KENの日記
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2015年02月28日(土) 別所沼の河津桜開花

別所沼に植えられている河津桜が開花しました。昔からある桜の木ではなく数年前に植えられた「桜」ですが、今年も元気に春の訪れを告げています。武蔵浦和から別所沼に通ずる遊歩道沿いや別所沼の広場には多くの「ソメイヨシノ」がありこちらは一斉に開花します。河津桜はそれより随分前に開花します。

別所沼にはソメイヨシノとは別の「ウコン桜」の大木があります。こちらはソメイヨシノの花が散ってしまった頃に黄色かかった白色の花を付けます。ソメイヨシノが散ってしまって少し寂しい感じのする頃に満開となり、花見の賑やかさを思い出させてくれます。少しずつ開花の時期がズレルのも趣があります。



2015年02月27日(金) ドレスデン空爆記念日における独大統領のスピーチ

1945年2月13日・14日にドイツのドレスデンは連合国空軍から激しい空爆を受けました。この二日間のドレスデン市の大多数の建物が破壊され、住民等数万人の犠牲者がでました。大規模な都市殲滅作戦とも言えるドレスデン爆撃は同じ年の3月の東京大空襲、長崎・広島への原爆投下と並んで戦争末期におけるの敗者側が被った悲惨な不幸とし記憶されています。2015年は70周年目の節目の年なので復興したドレスデンの「聖母教会」において記念式典が行われました。その式典の中でドイツのガウク大統領が非常に立派なスピーチをされたということです。ドイツの国際放送DW(ドイッチェ・ヴィッレ)のサイトの主要な言葉を引用します。

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Remembrance can be a source of productive energy for a society. But in many parts of the world we are today once again seeing how a selective and, as it were, biased remembrance serves to further destructive, revanchist or nationalistic goals. Here in our own country, too, we will continually have to talk, and sometimes argue, about what we want to remember, and how.

A country which stood for the monstrosity of genocide, could not expect to emerge unpunished and unscathed from a war which it had itself waged. We know who it was that begun the murderous war, we will never forget the victims of German warfare, when here today we remember the German victims.

過去を思い出すことは社会の生産的なエネルギーの源となり得ます。しかし今日世界多くの場所で再び我々は過去を選択的に見ようとしています。別の表現を取るならば、偏見を持った「過去の振り返り」が更なる破壊、報復主義的なあるいは国家主義的な目的に向かわせるこ可能性を秘めているということです。

途方もない大量殺戮の代名詞になった「国」が、罰せられずに無傷で「自分の始めた戦争」から復興できることは殆ど期待できないことなのです。我々は誰が残忍な戦争をを始めたのか知っています。我々は今日ここでドイツ人の犠牲者に思いを馳せていますが、ドイツによる戦争の犠牲になった人々のことを決して忘れてはいけないのです。
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数万人のドレスデン市民が犠牲になったことは大きな悲劇でした。しかしどんな大きな悲劇を被ろうがドイツ自ら犯した戦争犯罪が軽減されるものでないことをドイツの良識ある国民は分かっています。日本においても家族を亡くした遺族、愛する者を奪われた人々の無念の気持ちは十分想像できますが、だからと言って日本が戦争で犯した罪は軽減されるものではないのです。ドイツにおいてはナチの時代を肯定するような右翼の動きがありますし、戦争末期の大規模爆撃は非人道的な戦争犯罪だとして非難する意見もありますが、ガウク大統領はそうした考えはっきり戒めました。

日本の満州事変以降の戦争によって近隣国に大きな被害を及ぼした責任は、日本人が悲劇的な犠牲を払った沖縄戦や東京大空襲・長崎・広島の原爆によって被った大きな犠牲によって、また戦後の日本の世界への平和的・人道的経済支援等による貢献によって軽減されるものでは決してないことを肝に銘ずるべきだと思います。国民の一部にそのような感情的に考える人達がいたとしても、日本国政府はその声を厳しく抑え、外国に対しては決して口に出すべきではないと思います。



2015年02月26日(木) 終戦70年首相談話

「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」が設置されました。この懇談会は終戦70周年の節目として今年の夏に発表される阿倍首相の談話に材料を提供するための懇談会だということです。終戦節目の談話は50周年の「村山首相」、60周年の「小泉首相」に引き続くものです。村山首相は人柄もあってか非常に率直なお詫びの言葉を盛り込み、最後に「「杖るは信に如くは莫し」と政治信念を引用して結びました。

村山談話においては将来の日本の進むべき方向性として「深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。」という思いを盛り込んでいました。

この部分については当時と現代に相当の状況変化が起きていると思います。「富める国・貧困にあえぐ国」の格差の問題とか、そうしたことを背景とする過激派組織(テロ組織)の問題等これまでに無かった難しい問題が表面化していて、日本が貢献できる分野が変化し範囲も拡大してきているように思えます。こうした状況変化に対する対応策については独善的にならない範囲で言葉を補えばいいのではないかと思えます。

阿倍首相にもしっかりと「お詫び」の言葉を盛り込んで欲しいと思います。そして二度と「道」を踏み誤らないよう、謙虚に歴史を振り返って、日本の誤りの原因は何処に有って、その「原因」は今どのように克服されているのか、それが再び再燃することを防ぐためには日本がどういうことに気を付けなければならないか、ということをしっかり考えて表明することが大切なことだと思います。

今年1月に行われたアウシュビッツホロコースト追悼セレモニーで「過去あったことは将来起こらない保証はない。ホロコーストの関する歴史をしっかり将来に語り継がなければならない」と当時を知る人が次第に少なくなってきていることに対して警鐘がならされました。皇太子様が誕生日記者会見で述べられたように「歴史を正しく語り継ぐ」ことは非常に重要になってきていると思います。

日本国内では「20世紀に日本はなぜあのような「道」を辿ってしまったのか」ということについて現在でも議論が分かれていることは困ったことです。何時かの時点に後戻りできなくなった分岐点があったのか無かったのか、「20世紀の日本の振る舞い」は「19世紀の明治政府(安倍首相の故郷の人達が国の方向性を決めたのですが)」に原因があったのではないかという視点もあります。ここを曖昧にしている限り「誤りの芽」を事前に摘むことは難しくなると思います。



2015年02月25日(水) サッカーアジアチャンピオンズリーグ

ACL(アジアチャンピオンズリーグ)の一次リーグが始まっています。日本からは4チーム(ガンバ大阪、柏レイソル、浦和レッズ、鹿島アントラーズ)が参加していますが緒戦の状況は散々のようです。

24日の試合
E組:柏レイソル×全北(韓国)→「0-0」△
F組:ガンバ大阪×広州富力(中国)→「0-2」×

25日の試合
G組:浦和レッズ×水原(韓国)→「1-2」×
H組:鹿島アントラーズ×ウェスタンシドニー(オーストラリア)→「1―3」×

1月に行われたAFC選手権で日本サッカーが惨敗しましたが、それが嘘ではなく本当の姿であったことが証明されようとしています。ヨーロッパに目を向けても、本田・長友の試合出場機会は徐々に減っているように思えますし、渡欧した日本人若手選手の出場機会は増えていないようなので若手が急成長している様子は伺えません。唯一気を吐いているのは「内田」ぐらいでしょうか。この状況では誰が代表監督になろうと低落傾向に歯止めはかけられそうにありません。



2015年02月24日(火) スリランカの(無駄な)投資

スリランカでは1月の大統領において勝利が確実視されていた現職大統領が敗れて新しい政権が誕生しました。前大統領は「長年のスリランカ最大の懸案であった民族紛争」に勝利したのですが、その政権運営は傲慢で、重要な閣僚ポストには身内を配して、自分の選挙区に多額の国の予算を注ぎ込んでインフラ整備を行いました。首都コロンボから遠く離れた南部ハンバントタの大統領の出身地に構築された各種インフラがや今スリランカ政府のお荷物となっているようです。

「MRIA」(R:Rajapakusa)と前大統領の名前を冠して整備されたハンバントタの国際空港建設には210百万ドルが投下されました。直近の飛行状況はというとUAEの「安航空会社」が一日一往復ドバイと結んでいるだけです。ナショナルキャリアのスリラン航空が大統領選挙の日まで「MRIA」に就航していたそうですが、大統領交代が決定した途端にその路線を取りやめたのだそうです。空港設備・免税店を含めて近代的な空港を作ったのですが一日2便が出てしまうと全くの閑古鳥が鳴いている状態のようです。

また、中国資金361百万ドルを導入して建設された「ハンバントタ国際港」があります。ここは現在インドの自動車運搬船が立ち寄るだけと言う状況だそうです。この港を活性化させるため前政権は「高速道路」を通し、52百万ドルかけて「立体交差」を建設し、15.5百万ドルかけて「国際会議場」を建設しました。国際会議場では2013年に英連邦会議が開催されてから全く利用されていないとのことです。

更に大統領出身地ではにですが巨大プロジェクトが進んでいました。首都コロンボの観光スポットのゴールフェイスの沖合に大規模な埋め立て地を造成して、新たな都市を作ろうという「ポートシティプロジェクト」が中国のサポート得て進められようとしていました。この計画は新大統領によって見直されることとなっています。

大切な国家予算がこのような緊急性のない開発計画に投下されてきたことは非常に残念なことです。スリランカ内戦は最終段階においては政府軍の徹底的な破壊攻撃に晒されて、北部・東部のインフラ設備・住民の家屋は破壊されて多くの一般庶民が難民生活を送っている状況なのです。逆に言うとこういう状況だからこそ政権交代が実現したのだと思います。

大統領が財務大臣を兼務していたので実務的に国家予算を管理していたのは実務派財務次官の「P.B.ジャヤスンデラ氏」でした。強大な権力を握った大統領の元では「Yes」としか言えなかったのでしょうが、次官職最長不倒記録を保持していたジャヤスンデラ氏は大統領選挙開票前夜にシンガポールに逃れたという情報もありました。ジャヤスンデラ氏が現在どのような状況にあるか知りませんが、ゼン政権下では多分非常に不本意であっただろうと想像されます。



2015年02月23日(月) メナヘム・プレスラーさんのピアノ

昨年12月31日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートがNHKBSで放送されました。ラモーとかコダーイとか珍しい曲が演奏されました。その中で注目されたのが91歳の現役ピアニスト「メナヘム・プレスラー」をソロに迎えてのモーツァルトのピアノ競争曲23番でしょう。興味深いプログラムでしたが一気に聞くには長いのでまず「ピアノ:メナヘム・プレスラー、伴奏:ベルリンフィル、指揮:ラトル」のピアノ協奏曲をまず聞いてみました。

91歳ですからテクニック面とか体力面で「大丈夫なのかな」という不安を持ちながら聞いたのですが、そんな心配は直ぐに吹き飛んでしまい、非常に心休まるメナヘムさんの演奏に引き込まれました。譜面をピアノにおいての演奏でしたが非常に巧みに「譜めくり」されているのでびっくりしました。元気で現役最長老記録をどんどん更新して欲しい思います。メナヘムさんの経歴を調べてみてメナヘムさんのピアノの「優しさの理由」が少し分かりました。

「メナヘム・プレスラーさん」は1923年12月生まれで昨年大晦日の時点で91歳です。メナヘムさんはドイツ北部のザクセン州のマグデブルグの紳士服屋を営む裕福なユダヤ人家庭に生まれました。そして小さい頃から教会のオルガニスト(Kitzekさんというドイツ人)からピアノを習っていたということです。ドイツを初めヨーロッパに住んでいたユダヤ人にはその時代非常に過酷な運命が待ち構えていました。

メナヘムさんの住むドイツでは1930年1月にヒトラーが首相に就任してから次第に「ユダヤ人」に対する弾圧が厳しくなります。ヒトラー政権はユダヤ人の就労制限だとか市民権制限などの弾圧政策を徐々に強化していったのでした。その弾圧に反対する意思表示としてユダヤ人によるドイツ国フランス大使狙撃事件が起こると、ドイツ国内の各地でシナゴークの破壊、ユダヤ人商店の破壊・略奪、ユダヤ人への暴力事件が発生したのでした。これが「水晶夜事件(1938年)」です。

メナヘムさんの商館も略奪されました。家族は家の奥に隠れて難を逃れたのですがこの暴動の目撃者となってのした。この事件以降ユダヤ人に対する弾圧は更にエスカレートして行きホロコーストに繫がっていったのでした。しかしドイツ人のピアノ教師は大変親切で暴動後に禁じられたレッスンも密かに継続され、一家がイタリア経由でイスラエルに脱出した際にメナヘムさんにドビュッシーの「水の反映」の楽譜を送ってくれたのだそうです。

メナヘムさん一家5人(両親の二人の兄妹)はドイツでの生活を諦めイタリア経由でイスラエルへの脱出に成功しました。しかしドイツに残った祖父母・叔父さん・叔母さんら5人の家族以外の親戚はすべてアウシュビッツのホロコーストの犠牲者となったのでした。メナヘムさんは過去を回顧して "In my life, the piece of bread has always fallen butter-side-up," と自ら非常に運に恵まれていたと考えています。

イスラエルに逃れたメナヘムさん(14歳)は心に傷を負い身体も弱まって保養所生活を送ることになったのですが、そこでメナヘムさんを支えてくれたのがピアノレッスンでありベートーヴェンのピアノソナタだったのだそうです。メナヘムさんはドイツ人から迫害に合いながらも、良きドイツ伝統をしっかり理解していたのでした。メナヘムさんは1946年に単身アメリカに渡り「ドビュッシーピアノコンクール」で一等賞を得、アメリカでの演奏活動を開始しました。

メナヘムさんはロスアンジェルスに拠点を構えますが、当時ロスアンジェルスのハリウッドにはドイツから逃れてきた芸術家が多く住んでいて、その人達との交わりはメナヘムさんの大きな影響をあたえたようです。その人達とは、「Thomas Mann, Arnold Schönberg, Sigmund Freud, Igor Stravinsky, Oskar Kokoschka, Artur Schnabel and the film composer Franz Wachsmann」だそうです。また芸術家を愛するマーラーの未亡人「Alma Mahler」とも交流があったのだそうです。

メナヘムさんの音楽と人生の拘わりは以下に言葉に尽きるようです。”While it was a tragic time, it was also one of the most wonderful times of my life, in every respect. I'm sure I wouldn't have become the musician I am now had I not experienced the depth of all that suffering and happiness.”



2015年02月22日(日) 練習用椅子の高さ

先週の水曜日にチェロの「フェイギンさん」の演奏を間近に見て試してみたいことがあったので、今日久しぶりに楽器を出して練習してみました。それは練習(演奏)するときの「椅子の高さ」を「少し高くすることです。ロシア出身のフェイギンさんは身長も高く、足も随分ながいので椅子(座高調整可能なピアノ用の椅子)の座高はかなり高くセットされていました。そしてチェロの「足」も少し短めにしているので、チェロの胸当ての部分は胃袋の上辺りに来ていました。このような構え方だと右腕・左腕がかなり垂れ下がり、自然な曲線を描いていていかにも力が抜けている感じだったのです。

私の場合身長は日本人平均位なのですが足は短いので、両足で楽器を包み込むことができるように椅子の座面を低くしていました。そうすると楽器の胸当ては「胸」辺りに来るのですが、右腕・左腕は下に垂らすことができず、少し不自然な感じになっていたのではいかと考えたのです。今日椅子の座高を少し高くし、両腕は自然に垂れるような形にして弾いてみた所、両腕の力を抜く感覚が以前より簡単につかめるように思えました。多分、肩・肘・腕・指の付け根の関節の動く向きが少し変わって、より自由に動くようになったのだと思います。

これまで足の長さとチェロを抱えることを最優先にして椅子の座面を高さを調整していましたが、大切なのは腕が自然な形で動けるような角度になるように楽器と椅子を調整することだったのだと思い至りました。さらに座面を高くすることで、膝下の足は余分に動くスペースが減ったので非常に安定した構えをせざるを得なくなったという効果もあるようです。「フェイギンさん」の演奏会は他にも色々と勉強になることが多かったです。もちろん演奏自体はプロと初心者では全く比べ物になりませんが。



2015年02月21日(土) ホームページの記事追加

2月一杯で「OCN」がホームページサービスを終了するので、私のホームページは「FC2」に移転することにしました。既にコンテンツの移動は終了しています。この日記帳ソフトの「エンピツ」とホームページの「FC2」はインターネット開始初期の時代からサービスを提供し続けています。そしてスマホ全盛の現在でも「可能な限り」サービスを提供し続けるようです。インターネットはこういうネット社会はこうした非常に立派なサポーターによって支えられているのだと思います。

「FC2」は有料のOCNよりずっと大きな容量を無料で提供してくれているので非常にあり難い存在です。その心意気に応えるためにも私もホームページの充実を図っていきたいと考えています。ということでホームページの「各地の名所・名物」に追加記事を掲載しました。新しく追加した記事は「神戸市にある孫文記念館」とナポリのカンツォーネレストランの「カンツンチェッラ」です。ふたつとも昨年2014年に旅をして非常に「印象深かった」場所です。

「孫文」関連は、香港・マカオ・広東州中山に次ぐ4番目の「記念館」です。じつは「孫文の足跡」はこの他にも中国では「上海・南京・広州」「台北」に記念館がありますし、ホノルル・サンフランシスコにも孫文の足跡が残されています。チャンスがあったら少しずつ訪問してその印象を記事にしたいと考えています。

ナポリは観光都市が山ほどあるイタリアで「治安の問題」もあって、日本の観光客からは少し敬遠されている都市です。ローマから中部北部のフィレンツェ・ミラノ・ベネチアを回ると南イタリアに足を伸ばすチャンスはありません。しかし非常に魅力的な街であることは誰もが聞き及んでいると思います。これから観光地として整備されていくと必ず多くの観光客が押し寄せるはずです。今は地下鉄工事が進んでいますし、カトリック教会美術館の整備も進んでいます。知られざる「ナポリの地下遺物」も徐々に観光客に開かれていくでしょう。日本の「ナポリピザブーム」は発祥地巡礼客を増やすだろうと思われます。私も旅行を思い出しながら情報を整理して記事を追加していきたいと思っています。



2015年02月20日(金) ピザ屋さん繁盛?

夕御飯に「ナポリピザ」を食べようと考え、通勤徒中の「蒲田駅」に薪窯を設置したピッツェリアがあるという情報をネットで調べたので行ってみました。ところが店に行ってみると「本日は貸切」とのことで店の中では大勢の客で盛り上がっていました。お腹は「ナポリピザ」を食べる積りになっていたのですが今日は「ナポリピザ」を諦めました。

私が「ナポリピザ」を食べるようになって数年建ちますが、ピザ窯を設置してナポリピザをメニューに入れている「イタリアバル」はどんどん増えているように思えます。ピザ焼き職人「ピッツァイオーロ」は引っ張りだこだろうと思います。一方で従来型式の居酒屋チェーン(例えばワタミ)は客足が遠退いているようです。イタリアンバルが隆盛しているだけかと思ったら、「立ち飲み」のような客同士がワイワイガヤガヤ話し合うような昔ながらの居酒屋も流行っているという話があります。

サラリーマンの「酒の飲み方」が変わってきているとは単純には思えませんが、男性・女性の結婚年齢が上がって独身時代が長くなり、独身サラリーマン・サラリーウーマンが職場と家庭の他に第3の生活の場を模索しているという仮定も成り立ちますし、比較的余裕のある熟年カップルが「酒」を楽しむ機会が増えたということがあるのかも知れません。「酒場」への需要が変化していることは確かだと思います。そうした需要に対応できる「酒場」が流行っているということでしょう。従来のチェーン店酒場はそうした需要を取り込まない限り、発展は難しくなっていると思います。



2015年02月19日(木) 「ダビク」

17日夜(日本時間では18日未明)イラク北部のクルド人自治区の首都イルビル近くで「ISIS」が多方面からの攻撃による大攻勢を仕掛けたそうです。イルビル付近には連合軍空軍の戦闘機が配置されていましたが、敵味方が接近し過ぎていて有効な空爆を実施できない状況なのだそうです。付近は予防線が貧弱な上にクルド人陸軍の武器弾薬が限られていることもあって苦戦している情報がありました。この後翌日になってクルド人武装勢力が「ISIS」の攻撃を凌いで押し返したとの報道がありました。一応一安心です。

「ISIS」側からみるとイラク北部は、クルド人部隊との戦闘においてクルド人武装勢力と連合軍の空爆の連携攻撃を受けて一時的に撤退を余儀なくされた地域でした。クルド人武装勢力は「ISIS」にとっては攻略できない唯一の対抗勢力でした。残念ながらイラク政府軍・シリア政府軍、イラク・シリアの反政府軍事組織は「ISIS」に対抗できるような精鋭ではないようです。

無人機や戦闘機による空爆で攻撃できても「ISIS」支配地域をひとつひとつ潰していくのは「陸上兵力」です。ここでクルド人部隊が「ISIS」に押し込まれてしまうとアメリカを中心とする「連合軍」は自ら陸軍部隊を投入せざるを得なくなります。

「ISIS」の思想的背景に1300年前のモハメッドの「ダビクの予言」というものがあるのだそうです。それは「シリア北部の町「ダビク」において、80の軍旗を掲げた背教徒の軍勢がイスラムの軍勢と戦いを繰り広げ、イスラム教徒も多数犠牲を出すが最後には勝利して終末の到来を告げる。」というものだそうです。アメリカ、イギリス、フランス、デンマーク等の西側諸国に対するテロを恰も「背教徒」の軍勢を数多く揃える為に威嚇しているようにも見えます。非常におぞましい映像を流す「ISIS」(イスラム国)の対外報道は「ダビク(Dibiq)」を名乗っているのです。



2015年02月18日(水) チェロの演奏会

六本木にある「シンフォニーサロン」で行われた「チェロとピアノ」の演奏会を聴いてきました。生憎の雨でしたが、演奏が非常に充実していたので気持ちの良い感動を得ることが出来ました。演奏は日本の大学で教えているチェリストのドミトリー・フェイギンさんと奥様でピアにストの新見・フェイギン・浩子さんです。場所は満席でも40人程の小さなホールでしたのでフェイギンさんの右手が良く見える席を確保しました。

2月18日 ドミトリーフェイギン (チェロ)、新見・フェイギン・浩子(ピアノ)演奏会

「プログラム前半」
チェロとピアノのソナタ4番(ベートーヴェン)
モーツァルト「魔笛」から「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲(ベートーヴェン)
アダージョとアレグロ(シューマン)

「プログラム後半」
チェロとピアノのソナタ1番(ミフスコスキー)
オペラ「金鶏」より(リムスキー・コルサコフ)
ワルツ「レントより遅く」(ドビュッシー)
「ロメオとジュリエット」からバルコニーシーン(プロコフィエフ)
「道化師の朝の歌」ラベル

「アンコール」
ボカリーズ(ラフマニノフ)
詩人の恋(シューマン)
白鳥(サンサーンス)
紡ぎ歌(ポッパー)

チェロのフェイギンさんはロシア出身でお父さんは「バレンティン・フェイギンValentin Feigin」さんと言って有名なチェリストだそうです。バレンティンさんをネットで調べるとソロ活動の他にモスクワ弦楽四重奏団のチェロメンバーとして活躍したという情報がありました。この楽団はボロディン四重奏団のチェリストのベルリンスキーに指導されたとの事です。有名なベルリンスキーさんの流れを汲むチェリストのようです。

ヴァレンティン・フェイギンさんの演奏写真をネットで見ることが出来ますが、その演奏姿は右手も左手も力が抜けていて、非常にオーソドックスな構えです。その演奏姿勢は息子の「ドミトリーさん」にも受け継がれています。弓を持つ右手は肩・肘・手首がしなやかにカーブして弓は殆ど親指と人差し指だけで握っているような軽さです。しかし出てくる音は非常に力強く低音から高音まで楽器の性能を最大限に引き出している音量です。左手のテクニックもすごいのですが、左手で最も注目すべきはその「ビブラート」の美しさだと思います。低音でも高音でも非常に深い安定したビブラートです。良く見ていると弓が動き始める前から左手がビブラートを始める場面が何回かありました。

曲目ではベートーベンに二曲が非常に堅固でしっかり構築されていた思います。一方ロシアものは全て暗譜で弾かれていましたが、自分の国に音楽として自身に満ちたものでした。アンコールも含めてシューマンが二曲となりましたが、ドイツロマン派の音楽も得意であることをチラっと示していたようです。ピアノ伴奏の奥様とは非常に息が合っていたと思います。特にベートーベンでは的確なダイナミクス変化に関する息がぴったりでした。一方ロシアものではチェロとピアノの曲想が若干異なっていた感じを受けました。ロシアの弦楽器、特にチェロプレイヤーの層の厚さにはビックリですし、その真摯な音楽への取り組み姿勢には改めてロシアの懐の深さを感じました。



2015年02月17日(火) 春節

旧暦では明日18日が大晦日で明後日19日が新年元旦です。中国では春節前後の休暇を利用した里帰りのためにそれこそ日本の数倍の規模に及ぶ人民大移動となる模様です。それと気になるのは、その長期休暇を利用して来日する中国人の観光客のことです。円安(118円前後で安定しています)状況が続いているので、春節以前からアジアからの観光客が目立っていましたが、明日からどっと来日観光客が増えるのではないでしょうか。

そういえば「JR車内広告」で「中国語」でのセブンイレブン店舗での「円引き出し」広告が非常に目立っています。国際的なクレジットカードは勿論ですが、中国の主要クレジットカードでも「円」が引き出せることをアピールしています。春節の中国人観光客目当ての広告のようです。



2015年02月16日(月) ブラームス対決

昨日の夜から深夜にかけてクラシック音楽番組で「ブラームス対決」が実現しました。それは以下の二つの番組です。

NHKEテレ(午後9時から)2014年12月10日の来日演奏会模様
パーボ・ヤルビ指揮のブラームス:ドイツ・カンマーオーケストラ、ピアノ:ラルス・フォークト
ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15 
交響曲第1番 ハ短調 Op.68 

NHKBSプレミアム(午前0時から)2013年1月の演奏会模様
クリスティアン・ティーレマン指揮のドレスデン国立管弦楽団、ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op.83
交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

プログラムの性格も大分違います。ヤルビ・カンマーフィルはピアノ競争曲・交響曲ともに非常に緊張を強いるブラームスの力作を並べました。これに対してティーレマン・ドレスデンは、どちらかというとブラームスの「田園
」的な2曲です。これを並べたのはNHKの作戦なのでしょうが、少し惨いように思えました。

両方とも全て聞いた訳ではないのですが、ヤルビ・カンマーフィルの熱い演奏には引き込まれましたが、ティーレマン・ドレスデンの散漫な演奏は途中で別な作業を優先して聞くのを止めました。カンマーフィルは1980年創立の若いオーケストラ、ドレスデンシュターツカペレは16世紀に創設された世界有数の歴史を誇るオーケストラです。カンマーフィルは「ヤルビ」を得て自分たちの目指す音楽を追求しています。一方ドレスデンは「ティーレマン」を招いて「大雑把で」「人を食ったような」音楽ばかり演奏しているように思えます。

それにしても「ドレスデン」はここのところ「ハイティンク」「ルイージ」「ティーレマン」の3人の指揮者をシェフとしていますが、このままだと本当に心配です。東ドイツ時代には西側対抗の最前線として最高峰の音楽を誇っていたと思いますが、冷戦終了後は優秀な指揮者の元で音楽を育む余裕が無くなってしまったのかしら。ブレーメンという小都市にある「カンマーフィル」の活動を見習って欲しいものです。



2015年02月15日(日) 隣のマンション完成

道を挟んだ向かい側でマンション建設工事が進んでいましたが、漸く完成したようで昨日から入居が始まりました。今日の夜には何軒かの窓に灯りが付いていました。家族で真新しい部屋に引っ越してきて「ワクワクすす」最初の夜を迎えていることだろうと思います。

そのマンションの敷地は「梅畑」「駐車場」「ダイドードリンコ倉庫」「某不動産会社の独身寮」等に分かれたおおきな長方形の土地でしたが、順番にひとつずつ平地になって遂に大規模なマンションが建つ土地に整理統合されたのでした。「梅畑」は今頃の季節から花を付け始め、周囲に花の匂いを振りまいていた畑でしたので無くなってしまったのは残念ですが。

でも我が家のあるマンションの北側にまるで「風除け」のように背の高い建物が建ったお陰で、我がマンション北側の冷え込みが少し弱まった感じがします。白っぽい壁なので太陽の光を反射してくれますし、夜の駐車場の街灯が明るいので道が明るくなってありがたいです。これから購入者がどんどん引っ越してきて賑やかになりそうです。



2015年02月14日(土) 心臓エコー検査

南浦和の循環器内科タケイ先生に心臓エコー検査をしてもらいました。昨年12月の人間ドックで要再検査とされていた「心電図異常」の検査です。先生に直接検査していただくので、先生が確認したい心臓の様子を的確にチェックできたのだと思います。20分程度で検査が終了し、結果的には「心臓どこにも異常はなし」ということでした。

左心室の筋肉の状況だとか、左心室の収縮・拡大の様子だとか、大動脈の大きさだとか弾力性だとかをチェックした結果全く正常なので安心してもよいというお話でした。昔の検査で時々「期外収縮」があると判定されたのですが、期外収縮の結果胸に「違和感」を感ずることがあるということなので、多分それが時々症状に現れるのではにかと思われます。

これで「心臓関連」の不安要素は解消したので、引き続き「血糖対策」をしっかり継続したいと思います。「野菜」を多く採って1日の摂取カロリーを押さえるとともに、「1日15000歩」「土・日どちらかので水泳」という「運動」を続けたいと思います。



2015年02月13日(金) 友人の訃報

昨日の日記でピアノ三重奏曲のことを書いたのですが、昨日の夜遅く大学時代のオーケストラの友人の訃報をメールで知ることとなりました。一昨年の暮れに高校時代クラブ活動で楽しい時代を過ごした友人が亡くなってショックを受けたところです。これからその種の話題が増えていくのでしょうか。

この大学時代の友人はオーケストラではバイオリンパートでした。非常に個性豊かな人間で、当時からタバコ・酒を愛飲し、健康な生活とは全く逆な暮らしを送るタイプでした。下宿が近かったのですが、当時は往来はありましたが、しかし住む世界が違うような気がして深く付き合うということろまでは行きませんでした。多分お互い不器用な人間で、勝手に短いと思う大学時代を必死に自分勝手に過ごしていたのだと思います。

大学を卒業してからは一回も会っていないと思います。訃報に接すると生きている間に「わだかまり」を正体を突き止めて解消しておきたかったと思います。情報によると肝臓ガンによって亡くなったということです。



2015年02月12日(木) ピアノ三重奏曲

チャイコフスキーの室内楽にはまっています。有名どころとしてまず弦楽四重奏曲、弦楽六重奏「フィレンツェの思い出」、そしてピアノ三重奏「偉大な芸術家の思い出のために」をIPODに入れて聞いています。これらは近くの図書館から借りてきた「ボロディン弦楽四重奏団」「スークトリオ」の演奏です。

これらを聴いていて大昔に放送されたアルゲリッヒの演奏がビデオテープにあったことを思い出して探し出しました。1998年5月19日に墨田トリフォニーホールで行われた演奏会の録画です。出演はアルゲリッヒ(当時57歳)のピアノ、クレメル(当時51歳)、マイスキー(当時50歳)の3人です。演奏曲目は、ショスターコーヴィッチのピアノ三重奏曲第2番ホ短調、チャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲イ短調作品50《ある偉大な芸術家の想い出のために》、当日のアンコール曲の「タンゴ・パセティック」でした。さっそく映像を見ながらテープからHDDにダビングしました。

アルゲリッヒとクレメル、アルゲリッヒとマイスキーのドュオは沢山の録音があるようですが、3人がトリオを組んだ記録はこれが空前絶後のようです。とにかく1998年当時も現代でもトップレベルの音楽家ですからスケジュールを合わせるのは苦労するはずです。1998年の演奏会は3人に関係の深かったマネージャーの仕掛けだそうです。残念ながらそのマネージャーさんは演奏会の時には亡くなっていたそうです。

この3人は以外な所に共通点があえうことを知って驚きました。1941年生まれのアルゲリッヒの母親は旧ソ連の「ベラルーシ」からアルゼンチンに逃れたユダヤ系移民でした。彼女の生まれたブエノスアイレスは南米最大のユダヤ人社会を持つ都市なのだそうです。クレメルとマイスキーはともにラトビア(旧ソ連)のリガの生まれです。クレメルの両親はドイツ系ユダヤ人の音楽家で父親はホロコーストの生き残りだということです。ソ連でオイストラッフに師事して国際コンクールで優勝した後の1980年冷戦の渦中にドイツに亡命しました。マイスキーは「リガ」のユダヤ人の家庭に生まれました。マイスキーは反政府派のロストロポーヴィッチに影響を受けていますし、姉がイスラエルに亡命したことによってソ連での立場が悪くなったりして1972年に国外移住が認められて米国に移りました。ということでこの3人はロシア系ユダヤ人という共通点を持っているのです。

1998年5月の演奏会で演奏されたショスタコーヴィッチのピアノ三重奏曲は3楽章にユダヤ教の旋律が使われているのだそうです。この曲は若くして亡くなったショスターコービッチの友人の作家に捧げられています。とても激しい悲しみを表現しています。このかなり重い曲の後に、長大な「偉大な芸術家の思い出」が演奏されています。この二つの鎮魂の曲をアルゲリッヒ・クレメル・マイスキーが全霊を込めて演奏しています。演奏する3人の思いはそれぞれ違うとは思いますが、感情の高ぶりがあっても全く揺らぐことの無い技術力は凄いです。こういう芸術家が実際に演奏している時代に生きていることが誇らしくなります。



2015年02月11日(水) マクドナルド頑張れ

我が家の休日は少し離れた公園まで「散歩」し、そこでストレッチングした後に最寄の駅まで行って「マクドナルド」で朝食を食べてくるのが恒例になっています。食べるのは「ソーセージマフィン+コーヒー+野菜生活」です。生野菜がないので「カゴメ」の「野菜生活」で野菜成分を採るようにしています。

そのマクドナルドが遺物混入事件で厳しい立場に立たされています。今週から客単価アップ、需要喚起のための「ハワイアン関連」メニューを追加しました。今日はせっかくなので「パイナップルパイ」を追加で食べてみました。でも調べてみるとカロリー高すぎでした。ソーセージマフィンが382キロカロリーなのに対し、小さなパイナップルパイで245キロカロリーもあります。

マクドナルドというと「若い人向け」の商品ラインアップでどちらかというと「高カロリー」なものが多いように思えますが、もう少し健康志向の商品をそろえて欲しいと思います。土曜・日曜の朝に開いている店というと「吉野家」等の24時間オープンの店かコンビニが主ですが、暖かいコーヒー付きの安い朝食メニューのある「マクドナルド」は有力な選択肢のひとつです。健康志向で休日朝の散歩人口は増えていますから、マクドナルドとしては狙い目だと思うのですが。

経営が苦しくなって「客単価アップ・需要喚起」の新規メニュー追加ですが、私には「コスト削減」の余地が大きいのではないかと思われます。マクドナルド店内に備え付けられているゴミバコ(紙とプラスティック別)には短時間で物凄い量のゴミが投げ込まれます。これとは別に「持ち帰り用の容器・袋」も大変な量だと思います。現在の包装形態、コーヒーカップのキャップ等は急拡大していた時代の過剰な「包装」の名残のように思えます。100円バーガ等の現在の低価格商品を維持するのなら、客にコスト削減の協力を求めるのもひとつの方策だと思います。お客は便利で安いマクドナルドが存続してくれることを望んでいると思います。



2015年02月10日(火) ワードの新しいヴァージョン

会社のパソコンに入っているワードは一律「2010」です。これに対して自宅のパソコンに入っている「ワード」は「2003」なのです。従って自分が最初から作成する文書は、原則「ワード2003」に搭載されている機能で作られています。自宅に持ち帰って修正することがあるからです。ワード2010は驚く程沢山の機能がついていますが、それらは会社のパソコンの「引き出し」にしまったままです。使わないのでアイコンを表に出していないのです。

ところで今他人の作った「ワード文書」を修正する作業に取り掛かっています。これがワード「2010」の機能を使って作られているために大変苦労しています。修正に時間が掛かってしまう「機能」の一つは「自動目次作成機能」。慣れてしまえば「契約書」等のルールのはっきりしている文書には大変便利な機能だと思いますが、番号展開の順番だとか、途中に項目を差し込む時とか、非常に難儀しました。更に「ヘッダー・フッター」の機能も拡充されていますがこれも分かり辛いです。

そして便利なのですが最も扱いが面倒なの「修正履歴」です。当初からの文書修正履歴があれば越したことは無いのですが、すべての履歴を記憶させておくと物凄いことになります。不慣れが人間が下手に修正すると酷いことになってしまうのでしょう。修正が積み重なってパソコンの動作が遅くなるような気がします。「HTML」みたいにプログラムがどうなっているのか分かれば良いのですが、ワードの場合様々な機能が絡み合ってしまってから救済することはできるのでしょうか。マシンのためにも「修正履歴」をどこかで「クリア」し、「アズイズ」をベースにして始めることが大切な気がします。



2015年02月09日(月) 人間ドックフォロー

昨年12月に受験した「人間ドック」で再検査が必要との指摘のあった「心電図」に関して専門医に行って来ました。これまで「人間ドック」の再検査については「NTT関東病院」に行くことが多かったのですが、今回は自宅に近い南浦和の循環器内科医院にしました。というのもこれから何回も通うことになるとすれば近い医療機関の方が便利だと考えたからです。こういう医療機関を「かかりつけの医者」というのですね。

今日は心電図をもう一回とって症状を再確認してもらいました。ずっと昔から症状が出ている「不整脈」なのです。2年前にはNTT関東病院で心臓冠状血管について血管造影検査で検査して異常が見られなかったのでした。今日はその写真を先生にお見せしたところ、不整脈の原因は血管では無く「心筋」だろうということで、2週間後に「心臓エコー検査」を行うことになりました。

「心臓」の不整脈が先天的なものである可能性は高く、それ自体は治療できないでしょうが、「血液中の血糖の増加」は心筋にも心臓血管にも負担となるでしょうから、これまで以上に気をつけなくてはならないと考えています。結局、食事に気をつけ、酒をできるだけ控え、運動を十分にしてエネルギー消化量を維持することに尽きるようです。



2015年02月08日(日) クリスティーヌ・ワレフスカのチェロ

武蔵浦和図書館にクリスティーヌ・ワレフスカのCDがあったので早速借りてきました。クリスティーヌ・ワレンスカは1945年にアメリカのロサンゼルスの生まれました。今年70歳になります。ジャクリーヌ・ドュプレが同じ1945年生まれです。ワレンスカは若い頃「ドュプレ」と並び賞されていた女流チェリストだったのだそうです。

ドュプレは芸術分野のひとルの中心地ロンドンで華やかでかつ短い演奏活動を展開した後、病気のため1973年に引退し1987年に42歳で亡くなりました。一方ワレンスカはアメリカを中心に活躍し、結婚を契機にアルゼンチンのブエノスアイレスに居を移しました。ワレンスカはアルゼンチン各地で演奏会を開催しましたし、キューバでも演奏を行いました。この活躍の場の違いが日本における知名度の差になったようです。

ワレンスカは1974年に一度来日した後2010年に再来日を果たしました。借りたCDは2010年6月5日にとうきょうで行われたリサイタルを収録したものです。主な収録曲はブラームスのチェロソナタ第1番、ショパンのチェロソナタ、ボゴニーニ、ピアソラの二人のアルゼンチン作曲家の小品です。ポーランドからの移民の子孫だというワレンスカにとってショパンの作品は特別であり、ボゴニーニとピアソラも彼女にとって特別な作曲家だそうです。

ワレンスカのチェロは驚くほど聞く人を感動させる「音色」を持っています。その豊かなヴィブラートはドュプレの音色にも共通するものだと思います。CDの解説書ではワレンスカの左手の指は、カザルスに始まる現代チェロ奏者「機能のために音を犠牲にする指型」ではなく、あくまでもチェロの音色を最も美しく聞かせるための指型をしているのだそうです。CD解説書に写っているワレンスカの演奏する姿は見事にその指型を捉えています。



2015年02月07日(土) 浦和の傘屋さんのこと

浦和の繁華街「仲町通り」に「丸富傘店」があります。そこは小奇麗な商店街の中でそこだけ「レトロな(古い)」店舗が残っている場所で、客がはいっている場に遭遇するのは稀です。昨今「傘」はコンビにで使い捨てビニール傘を買う時代になっていますが、「丸富傘店」のご主人は「傘の修理」をしてくれるのです。「丸富傘店」が良く利用するレストラン「ディアボラ」に近いこともあって、ここで傘を3本買って修理してもらいながら使い回しているところです。

会社のある横浜の港近辺は非常に風が強くて、折り畳みの傘には非常に過酷です。これまで一回「傘の骨」が折れましたし、傘の骨を接続している「ハトメ」は何回も壊れました。そのたびに「丸富傘店」で修理をお願いして修理してもらってきました。ところがここ3週間ほど土曜・日曜にシャッターが閉まっています。今日も行ってみたのですが閉まっていました。シャッターには何の張り紙もないので、まさか店舗閉鎖ということはないと思いますが、ご主人は若くは無いので病気か怪我で店を開けられないのなら心配です。

浦和の仲町地区も再開発が進んでいます。元々商業地帯なのですが、マンションがどんどん建ち始めました。「丸富傘店」の直ぐ後ろまで再開発のために家屋が取り壊され「平地」となっています。「丸富傘店」にも再開発の影響が及びそうです。浦和駅近辺のマンション増加傾向は「上野・東京ライン開通」にともなう高崎線・東北線の利便向上も原因しているようです。



2015年02月06日(金) 血糖値「V字」回復?

2月10日の献血検査結果が判明しました。「血糖関連項目」の「グリコアルブミン比率」の数値が前回(1月10日)から1.7改善して「17.7」となりました。この数値自体は自慢できるほどの良い数値ではありませんが、前回「19.4」前々回「18.2」に比べると「V字回復」とも言える数値ではないかと思っています。

「グリコアルブミン比率」が最悪を記録したのは前回献血の1月10日のことでした。日付からも分かる通り「年末・年始」の連続休暇の間にカロリーの高い食事を沢山食べ、毎日のようにアルコールを飲んでいたのですから「血糖」の状況が悪化するのは目に見えていました。更に「妻」が足に怪我をして長い距離は歩けない状況tぽなってしまったので、一緒荷歩く機会が減り年末年始の「運動量」も若干落ちていたことも悪化の材料だったと思います。

「これではまずい」と反省して運動量を増やすとともに、若干ですが「アルコールの量」を減らしました。運動量については「1日15000歩」という目標を設定して、会社への行き返り・昼休みの運動を増やしました。「歩数」だけ急に増やすと「踵の痛み(踵の骨の棘で筋を痛めてしまう)」が再発することも考えられるので、休日の「水泳」の回数を増やしました。アルコールについてはまずワインを飲む機会を減らしました。これまで常時4~5本家に買い溜めしていたのですが、基本的に「買い溜め」を止めました。買い溜めていると「つい」飲んでしまいます。飲みたいときには「買いに行く」方式に変更しました。

「血糖関連項目」がここまで改善してきたので、昨年12月5日の人間ドックの再検査に望むことが出来ます。というのも「再検査対象」は「心臓」なのですが、血糖関連項目の数値が悪いと、どうしても「糖尿病から直さなければダメだよ」ということになってしまうからです。来週「再検査」の予約が取れました。



2015年02月05日(木) 高菜たらこ御飯弁当



「NEWDAYS」の新商品の「高菜たらこ御飯弁当」です。本体価格361円、税込み390円です。エネルギーは380キロカロリーです。弁当容器は「ひじき御飯弁当」「きのこ御飯弁当」「野沢菜昆布御飯弁当」と一緒で、丁度良い分量の具入り御飯と大振りの野菜、卵、豚肉の炒め物が付いています。御飯の「具」ですが高菜が入っていることは分かりますが、残念ながら「たらこ」の分量が少なくてその存在に気付きませんでした。

同じ容器を使っている4種類の弁当の値段は「ひじき御飯弁当」だけが税込み360円で、「高菜たらこ御飯」「きのこ御飯弁当」「野沢菜昆布御飯弁当」が税込み390円となっています。やはり値段が30円安い「ひじき御飯弁当」が人気があるようです。



2015年02月04日(水) シリアのクルド人組織

シリア北部でクルド人反政府組織が主要都市の「コバニ」をイスラム教過激派武装組織「ISIS」から奪還したというニュースがありました。先月の26日のことです。米軍が「ISIS」を空から攻撃し、陸上でクルド人部隊が勇猛に戦った結果このような戦果があがったようです。イラン・イラクなどのアラブ諸国が手を焼いている「ISIS」ですが、このクルド人部隊の成果は数少ない明るいニュースとして伝えられました。

しかし「ISIS」を押し返してしまう「シリアのクルド人組織」について少し調べてみると、それほど単純に喜んでいられない事態であることが分かってきました。

クルド人と呼ばれる人達は主に中東のトルコ・イラン・シリア・イラクの地域に住んでいる約3000万人の民族です。中東地域ではアラブ人、トルコ人、ペルシャ人の次に人口が多い民族なのだそうです。第一次大戦後の一時期「クルディスタン」として独立していた時期もあるのですが、二次世界大戦後はトルコ・アラブ諸国の国内で少数民族として暮らしてきたのでした。最大のクルド人社会を有するトルコではクルド人の分離独立運動がトルコの内政の課題となっているのです。クルド人は自分の祖国を持たない嘗ての「ユダヤ人」と似た環境に置かれているといえます。

そういう環境にあるからこそ勇猛なのかもしれませんが、もし「クルド人」がシリア・イラクで「ISIS」を駆逐したとすると、その後に想定されるのはトルコ南部のクルド人を含めた「クルド人国家建設」だとおもわれるのです。アメリカが描く「シリア」の将来像は、まず①「ISIS」の駆逐、②アサド政権打倒、③穏健なアラ反政府勢力により政権樹立ということになりますが、③の代わりに「クルド人国家建設」ということになるとマタ話が拗れてしまいます。

クルド人の多くは基本的には穏健なイスラム教徒(自由シリア軍が母体か)で中にはキリスト教徒やゾロアスター教徒等もいるようです。それもあってかクルド人兵士の中にはかなりの数の女性兵士もいるということなので「女性が活躍できる社会」のようです。しかしシリア・イラクのアラブ人とてを結んで上手く国を作っていくことが出来るかどうか。失敗するとイスラエルに追われたパレスチア難民のようなアラブ人がまた増えてしまう事になります。

トルコが「ISIS」攻撃に消極的なのも「クルド人組織」の勢力拡大を恐れるからです。アメリカとしては「穏健なイスラム勢力」によるアサド大統領打倒を想定しています。しかしこの一見穏健なイスラム組織が「ISIS」と敵対する「アルカイーダ」と結ぶ可能性は十分あります。更にクルド人勢力が制圧すればトルコを巻き込んだ別の紛争に発展するおそれがあります。「ISIS」掃討後のイラク・シリアの国の形は見えてきません。



2015年02月03日(火) 「ISIS」とイスラエル

「後藤さん、湯川さん」が拘束された日本人人質事件が二人の死亡でひとつの節目を迎えました。イラン・シリア・ヨルダン・トルコなどを舞台にして慌ただしい年の初めの一ヶ月が過ぎましたが、この間、エジプト・イエメン・リビア等でイスラム過激派のゲリア攻勢が連続しました。これらの一連の攻撃の基本的な構図は「イスラム既成政権に対するイスラム反政府組織の攻撃」です。

奇異に思えるのは、中東問題の本質は「イスラエル対アラブ(イスラム教徒)」だと思っていたのですが、それは一体どうなってしまったのかということです。国連決議も反対しているイスラエルのパレスティナ入植活動は止むことがありません。イスラエルの地を追われて故郷に戻れないパレスチナ難民はパレスティナ国を建国しました。「ISIS」はこのパレスティナ国さえも既成政権として敵対しようとしているでしょうか。

アラブ諸国の既存政府(アメリカと同盟する国とした方が適切でしょうか)に反対する「ISIS」はイスラエルに対して今後どのように対処していくのでしょうか。ひとつのシナリオとして、まず「ISIS」は統治機構が崩れかかっている国を標的にして勢力地拡大を図っているため、強力な軍事力を有する「イスラエル」は「後回し」にしているとう仮説ができます。

この仮定からすると「トルコ」も「ISIS」の当面は対象外となります。「ISIS」がかなりの地域を支配下に入れ、中東に限らずアフリカ北部の国々、アフガニスタン・パキスタンの過激派を傘下に収めた後、最終の敵「イスラエル」・「トルコ」への攻撃を開始するというシナリオが考えられます。しかしこの仮説には現実離れした点があります。「ISIS」がイスラエルと何時か事を構えるつもりならば、「イスラエル」が「ISIS」の成長・領土拡張を黙認するはずがないということです。将来イスラエルの存立を脅かすかもしれない「ISIS」の成長は一定の段階で攻撃して弱体化させておかないと「イスラエル」自身が危なくなるのです。今のところ「イスラエル」は沈黙しています。

「ISIS」の声明文では「十字軍」と言う言葉が良く出てきます。考えてみるとアラブの地が十字軍に蹂躙された時代にアラブ中東地域には「イスラエル」はありませんでした。キリスト教徒の十字軍の攻撃相手は「イスラム教徒」であって、「ユダヤ教徒」はキリスト教徒・イスラム教徒の敵でも味方ありませんでした。現在イスラエルともめているのは「ガザ地区・パレスティナの地」でイスラエル建国のために移住を強いられた人々です。この人達と第一次世界大戦後に西側諸国(kリスト教徒)の支援を受けてアラブの地に成立した「王族政権」とは基本的に分けて考える必要があるのかも知れません。

この「イスラエル」と「十字軍」との関係はそのままアメリカ支配層内の「力関係」にダブってきます。つまりピューリタンの思想をバックに持つ比較的リベラルな支配層と、新大陸に移住したユダヤ人をバックにする非常に保守的な支配層です。イスラエルを支持するユダヤ人系に人々にとってはアラブイスラム既成政権に対する「反十字軍攻勢」は少し離れた「対岸の火事」なのかもしれません。ユダヤ人とアラブ人は民族的には非常に近く、欧米のキリスト教徒とアラブ人の「十字軍の恨み」的な対立構図を当てはめることはできないのかもしれません。



2015年02月02日(月) 「洋菓子カズ」のザッハートルテ

自宅に程近いケーキ屋さんの「洋菓子カズ」が「ザッハートルテ」を売り出すという情報が「リビングさいたま」に掲載されていました。武蔵浦和にはケーキ屋さんが沢山ありますが「ザッハートルテ」はこれまで扱いがありませんでした。食べたくなると池袋の東武デパートまで行っていたのですが、近所で購入できることになったことが嬉しくて早速「カズ」さんにいって買ってきました。

ドイツ系のケーキの製作はドイツ製菓マイスターの「お嬢さん」が担当していて、お手製のクリスマス菓子の「シュトーレン」は大変上品で美味しかったことを憶えています。今回は「バレンタインデー」のチョコレートに関連させた特別製作だとのことで、まだ年間通して販売するかどうか決まっていないようです。「お嬢さんパテシエ」が本場ウィーンの味を思い出し、日本人向けに「甘さ控えめ」で作られたのだそうです。

自宅に戻って紅茶をあわせて頂きました。甘さを控えめした大変上品な味です。我が家の紅茶はそれ程濃くは入れませんが、手頃な濃さのコーヒー・紅茶とマッチするさっぱりした「ザッハートルテ」です。しかし「あっさりしたザッハートルテ」は「濃いショコラケーキ」とどこが違うのかということになり兼ねません。「ザッハートルテ」の存在価値は「濃厚さ」にあるではないかという感じもしてきます。ウィーンのコーヒーはイタリアのカプチーノのように濃いようですが、濃いコーヒーに負けないケーキが濃厚なザッハートルテなのだと思います。ウィーン並みの濃厚なザッハートルテも食べてみたいし、糖尿病予備軍としては「甘さ控えめ」が望ましいし、選択に悩みます。



2015年02月01日(日) 後藤健ニさん死亡

「ISIS」に人質となっていたジャーナリストの「後藤健二」さんが殺されました。1月20日に「湯川さん」といっしょに捉えられたビデオが公開されてから12日目の事件展開でした。この間ヨルダンに置かれた現地対策本部や日本政府は出来る限りの努力をしたと思います。「安倍首相」の指揮の下で本当に頑張っていたと思います。

今回の人質事件において日本政府が「身代金と人質との交換」を拒否した時から、「日本政府」は「ISIS」の取引相手ではなくなりました。日本からは何も取れないことを知ってから「ISIS」の狙いは当然のことながら「日本人人質」を使って外国に捕まっている「ISIS」同胞の釈放を勝ち取ることになりした。

しかし「ISIS戦闘員」を捕まえて裁判にかけている国ならば、逆に「ISIS」に自国民を誘拐される可能性は十分に高くなります。こうした国が「誘拐された自国民」を差し置いて「日本人人質」との交換に応ずることはまずありません。「ISIS」が今回要求した「日本人人質」とヨルダンが拘留しているイラク系の女性テロ犯罪者の交換は最初から取引自体に無理であったと思います。

日本政府のテロには屈しないという「毅然」とした態度は「ISIS」に対して「日本人人質」の価値が思ったより小さかったことを実感させたと思います。「二人の日本人人質」を使って自らの目的(金銭・同胞奪還)を達成しようとした「ISIS」のテロ行為は、人質殺害という憎むべ行為にいたったことで「自らの敗北」を認めたようた格好です。そして今後「ISIS」が同様な誘拐事件を起こしても、ネットで配信される日本からの画像は「日本政府首脳の苦渋の顔」だけということになります。こう考えると「ISIS」の日本人をターゲットにした「誘拐事件」が今後益々発生するとは考え難いと思います。これこそ日本にとっては悲しい「後藤さんの死」を代償にして「ISIS」に与えたダメージではないかと思われます。




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