どこまでいきましょうか どこまでいきましょうか
久しぶりに刃物を握る手はあやういのかといえばそうでもない、 ふと見たらあかく染まっていることに気がついておどろくだけだ 縦横に走るきずぐち。
わかりやすい、自罰的行為、に はしるうちは まだ わたしは外の世界に出て行く切符を ほんとうはもっていないんだと おもう
「ぼくたちといっしょに乗って行かう、ぼくたち、どこまでもゆけるきっぷ、もってるんだ」
カムパネルラになりたかった。
無私のひとになりたかったのじゃなくて。 そんな偉いものに なりたかったのじゃなくて、ただ
カムパネルラになりたかった。
どこまでもいっしょにゆける誰かがほしかっただけなのかもしれない
どこにもいられないと信じ込んでいるらしいから。
画廊にて四日目終了 いくつかのよろこびと大きくおもわれる失敗とちいさな呼吸困難に暮れる、一日。 目の前の公園に吸い込まれていくたくさんのひとたちは、毎年こうして 春を見に出かけてきているのでしょうか 咲いていく桜、 春間近、一気にあかく燃え上がっていた木の枝なのに 咲き出た炎は うすくやさしい色であるというのが不思議なような 春のかたち。
あと二日です。 あと二日で すべてが終わるような気がしてしまいます ばっさりと
昨日の夜から雨降りです 落ちる音がやわらかい、ような気がする どうやら、もう、春、 本当に音が違うのか それとも、聞くわたしのこころもちが違うのかは わからないけど
雨の音をききながらひたすらおふとんに張り付いてた。
出て行かなくちゃならないので。
あさってから画廊なので 今日から荷物背負って上京するのです 上京…… と言っても2時間半の道程だけど それなりの道のりではあるので。 夕方から設営です。 こまごまとした人に任せられない仕事がたくさんの日。 いろいろな感覚をもっともフル回転しなくちゃいけない日。
なのにはじまる前からもうめげているなこの身体。 今日の夜のことを想像できていない。 流れていく。 本当は今ごろは電車に乗っているはずなのだけど (途中で大学に寄ってのびすぎたポトスの枝をもらいながら) どんどん先送りされていく。
会場からは井の頭公園が近い というより、地図で見ると「まんまえ」みたい。 桜の名所。
いつ咲くのかな
雨に濡れた桜の枝というのは奇妙なくらい妖艶で 晴れている日のうすべに色よりもよっぽど 記憶に残ってしまうような気がする
テレビのなかに戦争。 また春が来て 命日が来る。 コタツの上に、一周忌のはがき。
夏が終わってから、わたしは、なんにもつくっていない。 料理もしないし 写真も撮らないし もちろん、絵も描かないし 食べて眠るくらいしかしてなくて それ以外に 思いつくこともなくて
外に出れば、沈丁花の香りがきれいです。 いつかおとなになったら 住むうちの庭には、 金木犀と、それから沈丁花があったらいいと思ってました。 できたら蝋梅も。 みんな、香りの、きれいな花。
ぼやぼやしていたら冬が終わって 目をさましていないのに 個展ではなくて、「展示会」くらいの期日がまさに来週になってしまい (時間はぜったいに止まってくれない) 遅すぎるとわかっているけど 撮りためた写真をひっくりかえしてアルバムを作っています。 オンラインには載せるひまもなく 粘着フィルムのくっついた台紙の上にべたべたと貼って 閉じ込めています。 なんで、こんなことをしているのか、よくわからないまま。
アルバムのフィルムをひっぺがすときのばりばりばりっという音のことがきらいで だけどその大きな音を立てないと先には進めないから 真夜中に、ひとりでばりばりと騒音を出しながら これも、本当は好きじゃないびたびたした糊のついた台紙の上に 写真をレイアウトしてことばを切り貼りして空気が入らないように おさえながらフィルムを貼っていく。
わたしがどんどん孤独になる。
ものをつくるときは多かれすくなかれ時間が進むほど孤独になっていって そうやってのめりこんでいく感覚がとても快感だったりしたものだけど 今は 逃げ出したいなあと思いながらやっているのが自分でよくわかる。 そうして、 あの夏に帰りたいなあと思っている自分をみつけて ひどくぎょっとした。
おふとんにすべりこんで夢をみないで眠りたい。 睡眠薬を飲まないでも眠れるとか、そんなふうにまでいかなくてもいいから。
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