与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


1905年02月12日(日)  皇帝変奏曲 〜 交響曲と弦楽四重奏曲の父 〜

 
 Ex libris Web Library;Francis II, 1792.png
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/17970212
 
…… ガイリンガーは、「驚くほど霊感にとぼしい四重奏曲で、彼の後
期作品の系列に位置づけることがほとんどできない」と極言している。
── 大宮 真琴《名曲解説全集 8 19591110 音楽之友社》P86
 
── 《ららら♪クラシック「ハイドンの“皇帝”」20160507 NHK》
── 《20160507 21:30-22:00/20160512 10:25-10:55 NHKe》
 
https://twitter.com/awalibrary/status/728911811357999104
 
…… 頭数はそろったものの、用意した譜面のうち、満足に
弾ける曲がない。ハイドン《弦楽四重奏曲》のなかでは、四人の独奏が
あいついで展開する“皇帝変奏曲”こそデビューにふさわしいのだが、
とても手に負えないことがわかった。
 だんだんレベル・ダウンして、最後は“ひばり”第一楽章に落着く。
「ハイドンは、どうもねぇ」と気乗りしなかった竹内君も、本番の日が
近づくにつれて「シェラフ(寝袋)を持ちこんで泊りこもうか」と言う。
 彼は山岳部にも身をおいていたのである。
 
…… 《皇帝賛歌》の歌詞、一番は「外国を刺激する」、二番は「意味
がない」ので、三番だけが“ドイツ国歌”として歌われている。
── 《朝まで生テレビ 19990327 テレビ朝日》
 
…… 古楽器による現代的演奏(NHK芸術劇場)を聴くと、初演時の
サウンドは、当時としては前衛的ではなかったか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010308 クヮルテット 〜 弦楽同好会 〜
 シンフォニエッタ序章 〜 器楽部中興史 〜
 
…… 最近も、古楽器ばかりのクヮルテットで、ハイドン《皇帝変奏曲》
を聴いたところ、まるでちがう形態の弦楽四重奏なのだ。
 当時は、この曲でさえ、とても前衛的な趣向であったことが判る。
 おそれおおくも、ぼくは無理やり他の三人をあつめて、この第二楽章
を文化祭で演奏しようと試みたが、あまりにも地味なので《ひばり》に
変更した経緯がある
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040614
 幻の弦楽技法 〜 失われた本をもとめて 〜
 


 Haydn, Franz Joseph  17320331 Duitch 18090531 77 /“交響曲の父”
 Franz Joseph Karl von 17680212 Austria 18350302 67 /Habsburg-Lothringen
 Franz II. [1792-1806] 最後の神聖ローマ皇帝
 Ferenc I. [1792-1835] ハンガリー国王/František II ベーメン国王
 Franz I  [1804-1835] 最初のオーストリア皇帝
────────────────────────────────
 Geiringer, Karl    18990426 Austria 19890110 89 /American

 
…… 神よ、皇帝フランツを守り給え(Gott erhalte Franz den Kaiser)
あるいは、(オーストリア)皇帝讃歌(Österreichische Kaiserhymne)
はオーストリア帝国(のちオーストリア=ハンガリー帝国)の国歌である。
 
── ハイドン・曲/レオポルド・ハシュカ・詞
《皇帝賛歌 17970212 Wien ブルク劇場》
 オーストリア皇帝フランツ1世の誕生日に献呈、初演された。
 |
 下記の第2楽章“皇帝讃歌・変奏曲”の主題にも使われた)
── ハイドン《弦楽四重奏曲 No.77 in C Op.76-3 Austria》
 
 貴族の家来と村の神父(バイオリン)、親友(チェロ)、ハイドン
(ビオラ)の4人で演奏するための弦楽四重奏用に編曲された。
…… 亡くなる5日前にも(ピアノで)繰返し3回弾いた(典拠未詳)。
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
 いぶし銀の魅力 3つのキーワード
http://www.nhk.or.jp/lalala/archive.html
 
(1)歌で人々の心をひとつに
(2)時代が求めた「弦楽四重奏」
(3)音の機織り?弦楽四重奏の魅力.
 
……「弦楽四重奏の父」とよばれるハイドンが、65歳の円熟の境地で書
いた「皇帝」。フランス革命に揺れる時代、旅先で聞いたある曲に刺激
を受け、祖国オーストリアへの愛を込めて作ったメロディーをもとに、
最も得意とする弦楽四重奏に仕立て上げました。ハイドンの熱い思いと
熟練のテクニックが融合したこん身の一曲の、かめばかむほど味が出る
「いぶし銀の魅力」にじっくり迫ります。
 演奏;古典四重奏団,
 ゲスト;池田 理代子(漫画家・声楽家)
 司会;加羽沢 美濃,石田 衣良,声;服部 伴蔵門
 
…… ハイドンは、祖国の危機を救うにはオーストリアにも国歌が必要
だと考えました。やがて帰国したハイドンは歌曲「皇帝賛歌」を作曲し、
皇帝フランツ2世の誕生日に発表します。オーストリアの人々は熱狂的
に歓迎、数年後には正式に国歌として採用され、祖国団結の象徴として
人々を勇気づけたのです。
 
 時代が求めた“弦楽四重奏”
 
 弦楽四重奏曲というジャンルは、ハイドン自身が完成させたものです。
書き始めたきっかけは、まだ20代のころ、知り合いの貴族から「バイオ
リンを弾く自分の家来と村の神父、親しいチェロ奏者、ビオラが得意な
ハイドンの4人で演奏するための曲」を注文されたこと。当時、室内楽
の楽器の組み合わせに決まりはなく、どちらかというと珍しい編成でし
たが、完成した曲はたいへん好評。貴族に加え新興の市民たちまでもが、
家族や友人と少人数で楽しむ音楽として欲しがったため、楽譜にして
出版するようになりました。
 求めに応じ次々に書くうち、主役の第1バイオリンを他の楽器が伴奏
するシンプルな形から、4つの楽器全てが代わる代わる主役をつとめ、
複雑にからみあいながら濃密な音楽を奏でるような曲に変化していきま
す。それは、一緒に演奏する宮廷楽団の仲間たちが弾いていて飽きてし
まわないようにという、部下思いの楽長らしい配慮からでした。
 いつも「仲間と一緒に楽しむため」に作曲したハイドンは、それに
最適な弦楽四重奏曲を68曲も書きました。中でも円熟期に作曲された
「皇帝」は、熟練の作曲技術とメロディーの美しさとが相まって、弦楽
四重奏の名曲として愛され続けています。
 
…… 晩年、体中を病に蝕まれ、体力の衰弱とありあまる創作意欲の狭
間で苦悩していたハイドンは、この曲をピアノで奏でることでのみ、苦
しみから逃れ、安らぐことができたのだという。また、ナポレオン軍が
オーストリアに侵攻し、いよいよウィーンが陥落されるという日にも、
ハイドンはこの曲を力強く弾き続け、国民に訴えかけていたという。演
奏はオーストリア征服の日、すなわちハイドンが息を引き取る前の日に
まで及んだ。なお前述したとおり、第2楽章の主題は現在はオーストリア
でなく、ドイツの国歌となっている。(Wikipedia)
 

https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F)
http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/
 |
http://twitter.com/awalibrary(ツイッター)
http://twilog.org/awalibrary(ツイログ)
http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ)
 |
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19050212

 
(20160512)
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加