しそ摘み日記
akajiso



 四男よ、お前もか・・・

「お母さん、赤ちゃん産んでよ〜」
と長男に号泣されて数日が経ち、
「う〜む」
と、腕組みする日々を送っていた。
 そして昨日、スーパーで2歳の四男が、
一点をじっと見つめて動かなくなってしまった。
「何か欲しいものあったの?」
と聞いても無反応。
「どこか痛いの?」
と聞いてもぴくりとも動かない。
 そこで、彼の視線の先をたどっていくと、
1歳くらいの女の子が、
商品をいじってはニコニコ笑っていた。
 その光景を、無表情にじっと見詰めつづける四男。

「かわいいね」
と私が言うと、少しうなづき、
「赤ちゃん好き?」
と聞くと、また小さくうなづいた。

 おお、四男よ、お前もか・・・

 黒人の少年が、ショーウインドウの向こうのトランペットを見つめるような顔で、よその赤ちゃんを見つめる、うちの子供たち。

 わかったよ、わかったよっ!
 わかったから、そんなせかさないで!

 若い頃は知らんうち妊娠しちゃうけど、
君たちの両親はもう結構中年なのだ。 
 生殖能力も風前のともしびなんだから、
あんまりプレッシャーをかけないで
そっと待っててね。
(じじばばたちからは、
「もう産むなよ」というプレッシャーもかかっているのよ)
  
 そんなわけで、神様仏様、ご先祖様。
 うちにアカンボをください。
 多分、物凄く可愛がられると思います。
 (そして、できれば今度こそは女児を・・・)
 

2003年01月30日(木)



 地団駄踏まれる

弟のところがふたり目懐妊、ということを子供たちに話したら、
「お母さんもまた赤ちゃん産んでよー――っ!!!」
と、子供たちが泣く喚く!
 
 そんなこと言われたって・・・ねえっ!

「じゃあ、みんなからも神様にお願いしてよ〜」
と言うと、小4の長男が、
「どうやったら赤ちゃんできるのよ〜っ!」
と詰め寄ってきた。
「お父さんとお母さんが仲良くすれば生まれるんじゃないの?」
と私が言うと、
「あ、それ、この間学校で女子と男子に分かれて勉強した。精子と卵子でしょうっ!!!」
と、目を輝かせて迫ってくる。
「あ、いやいや、それもあるけど、親ふたりが仲良しじゃないと子供が可哀想だから、神様は子供を恵んでくれないんだよ」
と、苦し紛れに言ってみた。
 私の目は、なぜか涙目で必死。

 それ以上は精子と卵子についての追求はなかったから、とりあえずホッとしたものの、なんか、泣きそうだったぞ。
 恥ずかしいことではないけれど、恥ずかしさで泣きそうだった。
 
 こう見えてもお母さんは純情なんだから、いじめないでくれよぅ!
 ひ〜っ
   

2003年01月25日(土)



 インターネットって

 今さらながら、だけど、
インターネットって、
いろんな人が飛び回っているんだなあ。
 うちのサイトを
「どうせ年賀状に子供の写真でかでかと載せてるタイプのバカ母が作ってる」
というようにこと書いている人がいたのを偶然発見。
 以前、子供の紹介写真を載せていたのを見た独身者のようだ。

 私も独身時代は、そういうタイプを
「なんかなあ〜」
と思っていた時期もあったけど、
育児中の家庭を
「ださっ」
と思っている人が多すぎだよ〜。
 このサイトは「子供自慢」というノリではないんだけど、子供のことを主婦が語っているだけで「失格」らしい。
 
 インパクに出展していたときも、
同世代の家庭人には歓迎されたけど、
男性には不評だった。

「子育てについて、どこかの主婦が【エッセイ】とか言ってぐだぐた書いてるんだろ?」
という言い方をされた。
 ま、そりゃそうなんだけど、
「主婦が・・・」
ってだけで、もう、文化的なことは期待されていないらしい。

 地位低すぎるわ、主婦って。
 あの物分りのいい著名人・I氏でさえ、
「今はサザエさんみたいな主婦も、物を発信する時代だよね」
というようなことを言っていたのにはぴっくりした。

 主婦って、家畜?
 低脳人?

 お〜い、子育てしてる主婦達を馬鹿にする者どもよっ!
 君たちの年金を払う「将来の大人」を育てている人間をバカにしてると、マジで食いっぱぐれるぜっ!

 そうだ。
 こういう、関係ないのに人を罵声する人は、自分の感受性のある部屋までお通ししないことにしよう。
 そして、「それは一理ある」という部分だけ採用し、自分を変革すりゃいいんだ。
 余計なことにへこんでいる暇はないんだよね。
 私ら「主婦」は、仕事して、家事や育児や介護やボランティアやらをして、今の社会を見えないところで支えているんだから。
 中には夫や社会にぶら下がってラクしてるプータローみたいな主婦もいるけど、主婦の中には、自立して税金や年金をちゃんと納めている人たちもいっぱいいるんだぞ。
 
 私は、自分の目標にもうひとつ追加するよ。

 将来、自分が起こした会社で夫を従業員として雇い、厚生年金に加入させてあげること。国民年金だけで不安だ不安だ、と言ってる暇があったら、じゃあ、どうしたらその不安を解消できるか考えなくちゃね。そして、それを行動に移さなきゃ。
 前後の見境なく、そういう突飛なことを実現しちゃうのも、女の特性だったりするのだ!

 どうだ〜〜〜っ!
 

2003年01月21日(火)



 おばあちゃんとの別れ

 昨晩は母方のおばあちゃんの通夜で、今日は告別式だった。
 火葬場で、棺が炉の中にすっと入っていくのを見たとき、私は自分でもびっくりするくらい、深い深いため息が出た。
 涙は出ない。
 でも、ため息が何度も出て、止められなかった。
 合唱する手を顔にグッと押し付けて、ギュッと眼を閉じると、また生のため息が出てきた。

 悲しくないと思いたかった別れだが、やっぱり悲しかった。

 焼き場からお清めの座敷に戻る時、私は誰とも話したくなかった。
 子供たちをみんな誰かに任せて、ひとりでドスドスと歩いた。
 人が見たら、ジュータンを蹴っ飛ばすようにして歩く私は、物凄く態度が悪いように見えたかもしれない。
 子供がふてくされているような、怒っているような、そんな態度しか取れなかったのだ。
 
 どうしても欲しいものがあるのに、ママが絶対に買ってくれない時のような、むしゃくしゃした気持ちだった。
 おばあちゃんがいなくなってしまう事に対して、だだっこのように反抗するしかなかったのだ。

2003年01月16日(木)



 年明けからいろいろありました

 1月6日、
 こんないいヤツいない、というくらいのおじさん(父の兄)が急死してしまった。
 64歳だった。
 犬の散歩中、道に倒れているのを通りがかりの人に発見され、病院で心臓マッサージを受けたが、間もなく亡くなってしまったという。
 1月10日。
 彼のお葬式の日、今度は母方のおばあちゃんが危篤になり、最後の面会をした数時間後、やはり亡くなってしまった。

 年明けからバタバタといろいろあった。
 身近な人の死が、どんどん重なってきた。

 生きること、死ぬこと。

 悲しいというよりも、涙を流すよりも、
私は新しいステージに戸惑うばかりだ。
 死というものに被せてあった幾重もの布が、一枚一枚剥がされていくのを、ただただじっと見つめている、という感じだ。
 誰にも例外なく訪れる死が、
すぐ隣で、またその隣で、日常の中にある。

 しかし。

 自分らしく生きていれば、その人は死さえ明るい。
 
 大切な人たちの死を見て、
あらためてひとつの決意を持った。
 
 私は、自分らしいオリジナルな人生を今すぐ歩き出そう、と。
 なりたい自分へ向かって、一直線に走り出そうと。

 私の死を明るいものにするために。

 
 

2003年01月13日(月)
初日 最新 目次 HOME