土曜日生まれは腰痛持ち

2004年10月26日(火) 御本人たちの意向は敢えて無視します…M−1グランプリ

2001年末に第1回が開催され、
すっかり若手お笑い芸人の憧れの的ということになっている
(「登竜門」という言葉は、正確な使い方が難しいのでパスします)
漫才コンテスト「M−1グランプリ」つーのがあります。

記念すべき第1回は、
「チュートリアル」「キングコング」「フットボールアワー」が出て、
とりあえず優勝争いにはほとんど関係なかったものの、
「吉本男前ランキング1位・2位」と「ブサイクランキング1位」が
同じステージに立つという、非常に豪華なものでした。
おぎやはぎは、まだあのテンションが受け入れられず、
唯一の東京組なのに、点数が伸びなかったのが気の毒でした。
菊川怜ちゃんの、いかにもやる気なさそうなアシスタントぶりも
個人的には結構好ましく思って見ていました。

2002年、ブレイク直前のテツ&トモが出場し、結構善戦しました。
テツなどは、審査員のまっちゃんに、
「赤い(ジャージの)方は、友達になるんなら100点」という
どうとったらいいかわからないお褒め?の言葉を贈られました。
立川談志は、「ここはお前らの来るところじゃない」という言葉を
貶しの意味ではなく使っていたのですが、
実は私もそう思いました。
漫才限定だから、ピン芸人やコントでも出られないのに、
あの芸は果たして「漫才」といっていいのかどうか、という意味で。
異色の「笑い飯」が初登場したのもこの年です。
おもしろいというより、あっけにとられてしまいました。

で、定着してきた昨年2003年…は、まあDVDも出ているし、
興味のある方はごらんになるとよいでしょう。
(さすがに1つ1つあげつらって疲れてきたので)
お笑い好きにはおなじみながら初登場だったアンタッチャブルが
かなりの健闘を見せました。

じき、またM−1の季節がやってきますが、最近思うのです。
テツトモがあのスタイルで出られるのならば、
ラーメンズの読書対決だって、全然OKじゃないかと。
片桐仁さんの方は、M−1をモチーフにした吉本映画に
落ち目の芸人役で出演するようですが、
小林さんもくどいて、いっそ本当に出てはくれないか…と。
ただ、総合的に考えると、予選通過が難しいかもしれません。
「掛け値なしにおもしろい!」というのは
やっぱりファンのひいきめだもんなあ。

隣の県は、群発地震でのっぴきならないことになっているのに、
買い物ついでの義援金投入くらいしかできない役立たずの私は、
こうしてまた、とってもどうでもいいことばかり
日記に書き綴るのでした。
……って、言い訳にもなっていないって。



2004年10月13日(水) しぶとく生きたい

明らかにするとネタバレにするので
タイトルは明かせませんが、
ちょっと昔見たフランス映画で、
恋に破れた男が自殺を図るというエピソードがありました。
でも、自殺とわかると神のみもとに行けない?ので、
(というか、葬式出してもらえないのか?)
唯一の親族であるおじさんが、その事実を隠蔽します。

男が恋い焦がれた娘は、別な男と結婚します。
もともと男の片思いでした。
娘の結婚相手となった男のことを、自殺した男は
生前こんなふうに言っていました。
「彼女はあいつには笑いかける。あいつを殺してやりたいが、
そうしたら彼女は悲しむだろう」
……で、恋敵ではなく自分を殺すわけですが、
娘の結婚式の日、
おじさんは愚かな甥の墓前に花を持って訪れます。
その明と暗の、実に対照的なシーン。

この映画は、クラシック作品というには半端に新しいので、
いささか時期尚早ではありますが、
花を持つおじさんの表情やたたずまいは、
そのうち映画史に残る名シーンになるだろうと
断言したいと思います。

この映画は、私にとって、
「自殺」という言葉から思い出すものの一つです。

自殺をする人間は好きになれません。
どんなに尊敬できる人物であったとしても、
自殺したという一点だけで軽蔑できてしまう、
私はそういう単純で安普請な人間です。

それでいて、あの映画の彼の死には
涙してしまいました。
恋という、ある意味この世で最も愚かなもののために
(ある意味です、ある意味)
最も愚かな死に方を選択したことに、
逆に感動を覚えるのかもしれません。
(んなわけないか)

昨日報道された、
ネットを介して知り合った男女の集団自殺のニュースを見て、
中には私と同世代の子供のいる女性も含まれていたと知りました。
こういう言い方は、彼女の近親者には非常に申し訳ないけれど、
あの遺書はやっぱりあんまりだなと思います。
「産んで嬉しかった」子供らを残して死ねるって、
到底理解できる感覚ではありません。

自分だったら、
デブデブに太って、御飯手抜きして、部屋も片づかなくて、
締め切り守れそうにない言い訳を必死で考える姿を
子供に軽蔑されながらでも、
きつく叱りつけて「ママきら〜い」って言われながらでも
(…これって現況そのままかもしれんな)
その子供のために生きていたいと思います。
もしも事故や病気に襲われて、瀕死の状態になっても、
見苦しく生にしがみつきたいとも思うし、
場合によっては、柩から起き上がってやりたい。
子供を持って手にするパワーって、
そういうことだと思っていました。

人間の生活には野生動物みたいに「生者こそ勝利者」という
明快なものがないのが残念ですが、
コレのために絶対死ねないという心のよりどころが
世界中の人にあればいいのになあという
とってもオメデタイことを考えずにいられません。



2004年10月07日(木) 先生の理想のルックス

長女しんり(仮名・中2)が、
志望校をほぼ固め、2学期から塾に通うようになりました。
部活動に響かない日程のコースに入れたので、
何とか頑張ってはいるのですが、
親として最も気になるのは、
今のところ、実は講師の皆さんの御面相です。

いえいえ、別にイケメンである必要はもちろんありません。
三者面談でもない限り、お目にかかることもないし、
もしもその辺で顔を合わせたときに、
「まあまあ、いつもお世話になります」と
ごあいさつできる程度に顔を覚えられればいいので。
ただ、もしその顔が、覚えやすかったら覚えやすかったで、
問題がないでもありません。
例えば、有名人に似ていたりした場合、
そしてその有名人が、
どちらかというとキワモノ芸人さんだった場合…

しんりがお世話になっている先生の中に、
ものまねタレントのHさん似の方と、
筋肉自慢のお笑い系Nさんに似た方がいらっしゃいます。
お二人とも、実はごく当たり前の顔だちなわけですが、
そのタレントさんのイメージが強過ぎて、
名前をタレント名で覚えてしまい、あまつさえ
用向きで電話などかけた場合、
その名前で取り次いでもらったりしそうで
(「そういった名前の者は…」云々と、断られましょうが)
怖い気がするのです。
これが、ペナルティのワッキーとか、
フットボールアワーの岩尾ノンちゃんちゃんにそっくりな先生だったら、
2人とも好きですが、名前間違えそうとかいう以前に
お顔を拝見した途端に笑い出しそうで、それはそれでまた怖いけど。


実際、高校時代、
あるCMに出ているタレントにそっくりなので、
その商品名があだ名になってしまった先生を
職員室に行って「○○(商品名)先生に用がある」旨
告げてしまった同級生や、
安部譲二そっくりの先生(もちろん本名は全く違う)に用があって
「アベ先生いらっしゃいますか」と
電話口で堂々と指名してしまった自分の母などを
しっかりと知っております。

そこで、塾や予備校にせよ、学校にせよ、
センセーとして好ましいお顔といえば…

(1)覚えやすいが平凡
(2)見ていきなり笑い出すような顔ではない
(3)やたら滅多「誰か」に似ていない

やっぱこれ↑ですよ。


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