NHKBSクラシックロイヤルシート放送で録画しておいたプッチーニの歌劇「トスカ」を見ました。これはテレビ用の映画仕立てのオペラで配役・演奏は以下の通りです。
トスカ : キャサリン・マルフィターノ カヴァラドッシ : プラシド・ドミンゴ スカルピア男爵 : ルッジェーロ・ライモンディ アンジェロッティ : ジャコモ・プレスティア 教会の番人 : ジョルジョ・ガッティ スポレッタ : マウロ・ブッフォリ シャローネ : シルヴェストロ・サンマリターノ 看守 : フランコ・フェデリーチ 羊飼いの少年 : シモーネ・スカタルツィ
合 唱 : ローマ・イタリア放送合唱団 管弦楽 : ローマ・イタリア放送交響楽団 指 揮 : ズービン・メータ
ライモンディのスカルピアが名演で如何にも悪者という感じが十分に表現されています。ドミンゴのカヴァァラドッシはさすがです。声は素晴らしいです。マルフィターノのトスカは表現意欲は買いますが、少し大げさ過ぎて(とくに目の表現:映画なので大映りになります)多少興ざめしてしまいました。
トスカはローマ市内の名所を舞台にしたオペラなので、製作のローマ放送局は贅沢に指定された場所を使っているので非常に興味深いです。イタリアローマにはまだ行った事がないのですが、こういう映画を見ると是非行って見たくなります。舞台となった場所を少し調べたので以下に記載しておきます。
第一幕の舞台は「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ寺院」。ローマの自由主義活動家の「アンジェロッティ」が捉えられていた牢獄から脱出して、ローマ市内の「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会に逃げ込むところからオペラが始まります。
オペラ「トスカ」の時代設定は、西暦1800年6月にナポレオンが北イタリアに攻め入って勝利を納めた「マレンゴの戦い」が背景となっています。歴史では1797年にフランス国民軍のイタリア遠征司令官に任命されたナポレオンは連戦連勝して北部イタリアを開放しました。(第一次対仏大同盟崩壊)
しかし、1798年、ナポレオンがエジプト遠征に失敗したことを契機にオーストリア軍は第二次対仏大同盟を結成してフランスへ宣戦して1800年までに北イタリアの奪回して旧体制を復古しました。そして1798年、フランスの第一執政に就任したナポレオンは反撃のためにジュネーヴに軍を集結させ、1800年5月に37,000の大群を率いてアルプスを越え北イタリアへ進出し、「マレンゴ」でオーストリアと戦いました。最初はオーストリア軍の急襲に遭って苦戦しますが最後には挽回して勝利しイタリアを再び奪回することとなりました。
イタリア自由主義活動家のアンジェロッティは一族の「アッタヴァンティ家」のプライベートな礼拝所がある事とされる「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会に逃げ込みます。そこでは友人の画家カヴァラドッシが壁画を製作中。カヴァラドッシも反体制活動家です。
その礼拝所で祈りを捧げるアンジェロッティの妹を盗み見た「カヴァラドッシ」は描いている教会壁画の中にアンジェロッティの妹を登場させてしまいます。アンジェロッティの妹と恋人「トスカ」を思ってい歌われるのが「妙なる調和」。一幕始めのアリアとしては「清きアイーダ」みたいに声の調子を整えることが難しいアリアでしょう。その後はカヴァラドッシ・アンジェロッティの脱出計画、トスカの嫉妬、マレンゴの戦いでナポレオン軍が敗れたという誤報の知らせなど、ニ幕のストーリー展開への布石が沢山盛り込まれています。ここを二つに分割して4幕仕立てにしてもいいと思います。
第ニ幕の場面は「ファルネーゼ宮殿」が舞台です。「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会」の南西直ぐの所にある建物で現在はフランス大使館となっています。ここには行政府が入っていると言う設定のようで、3階にはスカルピアの執務室があり、そこでトスカとスカルピアのやり取りが繰り広げられます。
別室では捕まえたカヴァラドッシを拷問にかけていて、その声をトスカに聞かせながらスカルピアがトスカに言い寄ります。ここでは恋人のカヴァラドッシを助けようとするトスカ、自分に決して心を許さない「トスカ」を何とかして手に入れようとするスカルピアの心理劇が見物です。「YOUチューブ」ではマリア・カラスのトスカの第二幕の映像だけを見る事ができます。白黒・モノクロですがカラスの名演技は素晴らしいです。
第二幕の途中で「ナポレオン軍の勝利」が伝えられ、拷問にかけられていたカヴァラドッシが勝利の唱を歌います。スカルピアとしてはナポレオンに攻め込まれては立場が逆転してしまいます。そこでトスカを自分の物とするために悪巧みを考え付くのです。
第三幕はカヴァラドッシの処刑の場面が中心です。場所はセント・アンジェロ城。この建物は西暦135年にハドリアヌス帝が墓として作った建物だそうです。この建物は実際牢獄として使われていたこともあるそうですが、死刑まで時間を過ごすカヴァラドッシは牢番に指輪を与えてトスカへの手紙を書きます。そしてカヴァラドッシは屋上に引き出されて死刑の場面を迎えます。城の屋上の高い屋根の上には「大天使ミカエル」があり、この処刑場面を見下ろしています。芝居の銃殺刑のはずが、本当に実弾による死刑となってしまったためにトスカは絶望のためアンジェロ城から身を投げます。
2009年03月18日(水) |
Beans武蔵浦和新装開店 |
一ヶ月間ほど改装工事をしていたJR武蔵浦和駅ビルの「Beans」がオープンしました。JR改札口の正面に位置している一等地だったので、改装してから凄く混んでいます。「武蔵浦和」ってこんなに利用客が多かったのかしらと驚くほどです。新しいショップも含めて案内は以下のページにあります。
エキパラ「Beans武蔵浦和」のページ
今回の入れ替えになったショップの特徴として、惣菜・持ち帰りの寿司・惣菜の店が増えた事が上げられます。マンションの数が増加し、単身赴任・学生・共働きの若い夫婦が増えていると考えられているからだと思います。「とんかつ和幸」は既にレストランがあるのに、お持ち帰り前門の2件目のショップを出しました。
今回のショップ改装で驚いたのは、惣菜だとかパンだとか作るところをガラス張りにして見せているところです。近くに製造工場がなければそこで作るしかないのですが、駅ビルの一等地に製造現場を構えるのは結構贅沢です。「とんかつ和幸」など、直ぐ近くに二つの「トンカツ調理場」を作った事になります。買う方からすると新鮮な感じがするのですが少し贅沢です。
また「ケーキ屋」さんの数もちょっと多過ぎで大丈夫(?)と言う感じです。従来一等地にあった「銀座コージーコーナー」に加えて、「フロプレステージ」、「菓子工房ガトーマスダ」が出店しました。Beansの南側の「マーレ」には「梅林堂」と「東京風月堂」がありますので、ケーキ屋さんの競争は相当激しくなりますね。
今週日曜日の深夜にNHKで放送された新国立劇場のオペラ「カルメン」を録画しておいたので今日見終えました。2007年12月に演奏されたものです。配役等は以下の通り。
カルメン:マリア・ホセ・モンティエル ドン・ホセ:ゾラン・トドロヴィッチ エスカミーリョ:アレキサンダー・ヴィノグラードフ ミカエラ:大村博美 スニーガ:斉木健詞 など
演出:鵜山仁 指揮:ジャック・デコラート 演奏:東京フィルハーモニー管弦楽団
主役二人が一生懸命に歌って演技していたので印象としては好演だったと思いますが、主役二人は日本人では無理だろうなという脇役陣でした。唯一ミカエラ役の大村さんの声が圧倒的に通っているのですが、ミカエラとしては堂々とし過ぎていた感じがありました。
一幕の「タバコ工場」前の場面はあまりにも雑然としていて、合唱団も多くて良く筋が見えなかったと思います。合唱団が歌いながら演技する場面が多いのですが、フランス語のためか「歌」と「演技」の両方に神経を行き渡らせるのは難しかったのかもしれません。これは他の幕でも同様でした。ミカエラの大村さんはフランスを根拠に活動しているので、この役は問題無かったのだと思います。
「カルメン」と「ミカエラ」の対比でいうと、「ミカエラ」はもう少し「少女らしい」方がいいでしょう。そのように演技はしているのですが大村さんはそういう顔付きではありません。一方「カルメン」のモンティエルさんはむしろ「お嬢さん」のような顔付きでホセを惹きつける魔性の魅力のようなものはありません。4幕終盤では頑張っているのですが、カルメンの内面が見えてこないのです。
一方「ドン・ホセ」のトドロヴィッチさんは非常に立派な体格をしていて、声はしっかりした響きがします。このような立派な兵隊がカルメンに誘惑されるとはなかなか考え難い感じです。一緒に見ていた妻も言っていましたが、ドン・ホセはやはり「ホセ・カレーラス」のようにどこか頼りなく、誘惑に弱そうな二枚目男でないと筋が通りません。
最後にエスカミーリョのヴィノグラードフさんですが、非常に丹精な優男という感じでした。このエスカミーリョ役も難しくて、ホロストフスキーのようながっしり男の二枚目が演技すると、ドン・ホセと比較にならなくなってしまうし、あまり頼りないとどうしてカルメンが惹かれるのよと言う感じになってしまいます。ヴィノグラードフさんは若く溌剌とはしていますが、カルメンを惹きつける魅力という点では不足かなという感じでした。
2009年03月11日(水) |
銀座アショカでランチ |
香港の通信業者が日本出張だというので昼食を一緒に食べました。彼はアメリカの通信会社の香港駐在アジア担当なので日本への出張が多いのです。私の所とも取引があるのですが今回は別件の出張で昼飯だけとなりました。昨年ベトナムの帰りに香港に寄ったときに彼のオフィスには顔を出していました。
彼は中国人ですが「牛肉」は食べないのです。他にも本当は食べないものがあるのではないかと思ってレストラン選択には注意を払いました。結局場所も便利なので数寄屋橋のインド料理店の「アショカ」にしました。日本料理でもなく中華料理でもなく第三国料理を選んだと言うわけです。
昔「アショカ」は銀座7丁目にありました。4丁目交差点からだと丁度「銀座ヤハマ」の手前にあたるので、良く行くという程ではないですが何回か行きました。結婚してから間もなく「カレーレストラン回り」を始めてたので20年以上昔から行っていると思います。そして我が家のインドカレー料理は料理本に載っていた「アショカ流」のインドカレーの作り方を真似して行きました。
「アショカ」のホームページを見つけましたが、大阪店・京都店の案内はあるのですが銀座店の紹介してありません。
レストラン「アショカ」のホームページ
グルナビには東京の「アショカ」(銀座・新宿)が紹介されています。どちらも同じマークを使っていますが、お互いのことには全く触れていませんひょっとして分裂でもしてしまったのでしょうか。
銀座アショカの紹介
「アショカ」は「北インド料理」です。他のインド料理レストランでいうと、新宿中村屋が「ベンガルタイプ」、東銀座の「ナイル」は南インドの「ケララタイプ」。アショカはどちらかというと正当派・宮廷料理に似ているのでしょう。インド勤務時代にそれこそタップリインド料理を食べましたが「アショカ」を真似た我が家のインドカレーの味が本場のものと遜色なかったことに感動を憶えた経験があります。
さて「銀座アショカ」は移転していたのでした。今は「銀座インズ1の2階」のレストラン街にあります。JR有楽町駅から近いので非常に便利になりました。中国人の友人ですが日本でのインド料理に非常に満足していました。
今日土曜日は会社オフィスのカーペット清掃日なので午前中出勤して椅子をどけたり、普段掃除をしないような場所を少し綺麗にしてきました。清掃は午前中だけだったので、午後会社近辺の散策して帰ってきました。地下鉄後楽園駅の少し北にあるオフィスは本郷の高台と小石川の高台の間の谷底のような場所にあります。これまで本郷側の「菊坂」を中心とした東側は何回か散歩したので、今日は基本的に西側を散策してみることとしました。順路は以下の通りで、白山通りから小石川の高台に登って川越街道富坂を下って地下鉄後楽園駅に帰ってきました。
1.白山通沿いの「樋口一葉の終焉の地」 2.柳町仲通り商店街 3.善光寺坂 4.伝通院 5.川越街道(国道254) 6.東京都戦没者霊苑
本郷・小石川には「樋口一葉」が度々住んだ場所があり、なかでも「菊坂」の昔の面影を残した長屋群は非常に趣があります。広い白山通りに面した「終焉の地」の日は紳士服店の軒先で嘗ての雰囲気は全くありません。一葉の住んでいた家は台風による崖崩れで破壊されてしまったそうですが、この辺りの白山通りの東側は崖がせまっています。今は下のような記念碑があるだけです。色々な場所に引越して、生活に苦労しながら素晴らしい文学作品を残した「一葉」ですが亡くなったのは24歳の若さでした。
白山通りを渡って庶民的な「柳町仲通り商店街」を抜けて善光寺坂に向かいました。坂の途中に善光寺という寺があることからこの名前が付いています。善光寺の少し西側の路の真ん中に大きな「椋の木」があります。路はこの木を避けるように続いています。この「椋の木」の少し北側に「幸田露伴」の家があったそうです。非常に静かな住宅街でこういうところに住んだらさぞ気持ちがよいだろうなと思わせる場所です。坂を上りきると「伝通院」です。徳川家康の生母の「於大の方」の墓があります。他にも立派なお墓が沢山ありました。伝通院から参道を南下すると川越街道にぶつかります。そこを左折すると富坂です。
富坂の南側には中央大学理工学部がありますが、まだ犯人が捕まっていない教授殺人事件があったばかりなので非常に警戒が厳しいです。坂を下っていくと礫石川公園ですが、その間に東京都戦没者霊苑があります。丁度東京大空襲のあった3月10日も近いので見学して見ました。外の記念霊苑も建物内の展示室も私の外に誰もいないので非常にひっそりとそしてじっくりと見学する事ができました。丁度満州国皇帝「溥儀」の「我が半生」を読んでいるところで満州事変にことが頭を離れないこの頃なので非常に色々考えることがありました。この場所には嘗て陸軍工科学校があったとのことです。水戸徳川家の藩邸に明治5年フランス陸軍のルボン大尉が伝諸工集所を開設したことが始まりのようです。水戸藩の後楽園は目と鼻の先の所にあります。明治の時代から富国強兵を図り戦争に突入し大きな痛手を受けて敗戦。そして今の繁栄があるのですが、まだ世界には武力でしか解決できない問題が山積しています。そういう社会の大きな「ウネリ」の中に各個人の人生があり、それを取り巻く家族があるという現実は忘れてはいけないと思いました。
今週日曜から中国の大連に出張した同僚達が昨日帰国して、お土産をタップリもって今日出社しました。現在日本でやっている仕事の一部を大連の関連会社にアウトソースするプロジェクトが進んでいるのです。大連は中国国内でも日本語が話せる人口が多く日本の仕事を引き受けることに非常に積極的です。
昨年暮れの「北京旅行」以来、中国の清朝後期あたりの歴史にのめりこんでいて、今は清朝最後の皇帝「溥儀」の自伝「我が半生」を読んでいます。この本は「溥儀」が解放後の中国で書いた本なので、それなりに時代背景を理解して解釈しないとなりませんが、非常に興味深い本です。
「溥儀」が北京を脱出して、天津滞在後に満州に向かうのですが、その途中で大連の「ヤマトホテル」に宿泊したことが書かれていました。「ヤマトホテル」は満鉄が経営した高級ホテルで、今もその建物が大連市の中心に残っています。今も「大連飯店」と名を変えてホテルを営んでいるようです。今日出張した人達に聞いてみましたが立派な建物だそうです。チャンスがあったら一回泊まってみたいホテルです。
南満州鉄道の幹線は「大連ー奉天(瀋陽)ー新京(長春)ーハルピン」を結ぶ700Kmを超える鉄道でした。大連の先の旅順は満州国の海の玄関でした。「清王朝」に関する本を読んでいくと、どうしても「満州国」について考えなくてはならなくなります。非常に複雑な話になって行きそうです。
かなり前に亡くなった私の父は大戦中に「満州」で兵役に就いていました。今思えばもっと話を聞いておけば良かったと思います。酒に酔った時など「ポロっと」思い出話をしていた記憶があります。しかし良く考えて見ると詳しい話を聞きだせたとはとても思えません。父は戦争の事となると詳しい話はしたがりませんでした。それほど苦しい、思い出したくない経験だったのだろうと想像されます。今となっては文献を頼りに想像するしかないのでしょうね。
2009年03月01日(日) |
NTTフィルハーモニー管弦楽団演奏会 |
会社の同僚からチケットを頂いていた「NTTフィルハーモニー管弦楽団演奏会」を聞いてきました。場所は新宿御苑の直ぐ近くの四谷区民センターホール。ホールが区民センターの9階にあるので、音楽会の前後のエレベータの混雑は大変なものでした。
演奏曲目 ワーグナー:「ジークフリートの牧歌」 メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」 ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
指揮:イジィー・ハヴリーク ピアノ:船本貴美子 演奏:NTTフィルハーモニー管弦楽団
「ジークフリート牧歌」は室内楽のような透明度を必要とする曲、「イタリア」はアマチュアは避けた方が良い難しい曲、「皇帝」はベートーベンらしい壮大で様式美に溢れた曲。アマチュアオケの演奏会としては非常に「弱点」が見え安いプログラムなので正直演奏会が始まるまでは非常に「不安」でした。
しかし、私の不安(妻も同じだったと思います)は「ジークフリート牧歌」を聞いて霧散し「イタリア1楽章」では「驚嘆」に変わりました。「ジークフリート牧歌」はワーグナーが妻の「コジマ」の誕生日プレゼントしたという、愛情溢れる曲です。指揮者のハヴリークさんの指示に素早く的確に反応するNTTオケはほんとうに誠意をもって演奏していました。心温まる演奏でした。「イタリア」は一楽章冒頭の木管楽器による3連譜の序奏を聞いただけで、「鳥肌」が立ちました。アマチュアでは最高峰ではないかしら。これだけ粒の揃った、勢いのあり、音色の解け合った序奏を聞くのは初めてです。弦楽器も全てのパートのレベルが高く溌剌と演奏していました。本当に名演だと思いました。演奏者の技術の高さが、指揮者の音楽性を現実のものとしたといえるでしょう。
最後の「皇帝」はベートーベンらしい立派な演奏でした。船本さんのピアノは骨太で豪快で見通しの良い演奏だと思いました。小細工せずに真っ向勝負と言う感じ。伴奏のオーケストラも時には競争し、時には協奏して音楽を飽きさせませんでした。演奏の瑕疵に邪魔されることなく純粋に音楽を楽しめました。通常のプロの演奏とは一味違う、自発性に富んだ音楽なので、次のパッセージはどのように演奏するのだろうという期待を持たせてくれるわくわくするような演奏でした。
参考:ピアニストの船本さんのホームページ
あまりに事前の予想を覆す「素晴らしい演奏会」で興奮が冷めないので、四谷区民センターから地下鉄に乗らずに新宿駅まで妻と二人で歩いて帰りました。NTTフィルの次の演奏会は6月の「ブルックナー交響曲第7番」だそうです。
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