Kyoto Sanga Sketch Book
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2004年06月23日(水) 【鳥栖戦第19節】〜再建へ。二歩目。


新監督就任第2戦。私を含めて、この日のサポーターは本当に幸せもの。
今の京都にしては珍しいぐらい少人数の応援団でしたが。

存続危機が叫ばれているサガン鳥栖のホームスタジアムは駅からすぐ。
立派にそびえる巨大な施設に入ると、中は本当に”暖かい”。

存続を訴えるポスターはカラーでなく一色刷り。
手作りのシンプルなマッチデープログラムは、
事細かにサンガの戦力分析が記されていた。
スタンドは家族連れが多い(清水サポーターと少し似た匂い)。

某選手の横断幕等で、ここのサポーターには少しお世話になってました。
前から好きな雰囲気です。


アウェイゴール裏に辿り付くと…。
…えーと、そのぉ…あの…
いくら担当地区とは言え、携帯に思わず「少ないんですけど…」泣き言。

”平日のアウェイ”しかもホームから遠い”九州”。
私自身も躊躇したぐらい(でも、可能な時は行っておこうと思って)。
スタンディング応援はたった20人程、
その周りに座って応援している人(含む地元の人)が20人程。たったこれで全部。
(もちろんJ2他クラブからみればそうは思われないのかもしれないけど)


今の大勢で賑わっている西京極のゴール裏ではもう遠くに見ていた方々多数。
昔を思い出して懐かしい想いがしました。
個人的にも立って騒ぐのは久しぶり。



さて試合。

照明に照らされたピッチの上では、
青いユニが京都選手達に綺麗にぴったり寄り添って動いていた。

鳥栖は徹底した守備は、前を向く為のマンマーク。
それがスピードを生かした中盤と好く噛み合っていましたよ。
(この後ユーロでギリシアをみた時、真っ先に鳥栖を思い出したぐらい)。

京都も守備のチェック、攻撃への移行は以前よりスムーズになってたんだけど、
なかなか決定機はなく。
40分まではスコアレスドローを覚悟していた。

そして一部バックスタンドで鳥栖サポが盛り上がっていた理由は…
今日も勇介が相手サポを煽っていたらしい・・(汗)。
(もう彼はカードさえもらわなければいいわ(笑))。


しかし41分、後半入った美尾の先制ゴール。そして終了間際…





か細い選手が、大きく手を広げて、雄叫びを上げて走ってくる。
私達の足元にたどり着く。
「誰?誰?!」「また美尾!」「えー!!」
閑散としたアウェイゴール裏は可愛らい規模ながら騒然となった。

「また美尾。」
「アシストは六車!」
「ミオ、ミオ、ミオ!」

終わってみれば、新監督の采配が効いて、若い選手達で2点も得た。
今日も監督が選手とともに挨拶に来る。
そのあとで会長と社長も。美尾の頭や肩を叩いている。
今日も保護者同伴の京都。。

まだレンタル中だった美尾は、みんなの
甲府に帰っちゃうの?に、出れなきゃ意味ないですしね〜、と返していた。
あれから2年。

すると、会長の後ろ姿に流れをぶった切る声、「新スタ、はよ建ててや〜!」(笑)。






試合が終わり、祭りが終わり、
京都、中には関東からも駆けつけたサポーターが、帰途につくため片付け始める。

私が声をかけた静かな旧バージョンのユニの女性は、
数年前に京都を離れて、九州に住んでいると言った。
全然違う選手達。それでも通っていた西京極、サンガの事が忘れられないと。

初めて出会った人々と、九州での再会を軽く誓い合って別れる。

平日の夜。急いで階段を下りた。
ガラスの向こうでは、
黒部が鳥栖の選手達と福岡大学の同窓会を始めているよう。


次の九州での試合は、9月26日福岡戦@本城。

2−0 新監督就任2戦目、勝ち点3ゲット。


2004年06月19日(土) 【大宮戦第18節】〜2回目の「開幕戦」

W杯優勝チームですら、チーム作りに10試合かかると言う。
監督がかわる度、選手が入れ替わる度、その言葉を思い出す。

「でもそれって世界トップレベルの選手でも10試合って事でしょ。」
「・・・いや、そこを何とか。」



新監督が就任に際して言った事は、

内容にこだわること
結果にこだわること
フェアプレーを心がけること。

監督がまず具体的に指摘したのは
「守備の意思統一が出来ておらず、
相手ボールに対するプレッシャーがかけられていない」




6月19日。二回目の「開幕戦」

濃薄、小さな格子柄に鮮やかに整備されている芝の緑。
ハーフタイムが終わって、ホーム大宮の選手はピッチ中央に集まっているのに
京都の選手達はまだロッカールームから出てこない。

新監督の指示が長引いている。

後半が始まった。
前半と違い、京都の球は少しだけサイドに散らされ出した。


たった数日で変わるはずがない、と思いつつも、
間違い探しのパズルのように、前節までと何か違いがあるか凝視。


高いラインの4バック(悟が抜け、和裕・手島・辻本・勇介)は、何度もバレーに裏を取られる。
それを全速力で追いかけるDF達(笑)。
それでもほぼ相手を捕まえられたのは、彼等に少し余力が生まれてきたから、ですか。
(前半の手島のユニ引っ張りにはツッコミなしで)

相手のボールに中盤の選手が2人がかりでチェックに行く。穴を誰かが埋める。
わずかに全体の守備連動の意図だけは見える時も。
(まだアグレッシブさも確実性もないけど。わずか数日で変わろうとしている。)

怪我からの復帰間もないヨンスはまだ体に切れがない。
黒部のプレーもまだ弱々しい。
松井の奮闘も、チームの個人技だけの攻撃は、何もかわってない。

相手が2枚目のイエローで一人少なくなった。美尾が投入される。

レフティの美尾が右に流れて、利き足でない右足で素早くクロスを上げた。
そこで前線の相手DFを止めてたのは松井。
次の瞬間、ヨンスの球にゴールネットが揺れた。

アウェイゴール裏、フェンスを越えたサポーターの手目掛けて走るヨンス。
追いかけるチームメイト。

これから勝つか負けるかわからない、でも今日こそが開幕。


京都1−0大宮。

今までの人達が去った。

選手たちと共に挨拶に来た就任間もない監督。彼へのコールが聞こえる。
その後に響いたのはアウェイまで駆けつけた、オーナー会長へのコール
(この老人は多分、フロントが実質消滅した中で
自分だけが求心力を持つ存在というのを解っておられるんだろう。)

イレブンを支える存在はもう本当に少ない。
でも、今はそれがなんとなしに「心地よい不安」。




…これがキャンプ中の練習試合ならなぁ(ポツリ)。


2004年06月12日(土) 【仙台戦第17節】〜一番長い三日間。解任辞任、そして柱谷(兄)就任

あれはシーズン始まったばかり、勝利したシーズン第2節のこと。

「京都は…こんな勝ち方をしてはいけないですよ…。
J1復帰後まで見据えた試合をしなくては…。」
勝った故郷のクラブチームに対して、元J2監督が言いにくそうに解説していた。

「だったら貴方が来てくれたらいいのに」


解説の回を追うごとに、
あの人を監督にできないのか、と言う人たちが増加していったような気がする。
今更そんな事。3年前からあの才能を欲しがるチームはたくさんあった。
去年の夏にも。無理ならヘッドコーチでもいい。

「でも、今の京都の体制じゃ、来るはずないか、な」。



それから3ヵ月後、6月12日に迎えたのは仙台戦。


この日も京都は「個人で守って個人で攻めて」いた。
ヨンスが怪我から復帰したにもかかわらず、
得点は前半のDF悟のフリーキックのみ。

GK弘司がゴールの前でキックしようとしてボールを地面に転がした。
その時、まるで静止画像の中、一人仙台の佐藤寿人だけが動き、
後ろから走り込み、地面のボールを弘司の目の前でさらった。

次の瞬間、無人の京都ゴールに球は叩き込まれネットが揺れてしまった。
2失点目。
地面を叩くGK西村と彼に声をかけないイレブン達が映る。

京都1−2仙台。ホームでの敗戦で8位に。

試合終了後、サポーターからはブーイングはなかったらしいです。
涙目の19歳のGKが、まるで全てを自分が被るようなインタビューを残していた。



翌日

西村監督解任。
その責任をとって、木村文治総監督辞任。
(併せて(株)京都パープルサンガ常務取締役も辞任)

翌々日

柱谷幸一新監督就任。

古い秩序が壊れて、新しい秩序が生まれる時、
不安より期待が大きい(特にそれを望んでいた人が多かった時は、ね)。



サポーターが驚いたのは監督より文治さんの辞任。
これで今までのフロントが真っ更になった。実質的刷新。
GMも強化部長職も置かないとの話もありますが。
でも、他サポが思うほど京都サポが不安を感じてないのは、
稲盛名誉会長の人柄と視点、
そして柱谷新監督への監督として、そしてGM的能力への信頼なんでしょう。
そこは、まだ様子眺め。追々。


miyako |MAILHomePage

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