与太郎文庫
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1948年08月31日(火) |
宮本家の人々 〜 ファースト・ペンギン 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19480831 https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(推奨 Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19480831
Ex libris Web Library;マウス型スキャナ 20140304 King Jim http://www.kingjim.co.jp/news/release/detail/_id_18865 1927‥‥ 宮本 英太郎「名鑑堂」創業。「切り抜き式人名簿」発売。 19480831 株式会社 名鑑堂 設立。 1954‥‥ 国内初「パイプ式ファイル」発売。 1961‥‥ 「キングジム(King Jim Co., Ltd.)」に社名変更。 1964‥‥ 「キングファイルG」発売。 1988‥‥ 「テプラ」発売。 http://www.kingjim.co.jp/company/history 宮本 英太郎 材木商 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /[1948-] 彰の祖父 …… 理想とする企業像は、一つのリンゴに例えられる。芯が経営者で、 実が社員。芯が周りに十分な栄養を送ってこそ、立派なリンゴができる という一種の運命共同体論だ。四六年前に起きた労使紛争が、私にこの 考え方を強く植え付けた。縁あって創業者の長女と結婚し、専務として 入社した二年後のことだった。(宮本 浩三 キングジム会長) http://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/19990601/NV0177H_480505a.html 宮本 浩三 社長 2 1922‥‥ 東京 20111211 89 /[-1992] 彰の父 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14026_U1A211C1CC1000/ 宮本 彰 社長 3 1954‥‥ 東京 /[1992-] …… いつかペーパーレスの時代がくるから、次の柱をつくらなくては。 http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2012/12/post-131.html http://www.ntt-east.co.jp/ictsoudan/interview/ch12/ ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20150512)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19480817 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html 魚取り 三年ろ組 阿波 之男 ぼくが夏休みにいなかへ行ってから三日目のことでした。ともだちの お月さん(森田君といって顔がまんまるいのでみんながそう呼んでいま す)と二人でちとせ橋へ魚をとりに行きました。 お月さんのせつめいでは、この川は「やす川」といって川下はびわ湖 へ流れているのだそうです。きれいな石やすなが水をとうして、美しく よく見えています。その中をモロコやゴリや、ムツなどが、気持よくス イスイとおよいでいるのが上からでもよく見えます。 ぼくは、思い切ってズボンのすそをまくり上げてお月さんと二人で水 の中へはいって、持って来たザルですくい取ろうとおもいましたが、な かなかうまく取れません。 岸から見ていると、そんなに深くないと思っていたのに、はいって見 るとなかなか深いので、前の方へ行く事ができません。 ザルも水の中では思ったように動かしにくいのでよわってしまいまし た。 あきらめて帰ろうと思って岸の方へ来たら、大きな岩のかげに、二十 センチくらいのどんこがじいっとしているのを見つけました。 ぼくはさっそくザルをほうり出して手づかみで、取ろうと思ってしづ かに岩の横の方から手を入れて、ドンコの後へまわりました。 目をつぶって思い切ってギューッとにぎりしめました。 「取れた!!」 すなといっしょにドンコがぼくの手の中でピチピチし ています。 ぼくはうれしくてうれしくてたまりません。お月さんも、まるい顔を ニコニコしてうれしそうにぼくの手の中を見ていました。 さっそく二人で持って帰っておじいさんに見せると「こんなのは之男 ぐらいしかとれんわい」と目がねをかけた目をほそくして笑われました。 ぼくはなんだかおじいさんにヒヤカサレているような気持でした。 それでもぼくはうれしくてうれしくて、いつまでもドンコを見つめて いました。 ── 《文集 194903‥ 新洞小学校》P19-20/竹田謄写堂・印刷 Ex libris Awa Library;1949 文集 0 この日付は、義叔母の(翌年の)葉書から推して、お盆(0815)から 三日後(0818)とみられる。「おじいさんにヒヤカサレているような」 という文体は、いまだ父の手が加えられた形跡がある。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19500801 Let'19500810 from 杉原 和代 四年生と六年生の文集が残されていないのは、選にもれたらしい。 五年生では、俳句と称する一行詩が掲載されているが、凡庸である。 中学に進んで豹変するのは、なにかを発見したとみられる。 ── 阿波 之男(五年ろ組)《俳句;裏門のすき間にちらりと自転車通る》 ── 《文集 195103‥ 京都市立新洞小学校》P59/竹田謄写堂・印刷 (20100602)
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