エロとピンクとアミタイツ。
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2004年12月18日(土) |
ジャンヌが無職を従えて。 |
すこし前のこと。
同窓会で会った友人に近況を聞くと、 「あたしぃ、ニートなんだよねー。」というまったるい返答が返ってきた。 「何?企業?」ニートという言葉を知らなかった私が意味を聞くと、 必要のない発音の良さで彼女は答えた。
「Not in Employment, Education or Trainingの略ぅ。 要は、何にもしてない人ってこと☆」
何だか「私は新人類」的な顔で得意気に話す彼女を見て、 すっかり脱力したのを覚えている。
「NEET」という言葉がはやっていると知ったのはその直後だった。
ニートとは、 『職に就いていず、学校機関に所属もしていず、 そして就労に向けた具体的な動きをしていない若者』を指す、 新しい言葉のことだ。
何故わざわざ居場所を作ってあげるんだろう。 それがそもそも疑問だ。 「社会不適合者」と呼べばいいのだ。 そう呼ばれるくらいなら、彼らはそこを出て行くだろう。 少なくとも、胸を張って自己紹介はすまい。 そう、「堂々と名乗れる」と言うところに、 この言葉の問題点がある。
同じく身分をあやふやにするごまかしの一つに、「フリーター」がある。 「フリーター」。こんなに便利な言葉があっただろうか。
かつて、定職に就かない者はただ「無職」と呼ばれた。 彼らは目を伏せて「無職です」と答えるしかなかった。 しかし、今は違う。 「フリーターです!」 カタカナに暗さを排された明るい無職は、 座りのいいネーミングに居場所を見つけて増加を続けている。
「フリーター」という言葉の名づけ親である元フロム・エー編集長の道下裕史氏の話によれば、 元々は「明確な夢を持って努力もしている、 しかしまだそれだけでは収入が生活に追いつかないアルバイター」 を応援しようとして作った言葉であったらしい。 しかし結局は「やりたいことが見つからずにふらふらしている層」を指す言葉になってしまった今、 「胸を張って宣言できるダメ」として 「フリーター」と「ニート」はどこまでも同意語である。
もうひとつ。 新しい言葉ができると、必ずそこに寄り添う人間がいると言うことだ。 「ストーカー」という言葉が流行った折にはストーカーが増えたし、 フリーターも然りだ。 「ニート」という言葉に寄り添い、 自分の状況に名前がついたことに安心して前進をやめる何万の未来が見える。
逃げ込む先を見つけた彼らは、そこからもう動かないだろうと思う。
世界は、言葉ありきで動いている。 例えば、英語に「肩こり」そのものを指す単語はない。 言葉がないから、 「なんだか肩が重たいけど、理由が分からんな。」と、 とりあえず気にならないという。 しかし、意地悪な外国人が「それはカタコリという症状ですよ」と、教える。 すると、実際肩がこるそうだ。 言葉が、人を先導する。 それは紛れもない事実だ。
人はたびたび、ダウナーな集団に名前をつける。 学問としてカテゴライズを進めるのは自由だ。 しかし、言葉はジャンヌのように大勢を先導する。 「フォローミー!」 その後ろに続く何千何万のヒッキーの列。 私は、ちょっと見たくない気がする。
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