2011年08月18日(木) |
チャンドラ・ボースの命日供養 |
今日8月18日はネタージ・スバッシュ・チャンドラ・ボースの命日です。毎年の事ですが、杉並に蓮光寺さんの「法要」に参加してきました。蓮光寺さんは望月教善住職の代になっています。66年前にボースの葬式を引き受けたのは先々代の住職でしたので、蓮光寺さんでは既に3代に渡ってボースの法要を営んできたこととなります。教善住職は「遺骨をインドに返すまで毎年法要を続け、しっかり守っていく」と決意を新たにしていました。
インドと日本とは今年日印自由貿易協定が発効し、経済上の結び付きが大変強くなります(関税は10年間に渡って少しずつ下がっていくようですが)。東京のインド料理レストランの数が増え、日本でのインド人の就業人口も増えているようです(電車でインド人風の方を良く見かけるようになりました)。でも「チャンドラ・ボース」の遺骨の故国インドへの返還しはとても実現しそうにありません。
経済の繋がりが強くなっても、相変わらず「入国ビザ」が必要な状況が変わっていないように、日本とインドの間にはまだまだ大きな障害が立ちはだかっているように思えてなりません。
それは「言葉と生活習慣」の二つだと思います。普通のインドの方は母国語の他に英語を話します。国内に複数の言語を持つ広大なインドでは英語が標準語のようなものとなっています。その英語が殆ど通じない国が日本です。生活習慣は「菜食主義文化」です。インドの菜食主義は「健康のため」なのでは決してなく「行き方」「生活そのもの」なのです。「身の回りの命」を大切にすること由来する菜食主義は、命あるものは全て平等に尊いものであることを実践していることを理解すべきです。「断食文化」にも通じますが、日本では最近全くそのような文化を目にすることがなくなりました。
今日も何人かのインド人の方が法要に参加されましたが、法要後軽食(懇親の場)には殆ど参加されませんでした。他の理由もあるとは思いますが、上の二つの理由が主だと思います。帰りの「東高円寺」駅の近くで、法要に参加していたインド人(たぶん)の方に会いました。彼らはベジタリアンで近くのレストランで家族だけで食事をしてきた帰りでした。
ボースの遺骨を早く故国インドに返すためには、政治だけではなく我々日本人がもう少し他人に対して細やかに心配りをする必要があるとつくづく感じました。
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