与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
1953年01月05日(月) |
涙ぐましも 〜 音痴の教え子 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530105 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19530105 Ex libris Awa Library; http://d.hatena.ne.jp/aedlib/19500301 書簡目録(差出人順) 1.与太郎の音楽自伝メモ(年代錯誤あり)。 1948 春. ヘ長調ショック(塩見先生→故・秋田 幸代先生)音痴の烙印 1951 秋. 牧場の朝(大橋 まり先生)二部合唱(低音部)で名誉回復 19540817 キリギリス 〜 アリガ来たりて 〜 ── 六年生の学芸会は、そっぽを向いていると、皆とならんで《牧場 の朝》を歌うことになった。二部合唱だというが、わざわざ二組に分れ て、片方だけが別の妙なメロディを唄うのはなぜか、ついに最後までわ からずじまいだった。── (虚々日々:演太郎)五年生が正しい? ── 上田 ●●・編《まきばの朝 195010‥ Siato ?》新洞小学校「5年ハ組 アワ ユキコ」の署名 http://blogs.yahoo.co.jp/vnnori0725/47360657.html 4年 「まきばの朝」(2) - けやきPatio小学校音楽専科・3学期 ‥. ── 船橋 栄吉・詞曲《牧場の朝 19321210 新訂尋常小学校唱歌第四学年用》 船橋 栄吉 作曲/バリトン 18891215 兵庫 東京 19321222 43 /19241129《第九》日本初演独唱 19831127《牧場の朝》歌碑除幕=福島県岩瀬牧場 牧場の朝と船橋 栄吉 http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/makibanoasa20030113.html 神戸新聞 Web News「牧場の朝」と船橋栄吉 〜 万能音楽家の足跡 〜 2.音痴告知 よく分らないまま、ともかく(合唱練習で)低音部を歌っていると、 大橋先生が一人一人の声を確かめに来られた。秋田先生よりも先輩で、 のちにウィーン少年合唱団を手本にされるなど、やや専門家だった。 19551220 初来日(大橋 まり&金谷 昭良両先生、京大病院で語る) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080428 天使の歌声 〜 華はどこへ行った? 〜 合唱練習のあと、学友たちの意外なささやきが耳に入った。 「大橋センセは、お前の声だけが合うとる、云うてはったで」 そんなはずがない、いまもって信じられないのは、確証がないからだ。 しかるに大橋先生は(いちど聴いただけで)与太郎が音痴でないこと を認められた。しかし秋田先生には伝わらなかったのだ。 なぜ一言「あなたは音痴ではない」と云ってくださらなかったのか。 ── 金谷先生に「ぼくは音楽にも通じたい」と云うと「そら無理や。 きみは小学校三年の時から音楽だけ、あかなんだ。唱歌の試験で、きみ だけ歌わんいうて、女の先生が泣いとったやないか(伊甲遍路:弓と筆)」 音楽の授業で、ひとりづつ先生のピアノ伴奏で歌うのは当然である。 ただ一度、秋田先生の前で一曲うたったら「よう歌ぅたね」と涙声で 励まされたが、その後も一人で(人前で)歌うことを拒否しつづけた。 秋田先生への賀状が途絶えたあとも、大橋先生には3年つづけている。 つぎの賀状返書は、中学一年の三学期をひかえ、音痴のまま卒業して いった教え子に「涙ぐましも」と書かれている。 3.茂吉のなみだぐましも 年々のことなりながら羊歯青く もえずる見ればなみだぐましも 茂吉 ── 御賀状を心からうれしく拝見しました。たのもしい御成長ぶりを 金谷先生から時々伺っては共によろこんで居ります。ご健康と御多幸を 祈り上げます。 一九五三年一月五日 大橋 まり http://d.hatena.ne.jp/aedlib/19530105 涙ぐましも 〜 をなご先生のてがみ 〜 私立中学に進んでも、チャペルで賛美歌合唱のたびに、井戸田くんが 与太郎の声を聞きたがって、わざわざ耳を寄せてくるほどだった。 それが、中学三年の夏になって、とつぜん歌いはじめたのである。 ── 唱歌の時間にも断固として歌わなかった音痴少年が、先生や神学 生の男性合唱に耳をかたむけ、ついに目ざめたのである。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19540817 キリギリス 〜 アリガ来たりて 〜 4.旅人の涙ぐましも ── 妹(いも)と来(こ)し敏馬(みぬめ)の埼(さき)を還(かへ) るさに独(ひとり)して見(み)れば涙(なみだ)ぐましも 大伴 旅人 〔巻三・四四九〕 ── 前の歌と同様、旅人が帰京途上、摂津の敏馬海岸を過ぎて詠んだ ものである。「涙ぐましも」という句は、万葉には此一首のみであるが、 古事記(日本紀)仁徳巻に、 「やましろの筒城(つつき)の宮にもの申すあが背(せ)の君(きみ) は(吾兄(わがせ)を見れば)泪(なみだ)ぐましも」の一首がある。 この句は、この時代に出来た句だから、大体の調和は古代語にある。 そこで、近頃、散文なり普通会話なりに多く用いる、「涙ぐましい」と いう語は不調和である。 この歌は、余り苦心して作っていないようだが、声調にこまかいゆら ぎがあって、奥から滲出で来る悲哀はそれに本づいている。旅人の歌は、 あまり早く走り過ぎる欠点があったが、この歌にはそれが割合に少く、 そういう点でもこの歌は旅人作中の佳作ということが出来るであろう。 旅人は、讃酒歌(さけをほむるうた)のような思想的な歌をも自在に作 るが、こういう沁々(しみじみ)としたものをも作る力量を持っていた。 なおこの時「往くさには二人吾が見しこの埼をひとり過ぐれば心悲しも」 (巻三・四五〇)という歌をも作った。やはり哀(あわれ)深い歌であ る。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/5082_32224.html ── 斎藤 茂吉《万葉秀歌(上下)19381120 岩波新書》 http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/card5082.html 自答自問;Q&A(別項に詳述) ── ハ長調なら読めるが、ヘ長調は読めない。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051207 楽譜を読む人々 〜 Hatena enquete 〜 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1835903.html (No.1) ↓最短六年、苦節十年 〜 Too late or not too late 〜 http://q.hatena.ne.jp/1278647554#a1026259 (20090314-20111008)
|