冬じたく

今年は残暑が厳しいねぇ…などと汗を拭いながら話していた頃に本気で戻りたいと願っている私は、異常なほどの寒がりです。
軽くて安くてあたたかいフリースものは冬の生活の必需品で、ジャケット・パンツはもちろんのこと、手や首、腰、脚、膝用のウォーマー類も欠かせません。
…あ、今挙げたのは、どれも部屋の中で身につけているものです。
寒ければ重ね着をすればいいけれど、暑いのは裸になる以上脱ぎようがないから、夏の暑さのほうが耐えがたい…という話をときどき聞きます。
だけど私の場合、いくら重ねてもなかなか満ち足りず、その結果真冬には大げさではなく雪だるまのようなころころした格好になってしまいます(笑)。

これほどの寒がりは私くらいだろう…と思っていたのですが、大好きな漫画家の羽海野チカさんは、さらに上をゆく方でした。自ら「寒がりの王者」と名のる羽海野さんは、日記によれば5月の末にお部屋でダウンジャケットを着ていらっしゃるのだとか。せ、先輩…っ(感涙)。

冷えだけでなく肩こりもひどいので、たぶん血の巡りが悪いのでしょう。そう考えて、今年の夏からジムに通い始めてストレッチをやっているのですが、いっこうに効果が現れません。残された道は、黒酢や漢方による体質改善のみ…?
2004年10月23日(土)


思い出の味を訪ねて

私が中国茶にハマったのは、数年前に台湾を訪ねたときでした。
その翌年くらいには日本でも中国緑茶ブームが起こりましたが、当時の私にとって「中国茶」といえばサ○トリー烏龍茶の、あの濃い茶色の渋いお茶…というイメージだけ。
ところが。旅先のお茶屋さんで、お店の方がマジックのごとき華麗なお作法で淹れてくださった台湾茶は、明るくあたたかみのある黄色。しかも、うっとりするほど甘い香りがしたのです。たとえて言うならば、焼きたてのケーキの匂い。
といっても甘いのは香りだけで、お茶そのものはしっかりとした味ながら口あたりはさっぱり。
台湾には、美しい景色や美味しいお料理やマッサージなど癒しモノがたくさんありましたが、私にはこのお茶が一番効いたようです。

お店で淹れていただいた茶葉をお土産用に買い、帰国後は淹れ方を覚えて自宅でもしばらくの間は楽しむことができました。
全部飲みきってしまった後、名前を頼りに中国茶の専門店で茶葉を探して購入し、同じように淹れてみたのですが、…どうも違います。
台湾と日本では物価が違うから、もっと張り込まないといけないのかも…と、かなりがんばって上等な茶葉を買ってみたりもしたのですが(苦笑)、やはりあのときの味とは違うのです。

遠足のときに食べるおにぎりが格別に美味しいのと同じで、あの日私が感動したあのお茶の味は、台湾の気候や街並み、お店や接客の雰囲気、あるいは台湾の言葉なども全部ひっくるめて初めて味わえるものだったのでしょうか。
そして、お土産に買って帰ったお茶が美味しかったのは、まだ旅の思い出の余韻が続いていたから?
2004年10月17日(日)


この曲、何て曲?

ゆうせんで流れてくる曲というのは、ラジオと違って曲名やアーティスト名が紹介されないので、ときどき誰の曲が思い出せずにひとりでじたばたしてしまいます(笑)。
先日も、すごく知っててすごく好きな曲のはずなのにとっさに思い出せず、サビの部分まできてやっとASIAN KUNG-FU GENERATIONの“リライト”であることに気づいたという…(苦笑)。

そうやって思い出せた場合はいいのですが、実は私にはこの数年間ずっと思い出せずにいる曲があるのです。
それは女性ボーカルの曲で、声の雰囲気は宮沢りえちゃんや坂本美雨ちゃんみたいな優しくて儚げで、それでいて芯がしっかりしている感じ。
メロディーも、一度聴いたら耳にずっと残るような、しっとり心にしみるもの。
鼻歌なら歌えるのですが、それをここに書くわけにもゆきませんし(苦笑)。
肝心の歌詞(日本語)をちゃんと覚えてなくて、「偽りだらけのこの世で、あなたの誇りを穢したりあなたを傷つけたりするものがあれば、それらからあなたのことを守ってあげる」…といった、大まかなイメージしか記憶にありません。

その後、ゆうせんでもラジオやテレビの歌番組などでも聞く機会がないということは、あまりメジャーな曲ではないのかな。
もしもこれだけの情報でもピンとくるような音楽ツウの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ。お待ちしております。
2004年10月14日(木)


書くこと

もうひとつのサイトでは毎日けっこうボリュームのある日記を書き、こちらのサイトでもほぼ毎日ブログを更新し、その上また今日からこのページを再開させようと決めた私。
よほど書くことが好きなのだろう…と思われるかもしれませんが、そういうわけでは決してないのです。
少なくとも「書かずにいられない」タイプでないことは、確かです。イベントに参加されるたび必ず3冊くらいの新刊を並べてらっしゃるような作家さんは、そういうタイプなのかもしれませんね。書くスピードに追いつかないくらい、次から次へと書きたいことが溢れ出してくるのかも。
創作サイトでも、日記をつけるようなハイペースSSを更新されている方がいらっしゃいます。日記程度の短い文章を書くのでさえ恐ろしく時間がかかってしまう私には、とても考えられません。

だったら、なぜ書き続けているのか。
書くという行為そのものが好きなわけではなく、書きたいことをまだ書ききれずにいるからひたすら書き続けている…ということなのではないかと、最近思うようになりました。

文章を書いているとき、いつも頭に浮かぶイメージがあります。それは、遺跡の発掘作業に取り組んでいる自分の姿です。
何かを創るというのは、たとえば粘土を捏ね上げたり木を彫ったり…というふうに、何も無い状態から自分で作り上げてゆく作業なのかもしれません。
だけど私には、どこかにある完成形をおぼろげな記憶を頼りに探り当ててゆく作業のように思えるのです。
そんな作業が楽しいはずなどなく、だからしょっちゅう手を止めたりよそ見をしたりはするのですが(苦笑)、不思議と本気でその場から立ち去ろうとは思わない…。それが、私にとっての「書くこと」なのです。
2004年10月11日(月)

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