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後悔してばかりだ。後悔が後悔を呼んで、時と共にその重たさは増していく。 幸福は一瞬で後悔に変わり、言い出せない言葉に後悔は深まる。幸福も何もかも圧し潰されて重たい後悔に変わる。
苦しい辛い痛い重い。 助けて助けて助けて。乞うても無駄なのに。 無限ループ。この言葉を何度使ったことだろう。無限ループ。己が変わらなくては抜け出せない。 嫌なのに。変わりたくても苦しいだけ、辛いだけ。吐きそうな痛みと涙の滲む重さ、虚しさが胸を締め付ける。
泣き叫びたい。吐き出してしまいたい。カタルシスが欲しい。 或いは、この胸の空虚を何かで埋めたい。冷えた水だけが流れるこの空虚を埋めてしまいたい。
何もかも委ねるのは卑怯だ。別れるか別れないか、捨てるか捨てないか、それは自分で決めなければならない。 愛するのは己の心だ。離れるのもまた己の心だ。ならば、離れることを決めるのもまた己自身で無ければならない。 切り捨てる方がずっとずっと辛いのだと知っているから逃げるのか。愛すべき部分はあってもそういうのは解せない。愛想を尽かしてよい部分だと思う。
他人事である。でも他人事でない。己には痛いほどに自分自身のことだ。 望む色が無いのなら自分で作ってしまえば良い。それはきっと不可能ではない。非常な労力が必要であるけれども、その労力を厭わないのであればきっと不可能ではないのだ。 望む色を作るだけの労力。それを厭わないのならば、少なくとも相手にそれだけの価値を見出しているのだ。逆に相手がそれだけの価値が無いのであれば切り捨ててしまっても良いのだとも云える。 己は、他人の為に見返りを求めずに何か出来るほど成熟してはいない。価値の無いものに払ってしまった労力を惜しむくらいならその感情を捨ててしまう方がマシだ。そう思う。 誰もがそう思う訳ではない。でも己はそうやって価値の無くなってしまったものに対する執着で浪費したくは無い。愛していた記憶や恋した日々が、色褪せてひび割れて行くのは理解されなかったり理解できなかったりすることより辛い。
望んでいるのは何なのか。
気持ち悪い。寒気がする。足元から這い上がってくるこの不快感。胸が詰まって泣きたくなるような感触。じわじわと絞め殺されるのにも似た苦痛。 「わかってる」。この苦しさは己の、己自身の所為なのだ。「わかってるって」。己のこの馬鹿さ加減、ただそれだけの所為。
憎んだり恨んだりそんなことすべて己の勝手。苦しさも悲しさも全部己の勝手な感情。それでも苦しいものは苦しいし、憎みたくなる。それすべて己の所為なのに。 こんなのは嫌なのだ。そんな自分は好きではない。 自己愛は強い方だと認識している。自分以上に他人を愛する事などないだろう。それでもそれと同じくらいこんな自分が嫌いだと思うことがある。すべてかなぐり捨ててしまいたいと思うことがある。
誰か呼んでくれないか。己を必要としてくれないか。それだけで己は此処に立っている意味を、己の存在の意味を見出せるから。 誰か呼んでくれないか。
理解なんて出来なくても人は愛せると云う。本当だろうか。 「理解」しようとするにしろしないにしろ、他人を理解するなんて不可能だ。それでも人間は誰かを愛し誰かに愛され世界は流れて行く。 だから、理解など無くとも愛する事は出来る。きっとそう。
どんなに恐くても理解不能でも例え刷り込みだとしても、惹かれる気持ちは変えられない。己の背を押す手。この身の向かう先は、誰かの腕の中か、それとも電車が滑り込む直前の線路なのか。
きっともう忘れてしまっているのだろう。新しい仕事、友人との付き合い。忙しい日々に紛れて己の事など忘れてくれたならそれで良い。 メールや電話が来ない夜を珍しいと思わなくなって、淋しさもその内感じなくなって、そうして忘れていくのだろう。
勝手に振り回されているのは留め金が外れてしまったから。 かけ続けた小さな留め金。触れたら壊れてしまう脆いそれは本当に簡単に外れてしまった。 指に触れて、口唇に触れて。たったそれだけ。
壊れてしまったから溢れ出したのか。今まで押し込めて来た欲望が己を困惑させる。一言を言うべきか否か迷わせる。 本当は迷う事など無いのに、迷ってなどいけないのに。
2005年02月02日(水) |
Conversation |
人間は言葉を発しないと生きていけないのだろうと思う。独り言はきっとそのためにあって、誰もいなくても声を発しないとダメなのだ。個人差はあるだろうが声を発し、ことばを交わすことは必要なことに違いない。 己においてはその傾向がひどく強い。人がいれば喋らずにはいられない。聞き上手になりたいと思いつつ取り留めのない話をし続ける。数日人に会わないと不機嫌である。 きっと不安なのだ。喋らないでいることで自分が消えてしまいそうで、怖いのだ。ずっと喋らないで生きてきた。義務以外の言葉を交わすのは家族とほんの数人の友人だけだった。喋らないでいられないのだ、認めて欲しくて喋るのだ。 行為もそうだ。きっと繋がっていられる事が嬉しくて、でもそれ以上に怖くて離れないようにしがみついていたい。その瞬間だけ、己は己が確かに存在している事を確かめるのだ。自分にとって相手にとって確かにそこに存在するということを確かめる。
だからきっと、大した事じゃないと言われるのは苦しい。自分の存在が大した事がないと見抜かれているようで。怒られる方がいい。嫌われる方がいい。そこにほんの少しでも感情が欲しい。 これが己の期待であり、そしてこれはきっと無駄な抵抗なのだ。
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