与太郎文庫
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1958年09月01日(月) |
リルケとピカソ 〜 To go, or not to go. 〜 |
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っていたわけではなく、ただピカソに附いて書かれたものを知っていた だけだった。ピカソの絵を自分の眼で見たわけではなく、ただ絵を頭の 中で想像していただけだった。 私のピカソに対する眼を開いてくれたのは「青の時代」と呼ばれてい る頃の彼の作品である。この時代の絵は現在ピカソ風の絵と想像され呼 ばれているようなものとは全く違っている。私自身ピカソにこんな絵が あったのかと中ば驚かざるを得なかった。しかしながらその驚の中に何 か強い力で自分の心が引きつけられているのに気づいていた。そして急 にピカソという画家が、想像していたように自分から隔ったものではな く、非常に身近に感じられるようになったのである。「青の時代」の作 品の一つに(勿論複製だが)「自画像」(1901)という絵がある。分厚い 飾り気のないマントを襟を立て無造作に着こんだピカソ、その顔は少し 骨ばり、ひきしまった力強さを感じさせる。そしてその眼、この眼の光 こそが私の心を捕えるのである。それに左側の空間、それはピカソの孤 独をはっきりと表わしている。この絵から私はこのピカソの孤独を感じ るのである。力強い孤独である。感傷的な甘い孤独ではない。社会から の避逃というような孤独でもない。敗者の孤独では決してないのである。 その眼の光が示すように力強い自信のある孤独なのである。貧困等によ り外部から強制された孤独ではない。また自分の意志で入り込んだ孤独 でもない。彼の内部から、彼自身どうすることも出来ない力で押付けら れた孤独なのである。その内部の力というのは謂わば彼が背負いこんだ 運命である。ピカソをしてピカソたらしめた運命である。言いかえれば 才能なのである。彼が自分自身のこの運命的な孤独を知ったのは、彼の 画家としてのするどい「見る力」によってである。彼にとって見るとい う事は単にものを見るという事ではなく、ものを見抜く事である。もの の表面を見るのではなくそのものの裸の姿を見透す事なのである。考え る事と見る事とは同じ事なのである。この彼の見る力が彼と他との繋を 断ち、その間に深い溝を掘ったのである。彼は他の人々達と同じ平面に 居たのではなく、彼の回りは深い断崖で囲まれていたのである。同じ平 面に下りる事は不可能であり、謂わば自殺行為に等しかったのである。 だから彼の孤独は他の人々の慰めた同情を受け入れるようなものではな かった。それらは唯彼の孤独の溝を深めるばかりである。それは彼を他 の人々と同じ平面に引きずり下ろそうとする企てに過ぎないのである。 彼は孤独の中にあってこそ自分自身を掴めたのであり、その孤独の殻を 破ることは自分自身を破壊する行為に等しかったのである。また彼は自 分の孤独を疑ってはいないのであり、その孤独に自身を持っていたので ある。この自画像の持つ力強さは、彼自身が宿しているどうにもならな い運命的な孤独をじっと見つめ、それを受け入れる苦しみをじっと堪え て行こうとする強い意志の力にほかならないのである。 同じ青の時代の作品に「アルルカンの家族」(1905)という絵がある。 道化役の衣装をつけて幼児を招く夫と、裸で化粧するその妻とが、この 世のものとも思われないような、一種病的なまでの雰囲気で画かれてい る。それでいて何か透明な異様な美しさが漂っているのである。やはり この絵も彼の孤独を表わしている事には間違いない。しかし、あの自画 像に見られるような力強さは全くない。そしてアルルカンの眼は黒く塗 りつぶされ、落窪んでいて、もはやあの自画像の強い眼の光は影を残さ ない。それにその青い色はまるで氷のように冷く透徹っており、ほのか なバラ色さえ漂っているのである。そこには何か感傷的なものさえ感じ られる。しかしそれだけでは説明しがたいものがある。感傷というのは 表面的な感じに過ぎず、透徹るような女の体には、その異様に細長く曲 り屈った手には一種の恐怖が感じられるのである。しかしそれは彼の孤 独がますます深くなり、純粋になり、透明なものにまでなったためなの である。落窪んだ眼は内部にそのするどい視線が向けられているために 外ならないのである。その青い色は丁度水の清らかな底知れない湖に張 った氷のようである。ここでピカソが見たのはその氷を通して見る底知 れない深みである。絵に画かれているのは(感傷的なのは)その表面に 張った氷に過ぎないのである。しかも一枚の透明な氷がピカソと底知れ ない湖とを隔てているのである。アルルカンがピカソがそこにも見たも のは、究極までも追い詰められた孤独、死の世界と一枚の氷で隔てられ たところにある孤独、即ち精神の孤独なのである。彼と他人との間を裂 く孤独ではない。それはピカソの眼が外側に向けられていた時に見た孤 独である。アルルカンの内側に落ち窪んだ眼が見ているのは人間精神の 孤独なのである。人間の精神が精神のない世界の中にある時の孤独であ る。生きている事の死に対する孤独である。人間の宇宙に対する孤独な のである。しかもその二つの世界が一枚の薄い氷によって隔てられてい るという恐怖がその孤独をとり囲むのである。ピカソの場合は特に精神 の孤独というのは自分の中にある美意識の底知れぬ無意識に対する恐怖 に似た孤独であった。美を作り出そうとする意識の孤独である。「美と は何か、美とは人間の意識上のものに過ぎないのではないか。美とは観 念の中にしか存在しないのではないか。それでは何が美であり何が美で ないのだろうか。すべてが美ではないか。それともすべてが美でないの だろうか。自分は意識して美を作り出そうとしているけれど、それが本 当に美といえるのだろうか。一体美というものがあるのだろうか」そう いった疑問が彼を精神の孤独に追いやったのである。自分の美意識が信 じられなかったのである。 人間精神の孤独、それはかつては東洋の画家達、思想家達によって自 然の中に、無情な自然と無常な人生の中に見い出されたものであった。 そしてその芸術や思想の基調となったものだった。しかしピカソは自然 の中に見い出したのではなかった。スペインに生れた彼にとってヨーロ ッパの自然はあまりに豊かすぎた。しかし彼はそんな事には惑わされな かった。自分自身の中に貧困と孤独の生活の中に精神の孤独を見い出だ したのである。 しかし、やがてこの底なしの湖と彼とを隔てる氷の割れる時がくるの である。ピカソはその割れ目に否応なしに落ち込まなくてはならないの である。しかし彼が恐れていたその湖ははたして死の世界だったのだろ うか。その問に対しては「アヴィニヨンの娘達」(1907)が答えてくれる だろう。氷の割れるのと同時に彼の青の時代は去ったのである。アヴィ ニヨンの娘達はあのアルルカンの妻のこの世のものとも思われないよう な透明な体を持ってはいない。生き生きとした力強い体であり、最早や あのアルルカンの持っていた死の臭は感じられないのである。それに娘 達の眼は今やはっきりと外部に向って開けられている。しかし自画像の ような思いつめた眼ではない。明るい眼である。そしてあの孤独を表わ す左側の空間は何処にも見当らない。だが一番大切な事は今日我々がピ カソの絵といっているような絵に近づいた事である。すなわちあの簡約 化された硬い鋭いフォルムが崩れ始めたという事なのである。これらの 事実は一体を何を表わしているというのだろうか。それはピカソが湖の 中に落ち込んで見たものが、死の世界ではなくて、全くの生の世界だと いう事なのである。孤独からの開放、堅苦しい精神からの自由を彼は見 い出したのである。底知れない湖は恐怖の世界ではなかったのである。 恐怖は唯一枚の氷の上にだけにあったのだ。それは氷によって限定され た有限な世界から見た無限の世界への怖れだったのである。理解し難い もの、把握し難いものへの本能的な怖れなのである。我々を規定する氷 とはすなわち我々の精神である。ピカソの美意識なのである。それは本 来一つの世界である生の世界と死の世界とを、美の世界と美でない世界 とを無理に分けへだてる氷なのである。その氷そのものなのである。だ から氷が割れてしまえば、もはや相対する二つの世界は存在しないので ある。生と死とは一つのものであり、美と醜とは同じものなのである。 底知れぬ無限の世界は恐怖ではなく、何ものにも限定される事のない無 限に広い自由の世界なのである。精神という死んだ枠から開放された生 の世界なのである。本当の意味での尽ることのない自由な世界なのであ る。この尽ることのない自由−精神からの開放−は必然的にフォルムの くずれを生ぜせしめるのである。フォルムとは何か。彼の目にはフォル ムとは彼をとじこめてあの氷にしか見えなかった。フォルムとは死んだ ものとしか見えなかったのである。彼の豊かな生命は、感動はそんなフ ォルムの殻には入りきれなかったのである。そのため彼の感動はフォル ムの殻を破って溢れ出たのである。縦向けになった眼だとか、ひんまが った鼻だとかは何も立体感を出すための工夫ではない。彼は何らそうい った観念的な工夫を持って画いてはいないのである。彼の生の感動がそ のまま筆に伝わり、フォルムや、美意識に囲われる事なく、直接にカン バスの上に表われているのである。その結果としてそういったフォルム のくずれが生じてくるのである。だから彼の絵には、そのフォルムのく ずれには何ら作為的な堅苦しさが感じられず、のびのびした自由が感じ られるのである。フォルムがくずれたというのは何度も言うようにあの アルルカンの氷が割れたのと同じ事なのである。彼が精神の殻から開放 され自由の世界に飛び立ったという事と同じなのである。 一九二〇年代の作品に「三人の音楽家」や「三人の踊子」がある。こ れらの絵はなんと楽しい絵であろうか。色のハーモニーはそのまま三重 奏となって、円舞曲となって聞えてくるようである。そのフォルムには 子供の絵のように無邪気ささえ感じられ、天真爛漫というか何か底ぬけ の楽しさがある。そこには確かに子供の絵の持つ感じに似たものがある ようである。それは謂わば絵を書く時の無心な態度、美を造り出そうと いう事を意識しない態度が子供のそれと共通なのだからであろう。子供 の絵はしばしば我々の心を打つが、それは彼等の絵が無理に絵を作ろう として画かれたものでない事、すなわち美を作り出そうという意識を持 たずに感動が直接に表現されている事によるのである。またその結果と しての何物にも囚われない自由さが我々を感動させるのである。いずれ にせよピカソの絵には子供の絵のようなのびのびした自由な感じがある 事は確かである。 私は今「春」というごく最近の絵を見ながらこの文を書いている。そ の中の一匹の山羊を見ている。いや山羊ではなくて一角獣のつもりなの かもしれない。しかしピカソが画いているのは山羊でも一角獣でもない のである。唯彼の内部にある自由なフォルムが画かれているのである。 そのフォルムはピカソの感動それ自身であり、ピカソの溢れる生命力そ れ自身なのである。精神という死んだ殻から解放された生命力の躍動が 自由なフォルムとなって表われてくるのである。あの「ゲルニカ」の化 物達は死んだ化物ではない。化物達の眼や口や四肢がそれぞれ一個の生 命を持ってその生命力で暴れ回っているのである。しかしその生命力と は単なる生ではない。死の深淵を覗き込んだ者が始めて知り得る、何も のにも限定されない、死を恐れない、本質的に自由な生命なのである。 死んだ観念や意識では捕える事が出来ない生命なのである。彼と同じよ うにやはり死の深淵を見た詩人リルケは 「見よわたしは生きている、何によってか、幼時も未来も減じはせぬ ……。みなぎる今の存在が、わたしの心情のうちにあふれ出る」 (ドウイノ悲歌)と歌っているが、このみなぎる今の存在、うちあふれ 出る心情こそはピカソの持つ生命であろう。 (1958・9・1) ── 《山脈・第十六号 19581010 同志社高校文芸部》 << ※ “近代美術の尖端当な動向”印刷のママ。以下、誤植がおおい。 “心が引きつけられいるのに気づいていた” 透明なものにまでなっためなのである。 落ち窪んで=落窪んで 一体を何を表わしているというのだろうか。 と同時彼の青の時代は去ったのである。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581010 山脈・第十六号 〜 Gone from the Window. 〜
Picasso, Pablo 18811025 Spain 19730408 91 /〜《Gernica,1937》 Rilke, Rainer Maria 18751204 Plaha 19261229 51 /〜《Duineser Elegien,1923》《Auguste Rodin,1903》
── 夜の最も静かな時刻に、「私は詩を書かなければならないか」と 深く自己自身にたずね、「私は書かなければならないのだ」という力強 い一語のみかえってくるなら、あなたはその必然に従って生涯をつらぬ きとおしなさい。 ── リルケ《若き詩人への手紙 19030217 》 ── 《世界の古典名著・総解説 19931130 自由国民社》P440 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1422174.html (No.1) ── 現代芸術は、それぞれつぎの作品によって、役割を終えています。 文学:プルースト《失われた時を求めて》&ジョイス《ユリシーズ》 音楽:ワグナー《神々の黄昏》&ストラヴィンスキー《春の祭典》 絵画:ピカソ《ゲルニカ》&モンドリアン《リンゴの樹》 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2730553.html (No.5) 未来芸術論 〜 仲介者の退場 〜 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4689800.html (No.10) 自分との対話 〜 わが心を覗きこむとき 〜 模写 & Report 空間の次元 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19591017 ピカソ《葡萄とギター》 (2001-20090815)
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