土曜日生まれは腰痛持ち

2003年07月31日(木) 7月は結局、劇場で映画が見られなかった。

「ポケモン」試写会を見送った後、
仕事その他に忙殺されて、劇場に映画を見にいっておりません。
『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』
『コンフェッション』の試写会は、応募し忘れ。
DVDはそれでも何枚か見ましたが、
印象に残っているものといえば、
7月13日の日常日記と20日の映画紹介で取り上げた
『オテサーネク』
今まで何となく見逃していた『鬼ママを殺せ』
フランス版変化球「ブラス!」という趣の『今日から始まる』
などです。
最近、年のせいか何かわからないけれど、
フランス映画に以前ほどの敬遠や抵抗を感じません。
いやむしろ、あれもこれもイイ、好きっ、
みたいな状態になりつつあります。

考えてみたら、世界のフランス語人口はざっと1億人超。
日本全国民と同じくらいです。
おフランス語話す人が、
みんな気難しくてアートで独善的でってことはないわけで、
(つまり、偏見持ってたわけだ)
フランス本国だけに限っても、共感できる人々の物語は、
たんとあるに決まっています。

今日は仕事を納品予定なので、
明日、次女を連れて『茄子 アンダルシアの夏』を
見にいこうかとも思いましたが、
(実は私は小池栄子嬢のファンです)
郡山ではやっていないし、
1日(ついたち)ということは映画の日…
混雑は火を見るより明らかなので、やめときます。

長女が20日から実質的に夏休みに入りましたが、
連日、特設駅伝部&陸上部の練習だったので、
私も5時起きを余儀なくされました。
8月になっても、お盆までそんな状況でしょう。
白河の“火風鼎”にラーメンを食べにいきたいけれど、
相方の休みと長女の練習休みがうまく合わず、
なかなか行けずにおります。

まあ、そんなこんなで、唐突ではありますが、
今、ぜひとも見たい映画は……

名もなきアフリカの地で
「ドイツ語講座」で紹介していました。
大昔、スイスのジョーク集で、
スイス国内のドイツ語スピーカーとフランス語スピーカーの
仲の悪さを示すジョークとして、
「あるフランス語圏の夫婦が、アフリカから養子をもらうことを決めた。
なぜアフリカからといえば、
少なくともドイツ語を話す子供はいないからという理由だった」
というのがありましたので、
ドイツ語とアフリカってのがどうも結びつかないのですが…
監督はカロリーヌ・リンク
『ビヨンド・サイレンス』『点子ちゃんとアントン』
どっちも好きな映画なので、非常に興味があります。
第二次大戦中、ユダヤ人迫害から逃れてアフリカに渡る
ドイツのユダヤ人一家の物語だとか。


パンチドランク・ラブ
監督は“PTA”ことポール・トーマス・アンダーソン
主演はアダム・サンドラーということで、
「日本未公開B級コメディー界のプリンス」アダムくんが、
いつものバディ・ムービーを離れ、お外で居心地悪そうに演じているのを
温かく見守りたい気持ちです。
……と、見る前から決めつけるのもナンですが。


2本とも、福島で上映されるかどうか自体が不明ですが、
ま、楽しみにしております。



2003年07月24日(木) マッド・アバウト・ディビッド

現在NHK総合で夜11時から放映中の
デビッド・アッテンボローの「知られざるほ乳類の世界」(全10回)が
好きです。
もともと動物番組は嫌いな方ではありませんが、
この番組ときたら、女声ナレーションを付して、
ロングで動物たちの群れを見せるだけかと思いきや、
(そして、そういう地味な見せ方の方が、大抵は動物番組としてはいい出来だと思います)
おいっ、どっから湧いて出た!と突っ込みたくなる様子で
ひょこっとアッテンボロー氏が顔を出すという流れが
なんとも言えず気に入っています。
昨日(3回目)は、象の水飲み場にカヌーで乗り付けるという
実にお茶目な登場の仕方を見せてくれました。

今のところ、極端な寒冷地に行っている映像は出て来ないし、
獰猛な動物に面白半分に近づくという愚かな演出はしないので、
アッテンボロー氏はいつも同じような(というか、全く同一?)
ブルーのシャツと地味なスラックスを着ていますが、
それがまた似合っている…というよりハマっています。
キャー、アメリカナキウサギだって〜、か〜わい〜♪と
深夜にあるまじきはしゃぎ方で見る一方、
毎回アッテンボロー氏の登場の仕方を、
ひたすら楽しみにしています。

サー・デビッド・アッテンボロー
1926年英国生まれ 動物学者・自然番組プロデューサー
映画監督で俳優のサー・リチャード・アッテンボローの弟
(兄弟して“サー”の称号持ちなんですね…)



2003年07月13日(日) オテサーネク 妄想の子供

本日私、35歳になりました。
本当は、35歳になるまでにやりたい(成し遂げたい)ことが
あるにはあったのですが、
自分に都合よく前向きにできている私は、
「35歳のうちにやり遂げる」に変更することで
また明日から力強く生きていこう!と思い直しました。

35歳になって最初に見た映画は
ヤン・シュヴァンクマイエルの
『オテサーネク 妄想の子供』でした。
いや〜、エグみの強い映画でした。
登場する食い物はどれもマズそうだし、グロテスクの極みだし、
狂言回し的な役どころの少女はぶーたれ顔だし(関係ない?)
少女の母親は京唄子にクリソツだし(もっと関係ない)
とにかく“恐怖”の描写が半端じゃなく怖いし…
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の100万倍怖かったです。
それでいて、絶対嫌いになれないだろうなと
見ている途中で確信しました。
もう2度と勘弁、と言いつつも、
長女しんりも、続きが気になって
宿題を中断して見ている始末でした。
どこか、カフカの『変身』に通ずる物悲しさも覚えました。

(あらすじ)
チェコの民話「オテサーネク」に材をとった
ホラー色の強いコメディー。

子供が授からないホラーク夫妻が、
木の根を赤ん坊型に成形したものを
オティークという名の男の子に見立てて
「育てて」いるうちに、その木製の赤ん坊に命が宿り、
赤ん坊にあるまじき鯨飲馬食の果てに、
なんとホラーク夫妻の飼い猫を食べてしまいます。
その後は大暴走して、
「有機物ならなんでもえーんかい!」
とツッコミたくなるような様子で、
とにかく、命あるものをばりばりと食いまくり、巨大化していくのですが、
ホラーク夫妻は、愛する「我が子」を処分することができません。

そうした状況が昔話の『オテサーネク』にそっくりだと気づいた
ホラーク家の隣に住む少女アルジュビェトカは、
困り果てたホラーク夫妻が地下室に隠したオティークと心を通わせ、
自分の小遣いを使ってまで、
オティークに食べ物を与えようとしますが…


木の根でできた巨大でグロテスクな赤ん坊、のはずなのですが、
頼りなげでかわいらしい喃語のせいもあって、
妙にかわいいのですよ。それがまたコワい!

漫画家の高岡凡太郎さんが、
「赤ちゃんがカワイイのは、小さいからではないか」
という趣旨のことを育児マンガの中で描いていらしたのですが、
至極あたりまえのこととはいえ、
この映画ほど、それを実感できるものはほかにないでしょう。
赤ん坊という生き物は、確かに何しでかすかわかりません。
映画の中のオティークだって、
単に「腹減った」からいろいろ食ってただけだし。



2003年07月10日(木) ウィリアム・サローヤン

仕事は1時ちょっと前に発送しました。

相方は、次女を連れて
宮城と岩手の県境あたりまで遊びにいったので、
私には、いつもよりちょっと長い
「ひとりの時間」ができました。

そうだ、「黄色い本を買いにいこう!」

てなわけで、バスに乗りました。

「黄色い本」は、高野文子さんのコミックで
卒業・就職を前に、学校の図書館で借りた「チボー家の人々」
一生懸命に読む、新潟の女子高生の物語です。
別に普通の書店で買ってもよかったのですが、
ここはひとつヴィレッジ・ヴァンガードで買いたいと思い、
アティ郡山5階のお店に行きました。
あそこなら間違いなく1冊あるだろうと踏んだ故ですが、
それどころか「平積み」になっとりましたわい。
手塚治虫文化賞受賞効果、かもしれませんが、
まあ、買いやすいならナンだってヨロシ。
V.V.名物の赤い移動式梯子を使わなくて済むのは、
寂しくもあり、楽でもありです。
(「黄色い本」と「文庫版るきさん」以外の高野作品は、
ちびの私には梯子なしでは届かない場所にありました)

チェブラーシカグッズもいろいろ出揃っていたので、
チェブの顔絵とロゴが入った両手マグと
チェブの顔が目立たなく刺しゅうされた
黒い小銭入れも買いました。

それらをかごに入れて、ぷらぶらと見て歩いたら、
海外小説の書架に、
背表紙に「ヒューマン・コメディ」と書かれた
ハードカバーの本を見つけました。
あらま。
私のバッグの中には、その文庫版が入っていて、
バスの中で読みながら来たところです。
家計を助けるために、
年齢を2つサバ読んで電報配達の仕事をする
礼儀正しく快活な少年のお話で、
ウィリアム・サローヤンの代表作でもあります。
「人間喜劇」のタイトルで、既にかなり以前に出ていましたが、
それを装丁し直したもののようです。

ところで、私が持っていた文庫版は筑摩書房の
いわゆる「ちくま文庫」と呼ばれる一冊で、
書架にあったのは、晶文社「文学のおくりもの」シリーズです。
読む分には文庫でも一向に構わないけれど、
好きな本は、ハードカバーで手元に置いておきたいものです。
ちょっと高い(1,800円)けど、思い切って買おうと…思ったら、
出版社が違うせいもありますが、訳者が違いました。
どんなだ?と思って中を見たら、
失礼ながら、「あ、これなら要らない」と思い直し、
また書架に戻すことになりました。
単に好みでないなあと直感しただけで、
別にヘボ訳というわけではありません。
……どころか、私が初めて読んだ
「ヒューマン・コメディ(というより「人間喜劇」)は、
図書館で借りた、この人の訳のものだったはずで、
いつも持ち歩きたいという理由で文庫を買ったくらいでした。
(そのときはなぜか、訳者が違うことは気にしませんでしたが)

単なる好みで、
翻訳者の名誉を傷つけかねない日記をつけるのは
忍びないので、
(んじゃ書くなって話ですが)
原文がすらすら読めれば苦労はないのにと
ちょっと悲しくなりました。
訳の違いで最も気になったのは、
電報局長が、金の無心の電報を打とうとする青年に
「幸運のゆで卵」と小金を渡すシーンでした。
文庫の関汀子さん訳の方では、
局長の人情家ぶりと、青年の素朴な感謝の気持ちが
じっくり伝わってきたのですが、
「文学のおくりもの」の方は、
とってもビジネスライクに映ったのです。
これとて、原文を読みこなす力がなければ、
どちらがより的確なのかがわかりません。

それはともかく、この物語のまえがきには、
サローヤンが、
この物語を母親へ捧げるという旨の
これまた名文が添えられています。
英語が得意でない彼女も読めるように、
この物語を、
誰かがアルメニア語に訳してくれればいいな。
そして、アルメニア語翻訳版を
母が自分に聞かせてくれれば…と。
(アルメニア移民の二世であるサローヤンは、
アルメニア語は全くわからないそうですが)
1943年に書かれたこの物語が、
既にアルメニア語になっているのかどうか、
調べてみてもわかりませんでしたが、
まあ、何とかなったでしょう、きっと。

欲しかったマンガも買い、読みかけの文庫もあり、
お腹もすいていたので、
それらを読みながら、
コーヒー屋さんでサンドイッチでも食べるか、
いつも一緒の次女連れでは行きにくい
オムレツ屋さんに行くか…と悩んだ末、
駅ビル内の「さぼてん」でカツ丼弁当を買って、
家で食べることにしました。
帰りのバスの中のお友達は、「黄色い本」です。
「チボー家の人々」は1巻で挫折した私でも、
「黄色い本」は、同時所収の短編まで含め、
1.5回読めました。
かくして、またまた「座の書」がふえ、
自分自身はどんどん左傾化する私であります。
(もちろん他意はありません↑)



2003年07月06日(日) 手首ボロボロ

7月5日録音/7月7日納品予定…という
地獄の中1日の仕事が依頼されました。
2時間のうちの後半1時間を担当したのですが、
音がいいのと、わかりやすい話だったのが幸いし、
午後0時ごろ受け取った録音テープは、
MDへのダビング(というのか?)と
見直し・不審点の確認まで含め、
午後5時半ごろ終了し、
めでたくメール納品を済ませました。
ホントはまだ〆切前の仕事が2つもあるけれど、
送信し終えたときの安堵感&解放感ときたらもぉ。

そういえば、俳優の柏原崇君が
頸肩腕症候群だと聞いて、
えーっ、何で?俳優なのに?と思ったのは、
私だけではありますまい。
これ、ストレスに起因するというのもあるそうですね。
でも、どうしても、ケイケンワンと言われると、
ロッキード事件当時の国会速記士たちが腕を酷使して云々、
みたいな話を思い出します。


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