まっとの日記...まっと

 

 

松尾先生 - 2002年10月31日(木)

小学校1年から3年までの担任だった松尾先生が
亡くなった。

とにかく厳しいおばちゃん先生だった。
ビンタもよくされたし、履いていたゴム製の
サンダルで頭をひっぱたかれた事もあった。
今の時代ならPTAからの抗議で即クビ、という
ような事が当時は当たり前だった。またそんな事で
抗議するような親もいないし、逆ギレするような
生徒もいない。教師というものには威厳があり、
松尾先生はまさにそれを絵に描いたような人だった。

また、大正生まれでバリバリのネイティブであるため、
小学生にとっては難解な方言を使った。
「並んだらキョロキョロしないで前の人の
うしろこんどをよぐ見なさい」と言われ、みんな
どこを見ていいのか分からずキョロキョロして
ますます怒られた。家で親に聞いてそれが
「後頭部」だということを知った。
小学校低学年という大切な時期に、松尾先生からは
方言も含めていろんな事を学んだ。

当時から先生は僕のことを気にかけてくれていて、
他の学校に転任になってからも連絡をとりあったり
していた。最後に会ったのは8年ほど前だろうか。

今年の春、青森に引っ越して来たという葉書を
送ると間もなく先生は電話をくれた。僕の母と
親しくしていた事もあって「よく帰ってきて
くれたね。よがったなあ。ほんとによがったなあ」
と心から喜んでくれた。
「今度遊びに行きます」と言ったものの、そのまま
あっという間に半年近くも経ってしまった。
「いやー私はすっかり年を取ってしまって…」と
力なく言っていたのが少し気にはなっていたのだが。

ある朝、先生が亡くなったよ、という母の言葉で
目が覚め、愕然とした。悲しさよりも悔しさで
いっぱいだった。こんなに近くにいるのにどうして
会いに行かなかったんだろうと。
8月末に体調を崩し入院していたが今月24日に
容態が急変し、あくる日に帰らぬ人となってしまった
と通夜の席で知った。79才。いつの間にかそんなに
年をとっていたんだなあ。

「大事な人には会える時に会っておきなさい」
それが松尾先生からの最後の教えとなった。


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今年は上出来 - 2002年10月27日(日)

ついに興果園の主力商品のひとつである”王林”の収穫が
始まった。
いよいよだな…と思う間もなく作業ペースはいきなりトップギア。
りんごが十分に熟したと判断したら、一日も早く収穫を終え
なければいけない。ぼやぼやして雪が降ったり、りんごが
凍ったりしたら大変だ。
10時と15時のおやつタイムには味見大会になる。もうりんご
食べまくりの毎日だが、やっぱりうまいなー。
そんな興果園のりんごを食べたい方、まだまだ注文を
受け付けています。価格表が欲しい方はメールをください。
注文をされた方で先着10名ぐらいにはちょっとした
オマケ付きでお送りします。お見逃しなく!



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朝は爽やかに - 2002年10月20日(日)

ここ数ヶ月、僕には目覚まし時計がなかった。ケータイの
アラームにもいい加減飽きたので新しい目覚ましを買う事にした。
時計屋で何かいい物ないかなーと探していると、目に飛び込んで
きたのが…鉄腕アトムの形をした目覚ましだ!
しかも定価の半額以下の値段。
「これください」「プレゼント用ですか?」「いいえ!」と
きっぱり答えて購入。

家に帰って早速試してみた。
♪パパパそーらーをこーえてー、ラララほーしーのかーなたー♪
「おはよう!起きる時間だよ」♪パパパそーらーを…
(延々リピート)ポチッ(アラームを止める)「10万馬力だ!」
とアトムが起こしてくれる。アラームを止めた時は「エネルギー
全開!」や「まだ寝るの〜?」というバージョンもある。
これを使い始めてからばっちり目が覚めるようになった。
アラームが恥ずかしいから早く止めなきゃって思って慌てて
起きてしまうんだよなあ。


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今日もまた地元のために大車輪 - 2002年10月14日(月)

体育の日。ということで、町内運動会に参加。

6地区による対抗戦なのだが、我が小向地区は
最も集まりが悪いチームだ。そのため、出場予定に
なってない種目までどんどんかり出されることになる。
休んでる暇なんてないのさ。
僕が出た種目と結果は以下のとおり。

 二人三脚(100m) … 3着
 タイヤころがし(団体戦) … 6着
 俵かつぎ(一人100mのリレー)… 6着
 リンゴ食い競争(100m)… 3着
 綱引き … 1回戦負け(秒殺)
 リレー … 6着
 
計6種目。100mを全力疾走する事4回。
他のチームでは、スピード、テクニック、パワーと
その種目に合った人が選ばれ出場するが、なんせ
もとからギリギリの人数でやりくりしている小向地区。
「走るのは苦手だから勘弁してください」と言った
ところであっさり聞き流され、年齢と性別の
出場条件が合い、体力が回復した者から次々と
スタート地点に送り出される。いや、年齢条件
さえもほとんど関係ない。実際僕は3種目で
20才代として出場した。もう腰から下がガクガク。

総合成績は、最後の最後で逆転され、みんな納得の
最下位。僕の手元には3着の賞品のバーモント
カレーが2つと参加賞のタオルが6本。いやー、
稼いだ稼いだ(?)。


夜、ピアノの佐山さん率いるM's(マサちゃんズ)の
ライブが二戸市であったので観に行った。
ドラムは今や日本最高と言われる大坂昌彦さん。
ベースはベテラン小井政都志さん。そしてゲストに
伊太地山伝兵衛さん。佐山さんと伝兵衛さんとは、
ネイチャーワールドのメンバーとしていっしょに
ライブをしているが、佐山さんが本業であるジャズを
プレイするのは実は初めて見る。
やはりライブは物凄かった。ひとつひとつの音が
言葉になり、気の合う3人で会話を楽しんでいる
ような感じだった。
何よりもいっしょに行った両親が楽しそうに
観ていたのがうれしかった。
今度は是非ここでネイチャーワールドのライブを
やりたいな。



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遊んでばっかりいるわけではないんだけど… - 2002年10月11日(金)

この春結婚した従妹が旦那さんと川崎から遊びに来たので
十和田湖へドライブ。
紅葉の見ごろの時期までは一週間ほど早いようでモミジも
まだまだ緑色だが、なんのなんの見事な景色。
もともと美しい十和田湖に季節は関係ないと思うのだが、
やっぱり本命は秋だね。奥入瀬渓流だね。ひとつひとつの
風景にもうやられっぱなし。カメラマンとしての腕も冴える。
というか、どう撮っても美しいんだからしょうがない。

本来なら一日あっても回りきれない十和田湖だが
いつものクセでついでに八甲田山まで足を伸ばすので、
結果的に駆け足の観光になってしまう。ああ、日本人の性。
だからいまだに八甲田山も十和田湖も隅々まで行きつくす
事がない。
いつか泊りがけで一日ゆっくりしたいものだ。


...

無事に - 2002年10月09日(水)

先ほど青森に帰ってまいりました。いや〜、とても濃い10日間だった。
ネイチャーワールドのツアーは初めて経験する事が多くて肉体的にも
精神的にもハードだったけど、やっぱりツアーは楽しいなあ。
ライブに足を運んでくれた人、ありがとう。
今日はもう寝ます。バタンキュー。


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