与太郎文庫
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1970年03月31日(火)  よど号の人々 〜 赤軍派ハイジャック事件 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700331
 
 北の家族たち 〜 寒い国の人々 〜
 


 金山 政英 元駐韓大使     19090124 東京   19971101 88 /日韓文化交流協会
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 日野原 重明 終末医学     19111004 山口          /よど号乗客
/聖路加看護大学長“生活習慣病”造語
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 阿部 助哉  衆院議員/社会党 1915‥‥ 新潟 東京 19950422 80 /
/19700331よど号事件で山村 新治郎の人物確認&ソウルで乗客解放に立ち会う
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 山村 新治郎11衆院議員/自民党 19330428 千葉 佐原 19920412 58 /刺殺
/訪朝団長として出発前夜、二女(24)逮捕
/19700403-0405よど号事件人質=運輸省政務次官の凱旋を、二女(2)が
空港で迎えた/運輸相/農相/予算委員長/学習院大学中退/籍=山村 直義
/1964父(先代)の死後、新治郎を襲名“男・山新”“身代わり新治郎”
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♀山村 □□ 新治郎11の二女   1968‥‥千葉    1996‥‥ 28 /自殺
/19920412父(北朝鮮出発前夜)刺殺/精神判定により不起訴19700405父を迎えた。
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 石田 真二 元よど号機長    1923‥ 秋田 岸和田 20060813 83 /海野 義雄の岳父
/19700331-0405よど号事件「ブッ殺してやりたかった」
/1972愛人問題発覚退職/岡山で漬物店経営/喪主は二女、真紀子(48)
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 海野 義雄 ヴァイオリン    19360214 東京          /石田 真二の娘婿
/NHK交響楽団コンサートマスター/アカデミア弦楽四重奏団“ガダニーニ事件”
/1975‥‥東京芸術大学教授に就任(39歳、史上最年少の巌本真理は21歳)
/19811201鑑定書偽造1208逮捕198504‥収賄免職、懲役一年半、猶予3年。
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♀石田 □□  真二の長女?   195.‥‥ ‥‥ /海野 義雄の妻
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♀石田 真紀子 真二の二女    1958‥‥ ‥‥ 岸和田 /
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 塩見 孝也 元日本赤軍派議長  19410522 兵庫          /19700331よど号事件
/19700315逮捕/共産同赤軍派隊長?19951129田宮高麿(死の前日)が平壌駅まで見送る。
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 田宮 高麿 元大阪市立大生(27) 19430129 岩手 平壌 19951130 52 /病死
/19700331よど号事件=ボーイング727ハイジャック首謀者
/共産同赤軍派中央政治局員
/19770501森 順子と結婚19960229遺骨帰還・新潟埋葬
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♀森  順子  田宮 高麿の未亡人 1954‥‥ ‥‥ ‥‥     /19770501結婚19961130死別
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♀田宮 朝香 高麿&森 順子の長女1979‥‥ 朝鮮 東京     /20010515帰国(22歳)
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 岡本 武  元京都大学生(24)  194507‥ 熊本 朝鮮 1988夏‥ 43 /土砂崩壊事故死=未確認
/1976福留 貴美子と結婚/公三の兄19990720重信 房子の粛清説証言
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♀福留 貴美子 岡本 武の妻   1951‥‥ 高知 朝鮮 1988夏‥ 36 /土砂崩壊事故死?
/安否不明/1976拉致、岡本 武と結婚198003‥-06‥一時帰国1996訃報?
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♀岡本 広海  武&貴美子の長女 1977‥‥ 朝鮮 東京     /20020910帰国
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 小西 隆裕 元東京大学生(25)  1945‥‥ ‥‥ 朝鮮     /
/19700331よど号事件サブリーダー1976福井 タカ子と結婚
/19951130田宮高麿死亡後リーダー
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♀小西 タカ子 隆裕の妻     1946‥‥ ‥‥       /20020910帰国
/旅券法違反(返納命令拒否)容疑で逮捕。隆裕(58)の妻(56)と、よど号
グループの子供5人の計6人が10日、平壌から北京経由で成田空港に
/拉致事件については「見たことも聞いたことも一切ない」/旧姓=福井
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♀小西 立子 隆裕&タカ子の長女 1978‥‥ 朝鮮 東京     /20010515帰国(23歳)
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♀小西 由美 隆裕&タカ子の二女 1980‥‥ 朝鮮 東京     /20020910帰国
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 若林 盛亮 元同志社大生(23)  1947‥‥ ‥‥ 朝鮮     /19700331よど号事件 
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♀若林 佐喜子 盛亮の妻     194.‥‥ ‥‥        /1976結婚/旧姓=黒田
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 若林 貫徹  盛亮の長男    1978‥‥ 朝鮮 東京     /20020910帰国
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 田中 義三 元明治大学生(21)  1948‥‥ ‥‥ 東京     /
/1969警視庁本富士署などに火炎瓶を投げ込んだ。
/19700331よど号事件最初に操縦室に入って機長に日本刀のようなもの
を突き付けたほか、客室全体を監視するなど重要な役割を果たした。
/19700403平壌郊外の空港に着陸19770505水谷協子と結婚
/19960325タイ偽米ドル事件逮捕19990809無罪20000628日本送還
/20001215公判開始20020214懲役12年(求刑懲役15年)
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♀水谷 協子  田中 義三の妻  1957‥‥ ‥‥        /19770505結婚
♀田中 東美  義三&協子の長女 1979‥‥ 朝鮮 東京     /20010515帰国(22歳)
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 赤木 志郎 元大阪市大生(22)  1948‥‥ ‥‥ 朝鮮     /19700331よど号事件
/19770503金子 恵美子と結婚
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♀赤木 恵美子 志郎の妻     1955‥‥ 朝鮮 東京     /20010918帰国、逮捕
/20021015懲役2年、執行猶予4年(求刑・懲役2年)。よど号グループを
巡っては、北朝鮮で生まれた娘3人が今年5月に帰国したが、妻の帰国は
1992年に結婚が明らかになって以来初めて。20010903帰国に必要な渡航
書が、北京の日本大使館から支援者を通じて発給される。/旧姓=金子
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♀赤木 操  志郎&恵美子の長女 1980‥‥ 朝鮮 東京     /20020910帰国(22歳)
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 安部 公博 元関西大学生(22)  1949‥‥ ‥‥ 朝鮮     /19700331よど号事件
/1983有本恵子(23)拉致実行犯1976魚本 民子と結婚(改姓=魚本)
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♀魚本 民子 安部 公博の妻   194.‥‥          /1976結婚
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 魚本 志雄 安部 公博の長男  1979‥‥ 朝鮮 東京     /20020910帰国(22歳)
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 吉田 金太郎 元造船所職工(20) 1950‥‥ 京都 平壌 19850904 35 /病死
/19700331よど号事件/病名・死亡場所など虚偽説? 生存が確認でき
ているのは1973年までで結婚について不明なことから1985年以前に死亡
している可能性がある。祖父は一代で築きあげた資産家
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 高沢 皓司 ジャーナリスト   19470205 大阪       /
〜《宿命−「よど号」亡命者たちの秘密工作 1999 新潮社》
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 柴田 泰弘 元須磨高校生(16)  1953‥‥ ‥‥ 東京     /19700331よど号事件
/19880506国内逮捕19940721服役満期出所19770504八尾 恵と結婚19‥離婚?/最年少メンバー
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♀八尾 恵  柴田 泰弘の妻   1956‥‥ ‥‥        /元スナック店主
/19770504結婚19‥離婚?1983有本 恵子(23)拉致実行19880525神奈川県警に逮捕
/2002030・有本の両親に土下座「私がやりました」0314証言
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♀八尾 黎  恵&柴田 泰弘の長女 19781127 朝鮮 東京     /拉致事件関連年表
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♀八尾 燦  恵&柴田 泰弘の次女 19800603 朝鮮 東京     /拉致事件関連年表
http://boboro-web.hp.infoseek.co.jp/bd203histry.htm
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 石岡 亨   元日本大学生(23) 19570629北海道朝鮮19881104 31 /ガス中毒死
“Iさん”/朝鮮名=リ・シオ
/198004‥スペインで失踪0607平壌19851227有本 恵子と結婚
/19880906書簡「有本恵子らと3人で北朝鮮平壌にいる」乳児の写真同封
/20020917小泉首相訪朝=8人の死亡確認“北朝鮮拉致疑惑”18
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♀有本 恵子 神戸外大留学生(23) 19600112 神戸 朝鮮 19881104 28 /ガス中毒死
/19830715欧州留学中に失跡/明弘の娘(誤=19600612)
/19851227石岡亨と結婚1986娘=リ・ヨンファ出産
/20020314日航機よど号事件のメンバーの元妻、八尾 恵(46)が警視庁
公安部の事情聴取に対し、別のメンバーの田中義三被告(53)の日本人妻
M=水谷協子(45)が有本さんを思想改造する教育係だったと供述した。
公安部では金正日総書記の指令を受けた大物スパイ「キム・ユーチョル」
の主導のもと、組織的に拉致から教育まで役割分担したとみて捜査。
20020917小泉首相訪朝=8人“北朝鮮拉致疑惑”11
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♀リ・ヨンファ 有本 恵子の娘  1986‥‥ 朝鮮        /石岡 亨の娘
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 佐藤 益一 元会社員(25)    1945‥‥ 鹿児島      /
/19700615大阪府池田市の学生寮 or 会社寮で、寮母と会話を交わした
のを最後に行方が分からなくなった。家族には「大阪市立大在学中に、
よど号グループの田宮高麿(死去)と同じ寮にいた」
/20030209-0210“北朝鮮拉致疑惑”公表
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 江崎 悌一 よど号副操縦士   1944‥‥ ‥‥       /
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♀沖宗 陽子 よど号スチュワーデス194.‥‥‥‥        /

 
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 ハイジャック事件の「よど号」機長、石田真二さん死去
 
── 1970年に起きた赤軍派による日航機「よど号」ハイジャック
事件で、同機の機長だった大阪府岸和田市在住の石田真二さんが肺がん
のため13日、同市内の病院で死去した。83歳。
 告別式は15日午前11時30分、同市上野町東5の1の「公益社岸
和田会館」。喪主は二女、真紀子さん(48)。
 
 70年3月31日、乗務した羽田発福岡行きの「よど号」(乗員乗客
138人)が赤軍派メンバー9人に乗っ取られた。石田さんは人質を解
放するよう犯人の説得に努めたといい、途中、韓国・金浦空港で乗客ら
が降ろされた。
 
 代わりに乗り込んだ山村新治郎運輸政務次官らとともに北朝鮮・美林
飛行場に飛行、4月5日、同機で羽田に帰った。赤軍派メンバーは北朝
鮮に亡命した。(訃報 20060814 14:37 更新 読売新聞)
 
 石田真二氏が死去 よど号事件の機長
 
── 1970年に起きた日航機「よど号」ハイジャック事件で、同機
の機長だった石田真二(いしだ・しんじ)氏が13日午前11時57分、
肺がんのため大阪府岸和田市の病院で死去した。83歳。秋田県出身。
自宅は岸和田市吉井町1丁目。葬儀・告別式は15日午前11時半から
岸和田市上野町東5の1、公益社岸和田会館で。喪主は二女真紀子(ま
きこ)さん。(訃報 20060814 共同通信)
 
── ストラディバリウスを買う時に家を売るのに反対しなかった妻は、
マスコミに袋叩きにされた、海野義雄を見捨てず、環境創りに精を出し
て励まし続けていた。妻の父親は、1970年3月31日赤軍派の学生
9人に乗っ取られて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に強制着陸さ
れた『よど号』の機長だったので、マスコミに袋叩きにあう悲しみや辛
さを知っていたのである。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030421
 海野義雄の義父
 
(20060815)
 


1970年03月19日(木)  原点パパ 〜 アブラハムとダビデの末裔 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18700319
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19700319
 Ex libris Web Library;holy family
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4ADFA_ja___JP438&q=holy%20family&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1024&bih=492&sei=zC69TuHtL4_umAWd8_TGBA
 
── 生物には親がなければならぬ!(Spallanzani, Lazzaro)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710228
 細菌学史 〜 十三人の狩人たち 〜
 


 アダム   BC-37611011 Hebrew BC-2811‥‥ 950 /Gregorio -37610911-2919‥‥
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920101 西暦元年元旦の曜日
 
 アブラハム BC-00‥‥‥ Palestine ‥‥‥‥ 175 /BC-[‥00‥‥-09‥‥‥]
 ダビデ   BC-1040‥‥ Bethlehem 0961‥‥ 79 /BC-[1000‥‥-0961‥‥]
 
 聖ヨセフ  BC-00‥‥‥ Bethlehem 003,0319 ? /殉教/St. Joseph 18700319 列聖
♀聖母マリア BC-00‥0908 Hebrew  00‥0815 5. /昇天
 キリスト  BC-00041225 Bethlehem 00‥04‥ 3. /殉教/生没諸説“救世主”
♀マリア   AD 00‥‥‥ Galilee  00‥0722 ? /マグダラのマリア“携香女”0804
 
 ヤコブ    00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /殉教
 ヨセフ    00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /
 シモン    00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /
 ユダ     00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /
♀長妹     00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /
♀末妹     00‥‥‥ Galilee  00‥‥‥ ? /
 
 クロパ    00‥‥‥ Bethlehem 00‥‥‥ ? /聖ヨセフの弟
 シメオン   00‥‥‥ Bethlehem 00‥‥‥ ? /クロパの息子
 
 Papa Pio IX  17920513 ‥‥ Rome 18780207 ? /255[18460616-18780207] 教皇ピウス9世

 
── 聖ヨセフ;新約聖書に登場するマリアの婚約者、夫にしてイエス
の養父。職業は大工であった(略)労働者の守護聖人とされ(略)1870
年に教皇ピウス9世により、カトリック教会や幾つかの国家・地域の守
護者であると宣言された。祝日(記憶日)は3月19日。(Wikipedia)
 
── 西ヨーロッパの絵画ではしばしば老人として描かれるが、これは
ヨセフとマリアの間に性交渉がなかったことを強調するために、ヨセフ
を生殖能力のない男性としたものと考えられる。(Wikipedia)
 
 生殖能力のない男性が、なぜ婚約して、生れた子を養育したのか?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070319
 父なる神 〜 藪の中の聖家族 〜
 
── イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ及び妹2人がいた(略)。
ヤコブ殉教後にヨセフの兄弟・クロパの息子であるシメオンがその後を
継いだ(略)。イエスの叔父クロパの息子と見做している(Wikipedia)。
 
── 「ねぇ父ちゃん、おいらの兄弟は、誰も父ちゃんに似てないって」
「みーんな、父ちゃんの子だよ」(三波 伸介の長セリフを要約)
── 黒澤 明・監督《どですかでん 19701031 東宝》
 
── 子だくさんの一家、長男が泣きながら父の良太郎(三波伸介)に、
「僕たちは父ちゃんの子じゃないって言われた」と報告する。
良太郎「人はいろんなこと言うよ…。何だの、かんだのって…。好き勝
手なこと言ってやがる。なぁ。けど、ホントの親かホントの子かなんて
ことは誰にも分かりゃしないんだよ。これは自分の父ちゃんだ、これは
俺の子だ、心底から思えば、それが本当の親子だ。もしも、今度また、
そんなことを言う者がいたら、お前たちの方から聞き返してみろよ。お
前はどうなんだ!って。返事のできる者がいたらお目にかかるよ。つま
り、その…父ちゃんを信用するか、父ちゃんより他の人を信用するか、
どっちかだ」
 良太郎、子供たちの顔を見回して、良太郎「どうだいみんな」
 長男「父ちゃんだ!」手を挙げる長男。他の子供たちも「父ちゃんだ!」
と手を挙げる。末っ子の娘、皆の顔を見回して、末っ子「あたしはお姉
ちゃん!」 笑う一同。
http://ameblo.jp/lull-b/entry-10634969743.html
 …そうだね 20100821 they do in the movies
 
── さらに6人目の赤ちゃんが(略)「父ちゃんは、人が何と言おう
が、みんな自分の子どもだと思っている。お前たちはどうだ」
http://ameblo.jp/s-kishodo/entry-10799146212.html
 
── 三波 伸介・司会《てんぷく笑劇場→減点パパ→減点ファミリー NHK》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070803
 橋下家の人々 〜 実録・男女七人物語 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20110106
 野田家の聖家族 〜 五十歳の母 〜
http://booklog.jp/entry?keyword=%E9%87%8E%E7%94%B0+%E8%81%96%E5%AD%90&index=Books
 
── マリアとキリストを見まもるヨセフは、いささか年を取りすぎ?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1475131089
 あんまりや 〜 聖家族の年の差の謎 〜
 
── 受胎3月25日から、降誕12月25日までの275日。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1475162744
 受胎告知の日 〜 妊娠カレンダー 〜
 
(20111111)
 


1970年03月07日(土)  編集帖

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700307
 
 編集帖
 
 今月からページ数が倍増した、といっても前号の例があるので、先の
ことはわからない。前号が、《10・11月合併号》となったのは、実は二
三の事情が重なって、遅れることしばし、ついには10月号を10月末に出
してどこがいけないかという有力意見も、それでは11月以降の出る幕が
危うくなるだけ、という正論を経て、結局は妙なことになってしまった。
奇特にして毎号お読みいただいている方々には、まことに礼を失した次
第である。
 
 去る9月12日、休刊あるいは延刊もしくは併合の報告をかねて、快晴
の瀬戸内海は舞子海岸にある小石忠男氏宅を訪れた。かの《文芸春秋》
創刊時の編集長であった菊池寛大人は、依頼原稿を受けとる日には、卒
然と下駄をはいて各執筆者の自宅におもむいたという。日頃、編集者た
るものかくあらん、と人にも伝え、みずからにもいいきかせるうち、半
年が無為にうち過ぎてしまっていては、単なる不意の訪問にすぎず、さ
すが下駄はあきらめての参上。“表紙を色刷りにするとか、もう少しな
んとかならんですかなあ”と氏はおっしゃるが、目下のところ確答はで
きない。常はもっと欲張って、付録にソノ・シートなどイカすのではな
いか、などと夢想こそすれ、まったく先のことはわからない。長居の間、
バーンスティンの《運命》解説レコードなどあれこれ聴かせていただく
うち、対岸の四国も暮れて、手みやげに持参した千枚漬、その夜氏夫妻
の食卓を飾るやいなや、数うれば氏の玉稿はあわせて50枚に満たぬ、な
どとつまらぬことを考えながら帰途につく。
 
 小石節につづくは出谷節、佳境たけなわの自作自演シリーズも予定で
は来年3月まで。次なる連載のタイトルを協議中である。“愚作愚演と
か偽作偽演はどうだろうか”との愚案に、彼出谷啓氏はあきらかなる侮
蔑のまなざしにそえて、こんな実話を話してくれた。
 さるレコード店に、《月光ソナタ》を求めるひとりの客があった。そ
こに居合わせたD氏にたずねていわく“ベートーヴェンの演奏したレコ
ードはないんでしょうか?”依頼絶句した彼は、いまだに賢答の見当さ
えつかぬ、という。
 
 “一聴一席”が、一朝一夕あるいは一石二鳥に由来する一種の洒落で
あることを英語で説明することが可能かどうか、などと通訳の門脇邦夫
氏と最初の打合せをしたのは6月のはじめだった。ききてと速記者とカ
メラマンと録音技師そして編集者、さらにレイアウトマンを一身に負う
者として、かねて用意するたとえを披露するならば、この記事の制作は
一種のひとり麻雀に似て、もち帰ったテープを反復すること十数回、ひ
とつひとつのことばを、パイの如くにいったんかき混ぜはするが、それ
以外のことばをほとんど用いないのが主義といえばいえよう。日本語を
日本語でかきまわすのはまだしも、外国語となると、まるで勝手がちが
うのは当然ながら、今回のハモールスキー館長の場合は、あたかもトラ
ンプで花札をやるようなものだった。
 話題が“Cross Cultural Communication”に終始したこともあり、
言語学者でもある館長としては伝達ないし翻訳にきわめて厳格にのぞま
れるところで、日本語の原稿はもとより、さらにその英訳を要求される
に及んで門脇氏、こんどは花札でポーカーをやる破目とはなった。二度
が三度、三度が四度に、通訳とききてはテープレコーダー、タイプライ
ター、辞書それに、やかんいっぱいのコーヒーを動員してのディスカッ
ションを重ね、何のことはない受験前夜の心境のうち、ふと思い出した
のは最近のハウ・ツーもの《カタコトでもいーです》とは何事ぞ。
 
(1969・12・3/シェリング独奏/シューマン《ヴァイオリン協奏曲》を
聴きながら) 
 
 編集帖
 
 2月11日、北白川の浄守志郎氏宅を訪問。
 SP時代の演奏家気質にはじまって“今日の演奏家にしても、どちら
かといえばロマンチストであってもらいたいですなあ”どちらともなく
嘆息して“今日、ほんとうにわかる音楽といえば、せいぜいドビュッシ
ーあたりではないか、という人もいるが、案外そんなところでしょうね”
やがて“評論という立場は解説やら紹介と混同してはいけないし霊感が
なければ、本来人の心を打ちませんよ、すると小林秀雄などは偉い男で
すね”さらに、“われわれ戦前派は、召集におびえながら、レコードを
聴いていた時代が、たしかにあったし、モーツァルトなど時には恍惚状
態にひきこまれるんです”戦後派の筆者としては、“魔術的な時間とい
えるでしょうか”いささか自信なく、長居を辞したあとも、やや気がか
りとなった。さて戦中派・戦無派となるとどうなるのか。
 
 一年たつとどうなるのか。一年で10冊目の本誌は、企画にこと欠いた
わけでもないが、乱読のすすめ、創作テープのすすめ、いずれも一読お
すすめしたいもの。前者は、他にも推理小説とか、書簡集など拾えばい
くらでも集められるのではないか。後者は、前回に続いてテープとの厄
介な格斗をくどすぎるほど列挙し、それもこれも実は創作あるいは作曲
への足がかり、聴くこと演奏することの他にその可能性をテープ・ミュ
ージックに求めるもの。今日のフォーク・ブーム自作自演流行は、いう
ならばホット。クールな楽しみとして奥行きは深いはずである。
 
 一聴一席は後半、各国文化センター館長を巡訪。安部公房氏のいわく
“最近の若い世代にとっては、カフカがオーストラリア人であろうが、
エジプト人であろうが、そんなことは問題でなくなった”そうであるが、
だから日本人としての変身につながるか、どうか。たしかに感じたこと
は、日本語のもつ特殊性これを、いわゆる聞き書きにしてみると、かな
りニュアンスが移行する。かならずしも、音楽の話題ばかりでもなかっ
たが、その背景として、はじめにことばありき、ではある。
 
 さて、残された課題。日本の弦楽四重奏談シリーズは、N響弦楽四重
奏団の海野義雄氏はじめ機会あらばまとめたい。たとえば単に経歴を追
うにとどまらず、テクニカルな演奏論にたち入ることも重要であるが、
この方はいずれ専門家に依頼するなど、完璧を期したい。その前に、日
本の交響楽談シリーズを、ひ実現させたい。
 
 最後に、この一年の協力者群像。1〜4号までの表紙原画の亀田博之
氏、染色デザイナーでもあるが硬派の情念を秘めている。写真撮影では、
このところジナーに腰を落着けてしまった上野比佐諸氏、NHKで8年
もふりまわしている土村清治氏、印画仕上げには、最近独立した清水治
雄氏、それぞれ小冊子だに見せ場はかぎられたものの、原画で紹介した
い人ばかりである。              (1970・3・7/阿波) 
 
 ◆
 
 創刊号の《読み返した本》は、最初の編集後記にあたる。竹内康君が
“なんのことやらわからない”と評するので、中断していたが、終刊が
近づくころ、ふたたび復活している。
 本文は、わかりやすいものばかり掲載してあるので、編集後記は意味
不明のページでもいいのではないか(ファーブルも変則の章[10-P228]
を大きな?マークで結んでいる)。
 あらためて読み返すと、要するに“記号論”の領域に立ち入っている
らしい。
 いま文学作品を声にだして読む読者は存在しないが、音楽作品は、音
に出た結果だけが(演奏しない評論家と、楽譜をみない愛好家たちに)
論じられるのは、滑稽にみえる。
 楽譜は、それ自体が記号芸術なのである。
 この懐疑的な態度は、すこしづつ彼らの心から離れていく。もちろん
スポンサーとも。                (Day'19981215)


 亀田 博之 染色デザイン 1939‥‥ 京都 /表紙 No.1〜4/独立美術展〜ある少女
 上野 比佐緒 印刷・写真 194・‥‥ 京都 /サンヨー印刷紙工
 清水 治雄   写真印画 194・‥‥ 京都
 土村 清治   写真撮影 194・‥‥ 京都 /NHKカメラマン
 門脇 邦夫     通訳 19420223 京都 /北英会話教室主宰“一聴一席”

(2006/01/09)


1970年03月05日(木)  プレイバック

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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700305
 
 プレイバック ── 《月刊アルペジオ 19680701-19690608 》
 
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 私たちはまた、巨匠のひとりを失なった。
昨年7月1日、京都における一コマから。
 
 志鳥 栄八郎《アンセルメの素顔》 
 
──「マエストロ、余計なことを聞くかもしれないが、いま睡眠時間は
どのくらいとっていますか」「八時間ですが、少ないときは六時間ぐら
い」「その間、昼寝はしないのですか」「昼寝なんて、したことがない」
── 詩仙堂を出て、クルマは銀閣寺に向かう。すると両側の家並みを
きょろきょろ見ていた彼は、「きたときの道とちがうところを走ってい
るが、こんどはどこへいくのですか」
「銀閣寺というところです」「ギンカクジ?やめよう、ホテルに帰ろう。
最初の予定にはいっていないではないですか……」「まあ、そういわず
に、もうすぐですから行きましょう、ほら、あの石垣が美しいでしょう」
すると彼は、「なるほど、なんと詩的な風景なんだろ」といって機嫌を
なおしてくれた。それは、まったく、だだっ子を病院にでも連れていく
ような調子であった。
── 帰りのくるまのなかで、彼は「きのうが結婚二十五周年だった。
いまのは二度目の妻でね、妻と娘の年が同じなんだよ、ワッハッハ……」
実に磊落な元帥である。ホテルに着くと、彼はさっそく真珠店にいって
真珠の指輪を買って奥さんにプレゼントした。その時によろこんだ奥さ
んが、元帥の頬に熱いキッスをした瞬間は、実に美しかった。
── 「これからのご予定は……」「来年からは、ときどき指揮台に立
てばよいから、気は楽です。自伝を書いたりエッセイを書いたり、まだ
五、六年は仕事をしますよ、書くことは好きですからね……」彼は、こ
れから本腰を入れて著述にとりかかるという。まったくゲーテのような
若い若い元帥である。
── (レコード芸術・1968・8月号)
 
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 こちらは気鋭の旗手、国際市場に通用する
パスポートの持主、その発言。
 
 岩城 宏之  外国で仕事をしているといろいろな国で実にたくさんの
作曲家の訪問を受けます。ハッキリいうと新作旧作の売込みですが、世
界的に名の通ったかなりの大家にも、あらゆるチャンスをとらえて自作
を演奏させたいという執念が見られ、辟易させられる反面、頭の下る思
いです。 − ところが日本では、私の知る限りでも、創作とは放送局の
委嘱に応える時だけのようですし、まして初演後については少々淡白す
ぎる気がします。こちらから全作曲家のところに押しかける意気込みで
すが、新人の方が遠慮なく自作を持って来て下されば大へんうれしく存
じます。
── (週刊新潮・1969・2月22日号・掲示板)
 
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 その世代意識と使命感、昨年11月1日《外山 雄三と語る会》の録音から
 
 京響の演奏水準があがった あがったといっては京響に失礼だといけ
ないから(笑)変ったからね 初めてできるようになった曲もあるし今
迄の京響の指揮者たちが偶然避けて通っておられて しかも所謂インタ
ーナショナルなスタンダードなオーケストラとしては当然やっておかな
きゃならない曲で 全く手をつけていないものもあったわけです
 これお聞きになるときっとびっくりされるようなものもあったんです
 モーツアルトの39番なんて僕が初めて演ったが“モーツアルト・オー
ケストラ”なんていってやがって何だって(笑)あのとき僕は思った 
スタンダードなオケのレパートリーで今迄手がけたことのない曲は僕が
意識的に 僕が居る間にできるだけ一度は演奏しておいて貰う 一度演
っておくと全然ちがいますからね その時うまくいかなくても 僕が演
らなくても誰かが引受けなきゃならない 僕たちの世代ってのは否でも
応でもそういうことを引受けなければならない そういう世代に属して
いると思う 京響と僕の関係だけでなくても だから僕はできるだけの
ことはしておこうという風に思ってる
── (於・十字屋ミュージック・サロン)
 
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 レコード・ラジオ・テレビの三代、そして
音楽を渡す人・聴く人・聴かせる人。
 
 クルト・リース《レコードの文化史》
 
 1929年の初め、レコード業界には楽観論がみなぎり、この楽観論は完
全に裏書きされたかにみえた。RCAはヴィクター・カンパニーをジョ
ンソンの売却先の銀行から買いとり、ジョンソンは、しばらくまえから
の懸念があたって、かれの生涯をかけた事業が不倶戴天の敵ラジオ事業
の手に渡っていくのを見た。
 あのように心をこめて築きあげたキャムデン工場が蓄音機にかわって
ラジオを製作するのを、ジョンソンは苦々しく、いや、憤激しながら見
ていなければならなかった。めったに口を開かなかったかれがここにい
たって「断じて売るべきではなかった…」と語るのであった。……たし
かに、ラジオの勢いをとめることはできなかった。アメリカで、1922年
に6000ドルだったラジオの売上げが、4年後の1926年には5億 600ドル
になり、1929年には8億4254800ドルにふえた。つまり、7年間に売上げ
が1400%増加したのである。
 しかし、このかんに、ラジオがレコードの(死)を意味しないという
こともわかった。人々はこれかあれかではなくて、これもあれも楽しみ
たいと望んだのである。
── Riess,Curt/佐藤 牧夫・訳《レコードの文化史 19690110 音楽之友社》P309,312
 
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 串田 孫一《音楽とのめぐりあい》
 
 たとえば、その数は多いか少いかわからないが、音楽に関して大変に
詳しい人である。その詳しさは、音楽の専門家、つまり演奏者ではなし
に、音楽研究家たちが、どんな質問をしても、即座にどんどんと答えら
れるのではないかと思うほどに、知識をたくさん持っている。こういう
知識を仕入れるのには本もたくさんあるし、番組をきちんと見て音楽の
放送をきいているだけで十分である。……
 若い人たちと言ってもさまざまの性格の人がいて、ほかの勉強をしな
がら、楽器を携えて、専門家に肉迫して行く人もいるし、自己流に、音
を出して、楽しんでいる人もいる。またレコードや、再生装置に詳しく、
その方にお金をそそぎ込んで熱中している人の数も多い……ところが、
もうひとつ別の音楽好きのことを忘れてはならない。この人たちは、レ
コードも持たず、特に再生装置をほしがることもない。FMを受信でき
る小型のラジオぐらいで、放送される音楽をたっぷりきいているが、あ
まりしゃべらないのでわからない。ところが意外にこういう人の中にそ
の受け取り方は素朴だと言われるかも知れないが、静かな感動をひそか
に喜びつつ、音楽をきいている人がある。
── (FM fan 1968・1・1 )
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 串田孫一氏の対談《音楽と人生》は、もともと与太郎の公開インタビ
ューとして企画されていた。そのことを主催者の田中義雄が小石忠男氏
との会食中に雑談のつもりで切りだしたところ、小石氏はてっきり自分
のための企画と思いこんで、内ポケットから手帳を取出してしまったの
で、同席者一同、顔を見合わせながら変更することになった。
 
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 団 伊玖麿・丹羽 正明《音楽家よ自信をもって》
 
丹羽 その“題名のない音楽会”じゃなくてテレビで“ポップス・コン
サート”をしているけど、どんなつもりで始めたのですか。
団 僕は大変オーケストラが好きでしてね。ところがテレビからだんだ
んクラシックのオーケストラ番組は減っていく。テレビを、僕は長い間
懐疑的に見ていたが、現実を見ると、やはり今は大きな影響力を持って
いる。これを見のがして、だんだんオーケストラの番組がなくなるのは
残念だ。そこで読売交響楽団とかたらって、なんとかして番組を持ちた
い。テレビでもいいものを残していきたいということで、ポップスとい
うのは僕はきらいだが、またやってるのはポップスとは思わないが、ま
あ親しめる曲も入れて演奏をよくして、オーケストラ番組を残そう──
残そうという消極的な態度でなく──これをもととして発展させたいと
思ったわけです……作曲の仕事と直接には関係ないようだが、演奏とい
う面で分野がどんどん広がることが、ひいては大衆ともっと近よった形
で存在していけるんではないか、生まれてくるんではないか、と思うも
んだから、大変一生懸命やっています(笑い)。そしてなるべくポピュ
ラーのものの中に日本人のまじめな作品、過去から受け継いできた遺産
もありますよね、滝廉太郎とか山田耕筰、信時 潔……それから現在の
作曲家では 小倉朗、高田三郎もいますし、自作も含めてくり返して耳
に親しいものにしていく。
── (FM fan 1968・1・1 )
 
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 楽譜、その発見、初演、そして探求。
 
 J.M.コレドール《カザルスとの対話》
 
 ある日──そのとき私は13才だったが──偶然に一軒の店でバッハの
《六つの無伴奏組曲》をみつけた……私はそのときまで、だれ からも
この曲の話を聞かなかったし──私も、私の先生も──それがあること
すら知らなかった……それから夢中になってこの組曲を勉強しはじめた
が……公衆の面前で演奏してもよいという気になるまでには、それから
12年も研究をつづけなければならなかったのだ。私より以前には、ヴァ
イオリニストもセリストも、この大家中の大家であるバッハの組曲やソ
ナタを完全な形でひいたものはなかった。演奏家たちは普通、サラバン
ドとかガヴォットとかアルマンドとか、その一部分しか演奏しなかった
のだ。私の考えは、この作品を少しも省略しないで演奏することだった。
すなわちプレリュードと五つの舞曲──それぞれその時代の舞踊の名を
もつすぐれた作品──その全部を、繰り返しもともに、各部の緊密な連
絡や、内的な統一をあらわすように演奏したい、ということだった。
── (佐藤良雄訳・白水社1967再刊)
 
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 H.ジョルダン=モランジュ《ラヴェルと私たち》
 
 私たちはすっかりまいってしまった! 二つの楽器はあんなに相異な
るものであるのに、ラヴェルはその二つの音色の間のどんな小さな裂け
目も許してはくれなかった。そこで…口論になった!──だけど、それ
ではあんまりむずかし すぎますわ、と私はやり返した。あなたはチェ
ロでフリュートを吹かせ、ヴァイオリンに太鼓をやらそうとおっしゃい
ますもの! こんなにむずかしいことを書くのはさぞ面白いでしょう!
 だけど、わずかばかりの名人にしか弾いてもらえませんわ!
──それはけっこうだね。と、かれは笑いながら答えた。それなら私は
素人にめちゃめちゃにされないですむことになるから!
 ……ラヴェルが《ソナタ》を完成するのにかかった4年のあいだ、そ
の献呈については私にひと言も話さなかった。私たちのあいだではその
初演のことしか問題にならなかった。
《二重奏》のときと同じく、かれが私にその初演をさせることにしてい
たのは、私は知っていた。しかし、私がその被献呈者であることを聞く
という喜びを知ったのは、まったくの偶然であって、ある友人がそれを
教えてくれたからであった。……その上かれは私に手書きの原稿まで贈
呈してくれた……人びとから崇拝されている芸術家が手ずから書いた譜
面をじっと見つめていると、まことに感慨深いものがある。あの筋ばっ
た手で引かれたアクセントは私たちにとってなくてはならぬものとなり、
スラーの美しい曲線はますます肉感的なものに思えた。
 私は、かれの手書きの原譜を見ながら演奏していると、いつもこの作
曲家の意図に、より忠実であるような印象を持つのであった。
── (安川加寿子・嘉乃海隆子・共訳 1968 音楽之友社)
 
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 吉田 雅夫《フルート公開レッスン》
 
 ふるい音楽では、作曲家が書かなかったけれども演奏家がやらなくて
はいけない5つの原則、テンポ・リズム・ダイナミック・スラーとスタッ
カート、そして装飾です。これらを決定することが演奏家の仕事です。
当時は作曲家がことこまやかに指示したとすれば、演奏家の権利を侵害
したことになるんです。
 たとえば8分音符の連続、これを昔はどう演ったか、均等の長さで吹
くことではなく、不均等が原則だったのです。均等に吹かせるためには
作曲家は音符の上に点を書かなければならなかった。それがいつの間に
かスタッカートに転化してしまった。だからふるい譜面をみるときには、
そのどちらを要求したのかを明確に見きわめなくてはならないんです。
 たとえば、スコットランド民謡“ゆうぞらはれて”という曲、元来は
スコッチ・スナップという特殊な地方的な色づけのあるリズムです。こ
ういうものが外国に正しく伝えられるか、日本ではそうはいかない。三
味線のリズムになってしまうんです。……ほら……(笑)
── (1969・6・8 /十字屋楽器店・主催)
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 吉田雅夫氏は《フルート公開レッスン》のあと、すぐに新幹線に乗る
ので、白昼のビヤガーデンで簡単な会食がもたれた。主催者の田中昌雄
社長に招かれて隣に坐った与太郎を、吉田氏は何か勘違いされたらしく、
レッスンの続き(バロック音楽の即興性)を語りつぐ。タクシーの窓か
ら首を出し、走り去るまで、その講義は終らなかったのである(別稿)。

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1970年03月03日(火)  出谷 啓:ジャズを読む

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700303
 
 クラシック音楽の、おびただしい文献の数に比べて、ジャズに関する
ものがきわめて少ないのは、日本だけでなく、本場アメリカやヨーロッ
パでも同じ実状である。ひとつには歴史的にまだ浅いために、研究家が
百出するに及んでいないともいえるし、もともと実演を中心に発達した
ために、研究対象として把えにくいことなども考えられる。そのかわり
“凡誌愚本”のたぐいは概して見当らず、不幸中の幸いとでもいうべき
であろうか。以下は、主として初心者のためのリストで、歴史もの・辞
典類・解説もの、といった順に列挙した。割愛した良書・好書も多い。
 
J.ベーレント《ジャズ〜その歴史と鑑賞》油井正一 訳・誠文堂新光社
 
 著者は西ドイツを代表する評論家で、作曲家でもあるだけに、その考
察は詳細をきわめており、クラシック音楽との対比から、各楽器の特性
に至るまで、鋭い批判精神に貫かれている。アメリカで生れたジャズが、
評論の分野では、ヨーロッパに一歩をゆずるという定説の面目躍如たる
力作である。ちなみに、1958年のドイツ語版による日本訳が出版直前と
なっていたところ、原著者の意向で、4年後に出た英語版をもとに、逐
次追加稿をあわせて、油井氏によって改訳されたのが当書でまさにジャ
ズは生きもの、の所以である。
 
油井正一《ジャズ〜その半世紀の内幕》創元新社
 
 できすぎた話には、おおむね誇張や歪曲の影があるはずで、たとえば
往年の音楽映画《未完成交響楽》など二作いずれも完全なフィクション
ではあったが、それはそれなりに、一面の本質をとらえることが可能で
ある。
 実際、ジャズのエピソードといえば、どこまでが事実やら、当人でさ
えアテにならないものもあるらしく、したがって絶妙の西洋風講談にも
なり得る。当書は決して不真面目なものではなく、いわば著者の博識を、
縦横に駆使した“よみもの”であるが、なかなかに啓示に富んだ本格的
な労作といえる。かなりの高給ファンでさえもが、思わずヒザを叩くほ
どに、語り口はなめらかである。
 
グローアー&キープニーズ編《A Pictorial History of Jazz》Crown Pub.
 
 よむ、というよりは観る本であろうが、詳しい解説・注釈によって、
写真資料が整然と分類された唯一のものである。共編者のふたりは、も
とリヴァーサイド・レコードの社長で、マニア中のマニアであったらしい。
 
植草甚一《モダン・ジャズの発展/バップから前衛へ》スイング・ジャーナル社
 
 鮮烈な時代感覚と、豊富な引用によって、前衛ジャズへの傾倒ぶりが、
熱っぽく語られたエッセイ集。翻訳家あるいは映画評論家としての著者
を知る人も多いはずである。
 
F.ニュートン《抗議としてのジャズ》山田進一 訳・合同出版
 
 フランシス・ニュートンとは、イギリスの経済学者エリック・ボズム
ボームの変名だが、意識的な題名のとおり、社会学的な見地から存分に
ジャズを論じた近作である。
 
L.フェザー《The Encyclopedia of Jazz》Horizon Pub.
 
 1955年の初版、1961年には改訂版としての《New Edition》、1966
年には増補版である《'60s》が加わり、今春《'70s》も出るという、
いうなればジャズ・マニアのための虎の巻である。人名辞典を主として、
前後に歴史や文献・楽典が要領よくまとめられている。ジャズ紳士録と
して決定版であり、おそらくレコード・ジャケットの解説のほとんどが、
当書をたよりに書かれているのではないか。縮少版として、かつモダン・
ジャズに限定したものに《モダン・ジャズ百科/スイング・ジャーナル 
社》がある。
 
野川香文《ジャズ楽曲の解説》千代田書房
 
 スタンダード・ナンバーの作詞・作曲・年代・歌詞大意(!)さらに
代表的名演などを列記したところの労作である。著者は1957年他界、た
めにケントン、ハーマンなど、プログレッシヴ時代で途切れている点が
惜しまれる。
 
G.サイモン《The Big Bands》Macmillian Pub.
 
 1920年代から、ごく最近までのビッグ・バンドを網羅したもので、著
者自身、スイング全盛期にメンバーとして活躍した豊富な体験があり、
なんといっても説得力に満ちている。歌手についての言及もあり、第二
次大戦後に流行した例の《センチメンタル・ジャニー》が縁で、ファン
となったオールド・タイマーには、わくわくするような回顧録である。
 
 ■ 各国のジャズ月刊誌
 
《スイング・ジャーナル》 日本
《ダウン・ビート》    アメリカ
《ジャズ・マンスリー》  イギリス
《ジャズ・オット》    フランス
《コーダ》        カナダ
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700303
── 出谷 啓《ジャズを読む 19700303 月刊アルペジオ》
── 《Day was Day 20001224 Awa Library》P203
 
(20070217)
 


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