アニメ版『あしたのジョー』

先日、NHK・BS-2でオンエアされた「BSアニメ夜話」で、私の大好きなアニメ『あしたのジョー』が取り上げられました。
アニメ監督さんや評論家の方が集まって、作画や演出の技法がどーだ、時代背景がどーだ…と、専門的なアツイトークを繰り広げてらしたのですが、私のように「ジョー、好き〜っv」と叫んでいるだけのゆるいミーハーファン(笑)には初めて耳にするような話題もあって、なかなか楽しい1時間でした。

特に面白かったのは、男性ばかりのゲストによる、ヒロイン・白木葉子に対する分析。
男性ファンからすれば、お嬢様であり何かと尽くしてくれる彼女は理想の女性像だったりするんじゃないかと勝手に思っていたのですが、彼らは皆口をそろえて、この作品に彼女は不要だった…というような厳しい意見をおっしゃっていたのです。
白木葉子は、自分自身のために尽くしていて、尽くしても尽くしても報われない女。力石とジョーという燃え尽きてゆく男たちを、ただ見届けるだけしかできない女なのだ…と。
同性である私でさえ彼女の言動には反感を抱いていましたので(苦笑)、男性ファンも同じように思っていたというのは、意外でもあり、また「やっぱりそうなんだ」とちょっとホッとしたような気持ち(?)になりました。

トークのメインは、原作をも含めた作画、演出についてのものでした。
私のような素人が見ても、1作目と2作目における作画の違いは明らかなのですが、それぞれが作られた'70年と'80年の間に、少年漫画が少女文化へと傾いていったこと。
さらには、2作目が作られた'80年代という時代が、ちょうどやおい的、同人誌的な流れが盛んになり始めていたときであったため、女性受けする表現が取られたこと…など、実に興味深いお話が聞けました。

私が好きなのは、シリーズ2作目。どん底に落ちたジョーが、力石の幻影と闘いながら再びボクサーとしてどう這い上がってゆくのか…。
一度全てを失った人が、そこから立ち直ってゆく過程に、私は個人的にとても関心を持っているからです。
ジョーが、自分の洋服のボタンをどうしてもかけることができずにいるシーンは、強烈に印象に残っています。
確かそれを白木葉子が見ていたと思うのですが、たとえ報われることがなくても、自分が誰かにとっての白木葉子的存在でありたい…と、かつてオトメな年頃だった私が本気で願っていたことを、ここで白状しておきます(照)。
ええ、ええ、だからこそ私は、金銭面でカンタンにジョーたちを援助できてしまえるお嬢さんのことが気に入らなかったのです(苦笑)。

ついでながら。
これまでにさまざまな映画を劇場、あるいはビデオやDVDで観てきましたが、一度観終えてすぐに続けてもう一度観たのは、後にも先にも2作目の劇場版だけだったりします。
2004年09月11日(土)

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