与太郎文庫
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1970年12月20日(日)  看板教授

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701220
 Ex libris Web Library;山口 長男《平面》
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2002/2003/exhibition2003h1/img/wk_YamaguchiTakeo.jpg
 
── 阿波 雅敏《私との対話;看板教授 19701220 中日新聞》
 
 かつて私は、東京にある三つの美術学校を受験して、そのうちの一つ
に合格した。第三志望というわけである。
 当時の私は、職業としてのデザイナーをこころざしていたが、その美
術学校に対しては、特定の目標が、別にあった。入学案内というカタロ
グによれば、他の多くの私立の例で、著名な教授陣、画家、工芸家、デ
ザイナーの顔ぶれが並んでいて、その学生たるもの日々に親しく教えを
受けられる、と思いこんでいたせいである。
 私がひそかに、ねらっていたのはY画伯である。いわゆるタレントふ
うの知名度はないが、その世界では空前絶後ともいうべき独自の作風に、
不動の信念がまざまざと感じられる点に、かねて私はあこがれていた。
 ところが、私の期待は半年もしないうちに裏切られた。すなわち入学
案内に載っていた著名なる教授陣のなかで、ただひとりが、入学式であ
いさつした他は、上級生の話によれば、年に一度か二度、顔を見られる
のがせいぜいで、とても手をとって教えていただく、など望むべくもな
いらしい。かりに機会があったとしても、何百人も一緒にマイクを通じ
ての講義では何にもなるまい、まして美術学校なのだ──私はがっかり
してしまった。
 私が怠惰な下宿生活に堕ちていったのは、それだけが原因ではないが、
大きなアテがはずれたのも事実である。私の作品は、当時だんだん孤独
な色彩と偏狭なパターンに向っていき、担当教官に指摘されるまでなっ
た。
 その年頃にありがちな、特有の思いあがりもあって、私は授業にも出
なくなり、課題だけをメモして帰り、ひとり下宿で作品と取り組むよう
になった。やがて「君のような男は、学校で学ぶ必要はないようだ、ひ
とりで勉強した方がいいじゃないか」といわれるようになった。
 学校を退める他はない、と自分でも考えはじめた。しかし、それでど
うするのか、というアテはまったくない。いつの間にか、酒に親しむこ
とを覚えた。
 冬にはいって、暮に帰省する汽車賃まで飲んでしまい、ある夜オーバ
ーを質に入れて得たなにがしかの金をポケットに、私は安酒場に向って
歩いていた。人通りのない夜道を、向こうからひとりの中年紳士がやっ
てくるのに会い、私は、はっとするものがあって立ちどまった。
 Y画伯にちがいなかった。
 たった一度、入学案内の顔写真で見ただけなのに、決して特異でない、
ごくふつうの風貌であったのに、なぜか夜目にも明らかに、瞬時にして
思い出したのである。
 立ちつくしたまま、私はY画伯の通りすぎるのを見送っていた。声を
かけて名乗りでることはおろか、後日に直接その門を叩くなど思いも及
ばぬ、近づきがたい気迫が、その姿に感じられた。
 そのあと私は、安酒に酔いながら、ばくぜんと考えをめぐらせた。画
伯は、いかにも、あくまでも孤独の人だった。あの厳しい、一途なモチ
ーフの探究は、要するに孤独なひとり歩きの修験者にしかできる業では
なかったのだ。──画伯の若い頃は厳格な具象絵画の新鋭だったときく。
ある時期に翻然と今日の領域に転じた経緯は余人の想像を超えるものが
あったに違いない。
 それから半年後、私は学校を断念し、新聞広告をみて、ある看板屋で
働くことにした。絵筆を使う、いちばん末端のところで具体的に何かを
学ぶことに賭けたのである。
 その後、私は職業としてのデザイナーにはなれなかったけれども、自
分の歩みは、自分の拓く道においてしかあり得ない、との考えを今も変
えていない。
 Y画伯には、ふたたびお目にかかる機会もなく、時おり主として印刷
物で拝見する作品に、例の不屈の信念を認めるだけで、おそらく私にと
って今後も、看板教授であるはずである。 (アワ・ライブラリー主宰)
 
 ◇
 
 Report 空間の次元 〜 阿波 雅敏・模写《ピカソ・葡萄とギター》〜
 
 空間を構成する、ということを、空間に<何か>を与える、あるいは
埋めることだと考えないで、空間そのものを示す、という風に考えるの
は案外難かしい。構成するという<仕事の意識>が、空間としてのひろ
がりを忘れさせることもあろう。しかも、空間を感じることは相対的な
意識の作用だから、ことはよけいに厄介である。
 これらのことを通じて、実際に形象化される場合、まず強調されるも
のはリズムである。有限のリズムは無限のリズムを暗示する。そして、
リズムの知覚は当然相対的に空間の知覚を導く。
 ピカソのこの作品は、専ら不安定な色彩が対をなしてリズムを生み、
それ自身の発展性を明示する。またリズムの発展性ばかりでなく、時間
的なそれも含んでいる。だが、後者の場合は前者以上に暗示に止まる。
 われわれの知覚ないし意識は、常にある次元を通じて行われるが次元
そのものを意識することはできない。示されるか、あるいは容認するだ
けである。ピカソは示そうとしたのである。
     〜 武蔵野美術学校・工芸デザイン科一年 〜(19591017)
 


 川端 弥之助  洋画 18931205 京都   19811209 88 /京都市立美大教授〜《エッフェル塔》
 川端 康成   小説 18990611 大阪   19720416 72 /ガス自殺/18990614〜朝
 三雲 祥之助  洋画 19020719 京都 東京 19820819 80 /武蔵野美術学園長/木炭《裸婦》指導
 山口 長男  抽象画 19021123 京城 東京 19830427 80 /武蔵野美校教授〜《構成,1955》
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 原  弘  デザイン 19030622 長野   19860326 82 /武蔵野美大教授
/〜《世界大百科事典 1978 平凡社》《原 弘グラフィックデザインの枠組,1985》
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 亀倉 雄策 デザイン 19150406 新潟 東京 19970511 82 /武蔵野美大教授“構成主義の旗手”
/1960-1964東京五輪ポスター連作/1978日本グラフィックデザイナー協会設立/199703‥スキー転倒
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 江川 和彦 美術評論 18960706 東京   19810114 84 /武蔵野美大教授/籍=銀蔵
── 阿波 雅敏《○□△ 〜 同時性をテーマとする作品 〜 19600225 〆切》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19600225 孤太郎 〜 丸と四角と三角 〜

 
…… われわれが知った場所は単に空間の世界に属するだけではないの
だ。われわれは便宜上それらの場所を空間の世界に配置するまでなのだ。
それらの場所は、その当時のわれわれの生活を形成していた印象の連続
のなかの、わずかにうすい一片にすぎないのであった。ある一つの映像
の回想とは、ある一つの瞬間への哀惜でしかない。そして、家々も、道
路も、大通も、逃げさっていくのだ。ああ、年月とおなじように。
── プルースト/井上 究一郎・訳
《失われた時を求めて(1)19980920 ちくま文庫》P720-721
 

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http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)

 
19600202(火)渡辺 慶子嬢に会う『妙な処で会ったなぁ』
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19591224 自由への道
19600206(土)14:30 喫茶・呉峰で渡辺嬢と話す。
 
……(慶子は、一族が慶応出なのに)早稲田と慶応の両方受かったので、
倍率の高い早稲田を選んだ。── 《ヒモ願望 20110326 一緋分庫》
http://d.hatena.ne.jp/aedlib/20110326(準公開)
 破天荒の女 〜 51年ぶりの電話 〜
 
…… 「オレはね、ほんとうはデザイナーなんか、どっちでもいいんだ。
高校時代にも言ったように、できたら金持の令嬢と結婚して、生涯ブラ
ブラしたいんだ」「まぁ、わたしそんな男の人、すっかり軽蔑するワ」
「そうかい、まぁいいや。キミと結婚したいワケじゃないからね」
── 《惑太郎 20001224 虚々日々》
 photo by Tadahiko Tamura 1966
── 《Awa Library Report 19710501》再録
 
http://q.hatena.ne.jp/1543507878#a1269657(No.2 20181130 05:19:44)
 その後わたしは、誰にも相談できないまま中退しましたが、あなたの
ケースでは、両親を説得して休学届を出し、留級することを奨めます。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701220 看板教授
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541006 精神の危機
https://twitter.com/awalibrary/status/1068454250886221824
 
 ◇
 
…… 京城府(現・韓国ソウル)出身。1921年に19歳で日本に来るまで
を京城ですごした。本郷洋画研究所で岡田 三郎助に学び、20歳になった
1922年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。1927年、同校卒業
と共に渡仏。フランスではパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、
それに当時渡仏中だった佐伯 祐三にも刺激を受ける。また、彫刻家の
オシップ・ザッキンのアトリエにも出入りし、立体的な造形をも習得に
努めた。戦後、二科展の再結成にあたり会員として参加し、1962年まで
二科展1953年、日本アブストラクト・アート・クラブの創立に参加し、
1954年に会員としてニューヨークでのアメリカ抽象美術展に出品。同年、
武蔵野美術大学教授となる[2]。1955年に第3回サンパウロ・ビエンナーレ、
1956年に第28回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として出品、そ
の後、グッゲンハイム賞美術展、チューリッヒ市立美術館の「現代日本
の絵画展」など、国外での出品も広がる。1961年、芸術選奨文部大臣賞
を受賞。1982年、三雲 祥之助の後任として、3代目の武蔵野美術学園学
園長に就任。典型的な作品は、黒系の地に黄土色または赤茶色系の大き
な色面を配したもので、いわゆる「ハード・エッジ」の抽象絵画とは違
い、温かみを感じさせる(Wikipedia)。
 代表作《劃-赤 1968 島根県立美術館》《脈 1968 静岡県立美術館》
 
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http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2002/2003/exhibition2003h1/img/wk_YamaguchiTakeo.jpg
 

 山口 長男  抽象画 19021123 京城 東京 19830427 80 /Yamaguchi, Takeo
 三雲 祥之助  洋画 19020719 京都 東京 19820819 80 /武蔵野美術学園長/木炭《裸婦》指導
♀小川 マリ   洋画 1901‥‥ 札幌 東京 20060508 104 /194508‥籍=三雲 祥之助の妻

…… 日本の女性画家の草分けで、洋画家として最高齢の春陽会会員、
全道展創立会員の小川マリ(おがわ・まり=本名;三雲マリ)が2006年
5月8日11:50Pm、虚血性心疾患で入院先の東京都青梅市の病院で没。
 札幌市出身。自宅は、東京都武蔵野市吉祥寺東町二の四四の一○。
 1901年(明治34年)生れ。札幌駅前、札幌西武の前身「五番舘興農園」
を創設した実業家、故小川二郎が父。庁立札幌高女(現・札幌北高)か
ら東京女子大に進み、卒業後は大学職員として勤務。独学で絵を描き始
め、1932年(昭和7年)、独立美術協会展に初入選。1938年ごろから画
業に専念。
 第二次大戦中に札幌に疎開。1945年8月に洋画家の三雲 祥之助(1982
年没)と結婚、夫婦で全道美術協会(全道展)創立に参加した。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/art-ogawa-mari.htm
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜
http://q.hatena.ne.jp/1543507878#a1269657(No.2 20181130 05:19:44)
 
(20081009)(20181209)
 
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