心の旅
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脳梗塞で五日間入院した。 脳梗塞と言っても軽いもので、視界の左半分が見えなくなっただけだ。 だが医者に初めての場合は起きてから2,3日が山で次にどこに梗塞が起こるかわからないと脅かされて、即入院させられた。
一日中ベッドに寝ていて一日二回点滴がある。 時々看護士が回ってきて異常ないかと聞くだけで全くすることがない。 目が不自由で読書もする気がしないので、ラジオばかし聞いて過ごした。 楽しみは食事だけだが、これも病院食で量が少ない。 すぐに腹が減ってしまう。
この入院生活に較べれば、今の生活はましな方だろう。 相変わらず退屈だが動き回れるしテレビも見られる。 これだけでも有り難いことだと思うことにしよう。 視界も半分で不自由だが、全部見えないよりはズットましだ。 今一瞬が苦しくなければそれで良いのだ。 退屈は退屈だが、苦しいというほどではない。
アメリカでは「The singularity is near」という本がベストセラーになっている。カーツバイルという天才的な発明家の書いた本で2045年に人間の能力を上回るコンピューターが現れるだろうという予測をしている。 つまりその時点で人間社会は劇的な変化をする特異点(The singularity)に達するというのだ。 現在コンピューターの能力は年2倍の速度で伸びているという事実から予測している。 今後伸びる分野はバイオテクノロジイ、ナノテクノロジイ、ロボテイクスの三つの分野を融合した領域で要は人間とは何かの解明がなされる。 脳の中にナノテクノロジイにより開発されたナノロボットが入り込み脳の仕組みを解明し、難病を治療できるようになる。
最近の技術によれば自由な構造の原子を作ることが出来るようになるらしい。 そうなればなんでも人工的に出来るのだろうか? 例えば新しいエネルギーとか新しい食べ物とか。 そうなれば人類はますます栄えることになる。 すくなくとも物質的には不自由しなくなる。 それでは精神的にはどうなのだろう? それが問題だ。
冬になると夏がなんとなく懐かしくなる。 昨年の夏はなにもなかったが。 生まれ故郷の父も一昨年に亡くなり、両親とも亡くなったので故郷に帰ることもなくなった。 両親がいるときは毎夏妻と帰省したものだ。 そのついでに近くの観光地をまわったりした。 そういえば、昨年はどこにも旅行などしなかった。 もっぱら犬の散歩に明け暮れた。 東北に行きたいと思っていたがそれも段々億劫になってきた。 まあどこに行っても同じだし。 海や山なら近くで見られるし。 名所旧跡も寺や墓石があったっりするだけで退屈だ。 温泉も旅館の食事にももうそれほど心が動かない。 最近は食材も豊富で安いから大抵のものは自宅で料理できてしまう。 わざわざ遠くまで出かけて行っても、食い物は食い物であってそれほど違いがあるわけではない。 温泉も自宅の風呂で充分リラックスできる。 広い風呂に入りたければ近くにスーパー銭湯なるものがあって色々の風呂にゆったりとつかれる。 まあこういうのを出不精というのだろう。 それでも夏は良いと思う。 冬は寒くて縮こまってしまう。
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