譜面の範囲は、それほどひろくありませ んね」 「シューベルトの手は、わかりませんか」 「かれは、おそらく頭で譜面を書いていますね。自分の曲を、悪魔に弾 かせろ、といったくらいですから」 「伴奏譜も、そうですか」 「しばしばね。だから、わたしは悪魔にならなくてはいけない」 「ラフマニノフは、おやりにならない」 「名前だけで、ぞっとします」 箸をもつ氏の手は、けっしていそがしくはない。四人のなかでいちば んゆっくりとしていた。 阿波 雅敏(K1)(19710217) ── 《関西モーツァルト協会々報・第一号 19710415》 ◆ 関西モーツァルト協会は、昭和四十六年十二月五日(モーツァルトの 命日に当る)に設立、翌年一月二十七日(誕生日)に第一回コンサート を開催した。発起人会の世話人代表、浄守志郎氏は東京美術学校出身の 白生地商(音楽評論家を自称、娘婿は十字屋の社員)とかで、よくわか らない人だった。田中義雄は、同志社中学から高校を通じての後輩また は同期生で、十字屋楽器店の次期社長でもある。三者三様のおもわくが あり、面倒ないきさつがあったものの、運営面では大成功のうちに設立 された。 (Day'19881009) 十一月下旬、河原町四条通りの路上で、山田忠男教授(当時、京都府 教育委員長)に出会う。その背後に、浄守志郎氏があらわれた。
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