絵を描く

絵を描くというのは、私にとって特別なことだった……。
映画『天使の卵』を観ながら、そのことを思い出しました。

うんと昔、一度だけ絵のモデルをやったことがあって。指示されたポーズのまま身動きできない状態で、私は今描き手にとって単なるobjectなんだろうなぁ…と、寂しいのとは少し違う不思議な感覚を抱いたことをぼんやり覚えています。
出来上がった絵に描かれた人物は、確かに私と似た輪郭を持っていたけれど、そのときの私の感情やら何やらを写し取ったわけではないから、自分が描かれているという実感はなく、何とも不思議な体験だったのです。
人は、どうして絵を描くんだろう。画面に何を塗りこめるんだろう。何を残そうというんだろう……。
絵を描かない私にとっては、たとえば林檎は「林檎」の形でしかないし、「赤」以外の絵の具を手に取ることはありえない。だけど絵を描く人には、唯一無二のひとつの線や色がきっとあるんでしょうね。
単なるobjectに過ぎなかったとしても、誰かのたったひとつの線や色で描かれたという記憶は、自分自身が生み出したものを思うのに負けないくらい愛おしい。
2006年10月29日(日)


思い出づくり

モノより思い出…という某自動車メーカーのコピーを初めて聞いたとき、まったくそのとおりだと大きく頷いたものです。
旅行をしても基本的に自分のためのお土産は買わず、目にした景色や口にしたおいしいもの、一緒に旅した人たちとの会話をめいっぱいしみ込ませた身体ひとつで帰宅する。名所旧跡を見学したことや名物を味わったことよりも、「楽しかった」「ゾクゾクした」…などと心が動いたことが大切。
だから、後日友だちに旅の思い出を伝えようとすると、それがいつどこで起こった出来事だったのかまったく整理がつかず、「とにかくすっごい良かったんだよ」なんて大ざっぱな言葉でまとめてしまい、「ホントに行ったの?」と不審がられるという、情けない状況に陥ることもしばしば(苦笑)。
それを補うため、私の旅にカメラは欠かせません。時間軸に沿って正確に記録されてゆく画像があれば、とりあえずいつどこで何をしたのかが確認できるので。
でもそれは家族や友だちに見せてあげるためのものなので、デジカメを使うようになってからはプリントすることがまったくなくなりました。画像という記録も、私にとってはやはりモノにすぎないのです。
2006年10月01日(日)

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