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2005年05月12日(木)  消化

送別品と次の部屋で使うインテリアと引越し用ではないダンボールに囲まれて泣きながら玄米粥を喰らう。

想いを伝えるということは、とてもエネルギーを使うことだ。知っている。そして、それを全身で受け止められないことの、何ともどかしく、歯がゆいことか。受け取る側も、ものすごいエネルギーを使うことを、すっぽりと、忘れ去っていた。

最後の最後、車がだんだん小さくなって、エンジン音が聞こえなくなるまで、大事に大事に、この上ない優しさでくるんでくれた。今日まで生きてきて感じたことのなかった、私の知らない愛情を置いて、帰っていった。傍にいるだけでよかった、毎日のように顔を合わせるだけでよかった。それすらも出来ない自分の無力さをかみ締めて、私は粥を口に運ぶ。人に何かをしてあげられるなんて思うことこそが傲慢だ。それでも私はたくさんもらった。私の立ち振る舞いやこれまでの日々が、結果的に、与えてくれたものを無償の愛のように昇華してしまっただけのことだ。

でも、それすらも赦して、また会おうと私が放った言葉に頷いて、去っていった。あの時の表情を、頭に置かれた手の感触を、そのほんの数秒を、私はしばらく忘れることは出来ないだろう。そして、思い出す度に、また胸を締め付けられるだろう。

私にとっても、大切で仕方がなかった。それなのに、それだから、伝えられなかった。ちっぽけな自分の想いと受け止め切れないくらいの大きな想いを、玄米粥と一緒に体に流し込む。こらえきれなくて、涙と文章になって溢れる。入れて、吐き出して、また入れて、その度に吐き出して。毎日の中で、唯一、自分に与えられた仕事。自分に出来ること。粥を食べ終わり、残った梅の種はゴミ箱に捨てる。ただそれだけのこと。

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