コーヒーを飲みながら
新しくこちらで日記を書くことになりました。
毎日のことと、読んだ本の感想など書いていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

2004年10月31日(日) 講演会

今日は親の会の講演会があるので、早めに出発したのだが、場所をまちがえてしまった。
講演会の会場になりそうな所は二ヶ所。
携帯のスケジュール表に入れておいて、目で見たのにもかかわらず、まちがえてしまう。
おまけに、傘を盗られてしまった。

途中で場所を間違えたことに気付いて、約束の時間には間に合った。
準備を手伝う。
講演会でのお話は、盛りだくさんだった。
次男のことでも、参考になる所が多々あった。
親の会にもなかなか出られなかったけれど、少しずつ復帰していこうと思う。

夕食は鶏の手羽焼きとかぼちゃの煮物、シロネギをレンジで温めて鰹節とポン酢をかけたもの。
シロネギを娘がおいしいと言う。これはお酒のおつまみ系なんだけどな。
だんだん大人の口に変わっていっているみたい。

夜、夫に電話。
ダメ元のトライもアピールになるよと言われる。
声を上げていくことの大切さかな。
そういう考え方もあるんだな。

次男への電話は、ゲーム中とのことで、失礼しましたと言って切る。
ぼやきは少ないので、よしとしよう。






2004年10月30日(土) 職人さんはえらい

土曜日なので、起きる時間をちょっと遅らせる。
娘の学校がないと、お気楽。

五月雨式に家事をする。
扇風機は今日も見送り。
そうこうするうちに兄から電話。
昼過ぎに実家で会う約束。

義母から朝市に行ってきたと、ネギをまわしてもらう。
ひと束100円。安い!さっそく刻んで冷凍に。
娘のリクエストで、お昼はラーメンとなったので、さっそく出番。
この娘のお腹はどうなっているのか、きっちり人数分作ると、必ず少し残って、周りのものに食べて〜と来る。
今日は朝食が遅かったので、お断り。

実家へ。
お返しの相談。義姉が選んだものを無条件でOKを出す。
あれこれ考えても、そんなに変わった選択はなさそうだし。

妹も来て、お米を炊こうとしたら、量りのカップが無い。
犯人は私らしい。空いたお米の袋にそのまま入れておいたら、父がゴミだと思って、一緒に捨てちゃったもよう。
お湯のみで量って、山勘で炊く。少々やわらかめだけど、何とか炊けた。
もう少しお水を減らせば完璧だねということになる。

夕方、サッシのくるくる回す取っ手の修理に来てもらうので、帰る。
二人も来てくださって、結構大変そう。
ウォールサッシュじゃなくて、普通のサッシにしたほうがよかったかなあ。
ついでに、ドアがきちんと閉まらなくなっていたのも、ネジを調整してもらって直していただく。
ネジをどうにかすればいいとはわかっていたのだが、私がすると、どんどん
やばい方向に行ってしまっていたので、とても助かる。
職人さん、尊敬。

今日は、いただき物オンパレードで食事。
野菜もたくさんで、身体によさそう。
私がしたのは、インゲンとキノコのマーガリン炒めと、太刀魚のムニエルだけ。太刀魚も切り身にしてもらったので、とても楽だった。
おからの煮付けも、にんじんの葉っぱの酢の物も、とてもおいしかった。人様に作っていただいたものは、本当においしい。

夜、次男に電話。
亡者の声が聞こえるなどというので、「おばあちゃん?」と聞くと、「おばあちゃんは天国に行ったから、亡者じゃないよ」なんだそうで。
大家さんが結構お年なので、お具合でも悪いのではなければいいがと、違う心配をする。
息子の行っている市も、高齢者の方の比率は高い。
いつも言うのだけど、そんな日はさっさとお休みと言って、電話を切る。

この前、妹が思い出話をしたのを思い出す。
年が離れているので、私が就職した頃は中学生だった彼女。
私が職場でのことを話すのを聞いて、「それはどうみても、いやみを言われているね。」とか、「相手の人は怒っているよ」というのを私がわからないのが不思議でしようがなかったらしい。
いやなに、どうもポカをやっているらしいとは漠然と感じていたのだが、何でそうなのかが、さっぱりわからなかっただけなんだけど。
今でもそんなに進歩しているかどうかは不明だが、次男のことをあまり言えないかもしれない。
次男のポカはよくわかるんだけど。
自分のことはだめなのかも。




2004年10月29日(金) ドラマを見て

午前中、仕事。

仕事帰りに買い物に寄っていたら、娘からお昼がないよコール。
お昼は一緒に食べるつもりだったので、お弁当を作ってこなかった。
ところが、スパゲティも焼き飯もラーメンもいやだと言う。
いつものお弁当がいいんだそうで、いつものは冷凍食品大活躍なので、今日は好きなのを自分で選んでもらうことにする。
野菜が切れててなかったけど、一日くらいいいでしょう。

食事のあと、お昼寝。
最近はこればっかり。
昨日の頭グルグルは、今日も少し残ってる感じ。
私の薬のことを、娘がとても心配する。
ずっと体調を崩しているので、毎度チェックが入る。

夕方娘が、このニ、三日、足がとても痛いというので、電気〜にでかける。
急に冷え込んできたのが、こたえているのかもしれない。
その割には、バ○テリンをマメに塗らないなあ。

夕食後は、娘とまたまた寝てしまう。
娘はお昼はパソコンをしてたのだけど、テスト疲れかな。
金八先生を初めて見る。
娘が自分のクラスを見ているみたいだと言う。
けっこうガヤガヤしてるらしい。

今日のはドラッグがテーマだったので、そんなことを少し話し合う。
「自分は大丈夫、そんな馬鹿なことはしない」というのだけれど、どういう手口に引っかかるかもわからない所が恐ろしいなと思う。
事件になっているのを見ると、普通に生活している人に浸透しているみたいだから。都会も田舎も関係ないところが恐い。
これに限らず、娘と話さなくてはいけないことは、たくさんありそう。







2004年10月28日(木) 二七日

午前中仕事を予定していたが、朝、父から電話がかかってきて二七日を午後にするということだったのでキャンセル。
片付けなどもしなくてはならないだろうと思い、早めに実家に行く。

この前は叔母に聞きながらだったが、今回は義母にお花屋さんの場所を聞いたり、お菓子の準備をしたりする。
叔父はいつも予告の時間よりも三十分は早く来られるので、準備を整えて待った。

叔父も今回は時間に余裕があったようで、実家のお寺の歴史や、亡き祖父の話、母の話などをしてくれる。
初めて聞く話が多くて、興味深い話も多かった。
お寺が昔の合戦の時には武器保管庫になっていて、放出したり、お百姓さんを招集することに協力してたとは知らなかった。
藩の家老の家から、寺に養子を出していって、たくさんのお寺に拠点を作っていくというのも、戦国時代ならではの智恵だったのかもしれない。
お寺の過去帳には、その時代の大きな出来事なども書き加えられるのだそうで、生きた民俗資料なのだなと思う。
それは今も続けられているという。

お勤めをしてもらって、叔父が帰った後、父と二人で食事をする。
もう夕方。遅いお昼になってしまった。
妹はお店の消防点検で出席できなかったのだが、買い物をして来てくれる。
あとから妹と二人で話す時間があって、やはりしばらく同居することにしたと言ってくれる。
父のこと、妹の健康のことなど心配だったので、先の問題はあるけれど、今の段階ではこれがベストの選択だと思う。

帰りに車の運転が恐くなる。
車を出す前に、お昼に飲めなかった薬を飲んだのだが、すぐには効かない。緊張と実家のことで心配してきたことで、ほっとしたので、バランスが崩れてしまったみたいで、頭がグルグルする。慎重に運転して帰る。
満月を見ながら、事態のこういう落ち着き方に、母の助けもあったのではという気持ちになって、母や、妹の周りにいて助言をしてくれた人たちに感謝する。亡くなるまでずっと、母は妹のことを心配し続けていたから。

家に帰って、冷凍のロールキャベツを温めながら、横になる。
またまた、娘に1人で食事をしてもらう。
時間を置いて、もう一度薬を飲んで、やっと落ち着いてくる。

夜、義姉に喪中の欠礼のハガキの相談などする。
わからないことだらけで、あちこちで教えてもらうばかり。

次男に電話。
体の不調と、気持ちの方も不調の様子。
もう今は、話を聞いてあげるしかできない。

娘は明日まで中間テスト。
今日は友達のおうちで勉強会をしたとのこと。
毎日バタバタしたり、ちゃんと相手をしてあげられなくて、申し訳ない。



2004年10月27日(水) ストーブとおかたづけ

娘が振り替え休日なので、ゆっくり目に起きる。
午前中仕事。

帰りに写真屋さんに寄って、体育祭の写真を受け取る。
ありんこみたいに小さく写っていて、よおく見ないと次男がわからない。
学校の写真に期待しよう。
ついでにハローワークで次男の冬休みのバイト探し。
高校生では無理と言われる。
あとは郵便局の年末年始かなあ。高校生でもあるかしら。

買い物して帰ってから、親の会の友達と電話。
用事と近況を話し合う。
交通費の話になって、回数が増えるなら、回数券とか高速バスなど調べてみたらとアドバイスされる。

急に寒くなったので、ガソリンを入れるついでに灯油も買って来る。
ストーブをおろしたけど、扇風機はまだしまってない。明日頑張ろう。

昨日は娘にカレーを作ってもらったので、今日はチキンカツを揚げて、カツカレーにする。
試験前のせいなのか、娘がナーバスになっている。
トゲトゲチック。
それでも、地雷を踏んでないときには優しくしてくれる。

夜、次男に電話。
今日はお寝坊して、先生に迎えに来ていただいたとのこと。
行ってから、何時間目かに級友の言葉に腹を立てて帰ってしまったという。
帰る時には、「帰ります」と言うように、言って聞かせるが、「それができたら苦労はしないよ」と言い切られるのには、困ってしまう。
ルールを守らないと、その社会では生きて行けないということを、なんと言ったら理解してもらえるのか。

夫に電話。
ストーブ出して、扇風機はまだって所を見抜かれている。
さすがに長い付き合いで、よ〜く知っていらっしゃる。
ついでにお片づけのことに話が及んで、ああ墓穴。
実家の方にも片付けに行かなくてはいけないし、今年も大掃除が目の前にせまってきている。頭が痛いな。




2004年10月26日(火) 眠って、牛して、また眠る

いつものように、娘を送っていく。
今日は雨。
燃えるゴミも、もう一回分くらいはいけそうなのでパス。

帰ってくると、猛烈な眠気に襲われてダウン。
一時間くらい眠ってから、家事を少し。
今日は仕事もパスして、もう一回眠ったら一時。
ご飯食べないと、もっと弱りそうなので、インスタント焼きそば。

食べてすぐに牛になる。
もう一時間寝てから、用事をすませに駆け回る。
お役所、カメラ屋さん、本屋さん、図書館。
帰ってきたら、娘も帰っていた。
何でこんなに眠たいか。
ただいまの声で察してくれた娘が、毛布をかけてくれる。

眠り続ける私を見て、今日のご飯を聞く娘。
カレーにしようと思うんだけどと言うと、作ってあげると言ってくれる。
出来上がっても起きられない。
また1人で食事をさせてしまった。

しばらくしてから、娘の作ったカレーを食べる。おいしい。
そして、またまた牛になる。

夕方、兄から電話。

夜、父から電話。
電話があって安心したのだけど、声の調子で少し心配になる。妹が今日まで手伝ってくれてたとのこと。
心配しながらも、また眠る。

十一時に娘が目覚ましをかけてくれて、しばらくうとうとしてからお風呂。
一日中、ほとんど眠っていたのに、このありさま。
せっかく買ってきた本の雑誌も、少ししか読めない。



2004年10月25日(月) テレビが来た

昨日は一日中眠っていたので、朝も早くから目が覚めた。
でもお弁当作って、娘に朝食食べさせてから、ごろごろしてたら、やっぱりお送りせねばならなかったみたいで、速攻で支度して、お送りする。

今日はテレビとDVDが来るので、せっせとテレビや台のほこり払いに励む。先週は、忙しい中仕事に行ってたら、いきなりテレビが届いたと義母から電話があって、あせりまくった。
「お電話したら、お留守でしたので、お届けにあがりました。」って、あまりにも自信を持って言われたので、一瞬こちらが間違っているのじゃないかと思ってしまった。
普通は電話して留守だったら、お届けしないでしょうに。

曰くつきのテレビではあったけど、怒りの持続ができないのと、立て板に水でいやみも言えないぼんくら頭なので、ニコニコとお出迎え。
二人組みで来たお兄さん達は、テキパキと組み立ててくれる。
使い方で不明な所を説明してもらって、メモる。
その時にはわかったつもりでも、あとできっとこけるから。

しかしテレビが来ても、積極的に見る気なし。
新聞取っちゃ駄目と言われてから、テレビ欄を見ないので、自然とテレビを見なくなってしまった。パソコンでテレビ欄見られるんだけど、毎朝チェックするのも、面倒だし。
それでいい番組も見逃してしまう。

お昼から仕事。
夕方、買い物。DVDの録画用のものを買おうかと思ったのだけど、どれを買っていいのかわからないので、後日に回す。HDDに直接取れますよって、お兄さんも言ってたことだし。そんなにすぐに撮らなくてもいいでしょう。
と、思っていたら、おおっと!次男から電話。
アニメを録画してと頼まれる。ビデオに撮ることにする。
メモ、たいへん役立ちました。

娘は中間試験が近づいているが、余裕で漫画を見たり、アニメを見たりしている。
少し、お勉強はと振ってみると、たちまち予定組んでやってるもんと反撃。
受験より、今のお勉強が大事なんだからねと、一応言っておく。

夜、兄から電話。
叔母への連絡を頼まれる。何とか連絡終わり。
ただ今、実家に近寄れないので、二七日の連絡が来たら行こうと思う。
今の所、一週間おきで勘弁してもらう。
もしもの想像だけで不安状態になるので、バランスをとりつつ対処しよう。



2004年10月24日(日) 思うこと

昨夜、地震のことはネットで見て知っていたが、朝のニュースを見て、その凄まじさに驚かされる。
台風で各地に被害が出たばかりなのに、追い討ちをかけるようにこの有様。
もうひとつの台風が、少しでもそれますようにと思う。
被害に会われた方の気持ちもいかばかりかと思う。

昨日バスで移動中に、電車の路線にあるトンネルの上が崖崩れになっているのを見た。
ニュースで見た各地の被害の映像がオーバーラップする。
次男の所も、これではいつ復旧するのか見通しがつかないだろう。
この上、また台風が来たら、どうなることか。
どうしても台風が通るコースにあたるので、心配がつのる。

今日はゆっくり寝て起きたのだが、お昼を食べてから、また休む。
ずっと起きられない。
買い物にも出かけられなかったので、野菜庫にあったニラでニラ玉と冷凍食品の鶏の唐揚げと枝豆。

娘は今日も気遣ってくれる。
次男にもショックだったのだろうが、娘も大事な人を亡くすということで、ショックを受けて、私まで亡くしてしまうのではないかという不安を抱えているようだ。
早く立ち直りたいのだけれど、体が言うことを聞いてくれない。

お土産に買ったおまんじゅうを義母が食べなさいと言ってくれたので、母の写真の前にお供えする。
母の病院に通っていたのも、お供えするのも、自分の気持ちのためという部分が大きいなと思う。
幼い頃に、母がお仏壇にお水やご飯を供えていたのを思い出す。
次男の作った器でご飯とお水も供える。

一昨日泊まったホテルには、女の人の描かれた版画に山頭火の句が書かれてあった。
一人で泊まるとやけに広く感じた和室だったのだけれど、絵を見て、母に話しかけていた。
四十九日まで、せめてゴタゴタとしないようにと願う。
心配をかけたくない。



2004年10月23日(土) 体育祭

思ったよりも眠れた。

ホテルから同じ高校の保護者の方とご一緒になり、タクシーで学校へ。

次男は、どの競技にも積極的に参加していて、楽しんでいる様子でもあり、ほっとする。
ユニークな出し物も多くて、楽しめた。
玉入れは、玉を入れるかごを持って逃げ回るのを追っかけて玉入れするので、大いに笑えた。

リレーも順位を落とすことなく、バトンを渡せていたし、フォークダンスにも、ちゃんと参加していた。
体育祭の片づけを手伝ったあと、先生とお話。
だんだん落ち着いてきていますとのこと。

帰りは、知り合ったお母さん方とご一緒できて、お話しながらだったのでよかった。

帰宅して、娘から熱烈歓迎を受ける。
兄に電話。
しばらくは様子を見ることにする。
気になることはあるけれど、気にしないようにしようと思う。

夫から電話。
早く寝るようにと言われる。
なるべく、そうしようと思う。






2004年10月22日(金) 徒労

次男の体育祭に行くため、出発。
途中、妹にメール。
お返事見て、びっくり。
同居やめますって、今さら。

電車なので連絡もままならず、やきもきする。
断線している箇所は、バスであまり時間もかからず、帰りもこれなら大丈夫そう。

次男の下宿へ行く。
大家さんにご挨拶して、少しお掃除。
妹に電話。
あれこれ思う所があるけれど、私が言うことで混乱を増しそうだと思って、話だけ聞く。

次男に学校はどうと聞くと、突然泣かれて驚く。
泣くほど、学校が辛いのかと思ったら、母が亡くなったときのことを思い出して、悲しくなったとのこと。
おばあちゃんは、辛かった闘病生活を終えて、いい所に行ったのだからと慰める。

ホテルに入ってから、徒労感に襲われる。
兄に電話。

いろいろ考えていたら、明日の次男の体育祭にも響くと思って、薬を飲んで早く寝る。



2004年10月21日(木) 初七日

叔父が葬儀の時に初七日も一緒にしたのだが、改めてしてくれると言ってくれて、来てくれる。
泊まっていてくれた叔母が針を打ってもらうのに、迎えを頼まれて行く。

実家で初七日。
四十九日まで、叔父が七日ごとに御勤めしてくれるとのこと。
母の実家がお寺だというのに、そちらのしきたりには疎いので、全部お任せする。

叔母を駅まで送る。
お礼と、よく休んでくれるようにお願いする。

家に帰って一休み。
午後から仕事。

朝、叔母の出迎えでお菓子を買って行けなかったので、母の好物のドーナッツを買って、もう一度実家に行く。
もらった指輪のうちのひとつは、母が気に入っていたものなので、祭壇に一緒に供えてもらうことにする。

妹とあれこれ話す。

家に帰って、しばらく休む。
娘が気遣ってくれる。
食事を一緒に取ることができないのが、申し訳ない。

夜、兄に電話。
妹と話したことも伝える。
叔父と四十九日の日取りを相談してもらうように言う。

明日から次男の体育祭に行くので、娘にお留守番を頼む。
バタバタしていて、今回は宿を取るのがたいへんだった。
学校から遠くのホテルになってしまった。
山の中でも観光地だということを、失念していた。
最後に乗るローカル線が寸断されているのが未だに復旧していないので、途中バスにも乗らなければならない。次男は難なく行き来してるけど、実はこういう突然のアクシデントは、私の方が苦手。
行きはいいけれど、帰りがちょっと不安。

肩こりは娘のバン○リンを貸してもらって塗ったら、えらい気持ちいい。
お薬系は、滅多に使わないものほど効き目がいいのだろうか?



2004年10月20日(水) 疲れがでちゃった

今日は台風が来るので、娘の学校はお休み。

台風も来ることだし、患者さんも少ないかなあと期待して、自分の病院の予約に行った。少なめだったけど、9番目。
先生とお話しする。
四十九日を過ぎた頃に、落ち込みの来ることがあるから気をつけるようにねと言われる。

家に帰ってから、パジャママンになって、娘とお昼寝する。
二時過ぎに妹からメール。
叔母が体調を崩したとのこと。
どうしようと聞いてきたので、電話。
台風が過ぎたら、病院へ連れて行こうと話す。
でも、叔母も母に似てがんこなので、大丈夫だからと言ってるらしい。
様子を見てということになる。

夕方、調子があまり良くなくて、娘がシチューを作ってくれる。
一度は大丈夫とメールが来たが、夜になって妹から電話。
叔母を夜間の救急に連れて行ってほしいというので、実家に迎えに行く。
病院でも、過労と緊張でストレスがたまったのでしょうとのこと。
お薬をもらって、帰る。
実家に帰って薬を飲んだら、叔母も落ち着いたので、ほっとする。

家に帰ってから、ダウンした。
またまた、娘に世話してもらう。
申し訳ない。ありがたい。
叔母ちゃんが肩こりから偏頭痛プラス風邪の引き始めだったのだけど、帰りに左肩から首筋にかけて凝っていることを自覚。
肩こりも移るのかなあ。



2004年10月19日(火) もう、動けません

朝、娘を送っていく。もうすっかり朝の行事になってしまった。

次男を送っていかなければいけないので、合間に叱咤激励して支度をさせつつ、家事をする。
仕事の電話が入ったので、後から伺いますとお返事。
次男を新幹線の駅まで送っていく。
台風が近づいているので、くれぐれも気をつけるように言う。
最後に乗り換えるローカル線は、相変わらず途中が寸断されていて、バスに乗り換えなくてはならない。これ以上寸断の箇所が増えないことを祈る。
週末には私も乗らなくてはならない。

帰りに仕事をして帰宅。
この頃から、動けない感じになってくる。
二時過ぎに、実家に行こうと思って起きて車に乗った所で、夫から電話。
昨日の顛末を話す。
いろいろアドバイスしてくれる。

時間も遅くなったので、買い物だけ出かけて、今日は実家に行くのはやめておく。
夕方、娘が出迎えを言ってくるかなと思ったが、自力で帰宅。
既に布団かぶって、ゴロゴロしてた私を寝かせてくれる。
起きなくていいよと言ってくれたのだが、本当に起きられなくなる。
食事も冷凍たこ焼きと、昨日のかぼちゃでいいと言ってくれて、悪いけどそうさせてもらう。

今日も、何くれとなく世話をしてくれる。
本当に申し訳ない。

次男に電話。
そのあと、義姉に電話。
いろいろと話す。

そのあと、またころりん。
娘がお風呂の支度をしてくれて、お休みする。
人間やめられないので、時間はかかったけど、何とかお風呂に到達。

疲れなのか、うつなのか、不明。
明日は台風だけど、薬の手配をしなくてはならないので、薬をもらえるように頼んで、取りに行くのは次の日ということにしてもらおうかと思う。



2004年10月18日(月) その後

娘を送っていって、家事を済ませた後、実家へ行く。

兄から電話で遅くなると言われていたので、少し待つ。
妹が店を閉めて、実家に帰って住むと聞いて驚く。
昨日まで、そんな話は出ていなかったので、本当にびっくりした。
初めは、これで父のことも安心と思ったのだけど、私の頭は血の巡りが悪い。

母の残したものを形見分けでもらう。
指輪を選んでと言われても、よくわからないし、妹と叔母に勧められたのをもらうことにする。

兄達が来て、書類を見てもらう。
たぶん今日一日で手続きが終わると思うと言われる。
葬儀のことや、四十九日、仏壇、お墓の相談をする。
兄達の判断にまかせることになる。

叔母が妹の同居の話をする。
兄がすぐには返事できないと言う。
よく考えてみれば、ここは実家だけれど、土地と建物は兄達が用意したものに、両親を住まわせてくれていた。
妹は無職になって、収入も無く戻ってくるのだから、確かに即答はできない。
父の建てた家とか、借家なら話は違う。
単純に一緒に住んで、父の世話をしてくれると喜べる話ではなかった。

午後、仕事。
兄と電話で話す。

夕方、娘のお迎えコール。足が痛いというので外科へ。
帰ってきて、食事を作る元気が無いが、明日は次男が学校へ戻るので、何とか作る。

夜、兄から電話。いろいろ話す。
今、やっと悲しんでる所だと言う。
危篤から葬儀、そのあとの手続き、兄は休む暇も無かった。
明日休んで、帰れば仕事が待っている。
無理しないでねとしか、言えない。

兄の電話のあと、今度は自分がいけなくなる。
娘が休むように言ってくれて、お布団を敷いてくれる。
しばらく休んだら、お風呂に入ろうねと声をかけてくれる。
明日は次男が行くというのに、そちらまで手が回らない。

何とかお風呂に入って、しばらくゆっくりしてから寝る。













2004年10月17日(日) お葬式

一度家に帰って、シャワーを浴びて、子供達を連れて会館に戻る。

いつ気持ちが崩れてしまうかわからないので、ハンカチをたくさん用意したが、式の間は大丈夫だった。
出棺の時間が近づいてくるのが、とてもいやだった。
火葬しなければならないことは、わかっていても、そうしたくはない。

だんだん気持ちが凍りついてくる。
火葬場に着いて、待つ間、人と話しているのだけれど、ふわふわした感じ。
お骨を拾うことになっても、現実感が無い。ドラマのワンシーンを見ているような感じ。
どうしても、これが母だとは思えない。

会館に戻って、引き続き初七日の儀式。

夫と長男は、このまま帰るので、ついでに大阪の叔母を新幹線まで送ってもらう。

兄や乗り物の時間を待っていた伯父達に挨拶して、子供達を連れて帰る。
子供達には、お母さんはいつも運転下手だけど、今日は特にだからねと脅かしておく。
実際、自分でも危ないと思ったので、安全運転を心がける。

実家には叔母と妹が泊まってくれるというので、一安心。父を一人にしなくて済む。

帰ってから、義父母にお礼を言って、義母がコーヒーを入れてくれたので、しばらく話す。
そのあと、疲れているんだけど休めない。
夫の親戚は多くて、たくさんお香典をいただいたので、今晩のうちにと電話でお礼を言う。

夫から電話をもらって、早く寝るようにと言われたのだけど、少し遅くなった。
あいかわらず、母がいなくなってしまったのだという実感がわかない。



2004年10月16日(土) 御通夜

10月16日土曜日
朝食事を作って、洗濯してから、実家へ行く。
玄関の要らない靴を捨てて、タイルをみがく。戸も拭く。
不用品は物置へ。
兄夫婦も来たので、相談、打ち合わせをする。

お昼に家に帰って、支度。
夫と豚児を連れて通夜会場へ。
控え室で、伯父伯母と久しぶりに話す。

母はお寺の娘なので、叔父たちやいとこ達がお経を上げてくれることになる。前で読経している叔父たちと、会場でお経を唱えるいとこ達の声がわきあがって、不思議な感じがした。
通夜の間、思い出したように涙がでる。
喪主の挨拶では、釘を刺しておいたのに、父の言葉に情けなくて涙がでる。
個人名は控えるようにと、兄とあれほど言ったのに。
他に来てくださった方にも申し訳なく、母のためにも恥ずかしく思う。
母の旧友や、PTAや短歌の会で一緒だった方などと、お話しする。

通夜の後は、家族で集まって宴会。
私は泊まる組だったので、お酒もいただく。
思い出話に花が咲く。

叔母と妹は今晩もお泊り。
私達も着替えて、泊まる。













2004年10月15日(金) 母、亡くなる

10月15日金曜日
朝、娘を送ってから、仕事に向かう。
1個目の検針で兄から電話。
血圧が少し下がったとの事。
二個目の検針があと少しという所で、心電図が乱れ始めたと言われる。
先に妹に連絡して、病院に急ぐように伝える。
すぐに行くからと言いながら、あと少しの所を済ませる。
あとを人にまかせるにしても、その方がきちんと仕事を引き渡せるから。

あわてて駆けつけると、もうモニターがつながれていて、心臓と呼吸が表示されている。
妹もすぐに来る。
義母に頼んで、娘のお迎えと次男を連れてきてもらう。
みんなで見守っているうちに、呼吸がだんだん間遠になってきて、機械がピーと鳴って、臨終を知らされた。
眠るような最後だった。
叔母が取り乱してしまったので、妹と一緒に慰める。
自分達が悲しみに浸る暇も無い。
主治医の先生と看護士さんたちにお礼を言う。

親戚の叔父や叔母が駆けつける前に、湯かんや浴衣への着替えをしていただく。
その間に、いったん帰った、義母や営業所に連絡。仕事の段取りをつける。
叔母がきれいに死に化粧をしてくれる。
それがすんで、病室の後片付けを慌しくする。
霊安室に安置されて、葬儀社の迎えの車を待つ。この頃から涙が止まらなくなる。
主治医の先生と婦長さんや看護士さんも来てお見送りをしてくださる。

自分の車で葬儀会館へ行く。
こちらで改めて湯かんをして白い着物に着替えることになる。
とても丁寧に洗っていただく。
亡くなったというのが、どうも実感できなくて、寝ているようにしか見えない。
叔母がきれいに化粧をし直してくれたので、余計にそう見える。

途中、写真を探すがいいのがない。実家に妹と兄が行って、なんと、私の結婚式に出ていた集合写真に決定。黒い着物も着てるし、そこそこいける。

兄は葬儀の相談で飛び回っているし、妹も今晩泊まるために一旦うちに帰ったので、
私が何となく残ってしまうことになる。
夫とおにいちゃんも帰ってきたというのに、またもや夕食をおばあちゃんにお願いする。

集まってくる親戚の叔父叔母、いとこ達と久しぶり会う。

夜、空白の時間ができたので、母の棺の側で、じいっと見ながら、話しかける。
どうしても亡くなった事が実感できないのに、涙ばかりこぼれて困る。
夕食に出かけた叔母が帰り、妹も帰ってきたので、お弁当を食べて帰ることにする。
今日は妹と叔母がお泊り。

明日が通夜で明後日が葬式。
でも、まだ気になるところがあるので、午前中は家のほうの掃除に行くつもり。
今日は少し早く寝られたかな。



2004年10月14日(木) ニ、三日と言われても・・・・・

朝、娘を送って行ってすぐに仕事。
仕事を済ませて、母の病院に行く。
午後から実家の掃除。
どうしても行くことができない精神状態が続いたので、何もしてあげていない。
次男を手伝いにかたづけをする。
兄からのうまく連絡が取れていなかったようなので、私から父に泊まってくれるように頼む。父も心配のようで承知してくれる。

事務所によって仕事をもらい、一度家に帰ってから、病院へ。
主治医の先生がいらして叔母に話の途中だった。
今の状況を詳しく説明していただく。
二、三日くらいでしょうと言われる。持って数日か。
多臓器不全の状態であると知らされる。
叔母に親戚への知らせを頼む。
兄は一旦単身赴任先に戻っていたのを、呼び戻す。
妹、夫に連絡。義母にも予定より遅くなることを伝える。
子供達の夕食をお願いする。

父が妹に連絡をとって、呼ぶ。もしも間に合わなかったら後悔するからと。
今日は父と叔母、兄も泊まるということで、夜中に妹を家の近くまで送る。

帰っても、放心状態。
いつその時がくるのかわからないので、明日も娘を送ったらすぐに仕事を済ませて、母の病院に駆けつけようと思う。
二時過ぎ就寝。



2004年10月13日(水) 危篤

午前中、仕事をしたあと母の病院へ行く。
相変わらずの眠り姫で一口も食べられそうにない。
薬を何とか飲まそうとしてもむずかしく、看護師さんにしてもらう。

今日は何だか気になって帰れない。
妹からメールで見舞いに来ると言われ、待つことにする。
待っている間に、エンショアを飲ませる。

妹が来たあとで、しばらくしてから、痰が絡んだ様子が続くので、看護師さんに頼んで痰をとってもらっていたら、嘔吐してしまう。
看護師さんがボタンを押して、他の看護士さんを呼んでというので、あわててそうする。血圧が急激に下がってしまう。
どうしようと思っている間に処置をしてくれたあと、主治医の先生を呼んだり、隣の個室に移されたりする。

危篤状態だと言われて、足が震える。
あちこちに知らせるのにも、要領を得ない言い方になってしまう。
母の兄弟と兄、義姉が来てくれる。
夫にも連絡したけれど、あたふたして事後の連絡がうまくできず、やきもきさせてしまう。
夜遅くまでいたあと、母の妹が泊まってくれるとの事で、今日はお任せして帰る。

午後連絡のあった仕事はキャンセルさせてもらって、明日にする。
夫から翌日の泊まりは父にお願いするように言われる。
娘よりも夫に付いていてほしいだろうということで。
兄に話してもらうように頼む。



2004年10月12日(火) 転送して  ■「ブラック・リスト」 サラ・パレツキー

今日は大丈夫かと心配したのだけれど、娘はのろのろしながらも支度をして、私の車に乗ってくれた。途中まで送る。

お洗濯をやっつけて、昨日の夜中にごそごそと計算した帳簿を事務所に届ける。
家に帰ったら、出かけるのが億劫になってしまったのだが、自分でおしりぺんぺんして、仕事に行く。

そのまま、母の病院へ行く。
今日は眠り姫で、どうにも起きそうにない。
熱も高かったとのこと。今は熱くない。
座った姿勢ではしんどそうなので、もういいやと寝かせてあげる。
一時間くらいして、エ○ショアだけ、少し飲む。
食事の方は飲み込めないので、やめておく。お薬もなし。
あとを看護師さんにお願いする。

途中で仕事の電話が入ったので、そのまま仕事。
家に帰って一休み。
娘が電気〜と言うので、整形外科に行く。
本屋さんもセットになっていた。

昨日の夜更かしが祟って、眠たい。
カレーを次男がほとんど食べちゃったので、動かない脳みそを絞って、メニューを考える。ガーリックソルトで味付けした鶏のソテーと、玉葱とインゲンの炒め物。あとは枝豆。次男はそれだけでは足らなくて、カレーを最後までさらえてくれる。ありがたや。

夫から電話。娘の様子を気にして。
あちらの夕食の方がおいしそう。思わず、転送して!と言ってしまう。
ほんとに転送できたらいいのにな。

■ 「ブラック・リスト」 サラ・パレツキー

V・I・ウォーショースキーシリーズの最新刊。
ブラック・リストは第二次大戦後の共産党狩りで文化人などが追放処分された時代のもの。9・11後のテロ対策で自由を縛られている現代と重ね合わせて描かれている。
アメリカだけの問題じゃないなあと思う。
国家にいろいろなことで縛られる時代が幸せなわけがない。

ヴィクも、もう若くはないはずだけど、正義感と行動力は全然衰えていない。今回はヴィクの上得意のダロウ・グレアムの周辺が明らかになってくる。
ヴィクもだけど、このお話に出てくる女の人は本当にたくましい。
若い女の子から、90歳をすぎたおばあちゃままで。

上流社会のことが出てくるお話だけど、ムラ社会的なものは、上流階級もそうでないところも変わらないんだなあと思った。



2004年10月11日(月) 明日は大丈夫かな。

ブランチを夫が作ってくれて、おいしくいただく。
オイルサーディンをバジルトマトのソースで炒めたものを使ったスパゲティ。にんにくが効いていて、とろけるチーズも入っていて、おいしかった。

もう居つきたい感じだけど、そうはできぬ浮世の義理。
夫に駅まで送ってもらう。
娘と次男を連れて新幹線に乗る。
帰りに母の病院へ寄る。
少し眼をあけてくれたけど、子供たちのことはわからない様子。
すぐに寝てしまう。

帰って、少し仕事。

義父母に体育祭の延期を報告。
次男は秋休みの前倒しで17日まで。
23日が体育祭。前日から泊り込みで行かなくてはならない。
夫もスケジュールを今回に合わせていたので、もう休めない。
私が1人で行くしかなさそう。
今度は強行スケジュールだなぁ。

夕食はカレー。
明日の娘の支度でバタバタ。
娘が昨日から風邪ひいたみたいで頭痛いと言う。
気を使って言えなかったらしい。
またまた、明日が大丈夫だろうかと不安。



2004年10月10日(日) 久しぶりに映画

明日は帰るので、午前中映画を観に行かせてもらう。
「スゥイングガールズ」
はちゃめちゃな女子高生たちが、だんだんジャズにはまっていって、ついに自分達でバンドを組んじゃうお話。
漫画チックだけど、おもしろかった。
最後の演奏のところは、本当に感動ものだった。
懐かしいナンバーを聞けてよかった。

映画を見終わって、夫と子供達と合流。
ゲームセンターでひとしきり遊んで帰宅。

今日も食事は夫が作ってくれて、私はお手伝い。
マグロのかぶと焼き(おみやげ)と炊き込みご飯と野菜の炊き合わせ。
おいしゅうございました。



2004年10月09日(土) 結婚記念日

朝食のあと、この宿のシンボルである犬のエンジェル君に会える。
玄関の所でお客様のお見送りをしていた。
エンジェルという名のとおり、真っ白で羊みたいに毛がふわふわしている。
子供達は犬が大好きなので、撫でさせてもらったりしていた。
娘は携帯でパチリと写真を撮っていた。

雨も降っているし、行く所もないねぇと真っ直ぐ夫のマンションに帰る。
雨が降っていなければ、牧場とかバラ園とショップなどもあったのだけど。
途中のパーキングで、昼食用にショウロンポウと中華風のバーガー?みたいなのを買う。

夫に頼み込んで、元住んでた所の近くのスーパーに寄ってもらう。
ディルが生なら売ってる時もあるのだが、乾燥したのは手に入らないので、三つまとめ買い。
明日の夕食の買い物もする。

夫はしばらく休んでから、娘とデート。
私は家でお休み。
次男も1人でおでかけ。

今日は結婚記念日なので、夕方から夫と二人でおでかけ。
ワインバーで食事。
入り口がお茶室みたいに、入り口が低くて、くぐり戸のようになっている。
バジルを使ったお料理がおいしかった。
ここのところお酒に弱くなってる気がするので、用心しながら飲んだけど、大丈夫だったみたい。
一軒はしごして帰宅。



2004年10月08日(金) 思ってもみない展開

朝、夫を送り出してから、せっせとお掃除などしていたら、次男から電話。
そういえば、昨日はバタバタしてて定時連絡をしていなかったなぁと思っていたら、衝撃の内容。
台風が来るから、体育祭は延期になって、今日から帰ることになったと言う。
( ̄△ ̄;)
もう頭はパニック。学割をもらってくると言うので、それをもらったら下宿で待機するように言う。

仕事中だけどしようがない。夫に連絡。
宿は予約してあるし、夫と娘と三人で体育祭の前日に泊まる予定だったのだが、次男と途中の駅で落ち合って泊まろうと言われる。
何度か電話でやり取りして、経路は夫から聞いたのを次男に伝えて電車に乗るように言う。
初めて行く場所で大丈夫かなと思うけど、人見知りしない子なので、わからなければ人に聞くのは平気。とは言っても、私も初めて聞く路線に駅名。
夫が仕事から帰ってきての出発なので、うまく行き会えるかが心配。
とにかく困ったりしたら連絡すること。指定の駅に着いたら電話してねと念押しする。

夫が帰ってきて、娘と三人、車で出発。
途中、心配しながら目的の駅に到着。
極端に本数が少ないことがわかる。前のに乗り遅れたら、丸々一時間あいてる。ローカルの鈍行から、ローカルの鈍行に乗り継いだらしい。
幸い三十分後に無事、次男が到着する。
もし会えなかったらどうしようと思ってたので、本当にほっとした。

どんな所に泊まるのか全然聞いてなかったので、山の中をどんどん入って行くから、「温泉?」って聞くと、そうだとのこと。
犬がお迎えするので有名な所だった。
みんなでお風呂に向かう時、宴会場のひとつに「土曜ワイド劇場○○ご一行さま」と書いてある。今日が終了で打ち上げらしい。
スタッフらしい人と、途中ですれ違ったけど、それだけ。
娘とお風呂に入ったけど、お湯が熱くて入れないので、外の露天風呂に行く。打たせ湯があって、肩こりに効くかもよと娘に言う。
二人ともカラスの行水なので、少しいてからすぐに上がる。
夫達はサウナにも入ったそうで、いつもよりゆっくりめ。

夕食はもう観光ホテルのお料理という感じで盛りだくさん。
子供達は早々と食べて、先に遊びに行っていいことにする。
あとで、お土産コーナーなど、ぶらぶらする。
娘だけお風呂は一回だったけど、私達と次男はもう一回、違う階のお風呂に行った。
窓から見える風景も温泉街そのもの。
娘のリクエストで一部屋ということになったので、子供達はベッド、私達はお布団。明治の間というしつらえで、和洋入り混じった感じのお部屋だった。



2004年10月07日(木) 行きはバタバタ

朝、娘を学校に送ってから、即仕事。
計算して事務所へ持っていく。
もひとつ仕事。

お昼、母の病院へ。
今日は眠気が強いようで、お茶も飲めない。
看護師さんにお願いすることにした。
今日から娘を連れて出発するので、介護用品を持ってこなくちゃいけなかったのに忘れてて、取りに戻る。

仕事が入る。
終わって家にいたら、娘から電話があって、お迎え。
マナーモードになっていて、仕事の電話を見落とし。
帳簿をもらいに行く。

バタバタと支度をすませて、新幹線の駅へ行く。
列車に乗り込んで、ほっとする。
大荷物なので、タクシーで夫のマンションへ。
タクシーで行くには近すぎて、申し訳ない。

夫も早帰りしててくれて、娘とのんびりさせてもらった。



2004年10月06日(水) 何も考えられない

今日は娘も元気そうなので、送っていかなくても大丈夫かな〜と思ってたら、「送って」。自分の病院の予約もあったので、一緒に出かけた。

朝、仕事。
お昼、母の病院へ行く。
熱が出たようで、氷枕。脇にも挟んでる。
それでも、食事は全部食べられた。お薬もOK。

婦長さんから、ちょっとと声をかけられる。
病室の外でお話を聞く。
今の状態なら家に帰ることができる最後のチャンスだと思うと言われる。
だけど家には父しかいないし、介護のサポートをしてもらったとしても無理だろうと思う。私が手伝いに行くのにも限界がある。
寝たきり状態で自分では身体を動かすこともできないし、熱も時々出ている。一日か二日なら可能かもしれないが、ずっとは無理だと思うと伝える。

退院後の相談員さんと相談をするように言われて、談話室で話をする。
退院が無理なら、転院をとのこと。
しかし、このあたりに療養型の病院はひとつしかなく、そこも何人も予約待ちだし、入ることは難しそう。
受け入れてくれる病院が近くでないと、毎日通うのは難しい距離の病院しかなさそう。
家の近くの病院で受け入れてくれたとしても、一ヶ月しかいられない。

元々ここは救急病院なので、こんなに長く置いてもらえたことには感謝しなくてはいけないと思う。
だけど、もう時間がない状態では、転院することだけでも身体に大きな負担を強いることになりそうな気がする。

終わりが近いことを示唆されるのも辛かったけれど、これから先のことを考えると不安になる。枝葉が広がるように、不安が膨れ上がってくゆく。
仕事中で悪いとは思ったが、兄に連絡。父への連絡は兄からするように頼む。父がどういうリアクションをするかと思うと、対応できそうにない。

自分の病院は、予約の時間に間に合わなかったので、薬だけにしてもらう。
娘のことで学校に連絡。
担任と顧問の先生に状況を伝える。週末休むことについても了解をいただく。
車の点検の予定が入っていたので、そちらに回る。
点検終わって、娘から絶妙のタイミングで電話。無事拾って、家に帰宅。

夕方、兄から連絡。
病院との折衝は、兄がしてくれると言う。
あまり心配しすぎないようにと言われる。

そうは言われても、やっぱり落ち込みが来てしまって、おばあちゃんからの差し入れがあったので、娘に自分だけで食事をしてもらう。
ロッククッキーも、作り方の指図だけして、一緒にとまではできなかった。
それでも、なんとかできあがった。
ずっと気にかかっていたので、ほっとする。

夜、夫から電話。
今日のことを話す。兄と父に任せるように言われる。
娘も一緒に、明日学校が終わったら来るといいと提案される。
何だかもう、何も考えられない。




2004年10月05日(火) 原因がわからない

娘が気持ち悪いから休みたいと言う。
原因はわからない。
昨日も今日も嘔吐はなし。
薬を飲ませて、少し休ませてから、学校に送っていく。
苦しくなったら、いつでも連絡してくれれば迎えに行くからという条件で。

しかし、彼女にもこだわりがあって、一度学校に行ったからには早退はしたくないらしい。
夕方、途中まで迎えに来てとの連絡でお迎え。
電気をかけに、そのまま病院へ行った。
家に帰ってくると、しんどいのだろうけれど、落ち着いた様子に見える。
本人にも理由がわからない所がやっかいだなあ。

朝、仕事を済ませてから、母の病院へ行く。
今日は車椅子に長く座っていたようで、ベッドに移らせてもらって食事。
眠りながらの割には、そこそこ食べられたし、薬も飲めた。

お昼から、生垣の補修をするのを手伝う。
おじいちゃんも思い立ったら、待ったがないので。

夜、夫に電話。
次男の体育祭にいくことについての相談だったのだけど、やっぱり娘も一緒に連れて行くことにする。
クラブを休ませることになるが、今の状態では学校に行くのも危ぶまれる状況なので、娘に了解を取って決定。

明日、学校の先生に連絡。
当日のお弁当の追加。
他にもいろいろ考えると、頭グルグルになりそう。



2004年10月04日(月) 月曜日って疲れるね

やはり朝からダウンの娘。
だ〜か〜ら〜、遊びすぎたらだめなんだよね。
私の体質を受け継いだ長男と娘は、小さい時によく自家中毒を起こしてた。
日曜日とかにお出かけなんかして眼一杯遊ぶと、月曜日に青くなって嘔吐が始まる。ひどい時には点滴してもらわないと、脱水を起こす。
今回も遅くならないようにと言ったんだけど、友達と出かけるとそうもいかないものね。

送って行ってあげるよと言うと、根性出して頑張って行きました。
午後にはお迎えコールがあったけど、本当によく頑張った。
クラブには行けなかったけど、いい。
学校に行けただけでマル。

娘を送っていってから、先週の検診の結果を聞きに病院へ。
セーフだったので、また二ヵ月後。
そこでもセーフだったら、めでたく半年おきになります。ありがたや。
もう年も年なんだし、普通の人だってこまめなメンテがいる年代。
そうでも思わなきゃ、マジメに病院に行けません。(--;

お昼の介助で母の病院へ。
口の所に丸い形の一部のアザができてる。
吸入の機械にもたれちゃったのかな。
この頃は寝てても身体を支えきれないので、右に右にと体が傾いてしまう。
食べる時も枕をベッドとの間に挟んで支える。
今日もたくさん食べられてよかった。
ゼリーを久しぶりに食べられたし。ゼリーがずっとお残しになっていたので、これも本当に良かった。甘いものが好きだから。
お薬飲んで、今日も無事にお休みタイム。

娘のために、某コンビニのお皿をゲットしようと、今日はおにぎり二個、パン1個。夫にも協力を頼むメール。お兄ちゃんに奪い取られているとお返事が来たので、こちらに協力するように指令。
お兄ちゃんは昔からおもちゃ大好き。キャラ物に弱い。いっそのことおもちゃメーカーに就職したら幸せなんじゃないかと思う。

午後仕事して、用事を済ませて、娘のお迎え。
本の続きを読もうと思ったのに、お昼寝。
枕を並べて寝てしまう私達って?
娘の方が先に復活したみたい。

夕食は昨日のお残りの牛丼を卵とじにして、オクラも残ってたし、お気楽。
今日もロッククッキーできません。
レーズンをラム酒に漬けてあるんだけど、なかなか次の工程にかかれない。
混ぜ混ぜして焼くだけだから、超簡単なのにな。

次男に電話。
お寝坊して、下宿から山の上の学校まで歩いて登ったって。
スクールバスで上がるくらいだから、かなりの距離。
お寝坊はほめられたことじゃないけど、あの距離を歩いたのはすごい!
肺が痛むって言い出して、頭の次は肺かぁと思ったけど、マジメに聞いてあげないと、母さんまで精神的なものって言うのって怒っちゃう。
だけど、あの距離を歩けるんだったら、心配は要らないと思うんだけどな。
体育祭までもうちょっとだねと励まして、電話を切った。



2004年10月03日(日) 疲れたけど、だんだん元気

夜中に左のあばら骨が痛くなって、何度か眼が覚める。つったというのではないと思うけど、あまり痛いので左側を下にしてたらおさまる。
朝になってみたら、何ともない。何だったんでしょ。
ここに夫がいたら、まちがいなく「癌だぁ〜!」と言ってくれるんだけど。

ゆっくり起きようと思ってたので、目覚ましがなるまで、布団の中でごろごろする。

今日は義父母が母のお見舞いに来てくれることになっているので、一緒に出かけた。
母は寝ていたのだが、看護士さんがお昼も近いからと起こしてくれて、少し話ができる。何とか、わかっていた様子。

私はそのまま残って、食事の介助。
今日はたくさん食べられたし、起きていられた。
やはり、こういう日は嬉しい。
食事のあとは疲れたようで、眠る。
しばらく付き添ってから、帰る。

帰ったら、なんだかくたびれて、お昼寝する。
夕方、娘が帰ってくるまでずっと寝ていた。
おばあちゃんから差し入れがあったので、夕食は軽く牛丼とオクラの和え物。二人とも、たくさんは食べられなかった。お残りはまた明日。

娘も一日中遊んで帰ってきたので、くたびれた様子。
何とかお風呂と宿題を済ませたけど、明日が大丈夫かなあ。

今日はテレビディ。
血液型の相性と、イチローの特集をしてるのを梯子してみる。
私達は相性バッドの方で、五位。AB女×B男。
でも行動パターンのほうは、全く逆。
わが道を行くのが私で、夫の方が計画的かな。
B型の特徴も持ち合わせているけれど、気配り、段取りの達人って感じ。
行き当たりばったりの私と正反対。

母がA型で父がB型。これも相性が悪いらしい。
けんかばかりしてるのを見てきてるから、う〜んそうかもと思う。
でも、ちぐはぐながら、年取ってからはそれなりに仲良くしてたけどな。
しかし、父はじっと側についていてあげるは無理みたい。
糸の切れた凧的なところがある。

お昼寝したので、眠たくない。
夕方は、ぼんやりして動きたくない感じだったけど、今からなら少し本が読めそう。




2004年10月02日(土) 身を切られる思い 

今日も仕事をしようかと思ってたけど、娘と一緒の時間も大事かと思い、朝はゆっくりする。
ストレートパーマは、うまくいったようで、娘も満足そう。
かぶれとかができなくて、本当に良かった。

娘は遅い朝食だったので、お昼を作り置きして、母の病院へ行く。
食事は、あまりすすまなかったけれど、薬を飲むことができる。
朝は食べられたそうなので、まあいいかと思う。

今日は車椅子は食事の直前だったそうで、食後病院内を回る。
途中で主治医の先生に出会う。
母に声をかけてくださったのは良かったのだけど、いきなり病状を言われてとまどう。母の意識がはっきりしていたかどうかはわからないが、本人の前で言うべきことではないと思った。
私の頭は恐竜の脳みそなので、違和感はあったものの、先生と別れてから「それはないんじゃないの?」と思う。

母がしんどそうなので、病室に帰ってから、看護士さんに寝かせてもらう。
父の義姉がお見舞いに来てくれる。
母もわかったようで、「すみません」とか細く答える。
伯母が帰ったあと、どうしても気になったので、看護士さんに「本人の前では病状を言わないようにお願いしてください」と伝えた。
たとえ意識がはっきりして無くても、そう思う。

しばらく付き添う。
今日も背中のマッサージ。
落ち着いてきて眠る様子を見ると、ほっとする。

帰りに美容院で髪を切る。ずっと気にかかっていたので。
靴を衝動買い。二足も一度に。一足は黒のパンプス。
もう一足は濃い茶のパンプス。こちらは少しメンズっぽいの。
半額セールに魅かれて買ってしまった。黒のほうは、手持ちのがずいぶん古いので、買い替え時かもしれない。滅多にスカートなどはかないので、ついつい靴まで買おうという気になかなかならない。
バーゲンに行き会った、これもご縁かも。

義母に様子を聞かれて、今日のことを話す。
共感を持って聞いてくれる。ふらつくような気持ちもわかってくれるのが、ありがたい。

夕ご飯までは、ショックな気持ちはあっても大丈夫だったのだが、そのあと具合が悪くなる。娘が布団を敷いてくれて、しばらく休んだ。
次から次から、いろいろな考えが浮かんできて、とまどう。
もう覚悟はしてるつもりなのに、主治医から言われるたびにショックを受けてしまう。
もう、これ以上は聞きたくない気持ち。

遅くなったけど、次男に電話。不調とのこと。
体育祭まで頑張ってねと言う。そしたら一週間帰ってこられるから。
父に電話したけど、出ない。寝てるのならいいのだけど。

兄に電話したら、義姉が出たので、今日のことを伝えて、今後のことを相談した。あとからの兄の電話を取りそこねる。携帯持ってても、不器用なので困る。押したつもりのボタンがいつも1個ずれてる。

眠れなくなっちゃった。
そうかと言って、リクエストで借りてきたV.I.ウォーショースキーが出てくる「ブラック・リスト」を手に取る気になれない。
その前に借りてきた三冊が、ほとんど手付かずで積読になっている。
順番から行くと、こっちが先なんだけどな。

■「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」江国 香織

読んだけど、感想書かないうちに茫洋としてきてる。
最近短編集に当たる率が多い気がする。
「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」という
題に魅かれて読んだ。
もう一度読まないと、定着しないかも。
世間で言う箸にも棒にもかからないようなパートナー。
それでも一緒にいられるのは、どういう理由があるのだろう。
断片が切りとられていて、今がそこにある。




2004年10月01日(金) 台風の後と、ストレートパーマ

朝、娘が元気に学校に行く。
私の方がもやもやしてて、仕事をしようかどうか考える。
昨日もお休みしたし、頑張ることにする。
憂鬱な気分はなかなか治らないけど、仕事完了。

支度をして、母の病院へ行く。
久しぶりに食事の介護。
無理はしないように食べられるだけ。
薬は粉末になっているのを、エ○ショアで飲ませる。
朝から車椅子に座っていたそうで、食事後戻さないように、しばらく車椅子に座っていたのがこたえたみたい。
ベッドにねかせてもらってから、横向きになってベッドの柵につかまって、苦しがる。
背中が痛いというので、しばらく背中をさする。
落ち着いてきてから、そおっと仰向けに寝てもらう。
眠り始めたので、洗濯物を持って帰る。

遅くなったので、おにぎりとコーヒーで食事を済ませて、もうひとつ仕事。
買い物して帰宅。

台風の時に、雨漏りした所を見てもらうとのことで、ついでに二階の窓の開ける所が故障したのも、見てもらう。
部品を取り替えないといけないらしい。
雨漏りの方は原因不明。
また漏った時に、すぐに来てもらうということになる。
でも漏ったのは台風の時だけなので、台風の時に来てもらう?
工務店の人は大丈夫だろうかと思う。
そうかといって、雨漏りしては困るんだけど。一箇所だけというのが謎。

夜は娘とお約束のストレートパーマ。
説明書を見て、一生懸命やったのだけど、さてさてどうなるか。
かぶれたりはしなかったみたいだが、肝心のパーマがちゃんとかかっているかは、明日にならないとわからない。
髪や身体に負担がかかるようなら、続けるのはやめようと思う。
何と言っても、化学薬品だし。

パーマをかけてる途中で、親の会の友達が来てくれる。
職業訓練についての情報を教えてもらう。
ちょうど二回目の液をかけてるところだったので、話をせかさせてしまって申し訳ない。

次男に定期便の電話。
学校でからかわれたと言う。
先生に、そのことをお話するように言う。
途中のいきさつがわかってないと、何かトラブルがあった時に事情がわかってもらえないから。
それと、そのときの状況を先生に判断してもらって、こうしたらこうなるという絵解きのようなこともしてもらえたらと思う。
これは月曜日に先生と連絡を取った方がよさそう。
職業訓練よりも、人の中で生きていく訓練の方がたいへんだなあと思う。







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ハム次郎